珍しく、執務室の電話機が鳴った。
ダイヤル式の古い黒電話。
ファックスはもちろん、着信履歴だの電話帳保存だの、そんな機能は一切ない。
提督は受話器を取り、端的にこの鎮守府がある地名だけを伝える。
「木更津だ」
相手からも、聞き覚えのある男の声で、鎮守府のある地名の返答がある。
「桃」
「あなたのとりこ」
保安手順に則った、今月の花言葉による合言葉の確認なのだが……。
「君に、あなたのとりこ、なんて囁かれると鳥肌が立ちます」
「安心しろ、言った俺も虫唾がわいてる」
ここの提督と、木更津の提督とは、何の因果か高校の同級生だ。
「どうかしましたか?」
「うちの雷ちゃんが、お前のところの雷ちゃんと文通しているのは知っているな?」
「もちろん知っていますが……お互い忘れ去りたい事実ですね」
想像してみてもらいたい。
「元気ないわねー、そんなんじゃ駄目よぉ!」
「司令官、私がいるじゃない!」
「司令官! これからも、もっともっともぉーっと私に頼っていいのよ!」
などと甘やかされている鎮守府生活を、ノロケ交じりに互いの雷を通じて旧友にバラされるのだ。
しかも、互いの雷に話した、高校時代の想い出話は、すぐに相手の雷にも伝わる。
嫌いあっているわけではないが、互いに目をそらして接触を最低限にするのは、当然の流れだった。
「お前のところの雷ちゃんから、ひな祭りのことを書いた手紙が届いた」
「それが何か?」
「潮汁を飲んだ、ということなんだが……そのな、潮ちゃんの汁って……どんな……」
モゴモゴと言う旧友の言葉に、提督の目が細くなる。
潮汁。
確かに読み方も「うしおじる」だが、断じてこの電話の向こうの変態が考えているものではない。
「ハマグリのお吸い物のことですが、それが何か?」
「………………」
「………………」
「いやー、そうだよなー。美味しそうだよな!」
「で、それが要件ですか?」
「バッ、んなわけないだろぉ? ははは、冗談きついな、お前」
「……この後、横須賀に電話する用事がありましてね」
「妹は関係ねェだろぉ!」
あらかじめ耳元から離しておいた受話器から、悲鳴が聞こえる。
木更津提督の妹は、横須賀の提督だ。
漫画の剣道娘キャラを地でいくような質実剛健で潔癖な女子だ。
今の話が伝われば、普段から兄に向ける生ゴミを見るような視線が、ドブネズミを見るようなそれに変わるだろう。
生ゴミとドブネズミ、どちらが彼女の内で評価が高いのかは不明だが……。
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「司令官、ご機嫌ね。どうしたの?」
提督が鼻歌交じりに料理を作っていると、キッチンに雷が入ってきた。
「今月は東京急行を多めにやろうと思ってね」
「珍しいじゃない、どうしたの?」
ここの提督は南方海域が嫌いだ。
毎月毎月、南方海域に進入する「門」を開けるために南方海域前面に戦艦群を投入して大量の資源を使わされるのも嫌だし、毎週のように発生する珊瑚諸島沖での装甲空母姫との殴り合いも嫌いだ。
深海棲艦の作り出す特殊な闇に常に閉ざされ、四六時中夜戦が発生するサブ島沖など、思い出しただけで寒気がする。
そしてショートランド泊地の近く、サーモン海域北方に生息している、恐怖の戦艦レ級。
弾着観測射撃や熟練航空隊の運用などの戦術がまだ確立していなかった頃、長門、陸奥、大和、武蔵、赤城、加賀という精鋭が次々に返り討ちにされ、その修復に膨大な資源が必要だったトラウマが残っている。
一年に一度だけ、武蔵の要望で雪辱戦をしかけているが、提督個人としては二度とお目にかかりたくないのがレ級だ。
この鎮守府では、他の戦果や報酬を求める鎮守府なら「天国」と呼んで日々繰り返す、東京急行作戦にさえ、サーモン海域というだけの理由でほとんど参加していない。
それなのに、提督がこんなことを言い出したのはもちろん……。
「今月は南方海域の露払いを、ずっと木更津鎮守府がやってくれるんだ」
東京急行は、敵前衛部隊や機動部隊を粉砕し、敵補給部隊本体を叩く攻勢作戦と、その間隙をついてドラム缶を満載した味方水雷戦隊が鼠輸送遠征を行う補給作戦の、二本柱からなる。
戦闘は他に任せ、遠征ばかり行って報酬だけ稼ぐのは「タダ乗り」として提督仲間に嫌われるが、自発的に木更津の提督が「やらせてください」と言うのだから仕方ない。
しかも、妹の横須賀鎮守府がレ級を倒しに行く日も聞き出してくれるというから、安心して艦隊を出すことができる。
「これも雷のおかげだよ」
「何だか分からないけど、お役に立てて嬉しいわ!」
「ご褒美に、餃子を味見させてあげるからね」
「え、餃子……?」
雷の顔が曇る。
時間はまだお昼の真っ只中。
匂いのきつい餃子は食べたくないのだろう。
「大丈夫、ニンニクやニラは入ってないから」
「そういえば、形も普通のと違うわね」
提督がフライパンで蒸し焼きにしている餃子は、半月型に餡を包んだものでなく、円形の皮をそのまま二枚重ねて閉じ合わせた、パイのような形をしている。
「はい、このゴマダレをつけて食べてみて」
「いただきます」
香ばしくパリッと焼かれた皮だが、内側はモチモチして食べ応えがある。
そして中の餡は、しいたけ、シメジ、エリンギ、キクラゲと、香り豊かなきのこ類。
そこに、叩いた芝エビの身と、刻んだ長ネギを混ぜ合わせ、水溶き片栗粉で練ったものだ。
複雑な甘味のあるゴマダレは、酒、醤油、酢、ラー油をベースに、香り立つゴマ油を加え、砂糖と白胡麻ペーストを混ぜて味に深みを出したものだ。
「中まで熱々で美味しいわっ!」
「うん、遠征帰りの皆のおやつにちょうどいいと思ってね」
喜んで餃子を食べる雷を見ながら、提督はふと思う。
そういえば雷って、誰かに似てるなぁ……。
もちろん、電のことじゃなくて、どこかで見た顔とソックリなような……。
「雷、司令官のためにもっともっと働いちゃうね!」