豊後水道に大きく口を開いた四国・高知県西部の
面前には、黒潮の恵みと松田川が運ぶ山々からの栄養を受けた豊かな漁場が広がり、干潟では数多くの生物が営みを見せる自然の宝庫だ。
戦前には帝国海軍の「宿毛湾泊地」が置かれ、太平洋での演習から戻った艦隊の、集結・休養地点とされていた。
現在でも、豊後水道を挟んだ対岸、九州・大分の
以前、トラックで述べたように、この「泊地」制度に対する艦娘の評価は、おおむね低い。
多くの「泊地」は昭和の国民宿舎のような、お役所経営のやる気のなさで、施設はボロいし、食堂のご飯は不味い。
さらには、3-2-1最寄りの
奇跡的に質の高いサービスを誇り、保養所として人気の高いパラオを除けば、好き好んで「泊地」に泊まりたがる艦娘はほとんどいない。
そのほとんどの例外、わざわざ内地の「泊地」に泊まろうという物好きが、この鎮守府の艦娘たちだった。
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日の暮れ始めた宿毛湾内を、小型船舶がゆっくりと航行している。
船上では波音を掻き消すかのように大騒ぎする人物の姿が。
「ほら、夕日! もうすぐ夜だ! 夜だよ、夜! 待ち遠しいね。ワクワクするよ!」
泊地の12トン級交通船を借り出して宿毛湾に繰り出した、川内たち。
第三水雷戦隊の艦娘たちと、便乗してきたアングラー曙が、釣り竿の準備をしている。
自分たちの鎮守府の演習用門から異世界の海を渡って演習海域に出れば、宿毛湾内の島にある泊地桟橋まで、わずか30分。
だが、この「各鎮守府と演習海域付きの泊地をつなぐ門のネットワークを構築し、演習の活性化と泊地の利用促進を図る」などという官僚的な計画が、逆に国内泊地の利用を激減させた。
確かに演習は活発化した。
わざわざ演習海域で待たなくても、そこから相手の鎮守府につながる門に入れば、相手の鎮守府に直接行って演習を挑むことができる。
すると泊地で演習相手を探し、演習海域の予約をとり……と段取りを踏む手間も、演習海域が空くのを待つ時間も必要ない。
自然発生的に大手の鎮守府では「留守番組」という演習用艦隊を組んで常時演習を受け付けるようになり、時には高錬度艦を教官にして戦技指導も行うようになった。
結果、親睦会を兼ねたリーグ戦など、特別な大会でもなければ演習海域に艦娘が集まることも、演習のために泊地に宿泊していくこともなくなった。
しかし、宿毛湾と佐伯湾は釣りの名所。
そんな絶好の宿に、釣り船(あくまでも交通船ですby泊地職員)付きで泊まれて無料なのだから、利用しない手はない!
と、教えてくれたのは釣り好きの下田鎮守府の提督。
残念ながら人間である提督は、艦娘のように「門」をくぐって他の海域に行くなどという芸当はできない。
下田提督は、嫁の高雄が厳しいらしく、月に一度しか泊まりがけの釣り旅行に行かせてもらえない、と嘆いていた。
という世間話を提督が鳳翔さんにしたら「でも偉いですよねぇ。それでも奥さんの言いつけをきちんと守るし、浮気もなされないんですから」と笑顔で言われてしまい、もうすぐケッコン艦が100人に迫ろうとしている提督としては、そそくさと逃げるしかなかった。
話を戻して。
川内たちはポイントの磯場近くに交通船を停めた。
「ついに来たね、夜の時間が! 夜だよ、夜!」
今日の狙いはイサキ。
イサキは初夏から夏に産卵期を迎えるが、産卵直前の梅雨時が最も美味といわれている。
自分たちの鎮守府の沖にはいない、南の魚だ。
夜行性で、昼は海底に隠れているが、夜には浅い岩礁帯へ上がってきて小魚やカニ、エビなどの餌を求める。
竿をしゃくってコマセ(撒き餌)を撒いてイサキをおびきよせ、コマセに紛れ込ませたサシエ(釣り針に付けた餌)を食わせる。
コマセは少しずつ自然にパラパラ撒くようにするように竿を動かし、コマセとサシエの深さをあわせるのがコツだ。
「今日はケミホタル付けてみたわ」
曙が私物の竿を振り、颯爽と仕掛けを海に投じる。
ケミホタルとは、コンサートでもお馴染みケミカル発光スティックの大御所・株式会社ルミカ様の集魚用マーカーだ。
「曙って形から入るよな」
敷波があきれたように言う。
曙はバリバリのアングラールック。
他のみんなは下はいつものエンジ色のイモジャージ、上は三水戦特製の長袖Tシャツだ。
「曙ちゃんは、すごく頑張り屋さんなのよ」
「な!?」
敷波に言い返そうとする前に、綾波にそう言われ、曙が赤面する。
綾波は曙と同じ特Ⅱ型のネームシップだ。
普段は気にしていないが、突然、不意打ちで姉らしいことを言ってくるから困る。
「ふんっ」
照れ隠しに鼻を鳴らし、慌てて竿を動かし出す曙。
みんなもそれ以上は深く追及せず、水深を探りながらイサキがいるだろうタナを狙っていく。
釣りはやっぱりいいな、と曙は思う。
あの夜戦バカでさえ、竿を出してからは静かになったのだから……。
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最初は磯波の竿にゴマサバがかかり、続けて深雪がアジを釣り上げた。
川内がまるで水中を凝視するように暗い海面を覗き込みながら、指先から伝わる感触で水中の様子を探っていく。
どこかの深度に必ず、イサキが群れ泳いでいる層がある。
「来たっ、イサキの引きだ!」
一気にウキが海中に消え、糸が走る。
川内がリールを巻き上げていくと、すぐに緑がかった輝く魚体が姿を表わした。
川内が浅いタナで最初のイサキを釣り上げ、みんながその深さに合わせると次々とアタリが連発していった。
「夜だよ、夜! 何度でも言うけどさ、夜はいいよね。夜はさ!!」
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「ふぁ~、よく寝た」
朝まで爆釣を続けて、鎮守府に帰った途端に眠ってしまった川内が、ようやく起きてきた。
提督と鳳翔は朝から、キッチンでひたすらゴマサバやアジなど、外道で連れた魚を捌き続けている。
「あれ~、提督、イサキは?」
「大食堂で間宮と伊良湖が調理してるよ」
30cm超えのものだけでも二百尾以上も釣れてしまったイサキ。
あまりに数が多すぎて手がつけられず、プロに任せた。
身は柔らかく、独特の磯の香りと甘い脂をもつイサキ。
刺身に塩焼き、あら汁、ムニエル、アクアパッツォ、どんな食べ方でも美味しくいただける。
ただ、あまりにも量が多くて、大食いの艦娘たちでも食べ切れるか……。
「あー、昨日の晩はせっかく静かだと思ったら、この夜戦バカ! 途中で切り上げるとか、加減てもんを知らないの!?」
「鳳翔さん、このお魚はどう捌いたらいいんですか?」
川内に向かって悪態をつきながら黒鯛の硬い骨に悪戦苦闘する瑞鶴と、60cmを超える大物のメジナにうろたえる翔鶴。
「姉が……ご迷惑をおかけします」
テーブルでゴマサバの切り身に片栗粉と小麦粉をまぶしながら、神通が細い声で謝る。
そう言いつつ、来週には二水戦で今回の三水戦の記録を超してやろうと内心燃えていそうなところが怖い。
「那珂ちゃん、どんなにこき使われても、くじけないもん」
大量のアジの身をすりこぎですり潰し、つみれを作っていく那珂。
那珂には、この後アジとイサキの開きを干物にする作業も待っている。
「悪い、提督。漁港でイサキ配ってきたけど、お返しで逆に増えちまった」
「スルメイカが大漁だったらしいのです」
出て行った時より多い、魚介類の入った発泡スチロール箱を持って帰って来る天龍と駆逐艦娘たち。
「朝はスキップしちゃったし、あたしもイカで何か作ろうか。ふふっ」
悪びれる様子もなく、天龍の持つ発泡スチロール箱を覗き込む川内。
「イカめしと、ゲソわた焼きなんかどう?」
器用にイカを捌いていく。
「どうよどう? 意外と私女子力高いよね?」
「うん、そうだね」
「じゃあ今夜は夜戦しよう?」
「あーはいはい」
まったく脈絡のない川内の誘いを軽く受け流し、提督はカワハギを捌きにかかる。
今日はもう艦隊運営はお休み。
昼から大宴会だ。
深海勢にも声をかけたが、戦果争いをしている他の鎮守府からの攻撃が続いていて防衛に忙しいらしく、ニート状態の泊地棲姫だけが遊びに来た。
「絶対夜戦してよね、約束だよ?」
「あーもー、かわう……川内うるさい!」
ここの鎮守府は今日も平和です。
※5-2を思い出し、遊びに来た深海勢から南方棲(戦)姫を外しました
泊地棲姫もアニメやアーケードで再登場したし、本当のニートは飛行……