新規艦娘ですので、ネタバレや余計な脚色を見たくない方は回避して下さい。
この鎮守府の週末は、のんびりとしている。
金曜日の消灯時間は、いつもより1時間遅い24時。
土曜日の始業も平日より1時間遅い9時で、終業は12時の半ドンだ。
土曜日は近海警備や対潜哨戒、簡単な訓練を行うだけで、基本的に出撃や演習はしない。
その翌日の日曜日は完全休業と、理想的な労働環境だ。
その代わりと言っては何だが、土曜14時から月曜の朝まで、間宮の大食堂も休業してしまう。
(仕込みの都合と、自炊にも慣れてもらいたいという、提督と間宮の親心によるものだ)
車や電車で買い物に行くついでならともかく、鎮守府外に食べに行くのはあまり現実的ではない。
鎮守府のある漁港から徒歩10分圏内には、観光客を相手にした鮮魚割烹の店や寿司屋ぐらいしかない。
駅前まで20分歩いても、まずい蕎麦屋か、汚い中華屋か、軽食しかない喫茶店か、の3つが候補に加わるだけだ。
食品を購入するにしても、町内の一番マシな補給処は「キリショー」と艦娘たちが呼ぶ、老夫婦が営む個人商店「霧雨商店」だ。
米に調味料、飲料、菓子、缶詰、レトルト食品、インスタント食品といった食料品から、トイレットペーパーやティッシュ、ゴミ袋、洗剤、電池、文房具などの生活雑貨、さらには軍手やバケツ、肥料、ペットフードまで広く扱っている。
昭和の時代に取り残されたような典型的な田舎の「何でも屋」だが、こんな辺鄙な町に進出してくるスーパーやコンビニもないので、平穏に営業を続けている。
近くには肉屋、魚屋、八百屋、酒屋、本屋、電気屋、薬局、郵便局もあり、キリショーこそが町内の商業の中心地と言っても過言ではない!
この鎮守府とも懇意で、時々、鹿島などの艦娘が店番の手伝いをしている。
一方で、都会的なチェーン店となると……。
最も近いコンビニは、徒歩だと40分かかる海水浴場前の県道沿い(冬季は休業)。
牛丼屋やファストフード店は、電車で3駅離れた大きな駅に行かないとない。
そんな陸の孤島な環境の中、この鎮守府が是とする『自治・自炊・自足』の精神が育まれた。
月・水・金・土の週4日で居酒屋を開いている鳳翔をはじめ、鎮守府の食糧事情の維持発展のために尽力する艦娘は多い。
だから間宮の大食堂が閉まる毎週末は、ちょっとした文化祭のような熱気に包まれ、あちこちに仮設店舗が組まれる。
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「あの埠頭の工事は、何をやっているんだい?」
先日の大規模作戦の出撃海域で発見され、新たに艦隊に加わった神風型駆逐艦娘の松風が、鎮守府を案内している那珂に尋ねる。
松風の視線の先では、数人の艦娘がテントを張り、祭りの屋台のようなものを設置していた。
「軽空母の龍驤さんが鉄板焼き屋さんをやるから、そのお店を作ってるんだよ」
「ごめん……何を言っているのか、ちょっと分からない」
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「あの貨物自動車は、何を運んでいるのかな? 弾薬?」
「天龍ちゃんが軽トラで、(焼き鳥を焼く)炭を買ってきたんだよ」
「そうか、石炭か! 天龍型もキミも混焼式機関だから、僕みたいに石炭を食べるんだね?」
「ごめん、那珂ちゃん何を言ってるのか、ちょっと分からないなぁ」
松風は発見後しばらく昏睡状態で、今日ようやく艦娘として覚醒したばかり。
艦である自分が「食べる」ということが、まだピンときていない。
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「松風ちゃん、得意料理は?」
「いや、料理なんて作ったことあるわけ……」
「ダメ! そのリアクション、0点だよ!」
那珂が松風の肩をつかみ、ガクガクとゆする。
「松風ちゃん! ボクっ子ごときじゃ、全然キャラが立たないよ! もっと自分からアピールしていかなきゃ、この鎮守府で生き残れないよ!?」
「僕……どんな鎮守府に来たんだろう……」
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そして松風は那珂に案内されるまま、鎮守府庁舎のフロントサッシの引き戸を開け、安っぽいウレタン塗りの廊下と階段を経て、提督の執務室にやって来た。
那珂がベニヤ板製の安物ドアをガンガンとノックすると同時に、
「艦隊のアイドル、那っ珂ちゃんだよー☆」
豪快にドアを開いて名乗りながら、テヘッと片目をつむり笑顔でポーズを決める。
(どう? これがアイドルのアピールだよ!)
と言わんばかりに、ドヤった顔でチラチラ振り返ってくるのが鬱陶しい。
室内はネオンが灯り、バーカウンターが備え付けられ、カラフルなテーブルや椅子が置かれ、とても提督の執務室とは思えない雰囲気になっていた。
「驚かせちゃったかな? 明日、アイオワたちがここでカフェをやりたいって言うから、妖精さんに模様替えしてもらったんだよ」
陽だまりの中の眠り猫のような、のんびりした空気をまとった提督が言う。
「Oh! Beautiful、KIMONO!」
提督の隣には、提督に腕をからめて巨大な胸を押し付けながら、背の高い米国の艦娘が立っていた。
その後ろにいる艦娘は、おそらく英国と仏国の艦娘。
松風が起工された時、日米英仏は第一次世界大戦の戦勝国として同じテーブルを囲んでいたし、まだ栄光の日英同盟も失効していなかった。
だから陸式のように「鬼畜米英」などと視野の狭いことを言うつもりはないし、艦娘として転生した時に、艦としての自分が沈んだ後の歴史や、「ここ」は全人類と艦娘が共闘して深海棲艦に立ち向かっている世界なのだと、頭に入ってきていたが……。
まさか、鎮守府の中枢たる提督の執務室までが、米英仏に貸し出されるとは夢にも思わなかった。
だが……。
「そういうの有りなんだ。へ~ぇ良いね。僕も嫌いじゃない」
頭のハットを触りながら、松風が笑う。
戦後恐慌を経て経済が傾き、暗雲が立ち込め始めていたとはいえ、松風が生まれた時代の日本はまだ……国産初のウィスキー工場が建設され、アメリカ人建築家ライトの設計した帝国ホテルが落成し、新宿にフルーツパーラーが開業し、モダンボーイ、モダンガールという言葉が流行した、親英米の国家だった。
「僕が神風型駆逐艦四番艦、松風だ。キミが僕の司令官か」
「うん、この鎮守府の提督だよ。これからよろしくね」
何の気負いもなく、自然に握手を求めて手を差し出す提督の仕草に、松風は好感を持った。
提督の手をしっかりと握る。
「Hi! MeがIowa級戦艦、Iowaよ」
「Queen Elizabeth Class Battleship二番艦、Warspiteです」
「Bonjour! 自由・平等・博愛の国からまいりました、水上機母艦Commandant Testeです」
海外艦たちとも挨拶を交わした松風を、提督は赤いクロスが敷かれたテーブルに案内した。
「松風はまだ、目覚めてから何も口にしていないそうだね」
そう言って提督がうながすと、コマンダン・テストが松風の前に一皿の菓子を出す。
「これは……モンブラン?」
「Oui,MontBlanc aux Marrons(そう、栗のモンブランよ)」
パリのカフェで生まれたモンブラン山をモチーフにした菓子で、日本では1933年(昭和8年)創業の東京自由が丘の菓子店「モンブラン」が看板商品として発売し、昭和の世に広めた洋菓子の定番だ。
松風は、かつて自分に乗り込んでいた菓子好きの士官の記憶を、おぼろげながら思い出せた。
まず目を引くのは、鮮やかに輝く、黄金のような一粒の栗。
それが、絹糸の束のような茶色いマロンペーストの上に、白い雲のようなホイップクリームを台座として乗っている。
松風はスプーンで一口、モンブランを口に運んだ。
マロンペーストは想像よりもクリーミィで、濃厚な栗の風味が口いっぱいに広がる。
その下には、口の中で淡く崩れるフワフワのスポンジと、スポンジに包まれたたっぷりの甘い生クリーム。
舌の上で甘く溶ける生クリームの余韻に浸っていると、ウォースパイトが紅茶を出してくれた。
「ありがとう」
渋みとコクの強い茶褐色の紅茶で口を洗い流し、今度は栗とホイップクリームに手をつける。
甘く甘く丁寧に煮詰められた栗の、ほっこりとした食感。
ホイップクリームは、下の層の生クリームより甘さが押えてあり、ふわふわと滑らかに煮栗の味と食感を引き立てている。
松風はあっという間にモンブランを食べ終えた。
そこに、ウォースパイトが二杯目の紅茶を淹れてくれる。
今度はミルクティーだ。
ずっしりとしていた渋みが和らいでいるが、その中にもしっかり紅茶の香気とコクが残っている。
モンブランを食べながらでは感じにくかった、芳醇な甘味も今度は味わえた。
ふぅ、と一息ついた瞬間、松風はあることを思い出した。
(そうだ……あの人は、お菓子好きなんかじゃなかった。婦人に求婚する日、似合いもしないのに、精一杯気取ってあの洋菓子店に入ったんだ)
艦内に流れ込む黒い濁流に飲まれていった、顔も思い出せない士官。
だが、何となくこの鎮守府の提督と雰囲気が似ていた気がする。
溢れそうになる涙をこらえ、自分が艦娘として人間の身体を手に入れ、こうして食べ物を口にできることの意味を考える。
(守ろう。この平和な……人間達の世界を、提督と仲間のみんなと……)
「司令官、いいね。僕の背中は任せたよ!」
松風は髪をかきあげ、提督に向かって迷いのないさわやかな笑顔を見せ……。
(そうそう、そういうアピールが大事だよ!)
とでも言わんばかりに、良い笑顔で親指を立ててみせる那珂のことは無視しておいた。
【裏話】
最初のプロットでは、わが天使・文月ちゃんも登場させようとしていました。
しかし、「文月……なのか?」という松風のセリフを一行書いた瞬間、涙腺が崩壊し、激重なシリアスストーリーを書きそうになったので、即修正しました。
それでも少し重さが残ってしまいましたので、次回は明るいキャラに登場願いたいと思います。(でも、那珂ちゃん連投は書いてて胃もたれしそうなんで回避)