●機動部隊迎撃 四
吹雪の号令一下、第二艦隊に所属する駆逐艦たちは一斉に対空射撃を開始した。
第二艦隊は現在、旗艦である吹雪を中央に置いた輪形陣を形成した状態で第一艦隊の前方に位置している。
対空兵装を強化されているのは25mm三連装機銃を追加装備している卯月のみ。
吹雪を含めた他の5隻の対空砲火は、船体に備わった機銃と艤装を用いた射撃のみだ。
決して十分とは言えないその砲火を最大限活かせるようにと輪形陣を組んだ状態で、第二艦隊は第一艦隊に先行する形で敵機動部隊に向けて航行を続けていた。
事前に第一艦隊直掩の零戦隊が戦闘に入ったのは通信で確認している。
それを切り抜けた敵攻撃隊らしき機影を確認し、吹雪は号令を発したのだ。
同時に自身の艤装である12.7cm連装砲と船体の機銃を使用して対空射撃を開始した。
いつでも射撃可能な状態で航行していた他の駆逐艦達も、遅れることなく対空射撃を開始する。
輪形陣の中央には吹雪と卯月が位置し、前方には三日月が、後方には白雪が航行している。
右手には文月、左手には磯波。
この4隻、特に左右の2隻に対して、吹雪は敵雷撃機に対しての警戒を頼んでいた。
敵攻撃隊の多くは自分たちの対空射撃を無視して第一艦隊を狙おうとするだろうが、こちらの戦力を少しでも減らす事を第一と考えるのであれば第二艦隊への攻撃も行ってくる可能性がある。
少なくとも対空能力だけで比べるならば機銃を増設された第一艦隊の駆逐艦たちの方がはるかに優れているのだ。
逆に第二艦隊の駆逐艦たちは主砲や魚雷発射管を改良したり増設した艦が殆んどで、対空性能で劣る反面、いざ接近しての砲雷撃戦となれば強力である。
敵はそこまで察知していないだろうが、対空砲火が甘いとなれば戦力の一部を此方に向けてくる可能性は十分にあった。
それを警戒して、吹雪は6隻で手分けするようにして周囲を警戒していた。
文月と磯波にはそれぞれ左右を重点的に警戒してもらい、三日月には前方を、白雪には念の為に後方にも気を配ってもらいながら全体を把握してもらうように頼み、自身は卯月と共に特に上空を警戒する。
全体を把握してもらう役割を白雪に頼んだのは、自分にその役割が果たせるかどうかという不安があったからである。
対空戦闘となった場合、自分が上空以外への警戒が疎かになってしまうのではという懸念を抱いた為だ。
白雪を後方に配置したのは全体を把握し易いような配置にと考えたのが、理由の一つである。
同時に、いざ砲雷撃戦と為った際、酸素魚雷を装備した彼女が敵艦隊へと距離を詰めるまでに被弾し難いようにとも考えた上の事だった。
三日月が前方に配されたのも、分隊旗艦である事は勿論だが主砲を増設された彼女の火力を活かせるようにと配慮したのである。
様々な不安に苛まれてはいても、吹雪は自分にできる事を考え、時に仲間たちの意見を聞きながら自身の役割を果たそうと努力していた。
6隻の駆逐艦たちによる輪形陣の配置は、彼女の熟考の結果でもあるのである。
それが有効であったか否かは、これから開始されることになる敵航空隊との戦闘によって……裁定される事になる。
結論だけいうと、第二艦隊の対空戦闘は呆気ないほどに簡単に終了した。
あまりの呆気なさに、最初吹雪は自分が何かを勘違いしているのではと不安になった程である。
戦闘が呆気なく終わった理由は直掩である零式艦上戦闘機の性能は勿論だが、やはり敵側に護衛の戦闘機がいなかったというのが大きかった。
護衛の無い状況でそれでも敵攻撃隊は、艦爆隊は一纏まりで、艦攻隊は雷撃と水平爆撃で……其々の隊に分かれて攻撃を行なおうとしたものの、攻撃態勢に入る前に零戦隊の攻撃を受け撃破、撃墜されていったのである。
それを逃れた敵機も、態勢や編隊が崩れたままで攻撃に移らざるを得なかったのだ。
結果として第一艦隊には全く被害は無く、第二艦隊も磯波が至近弾を受けはしたものの大きな損害は無く、それ以外の艦には全く被害なしという状態で迎撃戦は終了した。
冷静に考えれば当然の結果かもしれない。
吹雪はそう考え、気持ちを引き締め直した。
敵味方の艦隊だけを単純に比較すれば此方も相手も軽空母2隻に駆逐艦4隻となるが、航空戦力で考えれば、相手は此方と輸送部隊という形で戦力を二分していたのである。
勿論僅かな差でその差が覆される可能性も多々あるのだが、今回はそのような事態は起こさずに済んだ……という処だろう。
とはいえそれも、あくまで戦闘のひとつが終わったというだけの事である。
第二艦隊はそのまま第一艦隊の前衛として、敵艦隊を補足する為に船速を上げながら航行を続けていた。
このまま敵機動部隊へと接近し、砲雷撃戦で敵艦隊を殲滅するという作戦方針に変わりはないようである。
少なくとも日没前に敵艦隊を捕捉できるという目算なのだろう。
「……何か順調すぎて怖いな……」
「味方の攻撃隊が心配ですよね……」
警戒しながら呟いた吹雪の言葉に、無線を通して磯波が答えた。
第二艦隊はそのまま戦闘に移行できるようにと全員が船体を出した状態で輪形陣を組み、今はやや各艦の距離を開かせた状態で周囲を警戒しながら航行している。
何かあれば即座に連絡できるようにと通信は開いているし、何もなくても定期的に通信は行い、その結果は吹雪が第一艦隊へと伝えていた。
逆に第一艦隊の方から連絡がくる事は殆んど無い。
敵艦隊発見時に指示があった後は、戦闘開始前と敵攻撃隊撃破を確認した旨の連絡と航行続行の連絡がきたのみである。
「……もう攻撃の結果は連絡あったんだろうけど……」
「うーちゃんは確認できなかったぴょん」
「私の方でも確認できなかったよ」
卯月からの言葉に苦笑を浮かべつつ吹雪は答える。
「無線封鎖の必要は……無いのでしょうか?」
少し不安げな白雪の声が無線から響いてきた。
「大型の艦でもない限り、離れた場所だと傍受し難いのかも知れないね?」
「けど……用心に越した事はないと思うんですけど……」
「……私たちの無線が傍受される分には問題ないのかも知れません」
無線から聞こえた三日月の言葉の意味を考えて、吹雪は少し緊張した。
それは自分たちが、場合によっては囮となるという事を意味している。
考えてみれば当然の事だ。
第一艦隊は軽空母2隻を中核とした機動部隊なのである。
にも拘わらず自分たち第二艦隊は、それを護衛するのでなく砲雷撃戦を挑むべく先行している。
こちらが増速した為、互いの距離は相当に離れているはずだ。
第一艦隊を護衛するように展開していては、いざ戦闘と為った際に行動を大きく制限されてしまう形になってしまうのだから、砲雷撃戦を考えるならば仕方ない事なのかも知れないが……だからといって第一艦隊の安全を考えない訳には行かない。
そう考えると、三日月の言葉が示すものは正解に近いのかも知れない。
第一艦隊も最低限通信を行っているし、そちらのカモフラージュになるという効果もあるのではないだろうか?
「でも、わたしたちが緊張しすぎないように~っていうのもあるかも?」
「……それもきっと、あると思うぴょん」
のんびりとした文月の言葉に卯月がちょっと間を空けてから同意する。
そちらの方にも吹雪は賛成だった。
全員が船体を展開して艦として陣形を組んでいると、無線を使用しない限り言葉を交わす事は不可能となる。
泊地等で停泊している状態なら有線を引くという手段もあるのだろうが、航行中は流石に難しいだろう。
互いを十分に視認できる距離を保っているのだから信号の灯や旗という手段もあるが、それよりも言葉を交わした方がと考えてくれたのではないだろうか?
もちろん、短時間で細かい内容となればやはり直接言葉で伝えるのが一番というのもあるだろうが、少なくとも効率とか囮とか……それだけでは無いのではと吹雪としては思うのだ。
怖いし厳しい事を要求する司令官ではあると思うけど……それだけでは無い。
戦う自分たちに気を配ってくれ、環境を整える為に骨を折ってくれる。
そういう司令官ではないだろうか……吹雪は新城の事を、そんな風に考えていた。
怖い感じもするけれど、決して悪い人ではない。
そんな風に思えるのだ。
あるいは……そう信じたいのかも知れない。
もっとも、いざ目の前に立つと圧倒されるような圧迫されるような気持ちになって、緊張のあまりそんな事を考える余裕は殆んど無くなってしまうのだけれど。
「前方に機影確認」
緊張した三日月の声で、吹雪は表情を強張らせた。
最後に第一艦隊から連絡を受けた時点では、敵の攻撃隊は一部隊というか一纏まりの集団のみとなっていた。
とはいえ発見されていなかった別の隊がいたという可能性もある。
あるいは此方の航空隊との戦闘や何らかの理由で一部が逸(はぐ)れて、遅れて到着したという可能性もある。
対空戦闘が呆気なく終了した事もあって、吹雪は後者ではと推測した。
敵に護衛の戦闘機がいなかったと言え総数ならば40近いと言われていた敵の攻撃隊が、あっさりと……こちらに殆んど被害が出ないという状態で全滅か、そうでなくとも全滅に近しい損害を受けたのである。
(「攻撃してきたのは一部のみで、残りの攻撃隊が……今接近してきた?」)
そんな風に思えたのだ。
彼女は別に悲観主義という訳では無く、基本的には前向きな努力家だった。
とはいえ同時に慎重で用心深い性格でもあった為、物事があまりに容易に進んだ場合……かえって不安になり逆に警戒する性質の持ち主でもあった。
もっとも現状の性格は、北方海域海戦からこれまでの彼女が置かれた状況も大きく影響を及ぼしているといえるだろう。
輸送部隊が襲撃された際の通信を一部とはいえ確認していた事も、彼女が警戒を強めた理由の一つでもあったといえる。
此方には敵戦闘機隊がおらず、彼方には艦爆隊が居なかったという違いがあったとはいえ、輸送部隊の方は敵の攻撃隊によって、護衛の駆逐艦だけでなく旗艦の加賀ですら損害を受けたらしいのだ。
練度が違うとはいえ、この程度で済むのだろうかと考えていたところでの機影の確認である。
だからといって被害を受ける事を当然のように思っている訳ではない。
(「私が、みんなを守るんだから!」)
旗艦なんだから!
そう考えて、彼女は気持ちを改め対空戦闘に備えようとしていた。
それ故に、続く三日月からの通信で……吹雪は胸をなで下ろしつつも拍子抜けしたような気分を味わったのである。
「機影確認、味方航空機の模様」
つまりは敵機動部隊を攻撃した艦爆隊の九九式艦上爆撃機たちという事である。
吹雪のところからも、足が出たままで飛行する機体がハッキリと確認できるようになった。
何機かが挨拶でもするかのように軽く機体を揺らして上空を通り過ぎてゆく。
「減っていますね……当然の事、なんでしょうけれど……」
無線から響く白雪の声に、少し重みのある何かが籠って響いた。
「……そうだね……」
見えないと分かっているけれど、吹雪は小さく頷いてみせる。
「あ……もしかしたら、うーちゃんたちに見えるように低く飛んできたのかも知れないぴょん」
卯月のそんな呟きが無線から響いてくる。
艦の視界で後方を視ると、甲板上で空に向かって手を振る彼女の姿が遠目に見えた。
案外そうなのかも知れないと吹雪も考えた。
下手に分かり難く飛行して此方がギリギリで気付いたりした場合、それこそ焦って勘違いするかも知れない。
誤射で損害などというのは話だけなら馬鹿らしいけれど、絶対に無いなどと言い切れない。
寧ろ実際の歴史として振り返るのであれば、混乱や勘違いで同士討ち等という例は数えきれない程だろう。
かといってわざわざ避けて飛ぶなど論外に思える。
単純な話、飛行する距離が延びるだけで損傷した機体ならば墜落する可能性が高くなる。
それに、最後は砲雷撃戦を考えているとはいえ……航空機隊も再出撃する可能性が無いとは言い切れないのだ。
母艦に戻り再出撃に備える為ならば航路は最短距離の方が良いだろうし、航法が出来るとしても目印があった方が良い。
自分たちの艦隊は第一艦隊を目指す航空機たちにとっては、それなりに分かり易い目印となるだろう。
「……まだ、暫くは掛かりそうですね」
緊張した磯波の声が響いてきた。
先に出撃した艦爆隊と今すれ違ったという事で、掛かる時間を推測してみたのかも知れない。
実際にどれくらい掛かるのか……正確な時間は吹雪にも分からない。
此方もそうだが、敵の機動部隊はどちらの方角に向かっているのか?
こちらから離れようとしているというのであれば下手をすれば相当に時間が掛かる可能性もあるが、深海棲艦たちのこれまでの行動を見ればあり得ないだろう。
寧ろこちらに向かってきている可能性の方が高い。
そうであるならば、意外と時を置かずに遭遇する事になるかも知れない。
実際に敵艦隊と遭遇するまでにどれだけの時間が掛かったのかを磯波は確認していなかった。
敵艦隊に向けて航行中に、時刻を確認していなかった事に気付いたのである。
後悔したものの如何しようもなく、後で確認しようと思いながら彼女は気持ちを切り替えようとした。
もっとも、思いはしても実際に気持ちを切り替えるというのは容易ではない。
容易にできる者もいるが、少なくとも彼女はそういう性分ではなかった。
結果として、戦闘の為にと気を引き締めつつも磯波は不安や後悔を抑えこむようにして警戒を続けていたのである。
分からなかったからといって戦闘や航行に大きな問題は無いし、何らかの問題が発生したのであれば流石に第一艦隊から連絡がある筈だ。
そうでない限り、航行に関係する事に関しては必要に応じて旗艦である吹雪が気を配っている。
つまり磯波自身には何の問題も責任も無いのだが……気になってしまうと如何にもしようが無い、というのが彼女の性分だった。
それが上手く働けば細やかな点にまで配慮し味方の目の届かない箇所に気を配るという事になるのだが、現状のところは余計な心労を増すというだけの結果になってしまっている。
小さな後悔が、自身の気持ちや想像を悪い方へと導くのだ。
小破まで至っていないものの至近弾によって船体が損傷を受けたのも、もしかしたら影響しているのかも知れない。
そんな事を考えていると、無線から三日月の声が響いてきた。
「前方に機影を確認しました」
「了解。全艦、念の為に警戒を。対空戦闘準備」
三日月の報告に対する吹雪の声が、二人のやり取りが無線から響いてくる。
暫く前のことを考えるなら、艦爆隊に続いて攻撃に向かって艦攻隊が帰還してきたという事なのだろう。
万が一の事があってはと考えて吹雪も対空戦闘の準備を発令したのだろうが、あくまでもそれは万が一である。
それでも、磯波は緊張した。
前方から接近してくるという機影を探し、それだけに気を取られないようにと周囲の空や海面も……特に海面は右舷を注意して警戒する。
敵艦載機とは違う形の機体をハッキリと視認すると、張りつめていたものが少し緩んだ。
確認した艦攻隊が、編隊を組んで少し離れた上空を通過してゆく。
(「……艦爆隊と比べると……損害が大きいような感じがします……」)
戦いである以上犠牲は避けられないという事は分かっていても、何とも言えない気持ちになりながら……磯波は気持ちを引き締め直して警戒を続けた。
それでも、少なくとも艦隊戦となれば……被弾すればほぼ撃墜と考えて間違いない航空戦よりも犠牲は少なくできそうに思う。
勿論、艦隊戦でも全く被害が出ないという訳にはいかないかも知れない。
艤装や船体に被弾すれば、装備や艦に宿る妖精たちに……被害が全く出ない、という訳にはいかないのだ。
それでも、自分の努力で被害を、犠牲を少なくできるかもしれないし……被害が出たとしても、未熟さ故であるならば自分を責める事ができる。
磯波としては、その方が良かった。
気持ちのやり場がないよりは、自分を責められた方が……気持ちとしては落ち着くのだ。
狡いのかも知れない、とは思うが……自己嫌悪できた方が気持ちが楽なのである。
だから磯波としては、司令官の作戦を寧ろ歓迎していた。
凄く怖くて、眼を合わせるだけで震え上がりそうになるというのが磯波の新城に対する印象ではあるが、彼女自身、司令官が決して怖いだけの男だとは考えていない。
寧ろそういう人物を演じているのだと、彼女としては考えている。
とはいえそう考えていても、怖いと感じてしまうのは如何しようもない。
不思議なもので、戦う事よりも怖いと感じる自分がいるのだ。
戦う事を恐れていない訳ではない。
仲間が傷付いたり沈む事だけでなく、自分が沈む事も怖い。
それに比べれば、司令官と向かい合ったからといって別に死ぬ訳でもないのに……凄く怖いと感じてしまう自分がいる。
自分がそんな風に考えていると見透かされるかも知れないと思えて怖いのだろうか?
そんな怖さもあると思う。
では見透かされて怒られるのが怖いかというと、そういう事は無い。
磯波としては、そんな自分の心を知っても司令官は怒らないのではと考えている。
彼女の性格上、確信するというまでには至らないが……そうはしないのでは、と思えるのだ。
寧ろ納得するような、そういう反応が当然とでもいうような態度を取られるような……そんな風に思う。
そんな態度を取られるのが怖いのだろうか?
諦めているような態度を取られるのが、辛いのだろうか?
色々推測はしてみるものの結論は出ない。
結局のところ、それらは推論に推論を重ねた上での予測でしかないのである。
悪い人ではなく寧ろ良い人なのかも知れないと思えるけれど、怖い。
最終的には、それが磯波の新城直衛に対しての印象だった。
つまりは直接相対するのは辛いけれど、司令官として仰ぎ見る分には十分という事になる。
過程は兎角として結論としては、彼女は仲間たちと近しい位置に着地していた。
実際、こと兵に対しては新城は優しく心配りをする指揮官であり、そんな自分を偽善者と感じる様な清廉な部分を持ち合わせた人物なのである。
ただ、他の立場の者に対して……味方ではあってもそうではないという点が、彼が様々な種の人物から様々な類の評価を受ける原因なのだ。
無論、本人がそれらの評価を(場合によっては内心はそうでなかったとしても)一笑に付してしまう、そう取れるようにも見える態度を示してしまう事が、それを一層助長していると言える。
その点、艦娘達が少なくとも社会的に人間でないという点が、新城にとっては悪くない方に働いたと言えた。
少なくとも磯波に関しては……事前に色々と悪い話を聞いていれば、新城を冷静に観察する事は難しかっただろう。
実際彼自身、良い部分を有してはいるものの決して善人とは呼び難い人物なのである。
悪い印象を抱いたまま動向を観察すれば、彼女の観察眼と注意力は新城の決して好ましくない面を直視せずにはいられなかっただろう。
その上で開き直ったように見える態度を取られれば、好悪は兎角、自分とは全く違う性分なのだと判断する事は間違いない。
逆に言えば現在の磯波は、新城直衛という人物に対して……自分と何処か似た部分を持っていると考えているのかも知れない。
「吹雪より、第二艦隊全艦へ」
第一艦隊から何か連絡があったのか、吹雪からの通信が磯波に届けられた。
「敵艦隊との会敵が予想されます。全艦警戒して下さい」
他の艦にも恐らく同じ連絡が入っている事だろう。
「……いよいよ、ですね……」
誰に言うでもなく呟いて、磯波は船体の兵装を確認した。
これまでに十分な程チェックは行っているが、最後の最後まで疎かにはできない。
主砲も機銃も問題は無く、魚雷発射管の方も実際の発射はしていないがそれ以外に問題は無い。
吹雪から再度の通信が入る。
「これより陣形を輪形陣から単縦陣へと移行します。複縦陣への移行も考えて、先頭は私で後続に第一分隊の白雪さん、磯波さん。4隻目に分隊旗艦の三日月さん、後続に卯月さん、文月さんの順でお願いします」
皆と殆んど同時に、磯波も了解の言葉を返した。
左舷に見える吹雪の船体が速度を上げるのに合わせるようにして自身の船速を徐々に上げながら、左舷側へと距離を詰めてゆく。
吹雪を挟んで反対側にいる文月の動きは分からないが、自分とは逆に船速を落としながら吹雪の側へと近付いている事だろう。
この動きの時にも、海面には充分に注意する。
単縦陣は砲雷撃戦で味方の火力を活かすのに最も有効な陣形ではあるが、味方が一列に並ぶという点において雷撃を受けやすい陣形でもあるのだ。
第二艦隊の先頭を航行していた三日月が速度を落としながら舵を調整し、速度を上げた吹雪がすれ違うようにして彼女を追い越してゆく。
同じく速度を上げた白雪も、続くようにして三日月を追い越して……
その白雪の後方に付くようにして、磯波は船体の舵を切った。
前進する磯波の後方に付くようにして、三日月が進路を変更していく。
三日月を先頭に吹雪と卯月を中央に配するようにして輪形陣を組んでいた第二艦隊は、吹雪を先頭とした単縦陣へと陣形を組み替え、更に速度を上げた。
敵艦隊に向かっていた為、燃費を優先した巡航速度ではなかったものの、それでも最大船速という訳では無かった。
警戒と移動距離を優先にした戦闘速度ではあったが、此処からは敵を補足し距離を詰める事こそが最優先となるのだ。
「敵艦見ゆ!」
吹雪からの通信を受けて、磯波は気を引き締めた。
元々緊張していたところに更にそうなった為、強張ったと表現しかねない程に身体が硬くなったような気持ちになる。
深呼吸をして少しでも落ち着くようにと自分に言い聞かせながら、磯波は視点を完全に船体の側に移すよう意識した。
先頭の吹雪が発見し、自分は単縦陣の3番目である以上、まだ見えないかも知れないが……とにかく前方を警戒する。
最初に確認できたのは水平線上の何かではなく、空を飛ぶ幾つかの点だった。
それが何なのか確認して、磯波は何かがスッと下がっていくような、何かが冷たくなるような感覚を味わった。
外見がハッキリ確認できるほど近付いてはいないが、先ほど味方の航空機を見ていた事に加え、動き方の違いで何となく判別できる。
それは敵の艦載機だった。
この距離からでも複数の姿が見え、しかもそれが敵艦隊の上空を旋回するようにして飛行しているのである。
味方機の姿は確認できない。
艦爆や艦攻隊は帰還してきたから勿論なのだが、味方戦闘機の姿は確認していない。
自分たちが確認できなかっただけで帰還したのか、どこか別の戦場、空域で戦っているのか……どちらにしても、此処にはいない。
敵が此方に気付けば、一方的に爆撃される……そう考えて青くなっていた磯波は、その思考の違和感に気付いた。
こちらが敵機を確認したのに、船体を展開している此方に敵が気付かないというのは有り得ない筈だ。
もちろん天候が悪かったり海が荒れていたりすれば上空から此方が見え難いという事もあるが、陽が暮れるには未だ時があり、雲が出て薄暗くはあってもある程度視界もあり、海は然程荒れておらず船体の航跡が海面に残る、というこの状態で……気付かないというのは有り得ない。
とするならば、気付いていてもあの行動を続けているという事になる。
(「……一体、なにが……」)
警戒しつつ無意識に首を傾げた磯波の疑問を振り払うように、再び吹雪からの通信が第二艦隊の全艦へと届けられた。
「敵機動部隊上空の航空機は、泊地攻撃に向かった敵艦爆隊の模様。全機爆弾を投下済みと推測され、かつ母艦が損傷で発着不可、再爆装できず戦力にはならないと思われるが、警戒は怠らぬ様に……との事です」
その言葉を聞いて磯波は大袈裟ではなく胸をなで下ろした。
敵艦隊と砲雷撃戦を行いながら対空戦闘をと考え張り詰めていくところでのこの通信である。
敵艦隊の姿が確認できるように見えてきた事で、安堵の気持ちは更に大きくなった。
確認できた敵艦の姿は4隻だったのである。
6隻という報告だったが2隻は味方の攻撃で沈んだようだ。
残った4隻で輪形陣を組んでいる。
損傷しているというヌ級を中央に、左右と前方を駆逐艦が固めるという陣形だ。
前方の駆逐艦の方も、ヌ級ほどではないが損傷しているようにも見える。
「駆逐艦3隻は、前方がハ級、左右の艦はイ級と推測されます」
「絶対に、逃さないぴょん」
「……有利ではありますが、油断は禁物です」
安心しそうになる気持ちを抑えるようにして、磯波は三日月の言葉を思い返しながら気を引き締めた。
有利ではあるが油断できない。
全くその通りだ。
(「……この状況で被害を出すような事になれば……」)
司令官が作戦を考え、空母の二人が御膳立てとでも呼べそうなくらいに戦況を有利にしてくれたのだ。
可能な限り損害を出さないようにと努力してくれた結果なのである。
情けない事になれば、文字通り顔向けできない。
そう考えると……有利な状況であるにも関わらず張り詰めたような気持ちになる。
けれど今はそれが必要な状況だ。
「全艦、続いて下さい」
敵艦隊を右手に見るように吹雪が緩やかに舵を切り、白雪がそれに続く。
磯波も同じように、ゆっくりと向きを変えた。
互いに擦れ違う形となる反航戦という状況だが、敵艦隊は軽空母が殆んど動いていないようで、相対速度は然程でもない。
(「……でも……」)
敵の砲撃も命中し易くなるかも知れない。
そんな考えを噛み締めながら、磯波は船体の砲を操作した。
敵の攻撃に対する用心は、今回は特にし過ぎるという事は無い筈なのだ。
自身の体は前甲板へと移動させ、視点は本体と船体の両方にと調節する。
砲声が響き、離れた場所に水柱が上がった。
敵部隊の方が先に砲撃を開始したようだ。
それでも、吹雪からの号令は無い。
(「吹雪さん、流石だな……」)
自分だったら焦って反撃を命令してしまっていたかも知れない。
元々薄暗かった事に加え、日没も近付いたことで更に視界は悪くなり始めている。
上空の艦載機が視認できるのだから極端に悪い訳ではないが、敵艦を発見できた時点で距離はそれほど離れてはいなかったのだ。
(「……それでも、確り観察してる……」)
その辺り、自分と違って冷静で慎重なのだ。
以前吹雪が、自分も臆病で心配し過ぎるところがあると言っていたけれど、自分とは違うと磯波としては思う。
彼女はきっと、失敗したりとか被害が出たりとか、そういう事を心配しているのだ。
自分はただ、怖がりなのだ……磯波としては、そんな風に考えている。
吹雪が勇敢で恐れを知らない者だとまでは考えないけれど……やはり、自分とは全然違うように思えるのだ。
(「……そういう風に考えて、言い訳してるのかな? 私……」)
それはずるい……と、自分としては思う。
吹雪だって、最初からそうだった訳ではないのだ。
努力して訓練して、色々悩んだり考えて、今のような彼女に成っていった筈なのだ。
彼女のようになれなくても、自分だって少しは……何とか、できる筈なのだ。
(「頑張らないと!」)
そう自分に言い聞かせる。
「目標は敵空母ヌ級。但し命中を望める場合、目標は各艦の裁量にお任せします」
再び吹雪から通信が入る。
つまりはこれが前置きで、もうすぐ攻撃に移るという事なのだろう。
「砲撃、開始!」
続く吹雪の号令に応えるように、ほとんど同時に砲音が響いた。
「当たって!」
祈るように言葉を発しながら、磯波も構えた連装砲を、船体の砲を稼働させる。
轟音と共に放たれた砲弾がヌ級へと向かい……軽空母の周囲で複数の水柱が上がった。
敵駆逐艦の傍にも水柱が上がる。
そのうちの1つが船体を直撃したらしく、ハ級の動きが止まった。
惰性で前進するのみとなった先頭の艦の影響で、敵艦隊の動きは更に遅くなり、陣形にも乱れが生じる。
その間にも、磯波は砲撃を続けていた。
誰がどれを狙っているのか分からないが、自分以外にも複数の艦がヌ級を狙っているのは間違いない。
自分の弾着がどれなのかハッキリとは分からないが、その辺りは発射と着弾の大凡の時間で見当を付け、砲の角度を調整する。
水柱を見る限り、照準の方角はほぼ間違いない。
とすると後は距離だけの筈だ。
船体の主砲はどれか一つだけでも当たれば良いと割り切って、三段階に調節する。
響く轟音と共に砲弾が放たれ、幾つかの水柱と共に……一瞬、ヌ級の船体に炎らしきものが生まれた。
直後ヌ級の手前に水柱が上がり、続けてヌ級の船体から火柱が上がる。
更に数発が命中したらしく、先程までの砲音とは比べ物にならないような爆発音と共にヌ級の船体が歪み、火柱と共に飛行甲板が上方へとひしゃげた。
「ヌ級の機関停止を確認! 他の艦に目標を変更して下さい!」
無線から吹雪の声が響く。
残っていた4隻の内の2隻が動きを止めたのだ。
(「これで、残り2隻!」)
しかもそのうちの1隻は、ヌ級を挟んで向こう側である。
既にヌ級は沈み始めているが、間に何もない状態と比べればかなり照準を絞り辛いはずだ。
ヌ級より手前側に位置するイ級に照準を合わせようとしたところで、駆逐艦の船体から火柱が上がった。
同じように動きを止めた駆逐艦が惰性で前進しつつ……爆発によって船体を歪ませ、急速に沈降してゆく。
「このまま雷撃戦に移行します! 各艦準備を!」
砲音に混じるようにして無線から吹雪の声が響き、少し間を置いて前を進む白雪が面舵を切り始めた。
残った敵駆逐艦はそのまま速度を上げる様子もなく砲撃を続けながら、船体上の魚雷発射管を稼働させる。
吹雪からも、その動きが見えたのか。
かけ声が上がり、磯波もそれに合わせて魚雷を発射した。
放り出されるように海中へと飛び込んだ4本の魚雷が、海上に白い航跡を残して進んでゆく。
前後を見れば白雪と三日月も魚雷を発射したようだった。
三日月の方は遠目からでも微かに航跡が見えるが、白雪の方は流石は酸素魚雷という事なのか、それとも光の具合なのか、とにかく磯波の位置からは航跡は確認できない。
その間にも互いに威嚇し合うように砲撃は続いている。
攻撃を続けながらも固唾を飲むような時が過ぎて……
イ級の船体を揺らすような水柱が2つ上がった。
水柱が上がった箇所から力任せに捻じ曲げでもしたかのように駆逐艦の船体がくの字のように折れ、爆発が起こる。
水柱と煙と炎が混じり合ったような何かが深海棲艦を包み隠す。
そして……水柱と炎は消え、煙も少しずつ拡がるようにして消え去った時、そこに深海棲艦の姿は無かった。
「第二艦隊より第一艦隊へ、敵部隊全艦の撃破を確認しました」
少し緊張した様子で吹雪が報告を行った後、通信を第二艦隊へと制限して続ける。
「皆さん、お疲れさまでした! 大丈夫だと思いますけど、念の為に警戒を続けて下さい。すぐに司令官から、次の指示が届くと……」
そこまで言った処で、吹雪の言葉が中断された。
けれど磯波に、その理由を尋ねようという気持ちは起こらなかった。
ほんの少し前まで敵艦隊がいた海面が、突然光でも浴びたかのように輝き始めたのである。
「し、司令官! 大変です!」
慌てて吹雪が第一艦隊へと通信を送る。
それを耳に入れながら、磯波は輝く海面に警戒した。
念の為にと周囲の、輝いていない海域にも気を配る。
輝きは直視できない程に眩しさを増し、海面だけでなく海上すらも見続けられないほどの光を生み出して……
何かが弾けるように、突然周囲へと舞い散るようにして、消え失せた。
海はまるで、何事もなかったかのように元に戻って……そこに今まで存在しなかった、一隻の艦が浮いている。
「全艦、警戒して下さいっ!!」
「……あれは……?」
慌てた様子の吹雪の声に混じるように、小さな呟きが無線から響く。
敵の新手が現れたのだろうか?
しかし潜水艦ならば兎も角、それ以外の艦が突然姿を現す……などという事が、果たして可能なのだろうか?
深海棲艦などと呼ばれてはいてもその姿は艦娘の船体と同じで、艦艇に酷似している。
潜水する能力を持っているようには到底見えない。
とはいえ現時点で最も可能性が高い……というか、それ以外の可能性が思い浮かばないという点で現実味があるのが、敵の新手であるという可能性である。
いつでも戦闘に移れるようにと警戒しながら……何か違和感のような、噛み合わない何かを感じていた磯波の疑問に答えるように……無線に別の声が、割り込んできた。
「初めまして。睦月型駆逐艦二番艦、如月と申します」
「……や、やっぱり……」
聞き覚えのある声を肯定するように響いたのは、三日月たち睦月型駆逐艦の者たちの……不安と期待の入り混じった、祈り願うような声だった。