ある鎮守府のエンゲル係数   作:ねこまんま提督

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雲龍とウニ尽くし

2014年夏、深海棲艦の出現による大災厄から1年半。

 

深海棲艦の後を追うように発生して人類に味方を始めた妖精さんと、妖精さんの協力により顕現した艦娘の活躍により、ようやく生存圏の後退を押しとどめ、初期の混乱を脱した日本。

 

時の政府の圧力により、無謀な作戦が推し進められたのは記憶に新しい。

 

北方AL海域攻略という大規模陽動作戦を行いつつ、深海棲艦が潜む未知の異空間領域の真っただ中、MI海域に殴り込みをかけて大規模決戦を挑むという、AL/MI作戦である。

 

結果、作戦最終盤になり深海棲艦の別働隊が本土近海に来襲、作戦は中止となった。

暗号を解読し、鎮守府側の動きを読んでいた深海棲艦勢が、人類の裏をかいてきたのだ。

 

おかげで口うるさかった内閣は総辞職となり、庁扱いだった海軍は省に昇格し、本部も軍令部として権限が強化された。

 

あれ以来、海軍と各鎮守府の独立性がより高まり、鎮守府運営がやりやすくなったのは確かだが、そういう結果論がまかり通るのは、深海棲艦の別働隊の本土近海での迎撃に成功したおかげである。

 

そして、本土近海防衛戦の最大の功労者の一人が……ここの、のほほん鎮守府の提督だった。

 

 

当時、ほぼ全ての鎮守府は、AL/MI作戦に持てうる限りの戦力を投入しているか、まだ発展途上で未熟であり、本土近海に接近した深海棲艦の組織的大攻勢を跳ね返せる余力がなかった。

 

例外的に戦力を本土に残存させていたのは、AL/MI作戦に当初から反対し、断固としてボイコットを決め込んだ頑固な老“犬”提督の率いる舞鶴鎮守府と……。

 

本部のある東京への出張時に食べた生レバーからO-157に感染し、悶絶して作戦参加を放棄していた、食い意地の張った提督の鎮守府だけだった。

 

人類の灯火は、一匹の聡明な犬と、一人の食中毒患者によって守られたのだ。

 

軍令部への組織昇格作業に忙殺されながら、本部の幹部官僚たちは頭を抱えた。

 

海軍の功績を大々的に国民にアピールし、世論を背景に権限をより強化するため、どうしても「英雄」が必要だった。

 

しかし、妖精さんに選ばれた者とはいえ、犬の英断が日本を救ったなどと言うのは、いかがなものか。

 

そこで渋々、本当に渋々、軍令部総長は苦虫を1ダース噛み潰したような顔で、ベッドに横たわるマヌケな食中毒患者(公式発表では深海棲艦との近接戦による名誉の戦傷)の胸に、当時最高の勲章を授与した。

 

すぐに後悔したのか、数日後にはより高位の勲章を制定して、横須賀提督と呉提督に授与し、準国営放送や大手マスコミ、電○、博○堂の力を駆使して「日本の鎮守府の顔」として大々的に宣伝し、ここの居眠りする猫のようなマヌケ面提督のことは黒歴史化しようとしてきたが……。

 

 

ところで、ベロ毒素に苦しみながら点滴を受けていた提督自身は、深海棲艦の本土来襲について、おぼろげにしか覚えていない。

 

指揮を執った記憶は全然ない。

 

「提督は立派だった。悶え苦しみながらも、私に常に適確な指示を出し続けておられた。うん、私と提督は以心伝心、心が繋がっているからな。なに、言葉など不要だ」

 

目を泳がせながらそう言った長門が、代わりに全ての命令を出してくれていたのだ。

 

さらに長門は余力を使って、AL/MI海域で新たに発見されたという艦娘たち、春雨、時津風、磯風、早霜、清霜の捜索までしてくれていた。

 

あまりにも至れり尽くせりで、最後に雲龍を探し出すのに大変な苦労をしていなかったら、提督はその後も長門に任せっきりのダメ人間になっていたかもしれない。

 

(現在でもちょくちょく、長門に指揮を任せて遊び歩いているので、けっこうダメではあるが……)。

 

 

そんなことを考えながら、今日の秘書官である雲龍を見ていたら、その視線に気付いた雲龍が提督に近づいてきて、たわわな胸を押し当ててきた。

 

「何ですか? 色々してほしいの?」

 

艦隊内でも上位にくる豊満なバストの持ち主で、露出の多い服装の雲龍。

しかも性格が雲のようにつかみどころがなく、身構える間なく突然こういう意外な誘惑をしてくるので、提督もとっさの対応に困る。

 

「も、もう夕飯の時間だね、執務は終わりにしようか」

「そう……」

少し残念そうな表情を見せる雲龍をやんわりと押し放し、提督は立ち上がろうとして……。

 

「あ、ウニ!」

提督の食欲センサーがピコンと反応し、今一番食べたいものを告げていた。

 

 

終業と同時に食堂には寄らず、雲龍とともに鳳翔の居酒屋へとやって来る。

 

「あら、今日はお早いんですね」

仕込みを行っていた鳳翔が顔を上げる。

 

客の入りもまだで、カウンターには手伝いの目印のエプロンをつけた大鯨がいるだけだ。

 

「うん。ウニが食べたいんだけど、あるかな?」

「ちょうど、潜水艦の子たちがたくさん獲ってきてくれたんですよ」

大鯨が厨房の方を指すと、そこには網籠に大量の殻付きウニが並べられていた。

 

「こちらで少し待っていてくださいね。カワハギの細作りです」

鳳翔がお通しと日本酒を出してくれる。

 

細切りにしたカワハギの刺身の束に、醤油とワサビ、そしてカワハギの肝を和えた細作り。

「海のフォアグラ」とか「カワハギは肝から食べろ」などとも言われる珍味、肝の濃厚な味が淡白な刺身にからみついて口に入ってくる。

 

鳳翔が選んでくれた日本酒は少し冷やしてあり、おだやかな香りとまろやかな口当たりで、主張しすぎず飲み飽きしないものだった。

 

「まずはこれを、ヤリイカの松笠焼きです」

ウニと頼んだのに、鳳翔が出してきたのは、松の実のように包丁を入れて炙られたヤリイカの切り身。

 

不思議そうな顔をする雲龍に、提督は説明した。

 

「ヤリイカは味が淡白すぎるから、タレを塗って焼くことがあるんだ」

「はい、ウニをすり潰して、卵黄とお酒、みりんでのばしたタレを塗って炙りました」

 

淡くも炙られて甘味が増したヤリイカの土台に、濃厚なウニの香りと卵黄のコクがのっかる。

 

 

続けて、大鯨が小さな陶製の炭火コンロに金網をのせて出してくれた。

そこに鳳翔がのせてくれるのは、アワビの貝殻を器にした、たっぷりのウニの剥き身。

 

「焼けるまで、つなぎにタラの昆布締めをどうぞ。お酒も替えますね」

 

あっさりとしつつもコクがあるのに、さらに昆布の旨味を吸収し、味わいが増したタラの刺身。

合わせられた日本酒は、さらりと柔らかい口当たりに上品な甘味の、この地方の地酒。

 

「ウニは、生のものを海胆、手を加えたものを雲丹って書くんだよ」

提督がウンチクを披露する。

 

「さすが鳳翔さん。僕の食べたいのが雲丹の方だとすぐ分かってくれた」

「提督のことですから、雲龍の名前から雲丹を連想したんだと、すぐ分かりました」

 

鳳翔の指摘に苦笑しながらも、提督は焼きあがってきたウニを雲龍に取り分けてあげる。

 

「う……ん、美味しい」

それを口にした雲龍が顔をほころばせる、クセのない磯の香りと、凝縮された旨味。

 

雲龍が提督の左手に、そっと自分の左手を添える。

その薬指には、もちろん指輪の輝きが……。

 

「私も鳳翔さんのように、ずっと提督の隣にいますから。大丈夫です」

言いつつ、提督の左腕を自分の胸元の深い谷間に運ぶ雲龍。

 

「提督、続きを頂く前に、お風呂は?」

「あ、ああ……そうだね」

鳳翔の刺すような視線を感じつつ、提督が答えると……。

 

「今日“も”執務室の温泉に行きません?」

「……っ、ん!」

雲龍の言葉に、提督が思わずむせる。

 

建築妖精さんが作ってくれた、執務室に出現する温泉岩風呂。

混浴というか、2人用というか……。

 

「……どうぞ? 美味しいウニご飯を炊いてますけど、まだまだ時間がかかりますから。ゆっくり……温泉に入ってらしてください、ね?」

 

穏やかながら、重圧のかかる鳳翔の言葉に首をすくめながら、提督はちょっと前のクレジットカードのCMにあった、人生の選択のカードを思い出すのだった。

 

「開き直る」

「言い訳」

「逃げる」

「あきらめる」

 

どうする、提督?


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