皇国の艦娘   作:suhi

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再編の合間

●再編の合間 一

「……本当に、申し訳ありません……私だけ……」

「自分を責めるものではないわ。古鷹さん」

 泣きながら謝罪を口にする古鷹に、加賀は静かにそう言った。

 せっかく落ち着いていたのに、感情を高ぶらせてしまった。

 内心にはそんな悔悟の念があるのだが、加賀の顔には……それらは微塵も、滲まない。

 寧ろ冷たく見下ろしているような印象すら感じさせるほどだ。

 無論、彼女の内にはそのような処は微塵もない。

 加賀は純粋に、古鷹の心身を心配していた。

 艤装は展開していなかったが、身体中に負った傷だけで古鷹がどれほどの戦いを潜(くぐ)り抜けてきたのかは想像できる。

 手当は施されているが、その傷はまだ治る気配はなかった。

 艤装の損傷が大きい事が影響しているのかも知れない。

 無論このままという事は無く徐々に傷は癒えていくのだろうが、完全に治す為には艤装の修理が必要なのだろう。

 逆に艤装さえ完全に直せば、艤装の持つ力で身体の傷は今とは比べ物にならない速度で回復してゆく筈だ。

 にも関わらず修理を行わないのは、この泊地にそれだけの余裕が無いからである。

 港を利用して造られた急造のドックは、2隻を修理するのがやっとだった。

 艦娘の艤装や船体を修理するという場合、損傷の大きい艦ほど、大型の艦ほど、修理に時間を要するのである。

 もちろん必要な資材も、それに準じるようにして多くなる。

 加えて艦娘の修理というのは、艤装であれ船体であれ途中で中止するという訳には行かないのだ。

 修理は妖精たちの力を借りて行われるが、損傷の酷い箇所や完全に壊れた箇所などは新しい部品を造り交換したり、完全に分解して組み直したりする為、一度始めたらそれが終わるまで作業を止めるという訳にはいかないのである。

 損傷を極めて短時間で修復する高速修復材という特殊な資材が開発中という話を聞いた事もあるが、残念ながら完成したという話の方はまだ聞かない。

 結局艦娘の艤装や船体を修理するには、今のところ資材を用いて妖精の力を借り、ドックで地道に直すしかないのだ。

 だからこの艦隊の司令官は古鷹の修理を諦め、後送しようと考えたのだろう。

 船体を失ったとはいえ、実戦経験を積んだ彼女の帰還は、練成途上にある残留部隊にとって大きな助けとなる筈だ。

 元第二部隊、打撃部隊の艦娘たちは練度が不足していると言われていたが、それは他の部隊が高かった為で、決して古鷹たちがそこまで未熟という訳ではないのである。

 ちなみにその練度の高さというものも、修理時間の長期化に影響するようだ。

 影響を受けるのは時間だけのようで資材が余計に必要になるという事は無いようである。

 新たな部品を使用した場合、その箇所が艦娘の動きに反応し切れないという可能性がある為、かなり細かな調整を行う必要がある……とされているが、此方も実際のところは分からない。

 

 兎に角、敵艦隊への夜襲で古鷹の果たした役割は大きかった。

 加賀も、全てではないが話は聞いている。

 戦闘の際の奮闘も勿論だが、最も重要なのは彼女が劣勢な戦況下で生存し、司令部からの撤退命令を味方に伝えた事だろう。

 だからこそ、艦隊の被害は現状程度で済んだのだ。

 彼女までもが沈んでいれば、艦隊は自主的な撤退を判断した者以外は全て沈み、全滅、壊滅という表現すら生ぬるい損害を被っていた事だろう。

 

 それでも……姉妹艦を含め僚艦をすべて失い、艦長とも死に別れ、自らの船体すらも失ってしまったという彼女の悲しみと絶望は……どれほどのものか……

 想像するだけで……何かが背筋を貫き、胃の辺りが締め付けられるような感覚を加賀は味わった。

 船体だけでなく人間に似た身体を持った故に、そういった感覚も持つようになったのは……強さなのか、弱さなのか?

 どうであれ、自分に出来ることは今……この泊地には無いのである。

 古鷹を含め複数の人員を乗せて撤退する事。

 それが加賀の任務であり、できる事なのだ。

 鳳翔と龍驤に説得されたのもあるが、もちろんその前から加賀は自身の無力さを痛感していた。

 建造されてから出港するまで、できる限りの修練は積んできた。

 ほぼ同時期に建造された航空母艦の赤城と、そしてその後に建造された軽空母の皆と共に、艦載機の取り扱いを主として時間の許す限りの訓練を重ねてきたのだ。

 もちろん、自分が未熟なのは理解している。

 訓練も不足しているという自覚はある。

 同時期に、あるいは自分よりやや遅れて建造された駆逐艦たちよりも訓練時間そのものは少ないのだ。

 理由は簡単で、彼女や赤城が動く際に必要な資材の量だった。

 一度の基本的な戦闘訓練で、少なくとも燃料ならば約4倍、弾薬の方はそれと比べれば減少数するが、それでも倍程度の量を使用するのである。

 勿論どちらも艦載機の運用も込みの量だ。

 駆逐艦たちの場合はそのまま夜戦に突入する訓練を行う事もあるので、そうなれば弾薬消費量の差は少なくなるが、それでも燃料に関しての差は大きい。

 そしてどちらかというと燃料の方が弾薬よりも不足する傾向にあるのだ。

 演習の場合、実演ではなくシミュレーターとかいう擬似体験の装置を使用しての演習であれば勿論資材は使わないが、それだけではどうしても実際の動きの方が稚拙になる。

 最終的には燃料を消費し、艦載機を積み込み、模擬ではあっても弾薬を装備した訓練に頼らざるを得ないのだ。

 艦娘が活動する為に必要な資材は、大きく分けて4種ある。

 燃料、弾薬、鋼材、そしてボーキサイトだ。

 このうちボーキサイトに関しては、水上機や艦載機等の航空機を用いない艦種に関しては必要ない。

 艦娘を建造する際にはどのような艦種であろうと全ての資材が一定量以上必要らしいが、活動に関してはそうではないのだ。

 現状、4種の内で最も不足しがちになるのが燃料なのである。

 旧時代の大戦が始まった理由も油が大きな理由の一つだったと記憶する加賀としては、変わらないものを感じて何とも言えない気分になる。

 油断大敵……油が断たれるのは大いなる敵と呼ぶに相応しい、という事なのか……一体、誰が考えた言葉だろう?

 ちなみに艦載機を多用する場合、燃料と共に不足しがちになるのがボーキサイトだ。

 損傷を受けたり撃破された艦載機を修理したり新たに製造したりするのに必要となる為である。

 部隊の方に正規空母も揃い始めているが、幸いと言うべきか今のところ不足するという事態には陥っていない。

 多数の航空機を一度に失うような事態が発生していない為だろう。

 鋼材の方は大型艦の艦娘の建造を度々試みれば不足するが、少なくとも彼女が建造された後は資材を多量に使用する艦の建造は控えめとされた為、それほど不足はしなかった。

 もっとも、船体や艤装を修理する為に最も必要な資材である以上、これからは不足する可能性も出てくるかもしれない。

 弾薬の方は演習を含め戦闘を行う場合と、やはり建造を行う場合に使用するが、こちらも大型艦を多数建造したり、夜戦まで含めた演習を度々行ったりし続けなければ問題なかった。

 厳密に言えば燃料も決して不足という状態にまではなっていない。

 ただ、今後の事を考えて節約して使っているというだけだ。

 とはいえ余裕が無いのも事実である。

 限られた訓練時間と回数を活かす為、加賀と赤城は航空機の扱いを主とした訓練を重視して行っていた。

 船体の方はもちろんとして、艤装の方を使って艦載機を動かす訓練の方もかなりの時間を割いて行っている。

 それでも、一人前というには程遠い。

 ある程度の資材を優先して回してもらってもこれなのだ。

 鳳翔と龍驤からの説得を受け入れた今となっては、なぜ司令官に転属を希望したのかと自問してしまう。

 大して役にも立てずに沈み、迷惑をかけるだけではないか?

 自分を建造する際に、駆逐艦たちの十数倍の資材を使い、ボーキサイトに至っては二十倍以上を消費したという話を知っているのに。

 その苦労を一時の感情で無駄にしようとしたのだろうか?

 表情には出ていないが、加賀本人としては赤面どころでは済まない状態だった。

 

 一隻の艦娘を建造するには、訓練等とは比べ物にならない量の資材を必要とするのである。

 もちろん時間も掛かるし、その為の専用の設備が必要となる。

 妖精たちの力を借りて実際の船体に酷似した雛形を製造し、其処に艦娘の魂のようなものを降ろす……宿らせる、という工程を辿(たど)る事で艦娘は誕生するのだ。

 成功すれば雛形が消滅し、その場に艤装を装備した艦娘が姿を現すのである。

 とはいえ建造したい艦を必ず建造できる訳では無い。

 雛形の形を戦艦型や空母型、巡洋艦や駆逐艦という形で方向性を決めることは出来るが、それもある程度までしか効果は無いのだ。

 戦艦を造ろうとして駆逐艦が出来てしまうなどという事は無いが、重巡洋艦が完成する等という例は幾度も起こっている。

 逆は殆んど無く、例で挙げられるのは駆逐艦の雛形から軽巡洋艦が誕生する事くらいだろう。

 当然の事ではあるが大型艦の雛形を造ろうとするほど、資材も多量に消費するのだ。

 それでも、どうであれ建造が成功すれば良い方なのである。

 最近は減ってきたが以前は失敗も多く、そうなると雛形が丸ごと廃棄物となってしまっていたらしい。

 

 加えて資材的な問題となるのが、艦娘を解体する場合、解体し資材として回収できるのは装備している艤装の部分のみとなってしまう事だ。

 雛形を造る際に使用する資材の量と比べれば、ほんの僅かにしかならないのである。

 艤装と共に誕生する艦娘の本体は人間と殆んど変わらない以上、当然というべきか全く資材には出来ない。

 実際、科学的生物学的にも両者の違いは殆んど無いらしい。

 一部の研究者たちはその事で、妖精の力というのは特定分野においては現在の科学を上回ると騒いでいるのだそうだ。

 確かにそうなのかも知れない。

 大量の、一隻分の金属と油によって、命を創り出すという事なのだから。

 もう失われてしまったはずのものを……形を変えて、蘇らせるのだから。

 

 

「……あの……加賀さん?」

「……ごめんなさい。自分の不甲斐なさを、ね……」

 それだけ言って加賀は彼女の肩にそっと手を置いた。

「貴女たちは言葉通り……命懸けで、戦っている。それなのに……私は……ただ、装備を運んで、戻るだけ……」

「そんな事は……」

「輸送も補給も大事……それは、分かっているわ。でも……」

 自分は、戦う為に造られたのに、生まれてきた筈なのに……

 先刻の龍驤や鳳翔との会話を思い出す。

 仕方がない、確かにその通りなのだ。

 未熟な自分は足手まといでしかないのだ。

 それでも、分かっていても……悔しいのだ。

「……こんな事を言ったら、怒られるのでしょうけど……」

 こみ上げてくる感情を抑えきれず、それでも……表情はほとんど変わらないまま。

「……私は、貴女が……酷く、羨ましい……」

 言葉に古鷹は、瞳を大きく見開いた。

 左の瞳が人とは違う輝きを放つ。

 その瞳は、かつての彼女の生き様を表しているのだと言われている。

 探照灯の照射によって敵の注意を自分に向ける事で味方を守ろうとしたという、彼女の献身を。

「……ごめんなさい。酷い事を、言いました……」

 湧き上がる罪悪感に俯き、瞳を逸らしながら、加賀は謝罪した。

「……いえ、驚きは……しましたけど……」

 そう言って、言葉を選ぶように口ごもった古鷹は、暫くして口を開いた。

「悲しくて、悔しくて……でも……そう、ですよね……私は、その場に立つ事ができた」

「……こういう形で、生まれる事が出来たのに……愚か、と言われるかも知れないけど」

「……仕方がありませんよ」

 泣き笑いという表情で、古鷹は添えられた手に触れた。

「自分たちが、何処から来たのか……それはきっと、私たちの職業病なんです」

 

 

 

 

●再編の合間 二

 残す部下の選別を終え一息ついたところで、新城は司令官用にと当てがわれた部屋へと戻った。

 笹島からもらった細巻きに火を付け、一息吸い込む。

 取りあえず仕事の一つは終わった。

 帰還させる者への通達はできるだけ少数ずつ、可能なら1人ずつにした方が良いだろう。

 まとめて説明するのは簡単だが、そうすると反対されこじれる可能性もある。

 つまりは戦いと同じ。

 集団を相手にするのではなく、各個撃破してゆくのだ。

 生き残った士官(尉官)の数は少ないので、個々だとしても然程面倒な事にはならない筈だ。

 どちらかというとその後、士官たちから兵に説明する時に反対意見が出るかも知れない。

 とはいえ生き残れる、しかも命令に従ってというのは、多くの者にとって抗いがたい魅力の筈だ。

 望めるなら自分も其方に転びたいと思えるほどである。

 そんな事を考えながら、煙を吹かして肩の力を抜いたところで……扉がノックされた。

 呻くような声を発してから、返事をする。

「御免。チョっち、良いかな?」

 扉越しに聞こえたのは龍驤の声だった。

 加賀の方で何か問題が発生したのだろうか?

 頭の中で色々と嫌な推測をしながら、促す声を出す。

「……で、話は?」

 静かに部屋に入り扉を閉めた龍驤に、新城は前置きもせずに尋ねた。

「何か問題があったのか?」

「問題は無いけど、放っておくと問題になるかもって気がする事があってな~」

 曖昧な表現に首を傾げると、龍驤は疑うような視線を彼に向けた。

「キミ鳳翔はんの事、避けとるやろ?」

「……別にそんなつもりはないが?」

「ホンマ?」

 疑いの視線が更に強くなる。

「……つまり何が言いたいんだ? 君は?」

「つもりが無いなら、鳳翔はんに言ってやってもらえんかな?」

 あくまで深刻にならないような態度でわざとらしく肩を竦めながら龍驤が口にした。

「それは僕の仕事なのか?」

「士気に影響すると思うで? 鳳翔はん、自分は何か提督に失礼な事をしたんやないかって悩んどったから」

「……別にしてはいないな」

「やろ? 勘違いやっていうなら、ハッキリしてやってや。ウチがバラしたって言ってええから」

 それだけ言うと龍驤は、加賀への説得は無事に終わった事を告げて退室した。

 新城は暫くの間、無言だった。

 それから表情を作るように鏡を何度か眺めると、鳳翔を呼んでもらうようにと外に声をかけた。

 

 

「まず最初に、謝っておかねばなりません」

 出来るだけ平静に、言葉遣いまで変えて新城は謝罪した。

 向かいの席に腰を下ろした鳳翔が驚いたような顔のままなのを気にせず、話を進める。

「龍驤君から聞きました。貴女に余計な心配をさせてしまったようですので」

 そう言って頭を下げる。

 違う自分を創り上げるかのように呼び方まで変える。

 これはあくまで一般人としての配慮の不足ゆえの謝罪なのだ。

 そう自分に言い聞かせ、彼は努めて客観的に、他人行儀に話を進めようとした。

「と、とにかく頭を上げて下さい、提督」

 慌てた態度で鳳翔が言い、新城は頭を上げる。

「貴女は私に対して、少なくとも今のところ何ひとつ不利益な事はしていません。それなのに、余計な心配をさせてしまったのは、僕の不徳とするところなのです」

 そう言って、新城は軽く息を吐いた。

「説明させて頂けますか?」

「あ、はい」

「自分には、義理の姉がいます」

 そう言ってから、新城は鳳翔の反応を見た。

 彼女は驚いたままの顔の一部に不思議そうな表情を滲ませながら、言葉を待っている。

「……義理姉は元々、艦娘でした。軽空母の鳳翔と言います」

「……え?」

「もちろん、貴女ではありません。別の鳳翔、という事になります。何より昔の戦いで艤装まで喪失していますので、見かけの歳の方も貴女より随分と取っていますが」

「……そうだったのですか……」

「はい。貴女ではないし、容姿も随分と変わっている……それでも、貴女に義理姉の面影を重ねてしまったりしたのです。それを申し訳ないと思いまして」

「……そうだったのですか」

 言葉そのものは先ほどと同じだったが、そこには何かを理解したような響きが含まれていた。

「全く同じ艦であっても別人で別艦であるのに、他人と被せてしまうというのが申し訳ないという思いがありました。それに、此処は戦場です。そういう思いが冷静な判断の邪魔をする可能性があるのではと考え、不安になったのです」

 感情が籠らぬように、冷静に。

 努めて新城は話してゆく。

 説明とはいえ話し過ぎてはいないだろうか?

 判断を誤っていないだろうか?

 いや、自分が話しているのは実際の事、事実なのだ。

 ただ、自分の感情の一部の説明を省いているだけである。

 いや、そもそもこの話し方が奇怪しくないだろうか?

 そうであったとしても、既に決めて始めてしまった事だ。

「此処は軍であり僕は司令官である以上、任務の為に貴女を見捨てる判断をしなければならないかも知れない。そんな時に感情が邪魔をし、迷いが任務の失敗を招いたら……そんな風に考えた結果、確たる結論を出せずに何となく貴女を避けるように行動してしまいました」

 そう言って話を終えると、新城は改めて頭を下げた。

「すみませんでした、改めて謝罪します」

「そんな、頭を上げて下さい。提督」

 言われて彼は頭を上げた。

 向かいに座った鳳翔の顔は、緊張から解き放たれたと評すのが相応しい穏やかさに満ちていた。

 自分の胸の奥で、何かがチクリと刺さるような感覚が湧く。

「言い難い事を丁寧に説明して頂いて、本当にありがとうございます。寧ろ私の方こそ、いらぬ心配をして提督や龍驤さんに御迷惑をかけてしまい、申し訳ありません」

 そう言って彼女も、深々と頭を下げる。

「でも、お陰で心の底から納得できましたし、なにか温かい気持ちになれました。戦場でこんな気持ちになれるなんて思わなかったです。同じ艦という者が存在するのは知ってはいましたけど、実際に自分で会った事はありませんでしたから」

 頭を上げた鳳翔は、そういって微笑んだ。

「……もし宜しければ、お姉さんの事を少し聞かせて頂けますか?」

「自分は駒城の家に厄介になっている身分でした。義理姉も同じでしたが、今は義理兄の妻のような存在となっています。元が艦娘ですので正式な、というのは難しいですが……その辺りの法改正も話に聞きますし、いずれは……という事になるでしょう」

「……そうなのですか」

 ほんとうに嬉しそうに、彼女は微笑んだ。

「何というか、不思議な感じです。自分ではないけれど別の鳳翔が、そうやって……幸せになっているという話を聞くと……私まで幸せな気持ちになります。あ、もちろん私も幸せなのですが」

「このような場所でそう言い切れる貴女は、とても強いと思います。僕など気を抜くと震えが止まらなくなりそうなのに」

「ふふ……なら、お姉さんとして頼りにしてくれでも良いんですよ?」

 少し冗談めかした笑顔で鳳翔が口にする。

 彼女としては実際、気軽な冗談のひとつとして口にしたのだろう。

 だが、その一言は新城の内の何かを激しく刺激した。

 膨れ上がって暴れ狂いそうになった何かを、彼は何とか押し留めようと手に力を籠める。

 いっそ感情のままに行動してしまえたら、後先何も考えずに狂ってしまえたら。

 欲望を満たし衝動を発散するために総てを壊し尽せたら、何もかも如何でも良いと思い定める事が出来たなら……

 だが、そうする事で自分は蔑むような輩と同じになるのだ。

 思考と言動の間に薄い壁の一つも無いような輩に、自分が成るのだ。

 内から弾けそうになる何かを、囁く別の自分を抑えるように……表情を隠すように、指先で眉を揉み解すような仕草で顔に手を当てる。

「……自分は一応、真剣に悩んでいましたので、そういう冗談は止めて下さい」

「あ……そ、そうですね? すみません。私ったら……」

 申し訳なさそうに、少し恥ずかしそうに謝る鳳翔に向かって、新城は軽く手を振って否定した。

 表情の方も穏やかにと心掛けて、冗談めかしてみせる。

「まあ気にしないで下さい。それと、今はこのように話していますがこの場限りという事で」

 新城はそこで表情を引き締めた。

「先ほども言いましたが、私は任務の為に貴女に死を命じなければならないかも知れない。死ねとは言わなくともそれと同じ意味の事を命令するかも知れません。いや、現状……部隊の今の状況を考えれば、恐らく間違いないでしょう」

 話しながら、彼は自分を嘲笑った。

 なぜ自分はわざわざ、このような事を口にしているのか?

 部下に恐れられ、憎まれ恨まれる事には慣れたつもりだったが……姉に似た彼女からは、そのような感情を向けられたくない、という事なのか?

「はい、分かっております」

 新城の言葉を真正面から受けるように、鳳翔は微笑んだ。

「ですが……このような事を申し上げて良いのかは分かりませんが……私は、死を命じてくれるのが貴方で良かった、そう思っております」

 敬意のような何かを表情に滲ませながら、彼女は新城の眼を見つめる。

 それ以外の何かも滲んでいるように感じられるのは、恐らくは自分の思い込みだろう。

「……買い被りです。貴女は私の中にあるものを誤解しているようだ」

 やや俯き目を逸らしながら、彼は呟いた。

「もちろん私は提督の事を、殆んどと言って間違いでないほど存じ上げておりません。ですが……今、このような気持ちにさせて頂いた……それだけで十分です」

そう言ってから彼女は、それに……と付け加えた。

「この戦いは、後進たちが一人前になる為の時を稼ぐための戦いでもありますので」

 そう言われて、新城は見透かされているような気持ちを味わった。

 自分の言葉以外にも理由があると言うことで、彼女は新城が心の負担を感じる事を軽くしようとしたのだ。

 全く敵わないと思うしかない。

 彼自身の奥底に押し込められた感情や想いなど、無論彼女は想像すらしていないだろう。

 そうであっても、新城の心の一部は理解し、繕ってくれているのだ。

 もちろん本心からそう思っているのも事実だろう。

 加賀や他の者たちを案ずる彼女の姿に、演じるような処世は欠片も見えない。

(「どうであれ、早めに切り上げた方が良さそうだ」)

 新城は自分に言い聞かせた。

 彼女の微笑みは、何もかもどうでも良いと思わせてしまう程の安らぎに満ちている。

 少なくとも自分はそう感じている。

 自分は臆病ではあるが、そんな温かな日差しに似た誘惑に耐えられるほどの強さも無い。

 そして耐え切れねば、死にたくなるほどの後悔をすることになるだろう。

 死ぬような勇気もない以上、つまりは勝手に死ぬまで後悔し続ける事になる。

 つまりは死よりも恐ろしい何かに死ぬまで付き纏われる羽目になるのだ。

 全く冗談ではない。

「ありがとう。それでは、宜しくお願いします」

 そう言って新城は、もう一度頭を下げた。

「はい、こちらこそ。不束者ですが、宜しくお願い致します」

 そう言って鳳翔も丁寧に礼をしてから、微笑んで立ち上がる。

「あ、申し訳ありません。ひとつ、意見具申させて頂いて宜しいでしょうか?」

 安堵したところで不意打ちを受け、新城は慌てて表情を固めた。

 一人の個人としてでなく司令官として呼び掛けられ、普段の自分はどうだったか等という疑問が一瞬浮かぶ。

「……何だろうか?」

「実は、駆逐艦の子たちの事で、ご相談があるのですが……」

 そう言って彼女は要点をかいつまんで説明する。

「軍隊で甘いことを、と叱責されるかも知れませんが」

「いや、士気の維持は重要な事だ。よく言ってくれた」

 鳳翔の相談内容を確認して、新城は頷いてみせた。

 残る者たちだけでなく、撤退する者たちにとっても区切りというものが必要だ。

 彼女の提案は、そういう意味でも有効かもしれない。

「他の司令部要員の意見も聞き、検討してみようと思う」

「ありがとうございます。それでは、失礼しました」

 改めて挨拶をすると、彼女は新城へと背を向けた。

 扉が外から閉じられ……室内を沈黙が支配すると、新城は大きく息を吐いた。

 疲れ果てたように全身から力が抜ける。

 テーブルの上に置いていた保温ポットからコップに湯を注ぐと、彼はそれを一気に飲み干した。

 最初は湯だった筈なのに、随分とぬるくなっている。

 とはいえそれが心地良かった。

 同時にそれが、張り詰めていた自身の内の糸のようなものも緩ませた。

 

 椅子に力なく寄り掛かる。

 演技も限界だった。

 悟られたかどうかなど分かりはしない。

 ただ、これでもう十分だろうしこれ以上は無理だという思いはあった。

 こんな生き方など自分はしてこなかったのだ。

 理解などしてもらえないのが当然で、それで良いと生きてきたのだ。

 いや、そう自分に言い聞かせてきたのだ。

 先ほどの自分は取り繕う事に懸命になっていたのだろうか?

 それとも、理解してもらいたいと願っていたのか?

 後悔など幾らでもあるし、そんなものが意味が無い事も分かってはいるつもりだ。

 自分は結局、こんな風にしか生きてこられなかったのだ。

 

 それとも……もっと幼い頃から、自分の気持ちを周囲に伝えるようにと努めていれば……

 艦娘に恋慕や性愛の情を向けようとしない、という自分の態度に……理由があるという事を、理解してもらえたのだろうか?

 

 なんともはや、笑うしかない。

 

 

 


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