この鎮守府がある県には、百貨店が2軒ある。
もちろん、天下の三○とは何の関係もない地元ローカル系だ。
だから、本部が「三○コラボ」なんてやっていても、ここの鎮守府は平常運転だ。
とはいえ、ここの鎮守府だって辺境にあるだけで、外界と隔絶していたり社交性が皆無なわけではない。
地域交流として、県内で行われる「
互市とは、もとは村々の物々交換の場であったという、この地方の各地で江戸時代から続く伝統ある露店市だ。
近隣の市でも春と秋に3日間ずつ、駅前の大通りを歩行者天国にして開かれる。
主に取引されるのは、花や植木、苗などの園芸品に、木工品、竹細工、金物などの日用品。
人出と観光客を目当てにした食べ物の屋台も出る。
この鎮守府では毎回、間宮の羊羹と海軍土産を出品して好評を得ていた。
艦娘寮のロビーの奥、囲炉裏がある小座敷。
近日に迫った互市の打ち合わせのため、提督は実行委員役の艦娘たちと打ち合わせを行っていた。
「保健所には明日、営業許可書を受け取りに行ってきます」
まず、鳥海が一番の目玉である間宮羊羹の販売に必要な、営業許可書について確認する。
例え短期のイベントでの出店だろうと、第三者に飲食物を提供するには、食品営業に関する許可や模擬店開設の届出が必要になる場合がある。
この鎮守府ができた最初の年、町内の秋祭りの屋台でカレーを無許可(厳密には無届)で振る舞ってしまい、保健所から注意を受けた。
以来、鳥海が許可申請や届出の仕組みについて勉強し、毎回しっかり書類の手配をしてくれるようになった。
ちなみに、海軍の本部に提出する書類は、提督自らが由緒正しい金釘流の達筆で書いているが、県内の役所への書類は全て艦娘に任せている。(金釘流とは、世界で最も盛んな書道の流派である。※アンサイクロペディアより)
「羊羹のシールは、初風と天津風が貼ってくれています。スプーンのシール貼りは、浦風と浜風が」
神通が、商品の準備について説明する。
羊羹には食品表示法により、原材料や製造者、賞味期限を記したシールを貼らなければならない。
最中やクッキー、せいべい、ジャム、厚揚げ、かまぼこ、鎮守府名物として売ってみたいものは多いが、これが面倒なので食品は羊羹にしぼっている。
海軍土産のカレースプーン。
金属加工の街、新潟県燕市の食器メーカーに注文した、柄に海軍のシンボルである桜錨の刻印が入ったものだ。
手にしっくりくる柄の太さ、カレーをすくいやすい先端の緩やかなカーブ、唇への当たりのよい滑らかな皿の浅さ、それでいてあくまでも自然なフォルムを……こだわって、散々わがままを重ねて作ってもらった、自慢のカレースプーンである。
厚紙の箱に入って納品されてくるスプーンに、一箱ずつ鎮守府の写真と桜錨のマークが入ったシールを貼っていく。
写真は、立派なレンガ造りの呉鎮守府のものを使わせてもらっているので、やや誇大広告なのだが、元は漁協の事務所でしかなかった、ここの鎮守府の写真などはショボすぎて使えないし……。
「さて、初日の露店の設営だけど、悪いけど榛名に手伝ってもらうよ」
提督が初日の売り子役の榛名に、設営状態の予定イラストを出して説明する。
「はい、榛名にお任せください!」
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当日の朝、提督は軽トラで榛名と互市が開かれる街にやってきた。
人口が10万人を超える市の中心だけあって、鎮守府のある小さな町とは比べ物にならない店と車の多さに、榛名が「わぁ」と小さく歓声をあげる。
駐車場に軽トラを入れ、地図と見比べて露店の設置場所を確認する。
「あの電柱の横だね。まずはテントを張ろうか」
全身ユ○クロの提督が、軍手をはめながら言う。
「榛名、全力で参ります!」
榛名も動きやすいジーンズにスニーカー、白のパーカーの上に、鎮守府名が入った黄色い蛍光色のウィンドブレーカーという格好で、軍手をはめる。
「すまないねぇ。都会の榛名たちは、お洒落な格好でデパートのイベントに参加してるみたいなのに……」
「いいえ、提督とこうして一日ご一緒できるだけで、榛名感激です!」
鎮守府の名前が入った、イベント用の青いワンタッチテント。
榛名のように気合いを入れなくても、すでに天幕がついた軽量骨組みの脚を2人で両側に引っ張るだけで、自然と展開される仕組みだ。
後は天幕のたるみをとり、天幕から出ている紐を骨組みに縛り付け、重しを付けるだけだ。
「榛名、重しをつけてくれるかい。無理せず、1つずつでいいから」
Uの字状の穴が開いた円盤型の15Kgの重しを、テントの各脚に差して取り付ければ、転倒防止となる。
提督は、その間にテント内に商品の入ったダンボール箱を運び込み、パイプテーブルと、パイプ椅子2つを広げた。
「重し、全部取り付けました」
「それじゃ、次はテーブルクロスを」
前の目隠しの部分に、白い碇のマークが入った水色のテーブルクロスをしき、小さな日章旗と、軍艦の方の榛名の写真を飾る。
商品を並べてキリのいい値段をつけた値札を置き、手提げ金庫をセットし、釣り銭を補充する。
こうして手馴れているのも、県の産業会館に時々何かを売りに行く秋雲が、セッティングのノウハウを指導してくれた賜物だ。
「そうだ、お隣の店に挨拶しておかないと」
これも秋雲から徹底するように注意されている。
提督は、隣で竹細工の露店を広げるおじいさんに挨拶に行き……。
後で米研ぎザルと、竹しゃもじを何本か買うことに決めた。
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互市の来訪者は年配の人が多い(もともと県の高齢化率が3割を超えているが……)。
人出は多いが、スポーツイベントやお祭りの時のような熱気はなく、食べ物の屋台の客呼びも控えめで、独特の牧歌的な雰囲気が漂う。
間宮羊羹の評判は知れ渡っているし、カレースプーンの食べやすさも口コミで広がっているので、鎮守府の露店にもお客さんは多いが、人が押し寄せるようなことはなく、ぽつりぽつりとお客さんが来ては淡々と売れていく感じだ。
だが、一つ一つの買い物の交流は浅くない。
世間話もあれば、榛名が「めんこい」と誉められたり、果物や野菜の差し入れをもらうこともある。
提督より年上だろう「孫」に車椅子で押されて来て、手も震え気味なのに、見事にモールス信号で挨拶をしてくれる旧海軍のおじいちゃんもいる。
買い物の方でも、提督はさらに、小座敷の囲炉裏のすす払いに丁度いい
周りのお店を見に行った榛名も、薄紅の花が咲くという桜草の植木鉢を買ってきたのと……。
「提督、榛名……わがままを言ってもいいですか?」
榛名が提督におねだりしたのは、綿飴。
「秋祭りの時、駆逐艦の子たちが買ってもらうのを見て、本当はうらやましかったんです」
「綿飴ぐらい、お安いご用さ」
提督が露店で買ってきた綿飴を、とても嬉しそうにかじる榛名。
雲のようにフワッとした綿飴が、甘味と香りを残して舌の上でジワッと溶ける。
榛名の微笑ましい様子に、提督も笑顔になる。
「提督、榛名はとってもとっても幸せです!」