この鎮守府に協力してくれている妖精さんたちには、悪癖がある。
妖精さんたちの近くにある最新の機器類はすぐ壊れるという法則(グレムリン現象)だ。
そのため、この鎮守府には、パソコンがない。
本部から送られてきた1ダースのパソコンは、初日にただの箱と化した。
平成生まれには馴染みがないだろう、5インチフロッピーの98パソコンやワープロ専用機も試してみたが、やはり即日に壊れてしまった。
電卓も次々と壊れた。
ICチップがいけないのかと、トランジスタ式や真空管式の古いものに変えてみてもダメだった。
テレビは液晶はダメだが、ブラウン管のものなら艦娘寮でだけ映る。
トランジスタラジオは鎮守府全域で聞けないくせに、真空管ラジオと、なぜかICチップ搭載のデジタルオーディオは普通に使える(パソコンがないので意味半減だが)。
携帯電話やスマートフォンも、圏内のはずなのに使えない。
厨房機器はどこでも平気に使えるのだが、電子レンジだけは工廠でしか使えない。
意外なところではサイクロン掃除機も普通に稼動する。
ちなみに、鎮守府に一台だけある「ダ○ソン」のサイクロン掃除機は、2016年新春の提督懇親会の余興のビンゴの景品としてもらったものだが、この空気の読めない景品を用意した木更津提督は、戦艦棲姫にトラウマを植え付けられた周囲の提督からタコ殴りにされていた。
エアコンと洗濯機(ドラム式を除く)は艦娘寮でのみ使え、一方で電気カミソリや電動歯ブラシは単純なモーター式のものですら鎮守府内の全域で動かない。
LEDライトは電気を通した瞬間に破裂する。
ともかく、何が大丈夫で何が駄目なのか、どの場所なら大丈夫でどこでは駄目なのか、明確な一律の基準など存在しない。
苦い経験とジャンク品の山を積み重ねながら、ギリギリの線を探ってきたのが現在の状態だ。
さて、執務室にパソコンもワープロも電卓もないということは、全ての書類作成が手書きであり、全ての計算が人力であって、頼りの綱が算盤であることを意味する。
この鎮守府は設立以来、報告書の文字数の少なさと計算ミスの多さでは、全国三位以内を譲ったことがない。
計算の方はともかく文字数の少なさは、報告書に「特になし。」とか「昨日と同じ。」とか、小学校の連絡ノートにも通用しなさそうな文を、臆面もなく書ける提督の性質も関係しているが……。
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午後の8時を少し回った執務室。
しかし、明日の朝一で本部に郵送(ネット送信できないから)しなければならない年度の書類が、まだ完成していない。
「ったく…どんな計算してんのよ! 本っ当に迷惑だわ!」
今日の秘書官の霞に計算ミスを指摘され、提督は「ごめんねえ」と頭をかく。
まだ夕食はとっていない。
「何か、鳳翔さんとこに食べに行こうか?」
「はぁ!? ここで止めるつもり? だらしないったら!」
「ごめんなさい」
算盤を弾き、カリカリと書類にペンを走らせる音が室内に甦る。
「あと、どのぐらい残ってるかなあ?」
「三分の一は残ってるわよ、クズ司令官のせいでね!」
「ごめんね」
また、黙々と書類に取り掛かる二人。
「この収支計算、合ってるかな?」
提督が差し出した書類に、霞が目を走らせる。
「ふん、やればできるじゃない」
「良かった」
「毎週ちゃんと書いとけば、こんな苦労しないんだからね!?」
「はい……霞、ここのデータはあるかな?」
「あぁ情報を取るの? 待ってなさい。今、整理してあげるから」
時計は、すでに午後9時を回っている。
クゥ、と小さく霞のお腹が鳴る音が聞こえた。
「あ……何よ? ク、クズ司令官のせいだわ!」
「うん、ごめんね。霞」
提督は執務机の下のキャビネット型の冷蔵庫を開けて、ビニール袋とタッパを取り出した。
中に入っているのは、コッペパンとポテトサラダ。
「な、何よ?」
提督が制服のポケットに常備しているチタン製のキャンプ用万能ナイフの刃で、コッペパンに切れ目を入れてから万能ナイフの刃を収め、スプーン部分でポテトサラダを挟みはじめる。
ナイフ、スプーン、フォーク、缶切り、栓抜き、コルク抜きと、食に関する最低限の機能しかないが、シンプルなだけに頑強で各機能が使いやすい、明石が作ってくれた提督のお気に入りグッズだ。
「夜食だよ」
「まあ、お礼は言わないわ」
提督が差し出したパンを、そそくさとかじる霞。
ほんのりとした甘みはあるが、素朴なコッペパン。
間宮や伊良湖、海外艦娘が焼き上げたような、濃厚な風味や芳香はない。
いかにも平凡なコッペパン。
ポテトサラダも手作り感が漂う、野暮ったくて洗練されていない味。
美味しいことは美味しいのだが、間宮の作るそれのような抜群のバランス感や、鳳翔の作るそれのようなほっこりした優しい味、あるいは、マックスのクリーミーなポテトマッシュや、コマンダン・テストの本場パリ風のようなインパクトはない。
「これ……買ってきたパンで司令官が作ったんでしょ?」
「そうだよ。どうだった?」
「本当に普通ね。美味しくないわ」
「そうだよねぇ……」
提督が苦笑する。
だが、霞にも分からないことが一つ……。
「このポテトサラダの味は? クズ司令官でも、もっと美味しく作れたんじゃない?」
言いながら、霞は自分に嫌気がさした。
どうして素直に「前に司令官が作ってくれた、スパイシーなポテトサラダの方が美味しかった」と言えないのか。
ちっとも「美味しくない」なんて思っていない。
ただ「提督が本気で作ったら、もっと美味しいはず」と思っただけなのに、口をつく言葉は……。
「このポテトサラダね、僕が子供の頃に、うちの母親が作ってくれた味なんだ」
「えっ、あ……ご、ごめん……司令官……」
「いいんだよ、確かに塩気と酸味が全然足りなくて、ボケた味だもん」
「……っ、そうじゃ、なくて……ごめんなさい」
この艦隊で、霞と満潮だけが知っていた。
提督の母親は、提督が中学生の時に……。
自分の言葉を後悔し、下を向いて涙をこぼしそうになる霞の髪を、提督が撫でる。
「いいんだよ。霞だから食べて欲しかったんだ」
言いつつ、勝手に霞の膝に頭を預けてくる提督。
「霞ママ……」
「……この、クズ司令官。今度……あたしがポテトサラダ作ったげる」
「う、ん……」
「本当、だらしないったら」
安心しきった表情で寝息をたて始める提督の髪に触りながら、霞が優しくつぶやく。
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鎮守府の黎明期、提督はあきらかに霞のことを苦手にしていた。
「用があるなら目を見て言いなさいな!」
「ったく…どんな采配してんのよ、本っ当に迷惑だわ!」
「何度言わせんのよ、このクズ!」
「○ねばいいのに!」
言いたい放題だった自分のせいでもあると、今の霞は思う。
しかし、当時は提督に好かれたいとは露ほども思わなかったし、嫌われて結構と思っていた。
提督の艦娘への優しく寛容な態度も、艦娘に料理を作ってくれるのも、ただ上辺だけを取り繕っている軟弱者のパフォーマンスだと思っていた。
それが変わったのは……。
3年前、南方戦線を視察中の提督が戦艦レ級に襲われて遭難し、霞と満潮だけで朝まで提督を守り通した、あの無人島の一夜からだ。
ボンッ!
その夜のことを思い出した瞬間、霞の顔は瞬間湯沸かし器のように沸騰して赤くなった。
(誰かにしゃべったら沈めるから!)
霞と満潮の間で交わされた、今も守られている固い約束だ。
あの日から、霞は提督を守ることを誓い、提督の「ママ」になった。
「…冗談じゃないったら」
言いつつも、また提督の髪を優しく撫でてしまう。
ガンガンガンッ!と、安物のドアが激しくノックされる。
「Hey、提督ぅー! 何してるデース!?」
「榛名! お手伝いに参りました!」
「もう~! この私を放置するなんて、貴方も相当偉くなったものね! 書類作りとか付き合ってあげたっていいのよ!?」
「霞ちゃーん、足柄姉さんが手伝ってあげましょうかー?」
「満潮よ! まだ終わってないの!? 手伝ったげる、一応!」
「あいたっ!」
今にもドアを開けて乱入してきそうな気配を感じて、霞が提督を床に突き飛ばした。
「あーもう! バカばっかり!!」