ある鎮守府のエンゲル係数   作:ねこまんま提督

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神通と春弁当

ポカポカと春らしい日差しが降り注ぐ。

農場の外れで、那珂は加古からトラクターの運転方法を教わっていた。

 

「何だかレバーやボタンが沢山あるんだけど……」

 

「マニュアル車の運転とほとんど変わんないよ。違いは、変速レバーが3つに、アクセルとブレーキが2つずつあるのと、デコンプ(圧抜き)とロータリ関係の操作レバーがおまけで付く……ぐらいかな」

「それって、すごく違くない?」 

 

「ま、運転だけにしぼって一個ずつ。まず、変速ね。左手のこのレバーがメイン、こっちがサブ。基本、農作業中はメイン2速のサブ低速だけでいいから」

「うん、その隣のPTOっていうのは?」

 

「それはロータリの回転速度だから後回しなんだけど……まあ2にしとこ」

加古がロータリ回転のギアを切り替える。

 

「あとは……ハンドルの左脇、それが前進と後退の切り替え。止めとく時は真ん中のニュートラルにしてね」

「うん」

 

「次、ハンドルの右脇が手動アクセル。動かしたとこで固定されるから、畑での農作業中は2500回転ぐらいにしたらそのまんま。右足のこの小さいのがフットアクセルで、車と同じ踏んでる間だけ回転が上がるんだけど、まあ、道路を走らなきゃ使わないかな」

 

そこで、加古がしばし考え込む。

トラクターのエンジンパワーは車と違ってロータリを回すのにも使われるため、エンジンの回転数はロータリの回転速度とも関わってくるのだが……。

 

すでに余裕がなさそうな那珂を見て、とりあえず動かしてみるほうが先だと、その説明はやめておく。

 

「それでブレーキは右と左、車輪ごとで独立してて……畑とか田んぼの終わりまで行ったらターンするでしょ? そん時に軸になる片側だけブレーキかけるわけ」

 

加古が手でトラクターが進む様子を示し、親指をブレーキに見立てて、親指を軸にしてクルッと手を回転させて見せる。

 

「分かった、右にターンするなら右ブレーキをかけるんだね。完全に止まるときは両方いっぺんに踏むの?」

 

「踏んでもいいけど、畑ならクラッチ切るだけで十分。どうせ歩くぐらいのスピードしか出てないし、土の摩擦ですぐ止まるから」

「そっか……」

 

「それじゃ、まずはエンジンかけてみよっか」

「いきなり!?」

 

 

「うわー、緊張した―」

「那珂ちゃん、お疲れ様でした」

 

試運転を終えてきた那珂に、神通が声をかける。

 

「あんなの、どこから持ってきたの?」

「業者さんからのレンタルよ」

 

鎮守府の畑では、いよいよ田起こしが始まろうとしていた。

 

冬の間、水を抜かれて乾いて固くなっていた田んぼの土を、深く掘り起こしながら細かく砕き、肥料と刈り残した稲の切り株を養分として土中に混ぜ込みながら、雑草を駆除する作業だ。

 

水田を人力で深く耕すのは非常に困難で、トラクターが必要となる(昔は冬も水を抜かなかったり、牛馬の力を使っていた)。

 

最初、戦艦や空母の艦娘たちが、艦娘ならではのパワーを発揮して耕してみたこともあったが、特にその年度の初回、固く凝り固まっている土を深く掘り返すのは大変な苦労だった。

 

トラクターのレンタル価格が1日あたり3~4万円だと分かると、一気にやる気が失せ、年度初回の田起こしにはトラクターを借りてくるのが当たり前になった。

 

水田の広さは5(たん)

トラクターなら1日で耕し終わる面積だが、サッカーコートの半面とほぼ同じ広さと言えば、苦労して人力でやるのがバカらしくなるのが分かるだろう。

 

 

日差しに照らされてキラキラと輝く、畑の横を流れる小川を眺めながら、那珂と神通はお弁当を広げた。

 

(たけのこ)とひじきの混ぜ込みご飯に、(さわら)の西京焼き、鶏肉と人参、里芋、蓮根、いんげんの煮物、山菜の天ぷら、海老入りの玉子焼き、桜餅。

 

自然の恵みがたっぷりと詰まった春弁当だ。

 

「あっちは何やってるの?」

西京味噌とみりんに漬けられた、甘く上品な味に仕上がった鰆を食べながら、那珂が神通に尋ねる。

 

那珂の目線の先には、畑の一角に張られた木組みの骨格があり、その周辺では、何人かの艦娘が土をふるいにかけている。

 

「あれは苗代(なえしろ)作り。稲の苗はとてもデリケートだから、ああして温度管理ができるビニールトンネルを作って、枯れ葉なんかも取り除いた綺麗な土に種もみをまいて、大事に育てるの」

 

具材は素朴だが、しっかりと味のついた炊き込みご飯。

米粒を噛みしめながら、豊かに実った稲穂の姿を想像してみる。

 

「種もみも、全部まけばいいってものじゃないのよ。塩水につけて、浮かんでくる軽いものは捨てて、しっかり実が詰まっているものだけを選ぶの」

 

鶏肉と砂糖と醤油の味を吸った根菜の滋味。

 

「それから木酢液(もくさくえき)……ええと、炭焼きの時にできるタールを薄めた液で種もみを消毒してから、水に浸けて種もみの冬眠を解くの」

 

青い空、白い雲、緑の山。

山菜の天ぷらの苦みを感じながら、いつもより饒舌な神通を前に、那珂は聞き役に徹する。

 

「ただ浸けっぱなしじゃだめで、温度を測りながら、時々種もみを水から上げて呼吸をさせてあげながら。けっこう大変なのよ」

 

風に乗って花の香りが流れてきた。

甘い玉子焼きに、プリプリの海老の風味が重なる。

 

「ビニールトンネルも、発芽して丈夫な苗に育つまで1ヶ月以上、温度を調節しながら開けたり閉めたりして」

 

苦労話なのに、嬉しそうに話す神通。

 

「神通ちゃん、まるで自分の子供のこと話してるみたいだね」

「え? ……そうね、いつかは本当に子供も産んで育ててみたいけど……今はここのお米やイチゴが私の子供みたいなものかも」

 

大人びた表情を見せる姉に戸惑いつつも、デザートの桜餅をかじる那珂。

 

「そういえば一昨日、ハルナが赤ちゃんを産んだそうね」

「はぁ!?」

 

いきなりの神通の言葉に衝撃を受け、アイドルにあるまじき顔をしてしまったが、すぐに宮ジイが飼っている牛のハルナ(ジャージー種8歳)のことだと気付く。

 

「神通ちゃん、どうしてこの話の流れでハルナが出てくるかなぁ?」

「?」

 

不思議そうな顔をする神通。

 

「ま、いいや。後でハルナの赤ちゃん見に行こうか」

「そうね。駆逐艦の子たちも誘ってあげましょう」

 

小川で水をかけ合って遊ぶ、島風と天津風に視線を向けながら、神通が優しく微笑んだ。


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