たかが一日過ぎただけならば大丈夫だとタカを括った結果が腹痛と十数分にも及ぶ格闘というのは割に合いません。皆さんも食事の際には消費期限を守るようにしましょう。
魔王からの依頼を受けたグラナは眷属を引き連れて人間界へと移っていた。どこからか、この話を聞きつけた現レヴィアタンまでもが、妹のサポートをするようにと依頼してきたことを除けばすべては順風満帆に進んでいると言って良い。
現在、グラナたちが生活しているのは駒王町にある一軒家だ。ちなみに依頼が完了すればすぐに引き払う予定なので、この家は買い上げたわけではなく、ただの借家だ。
グレモリー眷属とシトリー眷属のサポートを引き受けたグラナと外見的に問題のなさそうなルルは数日後には諸々の手続きも終了し、無事に駒王学園に編入することが決まっている。今は、それまでの準備期間といったところだ。
「はい、これで上がりっと。ドベはレイナーレだな」
眷属たちとやっていたのはトランプを使ったゲームの中でも、かなりの知名度を持つ大富豪である。俺は手元に残った最後のカードを場に出して何とか上がることができた。途中、ヒヤヒヤさせられる場面がいくつもあったが、終わりよければ全て良し。罰ゲームがあるのはドベだけなので、半端な順位でも問題ないのだ。
「約束通り、買い出しよろしくね~」
「私は、そうだね。少しばかり時期的には早い気もするが、アイスを買ってきてくれるかな?」
「しょうがないわね。買ってくる物はジュースとお菓子と、エレイン用のアイスでいいのよね?」
一応の確認を取るレイナーレに、勝者たる俺とルルとエレインは好き勝手に返答する。
「ああ。ただ、できるだけ早くな」
「時間かけるとジュースが温くなっちゃうから五分以内だよ?」
「そういうことなら、ジュースより私のアイスのほうが心配だね。ジュースは温くなっても飲めるが、アイスは溶けたらアイスとは呼べない代物になってしまう」
レイナーレが徐々に額に青筋を浮かべていくが、それに構わないのが俺たちだ。そして、それが俺たちの性格だと短いながらも共同生活の内に知ったがために、レイナーレは文句を言うこともない。
「はいはい。早く戻ってくればいいんでしょ!!」
玄関のドアを力いっぱいに閉めて轟音を響かせるのも、彼女なりのささやかな抵抗だろう。可愛らしいものである。
「ありあっしたー」
人間のバイト店員の中には理解不能な謎言語を使う者がいるが、レイナーレもそれには慣れた。あちらは業務で言っているのだから、理解できないのなら無視していれば良いと達観するに至ったのである。
「……意外と持ち難いわね」
数種類のジュースと菓子類にアイスは一つ一つの重量は然程ではないものの、合計すればそれなりの重さとなる。それをレジ袋二つに押し込んでいるので、重量が持ち手に集中し、堕天使のレイナーレでも顔を顰めるほどだ。
重さに手をやられたわけではない。レイナーレの手ではなく、レジ袋のほうが先に天寿を迎えそうなのだ。レジ袋の持ち手部分は細くて短い。それでこの重量を支えようとするのが間違いだった。こうしている間にも軋みながら、薄く伸びていく持ち手。こんなことになるのなら、なぜ家にあるバックを持ってこなかったのか。そう悔やんでももう遅い。
「あ!?」
鬱々とした不安を内包する視線を向けていたレジ袋の持ち手がついに千切れてしまう。拘束を逃れた中身が中空へと、袋からその身を投げ出していく。ジュースはまだいい。菓子類も許容範囲内だ。しかし、アイスはまずい。地面に落下すれば中ほどから真っ二つということもあり得る。そうなれば、ここ最近、毎日行われているエレイン指導の下による特訓の難易度が急上昇すること間違いなしだ。今でさえ死を覚悟するというのに、これ以上上げられたらどうなってしまうのか――
「にょ」
唐突に夜の道に響く声。張り上げたわけでもないのに、自然とレイナーレの耳に届いたのは、その声には確かな“力”が宿っていたためか。
下を向いていた視線を上げると、そこにいたのは一人の漢(誤字にあらず)だった。二メートルを超える長身とそれに見合った強靭な筋肉。その漢には幾多もの死線を潜り抜けたであろう“圧”が宿っている。
(何者!?)
過去に敵対したグレモリー眷属はもちろん、先日紹介されたシトリー眷属にもこんな戦士はいなかった。旧レヴィアタンの末裔であるグラナの眷属となったレイナーレに、彼らが配下を隠すとは思えない。つまり、この漢は外部から送り込まれた刺客に違いない。
「にょ!」
そして漢が奇妙な掛け声とともにレイナーレに向けて猛進し始めた。一人で勝負を仕掛けるなど、絶対の自信が無い限りは行わない愚策だ。つまり、ここでレイナーレを襲うということはかの漢は必勝を確信しているのだろう。そして、その速度はレイナーレが必負と瞬時に理解できるほどのものだった。両脚は踏みしめるたびに路面を罅割らせ、その屈強な肉体は空気の壁を突破する。剛弓の如く引き絞られた右腕から放たれる拳は容易く岩を砕くだろう。
――死
レイナーレの脳裏に過ぎるのは、正にその一言だ。回避? 逃走? できるはずがない。漢の速度はレイナーレの移動速度を容易く上回っている。逃走は不可能であり、奇跡が起きて一撃を躱せたとしても、続く第二撃に沈められることは目に見えている。
咄嗟に両腕を交差し、急所を庇う。死の恐怖に怯えながらも、両目を閉じないのはきっと特訓の賜物だろう。こんな死の間際に成果を感じたくなかった。できれば、もっと平和な感じで、特訓の時にエレインを負かすような形で実感したかった。
「にょにょにょにょにょぉおおおお!!! 無属性魔法
漢が腕を振り抜いたのは、レイナーレのいる位置よりはるかに手前だ。衝撃波を飛ばせるのならば別だが、あの距離からでは攻撃は届かない。
――なぜ?
その疑問はすぐに氷解するが、新たな疑問の誕生でもあった。
漢は逞しい腕を使って、レイナーレの持っていた、破れたレジ袋からこぼれる商品の数々を地面に落ちる前に掴んでいったのだ。商品を掴み取るのは地面に落とさないためだろう、それはわかる。が、なぜそんなことをする? レイナーレの買った品物がどうなろうと、この戦士には関係ないはず。しかし、漢は現実に品物の数々を掴み取った。その理由がレイナーレには皆目見当が尽かない。
疑問を覚えるレイナーレに我関せずとばかりに、漢はその右腕を振るう。右腕だけでは品物が地面に落ちるまでの数瞬の内に拾いきれないと判断したのか、左腕まで使い始める。
『
あれは魔法なのだろうか。正しくは魔法(物理)だと思ったレイナーレを誰も責められまい。しかし、魔法ではないと一概に否定する要素がないのも確かである。例えば身体強化、例えば肉体を自在に操るといった魔法ということもあり得るだろう。
「にょにょ。全部拾いきれたにょ。これも毎日の魔法の練習の成果にょ」
やはり魔法か。屈強な戦士でありながら、魔法使いとしての側面まで持つとは、この漢はどれだけの高みにいるのだ。
「これ、あなたの落とし物なんだにょ?」
「え、ええ。ありがとう」
差し出された品の数々を見て、ようやくレイナーレは再起動を果たした。どうやらこの漢に敵対の意思はなく、品を拾ったのも善意から来るものらしい。筋骨隆々とした外見に見合わない優しさだが、『人は見かけによらない』とはこのことだろう。
(これは!?)
渡されたジュース、菓子類、アイスの数々を見てレイナーレは驚きを隠せない。あれだけの超高速での動きだったのに、傷一つついていないのだ。ジュースはともかくとして、勢い余ってアイスや菓子類を握りつぶすくらいのことはありそうなものなのに、破れてしまったレジ袋を除けば無傷である。
この漢はただ肉体を鍛え、魔法を習得するだけではなく、それらを使いこなしているらしい。グラナはリアス・グレモリーのことを才能に使われているだけと言っていたが、今ならその意味がわかる。使うとは、使いこなすとは、この漢のように咄嗟の判断であっても呼吸するかのように自在に力を扱えることを言うに違いない。
「あなたは……いったい」
「ミルたん。ミルたんはミルたんって言うにょ」
ミルたん。何とも奇妙な名である。しかし、その奇妙さがこの漢の特性を現しているように思えるのは、レイナーレの気のせいではあるまい。
類まれな魔法の腕。屈強な肉体とそれを覆う少女染みた衣装。改めて見てみると、その衣装がこの漢にはまるで似合っておらず滑稽にすら思え、つい鼻で笑いそうになったところでレイナーレは真実へとたどり着く。
(まさか……、道化だと思わせて油断させる戦術!?)
成程。これほどの強者ならば、己の力を隠そうとするのもわからないではない。その際に、戦いとはかけ離れた少女の衣装を身に纏って偽装するというのも理に適っている。しかし、あまりにも強者然としすぎているがために、衣装だけでは誤魔化しきれず、どこか不気味で滑稽な
そう考えれば辻褄は合う。衣装で誤魔化しきれないということにこれほどの強者が予め気付かないはずはなく、しかし最初からそれが作戦に盛り込まれているとすれば何ら問題はないではないか。
(つまりこれは……二重の策ってことね)
衣装で誤魔化せればそれで良し。誤魔化せずとも、違和感のありすぎる風貌から滑稽な道化だと侮らせることができればそれで良い。中々に考えられた戦術だとレイナーレは心中で称賛していた。こうしているレイナーレですら、先ほどの動きを見ていなければ、漢の策に見事に嵌っていたに違いないと断言できるからこそ、漢の叡智には脱帽の念しか浮かばない。
「……ミルたん、あなたはどこを目指しているの?」
戦士としても魔法使いとしても策士としても、すでに十分な力量を備えているミルたん。彼とて、何かしらの目標があったからここまで来れたはずなのだ。レイナーレはそれを知りたかった。何が、一人の男を漢とするまでに後押ししていたのか。それを知ることができれば、レイナーレも前に進める気がしたのだ。
「ミルたんは魔法少女になりたいんだにょ」
「魔法……少女?」
確かそれは、子狐のような外見をしているくせに内面は外道な白いマスコットキャラと契約してなることができるものだったと記憶している。あれはアニメ――フィクションの中の話だったが、この世には魔法があるのだから、なにかしらの方法で『魔法少女』になることは不可能ではないだろう。
――魔法少女
名前の通りに『魔法を使える少女』と定義するのなら、この漢は世界に挑んでいると言えるのではないか。漢は見た目からしてすでに成人をしているだろう。少女になるということはつまり、若返りの秘術を求めていることになる。それはこの世に存在するものなら神であろうと逆らえない時の流れに反する行為だ。いや、それだけではない。性別さえ超越しようとしているのだ。生まれるよりも以前からすでに定められた性別を完全に変えることは、
(なんて……志が高いヒトなの)
漢がこれだけ偉大な存在となることができたのは、その志ゆえのことかもしれない。時の流れに反逆し、己の歴史全てを改変しようとする。まさに世界に挑む行為だ。挫けそうになることもあったのかもしれない。諦めてしまいそうになったこともあったかもしれない。それでも尚、進み続けることができたのは、漢の『心』の強さがあったからこそだろう。十二の難行を乗り越えたヘラクレス、姫を助けるために無謀な戦いに身を投じたペルセウス、英雄と呼ばれる人間たちを支えたものは、この漢が持つような強い心だったに違いない。
「私も、私もあなたのように強くなれるかしら?」
堕天使より遥かに矮小な人間。彼らが強くなれたのだから、レイナーレも強くなれると信じたい。だが、これまで目立った成果を上げることができなかったために、自分には自信が持てない。強い心を持つ者が成長できるのなら、自分を信じることさえできない己が強くなれるはずない。レイナーレもそう思っている。それでも、この偉大な漢ならば、愚かなこの身にも道を示せるのではないか。レイナーレの切なる願いであり、それは期待とも言えるものだった。
「? 諦めたらそこで試合終了なんだにょ。ミルたんは魔法少女になることを諦めないし、あなたも諦めたらダメなんだにょ」
深い。何て深い言葉だろうか。これを言うのが、そこらの餓鬼ならば、ただの生意気小僧で終わっていたが、実際は偉大なるミルたんが発した言葉である。決して諦めることなく歩み続け、人外の身であるレイナーレを遥かに上回る力量を身に付けたミルたん。彼が言う言葉には確かな重みがあった。
「ありがとう、ミルたん。あなたのおかげで私は明日から一層頑張れるわ」
「それは良かったにょ」
がしり、と力強く握手するレイナーレとミルたん。二人の間には出会ってからの時間は短いながらも、温かな友情が生まれていた。
「また会えることを願っているわ」
ミルたんから渡された、つい先ほど破れたレジ袋からこぼれた品の数々をどうにか持ち帰るために考えを巡らせ、少々不格好になるが致し方ないと割り切る。ジュース類は腕で抱きかかえ、菓子類とアイスは服とズボンのポケットに捩じ込む。量が量なだけに、やけに膨らんで色気の欠片もなくなってしまうが、まさかここに品物を放置していくわけにもいかない。堕天使としてはまだ若輩のレイナーレの乙女心的には結構痛いが我慢するしかないというのも、罰ゲームの一環だと思わねばやってられない。
「これを使うと良いにょ」
しかし、それを見過ごさないからこその
「でも、これは……あなたにとって大切な物なんでしょう……?」
本音を言うのなら受け取ってしまいたい。いくら百年以上の月日を生きているとはいえ、レイナーレの心はまだ純情な乙女である。服の至る所を膨らませ、腕にはジュース類を抱えて夜道を一人歩く、いかにも『男っ気のない寂しい女』のような真似をしたいとは思わない。罰ゲームでないのなら確実にやりたくもないそれを、回避する手段が目の前にある。例えるなら、砂漠でオアシスを見つけた旅人、雪山で遭難した登山者が山小屋を見つけたときの心境のようなものか。たかだか不格好で、などと言う者は女心の何たるかをまるで分っていない愚者だけだ。女は煌びやかな宝石であり、可憐な花でありたいと常に願っている。ゆえに、その外見を損なうことを酷く嫌い、ある意味ではその生命以上に大切な物が美しさなのだ。
ミルたんから差し出されたバッグはレイナーレの女としての矜持を守ってくれるものだろう。しかし、レイナーレは受け取ることができないでいた。ミルたんとミルキー。この二者の名前の近似性が偶然のものだと思えず、何かしらの縁があるのだとわかってしまったがために。そして、偉大なる漢の所有物を受け取る資格が自身にあるのか疑わしいからだ。
だが、それでも尚、ミルたんが退くことはない。強さを宿した瞳には不退転の意思があった。
「女の子はいつだってお姫様なんだにょ」
ミルたんは、この偉大なる漢はこの卑しい身でさえ姫だと言うのか。何という度量、寛容さだ。いや、あるいはこれこそが真の強者、歴史に名を刻んだ英雄の心意気なのかもしれない。
「……ありがとう。それしか言葉が見つからないわね」
「気にしなくていいにょ。友達を助けるのは当然のことなんだにょ」
強面でありながら、誰よりも深い優しさを持った漢。彼に頭を下げて、礼を尽くそうと思ったが、寸でのところで押しとどめた。きっと、この漢は頭を下げられることを望んではいない。レイナーレはそのことに気付いたからだ。
「また今度」
「会えるといいにょ」
だから、別れは笑顔と共に。それでいい。荷物を持っているために、手を小さくしか振れないが、ミルたんがそんなことを機にするとは思えない。あの漢ならば、目に見えるだけの形などには価値を見出すことはないだろう。きっと、この再会の念を受け取ってくれる。
歓喜と信頼を胸に、レイナーレは偉大なる漢――ミルたんと別れて、帰路につく。このから先、どんな艱難辛苦が襲ってこようとも、今日出会った偉大な漢のことを思い出せば、乗り越えることも難しくない。そう信じて――
元堕天使にして現転生悪魔、そして旧レヴィアタンの血族であるグラナ・レヴィアタンの眷属でもある。それがレイナーレの現状だ。そんなレイナーレの日常は中々に過酷な物だったりする。これはそんな日常の一ページを切り取った話だ。
「ブラッド・アロー。おやおや、どうしたんだい。もっと早く動かなければ躱せないよ?」
金色の髪を揺らし、口元にはサディスティックな微笑みを浮かべながら放たれる赤い矢を、レイナーレは体をひねって強引に躱す。続けて放たれる、二の矢、三の矢を躱すために更なる無茶な動きをしたせいで、背中の骨が嫌な音を立てた。
まずは戦闘訓練。主のグラナは旧レヴィアタンの血族だから、その眷属に入れば玉の輿のように楽できる、そんな思いは幻想だ。そもそも旧魔王の一派は現魔王によって辺境に追いやられた旧時代の敗北者たちだ。しかも、グラナは一族の中においても味方と見さなさることは無く、追放されている。現魔王派からも旧魔王派からも、良く思われていないのだ。したがって、敵も多く、たびたび
「くぅ!」
お返しとばかりに即座に作り出した光の矢を投擲する。並の下級悪魔ならば即座に消滅するだけの力を込めた、レイナーレ渾身の攻撃だ。しかし、対戦相手は手元に作り出した赤い剣を使って光の槍をいとも容易く打ち払った。
「攻撃が途切れた隙を突いて渾身の一撃を放つ、か。まあ、狙いは良いと思うよ? ただね、その戦術はスタンダートすぎてこちらとしても予想、対応しやすい。実戦で使うとするなら、君なりのアレンジを加えないと駄目だな」
余裕綽々とばかりに丁寧に解説し、更には改善点まで指摘する対戦相手は、同じ旧レヴィアタン眷属の一人であり、『僧侶』のエレイン・ツェペシュだ。息を切らせ、額に玉の汗を浮かべるレイナーレに対して、息一つ切らすことのない姿が両者の力の差を物語っている。
「ほら、今度はこちらの反撃だ」
剣を一振り。それを合図にして、宙に再び作られる赤い矢の群れ。全ての鏃がレイナーレへと向けられており、すでに射出準備は整っている。
「――射抜け」
静かな号令を皮切りに、赤い矢の群れがレイナーレへと殺到する。
「そう簡単に貫かれてちゃ、堪らないわよ!」
一本、二本、三本、四本と矢を躱すうちに次第に矢の速度に対して、回避行動が遅れ始める。以前のレイナーレなら、ここで勝負がついていたことだろう。だが、毎日毎日必死になって特訓していれば僅かなりとも成長するのだ。
裂帛の気合を以って、迫りくる矢の群れへの恐怖を抑え込み、後退しそうになる足を押し止めてその場を踏みしめる。重心は前に、実力差は圧倒的なのだから、無茶を押し通さなければ、一矢報いることさえできない。
握りしめた槍にありったけの光力を流し込んで強度を引き上げる。疲労困憊の体に鞭を打ち、渾身の槍撃を連続で見舞って赤い矢を弾き飛ばしながら進んでいく。
「はぁあああああああああああああああッッ!!」
特訓を始めてからまだ日も浅い。以前より向上したと言っても、その技術は拙く、付け焼刃のようなものだ。上手く弾ききれずに体を掠める矢がある。槍による防御が間に合わずに、レイナーレの身を貫いていく矢もある。それでも尚、歩みを止めることはなく、これまでさんざん特訓で絞ってくれたエレインにお返しをせんと迫る。
「ふふ、はははははは! 予想以上にやるじゃないか! 私も少しばかり力を入れていこう!!」
先ほどまでの余裕の雰囲気を捨てて、エレインは闘志を露にする。その姿を見てレイナーレは人知れず歓喜した。これまで行われた幾度の特訓では、決してエレインの余裕を崩せなかった。つまり今、目の前にある闘志を剝き出しにしたエレインの姿こそが、レイナーレの成長の証なのだ。
“指導”から“戦い”へと意識を変化させたエレインの攻撃は苛烈の一言に尽きる。数本の矢に翻弄されるだけだったのに、今では二十を軽く超える矢が次々と放たれているのだ。勝ち目などどこにもない。だが、それでもレイナーレは笑う。エレインの攻撃の脅威を感じることができている。それは今、この瞬間も猛撃に耐えて、一歩ずつ前進していることに他ならないのだから。
「これで……ッッ!」
ついにエレインを槍の射程に捉えた。あとはただ一度、槍を振るうだけで事足りる。魔の存在にとって堕天使のレイナーレが使う光は猛毒にも等しい。そして、エレインは悪魔に転生する前の、元々の種族も魔に属するものだったために、特に光に弱い。
堕天使として決して上位とは言えない半端な実力しか持たないレイナーレの槍でも、急所を貫けば一撃で倒すことも可能だろう。足で地を捉えてしっかりと体を支え、腕だけでなく、腰のひねりも含めて全身の力を総動員した渾身の一撃。それを当てることができれば、勝負は決する。だというのに、レイナーレの体は最早それ以上動くことは無かった。
「かっ……はっ!」
熱い。まるで熱した鉄の棒を差し込まれたような感覚が襲った腹部に目をやると、赤い槍によって
「ごふっ」
口から吐いた血の色は、レイナーレの体を拘束する物と同じ赤だ。それを見たレイナーレは一つ息を吐いて、呼吸を整えた。
「私が放っていた矢の群れは本命であり、同時に伏線でもあったということさ。矢で倒れればそれで良し、尚も向かってくるのならばこうして背後から捉えてケリをつける。どちらになっても私は構わなかった」
戦いにおいて、相手の能力を看破する洞察力が必要とされる場面は結構多い。そのため、レイナーレは同じ眷属仲間の能力を一切明かされておらず、模擬戦の中で相手の能力を解き明かすことも課題の一つとされている。
――そして、一人目の、エレインの能力についての答えは出た。
基本的には液状であり、エレインの意思に従って形を変えて凝固することであらゆる武器を再現できる。色は混じりけの無い赤。エレインの元来の種族は、鋭い犬歯と金色の髪に赤い瞳を持つ、あの夜の血族だ。
彼女の能力の二つの特徴と、元来の種族の逸話。そこから答えは導き出せた。だから、レイナーレは笑う。今回も負けてしまったが、課題を完了させることができた。そのことがどうしようもない程に嬉しくて、負けたというのに勝者のエレインに向かって勝ち誇った笑
「あな、たの……能力は……」
いつ気を失ってもおかしくないだけの傷を負っているせいで、呼吸が荒く、満足に言葉を紡ぐことができない。体の内側からせり上がってくる血液に邪魔されて、呼吸もままならなかった。
「ごふっ、うぅ……」
喉元にまで上がってきた血液を嚥下しようとして、しかし失敗し、堪らずに吐き出した。その動作も辛い。というより、呼吸するだけで、こうして意識を保っているだけでも辛い。それでも、一歩前進できたということを自身だけでなく、エレインにも証明するために言葉を紡ぐことを諦めない。
「ぃ………を……あやつ、る…………こと」
意識の混濁し始めたレイナーレには自身が発した言葉の判別もつかない。しかし、意識が暗転する間際には、エレインの褒め称えるような笑顔が見えた気がした。
今回のエレインとレイナーレの模擬戦ではレイナーレが重傷を負う結末となりました。
「たかが模擬戦でここまでやるのか?」そう思う人もいると思うので後書きで軽く説明しちゃっておきますね。
結論から言えば、エレインのあの対応は例外とも言えるものです。普段、他の眷属と模擬戦をする際には、決して相手を瀕死にするまで続けたりなんてことは絶対にしません。今回、レイナーレが気絶するまで戦いをやめなかったのは、圧倒的な実力差がありながらも前に進もうとするレイナーレの意思をエレインが汲んだからです。
結果論になってしまいますが、レイナーレは敗北こそしましたが、エレインの能力を看破するという目標の達成はできました。本人にやる気が充溢しているのだから、それを実らせる機会を奪ってはいけない、それが根幹にある考えですね。
「……ていうか、エレイン。あなたの能力って名前のまんまじゃない。そんなのでいいの?」
「まあ、一理あるが……しかし、それでいいんだよ。私の能力はアレ一つではないからね」
「……え?」
「あれの他には、念動力に魔眼、変身その他諸々の能力がある。一つや二つ、能力の正体が看破されたところでどうということはないんだ。それに、手札がバレてからが頭脳戦のの醍醐味さ」
「……遠いわね、本当に」