「随分と人が多いね」
夜になると、私、赤城、長良の三人の姿は「鳳翔」という店の中にあった。外の街に出ればその限りではないけれど、鎮守府内となると、いわゆる飲める場所というのはここしかない。そして食堂を除けば、赤城の胃袋を満たすことの出来る場所もここだけだ。
店の中は出来上がっている酔っぱらいたちの軍歌をBGMとして数多くの艦娘たちが酒盛りをやっている。酒を飲まない艦娘はジュースで乾杯。こんな彼女たちを見ていると、姿は年頃の少女や女性であっても本質は軍艦であり軍人であることがよく分かる。
ここは静かに飲んでいたいという人には不向きな場所だが、私は好きであった。
店主は店の名前になっている空母の鳳翔である。彼女は間宮と並んで鎮守府の二大お母さんなんて呼ばれている包容力のある女性だ。
話していると何だか落ち着くのである。
この店に来る理由に、鳳翔を入れている艦娘も少なくない。特に駆逐艦娘は鳳翔の中の母性を求めて店ののれんを潜るのが大半だ。
「飲める場所がここしかないからな」
私は果実酒を口につける。ビールもいけたりするのだが、私は果実酒が好きだったりする。これに枝豆こそが私のジャスティスだ。
長良も酒は飲める方だがあまり好みではない。長良は炭酸飲料系の飲み物が好きで、彼女が飲んでいるのはサイダーである。一緒に食べているのはフライドポテト。
赤城はがっつり飲む。ビールも焼酎も何でもござれだ。今は飲むことよりも食べることに専念したいのか、ビールを半杯だけ空けて焼き鳥を頬張っていた。
「ほいひいふぁあ」
「それは良かったっぽい」
「喋る時は口の中の物をなくしてから」
「別にそんなことをここで気にする必要はない」
「もう。夕立は厳しいくせにこういうところは甘いんだから……でも、何だか見てたら私も食べたくなってきたよ」
すると長良は店の中をあっちこっち動き回っている鳳翔を呼びつけた。今日は特別に忙しいのかお手伝いの艦娘がいるにもかかわらずあっち行ったりこっち行ったり。
長良に呼びつけられた鳳翔はお盆を片手に早足にこちらに歩いて来る。
「これと同じの頂戴」
注文を受けた鳳翔は一礼してから踵を返すと、再び戻って来た時には赤城が口に入れているものと同じ料理を手に持っていた。
それを長良の目の前に置いた。
「あなたは今日が初めてよね? これサービス」
もう一品、野菜の炒め物である。
「ありがとう」
「いいえ。どうぞご贔屓に」
「お~い、鳳翔さ~ん! 鎮守府のスーパーアイドル那珂ちゃんがお呼びだぞ~! 早く来てよー!」
酔っぱらいの一人が鳳翔の名を叫んだ。
鳳翔はそちらの方に向かう。
「じゃあ頂きますっと」
串に刺さった鶏肉を口に運ぶ長良。口の中に入れた瞬間幸せそうに頬を緩ませた。
それから黙って果実酒を飲みながら、私は赤城と長良が食べているのを見ていた。
一時すると。
「相席、よろしいかしら?」
熱燗をゆらゆらさせながら川内型二番艦の神通がやって来た。ほんのちょっぴり酔っているのか、頬をうっすらと桃色に染めている。肌が白いゆえにその色の変化は大変目立った。
私の隣が空いているのでそこに誘う。
神通は礼を言ってから私の隣に腰掛けた。
「ふぅ……」
相席したものの神通は何か話すでもなく酒を呷るばかり。ただ一緒に酒を飲みたかっただけかと思い、そのまま一緒に酒を飲む。
私は飲みながら神通に何気なく視線を向けていると、あることに気づいた。彼女が飲んだ後に吐き出す息がため息のようなのである。
もしかしたら何か悩み事でもあるのか。
神通の対面に座っている赤城も不審に思ったようで、どうしたのか、と尋ねた。
だが、神通は。
「別に何もないです」
そう言ってから酒を飲むだけ。
だけど疑問を抱いてしまえば神通が何かに悩んでいることは明白だった。悩みがあるならこういうところで吐き出した方が良いということで、私も尋ねてみる。
「そうですね」
神通は酒がなくなったのを確認してから、観念したように、あるいは決意を固めたように呟いた。
テーブルの上に両肘を載せて、手を組んでから額に当てて、俯き加減でぽつぽつと話し始める。
この鎮守府内で神通は最古参の一人であった。まだ鎮守府内で完全に艦隊を編成出来るほどの人数がいなかった時に建造された艦娘であるので、なるほど最古参の一人というのは間違いではない。彼女は厳しい時代から繰り返した実戦で得た知識と経験を持つ歴戦の古強者。
そんな彼女には、最近悩みが出来はじめた。
それは最古参の一人であったから承っていた役目と、その役目が最早この鎮守府で必要なくなったのではないかという心配。
艦娘の教官という役目だ。
神通教官という呼び名は、この鎮守府内では有名である。ここの駆逐艦娘は多分全員神通に一度は指導されている筈だし、秘書艦の長門も受けたことがあると言っていた。私もここに来てから一度見てもらったことがあるし、赤城だってお世話になったことがある。彼女は人を指導する天才だと私は思っている。
そんな彼女の教官としての役目が必要なくなるというのはないんじゃないのか。
何故神通がそんな悩みを持つに至ったのかと言えば、私が原因らしかった。心当たりがまったくない。
詳しく聞いてみれば、私だけではなく響も関わっているようだった。どういうことなのかと訊いてみれば、私が響を指導しているのを見て、そして響がメキメキと実力を身につけているのを見た時、自分はもう必要ないのではないかと思ったらしい。
また、この頃自分に指導を頼んでくる艦娘がいないということも理由の一つとなっていた。
以上の二つの点から、神通は自分の役目が必要なくなった、終わったのではないかという危惧を抱くようになったのであるらしい。
「…………」
私は何も言えなかった。原因が下手に慰めの言葉なんて吐いたら逆効果になってしまう。
「ごめんなさい。嫌味っぽくなってしまったわね」
神通は組んでいた手をほどいて膝の上におろした。
「別に夕立が悪いわけじゃないわ。私が勝手にそう思っているだけですし……」
私と神通の間に妙な空気が生まれる。
その時。
「そんなことはないわ」
赤城が声を上げるのであった。
私たちの視線が赤城に集中する中、淡々と静かに神通へと告げる。
「そんなことはない。今なお、あなたに指導してほしいと思っている艦娘は大勢いるわ。私もその一人。私だって激戦を潜り抜けてきたという誇りと自負はあるけど、まだまだ未熟であるとも思っている。だからこそ、あなたのような百戦錬磨の艦娘に訊きたいこと、指導してほしいことはたくさんある。あなたが今の役目を終えてもらっては少なくとも私は困るわね」
「私も困るかな」
長良だった。
「話を聞いたところ、神通の指導ってかなり凄いみたいじゃん。私も受けてみたいから、辞めるのは勘弁してほしいよ」
ニッと白い歯を見せて長良は笑った。
神通が驚きながら赤城と長良に交互に視線を向ける。
ちょうどその時、店の入り口がガラガラと音を立てて開いた。
店は相変わらずの喧騒ぶりであったけど、私たち周辺は水を打ったような静けさという感じであったので、誰かが店に入って来たことを感知した。
反射的にそちらを見た私たちは、やって来た客が武蔵であることを確認した。店に入って来た武蔵は、鳳翔に一言、二言話し掛けると、キョロキョロと辺りを見回す。
武蔵と私たちの、正確には神通の目が合った。
こちらにスタスタと歩いて来る武蔵。
「どうした、武蔵」
「そこの神通に話がある」
何やら重要な話があるようだった。
大胆不敵な笑みが多い武蔵が真面目な顔で神通を見据えている。神通が無言で武蔵に先を促した。私たちは武蔵の次の言葉を待つ。
武蔵は頭を下げて言った。
「頼む。私の指導をしてくれ!」
この武蔵の頼みを聞いた赤城は、いたずらっ子のような笑みを神通に向けるのであった。
「ねっ、だから言ったでしょ」
「ええ」
神通は深く深く頷くのであった。