珍しく、執務室の電話機が鳴った。
ダイヤル式の古い黒電話。
提督は受話器を取り、端的にこの鎮守府がある地名だけを伝える。
「横須賀です」
相手からも、聞き覚えのある女性の声で、鎮守府のある地名の返答がある。
「アカシア」
「……秘めた愛」
保安手順に則った、今月の花言葉による合言葉の確認を済ます。
「あなたから電話をくれるなんて珍しいですね」
「先生こそ、珍しく5-5に出撃しましたね」
横須賀の女性提督は、ここの提督の旧友である木更津提督(「雷ときのこ餃子」参照)の妹で、学生時代に家庭教師をしてあげたことがあるので、いまだに「先生」と呼んでくれる。
5-5とは、提督間でのサーモン海域北方の通称である。
「珍しく愚兄から電話があり、5-5の出撃計画を聞かれたかと思えば、直後に先生の艦隊が出撃。先生が戦果争いにやる気を出したのかと思えば、また引きこもる……少し不思議に思ったので、理由をお尋ねしてみようかと電話しました」
優れた戦果を挙げた提督には、本部である軍令部から特別な報酬が出る。
特に横須賀は、常に戦果首位を争っている強豪だ。
「戦果争いは一度でこりました。あんな忙しい毎日はごめんです」
「ではなぜ5-5に一度だけ? ご存知とは思いますが、勲章が欲しいなら5回撃破が必要ですよ」
難関海域の敵主力旗艦を一定数撃破することで、勲章も授与される。
この鎮守府に大和型を含む決戦艦隊を、複数回出撃させるような備蓄資源など無いが。
「そうですね……レ級の顔が久しぶりに見たくなっただけです」
「そうですか……はい、先生はお優しいですからね」
どうやら、艦娘におねだりされて出撃を許可したのを見抜かれたらしい。
「では、愚兄に横須賀の出撃計画を聞かせたのはなぜですか?」
「ううん……」
「潮汁」の話をしたくなったが、木更津提督との約束もある。
提督が口ごもるが……。
「……結構です。何か邪なものを察しました。後で制裁しておきます」
受話器の向こうで、ドブネズミを見るような目を、東京湾を挟んだ対岸の木更津に向ける、横須賀提督の姿が容易に想像できた。
「よく分かりますね」
「不本意ながら20年以上、あの汚物の妹をやっていますから」
心の中で、木更津提督に「ごめん」と誠意のない謝罪をしておいた。
「それでは失礼します。私と長電話をしていると先輩も困ったことになるでしょうから」
謎の言葉を残し、素っ気なく電話が切れた。
横須賀提督は高校と大学の後輩でもあり、ときどき「先輩」と昔の呼び方をしてくれる。
提督が受話器を戻した途端……。
「目を離さないでって言ったのにィー! 提督ぅー、何してるデース!?」
今日の秘書艦である金剛が怒っていた。
「何って、電話してたんだろ?」
「秘書艦の私を放っておいて、横須賀の提督と楽しそうに長電話なんて……ひどいデース!」
「いや、楽しそうだった? それに長くもないよ」
「提督にはそうじゃなくても、横須賀の提督にはきっと楽しくて長い時間だったネー!」
(金剛も意味不明なことを……。というか、よく横須賀が相手だって分かるな)
秘書艦といっても、今日は休日で特に出撃もなく、金剛は提督とずっとイチャイチャしてられると期待していたのだ。
そこに、この鎮守府の艦娘たちにとって「要注意人物」である横須賀提督から電話がかかってきたのだから、面白くないのは当然だ。
「じゃあ、お詫びにお昼はデートに連れてってあげるから」
「本当デスカー? すぐに行くネー!」
「ちょっと待って、まずはこれに着替えて。それからお弁当を買ってからね」
提督が差し出したのは、ジャージとジャンパー、そしてゴム長靴だった。
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休日は大食堂が休みになるので、提督や艦娘たちは自炊をする。
その自炊ついでに、文化祭感覚でお店を開く艦娘も多いのだ。
伊勢と日向が、ケバブ屋台を出していた。
焼いて吊るした大きな肉の塊を回転させ、ナイフでそぎ落とし、ピタパンに包んで野菜やソースと食べる。
食欲はそそられるが、これから向かう場所にはそぐわない。
瑞鶴が口笛吹きながら焼き鳥の屋台を出していて……。
赤城と駆逐艦たちが美味しそうに串を頬張っているが、加賀が冷たい視線を瑞鶴に向けている。
あそこに近寄るのは危険だ。
あきつ丸はおでん。
串に刺したりパックに入れたりして、持ち帰りもできるようだ。
だが、汁ものは持ち運びが難儀だ。
「あ、あれがいいかな」
提督は速吸がやっている、助六寿司の移動販売に目をつけた。
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弁当を買い終えると、提督は金剛を伴って、艦娘寮の裏山へとやって来た。
ここが温泉旅館だった頃に整備された、林道の散歩コースがあるのだ。
雪解けから間もないので、所々ぬかるんでいるが、歩き難いというほどではない。
木と土の匂いに囲まれ、なだらかな登りを歩いていく。
「これってデートじゃなくって、ただの林道点検デース!」
雪が積もる間は封鎖していた林道が、どこか痛んでいないか点検するのが早春の恒例行事だ。
15分ほど歩くと、湾を望める見晴らしのいい場所に小さな池があり、屋根とベンチがある休憩所がある。
ここが散歩コースの折り返し地点。
二又に分かれる道を下れば、旅館のプライベートビーチである海岸へと出る。
プライベートビーチと言うと聞こえはいいが、実際は砂利の磯場が300メートルほど続いているだけの海岸で、海水浴に適するのは夏の一時期に過ぎない。
それでも、バーベキューをしたり磯遊びをしたりと重宝している。
この海岸沿いを歩いて旅館へ戻る、30分ほどの道のりが散歩コース。
二又の道をさらに登ると、本格的なハイキングコースになる。
標高300メートルちょっとの小山だが、さらに頂上まで登るとなると提督の足では1時間はかかるし、この季節に軽装備では万が一のとき危険だ。
「今日はここまでにしよう。来月には、散歩コースは解禁していいかな」
「それじゃあ、休憩デスネー。お茶を出しマース」
魔法瓶に入れてきた温かいお茶を飲み、助六寿司を広げる。
稲荷寿司と、太巻き寿司の組み合わせ、助六寿司。
「ところで、どうして助六寿司って言うデース?」
「江戸時代の人気の歌舞伎の演目、助六所縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)のヒロインが、揚巻(あげまき)という花魁だからだよ。稲荷寿司の油揚げの揚と、太巻きの巻、合わせて揚巻」
「だったら、揚巻寿司デース」
「そこは江戸の人たちの教養ある洒落だと思うな。他には、太巻きの海苔を助六の頭のハチマキに見立てて助六と揚巻が一緒だから、という説もあるけど」
「私はそっちの方が好きデース。私と提督みたいに、いつも一緒ネー!」
提督は金剛のストレートな愛情表現に照れて、稲荷寿司を頬張った。
ジンワリと甘じょっぱい味の染み込んだ油揚げの中から、さわやかな酢飯が顔を出す。
油もくどすぎず、シンプルにただ旨い。
「では、私は提督をいただくデース」
その言葉にドキリとしたが、どうやら太巻きのことのようだ。
かんぴょうと椎茸を甘く煮付け、きゅうり、厚焼き玉子とともに酢飯で巻いた、シンプルな太巻き。
控えめな酢の加減が、素材そのものの良さを引き立て、食べ飽きない味を生み出している。
提督と金剛は助六寿司を食べた後、手をつないで仲良く海岸を散歩し、鎮守府の庁舎へと戻った。
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提督が執務室に入ると、そこはなぜか寝室風に模様替えされていた。
金剛が妖精さんに指示したのだろう。
一組の煎餅布団がしかれ、枕が2つ置いてある。
しかも、昭和が誇る下ネタグッズ「YES/NO枕」だ。
いや、提督は枕をひっくり返してみたが、そちらも表記はYES。
伝説の「Yes/Yes枕」だった……。
「あっ、提督ぅ! なぜ逃げるデース!?」