ある鎮守府のエンゲル係数   作:ねこまんま提督

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満潮と鶏チリ丼

薄い雲がゆっくりと流れていく春の青空に、カモメが漂う。

緑濃き姿を表わした湾を囲む丘陵地帯の山々の後ろには、まだ雪化粧が残る高い山峰がある。

 

今日の鎮守府は、「門」を越えて近海に出没したイ級駆逐艦の駆除に叢雲が出動した以外は、全て休業。

 

湾内のあちこちのポイント、鎮守府の防波堤、桟橋、隣の漁港とを隔てる突堤、湾に突き出した灯台、湾内に浮かぶ鎮守府のレストア漁船「ぷかぷか丸」や、チャーターした遊魚船。

様々な場所で艦娘たちが釣り糸を垂れ、釣り大会が行われていた。

 

「おーい、誰か河口まで2人乗ってけ。五十鈴がヒラメあげたってよ!」

天龍の軽トラが、離れたポイントへの送迎を行っている。

 

ジギング、という釣り方がある。

 

ジグという魚型の金属の疑似餌を使い、これを上手く動かして魚に針を喰わせる。

ジグの操作に必要なテクニックとスポーツ性、そして釣果の高さで近年人気になっている釣り方だ。

 

満潮は大潮とともに、軽トラの荷台にジギング竿とクーラーボックスをのせると、ジャンケンをした。

勝った大潮が助手席、負けた満潮は荷台に乗る。

 

この田舎の漁師町、軽トラの荷台に1人乗っていても止める警察官などいない。

都会の警察官だと、道交法に貨物看守のための荷台乗車の例外規定があるのを知らなかったりするが。

 

それに、湾奥の河口までは漁港を挟んで1Kmほどしか離れていない。

漁港をグルッと迂回して、湾に注ぐ川の河口へと出る。

 

河口の防潮堤前の砂浜で、五十鈴と名取とウォースパイトが竿を握っている。

投げ入れている方向や距離から、五十鈴は砂場のヒラメ狙いで、名取とウォースパイトは湾内の岩礁域に根付いているアイナメやクロソイを狙っているようだ。

 

 

「大潮もアゲアゲで参ります! いっきますよぉ~!」

大潮はカレイを狙っているのか、遠投でジグを深場へと投げ入れる。

 

「こっちは近場狙いなんだから、静かにしてよね」

満潮は五十鈴に習い、砂場のヒラメを狙うことにした。

 

ジギングもルアーフィッシングの一種。

狙う対象となる魚によって、適した大きさと形のジグを選び、その魚の興味を引く動きをさせなければならない。

 

といっても、ヒラメのジギング釣りは運の要素が大きく、ヒラメの頭上をジグが通過しないことにはほとんど喰ってくれず、ヒラメが興味を示すようなジグの動きというのは……。

 

「来たっ!」

アタリがあり、満潮はリールを回すが、表情はさえない。

 

「ああ……マゴチだわ」

 

マゴチはカサゴの仲間だが平べったく、ヒラメと同様に砂地に生息し、エビや小魚を捕食している。

白身の高級魚で味もいいから釣れて嬉しくないわけではないが、やはり「釣った」という実感はなく、どこか「邪魔された」という気がしてしまう。

 

マゴチを〆てクーラーボックスに入れたら、気を取り直してジギングを再開。

そういえば名取は最初、餌の虫に触れなかったり魚が〆られずに泣いていたが、今ではブリやタラの解体もできるぐらいに、立派な軽巡洋艦らしく(?)成長した。

 

姉の五十鈴は、ハイパーズを除くと軽巡洋艦初のケッコン艦娘で、防空から対潜、登山の引率から船頭まで駆逐艦を率いてくれる頼もしいリーダーだ。

 

「満潮ちゃん、水温が低いみたいだから、ジギングなら深場でカレイ狙いの方がいいかも……」

「うん、そうね。私もマハゼを餌にして1尾は釣れたけど、他はマゴチとスズキばっかり」

 

「分かった。昼までやってダメなら、カレイに切り替えるわ」

名取と五十鈴のアドバイスを受け、満潮もヒラメ釣りの断念を早々に検討し始める。

 

もともと夜行性で、冷たい水温下ではさらに活動が鈍るヒラメ。

疑似餌の動きだけで注意を引いて喰いつかせるジギング釣りには、環境が悪過ぎるかもしれない。

 

「そーれ、どっかーん!」

大潮が、マコガレイを釣り上げた。

マコガレイの他にも、マガレイにナメタガレイ、複数種を同時に狙えるカレイ釣りの方がいいか……。

 

「き、来てます、リールを巻いて、そこで竿を上げてっ!」

「Yes,I get it!」

初心者のウォースパイトには、名取が教えているようだ。

 

雑食のアイナメは貪欲にエサに喰いついてくるし、クロソイはメバル属の魚のうち沿岸に棲み体色が黒いもの(一番美味しいと言われている)のことで、他のメバル属の仲間も同時に複数狙えるので、面白いように釣れている。

 

 

湾内のあちこちにあるワカメの養殖棚には、数人乗りの小さな漁船が取り付き、刈り取りの作業をしている。

 

そちらの方から、水着姿の潜水艦娘、ゴーヤこと伊‐58と、ローちゃんこと呂‐500が泳いでやって来た。

 

「潜れない可哀想な水上艦に、ウニを恵んでやるでち」

 

ここの鎮守府の潜水艦娘たちは、養殖ワカメを食べて穴を開けてしまうウニやアワビを捕獲駆除し、お礼にそのウニやアワビをもらってくる。

 

「さっさと寄こしなさい。爆雷喰らわせるわよ」

「オリョールのリ級ごときにやられるようなオンボロ軽巡がすごんでも、まったく怖くないでち」

 

五十鈴とゴーヤは、いつも口喧嘩しながらもなぜか仲が良い。

 

「ローちゃん、後で釣りもしたいですって。はい」

「Tha……Thank You」

 

ローちゃんからウニをもらいながらも、少し身構えているウォースパイト。

Uボートへの苦手意識は、イギリス艦であるウォースパイトにとって、まだ完全に払拭できていないらしい。

 

 

先日、提督がプチ家出をした。

 

“稀によくある”ことなので、満潮などはまったく気にしないが、朝潮や潮などのように心配症の艦娘や、ウォースパイトなど鎮守府に来てまだ日が浅い新参の艦娘たちは不安がっていた。

 

2015年の夏、当時の大規模作戦、第二次SN作戦を終了させて疲れた提督が、フラッと京都の(はも)を食べたくなり、黙って鎮守府を出て旅に出たことがある。

 

あの時の鎮守府のパニック。

たった8時間後の提督の電話まで、艦娘たちは「捨てられたのではないか」と絶望に包まれた。

満潮も、ガラにもなく半ベソで裏山で遭難していないか、提督を探しに行ってしまった。

 

その時は提督も帰って来てから全員に大いに謝り、二度と黙って居なくならないと誓ったが……。

 

だから毎回、プチ家出などのトラブルがあった後には、もう心配はいらないよ、という証でこういったイベント事が開かれ、夜は宴会になるのが通例だ。

 

ご近所さんに平常運転をアピールする狙いもあるし、副産物として、普段は任務などで一緒にならない艦娘同士の新たな交流のきっかけにもなる。

 

(そういう気配りできるんだったら、最初っから面倒起こさなきゃいいのに。本当にバカな司令官……)

 

ゴーヤからもらったウニを割り、オレンジ色の鮮やかな身を指ですくう。

口いっぱいに広がる、磯の香りととろける濃厚な甘味。

 

「Oh! So,good!!」

「喜んでもらえて、ローちゃんも嬉しいって!」

 

ウォースパイトとローちゃんも、打ち解けてきている。

そういえば満潮自身も、いつの間にか第八駆逐隊の仲間以外とも普通に話したり遊んだりするようになっていた。

 

 

「みんなー、お昼ご飯持ってきたよー」

提督が軽自動車で、昼食を届けに来た。

 

「はい、満潮」

「どうも」

竿を収めてクーラーボックスに座っていると、プラスチックの丼を渡される。

中は鶏のチリソース丼。

 

「…………ありがと」

大潮に丼を渡しにいく提督の背中に、ギリギリ届く小さな声で感謝の言葉を伝える。

 

真っ赤なチリソースに、万能ねぎの緑が栄える鶏チリ丼。

 

下味と片栗粉をつけて焼かれた鶏胸肉は、柔らかくてジューシー。

 

鎮守府で主に仕入れている鶏は、県内の清流が流れる山里の村で、広葉樹の樹液と海藻粉末を加えた飼料で育てられている。

生臭さがなく、コクが強い良質の鶏肉だ。

 

豆板醤をベースにしたピリ辛のチリソースだが、舌に痛いというほどのことはなく、奥にケチャップと蜂蜜の甘味も感じられる。

 

ご飯によく合う味付けだ。

 

今日の提督は朝から、鳳翔さんとずっとみんなの昼食の仕込みを行っていた。

 

この分なら、本当にきちんと仲直りしたのだろう。

 

(まったく、心配かけるんじゃないわよ。でも……良かった)

 

大切な家族が元通りになったことを確認し、満潮は嬉しげな表情で鶏チリ丼を食べるのだった。


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