本当にひどい、二日酔いだった。
「あの、そろそろ……起きてください。第一艦隊、もう出撃しますよ?」
ああ、そうか。
僕は寝坊したのか……。
かすかに聞こえる声に、朦朧とした意識で提督は思った。
それにしても何かが重く、まだ春先のはずなのに布団の中がひどく暑い。
「ん……誰か抱きついてきてるから?」
提督は慌てて飛び起き……ようとしたが、胸の上と足に誰かが乗っかっている。
おまけに右腕にも、誰かがしがみついている。
自分も含め、布団の周りに漂うのはアルコール臭。
提督の私室なのは間違いないのだが……。
「うっ」
ひどい頭痛とともに、提督の脳裏に、昨夜の記憶が段々とよみがえってきた。
鳳翔の居酒屋で大和と飲んでいる最中、武蔵がやって来て、突然に提督の頭を自分の胸にうずめた。
怒った大和が提督を奪い返して、その頭を自分の胸に埋め……。
後は何やら乱入してきたメンツに次々と酒を飲まされ、混沌とした大宴会に突入した気がする。
そして、提督は自分の胸の上に突っ伏して寝ている人物を確認する。
昨夜、ブランデーベースの度数の高いカクテルを勧めてきたサラトガだ。
「私と同じ名前のカクテルなんですよ」
などという言葉に、ノンアルコールの「サラトガ・クーラー」を連想してしまい、口休めにと飲んでワンパン大破させられた。
スヤスヤと涼しい顔で眠るサラトガを横にどかし、腕に絡みつく人物を確認する。
足柄だった。
腕を引き抜こうとすると……。
「姉さん、もうよして……提督を酔い潰しても、何の解決にも……」
などと、悪夢を見ているのか苦悶の表情で寝言を言う。
そういえば妙高に、わんこ蕎麦のように際限なく日本酒をお酌され続けた気が……。
何とか足柄から腕を自由にし、布団の中にその手をつこうとしたら……。
「うわっ」
何やら、やわらかいものに手がぶち当たった。
布団の隙間から、見覚えのある色の髪がはみ出している。
一度店内で脱ぎ始め、ザラに強制送還されたはずのポーラだ。
この布団をあけるのは、相当まずい。
昨夜のおぼろげな記憶の中、宴会の後半、戻ってきたポーラは何も身に付けていなかった。
サラと足柄、そして足元の方から掛け布団を寄せてきて、見え隠れする白い物体をイモ虫のようにくるむ。
そうしながら、自分の足に乗っかる人物を見れば……高雄だった。
高雄も、相当に浴衣が乱れているが、幸いなことに、大破したときに比べれば大した露出ではない。
だが、高雄の豊満なバストに一晩押しつぶされたせいだろう、足の感覚が全くない。
提督は何とか足を引き抜こうとするが、痙攣した足がビクッと動くだけで、その度に高雄が変な声を上げる。
入り口の方を向けば、起こしに来てくれたのは吹雪だった。
その足元には、一升瓶を抱えたまま隼鷹が寝転がっている。
「吹雪、高雄をどけてくれないかい」
「駆逐艦1隻じゃ、高雄型重巡の曳航は無理ですよぉ」
「いや、普通に転がしてどけるか、高雄を起こすだけでいいから」
艦としての記憶を持つ彼女たちは、とっさに艦の基準で物事を判断することがある。
いや、艦としての想いを根底にしながらも、普段は娘として自然に過ごしているのが、ふとした瞬間や思い詰めた時などに……。
「あっ……うぅ」
提督はうめいた。
吹雪が高雄をどかしてくれ、血行が戻りつつある足に、痺れを覚えただけではない。
昨夜の騒乱の「きっかけ」を思い出したのだ。
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鳳翔の居酒屋で大和と飲んでいる最中、武蔵がやって来て、突然に提督の頭を自分の胸にうずめた。
サラシを巻いただけで、ほとんど隠せていない超々弩級の胸にだ。
「武蔵! 今日は私が秘書艦で、私が提督に可愛がってもらう日よ」
「なに、提督の甲斐性なら、我ら大和級2隻の相手だろうと容易いさ」
(その瞬間、店内で複数のプツンという、「何かがキレる」音を聞いたと証言する艦娘が多いことが、後日の青葉調べで分かっている)
「もう、そういう問題じゃなくて、今日の提督は私だけのものなの」
怒った大和が提督を奪い返して、その頭を自分の胸に埋める。
「ケチケチするな、大和。サーモン海域出撃の前夜祭なのだぞ!」
「ふぇ?」
大和に頭を抱きしめ、顔面を胸に押し付けられながら、提督は間抜けな声を出した。
「熊野が暁から聞いたそうだ。今月は南方海域に全力出撃し、レ級とも対決するとな!」
「本当ですか、提督? もちろん、大和も使っていただけますね?」
自信満々、不敵な笑みを浮かべる武蔵。
期待に満ちた表情で、提督を見つめてくる大和。
(あー……伝言ゲームって怖いなぁ)
雷→暁→熊野→武蔵という伝達ラインの中で話が膨らんでいく様子が、容易に想像できる。
どう言い訳するか戸惑い、無言のままの提督に、二人の顔が曇る。
「何か問題か? 大丈夫。この武蔵に、全て任せておけ」
強い言葉とは裏腹に、捨てられそうな子犬のように、すがる瞳を向けてくる武蔵。
「この武蔵、提督のためならば、いつ沈んでも構わない」
「いや、備蓄資源がね……」
「資源が足りなければ、大破したまま放置しても、補給せずに解体してもいい」
「武蔵……」
「前のように、戦果も残せず最期の時を迎えるのは……いや、それよりも提督の役に立てない、不要な艦でいることが……何より嫌なんだ」
今度は、武蔵と大和が提督の胸に顔をうずめてくる。
提督は消費を気にして、大和と武蔵をあまり編成に組み込んでいなかった。
定期的な演習や、大規模作戦での決定打として使うだけで、他は買い物や日曜大工での駆逐艦の引率など、地上任務ばかり。
提督としては、切り札として大事に扱ってきたつもりだが、艦としての志を受け継ぐ艦娘である彼女たちにとって、そんな日々から感じる想いはどうだったのか……。
「不安にさせて、ごめん」
提督は、二人を抱きしめながら言った。
「武蔵も大和も、とても役に立ってくれているよ。この鎮守府の子達全員が、僕の誇りの艦娘で、誰一人欠かせない。誰も絶対に沈ませないし、誰も見捨てたりしない」
「ヒャッハー! よっ、熱いねえ!」
そう、その時だった。
空気も読まずに隼鷹が乱入し、提督の口に一升瓶を突っ込んだのだ。
そして妙高から連続お酌を受け、サラトガに強いカクテルを飲まされ、高雄からはロックの焼酎をすすめられ、ワインの瓶を持ったポーラが舞い戻ってきた。
だから……サーモン海域出撃をあきらめさせるタイミングを失ったし、ベロベロになった頃に隼鷹にけしかけられ、支援艦隊も投入する全力出撃の命令も出してしまった。
そういえば、隼鷹も出撃すると言っていたが……一升瓶を抱えたまま、ゆすっても起きる気配がない。
「これは木更津を利用しようとしたバチがあたったかなぁ……」
あきらめた提督は、とにかく武蔵たちの出撃を見送るため、フラフラした足取りで埠頭へと向かうのだった。
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祥鳳(隼鷹の代理)を旗艦に、大和、武蔵、アイオワ、翔鶴、瑞鶴からなる決戦艦隊が、港の外へと海上を滑っていく。
それに続くのは、道中支援艦隊の金剛、比叡、榛名、霧島、大潮、荒潮。
そして、決戦支援艦隊の扶桑、山城、雲龍、天城、江風、霞。
帰ってきた後の補給と入渠にかかる資源量は莫大なものになるだろうし、遠征用に絶好調なコンディションにしていた駆逐艦たちも、半数近くを投入してしまった。
それでも、大和と武蔵が自信を深めてくれるなら安いものだ。
備蓄倉庫がまた空になれば、艦娘たちもバトミントンやバレーを楽しめるし……。
「気が早いけど祝勝会の準備をしようか。球磨、今朝の仕入れでは、何か良い魚はあった?」
「季節的に珍しいとこだと、黒鯛が買えたクマ」
黒鯛は「磯の荒武者」などと呼ばれる荒々しさの一方、警戒心が非常に強く繊細な魚でもある。
釣りたてをしっかりと〆て刺身にすれば、身はほんのり甘く、癖のない脂が乗って美味いが、真鯛に比べて非常に足が早く痛みやすいので、料理人からは敬遠されて真鯛より値段も下がる。
けれど、丁寧な下処理をし、手間を惜しまなければ、竜田揚げやパン粉焼きにして美味しく食べられるし、アラからは濃厚な出汁がとれて、ホクホクとほお肉が美味い兜煮や、味噌と抜群の相性のアラ汁にすることもできる。
「うん、いいね」
どことなく武蔵を思わせる黒鯛。
それをメインにしようと、提督はレシピを考えていくのだった。