鎮守府から裏山を挟んだ反対側の扇状の台地に広がる田畑。
北東から南西に向けて流れる小川を挟んで、西には町道に面した入口に、野菜と穀物の畑、東には米作りの水田と溜池、そして北東の斜面には段々畑を利用したビニールハウス群と果樹園、梅林がある。
西南にも広い空き地があるのだが、そこは山陰になりやすくて農耕に適さず、堆肥作りや野菜の土中保管場所として利用している。
約7ヘクタール、2万1000坪。
さらに周辺の雑木林や竹林、草花の野生地なども加えると約10ヘクタール、東京ドーム2個分以上の広さになる。
艦娘たちが多少広げた部分もあるが、ほとんど宮ジイの一家が昭和初期から長年をかけて開墾してきた土地だ。
宮ジイに見せてもらった、この地に来たばかりの写真(その中では宮ジイは背負われた赤ちゃんだった)の背景には、ただの山林だけが写っていた。
木を切り倒して根を掘り起こし、斜面を崩して整地して、石を取り除き、田畑に向いた土壌に改良する。
「おらほ(うちの所)で初めてまともな米が育ったのは、昭和10年だね。次ん年に、うざねへて(やっとのことで)家族全員分の米が採れた。白米は正月にしか食べんべ。アワや麦を足したり、ダイコンやイモを入れんだ」
昭和10年は、実艦の初雪が台風による艦首切断を起こした「第四艦隊事件」の年。
翌11年は陸軍青年将校によるクーデター未遂「二・二六事件」の起こった年だ。
たばこ時(この地方の方言で、おやつ休みのこと)には宮ジイの話を聞きながら、今日もありがたく農作業。
那珂たち第四水雷戦隊は、長ネギの土寄せを行っていた。
長ネギで食べるのは
この葉鞘部が成長(毎月10cmほど)した分、葉のすぐ下まで肥料を追加した土を寄せ上げてあげる。
土に覆われることで、ネギはまっすぐ長く育ち、紫外線に当たらなかった葉鞘部は白く柔らかく育つ。
さらに、これからの梅雨の時期、畝の高さがしっかり確保されることで畑の水はけもよくなる。
畝間に水が溜まらないよう、土には勾配をつけて排水口に水が流れるようにしていく。
長ネギは特に手間がかかると脅されてはいたが、本当だった。
植え付けの際も深い溝を掘って、酸素が十分に土中に残るように隙間の空いたワラ束を根の横に入れる一手間が必要になる。
だが、それだけ手間をかけた分、逆に収穫の喜びは増すだろう。
「だから提督も、あきらめずがんばってね」
新任務「増強海上護衛総隊、出撃せよ!」。
軽巡洋艦1、駆逐艦または海防艦2、航空巡洋艦または軽空母1、自由枠2という編成で南西諸島海域を転戦する任務だ。
その出撃先の中には提督のトラウマの一つ、沖ノ島海域、通称2-4が含まれる。
もうね、羅針盤が荒ぶりまくりですよ。
せっかくボス確定コースに入ったと思ったとたん、育成のため入れていた低練度の海防艦に、戦艦ル級の無慈悲な一撃が突き刺さるし……。
「提督には精をつけてもらわないとな。今週、ケッコン艦が最低4人は出るぞ」
武蔵が大量のニラを刈り取ってきた。
ニラは植えっ放しでほとんど手間いらず、刈っても刈っても根元から何度も新しい葉が生えてくる。
旗艦にしている軽巡洋艦枠は阿賀野型の能代、矢矧、酒匂がローテーションで入っているが、もう何巡もして3人とも練度99目前になっていた。
艦隊の防空のため駆逐艦枠をローテーションしている秋月型からも、次女の照月の練度が99に達しようとしている。
「もう、嬉しい悲鳴で困っちゃう」
「今日は夕食の準備、秋月、豪華に頑張ります!」
こちらは大量のタマネギを収穫してきた阿賀野と秋月だ。
野菜の品種は育成に必要な期間の長さによって、大きく
タマネギは主に露地栽培で「ターボ」というカレーや肉じゃがに合う中生品種を育てている。
この地方での本来の収穫期は6月末なのだが、梅雨入り前に成長の良いものを前倒しで収穫したのだ。
梅雨越えは野菜作りの難関の一つ。
一部だけでも先に収穫することで全滅のリスクを避けられるし、栽培密度を下げることで風通しがよくなり、梅雨対策にもなる。
タマネギは収穫後、天日で乾燥させて保存性を高めるのだが、今日は週で唯一晴天のワンチャンス。
名取と駆逐艦娘たちがブルーシートを広げてタマネギを干しているところに、阿賀野と秋月が嬉しそうに新たなタマネギを届けに行く。
「提督のお給料、今月も指輪代で無くなっちゃうね」
「どうせ余っても、鳳翔さんが取り上げるけどな」
ボンヤリと2人を見送りながら那珂がつぶやくと、武蔵が虫に食われたニラを選別しながら答えた。
駆逐艦娘たちの平均錬度も90を超えた。
そう遠くない将来、駆逐艦娘たちとのケッコンラッシュがやって来る。
その時に備えて、鳳翔さんが提督の給料を没収して積み立てを行っていて、提督の手元には毎月3万円のお小遣いしか残らない。
それも、艦娘や妖精さんたちにお菓子を買ってあげれば、すぐに無くなる。
けれど、提督が文句を言ったことは一度もない。
畑では、他にもアスパラガスやサヤエンドウ、キャベツなどが続々と収穫されている。
業務連絡用の短波ラジオから聞こえてきたのは、21回目の沖ノ島海域作戦失敗を告げる大淀の声。
「提督、採れたて野菜で元気出してくれるといいね」
武蔵のニラの選別を手伝いながら、那珂はしみじみと言うのだった。
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畑から農作物を収穫した日には、やはり鎮守府全体のテンションが上がる。
駆逐艦娘たちも嬉しそうに走り回り、温泉大浴場や調理場も大騒ぎ、慌ただしい夕方が過ぎていく。
そして、大食堂のテーブルには、畑から採れた野菜をふんだんに使った料理が並んだ。
シャキッとした食感に、みずみずしさが魅力のレタス。
玉レタスは冷涼な空気と清らかな水を好む野菜で、ここの風土にも合っている(より高原ならベストだが)。
生のままサラダにするのも定番だが、今日は塩茹でした小エビとアスパラとともに、ニンニクの香りを移したオリーブオイルで軽く炒めた。
「エビのプリプリした食感と、レタスのシャキシャキが合うわねぇ」
「レタスは炒めすぎないのがコツよ」
このレタスを育てた長良と五十鈴。
虫に食われやすいレタスを、マルチ(土を覆う被覆フィルム)と防虫ネットで守り、雑草をとって大事に育ててきた結果が、今口の中にある。
スナップエンドウは、チーズ焼きで。
びっくりするほどの甘味のある立派な鞘と実が出来るまで、鳥や虫からネットで守り、乾燥に気を配り、支柱を立ててつるを誘引し……。
その思い出に、スナップエンドウを育ててきた名取が涙ぐんでいる。
チーズは、宮ジイが飼っている牝牛のハルナ(ジャージー種8歳)のお乳からイタリア艦娘たちが作ったものだ。
「このシャッキリ感、マジ、パナイ!」
鬼怒が育てたシャキシャキの水菜は、ワカメと干しシイタケとともに、生姜の風味を利かせた、中華スープの具材に。
あっさりしたスープだが、鶏ガラをベースにしながら、ワカメとシイタケのダシも加わり、複雑で奥行きの深い味がする。
仕上げに間宮が一椀ずつに振った、少量の白ゴマもピッタリと味を決めていた。
メイン料理は、ニラとキャベツ、タマネギをザク切りにし、豚挽き肉と厚揚げとともに、味噌と豆板醤でピリ辛に炒めたもの。
直球勝負の、ご飯のお供だ。
白いご飯を、毎日食べられる幸せ。
提督は、宮ジイから教えられたことを思い出す。
失敗してもいい、また次に成功すればいい、いつか成功すればいい。
でも、人間の命は有限だから、今も次にも全力を尽くす。
その結果、きっといつか成功する。
(よし、明日も頑張るか!)
と、そこに阿賀野が妹たちを連れてやって来た。
「提督さん、来週末の予定だけど、2泊3日で阿賀野型との新婚旅行でいいよね?」
「あっ、阿賀野さん、ずるいです! 照月もケッコンするんですから!」
「ちょっと、うちの羽黒の新婚旅行もまだよ!?」
「吾輩と筑摩も、早く新婚旅行に連れて行くのじゃ!」
今日もワイワイガヤガヤと、鎮守府の夜は過ぎていくのだった。