美しき山野に清き川が流れ、生命の母たる豊かの海に注ぐ。
春は様々な草花が淡く萌え、夏は眩いばかりに青葉がきらめく。
秋は鮮やかに紅葉が彩り、そして冬は全景が白く染まる。
とある地方の漁港の隣に設けられた、小さな鎮守府。
美しい自然に囲まれ、どこよりも小さく、ほのぼのとした鎮守府。
複雑に入り組んだ海岸線の合間に、ぽっかりと袋型に開いた狭い湾。
湾内にはいくつかの港が点在するが、湾の奥には、海岸まで迫る急な傾斜の山を背にして、双子のように小さな港が二つ並んでいる。
海から見て、右側の港がこの鎮守府の施設で、左側は地元の漁港だ。
当然、横須賀や呉の鎮守府のような、大規模な施設などない。
もともとは第三セクターの水産加工場だった、大型プレハブ建ての工廠。
同じように漁協事務所だった、無味乾燥な鉄筋コンクリート2階建ての鎮守府庁舎。
駐車場や冷凍倉庫の跡地に建てられた、小さめの赤レンガの倉庫群。
鎮守府庁舎の扉は、両開きのフロントサッシの引き戸。
そして漁協の組合長室を流用した、提督の執務室も狭くてボロい。
いいのです。執務室で戦闘するわけではないですし!
それに妖精さんたちが、たまに謎のテクノロジーで楽しい模様替えもしてくれる。
執務室に居ながらにして温泉に浸かったり、浜茶屋やバーを開店したり、スイカ割りやアイススケートまで楽しめる。
工廠には必要最低限の設備しかないが、それでも大和や武蔵といった超々弩級の艦娘の建造に成功している。
小さな倉庫群も容量が少なすぎて資源の大量備蓄ができないが、それでも甲勲章をいくつか授かるほど戦果を出す……こともある。
そんな量より質がモットーの辺境の小さな鎮守府だが、艦娘たちが暮らす寮だけは非常に大きい。
昭和初期に建てられたという、
これを山ごと買収し、さらに妖精さんたちが違法建築で縦横に建て増しに増したものだ。
もと収容人数80人だった旅館に、今では200人近い艦娘が寝起きしている。
増築された別館には200人が余裕で座れる大食堂や200畳の大広間があるし、離れとして弓道場や茶室など。
地下には各種の食品製造施設まで備えるようになっているのだから、その無茶苦茶な拡張ぶりが分かるだろう。
そして、この鎮守府にはもう一つ、他に誇れるものがあった。
朝6時、寮全体に『総員起こし』のラッパが鳴り響く、という鎮守府は多い。
しかし、この鎮守府では起床ラッパは鳴らさない。
そんなもの鳴らさなくても、この鎮守府の艦娘たちはさっさと起き出してくる。
秘密は間宮さんの大食堂から漂ってくる匂いにある。
特に、今日の朝食はパンらしい。
小麦粉とバターが焼ける、かぐわしい匂いが寮全体に広がる。
この毎朝の料理の素晴らしい匂いに誘われ、艦娘たちは布団から自発的に出てくるのだ。
しかし、この鎮守府では前夜23時の消灯時間から朝の6時40分までは、任務や当番、緊急事態以外、寮本館から出ることを禁じられている艦娘たち(特に、とある5500トン級軽巡)。
起きればまずは布団をたたんで押し入れにしまい、洗面やトイレを済ませて身支度を(その日に出撃や遠征、演習の予定がある艦娘はその準備も)整え、自室を含めた寮内の清掃をしながら6時40分の外出解禁を待つ。
そして6時50分までには、別館の大食堂に特別任務中以外の全ての艦娘が勢ぞろいする。
質素で飾り気もない昭和の学生食堂のような何の特徴もない大食堂だが、大勢の艦娘で華やかな活気に満ち溢れる。
「おはようございます、祥鳳さん」
「おはよう、初霜ちゃん。今日は対潜哨戒よろしくね」
今日の出撃や遠征予定が一緒な艦娘たちが、挨拶しつつ同じテーブルに着いたりする。
そこからは食事当番と連係プレーで流れるように配膳を整え、7時ちょうどの提督の「いただきます」の声を合図にして、一気呵成に朝飯に挑みかかるのだ。
旬の寒玉キャベツや人参、ブロッコリー、パプリカ、トレビスを使った色鮮やかなサラダ。
上質なオリーブオイルをベースにした、絶品の自家製ドレッシングでいただく。
湯気を立てる優しい味のオニオンスープ。
有機栽培の契約農家から直送された、甘味の強い玉ねぎを使っている。
外はサクサク、中はフワフワのクロワッサン。
一口かじれば、濃厚なバターの風味が口いっぱいに広がる。
カリカリのバゲットや、ふわふわのライ麦パンはおかわり自由。
種類が豊富な鎮守府自家製のチーズやジャムで食べる。
ジューシーに焼き上げられた粗挽きソーセージ。
これもドイツ艦娘たちが仕込んだ、この鎮守府の自家製だ。
飲み物には、近所の牧場から届けられたばかりのミルクと、搾りたてのグレープフルーツジュースがつく。
大人の艦娘たちには、サラトガとイタリアがコーヒーやカプチーノを淹れて振る舞っている。
そう、この鎮守府の自慢は『鎮守府エンゲル係数全国一位』。
食の充実こそを誇りにしている。
美味しいものを食べれば誰もが自然と笑顔になり、他愛もない話に花が咲く。
「ヘーイ、サラトガ! こっちにもコーヒーをお願いしマース!」
「姉さん、お口の周りにクリームチーズがついていますよ」
「今日の演習、単冠湾でしょ? うわ、うちより寒そぉ~」
「雪かき当番の子は、マルハチフタマルに第二倉庫前に集合だからねー!」
「空母のお姉さんたちのところのパンが足りませ~ん!」
騒がしくも楽しげな食事風景を見守りながら、提督も食事をすすめる。
それなりに背が高くて整った顔立ちをしているのだが、
肩には大将の階級章をつけているが、新任の主計少尉とでも言われたほうがしっくりくる。
「アドミラール、その黒パンは私が焼いたのだが……どうだ?」
「しれぇ~! そのジャムの苺、時津風と雪風が摘んできたんだよ!!」
「クズ司令官、昨日の書類の計算間違ってたでしょ!?」
「提督さん、名古屋への海上護衛のおみやげ、何がいいですか?」
「司令官! コーヒーを頂いてまいりましょうか? いつでもお命じ下さい!!」
提督の周りに艦娘たちが群がり、騒がしさはさらに加速する。
これは食にこだわった提督と、彼に率いられる人間臭い艦娘たちの物語。
深海棲艦から海の平和を守りながら、提督と艦娘たちは今日も楽しくご飯を食べる。