皇国の艦娘   作:suhi

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艦隊再編 四

 

●艦隊再編 四

 吹雪を先頭にした一行が倉庫前へと到着した時には、既に第二艦隊の残りの面々や第一艦隊の初雪が到着していた。

 見張りの任に当たっている望月も、今はこの場で警戒を行っているようだ。

 実際、この場を敵の艦載機が襲撃して来たら大変なことになる。

 もしかしたら見回りの兵士たちの方が他に行ってくれているのかも知れない。

「お疲れさまです、吹雪さん」

「ご、ごめん。遅くなっちゃって」

「すまない、私が色々と説明をしてもらっていてな」

「こちらも先程集まったところですし。では、説明お願いしますね?」

 いえいえと首を振りながら苦笑いした白雪に促され、吹雪は集まった駆逐艦たちを見回した。

「忙しいところ、ありがとうございます。早速ですが説明させて頂きます」

 そう言って、吹雪は運ばれてきた装備について説明していく。

 今回自分たち用に運ばれてきた装備は、機銃と魚雷、そして駆逐艦用の主砲だった。

「12.7cm連装砲2基、25mm連装機銃2基、同三連装機銃1基。それから61cm四連装魚雷発射管1基、同(酸素)魚雷発射管1基……以上です」

 最後の酸素魚雷発射管のところで、皆が驚くような声をあげる。

 自分たちが出発する前には開発されていなかった装備だからだろう。

 自分も書類で確認した時は驚いたのだ。

 皆と気持ちを共有できたような気がして、ちょっと嬉しくなる。

 

「次に装備の換装の方ですが、酸素魚雷の方は白雪ちゃ……さんに、通常の四連装発射管の方は磯波さんに装備してもらう事になります」

「はい、もっと活躍できるよう頑張ります」

「ありがとうございます、嬉しいです」

 いつもの調子で呼びそうになって、吹雪は慌てて訂正した。

 恥ずかしさはあったが、顔に出さぬようにと努めながら皆を見回す。

 いつもと変わらぬ落ち着いた様子で白雪が頷き、磯波の方は少し緊張した様子で頭を下げた。

「白雪さんの方は、通常の魚雷発射管と交換の形になります。外した方は、文月さんの方に搭載して下さい」

「了解しました」

「えへへ、ありがと~」

 白雪が頷き、文月がニコニコと嬉しそうな顔で礼を言う。

 睦月型駆逐艦といえば吹雪の中では大ベテランの先輩方というイメージだが、無邪気な笑顔を浮かべている文月は、どちらかというと可愛い後輩という雰囲気を漂わせている。

 もっとも、見た目はそうであってもいざ実戦となれば彼女は熟練の駆逐艦である事を納得させるだけの実力を発揮するのだ。

 そういえば明るく無邪気な印象を受けるが、落ち込んでいたり暗かったりという姿はあまり見た事がない。

 たしか夜襲の時の被弾で艦長が亡くなったという話は聞いたのだけれど……悲しそうではあったけれど……ずっと落ち込んでいたり、みたいなのは無かったように思う。

 もしかしたら、すごく自制心が強いのかもしれない。

 だとするなら装備の差配は、その辺りも考えての事なのだろう。

 

「次に12.7cm主砲ですが、1基は三日月さんの方でお願いします」

「了解しました。ありがたく頂きますね」

 落ち着いた態度で三日月が頷く。

 真面目で控えめな印象を受けるが、こちらもやはり戦闘となれば不屈の意志で戦う高い技量を持った頼もしい先輩である。

 白雪、磯波、文月、三日月。そして吹雪。これに卯月が加わった計6隻が、第二艦隊と呼ばれている新たに編成された水雷戦隊だ。

 必要に応じて3隻ずつに分かれて戦う事も考えられており、その場合は吹雪指揮下の白雪、磯波と、三日月指揮下の卯月、文月という2隊に分かれる形になっている。

 吹雪と白雪は天龍の指揮下で戦っていた前の第三部隊所属で、磯波、文月、三日月が天龍型二番艦である龍田が旗艦の旧第四部隊所属。

 そして卯月は……最初は軽巡洋艦から重雷装巡洋艦へと改造された大井、次に駆逐艦如月、更に弥生と旗艦が変わり続けた旧第五部隊所属である。

 ちなみに磯波の方は元々第三所属だったが、北方海戦後の戦力調整で、泊地到着後に第四部隊へと編入された形だった為、2隊に分かれた場合でも吹雪や白雪との連携に不安は無い。

 第四に編入された時も、天龍が彼女を推したのだ。

「お前は自分で思っている以上に器用で、周りの事を自然と見れる性格だから大丈夫だ」

 不安がる磯波をそう言って元気づけ、肩を叩いて送り出した姿を思い出す。

 あんな風に、できる訳がない。

 自分に旗艦なんて……そう思う。

 それでも……出来るか出来ないかとかではなく、やるしかないのだ。

 大雑把っぽくて、ちょっと怖くて……でも凄く頼もしくて、自分たちの事をよく見てくれていた、あの軽巡洋艦は……もう、此処にはいないのだ。

 説明の最中に物思いに耽ってしまった自分を慌てて現実へと引き戻す。

 

「12.7cmのもう1基は、長月さん搭載でお願いします」

「承知した。期待に応えられるよう全力を尽くそう」

 首肯した長月が静かに口にする。

「機銃の方ですが、25mm三連装の方は卯月さんにお願いします」

「う~ちゃん、感激~! ……あ、吹雪~?」

「あ……その、今は公的な話ですし、ちゃん付けは御容赦下さい」

「う~ 分かったぴょん……」

 最初は、うーちゃんと呼んでほしいとお願いされたのだ。

 流石にそれは自分としては畏れ多いという事で、普通のちゃん付けに負けてもらったのである。

 とはいえ流石にこの場では不味いと思う。

 自分としては、だけれど。

「こほん……」

 小さく咳払いをして説明を再開する。

「25mm連装機銃の方は、望月さんと初雪さんにそれぞれお願いします」

「お、いいねえ」

「……あり、がと……頑張る」

 雰囲気は相変わらずであるものの、自分たちなりにという事なのか二人は喜びを表現してみせた。

「あ、それで初雪ちゃ、じゃなくて初雪さんの方は25mmは以前に換装していた12.7mm機銃と交換する形にして、12.7mmの方は弥生さんにお願いします」

「……了解」

「はい……弥生も、これなら……」

 ちょっと途中で慌てて早口になってしまったけれど、これで全員分完了したはず。

 

 吹雪は手渡されたプリントを見ながら確認した。

「ええと……あと練習用の模擬弾は無いので、主砲と機銃は実弾の方で試射を行うようにとの事です。弾薬の備蓄は少ないので最低限の発射や装填の作動確認で済ませて欲しい、と。あと、魚雷の方はその余裕もないので本体の稼働と発射管のチェックで我慢してくれ、との事です。動作確認等で手が必要な場合は……」

 印刷機具など無い状態なので司令部員が急いで手書きした物らしく、間違いは横線が引かれただけで、その脇や下の行との間などに修正や追記が点在している。

 文章も畏まっておらず、以前に本土や海戦前に見聞きした言葉と比べるとそれっぽさが無くて違和感が凄い。

 確認作業などについても、済ませてほしいとか我慢してくれなんて書かれているのも新鮮だ。

 これまで吹雪が見てきたのは、○○すべしとか、○○するように、等と無機質な文字で印刷された文章だけだった。

 必要なら仲間内で何とかしてやってくれみたいに書かれていた事など、絶対になかった筈である。

 大抵は細かい部分まで決められていて、変更するとなると申請やその確認で書類が2枚くらい余分に必要になったりするのだ。

 艦娘部隊がいくら即席のようではあっても、その辺りの体裁は流石に整えられていたのである。

 もちろん、今の司令部が手を抜いているとは思わない。

 ただ、体裁を整えるよりも優先するべき事項があるというだけの事なのだ。

 つまりは司令部の人たちは余程に忙しいのか、それとも形式など気にしていられないほどに疲れているかのどちらかだろう。

 ちょっと心配になったりもする。

 

(「でも、今の私にできる事はこれだよね? きちんと終わらせて迷惑かけないようにしないと」)

ちょっと不安になってプリントを再度確認する……ここまでで、言い忘れや間違いは無い筈だ。

「換装の方は第一艦隊から行って下さい。長月さんと初雪さんからで、その後に弥生さん。望月さんの方は見張りが終わった後で、第二艦隊の今の見張り……三日月さんと一緒でお願いします」

「あい、りょ~かいだよ」

 めんどうそうではあっても、望月は意外としっかりと返事はしてくれる。

 その辺り、初雪とは少し違う。

「あ、見張りの方ですが海上は港入口までで良いそうです。加賀さんたちの入港後に防潜網を仕掛けたとの事ですので。あと、海上警戒は念の為に必ず2隻でと」

「うぁ~めんどくせ~事、してんな~」

「了解しました……もっち~?」

「わ~ってるってば」

(「……弥生さんと三日月さんって望月さんの事を、もっちーって呼ぶんだな~」)

 2人のやり取りに、ちょっとクスリとする。

 これで連絡は全ての筈。

「ええと、何か確認事項はありますでしょうか?」

 そう言ってもう一度、皆を見回す。

 問題は無さそうだ。

 

 

「それでは解散します。お疲れさまでした。見張りの方は引き続き警戒の方、お願いします」

 みなが口々にお疲れさまを告げ散っていく。

「お疲れさま、吹雪ちゃん」

 息を吐いて肩の力を抜いていると、白雪が話しかけてきた。

「しっかり旗艦、出来てるよ?」

「そ、そうかな? 緊張して色々、いっぱい一杯なんだけど……」

 照れるような気持ちと気恥ずかしさが相まって、苦笑いのようなものが浮かんでくる。

 皆がいる時は畏まった物言いになるが、そうでない時の白雪は丁寧ではあっても少しくだけた感じになるのだ。

「お疲れさまです、吹雪さん」

 一方で磯波の方は特に変わりはない。

 2人共真面目な性格ではあるが、そういったところは全然違う。

 白雪の方は、親しい人には意外に無邪気な一面も見せる。

 逆に磯波の方は、誰に対しても丁寧ではあるが……気弱で控えめ、という感じの態度を取るのだ。

 もっとも今は、これからの任務の事で緊張しているというのもあるかも知れない。

 偵察や警戒等で練習してきたとはいえ、艦長無しでのしっかりとした作戦となると初めてなのだ。

「……磯波ちゃん、大丈夫?」

「う……はい、少し……すごく緊張はしてますけど、大丈夫です」

「だ、大丈夫だよ? 私も緊張しているし?」

「そ、そうですね? 緊張して当然、ですよね?」

「うん、そうだよ」

 不安げに頷く磯波に向かって、吹雪も何度も頷いてみせた。

「……正直に言うと、不安で……少し、怖いんです……」

 吹雪と白雪の顔を交互に見てから……少し俯いて、磯波は小声で告白した。

「……御免なさい、これから戦いっていう時に……」

「ううん、そんな事ない。すごいよ、磯波ちゃんは」

 吹雪は素直にそう思った。

 自分も緊張しているというだけでなく、何か変な感じだったのだ。

 慣れない事をしているから……疲れるし、少し混乱しているんだろう。

 そう自分に言い聞かせていたのだ。

 だけど、今は自覚できる。

 自分の中にある何かを口に出してはいけないと思っていたのだ。

 いや、それから目を背けて存在しないと思い込もうとしていたのだ。

「……私は、そんな風に口にできなかったもの……」

「吹雪さん……」

「磯波ちゃんに言われて、私も気付いたんだ。ああ、私って怖がってるんだな~……って」

 同じように小声で、でも2人に聞こえるように口にすると……何か震えのようなものが、す~っと背筋を走ったような気がした。

「そうですね、磯波ちゃんは強いと思います」

「白雪さんまで……」

「私は自覚はしていましたが、口にはできませんでした。空気を悪くしてしまうんじゃないかって思って」

「そ、それが普通なんです。私はただ、我慢し切れなくって、言っちゃっただけで……」

「それも強さだと思います」

 白雪は、にこやか……とでも表現すべき笑顔で応えた。

 笑顔だけど……なにかを抑えてるような、何かを考えているような顔。

 我慢しているのに、それでも透きとおっているかのような笑顔で。

「言わなくて、それで耐えられるんなら良いんです。私は我慢してたけど、それで段々苦しくなっちゃって来てましたから」

 白雪は、磯波に向けて敬意の籠った言葉を贈る。

「で、でも……」

「磯波ちゃんは、もうちょっと自分に自信をもっていいと思うんですよ」

「あ、それは私も思う!」

 白雪の言葉に吹雪は元気に諸手を挙げて賛成した。

「ふ、ふたり共、そんなこと言わないで下さい」

 両手で顔半分を覆うようにして、真っ赤になった磯波が反論する。

「ううん、本当に凄いよ? 磯波ちゃんは」

 少し気持ちが楽なったせいか、周りが気になって……吹雪は慌てて皆の様子を確認した。

 見張りの2人と三日月たち3人は既に出て行って、第一艦隊の3人は離れた場所で装備の確認を行っている。

 作業が完了するまで暫く掛かるだろう。

 話の内容までは聞こえないだろうが、人のいない所に移った方が良さそうだろうか?

「……ねえ、2人共? 場所を変えて……ちょっと話とか良いかな?」

 そう提案すると、2人は快く頷いた。

 艦娘も兵士たちも休憩場所として、港近くにそれぞれ数人ずつで休む為の場所を与えられている。

 小屋や狭い建物の場合はそのまま一宅を、大きな建物の場合は数人毎に一部屋で。

 それ以外に皆が集まる場所として、大きめの建物が一つ休憩所として充てられている。

 正確に言うと食堂兼休憩所とでもいうべき場所だ。

 部屋が暖められているだけでなく暖かい飲み物も用意されており、食事の時だけでなく休憩中の者も使用して良いことになっているのだ。

 3人は休憩所で飲物をもらうと、3人で使っている部屋へと移動した。

 部屋数が5つほどある古めかしい家屋で、その内の2部屋を第二艦隊で3人ずつに分かれて使用している。

「……それで、どうしたんですか?」

 部屋に入って机の上に金属製のコップを置くと、白雪が吹雪に問いかけた。

 磯波の方は暖房器具……一斗缶に放り込まれた薪と木材に火を付けている。

 点火材を使っているせいか火はすぐに木材と薪に燃え移った。

 黒い煙が少し出たが、すぐに煙は色を変え炎の勢いも落ち着いてくる。

「……うん、できたらもう少し……みんなで本音を話し合えたらな~……って……」

 火に当たるような仕草をしながら、吹雪は小声で口にした。

 言ってから少し不安になって、窓の外を眺めてみる。

 当然誰もいないし、離れた場所から機械の駆動音のような物が響き始めていた。

 第一艦隊の皆が早速作業を開始したのだろう。

 五月蠅いという程ではないが話し声が外に漏れるような事は無さそうだ。

 ふうっと安堵の息が零れる。

「ごめんね、びくびくしちゃって」

「そんな事ないです。私のほうが、ずっと怖がってます」

「……でも、それが普通なんだと思います」

 2人の言葉に白雪も同意してみせた。

 少し前に3人で司令部に呼ばれ、受けた説明を思い出す。

 三日月達や第一艦隊の皆、他の将兵たちも……そうやって少しずつ呼ばれて説明されたのだろうか?

「……将兵さん達は司令含め司令部要員4人を残して、後は全員撤収するっていうし……人が少なくなっていくのを想像すると、何だか寂しくなっていくし……」

「兵士の方もそうですけど、私たちの方も……少しずつ、減っていきますしね……」

 コップを両手で持った磯波が、中の飲み物を眺めながら呟いた。

 休憩室の飲み物は緑茶と珈琲と紅茶の三種類。

 ずっと緑茶を飲んでいた磯波は、気分転換ということなのか今回は紅茶を注いでいた。

 吹雪も今までは緑茶を飲んでいたが、今回は珈琲を入れている。

 残念ながら砂糖もミルクも無かったのでかなり薄くしてみたが、それでもかなりの苦みに辟易しているところ。

 香りの方は素晴らしいのだけど。

「……思い出してしまいますね……良くないとは思っても」

「深雪ちゃんがいなくなって、天龍さんも叢雲ちゃんも……帰って来れなくて……」

 暗くなると分かっていても口にしてしまう。

 

 それに続く言葉は無かった。

 3人共、それぞれその時の事を、思い浮かべる。

 海戦から撤退時の混乱と、足止めの為の敵艦隊への夜襲。

 深雪の方は、もしかしたらはぐれただけで本土の方に向かっているのかも知れない。

 そんな事を考えもするが……正直、望みは殆どない。

 それでも、あの夜の戦いで動けなくなった天龍や叢雲に比べれば……絶対とは言い切れない。

 雷巡チ級の攻撃で態勢を崩された主力部隊は、敵の水雷戦隊にも攻撃を仕掛けられ……それでも善戦したらしかった。

 だが、元々ル級2隻と砲撃戦を繰り広げていたのである。

 更に主力部隊に襲いかかろうとする後続の敵重巡洋艦たちを妨害する為に、吹雪たちと磯波たちはそれぞれ天龍と龍田に率いられ、敵艦隊へと斬り込みをかけたのだ。

 その時点ではまだ撤退が指示されていなかった事が理由である。

 どちらの部隊もそれぞれヌ級と護衛の駆逐艦を奇襲で撃破し、その際の被害も小破1隻程度の軽微なものだったのだ。

 付近に他に航空母艦は確認できず、味方の主力が劣勢に陥っている以上……放っておく訳にはいかない。

 天龍と龍田に乗艦していた隊長たち2人(第三部隊隊長兼天龍艦長と第四部隊隊長兼龍田艦長)も、そう判断したらしかった。

 此方の主力が壊滅しては、以後の足止めもより困難になるのは間違いないからだ。

 だが、その戦いに加わった事で両部隊の損害は一気に増加した。

 敵側にも増援として軽巡や駆逐艦が複数駆け付け、結果として部隊は挟撃を受ける形となったのである。

 重巡洋艦1隻は大破させたものの、それを成し遂げた叢雲は敵の集中砲火を浴びて沈められた。

 吹雪が後で聞いた話では、この時に白雪も被弾して艦長が負傷していたのだそうだ。

 第四部隊も旗艦である龍田の船体が大破させられ、他の艦も程度の差はあれ損傷し始める。

 第三旗艦の天龍も砲撃によって損傷した。

 この時点で天龍艦長は負傷しつつも指揮を執っていたが、龍田の艦長は戦死したらしかった。

 船体を収納して撤退すれば、龍田は逃げ延びる事が出来たかもしれない。

 乗り込んでいるのが艦長のみである以上、天龍の方も船体を収納して艦長を背負うなり抱えるなりすれば、撤退は決して不可能ではなかったはずだ。

 それでも、2人はそうしようとはしなかった。

 逆に駆逐艦たちに船体を収納し艦長を連れての撤退を命じ、自分たちは船体を展開したまま囮役として戦い続ける事を選んだのである。

 天龍の艦長も、それに同意したらしかった。

 無線から響いてきた声は力強くはあるけれど、同時に不思議なほど落ち着いていた。

 少なくとも吹雪には、そう感じられたのだ。

 吹雪の艦長は言葉を受けて泣いたが、涙をぬぐった後、必ず皆を連れ泊地に帰投すると返答した。

 実際、ためらっている時間は無かった。

 第三部隊の吹雪は白雪と共に、第四部隊は三日月が指示を受け磯波と文月を率いて。

 両部隊の5隻はそのまま合流し、戦場からある程度離れたと判断したところで方位を確認した後、船体を展開して全速力で撤退しようとした。

 離れた方角が泊地とは別方向だった為に戦場を迂回するように移動し、そこで偶然に第五部隊と遭遇したのはその時である。

 直後から敵の執拗な追撃を受け、全員もうこれまでと覚悟を決める程だったが……分かれて各自で泊地を目指した事で、何とか敵の追撃を振り切る事が出来たのだ。

 泊地に到着するまでは無我夢中だったし、到着してからも暫くは実感が湧かなかった。

 

 泊地に残っていた第一部隊に迎えられ、味方の帰還を待ちながら……各艦がバラバラに帰ってきて……最後に、満身創痍で船体を失った古鷹が倒れ込むように辿り着いて……あの夜の戦いは現実だったのだと、徐々に実感していったのである。

 それに伴うようにして、あの時に沈んだり殿として残った叢雲や天龍、龍田が、もう戻ってこないのだという想いが膨らんで……代わりに何か……胸の中に隙間ができたような、空虚な、何かが空っぽになってしまったような想いが生まれて……

「……何ていうか正直、自分の中では纏まってない感じなんだ」

 言葉の通りではあるけれど……沈黙に耐え切れなくなって、吹雪は口を開いた。

 自分はもしかしたら旗艦を命じられて楽だったのかも知れない。

 色々考える事があって大変だったけれど、その分だけ他の事を考える余裕が無かったからだ。

 

「私も、吹雪ちゃんと同じ」

 コップを手に取った白雪が、そういってお茶を一口飲んだ。

 白雪の艦長は、泊地に到着する前に亡くなったのだと聞いている。

 実際の年齢よりずっと歳上に見える穏やかそうな男性の顔を、吹雪は思い出した。

「私……思い出します……龍田さん、いつもと変わらないのんびりとした優しい口調で……」

 磯波が震える声で語り始める。

 今度は、天龍と一緒に話をしていた時の龍田の姿が……浮かんできた。

 怖いという人もいるし、実際に自分も以前はそう感じた事もあったけれど……

「すごく気を配ってくれているんだ、って……下に付いてみると……何となくだけど、分かってきて……」

 できれば、もう少し……話してみたかった。

 口の中に籠ってしまいそうな言葉を……懸命に、吐き出すように、磯波が形にする。

 吹雪も同じ気持ちだった。

 龍田や天龍だけではない。

 共に訓練に励み色々なことを語り合った、叢雲や深雪だって同じだ。

 もっと語り合って、分かり合いたかった。

 一緒に時を、過ごしたかった。

 でも……それは勿論、もう叶わない。

 これが戦いなのだ。

 昔の、艦だった頃の記憶を忘れた訳ではないけれど……戦争というものが、恐ろしく、無慈悲なものだと知らなかった訳ではないけれど。

 色褪せた夢のように、どこか曖昧な記憶ではあるけれど。

「……こんな風な、怖さ……というのは感じなかった気がします」

 白雪がお茶を眺めながら呟いた。

「乗っている皆さんが傷付いて、倒れていくのが辛くて、寂しかったけれど……悔しいとは思いましたけれど……」

「……はい、私も……うまく言えなかったけれど、白雪さんが言うみたいな感じなんだと思います」

 磯波が小さく頷いて同意する。

 この姿になった自分たちは、色々な事ができるようになって……同時に、今まで知らなかった、感じなかった物事を感じて、考えるようになった。

「……こうだったのかな、あの頃の皆も……」

 今度は吹雪が口にした。

 怖くて、不安で……それでも、逃げる訳には行かなくて。

 もちろん、勇敢で恐れを知らないという人も居ただろうけど。

 少なくとも、戦う必要が無ければ戦おうとはしなかっただろう。

「……凄いなって思う。尊敬する」

「そうですね……そういう方々がいらっしゃったという事は、私達にとっての誇りなんだと思います」

「……その、何というか……ちょっと怖い感じの人とかも、いましたけど」

「そういうのも、今思い出すとそうだったのかも? ……って感じだよね」

「……懐かしいっていうのは、こういう感じなんでしょうか」

「不思議だよね、なにか……」

 そう言って、吹雪は珈琲に目を落とした。

 自分の顔が映って見える。

 船体ではない、人間のような姿をした自分。

 艦としての記憶。この姿になって、でも不思議にあっさりと現状に適応できた自分。

 ハッキリと浮かんだり、曖昧だったり。思い出したり、ふと思い出せなくなったり……自分の中にある、そんなあやふやな何か。

 考え始めると、色々な疑問が湧いて不安も膨らんでくる。

 今まで何度も考えて、でも考えても仕方がない、答えは出ないと言い聞かせて……

終わらせてきた、疑問。

 珈琲を口に含む。

 苦くて、でも深みのような何かが……別のものを感じさせてくれるような気持ちになる。

金属の器だからか、もう冷め始めてしまっているけれど……それでも、まだ……温かみは残っていて。

「まだ、温かいね……」

 それが生きているという事なのだろうか?

 自分たちにとっての死は、つまりは冷たい海の底に沈むという事なのか?

 幾つもの想いが浮かんでくる。

 かつての自分は、駆逐艦吹雪は、その残骸は……今もまだ、あの海の底に沈んだままなのだろうか?

 だとしたら、今ここにいる自分は……存在している自分は、何なんだろうか?

 想いは泡のように、浮かんでは消える。

 何かを口にしようとして、その時……

 

「すみません、宜しいですか?」

「あ……は、はいっ!?」

 部屋の外から声がして、吹雪は現実に引き戻された。

 その声が鳳翔のものであると理解するのに僅かばかりの時間を消費し、理解したと同時に疑問が湧いてくる。

 第二艦隊の旗艦になってからは確かに話をする機会は増えたが、司令部以外で話をすることは無かったのだ。

「待機中に申し訳ありません。提督の許可は頂いているのですが……」

 もう一度呼びかけがあって、怪訝そうな2人の視線に気付いて……

 口を開いた自分が……その後、何も言っていないのを思い出して。

「す、すみません!」

 吹雪は慌てて返事をしてから、来訪者を迎えようと扉に向かった。

 

 

 


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