ある鎮守府のエンゲル係数   作:ねこまんま提督

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曙と釣り船料理

鎮守府の目の前に広がる湾の先端、東の半島からゆっくりと日が昇ってくる。

淡い黄色に染まっていく空の下、穴を開けた灯油缶で焚き火をする「手あぶり」で暖をとりながら、F作業の準備にいそしむのは、阿武隈率いる第一水雷戦隊の面々。

 

第六駆逐隊の、暁、響、雷、電。

第十七駆逐隊の、浦風、谷風、磯風、浜風。

第二七駆逐隊の、白露、時雨。

 

そして提督(仕事はいいのか)と、秋刀魚漁からドハマリし、非番の日にもF作業(要するに釣り)に同行するようになった曙。

 

ほとんどの艦娘がいつものごとく、鎮守府で配っているエンジ色のジャージ姿とゴム長靴の上に、厚手のオレンジ蛍光色の防水防寒ブルゾンという実習スタイルだが、曙だけは本格的な釣りウェアに身を包んでいる。

 

一水戦の残り、初春たち第二一駆逐隊は朝食後、長距離練習航海と称して伊豆半島沖にアオリイカを釣りに行く予定だ。

 

 

ドルルゥルッと、低い不安定なエンジン音が響く。

 

この鎮守府が誇るレストア漁船「ぷかぷか丸」。

岸壁に係留されていたのを、阿武隈が操船してきて桟橋へと横付けした。

 

みんなでリレーして釣り道具や食糧、炊飯器を積み込み、焚き火の火に気をつけながら「手あぶり」を船に移して、全員船に乗り込む。

 

今日は朝食前から出船しマダラ釣りの予定だ。

 

穏やかな朝の潮風に吹かれながら、「ぷかぷか丸」が湾内をゆっくり進んでいく。

頭上には舞い飛ぶ海鳥の鳴き声。

 

そんな中で食べるおにぎりは最高だ。

定番の塩鮭と、ネギマヨをつけた唐揚げ、そして野沢菜を混ぜ込んだ俵にぎりの三種類。

 

包装は海に落としても汚染しないようにと竹皮を使っているが、エコばかりでなく見た目も美しく、天然の抗菌性と通気性にも優れるメリットがある。

 

おにぎりを食べ終えた頃、最初のポイントへ船が近づいてきた。

 

駆逐艦娘たちが釣竿の準備をはじめ、提督は操舵室に入って、まだ朝食をとっていない阿武隈に、おにぎりの包みを渡した。

 

「ありがとう」

「舵は浜風に見てもらうから、食べちゃいな」

「うん」

 

提督は船舶免許を持っていない上に、ひどい平衡感覚音痴なので操船はできない。

今も悪気や下心はないのだろうが、横揺れに倒れかけて、浜風の腰にしがみついている。

 

(駆逐艦より、軽巡の方が凌波性がいいんだから、あたしにつかまればいいのに……)

情けない提督の姿を見ながら、阿武隈は朝食のおにぎりを口に押し込んだ。

 

 

「零式水中聴音機に感あり。静粛航行にて接近します」

浜風が魚群を感知し、ポイントを決定してエンジンの回転を落とす。

 

珍しく提督が「戦果稼ぎ」をした時に本部から報酬でもらった装備だが、そもそも対潜攻撃に向かない大型艦用のソナーという使い所の難しい装備であり、普段は「ぷかぷか丸」の専用装備と化している。

 

シーアンカー(水中で開くパラシュートのような、イカリの一種)が落とされ、エンジンが切られる。

 

ポイントに到着し停船すると、それぞれ仕掛けを準備しながら待つ。

 

「目標海底、水深180メートル。潮流遅め、準備いいですかー?」

情報を伝達しつつ、船頭役の阿武隈が全員の準備を確認する。

 

「皆さーん、投下してくださーい!」

阿武隈の合図で一斉に仕掛けを海中に軽く投げ入れていく。

 

タイミングを外すと、他人の糸と絡まったり、せっかく食いに来ている魚を驚かせて逃がしてしまうおそれが増えるからだ。

 

今日のターゲットであるマダラは大型の冷水性魚で、通常は水深200メートル以上の深海に生息しているが、この時期は産卵のためにより浅い海底へと接岸してくる。

 

深海竿を使い、複数の針にサンマやサバ、イカなどのエサをつけ、オモリを海底に着底させて波に揺れる船の上下の浮き沈みに合わせて海底をオモリでトントンと叩きながら、エサをヒラヒラと揺らしてアタリを待つ。

 

提督は……軽い船酔いにおちいり、雷に膝枕されて「私がついてるじゃない」と介抱されている。

 

普段ならそんな姿を見れば「クソ提督、だらしないのよっ!」とか罵声を浴びせる曙だが、今はオモリを動かすのに熱中していて脇目もふらない。

 

単にボーッと待っていては、良い釣果は期待できない。

小魚にエサをとられていないか、海底の状態がどうなっているのか、鋭敏な感覚と想像力が必要となる。

 

アタリが来たら、すかさず糸を追加で送り出して海底を這わせながら、他のマダラにも別の針のエサを「追い食い」させるのがセオリーだが、すでに海底いっぱいまでオモリが沈下している状態での送り出しは海底の岩や障害物に引っかかる、根掛かりのリスクもある。

 

(なお、この鎮守府では海底にオモリを残してしまった際の環境への配慮から、鉛のオモリは使用せず、鉄のオモリを使用しています)

 

投げ入れと違い、引き上げのタイミングは各自の判断。

次の追い食いを狙うか、この一尾を確実に釣り上げるか。

 

 

「やったー! 白露、イッチバーン!」

真っ先にアタリが来たのは白露。

 

「むっ、これは大きい」

続けてアタリがきた響が、大物と判断して即座にリールを巻き上げる。

 

「はわわっ、こっちも……でももう少し待つのです」

「こっち側、群れが来てるわよ! 雷、雷のも引いてる! 早く戻って!」

 

「ボクのも食ったけど、これは……違う小さな魚かな? でも、とにかく送り出してみる」

 

「ぷかぷか丸」の左舷、第六駆逐隊と白露、時雨が竿をたらす側で次々とアタリが続く。

一方、第十七駆と曙のいる右舷には、なかなかアタリがこない。

 

だが、焦りは禁物。

この船の下に魚群がいることは確かなのだ。

 

「ほら来た」

曙の竿にもアタリがくるが、反応の小ささからメバル類だと判断する。

 

「当然、倍プッシュよ!」

曙はあくまでもマダラを狙い、続行を決定する。

 

「響ちゃんが、70Cm級のマダラをあげましたー!」

左舷から歓声とともに、阿武隈の声が届く。

 

と、曙のところに強烈な魚信がきた。

ガツンという腕をとられるような力強い引きは、マダラに違いない。

 

猛烈に抵抗するマダラを、リズミカルにリールを巻き上げて海面へと引きずり上げる。

 

「こっち、ギャフお願いしまーす」

「うん、いつでも上げていいよ」

 

曙は阿武隈に声をかけたつもりだったが、船酔いで青白い顔をした提督が、ヨロヨロしながらもギャフを持ってきてくれた。

 

ギャフとは、網で取り込めないような大型の魚などを引っかけて船上に上げるための、鉤爪のついた棒だ。

 

水面下に白い魚影が見え、さらにリールを巻き上げると、フッと重みが消え……。

ボンッと海面に浮き上がる、1メートル近い巨大なマダラ。

これぞ大物釣りの醍醐味。

 

「やったね、曙」

「どうよ、クソ提督っ♪」

提督がギャフで曙の釣ったマダラを引き上げる。

 

鋭い歯に気をつけて針を外したら、すぐさまエラにナイフを入れ、血抜きをして〆る。

そして海水氷を張ったイケスに入れれば、網漁で捕れて放置されたようなものより、ぐっと鮮度良く味が保たれる。

 

 

 

この日、昼近くに雲がかかり天候が傾いてくるまでポイントを変えながら数投した結果、大型のマダラが12尾と、中型マダラが10尾釣れた。

 

外道では、メバル類が48尾と、アイナメが17尾、カサゴが3尾。

 

釣り上げた総数では磯風がトップだったが、最大のマダラは曙が最初に上げた92Cmのものだった。

 

料理を始めたら途端に元気になった提督が、メバル類を簡単にさばいて煮つけを作ると、船上に良い匂いが広がった。

 

あっさりとしながらも、うっすら甘味がのったメバル類の白身に、はっきりした味付けの甘辛い汁がよく絡む。

 

釣りたてで身がぷりぷりのカサゴは、薄造りの刺身にしてポン酢でいただく。

 

あとはビンに入れて持参した、ふきのとうの味噌和えだけで、業務用2升炊きの炊飯器で炊いた米が、きれいに無くなってしまった。

 

海原の上で食べる陸の恵みも贅沢だ。

 

 

提督が食器などの後始末をしていると、そっと横に曙がやって来た。

 

「あの……それ、半分やるから貸しなさいよ」

「ありがとう、曙」

「……べ、別に構わないし」

 

 

暁のオモリが根掛かりし、どうしても取れずに切断したり。

浦風と谷風が互いの糸をからませて、俗にいう「おまつり」になったり。

色んなトラブルもあった。

 

釣れたマダラは、クセがなく、あっさりとした味わいが特徴。

夜は冷えそうだから、玉ねぎとジャガイモと合わせて、グラタンの具にするのが良さそうだ。

 

鳳翔さんの居酒屋では、白子ポン酢が出せるだろう。

 

今日の釣りについて、帰った後の夕食について……。

にぎやかな談笑を乗せながら、「ぷかぷか丸」は母港を目指していった。


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