「夕立よ」
響たちと昼食を取った翌日。私が朝の日課として刀を持ち素振りをやっていた時のことである。
太陽がまだ完全に姿を見せていない時刻だ。背後から自分の名前を呼ばれたので素振りを一旦止める。それから呼吸を整えて、身体を声がした方向に向けた。そこにいたのはスキンヘッドで堂々とした存在感のある男性。声の持ち主は提督であった。
こんなに朝早くから私に一体どんな用があるのかと思っていたら、提督の隣には見慣れない艦娘がいる。
大柄で見たところ戦艦であろう。艦娘には珍しい褐色の肌に色素の薄い金髪をツインテールに結んでいる。眼鏡の奥にはルビーの瞳。そして私を見て嬉しそうに笑っていた。
何者だろうか、と一瞬考えたが昨日の暁の話を思い出す。そう言えば艦娘を建造すると言っていたな。どんな人が来るかで盛り上がったんだった。
彼女はもしかしなくとも、新しく建造された艦娘というやつであろう。
「見事だな。一振り一振りにお前の魂がこもっておる」
「ありがとうございます。しかし閣下、一体どうなされたので?」
私が尋ねると、提督は隣の艦娘に視線をやった。
その艦娘は待ってましたとばかりに私の前までやって来て、刀を持っていない右手に向けて手を伸ばして来る。どうやら握手のようだった。
私は刀を鞘に納めてから、右手で握手に応じた。
「私は武蔵だ! 提督から話は聞いてるぞ! お前は強者だと」
「大和型戦艦二番艦の武蔵。我らの新たなる同胞だ」
大和。その名前は私がこの身体になる前にも聞いたことがある唯一の軍艦の名前だ。未だ会ったことはないけど、風の噂ではそうとう強いらしい。それの姉妹艦ということは、彼女もやはり強力な艦娘なのだろうか。
とするならば、大変心強い仲間が出来たということだ。ただでさえ充実した戦力がさらに強化されたことになる。喜ばしいことだ。
しかし、建造した理由が気になるが……まあ良いだろう。説明する必要がある時に提督が説明してくれるであろうし、今は単純に仲間が増えたことを喜ぼう。
「私は夕立だ。よろしく頼むっぽい」
「ああ。よろしく頼むぞ」
ぶんぶんと握手している右手を振ってから、武蔵はそのまま私をどこかへ連れて行こうとする。こらこらどこへ行こうと言うのかね。
「落ち着け」
「おっと、済まない。気が高ぶって、つい」
止まってくれた武蔵だが手は離してくれない。私と手を繋いだまま本当に何が嬉しいのかニコニコ、そしてウキウキしている。遠足に行く小学生みたいである。
わけを知っていそうな提督に視線で尋ねてみれば、提督は頷いて教えてくれた。
「武蔵は強者との戦いが心躍るそうだ。だから儂はお前を紹介したのだ」
「うむ。提督に誰か強い者と戦わせてほしいと願ったら、お前を紹介してくれたのだ。ソロモンの悪夢と呼ばれ、敵味方に畏怖されるお前の強さ。是非味合わせてもらいたい」
「ということは、閣下。武蔵と演習をしろということですか?」
「うむ、そう言うことだ。頼めるな、夕立」
断る理由はないし、武蔵の実力は大いに気になるところである。それに提督に頼まれたとあっては、もとより断るという考えは私には存在しない。
「はっ! 承知しました、閣下。武蔵よ、私は手加減はせんぞ」
「手加減など必要ない。それに、私相手に手加減など出来ると思うな」
「ふっ、建造されたばかりと言うのに、一人前のセリフだな。腕が伴なっていれば良いが」
「言ったな? 吠え面をかかせてやる」
私と武蔵はお互いに握り合っている手に力を込めた。
響は眠たい目をこすって演習海域へと足を運んでいた。
本来だったらまだ夢の世界にいるにも関わらず、秘書艦長門の放送で夢の世界から無理やり現実世界に帰還させられたのである。
一体何の用だと思えば、全艦娘は至急演習海域へと来い、ということで同じ部屋の姉妹たち三人と一緒にふらふらっと向かっているのである。
到着してみると、半分以上の艦娘は既に集まっていた。だが、最後ではなかったのでそのことに安堵しつつ赤城の隣へと位置を決める。
響たちはこの頃赤城との関係が急速に進んでいるのだ。それは夕立の親友ということで、夕立のことを知るために話し掛けていたら自然と仲良くなったのである。
「今から何が始まるんですか?」
電が赤城に尋ねた。
赤城は、ふわ~とあくびをしている暁の頭を撫でながら、ふんわりと笑った。
「夕立の演習よ」
パッと響たちの目が覚めた。
自分たちの尊敬している人物の演習。これは見る価値がある。いや、見る価値しかない。相手は一体誰なんだろうか。
「相手は!?」
声を荒げる響。
そのことを気にすることもなく、赤城はスッと指を指した。
指が指された先には、夕立と戦艦らしき大柄な人物の姿。夕立の相手は見たこともない艦娘で、あれは建造された新しい艦娘ではないかと推測を立てる。
「おっきい……強そうな人ね」
唖然といった感じで暁が息を呑んだ。
艦娘本人が大きいのもあるが暁は驚いたのはそこじゃない。その大きな艦娘と比較してさらに大きいことが分かる艤装に驚いたのである。まさにいるだけで威圧感を与えそうな見た目だ。
「だけど……」
だけれど威圧感なら夕立も負けていない。彼女は相手の艦娘と比べると小さく見えてしまうが、彼女自身の内から滲み出る雰囲気というものが一回りも二回りも大きくしている様に見える。彼女の方も立っているだけで生半可な精神の人ではひとたまりもないと思う。
「……どっちが勝つのよ」
本人も気づかない間に、雷はそうこぼした。こうして見ているだけではどちらが勝ってもおかしくはないように思う。
これに答えてくれたのは、やはり赤城だった。
「夕立の相手は戦艦武蔵。艦娘の中で最も強いと言っても過言ではない、大和の姉妹艦にしてその大和に匹敵する艦娘。普通に考えれば武蔵が勝つと思うのが常識よ」
さらに言うならば夕立は魚雷発射管を着けていない。それはすなわち、駆逐艦の最大の攻撃を夕立は出来ないということである。彼女の攻撃方法は主に二つ。右手の主砲と左手の刀。右手の主砲は牽制程度にしか使用しないところを見れば、接近戦オンリーだ。
常識で物を考えれば夕立に勝ち目はない。
でも、響たちは夕立に勝ってほしいと思っている。それに勝てると思っている。自分たちを助けてくれた夕立の、戦艦ル級の砲弾を無効化し、深海棲艦の群れの中を突っ切り、ル級を一刀の下に斬り伏せたあの強さを知っているのだから。
そして、夕立がソロモンの悪夢と呼ばれるきっかけとなった戦いを共に戦った赤城も、夕立の勝利を確信していた。
「でも、そんな強い戦艦が相手である。それで負けるのであったら、夕立はとっくの昔に死んでいるわ。だけれど現実に彼女は生きている。それは何故か」
「何故?」
暁が赤城を見上げる。
「そんなの簡単よ、夕立はもっともっと強いの。だからこの戦いは夕立が勝つのか、武蔵が勝つのかという話ではないわ」
一呼吸おいて赤城は言った。
「武蔵が一矢報えるかどうか、の話」
「そんな次元の話なのです?」
「なのです。確かに駆逐艦と戦艦では埋められない性能差があるわ。だけど、今回武蔵が勝っているのはそれだけ。経験も精神力も、他は夕立に完全に分がある。鋼鉄の身体の時代であれば、性能差なんてそうそう埋められるものではないけど、今は違う」
赤城の言葉を聞きながら、響は周りを見回した。すべての艦娘が揃っているみたいだ。彼女たちは全員夕立と武蔵に注目している。
「さあ、始まるわよ」
言うと同時に爆音が辺り一帯に鳴り響いた。