この地方では、薄雲に覆われた少し肌寒い日が続いた5月末。
数日ぶりに、ようやく日の光が顔を見せた。
鎮守府は活気に満ち溢れている。
もちろん、出撃のためではない(出撃しようにも、長門の改二改装で驚異の弾薬8800、鋼材9200を消費し、備蓄倉庫はスッカラカンになっている)。
埠頭では、養殖
3月の養殖ワカメ漁に続く、この鎮守府の海の大事業の一つだ。
ここの鎮守府では地元の漁港の手伝いをしながら、ワカメや昆布、海苔の養殖を少量、自前でさせてもらっている。
3月のワカメ漁も大変だった。
刈り取った(まさに刈るという言葉が相応しい、水中での農作業のような重労働により得られた)ワカメを、メカブと葉の部分に切り分け、湯通しをしてから葉はさらに塩漬けにする。
採れたばかりのワカメは茶色いが、サッと湯通しすると鮮やかな緑色に輝く。
メカブは酢の物などにして食べるし、塩漬け保存したワカメは1年間の味噌汁の具などとして重宝される。
この地域のワカメは、肉厚の高品質でブランド性も高い。
だが、ワカメ漁は時間との勝負であり、収穫から加工までを紫外線の少ない時間帯に行わなければならないため、一極集中労働となるため負担は大きい。
その養殖に携わる、多くの漁師家庭の高齢化が進んでいる現状については提督も憂慮していて、鎮守府として何か貢献できないか模索している。
4月に県庁を表敬訪問した後の懇親会(その後の私的なハシゴ酒)でも、農林水産部の小野塚さん(この鎮守府が信頼を寄せる、漢気溢れた江戸っ子気質の地方官僚)とも、何とかこの地方の活性化のため新しい対策を打てないかという活発な議論(双方ともにロレツが回らず何を言ってるか分からなかったが……)を行った。
ええと……あ、今回は昆布の話でした。
暖流で育てられるワカメとともに、寒流が流れ込むために昆布も同時に育てられるのが、この地方の特色だ。
その特性を活かしたアピールがどうのこうのと小野塚さんと語り合い、これから誰かを殴りに行こうかみたいな世代感を丸出しにした歌をスナックで肩組んで一緒に熱唱した記憶は封印……。
昆布は様々な料理のダシにも使われるため、鎮守府にとっても重要度が高い。
鎮守府のレストア漁船『ぷかぷか丸』で養殖場へと向かい、がっちりと岩に根を下ろしている長大に育った昆布を、かぎ棹ですくい上げる。
海中から水分を含んだ長い昆布を引き上げるのは、大変な肉体労働だ。
昆布を獲ったら(植物だし、養殖してるんだから漢字的に採るだろ?という奴がいたらぶっ飛ばしたいぐらいの重労働の後)、すぐに港へと戻る。
船から下ろした昆布を
さらに、昆布には裏表があり、美味しくするためには、最初は表側を上にして干さなければならない。
その後、まんべんなく何度も手間をかけて表裏を返すのだが……。
「言っとくけどな、お前んちにあるような、しけた切り昆布じゃねえぞ!? 何メートルって長さの濡れたままのよぅ……」とかスナックで小野塚さんが隣の客に絡んで喧嘩になりそうになった思い出も封印。
昆布の厚さの違いによっても取り扱いを変えるとかコツがあるらしいけど、そんなのもう提督には分かりません……。
この作業に慣れてる、由良にぜ~んぶ任せます。
「提督さん……由良、がんばりますねっ、ねっ」
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鎮守府から裏山を挟んだ反対側には、広大な畑が広がる。
「提督、大丈夫か?」
「うん、大丈夫……」
「大丈夫って言う奴が大丈夫だったことないんだよなぁ……」
天龍の軽トラで、畑に送ってもらった提督。
こちらでは、ハウスイチゴの今年最後の収穫が行われていた。
間宮に納品する極上品を採り終えたハウス内は、他の艦娘たちに自由解放されている。
キャッキャと騒ぎながら、イチゴを採っては食べて喜ぶ艦娘たち。
神通の率いる第二水雷戦隊が育てているイチゴ。
品種は『
何というか……イチゴ狩り園が始められそうな、プロ級の凝りようと品質だ。
天下泰平の江戸時代、幕府の家来である御家人たちは家計を助けるため、植木や鯉、金魚、鈴虫などの養殖を、無駄に広い屋敷を利用して始めたという。
東京・入谷の朝顔市は有名だが、あれも御家人たちが組屋敷で共同栽培した朝顔を売り出したのが発祥だという。
よく時代劇で貧乏浪人がやっている、傘張りや提灯作り、竹細工などの内職も、当初は武士にあるまじき下等な仕事として敬遠していたが、後には地域毎に組織だって行い、江戸の消費を支える一大職人集団になったとか……。
神通のこだわりのおかげで、この鎮守府ではイチゴと、それを使った菓子の材料には不自由しない。
イチゴジャムも通年、ほとんど買う必要がない。
やわらかくジューシーで甘味たっぷりの『章姫』。
甘味と酸味の調和に優れ、果肉の淡い赤色が美しい『さちのか』。
露地栽培では、両者の交配品種の『紅ほっぺ』を作っており、そちらは6月に収穫予定だ。
そこからも、多数の艦娘の努力により、ビワ、サクランボ、スイカ、桃、梨、ブドウ、リンゴ、栗、柿と、次々と果実が収穫期を迎えていく。
余った分は、干したり缶詰などに加工して保存し、冬の楽しみとする。
うん、幸せだなあ……。
などと他人事のように思いつつ、ペタンと地面にしりもちをつく。
コンブ漁の朝は早いが、港にコンブを引き揚げてからの加工は、主に陸で待っていた女性たちの仕事。
コンブの引き揚げを終えた漁師さんたちの祝い酒に付き合う内に、提督はすっかり酔っ払っていた。
漁師さんたちの名誉のために付け加えるが、ただの祝い酒だ。
一杯飲んで飯をかき込んだら、すぐに女性たちの仕事の手伝いに回る。
それなのに提督の腕を引きずり「今日ばかりは飲ませてもらおう!」「コンブゥフェ~ス? Grazie、Grazieで~す♪」と、あちこちで乾杯を重ねて回った某重巡洋艦娘たちのせいで、トータルではものすごい酒量になったのである。
世界がぐるりと回っている。
「提督?」
心配そうに、顔を覗き込んでくる艦娘がいた。
神通だ。
神通に抱きかかえられ、起き上がらされる。
儚げな雰囲気の中にも凛とした決意を感じさせる、心の強い艦娘。
その神通の瞳が、今は自分を心配して曇っている。
「みんなのために……イチゴ、ありがとうね。神通、大好きだよ」
「え、いえっ、こんな私でも、提督のお役に立てて……本当に嬉しいです!」
神通が頬を染めながら、自分の心臓を押さえるように胸に手を当てている。
そう言葉を紡ぐ神通の唇がイチゴのように可愛らしい。
「神通は本当に可愛いなぁ」
「あのっ……提督、ここではいけません。駆逐艦の子たちにも見られますっ」
キスをしようとしたのに、神通に避けられてしまうが……。
「あのっ、……夜、部屋でお待ちしていますね」
囁きとともに、神通の熱い吐息が耳に吹きかかって、提督の酔いが少し醒めた。
まとまりのなかった思考が、急にすっきりしてくる。
「忠告だが、酒はほどほどにしろ。お前は酔っ払うと……その……少し、変わる」
頭の中に、長門の言葉が浮かんできた。
「んっ、なっ……!? い……いや……き、嫌いでは……ない……が、どうせ明日には忘れているんだから……いつか誰かに撃たれるぞ?」
本心ではある……が、穴を掘って埋まりたくなるような歯の浮くセリフを長門にかけたのを思い出した。
そういえば、さっき埠頭で由良にも……。
それに、今夜は長良型姉妹の部屋に泊まりに行く約束もした……気がする……。
「提督、酔い醒ましにどうぞ」
神通が、イチゴを口に運んでくれる。
それはとても甘かったが、しっかりした酸味が感じられた。
(天龍、やっぱり大丈夫じゃなかった……)
さて、今夜の鎮守府は修羅場です?