もとは旅館の食事処だった、老舗の
大食堂などには部屋着のスウェットやTシャツ姿などで顔を出すこともある提督だが、ここに来るときには、制服か着物、少なくとも浴衣で来るように心がけている。
今日も提督は夕食後に、自室に一度戻り、秘書艦である大和の手伝いで着物に着替えてからやってきた。
重厚ながらも控えめで豪華すぎない内装。
落ち着いた調度品に、四季折々に目を楽しませる器。
この店内の素晴らしい雰囲気を、無粋な服装で壊したくないからだ。
例え、大食堂での夕食をすっ飛ばして飲み始め、もうすでに出来上がって「ヒャッハー!」と奇声をあげる軽空母娘がいたり、辺り構わず服を脱ぎ始めるアル重がいても。
提督が着替えている間に、厨房の奥でつながっている大広間に遊びに来たらしい艦娘たちが、提督のトランクス(物干し場からくすねてきたらしい)を丸めてドッヂボールを始めているようで、
「うっふふ、やってきたわね」
「ちょっと、こっち投げんじゃないわよ!」
「我が索敵機から逃げられるとでも思うたか!」
「これが……これが提督のパンツ……ですよね?」
「そこの駆逐艦っ、ジロジロ見ないのっ!」
「おっそーい!」
「無駄無駄無駄ぁ~!」
「那珂ちゃんはアイドルだからぁ、顔はやめてー!」
「いやぁ!? やだ…、当ててくるのね……」
なんて喧騒が聞こえてきても……それでも己の美学を貫くのが、男であろう。
(駆逐艦の子たちはともかく、それ以上の大きな子は後で叱っておこう)
「お通しです、佐渡から届いたアオリイカを、イクラで和えてみました」
気をとりなおして、鳳翔が出してくれたお通しに箸をつける。
イカとイクラの、ともにプチプチした食感と、淡白と濃厚な相反するのにマッチする旨味。
大和にお酌してもらいながら飲むのは、まろやかな酸味と軽快なのど越し、フルーティーな香気が漂う、北陸の酒だ。
そして、鳳翔が次の料理が出してくれる。
「白魚とエビの椀物です」
塩をふった芝エビを薄く平らになるまでたたき、軽く茹でた数尾の白魚をのせて片栗粉をふり、また芝エビ、白魚、芝エビ、白魚、芝エビと、段を重ねて蒸し物にする。
この蒸し物を椀に入れ、別に茹でた菜の花と、柚子の皮を添えて、薄く上品に味を調えた熱いダシ汁を注ぎ、桜の花の塩漬けを飾る。
繊細ながら濃密な旨味と、かぐわしい柚子の香り。
「春の訪れを感じる味だね」
「はい、提督」
大和の絹のような白い肌が、ほんのりと桜色に染まる。
この白魚で一緒に飲みたくて、大和を今日の秘書艦に選んだのだ。
白魚(しらうお)はシラウオ科の半透明の小さな魚で、江戸時代には春告げ魚とも呼ばれ、かの徳川家康も大変好んで、江戸前の佃島で獲られた白魚は将軍家に献上されたという。
よく、踊り食いで有名な、素魚(しろうお)と名前と姿が似ていて混同されるが、素魚はハゼ科のまったくの別種で、白魚は繊細で網にかかって水揚げされるとすぐに死んでしまうため、生食には適さない。
「提督……大和、少し酔ってきました……」
大和がしなだれかかり、提督の肩に頭をのせる。
サラサラとした大和の髪から薫る匂いに、提督がドキッとした瞬間。
「次のお酒です!」
新しいお銚子を、鳳翔がドンッと提督と大和の間に置く。
「お料理もお出ししていいですか?」
「アッ、ハイ」
「こちら、白魚とごぼうの卵とじです」
大和が提督から身を離したの確認してから、鳳翔が次の料理を差し出した。
ダシをはった小鍋で、塩洗いした白魚と、ささがきにしたごぼうを煮、溶き卵を回し入れて蒸し、仕上げに三つ葉を散らす。
こちらに合うのは、キレ良くも米本来の旨味が芳醇な関東の酒。
また、大和が提督の肩に頭を預けてくる。
箱入り娘な大和には、白魚のような繊細さとともに、秘書艦の日ぐらい提督に甘えまくっても構わないだろうという、お嬢様的な発想がある。
「大和、大丈夫かい?」
提督が大和の髪を優しく撫でる。
大型建造で苦労して大和を手に入れた提督にも、大和を少し特別扱いしてしまう悪癖がある。
(アカン、鳳翔の見えんとこでやれ!)
近くの座敷席にいた龍驤が必死に、提督に向けて奥座敷の方に移動するように指指すが……。
挨拶されたとでも勘違いしたのか、ニコッと笑って龍驤に手を振る提督。
(こいつアホや。火薬庫の前で焚き火しとるような状況が分かっとらん。つーか金剛も金剛や、こんな時こそ居って「時間と場所をわきまえなヨー!」って真っ先に突っ込むべきやろ)
「さすがにYAMATOは特別扱いなんですね……ハァ……よし! 頑張ろう!」
「バカめ!と言って差し上げますわ!」
「わはははは、高雄もキレ始めたぞぉ」
「妙高姉さん? 落ち着いて、いや……そういう意味じゃ……」
「うちは早めに帰っとくわー」
危険な香りを察知し、龍驤は鳳翔の居酒屋から足早に逃げ出すのだった……。