皇国の艦娘   作:suhi

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往く者達の為に、残される者達の為に

●往く者達の為に、残される者達の為に 一

「それじゃ龍驤さん、お願いしますね?」

「おう、任しとき。ウチの分まで歓待してやってくれや?」

「はい……加賀さんも、宜しくお願いします」

「……少しでも役に立てれば、何よりです」

 鳳翔の言葉に微かに頷くと、加賀は表情はそのままに整列していた駆逐艦たちに向き直った。

「白露さん? それじゃ……」

「はいは~い! 任せて下さい!」

 カチューシャを付けた少女が元気に返事をして、後ろの3人に向き直る。

「それじゃ、先輩たちの為に見張り! 気合入れてくよー!!」

 姉の言葉に3人の駆逐艦たちは、それぞれらしい言葉で肯定を返した。

 

 

 

「……一体、何が……?」

「せ~っかく人が、寝てたのに~」

 凄まじく面倒そうな態度で最後尾を付いてくる初雪と望月に心配げな視線を向けてから、白雪は傍らを歩く吹雪に小声で呼びかけた。

「ねえ、吹雪ちゃん? これから何があるの?」

「まあまあ、とにかく付いてきて」

 小声で不安げに尋ねる白雪に対して、吹雪は笑顔でそう口にする。

 かなり急ではあるが白露型の4人が命令だからと言って見張りを交代に来て、全員に休みが与えられた。

 そしてその後に招集が掛かったのである。

 今は吹雪を先頭に、食堂兼集会所に向かっている最中だった。

 第一第二艦隊に所属する全員、といっても駆逐艦のみではあるが、それでも全員が列を作って……というには少々雑ではあるが、一塊になって吹雪の後に続いていく。

 白雪は吹雪の隣で、磯波の方は初雪たちが心配なのか最後尾に位置している。

 残りの5人はその間で、色々と今回の招集について話し合っていた。

 長月と三日月は真面目な顔で今後についての連絡か何かだろうかと意見を交わしていて、弥生の方は文月と卯月が色々と憶測を膨らますのを落ち着かせたり窘めたり、という感じ。

 緊張している者もいれば、楽しそうに色々と自分の考えた推論を披露している者もいる。

 白雪もどちらかという緊張している側ではあったのだが、吹雪の様子を見る限りは……少なくとも、悪い事では無さそうだとも思い始めていた。

(「……なら、私も……」)

 少しは楽しい事を考えてみようと、白雪はこれから何が起こるかを想像してみた。

 あまり突拍子もない考えというのは浮かばない。

 その辺り、自分は面白みのない性格なのだな……と考えないでもないけれど、それで落ち込んでも仕方ないので取りあえずは置いておく。

(「時間が時間ですし、夕食関係でしょうか?」)

 良い線……をいっているように、自分としては思えた。

 部隊の殆どの人員が撤退する以上、以降は見張りの要員すら不足気味になる筈だ。

 その前に……例えば残る者たちの士気を高める為に、壮行会的なものをしたりとか、いままで節約していた食糧や嗜好品を奮発して皆に配ったりとか、そういう事をするのではないだろうか?

 配られた缶詰もまだ持ってはいるが、少なくなっているのも事実である。

 艦娘は基本(少なくとも白雪の知っている範囲では)喫煙する者はいないし、飲酒も一部の者たちに限られる。

 そうなると嗜好品は自然甘味になるのだ。

 実際、艦娘達への嗜好品として果物の缶詰は大量に配給されている。

 白雪自身も飲酒喫煙は全くせず甘い物が大好きである。

 シロップに漬けられた果物の缶詰も好きだが、蜜豆も好きだし、小豆の缶詰も大好きだ。

(「……もしかすると、ケーキの缶詰とか出るでしょうか!?」)

 そんな想いに、ちょっと胸がときめいたりもする。

 ケーキと言ってもクリーム付きの生ものではなく、パウンドケーキの類である。

 自衛隊の時代から脈々と受け継がれているという嗜好品で、サイズは小さいが非常食的な役割も考え高カロリー高タンパクを実現している缶入りの保存食だ。

 末期(まつご)の食としても悔いのない一品といえる……少なくとも白雪としては、そう思っている。

 

 軽いと言われるかも知れないが……艦娘である以上、どうしても自分の沈む事については考えてしまう。

 もちろん沈みたい訳ではない。

 できれば沈みたくはないし、皆にも沈んで欲しくないと思う。

 ハッキリとは覚えていないのに、それでも微かに思い出すだけで全身が冷たくなるような光景を……自分の奥底に刻まれた何かが、その来訪を……全力で否定する。

 それでも……沈みたくない者が沈み、死にたくない者が死んでゆくのが戦場なのだ。

 今回の戦いでも……幾人もの人達が死に、同僚や先輩、旗艦たちが……母港へと戻る事が、叶わなかったのだ。

 かつての戦いを思い起こすのであれば、それこそ言うまでもない。

 戻れた者の方が少なかったのだから。

 自分が沈む事への恐怖も、仲間が沈む事への恐怖もある。

 それでも、せめて沈むのであれば……そんな想いもある。

 何もできず、何も為せず、悔しさと後悔の中で沈んで逝きたくはない。

 自分はまだ何も……そんな風に思いながら最期を迎えたくない。

 そう思うのだ。

 とはいえ何かを為せるかという点においては……白雪としては現状、それほど希望を抱けなかった。

 今現在の自分たちは……勝つ為でなく、負けを引き延ばす為に戦っているのだ。

 勿論どのような状況に陥ろうとも最後まで全力は尽くすつもりだし、それこそが自分への慰めになるとも思いはする。

 するのだ、が……

 そうできるだろうか、という不安は消えない。

 だから……身も心も満たされてというのが難しいのであれば……せめてお腹くらいは満たされて……というのは俗物的に過ぎるのだろうか?

 そうかも知れないが、理想だけでなく現実を知っているからこその望みではと白雪的には考えたりもする。

 単純すぎるのかも知れないが、空腹であれば考えも暗くなったり悲観的になったりするものなのだ。

 もちろん満腹になったから気持ちが明るくなったり晴れやかになったりするとは限らないが、同じ状況であれば……満たされていた方が、空腹よりは良いのではと思う。

(「……何か……自分が食い意地が張っていて、必死に言い訳している……ような……?」)

 ふと我に返って冷静に自分を見ると……恥ずかしくて、顔が熱くなる。

 真面目に話をしている子たちに申し訳ないような気持ちになってくる。

 

 一方で、これも艦長の影響なのかもという気持ちも湧いてきていた。

 現代の甘いものに関しては、艦長のお陰で知ることが出来たのだ。

 鎮守府から外出できない自分たちの為にと、艦長が持ち込み可能な品を私費で購入してきてくれたのである。

 色々と思い出しそうになって、白雪は気持ちに蓋をした。

 一度だけ……泣いた。

 それ以上は悲しまないようにしようと、自分で決めたのだ。

 本当に悲しむ事が許されるのは……戦いを終えて、戻ってからだ。

 

 

 

「……どうしたの、白雪ちゃん?」

「っ!? う、ううん。何でも……」

 怪訝そうな顔でこっそりと声をかけてきた吹雪に慌てて返事をして、白雪は自分を叱りつけ気持ちを切り替えた。

 考え込むと周りが見えなくなってしまうのは悪い癖だ。

 みんなが大変なのだから、自分だけ落ち込むなんて以ての他、である。

(「……しっかりしないと」)

 そう自分に言い聞かせたところで……白雪は漂ってくる香りに、ようやく気付いた。

 もしかしたら……自分が一番、気付くのが遅かったかも知れない。

 恥ずかしくなって、もう一度心の中で自分を責めてから……白雪は皆の様子を窺った。

 

 やはりというべきか……全員、さっきまでとは全く違う顔をしていた。

 難しい顔をしている者は、一人もいない。

 実際自分も、安心するような、それでいて心が湧きたつような……そんな気持ちを味わったのである。

 この香りを嗅ぎ間違える艦娘は、恐らくいない。

 たくさんの香辛料が入り混じった、それでいて日本人に馴染みの深い香り。

「吹雪ちゃん? これって……」

「やっぱり分かるよね? 本当は入るまで隠しておこうと思ってはいたんだけど」

 そう言って吹雪は、少し恥ずかしそうに笑った。

 それで十分だった。

 白雪はそれ以上、何かを聞こうとは思わなかった。

「それじゃ、皆さん? 急ぎましょうか」

 そう言って吹雪が集会所の扉に手を掛ける。

 扉が開かれ中から外へと温かい空気が吹きだし、その流れに乗るようにして香りが拡がってくる。

 吹雪に続くようにして一行は、食堂兼集会所の中へ次々と……飛び込むように駆けこんだ。

 大きな寸胴鍋が火に掛けられており、金属製やプラスチック製の皿やトレイが重ねて置かれている。

 保温用らしい発泡スチロール製の複数の箱に、山と積まれた缶詰。

 全員が入ったのを確認した吹雪が、扉を閉めて寒気を外に追い出した。

 鍋の傍に立っていた鳳翔が寸胴鍋を布製の鍋敷きが敷かれたテーブルに移すと、蓋を外す。

 湯気と共に、部屋中の香りを更に上書きするように強い香りが拡がった。

 その名を口する者は一人もいない。

 口にせずとも分かっているからだ。

 海軍に、いや日本に生まれ生きる者であれば、知らない者など居ない……といっても過言ではないほどの料理。

 かつての海軍では土曜日に、時を経て自衛隊、そして現代の海軍では金曜の昼食は必ずこれと定められた献立。

 カレーライスである。

 

 不味く作れるのは才能だと言われるほどの料理でありながら、様々なバリエーションがある奥の深い料理。

 日本海軍から自衛隊を経て現在に至っても、艦の数だけカレーがあると言われ、見学や御披露目などの民間人への一部開放の際には参加した各艦がカレーを振る舞い人気を競う催しがあるというほどに海軍とは縁の深い料理である。

 そんな料理でありながら、食材などの問題によりここ暫くは口にする機会が無かったのだ。

 時間や心理的余裕もというものもあるが、勿論食材的な問題もあった。

 糧食、食材というものは出港の際に不足の無いように積んではいるが、当然というべきか保存の効かない物から順に消費していく形になるのである。

 艦内に冷蔵庫や冷凍庫はある(元々なくても小型の物を持ち込むことは可能だ)が、全ての食材をそれに収納する事は不可能だからだ。

 カレーに使用する食材というのはこの点でも優れている(玉葱や馬鈴薯、つまりはジャガイモは常温保存の期間で考えても優秀な食材である)のだが、それでも全ての食材が揃っている訳では無いのである。

 客船等であれば寧ろ食材の保存に十分以上に力を尽くす訳だが、軍の船となれば保存が効き難く調理を必要とする物は最初に食べきり、以降は保存の効く物を様々な手を加えて可能な限り飽きが来ないようにして食い繋いでいくというのが普通なのである。

 とはいえ昔の、手を加える事など無くひたすら同じに……寧ろ食べられるだけでも幸せ、という時代と比べれば格段に良くなっていると言えるだろう。

 勿論、昔と比べてましになったからと考えたところで……美味しく感じられるかどうかには、個人差というものがあるのだろうが。

「提督より許可は頂いていますから、御心配いりません」

 鳳翔は笑顔で言ってから、傍らの時計を操作した。

「この時間が零になるまでが、皆さんの自由時間です」

 

 

 

 

●往く者達の為に、残される者達の為に 二

 食事の際の最初の風景は変わらない。

 食器を乗せたトレイを手に、食べ物が入った容器を乗せたテーブルの前に行列ができるのである。

 トレイや食器は海軍の余り物などを流用しているらしいので、水上艦で鉄版と呼ばれているような金属製だったり(ただのトレイだったり凹凸があって食物を直接乗せられる物もあったりと色々のようだ)、潜水艦で使われていたというプラスチック製だったりと統一感がないが、それも逆に艦娘部隊独特の雰囲気を醸し出しているといえるかもしれない。

 いつもの光景の、その中で……違ったのは、行列の先頭に並んだのが初雪だったという点だ。

「初雪ちゃん、本気だね……」

 感嘆したような呆れたような表情をしつつ呟いた吹雪は、ちょうど列の真ん中くらいである。

 表情そのものはいつもと変わらないが、ちょっと鼻息の荒い感じで初雪は金属製の皿にご飯をよそった。

 量は標準より少し少ないくらい。それを動きそのものはゆったりとした感じだが実際の時間的には手早く盛って、寸胴の前へと移動する。

 

 湧き上がる湯気が、香りと共に顔を焙った。

 懐かしさのようなものを感じつつ、金属製のお玉杓子(ようはお玉。調理の世界では英語のレードルという表現を使うらしい)を手に取る。

 外見から、カエルの幼生であるオタマジャクシの語源になったと聞いているが、丸い部分と棒っぽい部分が組み合わさっているという以外はあんまり似ていないんじゃないかと初雪としては思わなくもない。

 まあ、どうでも良い事だ。

 今はカレーなのだ。

 感じからして、レーションのカレーに用意できた他の具材やスパイス等を色々と足した感じの即席なのであろうが……何というか、全く違う……豪勢な別物のように感じられる。

 食事だけでなくデザートまで用意されているという、この場の雰囲気ゆえなのか?

(「……それとも、鳳翔さん、の……腕前?」)

 恐らくそれもあるだろう。

 とはいえそれも、今は良いのだ。

 今はカレーなのである。

 そのまま食べられるように、割合とかを考えなくて済むように。

 ご飯に直接、カレーをかける。

 この辺り、直接かける派と左右に分ける派、場合によってはそれ以外の派閥などもあって、時には論争すら起こったりするのだそうだ。

(「……そういえば、あの魔法のランプみたいな入れ物にカレーが入って、ご飯と別々に出てくるみたいなのも、立派なお店にはあるんだとか……」)

 あの容器は、何と言っただろう?

(「たしか……グレイビーボート……とか、なんとか……」)

 まあ、いいや……と、如何でも良い思考を終了させる。

 どうであれ、カレーの掛け方の論争とかそういうのは……たぶん様々な問題から完全に解放され、後顧の憂い無く食事や論争に専念できる環境でこそのものなのだ。

 少なくとも食堂内には、そういう拘りが物議を醸しだしそうな雰囲気は全く無かった。

 皆が気にしているのは、早く前の人が(ご飯を)盛って(カレーを)掛けて、自分の番が回ってこないかいう事だけであろう。

 その点では、面倒臭がりであってもそれだけに手間を掛けない初雪の動きは高評価だったかもしれない。

 もうちょっと掛けようか……みたいな迷いは一切なかった訳だから。

 カレーを掛け終え、金属製のコップに水を汲み、鳳翔に勧められて缶詰を手に取って。

 初雪は近くの席にトレイを置くと、腰を下ろした。

 その隣を、鼻歌を歌いながら嬉しそうに卯月が通り過ぎ……別の席に腰を下ろす。

 

 さっそく食べようかと思ったのだが……頂きますを掛けるのかと気になって周りを見回した。

 一斉に食事の時は声掛けはあったが、鎮守府を出てから以降は食事は基本交代制だったので、そういうのは全く無かったのである。

 見回したところ……とりあえず、まだ食べている者はいない。

 食べたくないといえば嘘になるが、そこまで飢えている訳でもなかった。

 なので、目の前の湯気を立てるカレーライスを眺めつつ……初雪は皆を待つことにした。

 もしかしたらこれは、遅い方が良かったのではという思いが徐々に強くなっていく。

 湯気を上げ香りを立ち昇らせるカレーライスを前にして、待ち続けるというのは中々に苦しく感じられる時間なのだ。

 もっと空腹であったならば、耐えられなかったかも知れなかった。

 取りあえず涎などは垂らさなかったが、危うく眠りかけた。

 心が磨り減らされたからかも知れない。

「……大丈夫ですか?」

 気が付くと、向かいに座った磯波が心配そうに覗き込んでいた。

 隣には吹雪が、その向かいには白雪が座っている。

 こういう時には自然にという事なのか、艦型で分かれるような感じになる。

 嫌っているとか苦手とかではなく、慣れのようなものなのだろう。

 そういう点で、自分が望月と気楽な感じでいられるのは……艦だった頃の縁みたいなものなのかも知れない。

 テーブルが4人掛けのせいか、睦月型の6人は3人ずつに分かれて座っていた。

 分かれ方は艦隊の編成と同じである。

 話の内容は分からないが、文月と三日月が笑顔を浮かべ、楽しそうにはしゃぐ卯月の言葉に頷いている。

 一方で自分と同じように……多分同じに、舟を漕ぎかけている望月を……弥生と長月が支えながら揺すって、何やら呼びかけている。

(「……艦が舟を漕ぐとは、これ如何に」)

「だ、大丈夫ですか?」

「……うん、たぶん……」

 再度の磯波の呼びかけに、初雪は小さな声で答えた。

 特に意味のないことを考えていただけなのだが、反応が無いのでまた眠りかけていると思われたのかもしれない。

 

 

「それじゃ、いただきます」

 吹雪の言葉に、それぞれ九つの言葉が続く。

 小声で呟くように口にして、初雪もスプーンに手を伸ばした。

「初雪ちゃんは如何?」

 そういって隣の吹雪が、開けた缶詰を差し出してくる。

 中には缶の厚みと同じくらい厚く切られた沢庵(たくわん)が、ギッチリという表現が相応しい感じで6つ詰め込まれていた。

 福神漬の缶詰もあったような気がしたが、もしかすると在庫が尽きたのかもしれない。

 そういえばと鳳翔から渡された缶を確認する。

 こちらはパンの缶詰だった。

 パンと言っても乾パンではなくパウンドケーキである。

 つまりはデザートだ。

 ちなみにママレード入りの模様。

「……じゃあ……」

 貰おうとして箸がないことに気付いた時、前から箸が差し出された。

「あの……良ければ、どうぞ」

 何故か申し訳なさそうに、少し恥ずかしそうに……磯波がそう言って、小首を傾げる。

 自分の分がトレイに載っているのを見る限り、忘れたのではと心配して余分に持ってきてくれたのだろうか?

「……ありがと」

「……あ、いえいえ。お役に立てたなら……」

 礼を言って受け取ると、彼女は嬉しそうに何度か頷いてみせた。

 それじゃと吹雪が差し出した缶詰に箸を伸ばし、2切れを取って皿の隅に載せる。

 大袈裟な表現かもしれないが、これで準備は整った。

 

 改めてスプーンを手にし、端から掬い、口に入れる。

 別々に伝わってきたカレーとご飯の味が、ムグムグと噛んでいるうちに口の中でひとつになっていく。

(「……これは……缶飯ではなく、ちゃんと炊いた……御飯」)

 そんな事を考えた。

 缶飯というは通称だが、要は戦闘糧食に分類される缶詰の御飯である。

 炊き上がった米を缶詰にしたもので、食べる際は熱湯で25分ほど加熱する事で喫食可能となる保存食だ。

 一度炊いてはあっても一定の時間が経つとデンプンが固まるだとか何だかで、加熱が必要になるらしい。

 決して不味いとは思わないが、炊き立ての御飯とは……やはり違う。

 少なくとも初雪にはそう感じられるのだ。

 これに関しては彼女自身、多くの賛同を得られると思っている。

 とにかくこの御飯は、その缶飯ではなく本当に炊いたお米だろう。

 それが初雪の感想だった。

 とはいえ絶対にそうなのかは分からない。

 あと、美味しいと感じているし……実際は如何でも良いかな……

 ……という気持ちにもなってきている。

 そう、美味しければ良いのだ。

 カレーライスが、美味しい。

 カレーライスが、温かい。

 香りが鼻をくすぐって、口の中で御飯の甘みと、カレーの辛みと甘みと香ばしさが、混ざり合って。

 肉も野菜も柔らかくて。

(「……あ、肉は柔らかいというか、ちょっとレトルトっぽい煮込みすぎですぐ崩れるような、そんな感じだけど」)

 ちょっと歯ごたえが欲しくなって、初雪は箸で沢庵を摘み、齧った。

 小気味の良い音と共に口の中に、しょっぱさと甘みが広がってゆく。

 沢庵は昆布と唐辛子でも味付けされていて、ピリッとした辛さと旨みも感じさせる。

 福神漬とは違うけれど、これはこれで合っている……そんな風に思える味わい。

 しっかりと噛んで、味わって。飲み込んでから、コップの水を一口。

 カレーの味は残るけれど、一旦仕切り直したという気持になる。

 

 そこで、改めてスプーンを伸ばして……

 もう一口……と味わう前に、初雪は眼だけで周囲を窺った。

 吹雪も白雪も磯波も、今は特に話などはせずにカレーを頬張っている。

 このテーブルの4人は、会話は一旦控え、先ずカレーライスを暫し味わう事に専念を……という方針なのだろう。

 もちろん、ある程度空腹だったというのもある筈だ。

 空腹に耐えられないという事は無いが、食べられる時には食べるという性格のようなものもあるだろう。

 艦娘といっても本体は人間に酷似しているため、本体が活動するためのエネルギーは人間と同じように飲食に頼るのである。

 個人差もあるが、艦娘の多くは普通の人間と比べると一度に多くの飲食が可能なのだ。

 実際に食べるかどうかとなると更に個人の差がでてくるのだが、とにかく食べようと思えば、通常の人間の倍以上は食べられる。

 人間より優れた肉体能力を持つ以上、胃腸の消化吸収能力も……というのもあるのかもしれないが、それだけではないのだ。

 艦娘の能力というか特性というか、活動する為のエネルギーの補充という点において、飲食というものが関わってくるのである。

 単純に言えば、艦娘というのは飲食によって、少量ではあるものの船体や艤装の補給を行う事が可能なのだ。

 厳密にどのような構造になっているのかは分からないが、理屈では体内の妖精たちが飲食したり摂取したりしたエネルギーの余剰分を、艤装や船体へと送るらしい……という事になっている。

 とはいえこれも結局のところ結果論みたいなものでしかない。

 艤装や船体のタンクに残っているはずの燃料が僅かではあるものの増えている場合があるので、様々な実験を行った結果、どうもそうらしいという推論がでて、現状それを否定する結果も出ていない……というだけの事である。

 もちろん普通に燃料をタンクに補給し、準備した弾薬を装填したり船体内の弾薬庫に積み込んだ方が効率が良いので、艦娘部隊ではわざわざそのような補給手段を取ることは無い。

 つまりはそういった補給が行えない際の非常手段というところなのかも知れない。

 艦娘によっては燃料や弾薬が不足すると空腹感を覚えたり、逆に補給してもらうと満腹感を抱いたりという者もいるのだそうだ。

 ちなみに初雪は、特にそういうものはない。

 食べる量も、どちらかというと普通の艦娘より少ないかも知れない。

 というか、そんなに食べるのメンドくさいと感じてしまう時があるのだ。

 前にそう言って、深雪か誰かにツッコミを入れられたような記憶がある。

 それでも……食べる量が少ないからといって、特別飢えたり空腹で朦朧とする……などという事もない。

 今の編成になるまでも吹雪型の皆と交流はあったが、思い返してみると……皆、けっこう食べていたように思う。

 白雪や磯波はそのことで、恥ずかしそうにしていたような記憶もある。

 吹雪や深雪は、そういうのは気にせずに沢山食べていたような気がする。

 叢雲は……どうだっただろう?

 

「……初雪ちゃん? どうかした?」

 声をかけられそちらに視線を向けると、吹雪が手を止めて小首を傾げていた。

「……も、もしかして……何か気になったり、邪魔になったり……しました?」

 向かいの磯波が恥ずかしそうに、申し訳なさそうに尋ねてくる。

「……いや、大丈夫……普通に」

 少し間をおいてからそう答えると、磯波は安堵した様子で胸を撫で下ろした。

(「まあ、とりあえず……食べ終わってからにしようかな……」)

 そんな風に結論を出して初雪は食事を再開した。

 まだ時間は、たくさんあるのだ。

 もっとも、いつもそんな風に考えて……最後は寝て過ごしたりする訳だが。

 

 

 

 

●往く者達の為に、残される者達の為に 三

「あら、文月さん。おかわりですか?」

「うん♪ えへへ~ 鳳翔さん、盛ってもらっていい~?」

「はい、もちろん。どれくらいにします?」

「ええと~ ……中くらいで~」

「はい、中盛りですね?」

 上目遣いでお願いする文月に、鳳翔は笑顔で応えて差し出された皿を受け取った。

「鳳翔さんは……食べないの~?」

「ええと……実は私、作っている最中に味見をして、お腹がいっぱいになってしまったんですよ。ですので、私の事は気にせずに好きなだけ食べて下さい」

 文月の言葉にそう答えながらご飯を盛りカレーをかけ終えると、鳳翔はどうぞとお皿を差し出した。

「は~い、ありがと~」

 

 にこにこと笑いながらお礼を言って、文月はテーブルに戻り腰を下ろした。

「お~ 文月おかわりぴょん?」

「わわっ、ご飯粒飛びます!?」

 尋ねた卯月の向かいにいた三日月が、慌てたようすで卯月に注意する。

「ふたりは良いの~?」

 文月がそう問いかけると三日月は文月の方へと向き直り、答えようとして……考え込んだ。

「……おかわりはしようと思うんですけど、どれくらいにしようかなって」

「うーちゃんは一旦、デザートに行くぴょん!」

 一方で卯月は胸を張ってなぜか得意げに答える。

「一旦、ってことは……食べたら、またカレ~にするの?」

「そうで~す♪ 辛いのと甘いのを往復するぴょん!」

「そ、そうなんですか……」

「ふぇぇ……すごい、ね~?」

 ちょっと驚いたというか唖然とした感じで三日月が口にし、文月も何か感心したような調子で呟いた。

「私はカレーの後に食べたほうが良いかな~って思いますけど……」

「それでお腹いっぱいになったら、大変ぴょん!」

「おかわり一回くらいなら、大丈夫なんじゃ……まあ、お腹一杯になるのが不安なら、交互もあり……なのかな?」

 言いながら三日月が考え込む。

 あ~説得されちゃいそうだな~と、見ていた文月は思った。

 相手の話をキチンと聞こうとする三日月の姿勢はとても良いものなのだが、物事をひとつずつ分けて考えていこうとするようなところがある。

 だから、別々に考えて結論を出そうとしたり順番で話が変わっていったりすると……最初は変だと思っていた事に納得してしまったりするのだ。

 最初は甘いものと辛いものを交互にというのは合わないんじゃないかという話だったはずなのに、今は味の事を忘れて食べる量の事だけを考えてしまっている感じ。

 もっとも卯月の方も言いくるめようとしている訳ではなく、思った事をそのまま口にしているだけなのだろう。

 そもそも交互になんていうのは今回が初めてなのだ。

 たまたま何かの拍子に思いついただけ……のような気がする。おそらく、たぶん。

 実際ふたりは話しながらも、結論は出さずにそのまま食事を再開していた。

 もごもぐと味わっている間は考え込み、飲み込むと話をして、またひとさじ掬って……そんな感じである。

 器用だな~と思いながら……文月はスプーンを持ったまま暫しの間、ふたりの様子を見学する。

「そういえば、鳳翔さんに何か聞いてました?」

 一皿を平らげて、おかわり……の前にという感じで、三日月が文月の方を向いて問い掛けた。

「鳳翔さんは食べないの~? って聞いたら、味見とかでお腹いっぱいになったから~って」

「そうなのぴょん?」

 文月が答えると、卯月がスプーンを咥えたまま首を傾げた。

「……鳳翔さん、意外と食いしん坊??」

「そうですか? 私たちに気を遣った……とか」

「う~ん、ど~かな~?」

「遠慮しない方が良いのに~みんなで食べる方が、絶対おいしいぴょん!」

「えへへ~そうだね~」

 その卯月の発言には、文月もそのまま頷きを返した。

 立ち上がろうとしていた三日月も、そのまま考え込む。

「司令官達も残るんですよね? ……じゃあ、本部で食べてるんでしょうか?」

「そうかな~? どうかな~?」

 想像してみようとしたものの、文月にはその場面は想像できなかった。

 食事と司令官というのが、そもそもぴんと来ない。

 文月の中では司令官の日常的な姿というのが、あまり浮かばないのである。

 自分がいると緊張させるからと気を遣っているのかな~と思った事はある。

 司令官になる前は、けっこう外で見かけていたような記憶があるのだ。

「じゃあ三日月、鳳翔さんに聞いてみるぴょん」

「え……で、でも……」

 あっけらかんと口にした卯月に対して、三日月は如何にも緊張した態度で口籠った。

 本人に直接聞く訳ではないけれど、それでも緊張するのだろう。

 実際、難しそうな感じの人かな~という印象を文月としても感じている。

 それでも、怖い人でも悪い人でも無いのだろう……と思うのは、多分に弥生の影響が大きいのだろう。

「? どうしたぴょん??」

「ん~弥生、司令官に居てほしかったんだろ~な~? って思って」

「それを言ったら、うーちゃんだって艦長にいてほしかった……」

 そこまで言ったところで卯月は、あっ……という表情で固まった。

「……ごめん、なさい……ぴょん」

 申し訳なさそうに頭を下げる。

「違うよ~? 今のは、あたしが自分から言ったんだし? 謝らないで~」

 首を振って、文月は笑顔を浮かべてみせた。

「大丈夫、だから。うん、いたら楽しいだろうし本人も楽しんだだろうな~とは、思ったけど」

「……それを考えると、私や卯月の艦長は……少し気を遣わせちゃいそうですよね?」

 三日月がそういって席を立とうとした時だった。

「良かったら、おかわり取りましょうか?」

 そう言って鳳翔が三人のテーブルを訪れる。

「え? いや、でもわざわざ……」

「せっかくの機会ですし、遠慮しないで甘えてもらえると嬉しいです」

「……そ、それじゃ、お言葉に甘えて……普通でお願いします」

「はい、お待ちくださいね?」

 そう言って鳳翔は笑顔で三日月からお皿を受け取った。

「ちょっと恐縮しますね……」

「大人って感じがするぴょん」

「そだね~」

「……ええと、それで何でしたっけ?」

 会話を戻そうとした三日月が考え込んだ。

「司令官がいたら、弥生は嬉しいのかな~って」

 思い返しつつ文月が口にすると、三日月は成程と頷いてから再び考え込んだ。

「……でも、こういう所にいたら、多分すごく居心地悪そうにしてそうですよね?」

「そういうの嫌だから、いなくて良いって弥生なら言いそうでっす。ぴょん!」

「ああ~そうかも~?」

 成程と、今度は文月の方が頷く。

「弥生ちゃん~わがまま言うの、嫌~って言ってたこと、あるもんね?」

 彼女がそう続けてから一呼吸ほど置いて。

 

「……如何か、した……?」

 話題の主の声が響いた。

 振り向くと、小首を傾げた弥生が長月と一緒に立っていた。

「どうしたぴょん?」

 卯月が不思議そうに首を傾げてみせる。

「いや、ちょっと狭いかも知れないが……詰めれば一緒に座れるかと思ってな?」

 卯月の質問に答えたのは、長月だった。

「ええと……もっちは、どうしたんです?」

 今度は三日月が首を傾げて質問する。

 そもそもテーブルが4人掛けだった為、詰めて6人は厳し過ぎるだろうという事で3人ずつに分かれたのである。

 5人であれば、確かに椅子を一つ持ってくれば何とでもなるだろうが……それで一人(この場にいない望月)が残るとなると……そう心配しての発言だった。

 その心配に対して再び長月が、短い言葉で分かりやすく答えた。

「寝るのだそうだ」

「「「え?」」」

 長月の言葉に、三人の反応が重なる。

 文月の声は少し伸びた感じではあったけれど、卯月と三日月の声はぴったりだった。

「お腹一杯になったら、眠くなった……って」

 補足するように、弥生が付け足す。

「でも、一杯で良いんですか? 大盛りって訳でも無かったのに」

「何を言っている。あれで三杯、平らげてるぞ?」

 不思議そうに尋ねた三日月に、こちらも不思議そうな顔で長月が答えた。

「マジぴょん!?」

 卯月が驚愕と言わんばかりの表情を浮かべる。文月も、何度も瞬きをしてみせた。

「本当だ。まあ……三日月が言うように、一杯当たりの量は寧ろ普通より小盛りだったように見えたが」

「……ちなみに、ケーキ……も、三缶」

 再び補足という感じで、弥生が付け足す。

「ま、まあ……確かに私たちは、話をしながら食べていました、けど……」

「そっちは、そんなに凄かったんだ~?」

「まあ……最初は実際、ふらふらしていたんだ」

 

 相変わらず不思議そうな表情のまま口にする三日月と文月に、長月は……思い出すような、考え事でもするかのような表情で説明し始めた。

 食べ始めてからも、食べ方が特別早かった訳ではないのだそうだ。

 ただ、手を止めることなく黙々と食べ続けてはいたらしい。

 最初はそれを見守っていた弥生と長月は……しばらく眺めて大丈夫そうだと考えて、自分たちも食事を開始した。

 特に何か語り合うという訳でもなく気ままに思い浮かんだ事を話し、卯月たちのテーブルの方にも顔を出してみようか、等と話していたところで……食べ終わった望月におかわりをお願いされたのだそうである。

「当然というか、自分で行って来いと言ったところに鳳翔さんが来てな」

 間延びはしているものの望月もキチンと礼を言って、鳳翔に頼んでおかわりを貰って。

「で、また黙々と食べ続けておかわりをお願いして……みたいな感じですか?」

「その通りだ」

「カレーを食べて、ケーキも食べて、お腹一杯になったから……と?」

「その通りだ」

「話だけ聞くと、ただのダメな人みたいぴょん!」

「いや、実際に見ていても、ただの駄目な人みたいだったぞ? まあ自由時間なのだから、悪いことをしている訳ではないが」

 そう言いながら、長月が視線を自分たちのテーブルの方へと向けた。

 眼鏡を脇に置いた望月が、テーブルに俯せになっている。

「でも、ポカポカであったかいし~眠くなっちゃうのも、仕方ないかも~?」

 同じように望月の様子を眺めながら、こちらはニコニコしながら文月が口にした。

 その言葉に、弥生が同意するように呟く。

「好きなように過ごす……って意味では、良い……のかも」

「確かに。この状況で寝るというのは、見方を変えれば……凄まじい贅沢、と言えるな?」

「……なるほど。楽しい時間を、自分の一番好みの方法で味わう……という事ですか」

 長月の言葉には少しばかり呆れたような雰囲気が漂ってはいたが、三日月の方はというと難しい顔で妙に感心したように呟きつつ、うんうんと何度も頷いている。

「ぷっぷくぷーっ! 長月と三日月が、ややこしいこと言ってる! 文月、どういう事ぴょん??」

「ん~ ここで寝たら気持ちよく眠れて、いい夢見られそう~ってことじゃないかな~?」

「むむむ、確かにそれは言える! さすが望月、ぶれないぴょん! うーちゃんには、もったいなくて出来ないけど」

「つまり、もっちーからすると……勿体なくて起きていられない、という事ですか」

 再び妙に感心した様子で三日月が考え込み、長月はというと……やれやれという感じで首を振ってみせた。

「価値観が……違い過ぎるな」

「でも……もっち、らしい……かも」

 そう呟く弥生の顔には、嬉しそうとも感じられる何かが浮かんでいる。

 

 

「お話し中にすみません、お待たせしました」

 そう言って、カレーを盛った皿を手に鳳翔がテーブルへと訪い(おとない)を入れた。

「あ、すみません。ありがとうございます」

「いえいえ。弥生さんと長月さんも此方ですか?」

 笑顔で三日月にカレーライスを渡すと、鳳翔はそのまま二人に微笑みを向けた。

「はい、もっち……が、寝るみたい……なので……」

「望月ちゃんらしいですね?」

 弥生の言葉にそう答えて、今度はテーブルに突っ伏している望月へと視線を向け、くすりと笑う。

「ほら三日月? 聞いてみるぴょ~ん?」

「え……でも……」

 口籠る三日月に、鳳翔だけでなく長月も怪訝そうな表情を浮かべてみせた。

 弥生の表情はあまり変わらないが、小首を傾げたところを見る限りでは同じく疑問を感じているのだろう。

「うづき~ちゃ~ん? あんまり困らせると、かわいそうだよ~?」

「ん? じゃあ、うーちゃんが直接聞くぴょん! 鳳翔さ~ん?」

「はい、何でしょう?」

「しれーかん達は、カレー食べないぴょん?」

 

 呆気ないほど簡単に卯月が尋ねると、鳳翔は苦笑いするような、少し困ったような顔をしてみせた。

「……ええと……そうですね、提督の方は残ったら後でもらう……という感じの言い方はしていましたが、やんわりと断られた……という事なんだと思います」

「……鳳翔さん、困らせるつもりはなかったぴょん……ごめんなさい」

「あ、いえいえ。気にしないで下さい。私も咄嗟で、何と言えば良いのかと考えてしまって」

「……言ってしまって、大丈夫でしたか?」

 少し心配そうに三日月が質問すると、落ち着きを取り戻したという顔で微笑んで、鳳翔は答えた。

「言うなとはいわれていませんし、大丈夫でしょう。非難するような視線を向けられたりはするかも知れませんが」

 笑顔には幾らか、悪戯めいた成分が追加されている。

「……こういう所は、流石だと思います」

「穏やか一辺倒に見えて、強か(したたか)だからな」

 三日月が感心したように呟き、長月も相槌を打ちながら口にした。

「とにかく……司令官は分かりませんが、司令部の他の皆さんや龍驤さんは他で時間を作って交代で休む事になっていますので遠慮は無用ですよ? 見張りに立っている方たちも、皆さんが楽しく過ごしてくれる事を望んでいるんですから」

 用があれば呼んで下さいと言って、鳳翔がテーブルから離れていく。

 それを見送ってから、弥生が再びテーブルの3人へと向き直った。

「……で、此方は今、どんな状態だ?」

 長月が腰を下ろしている3人に向かって質問する。

「うーちゃん達は、まだまだ食べたりないぴょん!」

「あたしは、カレーはこれで良いかな~?」

「私は……もう一皿……くらい、貰おうかと」

 ぞれぞれの言葉に長月は、丁寧に一回ずつ頷いてみせた。

「なら……空いている席の処に詰める感じで、弥生と私が座って良いか?」

 その言葉に、今度は卯月、文月、三日月の3人が一緒に頷く。

 弥生と長月は缶のケーキをテーブルに置くと一旦席を離れた。

 元のテーブルから各々の椅子を運んできて腰を下ろす。

 意外と窮屈に感じないのは、2人が詰めて座っているからなのだろう。

 

 

 席に着いてから一旦皆を見回すと、長月が改めてという感じで起立した。

「こういう席でいきなり、というのも悪いのかも知れないが……このままでは後ろめたいので最初に一言、言わせてもらいたい」

 そう言ってから、彼女は深々と頭を下げた。

「色々と心配や迷惑をかけて、済まなかった」

「いえ、そんな……」

「……心配はともかく、迷惑って言うのは、ちょっと違うと思うぴょん! ぷっぷくぷー!!」

 ちょっと怒った感じで卯月が頬を膨らませる。

「……うん、そうかも~? わたしも、ちょっと違うって思うな~」

「御免、も……必要なのかも……知れない、けど。それより、も……」

 続くように文月と弥生も口にし、三日月も……三人を見てから、長月の方を向いた。

「私も、今回は……そう思います」

「……そうだな、すまない。その点も謝る」

 そう言って、もう一度頭を下げてから長月は言い直した。

「心配かけたが、もう大丈夫だ。みんな、ありがとう。色々と気を遣ってもらった」

「そう、それで良いぴょん!」

「……何か偉そうだな」

「うーちゃん、少なくとも今回は間違ってないと思いまっす!」

「……すみません。私も本当は、人の事を言えないのに……」

「いや、三日月は謝らなくて良い。寧ろ確りしていると私は思うぞ? 少なくとも卯月よりは……」

「何でそこで、うーちゃんをっ!?」

「そ、そんな……私がそんなの、有り得ないですから!?」

「……三日月? 前、司令官に……卑下は、良くない、って……」

「それは……確かに言われましたけど、でも……」

「司令官がそう言っていたのか……流石だな。三日月の事も、よく見ている」

 卯月が元気な声で自分の考えを主張し、長月が冷静な雰囲気で反論し、三日月は真面目な顔で、でも少し自信なさげに意見を言いつつ口籠り、弥生は途切れ途切れに言葉少なく……でも臆する事無く、一言一句を紡ぐ。

 以前と変わらない……そんな風に思える、光景。

 文月はそれを、ほんわりと暖かな気持ちで眺めていた。

 

 もちろんそれは……以前と全く同じ、という訳にはいかなかった。

 少しだけ……違っていた。

 少しというのは違うのかもしれない。

 でも、すごく違っているとか全然違う、と言うと……それも何か……奇怪しな感じになるのだ。

 前はここに、この雰囲気の中に……睦月と如月が居たのだ。

 鎮守府にいたころは、皐月や菊月も加わっていた。

 文月はそんなことを考えた。

 他の睦月型と比べて建造が遅れた皐月と菊月の2人は鎮守府で待機する事になったけれど、睦月と如月は海戦の前ならば……居たのである。

(「それと、艦長も」)

 あの夜戦の前は、確かに生きていて……文月と話をしてくれたのだ。

 目を閉じる必要などなく、その姿を……一緒にいた風景を、思い出せる。

 二人の時は気楽におばちゃんて呼んで良いんだよ、と気さくに話してくれたあの人は……実際は幾つだったのだろう?

 女性に歳は聞くもんじゃないと冗談めかして笑うあの顔は……自分よりずっと落ち着いていて……でも元気で威勢がよくて、頼もしかった。

 文月としては四十代くらいだったのかな~と思うけれど、実際のところは分からない。

 人の歳を、見た目を基に考えて予想する……なんて事は、今までした事がなかったのだから。

 結婚はしなかったけれど文月のような娘が欲しかったと言ってくれたのは……本気だったのかどうか分からないけれど、自分としては凄く嬉しかった。

 おばちゃんだと悪いと思うなら、お母さんて呼んでくれても良いんだよと冗談めかしていっていたのに、文月がそう呼んでみたら……

 すごく驚いて、ちょっと照れて……でも、嬉しそうに笑ってくれた。

 やばい、どうしよう、凄く嬉しい。

 そう言って笑ってくれて、文月も本当に嬉しくなって……思い切って抱きついたら、抱きしめて頭を撫でてくれたのだ。

 自分は艦娘だけど、人間の親子ってこんな感じなのかな~と考えたりもした。

 いなくなってから一週間くらいしか経っていないのに……もう随分と昔の事のように感じてしまう。

 艦だった頃の記憶のように、色褪せ始めてしまっている……そんな風に思えてしまう。

(「……ここに居てくれたら……良かったな~」)

ここで一緒に……艦長と一緒に、食べたかった。

 そんな想いを、口から零れそうになった一言を、文月は口に含んだ水と一緒に飲み込んだ。

 

 自分はまだ、良い方なのだ。

 最後に少しだけ……だけれど、話をする事ができたのだ。

 船体が砲撃を受けて損傷した時の衝撃で、艦長は酷い傷を負ったようだった。

 自分の状態を理解していたかどうかは分からない。

 それらに関しては、艦長は何も言わなかった。

 ただ、文月に尋ねたのだ。

 怪我は無い? と。

 文月が大丈夫と答えたら、彼女は良かったとだけ口にした。

 文月は続く言葉を待ったけれど、それは無かった。

 それが……艦長が文月に向けた、最後の言葉だったのだ。

 その時の事を思い出せば悲しくなるし、思い出そうと出すまいと……寂しさの方は、どうしようもない。

 

 それでも、長月と比べれば……ずっと幸せなのだ。

 そう思う。

 短くとも自分は、最後に言葉を交わすことができたのだ。

 長月にはそれすら無かったのだ。

 それなのに、長月は……悲しんで、落ち込んで、迷って……それでも、立ち上がったのだ。乗り越えようとしているのだ。

 

「……文月?」

「ふぇ? ……ううん、大丈夫だよ~」

 首を傾げた隣の弥生に、ちょっと動揺したものの……文月は笑顔でそう返した。

 空になったお皿の上にスプーンを置き、もう一口、水を飲む。

 それで、もう少し落ち着けた。

 寂しい気持ちは、本物で本当だ。

 でも、今ここで暖かな気持ちに、懐かしい気持ちになっている自分がいるのも、嘘じゃない。

 司令官達がこういう場所を、こんな時間を用意してくれたのは……きっと、これからの戦いを考えての事だろう。

 なら、落ち込んだままではいけない。

 暗くなってはいけない。

 きっと部隊の人たちは、楽しんでもらおうと思ってこの場を企画したのだろうから。

 こんな時と場所は、これで最後かもしれないのだ。

 いや、かも知れないではなくて……きっと最後なのだ。

 落ち込んでいたら、絶対に後悔する。

 後で思い出した時に……どうしてあの時、って思ってしまう。

 それは嫌だから。

 楽しかったと思い出したいから。

 良い思い出にしたいから。

 そんな風にできれば、きっと最後まで頑張れるから。

 だから……

「だいじょうぶ、だよ~」

 そう言って文月は、弥生にしがみついた。

 すぐに、頭にそっと手が置かれた。

「大丈夫……弥生は、ここにいる、よ……」

 静かな言葉と共に、優しく頭が撫でられる。

 ちょっと涙が出そうになる。

 悲しいからなのか、嬉しいのか、それとも別の気持ちなのか……自分でも分からない。

 でも決して、嫌ではない。

 ずっとこうしていて欲しいと思える、そんな気持ち。

 でも折角なのだから、皆と話もしたい。

 見えなくても、耳に入ってくる皆の話し声は、とても楽しそうで……こうしているだけじゃ勿体ない、という気持ちになる。

 一方で、このまま皆の話を聞きながら……ずっと弥生に甘えていたい、という気持ちも湧いてくる。

(「わ~困っちゃうな~」)

 暖かくて、楽しくて、心地よくて……

(「もちづきちゃんの気持ち、ちょっと分かるかも~?」)

 幸せだな~と思える自分がいる。

 きっとそれで良いのだ。

「……寝ちゃっても……大丈夫、だから」

「ありがと~ でも、もったいないから……もうちょっと」

 えへへと笑うと、また頭が優しく撫でられた。

 自分はきっと大丈夫だ。そう思えた。

 姉たちがいて、妹たちがいて、友達がいて……もう会えない皆も、きっと……自分の中にいるのだ。

「三日月ちゃんがカレー食べ終わったら、みんなでケーキ食べよ~?」

「うん、じゃあ……そうしよう、か」

「え、じゃあ……」

「別に急がなくても良いだろう? 自分のペースで良いんだ、三日月」

 ちょっと慌てた三日月を諭すように、長月の声が響く。

 きゅっと少し強めに抱きしめてから、文月はよいしょと体を起こした。

 お礼を言うと、弥生は頷いてもう一度頭をなでなでしてくれた。

「文月の、笑顔で……弥生、も……元気、もらってるから」

 そう言われて、艦長も同じような事を言ってくれたのを思い出す。

 なら、やっぱり笑顔でいたい。

 口には出さず、笑顔で……文月は心の内の姉妹たちに、大切な人たちに……誓った。

 自分のできる事を、最後まできちんと。

 それできっと、自分は胸を張って会えるはずなのだ。

 

 

 

 建物の中は、穏やかで暖かな空気で満たされていた。

 間近に戦場が、戦いが迫っているとは思えないその雰囲気はしかし、決して自然に発生したものでは無かった。

 それらは、それを与えたいと願った者たちが各々の役割を果たす事によって創り出されたものであった。

 

 端的な表現をすれば此の場は……撤退する者たちが残る者たちの為に用意した、所謂(いわゆる)最後の晩餐だった。

 司令官である新城は、残る者たちに何かする必要というのは然程感じてはいなかった。

 彼にとってこの行事は、寧ろ撤退する者達にとってこそ必要なものだという認識だった。

 普通であれば、残る者たちの為に退く者たちが可能な限り良い思い出を作るために努力する、という事なのだろう。

 だが、新城からすれば……生き残らされる者たちが、逝ってしまう者達に……出来得る限り引け目を感じないで済むように必要な儀式、だったのだ。

 共に沈む事こそ義務と決心していた者にとっては、生き残るという事ですら罪と思えてしまうものなのである。

 新城からすれば信じられないほどの狂信と思えるが……同時に彼には、僅かではあっても理解できない訳ではない……という気持ちもあった。

 だからこそ、なのだ。

 後にこの戦いを、今という時を、撤退する者らが思い出す時……残った者に『出来るだけの事をしてやれた』という思いは、生きていく者たちにとっての救いとなる筈だ。

 彼はそう考えた。

 そんな考慮をしてやらねばならないほど、隊に所属する一部の者たちは不思議なほどの純粋さを持っている。

 それは彼ら彼女らが人間社会を生きていく場合において不利に働く場面が多いのだろうが、艦娘部隊の行末(ゆくすえ)にとっては、概ね良い方へと働くはずなのだ。

 

 残る者達に関しては、新城としては……結局のところ如何しようもないと考えていた。

 気持ちがどうであれ恐らく多くの者たちが……それらを抱いて、沈む事になるのだ。

 そしてその現実は、何らかの僅かな違いで沈まずに残る者たちの心に……大きな影響を与える事になる。

 ささやかな幸せや喜びが、憎悪や怒り、逆恨みへと変わってしまうほどに。

 死というものが呆気ないほどに軽々しく感じられてしまえば、生もまた呆気ないほどの軽々しさを漂わせてしまうものなのだ。

 逆に重く感じてしまえば、感じ過ぎてしまえば……生者は死者という重圧に、押し潰されてしまう事だろう。

 つまりは何もかも儘ならない、という事だ。

 

 それでも新城は、鳳翔からの申し出を肯定的に捉えて司令部の者たちに提案し、実行へと向けさせた。

 前述したような、撤退する者達を割り切らせる為の儀式……という理屈はあった。

 だが彼を動かしたのは結局のところ、それらを偽善と断じながらも為さずにはいられなかったという想いであった。

 つまりは彼も、人間という事だった。

 

 

 

 そういった様々な思いを、無論彼女たちは知る由もない。

 推測する者がいたとしても確信は得られないし、意味もないのだ。

 この場を与えられた者たちは、少なくとも今この瞬間、難しい事を考えようとはしていなかった。

 自分たちを待ち受けるものを知らなかった訳ではない。

 不明瞭な記憶という知識ではあっても、彼女たちはそれを、知り過ぎるほどに知り得ていた。

 そうでありながら今の彼女たちの顔には、喜びが、笑みが、満たされた何かが、浮かんでいた。

 無論、未来を楽観視している訳ではなかった。

 不安や恐怖が消えた訳でも、迷いがなくなった訳でもなかった。

 それでも、確かなものを皆が実感していた。

 

 少なくともこの場にいる者達は皆、自分が何のために戦うのか解っているのだった。

 この場の全員が今、この時を共有していた。

 それは、いつか必ず道標(みちしるべ)となるのだ。

 此の場に集った全員で、二度と同じ時を共にすることが出来なくなったとしても……

 共に時を過ごした、というその記憶が。

 生き残った者たちにとっての慰めとなり、支えとなるのだ。

 

 かつて戦いの海で、多くの……という言葉では足りないほどに、血と涙が流れ、笑顔と命が失われた。

 彼女たちのほとんどが、水底(みなぞこ)へと沈んだ。

 それでも、それだけが全てではなかったと彼女たちは知っているのだった。

 それは、かつて自分たちが乗せ、海を駆けた者たちが身をもって教えてくれたものだと彼女たちは確信していた。

 

 彼女たちは、すべてを美化しようなどと考えてはいなかった。

 ただ、海の上に不幸や悲しみしか無かった訳ではないと考えているだけだった。

 それは、戦争という時代の枠組みのなかであったとしても……日常というものが確かに存在していたという想いであり、願いであった。

 それを疑う事は、自分たちの存在そのものの否定であった。

 何より時折思い出す情景は、彼女たちにそれを真実と信じるに足らせる何かに満ちていたのだ。

 

 彼女たちにとって海は、危険で恐ろしい場所だった。

 それでも其処に、彼女たちの生涯が、艦歴が、将兵たちの人生があったのだ。

 それを、無意味で無駄なものだと思いたくなかった。

 須(すべから)く、悪しきものであったと思いたくなかったのだ。

 それだけだった。

 

 

 つまりは彼女たちもまた、自分たちが何処から来たのかを知っているのだった。

 それは……何処へ向かうのかを知っている、という事でもあった。

 

 

 


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