ある鎮守府のエンゲル係数   作:ねこまんま提督

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吹雪とモツ煮込み

鎮守府庁舎の2階に上がると、階段の前には給湯室とトイレ、6畳の休憩室がある。

その右手、建物の陸側の奥には、会議室と無線室。

そして左手の海側には、漁協の組合長室を流用した提督の執務室がある。

 

コンコンと、半開きになっているベニヤ板製の安物ドアを軽くノックし、装備改修の報告のために明石は執務室に入ろうとしたが……。

 

提督の執務室は、たくさんの艦娘と重苦しい雰囲気で埋められていた。

 

「あっ」

明石は、提督の背後の壁に掛けられた図上演習セットが、沖ノ島沖のものであるのを見て察する。

 

ここ数日間、沖ノ島沖に戦闘哨戒に出撃した艦隊はことごとく、同島北西に展開する深海棲艦隊が形成した闇のような空間に引きずりこまれて夜戦にいたり、大破する艦が続出していた。

 

今日は妙高型四姉妹の第五戦隊と利根、筑摩姉妹という、全員第二改装までしている非常に強力なメンバーで挑んでいたのだが、室内の重い空気からして、また大破撤退となったらしい。

 

さらに……。

 

「北周りのルートは諦め、南から戦艦と正規空母主体で攻めよう。この長門が必ず敵を殲滅してみせる!」

「一航戦、いつでも出られます」

「あぁ……あの海域ですか? 鎧袖一触です」

 

「いや、それだと資材を使いすぎる。中央突破だ。大丈夫だ、俺を信じろ」

「提督さんのためなら、夕立まだまだ戦えるっぽい!」

「艦隊の防空は僕に任せろ、心配するな」

 

「私の計算では、次は北ルートでも敵主力まで到達できます」

「提督がもう一度……三隈を選んでくれるなら、活躍できます。入渠中のモガミンも、きっとそう思ってますわ」

「おぉ、目が冴えてきた。力がみなぎってきたよ!」

 

作戦修正を巡って、様々な意見が対立しているらしい。

 

 

「提督、装備の改修が終わりました。吹雪ちゃんに手伝ってもらって、61cm三連装酸素魚雷の雷撃力が増加しましたよ」

「ああ、ありがとう」

 

一応、明石が吉報を伝えるが、提督は力なく答えるだけだ。

 

「ここは譲れません」

「赤城や加賀に負けないかなって……そりゃ~無理か~…あははははは……」

「提督、ぜひ四戦隊に名誉挽回の機会をください」

 

「司令官、どうかしましたか?」

 

明石に続いて執務室に入ったきた、今日の秘書艦である吹雪が尋ねると、ワイワイと論争を続ける艦娘たちの合間から提督はそっと顔を出した。

 

「お腹が空いた」

 

悲しげなか細い声でつぶやく。

 

またもや大破撤退となり、さらに様々な意見を突きつけられて、もともと豆腐のように脆い提督のメンタルが、ついにグッチャリ潰れたのだろう。

 

「お昼にしましょう、司令官!」

 

初期艦であり、素の提督を最もよく知る吹雪は、こういう状態になった提督が猫より役に立たないのを熟知している。

 

「美味しいものを食べてから、また考えましょう。皆さん、いったん解散でお願いします!」

 

 

吹雪は提督を引っ張るようにして、大食堂にやってきた。

吹雪と提督は周囲の艦娘に挨拶しながら食堂の奥に進み、窓際の席に着く。

昼食は注文方式なので、とりあえず日替わりのメニュー表を確認。

 

「司令官は何にしますか?」

「うーん……」

 

メニューを追う提督の目が、吹雪が見ているのと同じところで止まった。

 

「「モツ煮込み定食」」

 

2人の声がピタリとハモる。

 

「それじゃあ私、注文してきますね」

 

間宮のいるカウンターに注文に行く吹雪。

吹雪が勢いよく立ち上がったため、スカートがめくれて何か白いものが提督の目に入った。

 

慌てて目を背けながら、提督は吹雪と初めて対面した日を思い出していた。

(あの日の吹雪も敬礼しながら、風でスカートがめくれてたっけ……)

 

やがて吹雪が、水の入ったアクリルのコップを2つ持って戻ってきた。

 

「吹雪、初めて建造をしたときのこと覚えてるかい?」

「司令官が資材を全部つぎ込んじゃったから、せっかく初雪ちゃんを建造できたのに、しばらく出撃も何もできませんでしたよね」

 

吹雪が楽しげに笑う。

吹雪と初雪、そして「はじめての編成」任務のご褒美に、妖精さんが召喚してくれた白雪。

提督と4人で、今と比べれば狭いとはいえ、元旅館だった広い寮の掃除に明け暮れていた。

 

「それから初めての出撃で、湾を封鎖していたイ級を撃沈したとき、深雪を見つけて……」

「あの時、中破した私を見て、提督ってばすごく慌ててましたね」

「当たり前だよ。こんな小さな女の子が、服も艤装もボロボロにして帰って来たんだから」

 

「人間と違って、憑代である艤装が完全に壊れるまでは、艤装がダメージや熱を吸収して体の方には傷がつかないから平気だって、ちゃんと説明しようとしてるのに」

「あの時はすまなかった」

「話も聞かず、私の服を脱がそうとするんですもん」

 

「本当にごめん、って」

 

てっきり吹雪が大ケガをしていると勘違いした提督は、大淀から入渠施設と聞いてた霊薬のお風呂に、吹雪を慌てて放り込もうとしたのだ。

 

実際のところ、吹雪が言うように艦娘の身体自体には傷はないし、霊薬の風呂は深海棲艦の攻撃で受けた穢れを禊ぎ落とすためのもので、艤装の傷は工廠で修理するしかないのだが。

 

「まったく、僕は何もかも分からないまま、提督になってしまったからなあ」

 

提督になる条件は、たった一つ。

資格も経験も学歴も年齢も性別も、国籍どころか人間かどうかすら関係ない。

 

妖精さんに選ばれることだけ。

 

ここの提督も、ある日突然部屋の中に現れた妖精さんにチョコをあげてみたら、提督として選ばれてしまった民間人だ。

深海棲艦や艦娘のことをよく知らないままにだ。

 

「でも、あの時決めたんだよ。提督としては未熟な僕だけど、がんばる艦娘たちのために、少しでもたくさん楽しい生活を送らせてあげられるよう、鎮守府をみんなが帰るべき家にしようって」

 

「はい、この鎮守府での生活は、とっても楽しいです。あ、モツ煮込み定食、できたみたいですよ司令官」

 

 

トレイに載って出てきたのは、大きな深い器に盛られた、たっぷりの牛のモツ煮込みと、丼に大盛りのご飯。

さらに間宮手作りの、なめらかな豆腐の冷奴と、白菜と茄子の漬け物の小皿がつく。

 

まず吹雪は、レンゲでモツ煮込みのスープをすすった。

味噌をベースとしながらも、醤油の風味も色濃く、その配分からくる後味が絶妙だ。

 

週末に寮内で居酒屋を開く鳳翔の店でも、モツ煮込みは冬の看板メニューだ。

鳳翔の豚モツ煮込みは濃厚で甘辛い味噌味で、酒を飲めない艦娘でもご飯がすすむと評判だが、あくまでも基本は酒のツマミとして濃い目に味付けされている。

 

こちらのモツ煮込みは、昼食として米との相性を追求したのだろう。

じんわりと心に染み渡るような優しい味だ。

 

そしてもう一つ、鳳翔の豚モツ煮込みと異なるのは、メインとなっているのがトロトロに煮込まれた、大きな牛すじ肉だということ。

口の中でホロホロにとろけ、ご飯との相性が抜群なのも、昼食向けとした間宮の策だろう。

 

「ビールの合間にチビチビやる鳳翔のモツ煮込みも絶品だけど、これとご飯の組み合わせは箸が止まらなくなるね」

 

提督の言葉に、吹雪もうんうんとうなずく。

 

プルプルで甘味のある白モツと、脂ののった牛の第四胃ギアラが、それぞれ別の角度から牛モツ肉の魅力をアピールしてくる。

モツ肉の合間に浮かぶ、たっぷりと旨味をすった、ごぼう、人参、大根、コンニャクも、ご飯の友として絶大な威力を発揮する。

 

時々、冷奴と漬物で舌をリフレッシュしながら、ひたすらモツ肉と根野菜とコンニャクを、甘く熱々の米とともに口に運ぶ。

しばし無言で、提督と吹雪はモツ煮込み定食を食べすすめた。

 

「ご飯、おかわりしてこようかな」

「それじゃあ私、お水くんできますんで、私の分もお願いします」

「もちろん」

 

おかわりご飯を武器にモツ煮込みをさらに食べすすめ、最後はモツ煮込みの汁をご飯にかけて、渾然とした全ての旨さを口に放り込む。

 

提督と吹雪は、身も心も温かくなり、ただ満足しきって水を飲んでいた。

 

「ありがとう、吹雪」

「はい」

「執務室に帰ったら、みんなを集めて作戦を立て直そう」

「はい!」

 

2人の間に、それ以上の言葉は必要なかった。

 

 

 

【吹雪のひとりごと】

 

あの後、司令官はみんなの主張をグループ分けして3つの攻略部隊を編成し、それぞれのリーダーにくじ引きさせることに決めました。

 

くじ引きの順番で出撃し、どのグループが攻略成功しても恨みっこなし。

鎮守府全体で祝勝会を開くことを発表しました。

 

くじ引きで最後を引いてしまった木曽さんは最初は悔しそうだったけれど、今は楽しそうにまるゆちゃんと祝勝会用の野菜の皮むきをしながら、先行組の結果報告を待っています。

 

とっても、この鎮守府らしいやり方だと思います。

司令官、この鎮守府での生活は、本当にすごく楽しいですよ。

 

司令官も艦娘のみんなも大切な家族で、この鎮守府は私達の帰るべき家です。

 

 

 

だけど、司令官は知らないでしょうが、お水を汲みに行ったときに……。

艦娘たちの一部で噂される『正妻戦争』の一端を垣間見てしまいました。

 

涼しげな顔をしつつも物凄いオーラを漂わせて間宮さんのモツ煮込みを食べていた鳳翔さん。

そんな鳳翔さんをニコニコ見つめながらも同じぐらい強烈なオーラを発していた間宮さん。

 

鳳翔さんの隣の席でハンバーグランチを食べていた、初雪ちゃんの(もうヤダ……帰りたい)という心の声が確かに聞こえた気がします。

あの青葉さんでさえ、冷や汗をかきながら窓の外に視線を逃がしていました。

 

司令官、次に鳳翔さんの居酒屋に行く時は気をつけてくださいね……。

あまりに鈍感すぎると、不意に爆撃の嵐に襲われるかもしれませんよ?




ついに冬イベが始まりましたね。
提督の皆さん、温かいものを食べて健康に気をつけながら、攻略がんばりましょう!
ちなみに作者自身は、ここの提督のような自然回復教徒にはなれない小心者です。

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