ある鎮守府のエンゲル係数   作:ねこまんま提督

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那珂と牡蠣の味噌鍋

艦娘寮の本館1階、ロビーの奥にある小座敷。

ここは夕飯時の大食堂の喧騒を避け、課外活動の会議をするときにも重宝されている。

 

囲炉裏を囲んで集まっているのは、川内型三姉妹に名取、阿武隈、能代、そして武蔵と最上だ。

 

「えー今回、鎮守府農志会に、うちの妹の那珂が参加することになりました。皆さん、よろしくお願いします」

川内が那珂を紹介する。

 

「艦隊のアイドル、那珂ちゃんだよー。よっろしくぅ~!」

とは言っても、すでに4年以上にわたって、この挨拶を聞き続けてきた参加者たち。

当然、拍手はまばらだった。

 

「うむ、歓迎するぞ」

「ヨロシクね!」

「あ……こ、これで全水雷戦隊がそろいましたね」

「あたし的にはとってもOKです」

 

それでも気を使い、温かい歓迎の言葉をかけてくれるメンバー。

 

(とうとう農業デビューかあ)

歓迎されて嬉しいが、ちょっと心中は複雑な那珂だ。

 

 

この鎮守府の艦娘寮は、遠洋漁業で莫大な財産をなした、隣町(現在では市になっている)の大きな漁港の網元が、昭和の初期に道楽で建てた温泉旅館だ。

 

その温泉は裏山から湧き出しているので、旅館を建てるにあたって網元は山全体を買い取った。

さらに、旅館から山を挟んだ反対側の一帯の台地も、山と一続きの土地として登記されていた。

 

その一帯は荒地だったらしいが、網元の知り合いの農業を始めたいという者に貸し出され、きちんと借地契約も登記され、農地として開墾された。

 

戦後、網元の家が破産し、東京の観光会社や不動産会社などの手を転々としたこの旅館だが、付属する山向こうの土地は貸し出されたまま、借り主の一家が代々暮らし農業を営んできた。

 

しかし今回、この鎮守府を作るために裏山を含む土地を海軍が取得することになり、この農家の立ち退きが決まった。

 

海軍としては、一応は軍事施設である鎮守府の土地を民間人に貸していて、万一空襲で被害でもあったら大変な責任問題になる、というのが理由だ。

 

本当に空襲があれば、距離的には真横にある漁港の方がヤバイのだが、そこは純粋な民間の土地だから、他省庁から出向してきた本部管理部門の役人連中にとっては知ったこっちゃないのだろう。

 

こうして、この鎮守府にはけっこうな広さの農地が付属することになったが、『自治・自炊・自足』の精神を是とするこの鎮守府が、これを放っておくわけがない。

 

 

高齢となり、妻と息子には交通事故で先立たれ、嫁に出した娘が産んだ孫の顔も見れた。

すでに農地全体には手が回らなくなり、利益も出ず半ば道楽と惰性だけで続けている農家なら、もう自分の代で廃業してもいい。

 

と、立ち退きに同意したおじいちゃんのところに押しかけ、農業指導をお願いしたのだ。

提督と艦娘のみんなは苗字の一字をとってミヤ爺と呼んでいる。

 

そして、この農地を「訓練地」と称し、勝手に農業サークルを立ち上げてしまった。

 

 

「それじゃあ、まずは恒例、アクティの使用日調整から」

 

この鎮守府には、2台の軽トラックがある。

 

天龍が「ヴァイスドラッヘ号(白龍号)」と呼んでいる、運送用のダイハツのハイゼット。

そして、「農道のフェラーリ」こと、ホンダのアクティだ。

 

このアクティ、通常時は後輪駆動、滑りやすい悪路になると自動で4輪駆動に切り替わるリアルタイム4WDを採用し、重いエンジンを車体中央に配したバランスに優れるミッドシップエンジン方式と合わせて、悪路走破性はバツグンだ。

 

この鎮守府のアクティは、運転席もドロ汚れOKというルールで運用されていて、春から秋は農作業、冬は除雪作業の専用車と化している。

 

 

「一水戦としては、3月のこことここでキャベツの種まきを2回予定してます」

「二水戦は3月末にイチゴの平畝作りです」

「うちの三水戦はこの日がジャガイモの畝作り」

 

「あの、五六水戦のピーマンときゅうりは……まだ先なんですけど、古鷹さんの桃の剪定のお手伝いに借りられたらな……と思ってます」

「阿賀野型の柿も剪定だけなんで、その後で脚立とハサミさえ道具箱に残しておいてもらえれば」

 

「よし、戦艦勢の大根とトウモロコシもまだ先、最上型の栗も剪定だけだから、これで後は那珂の四水戦だけだな」

武蔵の声に、全員の注目が那珂に集まる。

 

「えっと、四水戦ではネギを作りたいと思っています。種まき予定は6月、これがミヤ爺のとこで聞いてきたことをもとに逆算で作ったスケジュールです」

 

那珂が几帳面に書き記してきた、除草や石とり、土作り、肥料作りなどの予定表を示す。

 

「ううむ……」

「うわあ、いっぱいいっぱいだね」

「あたし的には無理かなぁって……」

 

「那珂ちゃん、最初から全部をやらなくてもいいのよ」

「とりあえず、今年の肥料はもう間に合わないから、あたしと神通んとこのを使いな」

 

「あ、あのっ、五六水戦は3月、4月は手が空いてますから、声をかけてください」

「うちも阿賀野型全員で手伝うし、那珂ちゃんが遠征や干物作りの時は、私か矢矧が監督するから安心して」

 

「人手が足りないときには、夕雲に声をかければ夕雲型の子たちを派遣してくれるよ。ボクや古鷹に言ってくれれば、重巡も手を貸すし」

 

「那珂ちゃん、これ耕運機や芝刈り機の使い方と使用ルールをまとめたものです。最初のうちは必ず、誰か経験者と使うようにしてね」

 

「それからコレ、阿武隈がまとめた農作業後の衛生ルールブックです。これを破ると、間宮さんにすっごく怒られるから」

 

神通と阿武隈が、自家製のマニュアルを那珂に渡す。

続けて他のメンバーからも、注意すべき過去の事故事例集などの安全基準や、農耕に関する資料集などが渡される。

 

「みんな、ありがとーー!」

「那珂、うるさいっ!」

「ええっ、それを川内さん……が?」

 

こうして、那珂と四水戦の農志会デビューが決まった。

 

 

打ち合わせの後は夕食。

囲炉裏にかけた牡蠣の味噌鍋をつつきながら、油揚げと大根の炊き込みご飯を頬張る。

 

産卵をひかえて身がのった牡蠣はプリプリと肉厚で、凝縮されたミルクのような味が口いっぱいに広がる。

 

大根は武蔵が収穫したもので、間宮謹製の油揚げとともにホクホクの炊き込みご飯にされたそれは、素朴でやさしい味がする。

 

 

そして、自然と始まる農業トーク。

 

「那珂ちゃん、本当はネギよりトマトの方が良かったんだけどなぁ」

 

「最初からトマトはハードル高過ぎるって。ボクたちもトマトは一回失敗してるんだ」

「ネ、ネギだって初心者向けじゃないんですよ?」

 

「那珂ちゃんたら、ミヤ爺にもネギは土寄せが大変だから、最初はニラにしておけばいいって言われたのに聞かなかったんですよ」

「神通がそれ言う? イチゴのハウス栽培は大変だって言われてるのに、まったく聞く耳持たなかったじゃん」

 

「ニラは簡単だぞ。一昨年、毎日のようにニラ料理が続いたのは、この武蔵のおかげだ」

「あたし的には、あれは作りすぎじゃないかなって……」

 

「夕張ちゃんのきゅうりも一年目は全滅だったけど、次の年はうまくいったし。とにかく、やってみる姿勢は素敵だと思うわ」

「能代ちゃん、ありがとう。大丈夫、アイドルは絶対へこたれないんだから」

 

那珂は牡蠣の味噌鍋に入っていた、長ネギをかじった。

味噌が染み込み、熱されて甘味の増したネギの風味。

 

これを自分で作ったのなら、さらに美味しく感じるのだろうか……。

 

(よーし、那珂ちゃん燃えてきたぞ!)

 

 

後日、パパラッチ青葉が農作業する那珂の姿を写し、それが「青葉タイムズ」どころか地元新聞に掲載されることになり、さらには那珂のアイドル人生の一大転回点になるとは、この時の那珂はまだ知らない。




・3月11日によせて


3月11日をもって、この作品の初投稿から丸1ヶ月となります。
その間、多くの方に読んで頂き、たくさんのご支持を賜り、大変感謝しております。

それと同時に東日本大震災から6年目を迎えることになります。

この鎮守府とその周辺は、すでにお気付きの方も多いかと思いますが、三陸方面がモデルの地域です。
作品内では大震災はなかったものとして普通の日常を描いていますが、現地にはいまだご苦労が続いている方も多いかと思います。

震災でお亡くなりになった多くの方のご冥福を祈るとともに、美しい三陸の景観と平穏な暮らしが戻りますよう、心から願います。

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