ナポリからシチリア島へと向かう海上。
提督の友人から借りた超豪華クルーザーで航行している一行だったが……。
「艦娘からの停船命令?」
クルーザーの操船を担っていた能代に呼び出され、やや疲れた顔の提督がコクピットに顔を出した。
戦艦夏姫姉妹や空母夏姫たちが合流し、大量のスパゲティを作り続けているのだが、生産が需要に追いつかないでいる。
「はい、
深海棲艦の出現頻発によって航行に危険がある海域であっても、犯罪組織はハイリスクハイリターンでおかまいなしに密輸船を出す。
本部経由で各国の海上警察などから、そういう危険海域での哨戒任務の依頼がよく届く。
ただ、こういった編成が重く、時間拘束が長く、苦労の割に報酬の少ない出稼ぎ遠征任務は、普通は敬遠される。
「境港……鳥取の鎮守府かあ」
それでも、稼ぎの効率がいい「鼠輸送作戦」や「水上機基地建設」などの人気の遠征任務は大手や古参の鎮守府で埋まってしまうので、地方の弱小鎮守府は泣く泣くこういう不人気任務ばかりを引き受けることになる。
「これは提督のバカンスのための船だと伝え、味方識別暗号も発信したんですが……ナポリを出た後に漁船と接触したのが怪しいので、念のために船内を捜索させろと主張して接近中です」
数時間前、地元の漁師の船に横付けしてタコや貝を売ってもらったのだが、それが監視の目を引いたらしい。
船内に積んでいる粉といえば、デュラム小麦のセモリナ粉(パスタの素材として最良)ぐらいなので別に積荷の捜索は問題ないのだが……。
「提督ヲ困ラセル艦娘?」
「ナラ、沈メル?」
「火ノ塊ニシテヤル」
食堂から出てきた戦艦夏姫姉妹と空母夏姫が、物騒な提案をしてくる。
うん、絶対に船の中は見せられない。
「しー」
提督は唇に人差し指を立てて姫たちを黙らせ、通信機のマイクを手に取った。
「あーあー……あめんぼ赤いなあいうえお。マイクチェック、ワン、ツー。そちら“島根”の境港鎮守府の艦隊ですか? どーぞー」
「境港は“鳥取”です!」
相手は艦隊旗艦の高雄。
小粋なジョーク(と言う名のおちょくり)に対し、速攻で激怒した返信が寄せられた。
提督はなぜか、高雄のような生真面目な委員長タイプは、からかわないと気がすまない病気にかかっている。
「貴船の船内捜索を行います。失礼ながら、貴方には……色々と黒い噂がありますし」
黒い噂、と言われて提督はギクッとした。
この超豪華客船を貸してくれた学生時代の親友である「石油王の坊ちゃん」。
彼のパパのタンカーを個人的に護衛して、謝礼を貰っちゃったりしている。
その謝礼は『国境なき食堂』の名義で世界各地の食糧ボランティアに寄付していて、私腹は肥やしていないのだが……疑われる要素には自覚がある。
それとも、もっとストレートに深海棲艦とつるんでることが噂になっているのだろうか……。
「聞き捨てならないね。僕にどんな噂があると?」
「……貴方は、艦娘たちを畑で強制労働させたり、手当たり次第に手篭めにしている鬼畜だと、天草の提督から忠告されました。そんな人物なら、麻薬の密売に手を出していても不思議ではありません」
天草ェ。
弁解とかを考える前に、提督の精神力が根こそぎ0まで持ってかれた。
「黙って聞いていれば……ひどい言いぐさですね」
隣から響く、正妻の声。
鳳翔さんが提督の手からマイクを奪い取った。
「うちの鎮守府の子たちはみんな、誇りを持って畑を耕し、お米や野菜を作って、自分たちの家を住みよくしようと頑張って暮らしているんです。それを強制労働だなんて、私たち家族への侮辱ですよ!」
いいぞ、鳳翔さん。
他鎮守府の艦娘だろうと、このまま鳳翔さんに叱ってもらえば……と思ったのだが。
「それに、提督は無理に女性を手篭めにするような、そんな人ではありません! 確かに酔うとセクハラがひどいですが、こんなオンボロ空母でも大事にして可愛がってくださる、とても優しい方です。むしろ誰にでも優しすぎる所が困るといいますか、女癖が悪く、どうしようもない浮気者ですが……やだ……あの、私……何を言っているのかしら。やっぱり……私のような者が若い子たちに嫉妬なんて、みっともないですよね?」
ものすごく話が変な方向に迷走してるんですが……しかも最後はなぜか疑問形。
さらに、ろーちゃんとリベッチオも反論に参加する。
「そうですって! ろーちゃんも、提督さんが大好きで、お嫁さんにしてもらってダンケダンケですって!」
「リベも幼妻として昼も夜もがんばってるよー!」
「ブスイナ……ヤツラ……メ……ッ! カエレ…ッ!」
「お願い、黙ってて」
提督は不本意ながら、愛する家族の手からマイクを取り上げてスイッチを切った。
今の絶対に逆効果だよね?
しかも最後のは、声だけじゃバレないだろうけど重巡夏姫だし。
その時……。
「!?」
うなじがチリチリとするような、猛烈なプレッシャーを感じた。
深海領域から、強力な脅威が接近している。
その波動の大きさは、封印された門の隙間を潜り抜けてくるような、はぐれイ級……なんかの比じゃない……。
門の封印や次元の狭間そのものを蹴散らして突進してくる、こいつは……。
その正体に心当たりがある提督は、急いでマイクに向けて大声を張り上げた。
「境港艦隊に告ぐ! ヤバイ奴が来るから、すぐに逃げてくれ! とにかく、轟沈ダメ絶対!」
紅く不気味に輝いた海面から、漆黒のレインコートをはだけさせ、青白い肌を露出させた、少女の姿をした悪魔が現れた。
「Kapa o pango kia whakawhenua au i ahau!(黒の戦士たち、この世を統べさせよ!)」
空間を切り震わせるような、少女の叫び声。
「人型の深海棲艦?」
「迎撃用意! 単縦陣を組んで!」
「強そうだけど相手は一隻、落ち着いて対処しよう」
「はい、最悪でも夜戦にまで持ち込めば……」
せっかく提督が忠告したのに、初見の敵へと向かっていく境港艦隊。
「Ko Aotearoa e ngunguru nei!(白く長い雲のたなびく世界こそ我らのもの!)」
「Au, au aue ha!」
少女の叫びに合わせて、レインコートから伸びた、おぞましく醜悪な尻尾が賛美の咆哮をあげる。
その尻尾型の艤装から繰り出された、多数の獰猛な攻撃機が空を舞っていく。
「何、こいつ空母なの!?」
「散開! 輪形陣に……きゃあああっ」
命令を下す暇もなく、百機以上からの猛烈な爆撃にさらされ、一瞬にして高雄が業火に包まれる。
「Ko Kapa o Pango e ngunguru nei!(それが我ら黒の戦士たちの証!)」
「Au, au aue ha!」
爆発音の中でもはっきりと聞こえてくる、魂を掴むような少女と獣の雄叫び。
少女のレインコートの中から、海中に凶悪な魚雷の群が放たれ、矢矧を貫いた。
「ふぇええっ、何で空母が雷撃してくるのっ!?」
世の全てを嘲るように大きく開けた口から舌を突き出し、熱狂に彩られた瞳を愚かな敵へと向ける少女。
「Ko Kapa o Pango e ngunguru nei!(我々は黒の戦士!)」
「Au, au aue ha!」
そして、大和級に匹敵する“戦艦”の巨砲が火を噴き、鋼鉄の豪雨が名取を叩き潰す。
「I ahaha! Ka tu te ihiihi,Ka tu te wanawana!(我々が支配し、我々は勝利を得る!)」
「Ki runga ki te rangi e tu iho nei,tu iho nei,hi!」
戦艦としての当然の権利とばかりに、容赦なく吐き出される二順目の火焔が空間を震わせ、最後に残っていた青葉を水柱の中へ……そして海中へと叩き込んだ。
「Ponga ra! Kapa o Pango, aue hi!」
青白い細い肢体を自らの手で打ち叩き、勝利の歓喜に震えながら、首をかき切るジェスチャーをする少女。
猛獣のような尻尾もまた、海面を激しく打ち叩きながら咆哮する。
「相変わらず、デタラメな強さだなあ……」
戦艦レ級の勝利の雄叫びが響いている。
ラグビーのニュージーランド代表、通称「オールブラックス」が試合前に披露する
厨二病を発動させた天龍が第六駆逐隊に仕込んでいた時は可愛らしかったので、提督が面白半分でレ級にも教えてみたのだが……どうしてこんな邪悪な仕上がりになった?
一応、マオリ族にとって「舌を出す」というのは相手への敬意を表す行為であり、「首をかき切る」ジェスチャーは自分の命を懸けるという決意の表れなのだが、やっているのがレ級なだけに、SATSUGAI予告にしか見えない。
これだけ好き放題やったのに、まだ雷撃戦パートの攻撃が残ってるし……。
「戦闘中止、おすわり! ご飯あげるから、早くこっちに来なさい」
大破している境港の艦娘たちに追い打ちをかけないように釘を刺し、彼女らが意識を失っている間に急いで船に乗るようにレ級に指示する。
「だから逃げろって言ったのになぁ」
提督と妖精さんの加護がある限り一戦で轟沈することはないはずだが……。
半裸姿で気を失って海面に浮いている境港の艦娘たちを気遣って見ていたら、鳳翔さんに「よその女の子の裸をジロジロ見てはいけません」と船内に引っ張り込まれてしまった。
念のために、レスキューボートと着替えの服を投下してあげるよう、能代に指示を出す。
「尻尾は邪魔だから深海領域に置いてきなさい」
「エー」
「えー、じゃありません」
鳳翔さんに怒られ、渋々と尻尾型艤装を切り離したレ級が船に乗り込んでくる。
「ゴハン!」
食堂に駆け込んで提督の背中に抱きつくなり、早速ご飯を要求してくるレ級。
そんなレ級に「お着替えが先ですよ。はい、バンザーイしましょうね」と、上手に提督の背中の上で深海チックな服を脱がせて、パジャマへと着替えさせる鳳翔さん。
提督も慣れたもので、背中に乗ったレ級の着替えを邪魔しないよう、コンパクトな動きで食事の準備をする。
「集積、このサイズのお皿を並べて。愛宕、テーブルの真ん中に焦げ防止のマットを敷いて」
みんなにテーブルセットの指示を出しながら、どんどんと料理を並べていく。
レモンとオイルのさわやかな香りが際立つ、タコと真鯛のカルパッチョ。
白ワインで蒸したアサリとムール貝に、サンマルツァーノ種のトマトソースをあえた蒸し煮。
挽き肉のミートソースにベシャメルソース、そしてモッツレラとパルミジャーノチーズをたっぷりとかけてオーブンで焼き上げた、みんな大好き濃厚なラザーニャ。
メインは、途中で手が放せることを重視して仕込んでおいた、各種の串焼き。
豚肉には、ほのかに甘みのある芳香を持つ香草フェンネルの種と、ニンニク、塩こしょうを揉み込んだ。
牛のランプ肉は、肉と肉の間に交互に玉ねぎを挟んだだけで、そのままシンプルに焼き上げ、バルサミコ酢と赤ワイン、ハチミツを煮詰めたソースをからめた。
「いただきます」
「イタダクレ!」
作戦期間が終われば、ノーサイド。
敵味方なく楽しくものを食べるのがここの鎮守府の流儀。
家族で囲む、楽しい食卓。
柔らかいランプ肉に歯を立てれば、じゅわっと肉汁と脂が溢れ出し、甘酸っぱいバルサミコソースと調和する。
「欧州棲姫ガムカツク奴ジャナカッタラ、今回出張シテヤッテモヨカッタノレ」
「今回ハ、ツ級ト空襲ノ数ガ足リナカッタト思ウ」
「やめてくださいしんでしまいます」
肉を頬張りながらおしゃべりするレ級と空母夏姫の言葉に、提督が白目をむく。
明日はシチリア島に上陸し、港湾夏姫や防空棲姫たちとも合流して海水浴。
今回の旅行のメインイベントだ。
「じゃじゃーん。鳳翔さん、これが明日の決戦水着です♪」
「ちょっと、愛宕さん? これ、どこに布が? ただの紐とリボンですよ!?」
「鳳翔さんの分もありますけど、一緒に着ますかぁ?」
楽しい旅行は、もう少し続く。