さわやかな風に、ツバメが舞う。
米作りの秘訣は水管理。
水温は気温より変化しづらく、昼夜の温度差や天候の急変からデリケートな稲を守ってくれる。
さらに水を張ることは、多くの有害な微生物や雑草が繁殖できない環境にする効果もある。
田んぼの土を
その水は畑の横を流れる小川から水車で引き上げ、ため池に溜めておいたものだ。
宮ジイが若かった頃は、今の畑や果樹園の部分も含めて、辺り一面に水田が広がっていたという。
国の減反政策で徐々に水田を減らすうち、本格的に野菜農家へと転向し、米は自家用の分しか作らなくなったという。
鎮守府が出来たときには、もうごく小さな水田の跡地ぐらいしか残っていなかった。
「米か……胸が熱くなるな」
畑仕事の休憩中、宮ジイからそんな話を聞き、米も作ろうと思えば自分たちで作れることに気付いてしまった艦娘たち。
大和魂を惹きつける魔性の力が、米には宿っている。
まず、戦艦組のハイパワーで、土手切り(畦を作る作業)をして、四枚に仕切った
水車を自作し(「モーターで汲み上げましょうか?」という明石の提案は黙殺され)、水田用に温度管理が出来るため池を掘削し、米作りを始めたのが3年前。
トラクターで田起こしして雑草を除去しておいた田んぼに、ため池の水を引き入れるための、木や竹の
水を入れたら、土と水をよくこねながら、田の底を平らにしていく
初回の
馬鍬は名前のとおり、本来は馬や牛に引かせて土を耕すための農具だ。
今年はアイオワ(昨年は着任直後のため見学だけだった)が、前回の覇者・瑞鶴や強豪の武蔵を破って優勝した。
いったん水を抜いた後、肥料を入れての二回目の代掻き、
艦娘たちに早い者勝ちで探させるゲームをするのだ。
カプセルを探して土を掻き分けたり、ドダバタと走り回っている内に、自然に土と水と肥料、そして空気が混じって、栄養豊かな泥水が出来ていく。
最後の
また、代掻きの時には、それまで田んぼの土に住んでいた虫などが水から一斉に逃げ出すので、それを目がけて鳥たちが餌をとりに来て、空も大騒ぎになる。
特に毎年、水面すれすれまで急降下して虫をキャッチするツバメの姿が見られて、これが九九艦爆のようだと空母たちに大人気だ。
そうして田んぼの準備が進み、ビニールをかけた
田んぼに苗の束を投げ入れる、
あらかじめ全体に均等に配っておき、足りなくなったと声がかかれば追加を投げ入れるのだが、ノーコンな提督なので思うように飛んでくれない。
誰かに代わってもらおうにも「苗を配るのは殿方の役目です」と、大和に妙に古風なことを言われてしまって、毎年苗打ちをやらされている。
同様に「殿方が植えたのでは稲は丈夫に育ちません」と、植え付けはやらせてもらえず、そちらは艦娘全員が体験することになっている。
苗を縦横の間隔を一定に揃えて植えるために、田植定規という道具を使って田面に跡をつけておき、横一列に並んだ6人の艦娘たちがその跡に従って植えていく。
一度に6人ずつなのは、いつも
だが、最初の6人には艦隊行動の経験が少ない、間宮、伊良湖、明石、速吸が入っているので、やや単横陣が乱れている。
今日ばかりは正妻戦争を休戦して、鳳翔も間宮のフォローをしている。
あとの一人は水上機母艦娘の瑞穂。
田植えの一番手に相応しい、縁起の良い名前を買われて昨年から抜擢されている。
苗は浅く植えると浮かんできてしまうし、植えるのが深すぎると稲の枝分かれである「分げつ」が土に阻害されてしまい、葉の成長が悪くなる。
深さ3Cmに真っ直ぐに植え付けていかなければならない。
鎮守府には200人もの艦娘がいるから、行事感覚で手での田植えを行えるが、より少ない人数で仕事として行ったら、かなりの重労働に感じるだろう。
しかも、苗を植えたら田んぼに水を増すので、一枚の田は必ず一日のうちに植え付けを終わらせなければならない。
機械がなかった頃には、今よりもずっと大変な一大仕事だったはずだ。
それでも代々、米を作り続けてきた先人達に感謝と尊敬の念が絶えない。
交代で田植えを続けながら、先に田んぼから上がった艦娘たちは手足を洗って、夜の宴会の準備のために寮へと戻る。
田植えの最後には、田の神に御神酒を上げて今年の豊作を祈り、酒を飲んでお祝いをする
今日もまた大宴会だ。
ちなみに、稲苗を意味するや早苗や、ここの艦娘の皐月、五月雨などの語源の頭の「さ」は、穀物を守護する田の神を意味するという。
桜も、田の神(さ)の宿る座(くら)から名づけられたという説もあり、花見の宴会も大切な神事の一つなので大いに飲み明かすべきなのだ(某軽空母談)。
伝統にのっとった田植えの昼食(小昼から転じて「コビリ」と呼ぶ)は軽く、塩むすびと赤飯のおにぎりに、きゅうりのからし漬け、まめぶが出るぐらいだ。
まめぶとは、この鎮守府より少し北の辺りの、伝統的なハレの日の郷土料理(らしい)。
黒砂糖とクルミを入れた小麦の練り団子と、ごぼう、人参、豆腐、油揚げ、しめじなどをダシ汁で煮て、しょう油で味付けしたものだ。
鎮守府ができた当時にやっていた、ここの県を題材とした国民的朝のドラマで取り上げられたのでメニューに採用したが……。
宮ジイもそれまで食べたことはなかったと言うし(江戸時代、地域により異なる藩に属していた文化圏の相違とかがあって)、全県民の認知度的にはイマイチだったりする。
それはともかく、最初こそ甘すぎる醤油味の煮物ということで「おかずなのか、おやつなのか」と論争が広がったが、味付けのバランス感覚が分かってくると、素朴な味わいの中に優しい甘味が広がる労働食として定着していった。
ただ、それだけでは足りない海外の燃費悪い組が、石窯でピザを焼いたり、バーベキューを始めたりしているのはご愛嬌。
一昨年は昼食の量が足りなくて、宴会が始まるまでずっと腹の虫を鳴らしていた某世界最大の戦艦と赤い空母がいたので、昨年から海外艦に追加調理を積極的にお願いしている。
先日の大規模作戦の際、北海道でホワイトアスパラガス(シュパーゲル)の仕入れルートを開拓してきたビスマルクが、鼻高々にソーセージとホワイトアスパラの串焼きを配っている。
そんな艦娘たちの楽しげな昼食風景を横目に、提督は天秤棒にくっつけた竹製の
それでも、数少ない提督の男の見せ場(本来の職務的にはどうなのか……)。
いつになく猫のような細目を険しくし、額に汗かきながらも水田中を働き回る。
夕刻が近づいてきた頃、最後の6人組である今期の新艦娘たちの田植えとなった。
幼げな容姿ながら熱い闘志を秘めた、ロシアの弩級戦艦、ガングート。
まさに幼い特設航空母艦、春日丸。
アイヌ語を操る銀髪の給油艦娘、
そして、海防艦娘の
神威を除いて、豊穣を祈願するにしてはどうかというロリ艦ぞろいだが……。
「終わりっしゅ!」
占守の手で最後の苗が植え込まれ、田植えが終了する。
「それでは、放水するぞ」
長門がため池からの水門のバルブを開き、水田へさらに水を注入する。
苗を痛めないようにと、しっかり水温を計りながら日光に当て続けてきた温い水が、水田へとゆっくり流れ込んでいく。
その光景を眺め、春日丸が注いでくれたお茶を飲みながら、提督も塩むすびをかじる。
米粒のふくよかな食感と心地よい粘り気、豊かな甘み。
腹を満たすのではなく、心を満たす塩むすび。
やはり日本人にとって、米は特別な食べ物だ。
「春日丸も初めてなのに、よくがんばってくれたね」
「褒めていただいて、あの……ありがとうございます。お役に立てて、私、嬉しいです」
「長良たちはランニングで帰ったんだな? じゃ、次でラストか。龍田にワゴンで迎えに来させるから、ちょっと待っててくれ」
寮への送迎で軽トラを往復させている天龍の声が聞こえる。
黄昏を増していく空に、巣へと帰るカラスたちの鳴き声も聞こえていた。
初の前後編になってしまいました。
米作りは調べれば調べるほど大変で、大仕事なんだなと思います。