ある鎮守府のエンゲル係数   作:ねこまんま提督

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※今回は「鎮守府 THE ORIGIN」といった感じの回想編で少し毛色が違うお話になります。


最上と焼きおにぎり

鎮守府の正門から続く町内の細い道。

季節はずれの暑さから一転、夜に降った雨と強い風が暖気を押し流していった朝。

 

「おはようございます」

ご近所さんに挨拶しながら、半ズボン姿の最上が道に落ちた花弁や葉を掃除している。

 

「おめでどうごし」

地元新聞に、この鎮守府のケッコン情報が載るせいで、最近ケッコンした最上などは、地元の人から祝いの言葉をよくかけられる。

 

「あはは、ありがとう!」

 

照れ隠しに振り返って見る、山裾の高台にある艦娘寮。

元温泉旅館だった艦娘寮には、広く立派な和風の庭園がある。

 

「あの松、剪定しないとなあ」

 

松、楓、犬柘植、桜、梅、椿……。

四季折々に目を楽しませてくれる庭の樹木だが、その手入れも大変だ。

 

「お寺さんのとこまで掃いて、徳さんにも挨拶してこよっ」

 

戻ったら庭木の手入れをすることに決め、最上は近くの寺へと続く道の掃除にかかる。

その寺には、徳さんという、宮ジイに並ぶ鎮守府の恩人が眠っていた。

 

 

2013年の夏。

南方海域強襲偵察での激闘を終えて一息ついた提督と艦娘たちは、自然の力に圧倒されていた。

 

春には美しかった桜や梅は当然のように散り、きちんと掃除しなかった花弁は生ゴミとなった。

ろくに手入れしていなかった樹木は伸び放題となり、芝生には雑草が混じっていた。

健康を害した枝葉には大量の毛虫が湧いて、それを狙って来る鳥たちがフンを落とす。

 

数か月、人の手が入らなかっただけで、一幅の絵画のようだった日本庭園はその調和を崩し、原始の森へと逆行の一歩を踏み出していた。

 

 

そんな時、親しくなってきた町内の霧雨商店の主人から、庭師の親方だった徳さんの存在を耳にした。

 

数年前にガンの手術で引退するまで、この旅館の庭園の管理を長年取り仕切っていたという。

 

提督と最上は庭の手入れのアドバイスをもらおうと、間宮の羊羹を手土産にして、徳さんの家を訪れた。

 

「何だね、物売りなら間にあっとるよ」

 

杖をついて玄関先に現れた徳さんは、大俳優の三國連太郎さんのような渋いご老人で、何人もの職人を手足のように使って様々な大庭園の仕事を手掛けてきたという。

その貫録に提督も最上もビビッたのだが……。

 

スーツ姿の提督が自分たちの素性と来訪の意図を告げると、徳さんは突然杖を捨てて地面に正座し、深々と頭を下げた。

 

「司令長官自ら……誠に、もったいないことです。知らぬこととはいえ、大変失礼なことを申しました」

 

(いやいや、うちの提督はそんな大したもんじゃないから)という言葉を飲み込んで、徳さんを立ち上がらせた最上。

 

「お恥ずかしい。私らのように下っ端で戦争に行っていたもんにとっては、大将などは雲の上の神様のような存在で……」

 

照れる徳さん。

 

「病気にかかり艦を降りる私に艦長が、治療に専念し次に乗る艦でご奉公するようにと……激励の言葉をかけてくださった思い出も、もう恐れ多くて、ただ有り難くて……いや、何十年もたっているのに……」

 

戦後は、独立開業するまで15年ほど東京や京都で修業をしていたというせいか、この地方の訛りもほとんどない。

 

「お呼びくだされば、飛んで参りますのに」

「呼びつけるなんてとんでもない」

 

提督が杖を拾って渡すと、徳さんは殿様から刀を授けられた武士のように、両手で杖を受け取った。

 

「そうだよ。お願いがあるのは、こっちなんだからさ」

最上が、徳さんの服についた埃を落としてあげる。

 

「あなたは……艦娘さん、ですか」

「うん、ボクが最上だよ」

 

最上の名を聞いた徳さんの顔がこわばった。

その瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。

 

「ど、どうしたの?」

心配する最上に、涙を流しながら拝むように頭を下げる徳さん。

 

「ええっ!? なんでボクにまで?」

「あの時、自分は赤痢にかかり、ブルネイで最上を降りてしまいました」

 

「あの時の……ブルネイ?」

「お許しください……」

 

振り絞るような徳さんの声。

 

1944年10月22日にブルネイを出撃した最上を含む西村艦隊は、3日後、スリガオ海峡で時雨ただ一艦を残して全滅した。

徳さんの言葉に出てきた最上の艦長、藤間大佐も艦橋への命中弾を受けて戦死している。

 

「お供出来ずに、申し訳ありませんでした」

 

徳さんは戦後ずっと、時雨と同じ心の傷を抱えていたのだ。

 

 

徳さんのお墓参りから戻り、最上は三脚の脚立を持ち出した。

三脚なら平らでない地面でも安定するし、木にギリギリまで近づける。

 

樹木の剪定は、重なった枝を適度に切り落として、葉への日当たりや風通しを良くする作業だが、この「適度」が難しい。

 

基本の理屈は簡単で、例えば大きな枝から5本の小枝が櫛のように伸びていたとする。

真ん中と両端の枝3本を残して、中間の枝を2本切り落とし、バランスよく間隔を開ければいいだけだ。

 

だが、実際の枝は規則正しく整列しているわけでも、全て真っ直ぐに伸びているわけでもない。

一本一本形も大きさもバラバラな枝から、仕上がりの見栄えをイメージして切り落とす枝を選ぶのだが、なかなか上手く行かない。

 

切り落としてしまってから、後悔することもある。

 

 

「医者から再発だと言われました。今度は駄目でしょう」

 

昨年の秋、最後に鎮守府を訪れた徳さんは穏やかな口調で言った。

徳さんは始めて会ったときより、一回りも二回りも痩せていた。

 

「生かして頂いた間に身に付けたことが、皆さんのお役に立てたなら心残りはありません」

 

幸せそうに笑った徳さんは10日後に倒れて、そのまま目を覚ますことなく亡くなった。

 

道具の使い方、手入れの仕方、安全のための注意、多くのことを教わった。

 

庭木の手入れだけでなく、庭池の掃除、裏山の林木の伐採、薪の切り出しと使い方、炭焼きの方法、石の切り出し、庭石の敷き方、石垣や石窯の組み方、土壁の塗り方、様々な小屋の建て方……。

 

そして、囲炉裏の再生も。

 

 

まだまだ未熟だと思うが、何とか及第点だと思える剪定が出来た。

最上は徳さんに教えられたとおりに丁寧に道具を片付け、きちんと手を洗うと、寮の中へと向かった。

 

艦娘寮のロビー奥。

小座敷にある囲炉裏は、バブル期に旅館を所有していた東京の不動産会社が、煤汚れや火事の危険性を嫌って、掘り炬燵(ごたつ)に換えてしまっていた。

 

それを徳さんに教えてもらい試行錯誤しながら、自分たちで再生したのだ。

 

最終的に、囲炉裏の下の石組みを作り直し、木枠を組み直して、隙間には自作の藁入りの粘土を詰め、灰を入れた。

 

吹き抜けの天井の煙抜きを開け直し、現代風に小さな静音換気扇も取り付けた。

 

出撃や遠征の後、湾の奥に戻ってくると見える、この囲炉裏から出てたなびく煙が、最上は大好きだ。

 

ポカポカと暖かい囲炉裏端。

最上は薪の炎の横に、「ワタシ」という半月状の格子になった道具を置いた。

 

炎の中から熾した(おこした)炭を火箸で転がしてワタシの下に移動させる。

徳さんに教えてもらい、囲炉裏で使う薪や炭も自分達で作るようになった。

 

おひつの米を優しく握っておにぎりを作り、ワタシにのせてじっくりと焼く。

 

両面に焼き色がついたら、みりん醤油をハケで塗りつけてワタシに戻す。

別のおにぎりには、みりんで溶いたネギ味噌を塗りつける。

 

追加で、新しいおにぎりもどんどん握っておく。

 

「あらぁ~、いい匂い」

「荒潮、食べてくかい?」

「うふふ、いいのぉ~?」

 

「最上さーん、おにぎり食べたいですっ!」

「雪風、おいでよ」

「ありがとうございます!」

 

「お、うまそう……」

「加古も食べてくかい?」

「へへ、これも焼こうよ。間宮さんにもらった厚揚げ」

 

醤油と味噌の焼ける香ばしい匂いに誘われ、艦娘たちが集まってくる。

 

カリッと表面が焦げ、中はふっくらの焼きおにぎり。

焦げた醤油と味噌の風味が、際限なく食欲を誘う。

 

畑のこと、釣りのこと、春の草花や野鳥、虫のこと、あと少しだけ仕事の話。

話題は尽きない、鎮守府の家族が集まる囲炉裏端。

 

最上はふと座敷の隅に目をやった。

和箪笥には、夕張が作ったガンプラと並んで、徳さんの写真が飾られている。

 

「たらの芽を摘んできたんだけど……僕も、いいかな?」

「もちろんさ、時雨」

 

偉大な恩人に見守られながら、ここの鎮守府は今日も平和です。


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