日が落ち始めてきた夕刻。
もともとは第三セクターの水産加工場だった、間口20メートル、長さ50メートルの大型プレハブ建ての工廠の中……。
「明日は絵付けをするから、汚れてもいい恰好で来てね」
飛鷹が、エプロンをかけた第六駆逐隊に言っている。
「千歳さん、これで
瑞穂が削り出しの終わったケヤキのお盆を、千歳に見せている。
ただでさえ小さな工廠だが、その五分の二は本来の用途外に使用されている。
陶芸、木工、型染め、紙漉きのための工房としてだ。
壁際の戸棚には、
陶芸用の電気窯(裏山に伝統的な登り窯も掘ってみたが、余りにも薪と時間を消費するので、普段はこちらで焼いている)や電動ロクロ、土練機もあるし、染色槽などもそろっている。
何だかんだで500万円以上かかったが、艦娘たちの生涯学習費として強引に予算を分捕ってきた。
提督が本部に対して腹が立つことが一つ。
本部の役人連中、こういう細かい経費には渋い顔をして、円単位であれこれと指導修正してくるくせに、ハコモノは大好きなところだ。
工廠や庁舎を鉄筋コンクリートに建て替えるだの、埠頭にガントリークレーンを設置しようだの、億単位の話を頼みもしないのに向こうから何度も持ちかけてくる。
体育会系の佐世保鎮守府には、3階建てのプール付き体育館が建っている。
どこぞの鎮守府では、艦娘出撃用のド派手で大袈裟なギミックを作り上げ、イージス艦1隻分に相当する予算を使ったとかいう噂もあるし……。
「お兄ちゃんもさあ、役人どもの喜ぶ予算の使い方を勉強しなよ」
などと偉そうなことをロリボイスで言う、元声優志望だった、天草の婦女子提督。
「あいつらはさ、自分はこういう仕事しましたよって、成果写真が撮れるようなものが好きなんだって」
彼女は、「インタラクティブ・マルチメディア室」という空虚で胡散くさい名称のオタク部屋や、カフェテリア風の小洒落た食堂がついた、全個室の高層艦娘寮を建てたりして、予算をジャブジャブ使っている。
それに服飾費の限界まで服を買い漁って艦娘を着せ替え人形にして遊んでいる(本人は年中同じようなダボダボのパーカーを着ているが……)。
だが確かに、「軍」というマイナスイメージを払拭したい広報部の刊行物には、よく天草鎮守府の施設や艦娘が登場する。
秋の恒例イベント・北方漁場警備の際。
広報誌の表紙に載っていたのは、漁師さんにサンマを焼いてもらっている天草の艦娘たちの私服写真だった。
うちなんか全部自前で調理したし、冷凍保存も缶詰加工も全て自分たちでやったのに、と愚痴を言ったら……。
「そこだよ。あんたんとこは漁の警備でも支援でもなくて、マジで自分たちの漁業だったじゃん。大漁旗はまだしも製氷機まで用意してくるし、トン単位でサンマ獲ってりゃ、そりゃ広報も引くわ!」
ロリ声から地声に変わって、辛らつな言葉を浴びせられた。
「でも、県内の小中学校にサンマを配って、子供たちに喜んでもらえたよ? 県知事さんからも表彰状もらったよ?」
「んもぉ……だからねぇ、予算とりたきゃ喜ばす相手が違うんだって……でも、そんな不器用なお兄ちゃん、大好きだよっ♪ もし、あたしが……」
提督の子供じみた抗議に、再び甘いロリ声を作る天草提督。
「男だったら、絶対チン……」
ガチャン!
『言わせねぇよ!』
間一髪、セクハラをかまされる前に受話器を叩きつけ、某芸人トリオのネタを心の中で叫ぶ提督だった。
「まったく……」
ちょっと
今日は休日。
少し食べ歩いてみるかな。
提督は天草提督を笑うことができない、グレーのパーカーとスウェットパンツのだらしない姿(そして髪には寝ぐせ)のまま、執務室を出た。
・
・
・
「あらぁ~、提督。1本50円よ?」
元漁協の本部を流用した、しょぼい鎮守府庁舎の出口前では、天龍と龍田が串揚げの屋台を出していた。
「じゃあ……豚ネギと、うずらの卵……あと、そのビール」
瓶ビールの空箱を重ね、上面にダンボールの切れ端を当ててガムテープで補強しただけの、粗末な椅子に座って注文をする。
串を2本ぐらい食べるだけで、ノンアルコールで済まそうと思ったが、龍田がクーラーボックスから出した缶ビールをゆらゆらさせている。
缶に描かれた黄色い幻想動物さんに誘われて、つい頼んでしまう提督。
天龍と龍田には鎮守府の最初期から、遠征や内部運営でお世話になり続けている。
誰一人欠いても今の鎮守府はないが、天龍と龍田がいなかったなら、その鎮守府は今ここにある鎮守府とは大きく姿を変えていただろう。
プシュっと缶ビールを開け、夕方の早めの一杯をいただく。
舌から喉へと浸み込んでくる、あの冷えた苦味。
ジュワ~ッパチパチと揚げ音が響き、香ばしい匂いが広がる。
「ほら、豚ネギに、うずら卵。それとキャベツな」
天龍がステンレスの皿に、串揚げとキャベツの葉を出してくれる。
串揚げは目の前のソース皿には二度漬け禁止。
その代わりにソースが足りなければ、キャベツの葉でソースをすくってかけるのが、関西風の流儀だ。
ちょっと固めだが、肉の旨味が詰まった豚肉に、鎮守府の畑で採れたばかりの甘いタマネギ。
ソースに浸した薄い衣を破ると、次にまた薄い白身、そしてジワッと黄味の味が続く、うずら卵。
天龍の串揚げの
それなのに、ビールはもう半分無くなってしまった。
「ささみチーズ、アスパラベーコン……あと、こんにゃく」
ついつい、追加の注文をしてしまう。
黄昏を増していく埠頭では、アイオワとサラトガのハンバーガー屋台や、最上型のおでん屋台も出ている。
「あの匂いは反則よねぇ」
龍田が顔を向ける先からは、イタリア艦娘が石窯でピザを焼くチーズの焦げる香りが漂ってくる。
「ほい、先にササミチーズ」
対抗したわけではなく、火の通り具合の問題だろうが、天龍がステンレス皿にササミチーズの串揚げを載せてきた。
串を持ち、たっぷりとソースに浸して、そのまま口に。
あくまでも薄くカリッとした衣に、淡白な鶏ササミ。
そこにトロッと熱をもって流れ込んでくるクリーミーなチーズ。
グビグビッ、とビールで流し込んで飲み終えたところへ……。
「これがアスパラベーコンな。こんにゃくは、もうちょい待ってくれ」
「提督……お飲み物は?」
「うん、またビール」
新しく出された缶ビールに口をつけながら、串揚げ界で黄金の組み合わせのアスパラベーコンを頬張る。
「提督。おつかれさまです!」
「せっかく、お姉と2人っきりだと思ったのに……」
隣の空箱の椅子に千歳が座り、なぜか提督を挟んだ反対側に妹の千代田が座ってくる。
「千歳の向こうの隣も空いてるよ」と言おうとした瞬間、千代田が軽空母とは思えない胸をボニョンと押し付けてくる。
「これ、アスパラベーコンでしょ!? 半分ちょうだい!」
当然、否応もなく千代田に手から奪われる、残りのアスパラベーコン串。
「とりあえず、瓶ビール2本にコップ“3個”。適当にお任せで串10本」
「はいよ……提督が、こんにゃく頼んでるけど、合わせるか?」
千歳の流れるような注文に、渋く答える天龍。
「ええ~、こんにゃく、もう頼んじゃったんですか?」
「ずるいよ、提督!」
群馬県産の極上こんにゃくを絶妙な火加減で揚げた串は、この屋台でも大人気メニューだが……。
先に頼んだからずるいとか、おかしいよね?
「あたしとお姉にも、こんにゃく! さっきの10本とは別カウントで!」
千代田が提督の腕をグイグイ引っ張りながら勢いよく注文し、龍田から渡された瓶ビールをコップに注いでくる。
「提督、綺麗な夕暮れですね」
妹とは対照的に、千歳はそっと静かに腕を絡めてくる。
しかし、その結果として軽空母界最強のものが、腕に押し当てられるわけで……。
今夜は……長くなりそうです。