ネタバレや攻略法を見たくない方は回避して下さい。
ここの鎮守府では、夏らしくない肌寒い日が続いている。
寒流である親潮の上を吹いてきた、北東からの冷たく湿った風が、山を背にして吹き下りて気温を下げる「やませ」という現象。
元気のない水田の稲穂を心配しながらも、提督と艦娘たちは夏の大規模作戦に追われていた。
数年前、突如人類の前に敵として出現した艦艇の怨念、深海棲艦。
その詳しい生態は分かっていないが、この現実世界とは異なる紅く染まった異空間の海に棲み、門と呼ばれる時空の歪みから湧き出るように、この世界の海に姿を現しては船や陸地を襲撃してくる。
艦娘たちの反撃と封印により、深海棲艦による現実世界への侵攻を食い止められたのが2013年。
以来、各鎮守府は深海の空間が現実世界を侵食しないよう、常日頃から異空間の海域へと出撃して深海棲艦を倒し、怨念と憎悪に紅く染まった海を、協和と慈愛の蒼く美しい海へと戻している。
没してなお再びこの世界に姿を現し、人類の盾として戦う艦娘たち。
深海棲艦が何度も水底から蘇り、ひたすらに人類に敵対してくるのも、この世界への強い執着の念ゆえだ。
その想いの方向は違えど、艦娘と同じく健気な存在に思える。
だから提督の中には、出撃のことを除霊と呼んだり、鎮魂と呼んだりする者もいるし、ここの提督のように深海棲艦にも愛情を注ぐことだって、決して間違ってはいない。
「はぁ、それで言い訳してるつもり!?」
「いいから素直に吐け! 貴様、港湾夏姫を何回抱いた?」
「…………!」
霞と長門が提督に詰め寄り、霧島が無言で執務室の壁に拳を叩きつける。
霧島、天城、瑞鳳、龍譲、島風、霞。
この攻略部隊が、リランカ島の港湾夏姫の撃破に向かったところ、夏姫がキラッキラに輝いていて、霧島たちはあっさりと返り討ちにされてしまった。
聞けばこの前の休戦日に鎮守府にお泊まりし、提督に夜這いをかけて夜戦(意味深)したから絶好調なのだという。
「三重キラ付けですって!? このバカ! クズ! エロ犬!」
「大和、武蔵、翔鶴、夕立、時雨、この長門に続け! 全力で支援攻撃をかけなければ、絶対に仕留められんぞ」
「提督、私たちのキラキラが剥がれたら、責任をとって再度キラ付けしてもらいますからね!」
艦娘は想いの力によってこの現実世界に顕現しているだけあって、その戦闘力には精神状態が強く影響する。
キラキラと呼ばれる戦意高揚状態のオーラをまとっている時には、命中率や回避率がわずかだが統計的有意に上昇するし、赤疲労と呼ばれる負のオーラをまとっている時には、はっきりと戦闘力がダウンする。
他の鎮守府では、弱い敵と戦わせて意図的にMVPをとらせて表彰したり、特別な間宮のアイスを食べさせたりと、色々と苦労して艦娘の戦意高揚に努めているらしい。
ここの鎮守府では、もとからストレスがなく食事が美味しい環境のせいか、それとも特別妖精さんの加護が厚い提督の特殊能力なのか、日々のスキンシップだけでお手軽にキラキラ状態を保てている。
それでも過酷で消耗の激しい大規模作戦の最中には、キラキラの付いた有力艦は貴重な存在だ。
深海棲艦にまで安易にキラ付けする提督のせいで、いきなり無駄が発生する鎮守府だった……。
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「もう、バカばっかり!」
大破して破れた服を押さえるのも忘れて、霞が罵倒の声を上げる。
「わ、私も悪いが、元をただせば提督のせいだ」
椅子に座り、憮然と腕を組んで霞から視線をそらす長門。
「そうよ。提督が悪いのよ、スケベな提督が」
大破姿で床に座り込み、口をとがらせる瑞鳳。
勢い込んで出撃した支援艦隊だが、長門がルートを間違え、現在攻略中のリランカ島ではなく、カレー洋西方に緊急展開する敵主力機動部隊の方に向かって門をくぐってしまったのだ。
もちろん、支援を得られなかった瑞鳳たちは、港湾夏姫に返り討ちにされた。
「もう一度整理します。敵主力機動部隊に至る最後の門の前面には、潜水カ級flagshipを擁する強力な潜水艦隊が待ち伏せしています」
中破状態の霧島が、執務室の海域図に情報を書き込む。
「しかし、リランカ島港湾基地を強襲して港湾夏姫を倒すことで、手前の門から一気に敵主力機動部隊へ到達できるようになり、潜水艦隊を素通りできるそうです」
他の先行する鎮守府からもたらされた、貴重な情報だ。
ギミックやルート固定と提督たちが呼ぶ、何らかの呪術的な法則。
「潜水艦隊さえ相手にしなければ、敵主力艦隊の旗艦はしょせん重巡。後は火力で押し切るのみです」
「ありがとう、霧島。よし、リランカ島攻略は明日また万全の体勢で決行しよう。その後、一気に敵主力を撃滅して海域を突破する」
提督はとりあえず本日の作戦終了を告げる。
損傷した艦娘たちを入渠させなければならないし、キラキラの剥がれた艦娘を回復させるための家族サービスも必要だ。
「何か食べたいもののリクエストはあるかい?」
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コリアンダー、クミン、フェンネル、カルダモン、マスタード、ブラックペッパー、ランペ、シナモン、アニス、クローブ、ナツメグ、ターメリック、フェネグリーク、カレーリーフ……。
長門が嫌そうな顔をしながら、すり鉢に入れた香辛料をすり潰していく。
帰り際に、龍驤が港湾夏姫から渡されたというドラム缶。
中には港湾夏姫からのプレゼントである、様々な香辛料が詰まっていた。
最近、リランカ島周辺の異界の海が真紅に染まり、現実のスリランカ島周辺航路にまで深海棲艦が頻繁に出現するほど侵食を強めていた。
おかげで艦娘のソウルフード、カレーに欠かせない香辛料が高騰して困っていたところだ。
浮気者の提督に魚雷を撃ち込むとか執務室を爆撃するとか騒いでいた大井と瑞鶴も、これで本格的なスリランカカレーが作れると言ったら、急に掌を返して港湾夏姫を誉め始めた。
スリランカカレーに欠かせないのが“トゥナパハ”と呼ばれるカレーパウダー作り。
トゥナは「3」を、パハ「5」を表わし、要するにたくさんのスパイスが混ざっているという程度の意味だが、絶対に欠かせないのはトゥナと呼ばれる由来であるコリアンダー、クミン、フェンネルの3つだ。
これら多様な香辛料を粉状にすり潰して焙煎し、香りを引き出す。
辛味をつけるのは赤唐辛子か青唐辛子、そしてニンニクと生姜。
その分量で辛味は調節できるので大丈夫だからと、提督が辛いカレーが苦手な長門を説得する。
スリランカカレーは、店でも家庭でも多種類のカレーを出すのが特徴。
食卓に多くのカレーやおかずを並べて、甘いカレーと辛いカレーを混ぜたり、色々なおかずと組み合わせてみたり、家族団欒で楽しむのがスリランカ流。
提督がお湯で戻してフードプロセッサーにかけている黒いゴラカは、ガルシニアというオトギリソウ科の常緑樹の乾燥果皮で、ペースト状にして入れることで、カレーに甘酸っぱい酸味を加える。
龍驤がすり潰しているのは、海外版かつお節とも言えるモルディブ・フィッシュ(現地語では「ウンバラカダ」)。
日本のようにダシをとるためではなく、魚の旨味を加えるためにすり潰して直接入れられることが多いが、これの風味が日本人の舌によく合い、主食が日本と同じく米ということもあり、味に親しみを感じさせるのもスリランカカレーの特徴の一つだ。
また、カレーにココナッツの実などを使うのもスリランカ流。
長門や小さな駆逐艦娘たちのために、一品目は細切れにした玉ねぎやニンジン、ジャガイモなど野菜の甘みを引き出し、ココナッツミルクの味をベースにしたマイルドな野菜カレーにした。
二品目は、海老とイカを使ったシーフードカレー。
ゴラカで甘酸っぱさを加え、レモングラスをすり潰した汁でさわやかな香りをつける。
三品目はチリパウダーとニンニク、生姜を多くし、若鶏のもも肉をバターで炒めてゴロゴロ入れた、スパイシーなチキンカレー。
これらの香辛料の配合や材料を変えた複数の味のスープカレーを、米や野菜、おかずにかけながら、好きに混ぜ食べて楽しむのだ。
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刺激的な香辛料の香りが漂う食堂。
思い思いに久しぶりの本格カレーを楽しむ艦娘たちの喧騒の中、長門は冷や汗をかいていた。
一見具がないかのような一品目の赤黄色のカレーは、溶かし込まれた野菜の旨味と甘みが豊かで、それがココナッツミルクの風味と絡み合って、サフランライスがよく進んだ。
二品目の海老やイカが入った茶色いカレーも、複雑なスパイスが前面に押し出してきているが、それでも茹で野菜や卵の力を借りて美味しく食べられた。
意外に、レンコンやナスの素揚げ、キノコの炒め物とともに食べるのもいい。
問題は、三品目の脂が浮かんだ赤茶けたチキンカレーだ。
スプーンでゴロッと浮かんだ鶏肉をすくい、一口食べた瞬間……。
「ひゅほっ」という変な言葉が口をついた。
あわてて水を飲み、それがさらに辛味を際立たせ、額から冷や汗が流れ落ちた。
マッシュポテトやサラダに逃げ、何とか平静を取り戻そうとする姿を、陸奥がニヤニヤと眺めている。
「オゥッ!? かっらーい!」
「夕立には辛すぎるっぽい!?」
いっそ、駆逐艦娘たちのような素直な反応ができたらいいのだが……。
そこは艦隊総旗艦としての矜持が邪魔をする。
すがるような瞳を提督に向けると、陸奥と同じようにニヤニヤと長門を観察していた提督が助け舟を出してくれた。
「島風、夕立、こうやって食べてごらん」
自分の皿にサフランライスをよそい、そこに一品目と三品目のカレーをかけてスプーンで混ぜ合わせる提督。
そのまま、スプーンを島風の口へと運ぶ。
「あっ? これなら、食べられるよ」
「あー、いいなー。提督さん、夕立も食べさせてもらいたいっぽい!」
その光景を見て、長門もそれを真似て一品目と三品目のカレーを7:3で混ぜてみた。
とがった辛さが和らぐだけでなく、鶏の旨味と野菜の旨味が混ざり合い、それをココナッツミルクの風味が一つにまとめ上げることで、新たな味のカレーが生まれていた。
今度はホロホロと口の中で崩れるチキンを、ゆっくりと味わう余裕も出来た。
夕立にカレーを食べさせながら、提督が長門の方に微笑みを向けてくる。
「ね、長門でも食べられたでしょ?」と言いたげな顔に妙に腹が立ち、長門はすぐに仕返しを考えついた。
ゴホン、と咳払いをひとつ。
「提督よ。昼に霧島が言ったように、お前に責任をとってもらうぞ。今日の一件で、私と霧島、翔鶴、瑞鳳、霞、時雨のキラキラが剥がれたからな」
「え?」
そして、提督に向けて浴衣の胸元をチラリとめくる。
驚いた顔をする提督に満足し、長門は笑みを浮かべながら宣言した。
「提督。今夜は眠れると思うなよ?」
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ようやく夏イベクリアできました。
E-7は丙で逃げましたが、全艦娘コンプ継続です。
今回の元ネタ、道中ギミック相手に決戦支援……は2度やらかしました。