夕飯を待つ、鎮守府寮の休憩室。
入渠から戻ったり、早めの風呂に入って浴衣姿でくつろいでいる艦娘も多い。
執務を早々に終わらせた提督も、艦娘たちとゲームをやっている。
『キャッチ・ザ・ムーン』
各プレイヤーは手番にダイスを振り、ダイスに指定された「木製のハシゴ」を土台の上に、天空に浮かぶ月(を見立てた上方に)向けて、バランスをとりながら組み上げていく。
指定通りにハシゴをかけられなかったり、バランスが崩れてハシゴが落ちたりしたら、涙もろい「月」は悲しみの涙を流す……。
全てのハシゴが使われた時点で、この「月の涙」を受け取った数が最も少なかったプレイヤーが勝ちという、非常にシンプルなゲームだ。
段々と組み上げられていくハシゴが生み出す、オブジェのような美しさ。
高くなったハシゴの山に、新たにハシゴを積む時の息を飲むサスペンス感。
絶妙なバランスでハシゴの追加に成功した時の盛り上がり。
そして、プレイヤー全員で共有できる夢に溢れた世界観。
ファミリー向けボードゲームの世界に、新たな境地を開いた意欲作だ。
序盤の下地から重心が崩れ、どんどん傾いた方に曲がっていくハシゴの山も、また楽しい。
(つい最近、ホビージャパン様が日本語版を出してくださったので、気になる方はぜひどうぞ)
「もぅ……」
風呂から上がってきた大鳳が、眉の間を微かに曇らす。
提督と一緒にゲームをしている艦娘、深雪と電、漣は風呂場に向かう途中の下着姿。
観戦している睦月と暁は風呂上りにタオル一枚巻いただけだし。
真面目な大鳳は、この鎮守府の風紀の緩さが気になっていた。
半裸で寮をうろつくのが平気だったり(これは暑い時期、一部身体的なコンプレックスさえなければ大鳳も真似したいのだが……)、当然のように提督と一緒にお風呂に入ったり、全員でお泊まりしたり……。
なぜ、こうも緩いのか?
大鳳も似た性格の、規律に厳しそうな艦娘たちに尋ねたことがあったが……。
加賀に聞いても「私が来る以前から、赤城さんがそうしていたから」とのこと。
陽炎や不知火に聞いたら「着任時からこうだったから、普通だと思っていた」という返答だった。
「提督……少し、お尋ねしたいことがあるのですが」
そして今夜、大鳳は禁断の扉を開いた……。
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鳳翔さんの居酒屋で、提督は昔話を始めた。
あれは……この鎮守府ができて、まだ半月も経たなかった頃。
初期艦の吹雪に、白雪、初雪、深雪、後に永世秘書艦となる叢雲……の特Ⅰ型駆逐艦たち。
唯一の軽巡洋艦である天龍と、他には睦月、暁、朝潮、ドジッ子の五月雨。
鎮守府の最大戦力は、試しに挑んだ初の戦艦建造挑戦で顕現した長門。
当時の艦娘メンバーは、その11人だけ。
大淀は鎮守府の運営と任務管理、明石も工廠の整備にかかりっきりになっていて、まだ間宮も鳳翔さんもいなかった。
「大鳳は遠征に行かないから、練習航海用の「門」には入ったことがないよね?」
居酒屋奥の個室で、提督は静かに語り始めた。
「はい、ありませんね……」
艦娘が遠くの海域まで出撃や遠征、演習のために航海する際には、妖精さんが開けてくれる「門」を通る。
次元通路、虚空航路、概念空間……特に決まった正式の呼称はないが、とにかく一瞬にして長大な距離を航行できるワープ航路だ。
艦娘たちは深海棲艦と戦ったり、深海棲艦たちの妨害を避けて効率的に物資を運ぶことを目的としているので、戦略的に必要な、ほぼ特定の「門」と「門」を日々航海している(羅針盤という要素により、望みの航路が得られる確証はないが……)。
「五月雨が練習航海中(たった15分間のお散歩中)に迷子になってね……。「門」と「門」の間の異世界空間のさらに奥に、誰も知らなかった新しい「門」を見つけたんだよ」
提督はいったん話を区切り、鎮守府の畑で採れたナスの煮びたしに箸をつけた。
「この「門」のことは、いまだに軍令部にも報告していないし……うちの鎮守府以外の誰も、その存在を知らないと思う」
大鳳としては、提督の節操なさを正し、説教の一つもしようと始めた面談なのだが……。
話が何やら妙な方向に転んでいく。
「その「門」の先には、素晴らしい海域が広がっていてね。全く汚染されていない東京湾、つまり昔の江戸前が再現されたような海があったんだ。築地に揚がったら最高級になるような魚介類がバンバン獲れてねぇ」
「失礼しますね」
そこに、鳳翔が次々と新たな皿を持ってくる。
アナゴの白焼きに、蒸しアワビ、キスと梅紫蘇を大葉でくるんで素揚げしたもの。
どれも、江戸前の旬の食材だ。
「誰もいない海だし、喜んで食材集めをしたんだけど……やっぱり、そんな都合よくはいかないよねぇ……」
一応、目の前の料理に箸をつける大鳳だが、味の情報がまともに頭に入ってこない……。
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ある日……。
長門、天龍、吹雪、睦月、暁、朝潮。
蒼白な顔をした6人が、慌てて鎮守府に逃げ帰ってきた。
「しれいかーん!」
「怖かったにゃしい!」
「あぅ……ひっ……泣いて……なんか、ないもん」
「ぐすっ……司令官……」
状況が分からないながらも、吹雪と睦月は泣いているし、暁と朝潮がおもらししていたので、提督はみんなをなだめながら、入渠場である風呂へと連れて行ったのだが……。
「て、提督、一緒にいてくれ!」
そこに、天龍まで服を脱いで入ってきて、提督が出ていくのを押しとどめた。
思いっきりの涙目だった(後で分かったが、おもら……)。
「み、みんな、安心しろ! こ、この長門が側にいるぞ!」
長門もだった。
駆逐艦娘たちを励ますふりをしながら、ひたすら提督に抱きついて震えていた。
とにかく訳が分からないまま、みんなと狭いお風呂に入った。
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要するに……その海域の陸地に近づいた際、川べりの柳の木の下に着物姿の女性が「出た」のだという。
夏の風物詩、ヒュ~ドロドロ~の「アレ」が。
その日から数日間、夜は提督を含めた全員が一室に集まって身を寄せ合うようにビクビクしながら眠ったし、風呂もトイレも複数人で行くのが当たり前だった。
提督は提督としての貫録に欠け、女性と親しく会話した経験も少なく、艦娘には優しく接して食事の支度をしてあげていたものの、まだどこかぎこちない関係が続いていた鎮守府。
それが一気に、家族のような距離感ゼロの鎮守府に生まれ変わるきっかけだった。
「あの戦争の恩讐から、艦娘や深海棲艦という存在が生まれたのなら、他にも怨霊が棲む霊界が……」
「ワーワーワー! キーコーエーナーイー!」
提督の言葉を、必死に大鳳がかき消す。
当然、思いっきりの涙目だ。
さて……と、さりげなく提督は座敷から立ち去ろうとするが……。
ガシッと、その足にしがみつく大鳳。
(やっぱりなぁ)
叢雲に始まり、大和も武蔵もビスマルクも、この話を打ち明けた後は丸3日間ぐらい、風呂でもトイレでも寝る時でも、決して離れてくれなくなった。
だから、未だにこの件を話していない子もけっこういる。
「て、提督ぅ……もしがして、この食材も……!?」
「あー、よしよし大丈夫、これは築地で間宮さんが買ったものだよ。あの「門」はとっくに妖精さんに封印してもらったから」
妖精さんによる結界の施工費は、うまい棒換算20万本分のお菓子だった。
封印前日に、着任したての赤い正規空母が慌ててホンマグロを乱獲してきたので、十分にモトはとれたと思うが。
「ところで……提督はどうして、私から離れようとしてるんですか?」
ギクッ
実は提督、今夜は先約があったのだが……。
「テイトク、オソイジャナイ」
「ひっ!」
奥座敷の襖を開けて、セーラー服の襟“だけ”を身に付けた、ほぼ全裸の女性が入ってきた。
「出た」のかと一瞬ビックリした大鳳だが、自分を押しのけて提督に抱きつくその女性が、深海棲艦……装甲空母姫だと気付いた。
何にも隠されていない、円錐型のふくらみが提督の腕に押し付けられている。
同じ装甲空母なのに、この装甲力の差は何だ!?
「提督! そういうところもです、今夜話し合いたかったのは!」
「ヤカマシイ、コムスメネ……」
「小娘じゃありません! この破廉恥棲姫!」
提督がそろりと逃げ出そうとするが……。
「逃げるなっ! 提督はそこで正座です!」
「ホッテオイテ、タノシイコトシマショ」
「あなたは離れなさいっ!」
「テートクー、飲んでまーすか?」
また新たな頭痛のタネ、服を脱いだポーラまで飛び込んでくる。
「ポーラも正座!」
鳳翔さんが止めにくるまでしばらく、奥座敷に大鳳の説教が荒れ狂ったのだった。
【おまけ】
この話を初めて聞いた艦娘たちの反応
鳳翔「またまた、怖がらせようと思って冗談を……ふふっ。はい? ……え、……あの? ご冗談ではないんで……すか? ……っ(無言で提督の制服の裾をつかむ)」
龍驤「ゆ、ゆ、幽霊なんて……そんな非科学的なもん信じるわけないやろ……きっと見間違えや。この科学万能の時代に何言うとるねん……。か、仮にそんなんがおったとしてもな……うちの式神で絶対に追っ払ったるわぁ(震えつつ)」
川内「幽霊退治? なら夜戦だよね!? 行こう、夜戦!」