ハイスクールD×D 嫉妬の蛇   作:雑魚王

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7話 混沌天使と黄金の修羅

 イモータル城と名付けられた魔窟の内部を疾走する二つの影。

 一人目はギルバート・アルケンシュタイン。悪魔らしい整った顔立ちを持つ美青年で、周囲に隠してはいるものの、その実力は最上級悪魔に勝るとも劣らない。旧魔王派という小さな枠ではなく、冥界の中でトップクラスの強さを持つ男だ。

 二人目は彼が密かに想いを寄せる、レベッカ・アプライトムーン。噎せ返るような色気を放つ女であるが、戦闘は苦手としているのか、本人曰く過去の負傷(・・・・・)により(・・・)翼を失った(・・・・・)ことで(・・・)飛ぶことが出来ない(・・・・・・・・・)。日常生活に然程の支障は無いが、やはり戦闘のような場面では不利に働き、実際に今も二人が足を使って移動しているのはレベッカに飛行能力がないためだ。

 

「はぁ、はぁ、大丈夫かレベッカ? 体力に問題は?」

 

「くっ、結、っ構きつい、です……ぜぇ、はぁ」

 

 ギルバートとレベッカの二人組は、鬼の姉妹から逃走することに成功するまでは良かったものの、城から脱出するよりも先に、更なる襲撃に遭い再び逃走するということを繰り返すうちに完全に迷ってしまっていた。ギルバートはまだ幾分の余裕があり、あと数時間は走っていられる。

 しかし、レベッカはそうもいかないことが見て取れる。全身から大量の汗を流し、足下が覚束ない様子は見ているだけで冷や冷やさせられるものがあった。だが贔屓目に見ても実力不足のレベッカを、ギルバートは見捨てない。

 

 彼女のことが好きだから、その気持ちに嘘はつけないから。

 

 そして、ここまで繋げてくれた者たちの思いを裏切るわけにはいかないから。

 

『隊長、ここは俺が食い止めますんでみんなを連れて行ってください。なーに、死にやしませんよ。俺を誰だと思ってんですか、見縊らないでください。――後で必ず合流しましょう』

 

 そう言って鬼の姉妹を単身で足止めする部下がいた。彼と出会ったのはここ数年のことで、すでに数百年の年月を生きるギルバートの生涯の長さから言えば、その付き合いはかなり短いと言える。けれど、彼との付き合いは濃く、深く、忘れがたいものだった。

 彼の言葉を無視して、その場に留まることも出来たが、それは彼の決意を無に帰する行為だ。彼の覚悟を侮辱しているに等しい。そんなこと出来るはずが無い。一人の男として、友として、彼の思いを汲み取る以外の選択肢は存在しなかった。

 

 だから、彼を殿としてその場に残した。生き残って欲しいという己の本心を押し殺し、断腸の思いで彼を死地に追いやった。

 

『ギルさん、あんたはやり残したことがあるんでしょーが。そういうヒトは死んじゃあいけないんすよ?』

 

 百歳にも満たない、若輩者。いつもヘラヘラと笑ってばかりいた彼は、悪感情を周囲から買うことも多かったが、その軽さがギルバートには心地よかった。何の気なしに話しかけてから、何だかんだと関係が続き、今では気の置けない仲だ。

 人生何が起こるか分からない。まさにその通りだ。一人息子だったギルバートには想像する他ないが、弟がいればこんなものなのかもしれないと、あの軽薄な若者と話すたびに思ったものだ。

 

 けれど、あの弟のような男と会うことは二度とないのだろう。

 

 鬼の姉妹から逃走に成功するも、だからと言って易々と城からの脱出を許されることはなかった。行く先々で、あの恐ろしい鬼の姉妹にも勝るとも劣らない、精強な兵士と次々と出くわし、その度に仲間の誰かが囮となって後に繋いだ。ギルバートにとって弟のような存在だった彼も、そのうちの一人だ。

 その場にいた仲間と共に全員で戦えば、あるいは勝機も見えたかもしれない。だが、ここが相手の本陣であるからには戦いに時間を掛けてしまえば更なる魔人が襲い掛かってくることは自明の理。即殺できるのならその可能性も皆無となるのだが、そこまで自陣営が優勢ならばそもそも鬼の姉妹から逃げ出したりなどしていない。

 故に、魔人と会うたびに部隊を削り、戦友を一人また一人と殿にする必要があった。大を救うために小を切り捨てる。部隊の長としての判断を続けて続けて、涙を堪えながら辿り着いた結果が、生き残った者は己とレベッカのただ二人という現実だ。

 

 生き残った者はたった二人。対して犠牲になった者は、その十倍以上。これでは天秤の針があべこべだ。

 自殺したくなるような無力感に襲われても、この現実を作り出したのはギルバート自身なのだから自分を責めることは許されない。

 彼らの死を無駄にしないためにも、ギルバートは生き残らなければならないし、必ずレベッカを守り通す。死んだ戦友たちに詫びを入れるのは、レベッカと二人で生還した後だ。

 

 己の為すべきことを再認し、覚悟を固め直す。それで速力が上がったり、城からの脱出経路が分かったりするわけではないが、苦境においてはただの精神的な儀式が戦意を維持するために役立つこともあるのだ。

 レベッカを見捨てて己一人で逃走する妥協を許さない。背後にいる女を守るために、足に力を込めて立つ。

 ギルバートは速度を維持しながらも意識の警戒網をより広げていたから、廊下の突き当りに大部屋があることにいち早く気付いた。

 まるで客人を招き入れるかのように開け放たれた、十メートルを超える巨大な扉。

 数瞬、罠かと疑うも、だからといって何が出来るわけでもない。脱出ルートは相変わらずさっぱり分からないし、来た道を引き返せば、自分たちを追う魔人どもと遭遇する確率が跳ね上がるだけだ。

 

「レベッカ! 一か八かだ、あの部屋に突入するぞ!!」

 

「はぁ、はぁ……、了、解!」

 

 こうして全力疾走しているために、二人の足音が盛大に響いている。仮にあの大部屋に敵が待ち伏せているのなら、ギルバートたちの接近にも気付いているはずであり、慎重に進むことは無意味。現在進行形で城の守り手たちに追い回されていることを含めると、悪手でさえある。

 

 罠が仕掛けられているかもしれない。待ち伏せされているかもしれない。あそこが自分たちの死地になるのかもしれない。

 

 いくつもの不安が過ぎり、全てを捻じ伏せ、ギルバートは片思いの相手と共に部屋に転がり込むと同時に周囲へと目を遣って状況を確認していく。

 部屋はかなり広く、天井までの高さもある。床や壁、そして天井に至るまで傷一つ汚れ一つ見当たらず、それら背景に施される装飾は超一級と称されるものでありながら、決して主役になれるほどの華美さを持ち合わせない。あくまでも背景は背景、装飾は装飾、他を引き立てるものであるとの本懐を、この部屋の主は理解しているのだろう。

 ギルバートとレベッカらが転がり込んだ出入り口から部屋の奥にまで真っ赤な絨毯が伸びていた。踏みつけた靴裏から返される感触は、彼らの窮状に反してフワフワとした柔らかさがある。

 絨毯が伸びていく部屋の奥には階段があった。柱や壁のような装飾がされているわけではなく、部屋の他の部分と材質が異なっているわけでもない。それでありながら、決して近づいてはならない、神聖なる不可侵領域であると直感させるだけの威容を放っている。

 

「……あれは、玉座か?」

 

 階段の頂に置かれているのは、一切の装飾が為されていないシンプルな椅子。見る者によっては質素だと言うだろうし、ともすれば貧相だと思うこともあるだろう。

 

 それら当然の感想を、ギルバートは見る者の目が腐っていると一瞬で切り捨てる。あの椅子はあれで完成しているのだ。

 極限まで削り落とした一、あるいは満たされた一。

 絶対にして究極の一。未だ見ぬ椅子の主の、王としての自負を象徴するかのようだ。

 

「ええ、その通りです」 

 

 ギルバートの呟きに返された声は、ただ一人の同行者のものではない。玉座に到る階段の手前から発せられていた。

 誓って言えるが、ギルバートは僅かたりとも油断していない。この広い玉座の間に蠅が一匹でも紛れ込んでいれば、それに一瞬で発見することが出来たはずだ。

 それほどの意識の網を張り巡らせていても尚、返答されるまで三人目の存在を看破し得なかった。それは三人目が己を従者だと定めていた故。ただの臣下、主の道具だと自認するが故に、自己主張というものを全くしない。この場が玉座の間であることを差し引いても、その意思の固さは異常と言って良い。

 

「――誰だ、お前は?」

 

 ギルバートの口から発せられた声は途切れ途切れに擦れていた。三人目が、あまりに美しかったからだ。その美貌に見惚れ、心が痺れ、呼吸さえ危うくなったからだ。

 かろうじて発生することが出来たのは、単にすでに想い人がいたからに他ならない。ギルバート自身も情けないことだと思うが、レベッカと会う前の自分だったら声を出すことすら出来なかったと断言できる。

 

 玉座の間で、ギルバートとレベッカの二人組と相対する三人目。それは飛び切り美しい女だった。

 

 彼女を表すなら、銀。あるいは白銀。

 髪も睫毛も眉毛も瞳も、全てが輝かんばかりの銀色に彩られた絶世の美貌の持ち主だった。

 豊かな胸に反して縊れた腰、そして胸同様に女らしさを示す臀部。整った鼻梁といい、艶やかな唇といい、一切の隙が存在しない、精巧なビスクドールのようだ。

 服の袖やスカートの裾から覗く肌には、一つの傷や曇りもなく、新雪のような白さを讃えている。儚く、犯し難く、神聖な妖精。

 

 ギルバートはレベッカのことを世界一の美女だと信じてきたが、この白銀の女を見てしまっては、それまでの意見を変えざるを得ない。色気を前面に押し出したようなレベッカとは方向性こそ違えど、眼前の女は彼女に匹敵するだけの美貌を備えている。

 

「メイド長兼執事長代理を務めさせて頂いているアマエルと申します」

 

 まず己の役職を名乗ったのは、礼儀や形式的な理由ではないのだろう。初対面のギルバートでさえ分かるほどに、アマエルと名乗った女の声には職務に対する誇りが強く滲んでいる。

 メイド服という装いと名乗った役職からして、彼女の身分は使用人。その立場に抱く誇りは転じて主への崇敬の念とも言えるだろう。ただひと声を聞いただけで、アマエルが主君を決して裏切ることのない忠義者だと断じることに迷いはなく、問いを重ねるギルバートの声に険の色が混じるのは当然の成り行きだった。

 

「そのメイドだか執事だかのあんたがどうしてここにいる? 普通、玉座の間(こういう場所)にはトップがいるもんだと思うがね……、なんか仕事でも申し渡されてんのかい?」

 

「ええ、一つ裁定を任されております」

 

「裁定?」

 

 返された答えにギルバートは首を捻る。声の調子に変化のないことや返答までにかかった時間が零であることなどから、恐らくアマエルは嘘を言っていないと思う。

 しかし、その内容が問題だった。

 戦闘ではなく、暗殺でもなく、抹殺でもなく、捕虜とするための拘束でもない。白銀のメイド長に任された仕事は裁定、つまり何らかの審判だと言う。戦場とは程遠い概念であり、雑な言い方をしてしまえば意味不明である。それとも何らかの暗喩なのだろうか、と更に頭を捻るギルバートを見かねたのか、捕捉するように言葉が継ぎ足された。

 

「ギルバート・アルケンシュタイン。あなたを見極めるということです」

 

「……やっぱり意味が分からん」

 

「分からなくて結構。黄金の決定は絶対なのですから。あなたの意見など元から聞いてません。

 ―—では、そろそろ始めることと致しましょう」

 

 瞬間、アマエルの体から清浄なるオーラが放出され、玉座の間を一瞬にして聖域へと変貌させた。その力の名は光力。悪魔の怨敵たる天使や堕天使の用いる力である。

 これ以上ない程に分かりやすく明かされたメイド長の種族。その証拠を己の目で見て、それが意味するところを一瞬のうちに理解出来たのは、ギルバートの優秀さあってこそのもの。優秀であるからこそ、否定の言葉を吐き出した。

 

「馬鹿な! あり得ねえだろ!? 天使でも堕天使でも、悪魔に下るなんてことがあるものか!」

 

 悪魔、天使、堕天使の三大勢力の争いは、近年では小競り合いが度々起こる程度であったし、つい先日には協定が結ばれ戦いは終結を迎えた。

 だが、過去に大戦があった事実は変わらない。協定が結ばれたとは言え、同胞を殺した者らへの憎しみが消えたわけではなく、心情的に主従関係を結ぶことは厳しい。また単純に、簡単に勢力を移動するような真似は出来ないという常識もある。

 天使に限って言えば、魔に属する者に下ることなど種族の性質として不可能。そんなことをすれば、堕天は免れないはずだ。

 

「天使でも堕天使でも、ですか。そうなのかもしれませんね。………けれど、私はそのどちらでもない」

 

 肯定の言葉と共にアマエルの背には、堕天使や天使の長と伍する十二枚の翼が展開された。それだけを取っても彼女の実力が並大抵のものではないと察するには充分だが、驚愕はそれだけに留まらない。天使や堕天使は、悪魔と違って鳥のような翼を持つが、天使は白、堕天使は黒と種族ごとに色が決まっている。アマエルはそのどちらでもあり、どちらでもなかった。

 左側の六翼は夜空のような漆黒に満ち、反対の右側の六翼は穢れをまるで知らないかのような純白。アマエルの翼は存在しないはずの、二色の翼だったのだ。

 

「なん、だよ、そりゃあ……!?」

 

 ギルバートの驚愕を余所に、アマエルの動きは淀みない。宙に円を描くように、クルクルと回した右手の人差し指を起点にいくつもの光輪が生じ、それらを投擲する。

 ヒョイ、とそんな擬音語が付きそうなほどに軽い動作だったが、放たれた光輪の速度はギルバートをしてやっと目で追えるかと言ったところ。大気の壁を引き裂きながら猛進する光輪の標的として選ばれた者は、ギルバートではなくレベッカだった。

 

「きゃあ!」

 

 咄嗟に急所を庇う反応を見せるが、それが限界だった。元よりレベッカの実力はギルバートの遥か下なのだから、ギルバートでさえ視認することが難しい攻撃を回避するなど不可能である。

 しかし光輪はレベッカの体に直撃しても、ブーメランやチャクラムのように傷を付けることはなかった。代わりに、枷のように両手と両脚に光輪が嵌り動きを拘束し、バランスを崩したレベッカはその場に倒れ込んだ。仕上げとばかりに、余っていた最後の光輪が口枷となって声を出すことも禁じる。

 元からあの光輪に攻撃の意思が込められていなかったことをギルバートは悟った。脅威となるほどの戦力でないのであれば、積極的に殺しにいく理由が存在しない。むしろ確保した方が人質などの利用法が生まれて、その後の状況を有利に運ぶことが出来る。絶体絶命の窮地にあり焦燥に駆られるギルバートからすれば、嫌味なほど合理的な戦術だ

 

「これで、あなたは逃げませんね?」

 

 多数を相手にするときは、まず弱いほうから排除する。そんな単純な理屈に則った戦法を予測できず、初手から数の優位を潰された己の鈍間具合を責めたくなる。戦友らに想いを託されたことや今やレベッカを守れる者が自分一人であったことがプレッシャーとなっていたなどと言い訳するつもりはない。託された想いを背負ってこその隊長だし、好きな女の一人程度を守れないようでは男を名乗る資格すらないのだから。

 

「……やるしかねえか。――レベッカ、少しだけ待ってろ! すぐに終わらせる!!」

 

 敵の手によりレベッカを拘束されてしまった以上、心情を含めた諸々の事情により逃走の選択肢は脳裏から消え去る。更に背後からは巨大な扉が閉まる音が届き、物理的にも退路が断たれたことを悟れば、最早戦意を高めるのみ。

 全身から溢れる魔力は最上級悪魔相当の量であり、上級悪魔らしくないギルバートはそれらを扱う術を努力によって磨き続けて来た。生来の才能と、惚れた女を守らんとする決意が重なった彼の実力は、翼の数からして堕天使の総督や天使の長にも匹敵するだろうアマエルを相手にして尚、勝機を見出し得る。

 

 そして捕らえられたレベッカに危害が加えられる様子が無いのは、裁定とやらの対象がギルバートだけのためだろう。レベッカに求められる役割は最低の最中にギルバートが逃げ出さぬよう、この場に留めるための楔となること。愛する女が道具扱いされていることや己が格下のように見られていることに苛立ちを覚えるが、裁定の間はレベッカの身の安全が保障されていると考えれば僥倖とも取れる。

 

 そこまで考え到れば、ギルバートの取りうる選択肢はただ一つ。戦って打ち勝つのみである。

 アマエルという障害を捻じ伏せ、レベッカを取り戻す。そして二人で城から脱出する。それは玉座の間に突入する前から決めていた覚悟だ。

 

 今更臆する道理などない。

 

 裂帛の気合を吐きながら、全速の疾走を仕掛けようとしたその刹那のことだった。

 

「ッ!?」

 

 誰かに見られている。この場には居ない誰かが、どこか遠くから己を観察していると直感した。

 その視線が、戦場の只中であることを忘れてしまう程に気持ち悪くて仕方ない。まるで魂の奥底までを看破するような視線から何かを隠すことなど不可能だと否応なく理解させられる。

 ただ視られているだけにも関わらず、胃が丸ごと引っ繰り返ったような心地だ。平衡感覚すら狂い始め、正常に立つことが出来ているのかどうかさえ判然としない。

 

「どうしました? 来ないのであればこちらから行きますよ」

 

 異常な視線はギルバートのみに向けられたものなのか、アマエルの様子に変化はない。両足を前後に開いて腰を落とし、開いた両の手には光の双剣が収まる。

 ギルバートが異常な視線に射竦められて動きを止めた刹那の間に、白銀のメイド長は間合いを零にまで詰め、煌めく二つの光刃がギルバートの首を狙った。

 

「クソッタレが!」

 

 悪態と舌打ちを一つずつ溢しながら、ギルバートは後方に飛び退って命を繋ぐ。気味の悪い視線は今も感じているが、やらなければやられるだけだ。空元気の笑みを浮かべて怖気を押し殺し、魔力で向上させた身体能力を用いて反撃に打って出る。

 危機的状況に陥ったことにより冴え渡る勘と五感。まるで時の流れが遅くなったかのように錯覚するが、床を踏み砕くほどの脚力による疾走は紛れもなく過去最速である。固く握りしめた拳と振り被った腕からはプチプチと筋繊維の千切れる音が生まれ、肉体が耐えきれないほどの力を発揮していることを物語る。

 

 最速と最高と最強が組み合わさった一撃は、ギルバート・アルケンシュタインが現時点で出せる究極のもの。敗北すれば己も女も死ぬという逆境さえ踏み台とし、より高い場所へと飛翔してみせたのである。

 

「ヅッぉぉオオオ!!」

 

 だが、それでも届かない。

 

 ギルバートが英雄ならば、アマエルは魔人だ。しかも数多いる黄金の配下の中でも指揮官位にあるのだ。弱いわけがない。

 強さを見せつけるかのように大きく広げた十二枚の翼から何枚もの羽が飛び散る中、交差させた双剣の腹で英雄の一撃を軽々と受け止める。

 天使長にも引けを取らないアマエルの光の強さは半端なものではなく、それから作り上げられた双剣の硬度は非常に高い上に魔の者にとっての毒性までもが凄まじい。英雄の拳を受け止める双剣には罅の一つさえ入ることはなく、むしろギルバートの拳のほうが砕け、焼け爛れ、血を流した。

 

「成程、これは……」

 

 土壇場にありながら、生涯最高の一撃を繰り出すことの出来たギルバートは掛け値なしに素晴らしい戦士だろう。

 だがアマエルはそれを軽々と防いだ。英雄の最高値は、魔人の最高値には遠く及ばなかった。

 ギルバートとて、それを理解している。けれど退かない。ここで倒れれば守りたい女まで死ぬことになると理解しているから、戦友らに想いを託されているから、眼前の女が埒が居の強さを備えている程度のことで諦めるわけにはいかないのだ。

 焼け爛れた拳から煙を噴き上げ、血を流しながらも、更に力を込める。アマエルの声に混じる称賛の念に気付くほどの余裕は、全身全霊を賭して抗うギルバートには知る由もない。刃と接触するたびに奔る激痛を押し殺し、より苛烈に攻め立てていく。

 

「問いましょうか、あなたは何故戦うのですか?」

 

 都合数十を超える程に互いの武威をぶつけ合った頃、奇しくも初手と同じ状況に二人は陥っていた。英雄が生涯最高の一撃を放ち、白銀の魔人が双剣で受け止める。更に押し込もうとする拳と止めようとする剣が鬩ぎ合い、二人の視線が交わり、白銀の魔人の口からは問いが放たれた。

 

「あぁ? そんなの今訊くようなことじゃねーだろ」

 

 問われたギルバートの心は疑問一色。正直なところアマエルの問いの意味が分からなかった。戦闘中に問うようなことではないし、であるからこそそんな問いを発した意図が見当もつかない。

 

「答えなさい」

 

 相手の事情など知ったことではないとばかりに、アマエルの美声は涼やかを通り越し零下に到る。剣呑な光を瞳に宿した魔人の有無を言わさぬ蹴りが、ギルバートを部屋の隅まで吹き飛ばした。

 ギルバートは受け身を取ることさえ出来ずに背中からぶつかり、肺の中の空気を吐き出す。そこには血の雫も混ざっており、強烈な衝撃は内臓にまでダメージを及ばしていることは明らかだ。

 

「ぐ、がァ―――」

 

「金銭、名誉、暴力衝動……戦う理由はヒトの数ほどある。あなたは何のために戦うのですか? 地位や金を求めるばかりのハイエナか、他者を傷つけることに悦楽を見出す下種か、あなたは何者ですか?」

 

 再度、問いながらもアマエルには返答までの時間を待つつもりはないらしい。壁を背に倒れ込み、口内の血を吐き出すギルバートとの距離を瞬く間に詰めて直蹴りが放たれる。

 当たれば即死。白兵戦を得意とするギルバートを容易く吹き飛ばすような蹴りと、猛烈な勢いで吹き飛んだ彼を受け止めた硬質な壁に挟まれれば、今度こそ彼の命は残らないだろう。

 脳漿が飛び散り、血が染みとなって床や壁を汚す。

 脳裏に浮かんだ絶死の光景は、あと数秒と経たないうちに現実と化すだろう。けれど、蹴りのダメージは今もギルバートの精神を苛んでいるし、体勢も大きく崩れている。そんな状態で、遥か格上の攻撃を迎え撃とうなど、どだい無茶な話だ。

 故に逃げる。逃走一択だ。どれだけ無様であろうとも、とにかく距離を取ることを最優先する以外に命を繋ぐ方法はないのだと、頭ではなく生存本能で直感した。

 

「はぁ、はぁ……俺が何者かって? 俺は俺だよ、それ以上でも以下でもねえ! ナルシストじゃあるめえし、あーだこーだと装飾するかよ。 

 戦う理由? 戦わなきゃ俺もあいつも殺されんだろうが! つうかよ、武器握って殺意向けながらするような問いじゃねえだろ!」

 

 九死に一生を得たギルバート。背後を確認する手間さえ惜しんで開いた距離を挟んで向き合ったアマエルに向かって回答と共に文句を叩き付けるが、当の彼女にはまるで堪えた様子が無い。

 馬耳東風、即ち話を聞いていないわけではない。アマエルから問いを投げたのだから、その答えを聞かないということはあり得ない。

 最上級悪魔相当の覇気を受け止め、多分な怒りを聞き届けた上で揺るがないのだ。実力に伴った精神力を垣間見せながらも、アマエルはギルバートの言葉を咀嚼するように吟味する。

 

「自分は自分……他者の意見に左右されない確固とした自己を持つ。そして生きるために抗う。どちらも単純ですが、だからこそ現実においては希少ですね」

 

 人間に限らず、社会性を持つ知的生命体は他者と関わらずにはいられない。理由は色々とあるだろうが、よほどの奇特者でない限りは周囲との摩擦を避けようとするし、そのためには周囲の意見に合わせようとすることも珍しくはない。 

 所謂、同調圧力だ。暴力や金銭のように目に見える力ではないものの、抗い難い魅力と魔性を備えた代物に、自己を左右されずに保ち続けるというのは極めて難しい。それが出来るのは、自己中心的な阿呆か、硬い芯を心の中に持つ益荒男くらいなものだ。

 

 生きるために、"ヒトに向かって"力を行使して"戦う"というのも、また珍しい。飾らずに言えば、暴力とは快楽であり金の種だ。例えばローマのコロッセウムで行われる剣闘は大衆の娯楽として機能しており、そこで動く金の量はかなりのものだったし、それはつまり多くの市民が観客として熱狂していたとも言える。

 近年では武力を遠ざけるような動きが国家単位でみられるようになってきているものの、ボクシングなどの格闘技が未だに根強い人気を博していることからも、力や強さに対して人々が魅力を感じていることは変わらない。

 それは別に悪い事ではない。生物としてみれば、力がなければ淘汰されるだけだし、強さを求めることは間違ってはいないはずだ。それに金、女、名声、力を振るう理由を何とするかは個々人で異なるのだろうが、ヒトは知性と理性を備えたせいか、その理由に成否を求めたがる傾向にある。だから、始原にあったはずの強さの意義、すなわち生存競争に勝つためという認識を忘れてしまうのだ。

 

「ギルバート・アルケンシュタイン。上級悪魔の中では並程度の家の出身であっても、頭脳、武力、カリスマに秀でている英傑。死地にあっても絶望に屈さず、むしろ逆境を撥ね退けることさえ可能とするのは、才能や努力、胆力だけでは説明が尽きません。……悪魔に向ける言葉ではないのですが、天運に恵まれているのですね。勝利の女神の微笑みを向けられている」

 

「今度はいきなり褒め出すなんてどういうつもりだ?」

 

「どういうつもりも何も、私の心は一貫して変わっていませんよ。裁定をするのだと始めに申し上げたはずです。

 ……二つ目の質問をしましょうか、最上級悪魔(・・・・・)クラスの実力を持つ(・・・・・・・・)ギルバート。私は、今ここで戦う中であなたの実力を測ったわけではありません。旧魔王派に潜入していたスパイから伝えられた情報の中にあなたの実力のことも入っていたのです」

 

「で、それがどうした。諜報戦なんぞある程度相争う陣営の規模が大きくなれば当然のことだろうが」

 

 ギルバートは冥界で屈指の実力者だが、それでも上には上がいる。現在の冥界で有名な者だけでも、四大魔王とその眷属やレーティング・ゲームのトッププレイヤーたちが最たる例だ。それに実力を隠している無冠の英傑だって探せば出てくることだろう。ギルバート自身が正にそれであるから、その可能性については初めから熟知している。

 冥界だけでも、より正確に言うならば、冥界の半分程度の領地しか持たない悪魔陣営の中でさえも、これだけの実力者がいるのだ。三大勢力以外の神話体系まで含めれば、ギルバートを超える強者の数は優に千を超えるに違いない。遥か以前から実力を隠し続けてきたが、その手の訓練を専門的に受けたわけではないので、騙せるのは同格以下だと弁えている。格上の目をいつまでも誤魔化せるなど毛頭考えていない。

 

「禍の団は国際的なテロ組織なんだから、きっと北欧や須弥山、ギリシャあたりだってスパイを送り込んでるんだろうさ。で、お前さんらの陣営も同じことをしていたってことなんだろ? そして、そのスパイに俺の秘密は暴かれたと。……驚くことでもないし、焦ることでもない」

 

 ギルバートはグラナ・レヴィアタンの陣営を舐めていたわけではなく、想像し得る限りの最高位の脅威として見積もっていた。しかし、それでさえ甘かったと言わざるを得ず、城に入って以降、認識を改めることとなった。

 だから、スパイを送り込まれていたと聞いても驚きはない。むしろ、「まあ、それくらいはやってるだろうな」と得心するだけである。

 

「――では、そのスパイは誰だと思いますか? カテレア・レヴィアタンはすでに御方の手によって殺されていますがそれは口封じとも取れるでしょう。それに実の叔母と甥という近い血縁関係にある、裏で手を結んでいたとしてもおかしくはないはずです。

 それともルシファーに対して強いコンプレックスを抱くシャルバ・ベルゼブブが共闘を持ち掛けたのかもしれないですね。オーフィスなどという悪魔とは全く関係ない存在の力を借りるくらいです、同じ悪魔の、同じように旧魔王の血族として追いやられた者の力を頼みにすることも十分にあり得るでしょう。

 この城への突入を指揮する、アルフォンス・フールが裏切り者という可能性も捨て難い。彼の正体は処刑人で、御方に歯向かった罪人どもを断頭台へと連れて来た……、証拠が無ければ確たる肯定も否定も出来ませんね?

 あるいは、あなたの部下。あなた達二人がこの場に来れたのは彼ら身を挺して足止めを買って出てくれたおかげだ、だから彼らが内通者のはずがない――本当に? 殿は死ぬと相場は決まっていますが、実際に彼らが死ぬところをみたわけではないでしょう? 彼らはあなたの知らないところで、本来の陣営へと帰り、本来の仲間とハイタッチでもしているかもしれない」

 

 朗々と次々に挙げられる、スパイの疑惑。言われてみれば、確かにどれもこれも怪しいものだ。部下についてだけはあり得ないと否定するが、それだって確たる証拠があるわけではない。ともに駆けた日々を美しく思い、彼らのことを信じているだけ。どだいスパイとはそういったものを裏切る存在なのだから、部下を信じる心は感情論の域を出ない。

 ギルバートは反論することも出来ずに唇を噛み締める。その様子を観察していたアマエルは、彼にとって最悪の可能性を冷酷に提示する。

 

「――そして、そこに転がっているレベッカ・アプライトムーン。同じ部隊の中でも彼女との距離は特に近かった。こうしてこの場に共に生きて辿り着くことが出来たのはその顕れか? いや、飛ぶことが出来ず、戦闘に秀でているわけでもない彼女が生き残っているのは怪しいでしょう。あなたとの距離が近いのも、彼女がスパイであるから意図して近づいたのかもしれない」

 

 レベッカともに追手から逃げることが出来たのは、ギルバートは考えないようにしていたが、部下が殿を務めてくれたからと言うには些か以上に無理がある。逃げる過程で何度も追手と遭遇し、そのたびに誰かを囮とすることで他のメンバーを逃したわけだが、毎回同じ手が通用するのはどう考えても不合理だろう。

 この城は敵のホームであるという前提から、逃げても逃げても防衛側の戦士と出会うのは理解出来る。地の理は防衛側にあるし、機械にせよ術にせよ内部を監視する機能があれば、ギルバートたちがどれだけ走り回ろうとも追手たちを振り切ることは不可能であり、何度も襲撃に遭うというのも自明の理。

 だからこそ、無視することの出来ない決定的な違和感があった。

 なぜ、追い回されるだけだった? なぜ挟み撃ちにされることが無かった? なぜ袋小路に追い詰められることが無かった? そこからは、防衛側に仕留める意図がなかったことが推察できる。では何故仕留める気がなかったのかと更に思考を深めると、レベッカが防衛側のスパイだったからということで説明がつく。

 

「そんなこと、あるわけッ——」

 

 レベッカがスパイだったとしたら、これまでに殿を務めてギルバートらを逃がしてくれた戦友らはただの間抜けになってしまう。それでは亡き配下たちが浮かばれないし、レベッカを守るためという戦いの動機は根本から成立しない。

 逆境下において自己を支える柱に罅が入る音をギルバートは聞いた。反射的に発した声は弱弱しく、アマエルには聞く価値すらないとばかりに却下される。

 

「ほら、否定の言葉が出る。先に挙げられたいくつもの可能性を否定しなかったのにどうして今度は否定したのですか? 否定できないから、それを信じたくないから、咄嗟に言葉が出て来たのではないのですか? まるで自分に言い聞かせるかのように。………その考えは、レベッカ・アプライトムーンが裏切り者であると心のどこかで考えているから生まれるものですよ」

 

 目を逸らさずに現実を見ろ。都合の悪い可能性を意識から排斥するな。言外にそう伝えるアマエルは、一切の逃避を許さない。

 彼女の瞳は、言葉は、ギルバートの身体と精神を捉え、捕らえて離さない。

 

「あなたはそれでも戦えますか? 自らに想いを託して逝ったのだと思っていた部下が、こうして今も背後に庇う女が、あなたを崖に追いやるスパイだったとしても、立ち上がることが出来ますか?」

 

 悪辣な問いだ。正確の悪さが滲み出ている。だが、筋は通っているし、間違ったことを言っているわけでもない。

 いっそのこと、アマエルの口から溢される言葉が全くの見当違いの戯言だったのならば、聞く価値すらないと一蹴することも出来た。

 けれど、実際には無視できないほどに理があるのだ。だからこそ心に刻みつけられる。それは戦う理由を根本から破壊しかねない言霊だ。如何な英傑と言えども、心が折れれば戦えない。ある種の必勝法とも言える言霊を前に、しかしギルバートは力強く即応する。

 

「ああ、そうだよ。戦えるさ、立ち上がれるぜ!」

 

 論も理もなく疑惑を感情論で否定して取り乱すわけでもなく、心が折れて屈するわけでもない。殿として残った配下や想い人がスパイであるという可能性を直視し受け入れた上で、二本の脚で̪立っていた。

 

「俺の部下が、そしてレベッカがスパイあることを否定する証拠なんぞ持っちゃいねえ。だがな、逆にそれを証明する材料だってねえんだ。絶望するにゃあ早すぎる! つまらん疑惑で惑わされて全滅し、けれど本当は部下やレベッカがスパイでも何でもなかった暁にゃあどう詫びるんだよ!?

 そして! もし俺の部下全員とレベッカが裏切り者だったとしても俺は死を受け入れない!! 部下に裏切られたから? 女に騙されたから? たったそれっぽっちのことで全てを諦めるような腑抜けに産まれた覚えはねえのよッ!!」 

 

「あなたは仲間たちのために戦うのではなかったのですか?」

 

「仲間のために"も"戦えるってことだよ。戦う理由が幾つもあっちゃ駄目なんて誰が決めた?」

 

 他者のために戦うことも出来るが、決してそれだけではない。他人のために力を振るうことを、振るえる者を世間は評価したがるが、ギルバートはそうは思わない。

 戦う理由の全てを他者に求めるということは、信頼や愛情の現れではなく、歪な依存の一形態に過ぎない。戦いで損害が発生した暁には、責任の全てを他者に押し付けてしまうことだって有り得る。

 実に醜悪な話だが、そういうズルをしてしまうのがヒトの弱さだ。だから、そもそもそれらを行う可能性を持たないようにするべきだとギルバートは常々考えている。

 

「そりゃあ、戦友やレベッカが俺を騙していたのなら辛いし悲しいさ。だが、それだけで死んでやれるほど俺の命は軽くねえのよ」

 

 ボロボロとなった拳を構える。指先から肘まで皮膚は裂け、露出した筋繊維にさえいくつもの傷が目立つ。そんな状態で拳を握ったことで凄まじい痛みがギルバートを襲うが、彼は笑った。

 

「それにな……仮にレベッカがスパイだったとして、それで戦いをやめるなんざ部下への侮辱だろう。あいつらがスパイじゃかったとしたら、女に騙されただけの俺が歩みを止めていいはずがない」

 

 ボロボロの状態でも戦う意思を見せても勝算はかなり低いし、万に一つの勝利を拾えたとしてもこの後には他の魔人との戦闘もあるだろう。一難去ってまた一難と言えるほど甘いものではなく、この城から生還することは絶望的だ。真っ当な頭の持ち主ならば、諦めることを勧めるに違いないし、ギルバートの立場に置かれればその選択を取る者も多いだろう。

 だからここで拳を構えたのは意地の類。理屈ではなく感情によるものだ。そこに効率も合理もない。

 

 だからこそ、アマエルの返答は完全なる予想外だった。

 

「――素晴らしい」

 

 突然の賛辞を受けて当惑するギルバートを余所に、十二翼を持つ女傑の語り口は止まることを知らない。

 

「神の子を救済する、神器という危険な力を宿した者を保護する、眷属を家族同然に愛する………などと言う雑種は三大勢力の中にいくらでもいますが、その全ては口先だけです。天使は人間を愛してなどいないし、堕天使は人間をモルモット程度にしか見ていない。『情愛』を司る悪魔とてそれは変わらず、眷属を愛していると嘯きながらも、実際には『眷属を愛する自分』を愛でているだけだ。

 気づいていますか、ギルバート・アルケンシュタイン。自身が希少種であることに。

 他者を心底、想いながらも全てを委ねるわけでもない。個我を持ち、我と彼に区別を付ける。浮遊していない、地に脚が着いている。まさにヒトの生き方ではありませんか」

 

 声に熱が籠もっていく。当人ですら制御できない感情の波が四方八方へと広がっていく。あるいは昂っていることにすらアマエルは気付いていないのかもしれない。

 それほどの興奮。それほどの感動。魂が震えるほどの感嘆を受けて、狂乱し狂喜する様はヒトであるからこそのものだ。常に鉄面皮を保つことで周囲に与えていた人形のような印象が音を立てて崩れ去る。

 

「それでいてこの場で勝利を諦めていない。死地も窮地も何するものぞと逆転の機会を伺い続けている!

 私に? 我々に? 愛と勇気を信じて踏破してみせるのだとそう仰るのか!? 実に恰好が良い。実に実に実に素晴らしい!

 ああ、良く分かりましたよ理解しました。それがあなたで相違ないと。ではではならば、彼の言葉をお聞きになられましたか、我が主?」

 

 諸手を広げながら発せられた問い。この場にはアマエルの他にギルバートしかいないが、彼は彼女の問いが己に向けられたものではないと無論のこと確信していた。

 アマエルとの戦いの最中も、そして問答を続ける中でも消えるどころか、むしろ強くなる一方だった異常な視線。空間越しに伝わってくる圧倒的な覇気が直接相対するまでもなく、視線の主を最強だと確信させる。

 

 そして、ギルバートは聞いた。圧倒的な自負に支えられた覇王の言葉によって全身を蹂躙される。

 

『悪くない』

 

 声の主が現れた瞬間、世界が海に沈んだ。覇気が一瞬にして部屋を満たし、世界の色さえ変わっていく。ギシリ、ギシリ、とどこからともなく聞こえてくる軋むような音は世界の悲鳴だろう。

 

 現れた者は一人の若い悪魔。金色の髪と同色の瞳、そして褐色の肌が特徴的な青年だ。ところどころに金の装飾と刺繍が為されたロングコートも両手の指に嵌めた指輪も、その全てが超の付く一級品だと直感する。ともすればその内の、たった一つの指輪だけでも凡人が身に付ければどちらが主か分からなくなりそうなほどの逸品の数々を、玉座に座る男は見事に従えている。

 

 こうしてギルバートと目と鼻の先との距離に現れながらも、武装は玉座に立てかけられ一本の刀のみ。半端な武装を頼みに敵手の前に姿を晒すというのは、言うまでもなく王としては悪手だ。

 しかし、この男に限ってはそんな当たり前の常識は通用しない。ただ存在するだけで世界を歪ませる極大の力の持ち主であるが故に。

 

「俺がグラナ。お前たちが首を狙ったグラナ・レヴィアタンだ」

 

 たなびく黄金の髪。森羅万象の理を見通す黄金の双眸。善も悪も、白も黒も、光も闇を、この世の全てを呑み込み、従える、黄金の覇気を有する史上最強の修羅である。

 玉座にゆるりと自然体で腰かけているだけにも拘らず、その覇気だけでギルバートを圧倒していた。

 

「がっ、——」

 

 呼吸が出来ない。身体が重い。心臓が活動を停止していないのが不思議なくらいで、僅かにでも気を緩めれば、極大の覇気から逃れるために死を選んでしまいかねない。

 心臓が早鐘を打ち、全身から汗が止まらない。自分が呼吸できているのかどうかすら分からず、平衡感覚までもが狂い始め、ギルバートが気づいた時にはその場に膝を付いていた。

 

 知らず知らずのうちに俯いていたのは、きっと黄金の覇気から少しでも逃げるため。ヒトとしての理性ではなく、生物としての本能ですでに屈服しているから、敵前にも関わらず、膝を付いて許しを乞うかのように頭を垂れているのだ。

 

「――ふざ、けるなッ!!」

 

 ギルバートは己の本能を否定する。戦っても死ぬだけだと、理性と本能が鳴らす特大の警鐘を完全に無視して、顔を上げ、黄金の修羅と視線を交える。

 グラナは眼を眇め、ギルバートが足掻く様子を楽しむように眺めていた。格付けはすでに済んでいることは誰の目にも明らかだ。だからこそ、ギルバートは黄金の修羅ではなく、己へと苛立ちを募らせる。

 

 ——あんなにもデカい口を叩いておいて、何を簡単に無様を晒してやがる!?

 

 ギルバートに勝ち目は皆無だ。生存を目指すのであれば、頭を垂れて命乞いでもするべきだろう。けれど、それはヒトの在り方ではない。強者が現れた途端に尻尾を振る程度のこと、負け犬にも出来る。

 そこには誇りが無い。信念がない。覚悟が無い。レベッカを守ると誓い、部下らの想いを背負うと決め、必ずや生還するのだと渇望した。ここでグラナに抗うことが出来なければ、その全てがただの嘘っぱちになってしまう。

 体に力が入らない。汗が止まらない。そんな状態であっても啖呵を切ってみせなければならないのだ。

 

「俺はギルバート。ギルバート・アルケンシュタインだ。てめえをぶっ殺しに来た男だよ……!」

 

「くく、ははは。いいな、お前。そうだよなぁ、男なら背負った期待や看板に応えなくちゃならねえ。

 気付いているか? 今のお前、見てくれだけ整ったアホどもとは比べ物にならんカッコよさだ。王でありながら全く国を統治できてないどこぞの紅髪に見せてやりたいぜ。

 別の場所で別の出会い方をしていれば、その場で配下に勧誘していただろうが……、お前は襲撃者としてこの城を訪れた。勧誘云々の前に、まずはその罪を清算する必要があるわな。

 ――一撃だ。俺の一撃を耐えることが出来たのであれば、襲撃の罪を不問とし、配下として勧誘しよう」

 

 絶死の予感から一転し、唐突に勧誘の可能性の出現するという状況の変化は、無論のことギルバートの予想の遥か外だった。

 だが、こうしている今も死がすぐ傍にあるためか、かつてないほどの集中力が発揮されており、修羅の言葉を一言一句逃さずに聞き取り瞬時に理解する。状況の変化についていけずに呆けるなどという無様を晒すこともなく、彼は一つの疑問を口に出した。

 

「一応訊いておくが……、その試験に合格したとして、勧誘を蹴った場合はどうなるんだ?」

 

「――殺す。強引な勧誘は趣味じゃねえが、お前は色々と知りすぎたからな。野放しにするわけにもいかん」

 

 つまりは拒否権は存在しないということ。勧誘ではなく確保とでも言うべき処置である。

 二色の翼を持つメイド長を始めとする魔人の軍勢に、グラナの本来の力と姿。情報漏れを防ぐために、それらの情報を得た者の放逐を許さないのは当然の采配と言える。

 だが、自身の命運を勝手に握られ、未来を相手の手中に握られることを良しとするかは全くの別問題だと、ギルバートは反駁する。

 

「すげえ上から目線だな。調子に乗るなよ」

 

「そう邪険にするなよ。納得しろとまでは言わんから、理や論もあるのだと理解しろ。それにまあ、実際のとこ、自分で言うのも何だがかなり甘い。城に突入した雑魂どものすでに過半が死亡し、それ以外は死にかけの状態で牢にぶち込まれてると言やぁ、自分がどれだけ優遇されているのか分かるんじゃねえか?」

 

 相手を殺しに来ておきながら、その罪を不問とされる可能性がある。しかも配下となる事で職に困らず、旧魔王派を裏切る事になってもその後の生活は安泰だ。城に襲撃に参加した同胞らの悲惨な末路と比較するまでもない。

 

「確かに優遇はされてんだろうな。でも、その理由がさっぱり分からんぜ。正直、喜ぶよりも先に不気味だと感じてるくらいだ」

 

「何だ、そんなことか。簡単だよ、理由はいつだってシンプルだ。お前がヒトだからだ。お前は希少種だと、アマエルにも言われたろう? 

 魔王も天使長も堕天使総督も、下らん下らん下らん! ご立派な高説を垂れておきながら何一つ行動を起こさねえ、何一つ結果を残すことの出来ねえ人畜が三大勢力には多すぎる。

 だが、お前は違った。あの塵どもとは違い、魂がある!

 感動した。感嘆した。この世界にもまだ希望はあるのかもしれないと思わせてくれた。お前を殺したくない、手元に置きたいと思う理由なんてそれで充分だ。

 ギルバート・アルケンシュタイン。お前のことは気にいったよ。だからこそ、手は抜かねえ。この一撃、手向けとして受け取るがいい」

 

 黄金の修羅から立ち昇るオーラの量は、ギルバートをしてまるで測れない。魔王クラスを遥かに上回るほどの力の奔流の動きは流麗にして優美。速く、丁寧で、力強い。

 恐らく魔術神にさえ届き得る技量で作られた巨大な魔方陣からは、その大きさに相応しいだけの暴力的な波動が発せられている。バチバチ、と音を立てて魔方陣が駆動し、その余波だけで空間に穴が開く。

 

雷光滅剣(バララーク・インケラード・サイカ)

 

 

 

 




………あ、あれ~? この小説の主人公ってギルバート・アルケンシュタインだっけ?











名前:アマエル
性別:女
役職:メイド長
年齢:数百歳
属性:善
称号:パーフェクトメイド、混沌天使(カオス・エンジェル)、裁定者、異界の軍師

 背に白黒の十二枚の翼を持つ異端の天使。聖書に記されし神が没してから数百年が経過した頃、停止していたはずの天使創造のシステムが突如稼働して生まれ落ちた。
 天使の証たる白翼と堕天使の証たる黒翼を持つ彼女は、天使であって堕天使でもある。即ち、堕天することがない異端の存在。その特異性に産まれた経緯と相まって、『システム』を脅かし得る存在と危惧した熾天使らによって天界から追放され、数百年ほど人間界を放浪。その後、種族の垣根なく絆を結ぶグラナたちの姿を見て、自身もその輪に入りたいと願い、黄金の傘下に下った。
 並行世界を観測、及び世界間の移動を可能とする力を持っており、必要に応じて並行世界における部下や兵器をこの世界に召喚することが出来る。この異端とも言える力の由来が、純粋に才能によるものか、特異な出自によるものかは未だ判然としない。
 ちなみにグラナと出会うことの無かった並行世界においては、一度も救いがない生涯を歩んだことで全てに絶望し、八つ当たりと理解していながらもその復讐として全神話体系を滅ぼしている。故に、彼女に救いを齎したグラナは実は世界を救っていたりする。





名前:グラナ・レヴィアタン
性別:男
年齢:20(戸籍等が存在せず、真面な育ちでもないので大雑把に推測しただけ)
属性:混沌
生命力:ゴキブリを馬鹿にする程度
称号:黄金の修羅、嫉妬の蛇(レヴィアタン)、終末の怪物、真なる魔王、災厄の化身、ハーレム王、女好き

 本作の主人公にしてラスボスの、金髪金眼と褐色肌が特徴の美丈夫。あらゆる分野において頂点に立ち得る万能の才覚を持ち、更に全ての能力値が飛び抜けているのでほとんど隙がない。
 敵にはまったく容赦しないが、身内に対してはかなり優しい。と言うよりは、身内のへの愛情の裏返しが、敵へ向けられる殺意なのかもしれない。愛情深いが故に、己の大切な者を傷つける存在を決して許すことが出来ないのだろう。
 その出自には両親や当人でさえ気づいていない秘密があるのだが、それは余談であろう。
 ちなみに感情の振れ幅が尋常ではなく能力も飛び抜けた怪物と呼ぶに相応しい男だが、その性格と感性は割と俗っぽかったりする。好きな漫画雑誌は週刊少年ジャンプ、お気に入りのレーベルは電撃文庫である。


グラナ・レヴィアタンの装備品を一部紹介

魔王の外套(|コート・オブ・レヴィアタン)

 初代レヴィアタンの愛用していたローブは非常に強力な魔道具兼防具だったのだが、如何せん初代は女性である。当然、ローブのデザインは女性用なので、それを受け継いだグラナが着ることは出来ない。しかし、前述したように破格の装備なのでそう簡単に諦めることも出来ず、男性用のコートに仕立て直すことで、現在はグラナの愛用品と化している。
 初代が使っていた頃とは大々的にデザインが異なっているので、その由来が他陣営に知られることは無いが、もし初代の遺品を大々的に改造していることが大王派や旧魔王派にバレればぶち切れられること間違いなしの逸品である。


斬魄刀

 グラナが自身の本来の力を封じ込めた刀。材料に嫉妬の蛇(レヴィアタン)を使っているとも言えるだけあって、その耐久性や切れ味はかなり優れている。





名称:雷光滅剣(バララーク・インケラード・サイカ)
出典:マギ
原典使用者:シンドバット
本作使用者:グラナ・レヴィアタン
所感:『雷光』がどこかの堕天使親子の特権だといつから錯覚していた? 魔術による模倣や改造も可能だと信じてる!!






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