ハイスクールD×D 嫉妬の蛇   作:雑魚王

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花粉症ッ! なんだあの滅茶苦茶パネエ敵は!? 鼻水止まらんし、目が痒い!!
……季節的に仕方ないってのは分かってるし、時期が過ぎれば収まるのでしょうけど、この時期は毎年大変でごわす。
  


6話 魔城のお客様歓待術

 魔城に突入した四つの部隊はそれぞれが相当な戦力を抱えており、一つとして囮の部隊は存在しない。各部隊を率いる隊長は旧魔王派の実働構成員の中でも屈指の実力者が抜擢されていることは勿論として、その部下たちもこれまでに実績を多く上げた選りすぐりの猛者揃いだ。

 

 しかし、それでも本命を挙げるとしたら、中央棟に攻め込んだ部隊が選ばれる。その理由は城の構造に由来し、東棟は生活拠点、北棟は倉庫、西棟は図書館などの施設類がまとめられているのに対し、中央棟は主の執務室や客間など"城"としての機能が集約されており、単純にグラナが居る可能性が最も高いのがこの中央棟なのだ。

 旧魔王派が決行した本作戦の目的は、グラナ・レヴィアタンの首である。中には彼の配下の女を求めたり、彼の保有する資産を掠め取ろうと考えている者もいるのだが、本来の目的を忘れた者は一人としていない。

 ならばこそ、中央棟に攻め込む部隊が四つの部隊の中でも最も大きなものであり、しかも率いる者が本作戦の指揮官も務めるアルフォンスであることは何ら不自然ではなかった。部隊の誰もがそのことを当然だと受け止めると同時に、自分たちが本命であるという自負が歩みを遅くすることを許さない。

 

 敵地だからと怯えることはない。警戒を顕わに慎重に進むこともない。顔は自信の色に染まり、口元には知らず知らずのうちに笑みが浮かでいた。

 彼らは戦意を撒き散らし、隠れることもせずに堂々と突き進む。

 事前にスパイから城の構造についてお情報を受け取っていたこともあるが、精神的要素にも影響されて軽くなっていた足の運び。

 

 しかし、それが遂に止まった。部隊の前方に一人の女が現れたためだ。

 いい気分だったところに水を差され憤る者。敵の出現に警戒する者と、武勲を上げる好機だと喜ぶ者。これだけの大部隊を前に、たった一人で歩み出る女を愚かだと嗤う者。

 襲撃者たちの様々な反応——様々な敵意や戦意、悪意が場を満たしたが、女は顔色一つ変えることなくその場で頭を下げ、日常の一場面のように平然と挨拶の言葉を投げた。

 

「今宵、皆さまの歓待を任されたヒルデガルダと申します。お気軽にヒルダ、とお呼びください」

 

 ヒルダと名乗った女の髪色は輝くような金。後ろ髪を夜会巻きにして纏め、前髪は右目を隠すように一方だけが伸ばされている。左目は髪に負けず劣らずの美しさを持つ碧眼。所謂ゴスロリ調のものということもあり、人形染みた美しさだ。

 その美しさは外見のみに留まるものではなく、耳朶を打つ声や、頭を下げて礼をする動作にまで現れている。何を取っても非の打ち所の無いメイドを前に、襲撃者の中にも思わず感嘆のため息を漏らす者が多数いたほどだ。

 

「私も誠心誠意尽くし、皆さまを喜ばせることを誓いますが、一つ頼みたいことがあります」

 

 見惚れたのは事実、しかし襲撃者たちはいつまでも呆けているばかりの馬鹿の群れではない。また、本命の部隊と言うこともあり、この中央棟を攻めるために集められた者の中には相当数の良家の出の者がいる。美しい女、完璧な作法、そして貴族としての腹の探り合いを経験してきた彼らは、つまりそういったものに慣れているということだ。

 ヒルダが現れてから時間がそれなりに経過したこともあり、平常心を大半の者が取り戻し、質問を返すだけの余裕もすでに持ち始めていた。

 

「ほう、使用人の身でありながら頼みとな」

 

「なに、難しいことではありません。ただ、我が主へ花を贈っていただきたいのです」

 

 瞬間、口調はそのままに楚々としたメイドとしての態度が崩れ去る。主の後ろを付いていく使用人のような、男に守られるばかりの女子供のような雰囲気はどこへやら。

 そこに立つのは、もはや戦う力を持たない哀れな犠牲者ではなく、百戦錬磨の大戦士。全身から溢れる魔力量は最上級悪魔にも匹敵し、構える姿には僅かな隙すら見当たらない。

 握られている武器は、ゴスロリ調のメイド服に良く似合う可愛らしい傘。普通の女がそんな物を戦場で構えても、何らの迫力も有さないだろうが、ヒルダの場合はまるで違った。

 まるで一振りの名刀。鋭く、冷たく、殺意に溢れ、しかしヒトの目を引いてやまない魔性の美に溢れている。ただ一振りするだけで、上級悪魔を圧倒することが出来てしまうのではないか? 家や血筋、ひいては生まれ持った力を重要視する、旧魔王派の構成員たちでさえ自ずとそんな考えが浮かんでしまう。

 

「――貴様らの鮮血で華を作るということだ。最後の一滴まで絞り出してやるから、後顧の憂いなく、存分に死に狂えよ雑兵ども?」

 

 構えられた傘の先端に馬鹿らしくなるほどの、膨大な魔力が収束していく。感じられる魔力の量に反して、その速度はかなりのもの。魔力の動きを感知してから、あっという間に溜め(・・)が完了してしまう。

 

「逃げ―――ッ」

 

 部隊を率いるアルフォンスに出来ることは、防御のための障壁を張る事でもなく、ただ退避のための声を張り上げることのみ。しかし、それでさえ間に合うことはなく、ヒルダの魔力砲の轟音に、彼の口上は容易く掻き消された。

 

 金髪のメイドが傘を向けた先は、指揮官のアルフォンスとは全く違う方向だ。襲撃者たちの邂逅したばかりのメイドが、指揮官は誰なのかとか個々人の能力如何について知っているはずもないのだから、とりあえず(・・・・・)敵が密集している場所を狙ったというだけのこと。

 そんな軽い気持ちで構えられた傘の直線状には、何も残らない。偶々狙われた悪魔たちは、痛みを感じる暇さえなく蒸発し消え去ったのだ。

 一瞬の攻防で数十人の悪魔を殺したヒルダの心は、その惨状を眺める冷めた瞳の通り、何も感じてはいないのだろう。魔力の奔流を放ったままの傘を、無造作に横に振るい更に被害を倍増させていく。

 

「……そ」

 

 アルフォンスが、ヒルダの攻撃から逃れることが出来たのは、そして命を繋ぐことが出来たのはただの偶然によるもの。

 彼が偶々、ヒルダに狙われた地点との間に居なかったということが一つ。

 第二に、彼の立っていた場所が、丁度脇道のすぐ近くであり、そこに飛び込むことで砲撃の斜線から逃れることが出来た。

 そして最後に、彼は指揮官として先陣を切っていたため、後方に続く部下が居ても左右と前方のスペースが空いており、比較的自由に動くことが出来た。

 ただの偶然でも、ここまで重なれば奇跡と呼んでもいいのかもしれない。だが、奇跡を呼び込む己の豪運を喜ぶだけの余裕は残されていなかった。

 

「く、……が」

 

 この部隊が本隊であり、それを構成する多くの中・下級の悪魔たちが実力者揃いだとしても、をアルフォンスは下に見ていた。実力は認めていても、生まれの差は確固としてある。だから、所詮は平民であると、貴族たる己とは別の下賤な輩であると、そう互いの間に線を引いていた。

 更に言えば、この部隊にはアルフォンス以外にも何名かの上級悪魔が配属されているのだが、彼らのことも舐めていた。貴族としての位は同等であっても、上司と部下として立場が分かれたことが格の違いを証明していると驕り、顔を合わせるたびに嫌味と皮肉を飛ばしていたほどだ。

 

 有象無象。誰も彼もそう断じ、アルフォンスは部下の名前一つ記憶していない。部下に窮地を救われるようなことがあったとしても、"助けられて当然"と何の感慨も抱かないか、"助けられるほど人望のある私は素晴らしい"と自己愛に溺れるだけだ。

 アルフォンスは己しか見ていない。部下など、役に立つのなら道具として使いつぶすし、役に立たないのなら捨てるだけ。

 

 しかし奇跡が起きなければ、運に頼らなければ、そんな有象無象に混じって殺されていた。十把一絡げに、何を思うことなく、あのメイドは高貴なる己を殺そうとしていた。

 その事実が、何よりも彼の心を掻き乱す。

 

「クソが糞がくそが糞クソクソがぁぁあああああああああああああアアアアアアアアアアアアアッ! 

 私は強い、私は優れている! 貴族なんだぞ、上級悪魔なんだぞ! 真なる魔王からの信頼も篤い忠臣にして、真魔王派屈指の英雄なんだぞ! 何を使用人如きが、私を下に見ている!?」

 

 感情の昂ぶりに応じて吹き出した魔力が暴風の如く荒れる。己と同じく、運の良さに助けられ命を拾った部下たちに配慮して魔力を抑え込むことなど到底敵わない。たった今死にかけたという特大の恐怖を味わう同胞に見向きさえすることなく、悪態を吐いて吐いて吐いて吐いて吐いて吐き続ける。

 

「ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなよ屑がァアアア!

 私が負けることなどあり得ない。あってはならない。そんなことは間違っていると何故分からない!? 歯向かうことなど言語道断、私の前に立つのであれば潔く勝利を譲るのが道理であろうがッ!」

 

 アルフォンスの思考は傲慢そのものだが、彼の実力は非常に高い。幼いころから負け知らずで、これまで常に成功を積み上げ続けた才人だからこそ、魔王の系譜に連なる者らにも目を掛けられた。

 

 しかし、それはアルフォンスの居た環境が井戸だったが故のことでしかない。彼は確かにその場では強者で、龍だったのだろう。

 けれど、井の中の龍は大海の蛙にも劣る。

 修羅の爪牙のたった一つにさえ及ばない、矮小にして脆弱なる愚者。それが、この場におけるアルフォンス・フールの正体だった。

 

「阿呆が。勝利を捧げるべき相手は至高の黄金以外にいるはずがないだろう。そんなことさえ分からんから貴様は愚図なのだ」

 

 旧魔王派の実力者を怯えさせる魔力の暴流をものともせず、コツコツコツとヒールを鳴らせながら、再度アルフォンスたちの前にまでやってくるヒルダ。彼女の身から溢れる魔力は、アルフォンスをして膨大と言わしめる程——最上級悪魔にも及ぶ。

 

 冥界広しと言えど、数えるほどしかいない最上級悪魔。彼らの実力はその名が示す通りのもので、悪魔の頂点たる魔王に次ぐほどだ。英雄を自称するアルフォンスでさえ格上と認めざるを得ないほどの強者、それが最上級悪魔である。

 

 膨大な魔力に任せるだけのパワー馬鹿であれば、単独で勝つことは難しくても、これだけの部下と連携し攻め立てれば崩すことも可能だろう。

 しかし、ヒルダの最大の脅威は魔力の量ではなく操作技術である。

 

 力というものは大きければ大きいほど制御が難しくなり、小さければ小さいほど御しやすい。車で猛スピードを出せばカーブを曲がり切れなかったり、ブレーキが利いて止まるまでにも相当な時間がかかるが、低スピードならばそんなことにはならないようにだ。

 

 ヒルダの場合、魔力の量は膨大でありながら、その動きは流麗の一言に尽きる。速く、滑らかで、そして無駄がない。故に効率的で合理的な攻撃は、常に相手から先手を奪い、千の魔力を消費するだけで、二千も三千もの破壊力を叩き出す。

 使う物が同じならば、あとは技巧次第で劣化も改善もする。当然の理屈だが、ヒルダの次元でそれを実現するには、F1マシンをアクセルベタ踏み状態のまま複雑なコースを走破するような、常識離れした器用さが必須となる。生まれ持った才能を重視し、魔力量に物を言わせる力押しを常道としてきたアルフォンスたちでは、この土壇場で真似して対抗することなど出来るはずもない。

 

 力で劣り、技でも劣る。唯一勝るのは数。それが意味するのはアルフォンス・フールという一悪魔はただのメイドにさえ及ばないということ。

 

「こ、の雌犬がぁ……!」

 

 ギリギリと軋むほどに歯を噛み締め、握り込んだ拳からは血が何滴も滴り落ちた。悔しさと、プライドの高さゆえに己が悔しがっていると認められない葛藤が滲み出たアルフォンスの形相は鬼のそれ。

 泣く子が見れば、更に泣き喚くだろう鬼相から放たれる怒りの啖呵を向けられても、ヒルダはまるで怯まない。むしろ、鼻で笑いながら冷ややかに返す。

 

「私が雌犬ならば、貴様は負け犬だ。敗北し、頭を垂れ、吠えることしか出来ない。ああ、実に無様なものだな。上級悪魔が聞いて呆れる」

 

「―――」

 

 戦慄、悔恨、葛藤、全ての感情が塗りつぶされ、アルフォンスの意識は赫怒の一色に染まる。最早、彼の頭からは彼我の力量さや勝率の低さといったことは消し飛び、激昂のままに魔力を撒き散らし襲い掛からんとした瞬間のことだった。

 

 斬ッ! 背後から、刃物で何か太い物を斬り落とすような音が届き、驚愕によって彼の動きは制動される。僅かに遅れて聞こえてきたのは、液体が噴き出し続けるような音と、ドチャリと重く湿ったものが落下したかのような音。

 大気には鉄臭さが混じり、ぴちゃりと音を立てた足元に目を向けてみれば、そこにあったのは背後から流れ込み徐々に広がっていく赤い液体。

 

「は?」

 

 恐る恐る振り返り、思わずと言った風に声が漏れる。

 音、臭い、足元の血などから自らの後方で死人が出ていることは予想出来ていた。予想出来ていたからこそ、そしてそれをどこか信じたくない気持ちがあったから振り向く際に時間を費やした。

 

 葛藤に苛まれるアルフォンスの目に入ったのは、その予想を嗤うような光景だ。

 

 彼の部下は誰一人として立っていなかった。半数以上が、自らの血で作った血溜まりに沈んでいるのだ。どの死体も心臓や頭蓋に穴を開けられるか、首を切断されるなどして明らかに即死だった。

 アルフォンスが振り向くのに時間を要した時間は、激しい葛藤の中だったとは言え僅か数秒。たったそれだけの間に、旧魔王派の精鋭がなす術もなく蹂躙されていた。抵抗の跡がほとんどないことから、勝負は本当に一方的なものであったのだと否応なく理解させられる。

 一応、生存者はが何人かいる。ただし、一様に恐怖し驚愕し、その場で腰を抜かしてしまっていた。抵抗に成功したわけではなく、偶然標的に選ばれなかったおかげで命を拾っただけなのだろう。

 

 アルフォンスとその部下に全く気付かれることなく、それだけのことを為した者は、一人の女使用人。着用しているメイド服は質の良い物だと分かるが、丸眼鏡を掛け、長い黒髪を二束の三つ編みにしており、どこか野暮ったい印象を受ける。しかし、刃物より遥かに鋭く氷より尚冷たい眼光と、全身から発せられる濃密な殺気が、最初の印象を上書きして余りある。

 

「サンタマリアの名に誓い、すべての不義に鉄槌を」

 

 己に向けられる視線など歯牙にもかけず、黒髪のメイドは祈るように口遊(くちずさ)んだ。足元まで隠す、ロングスカートの中から取り出したククリ刀を手に持ち、気負うことなく歩を進める。行き先は、腰を抜かして今もへたり込んだままの哀れな悪魔。

 

「やめ、やめろっ! 来るなぁっ! こっちに来るなよぉぉおおオオッ!!」

 

 髪を振り乱し、目を充血させて、口からは唾を飛ばして叫ぶ。その様子には、城に突入する以前の覇気や自信は微塵も感じられず、嵐の夜に怯える幼子より哀れだ。

 立ち上がることも出来ずに、両手を使って後退しながら必死に命乞いする悪魔。このまま放置すれば、「何でもするから助けてくれ」と言い出すだろう。

 しかし、黒髪のメイドはまるで歩く速度を緩めない。ブツブツブツブツと呟く彼女には、そもそも命乞いの声が届いてすらいなかったのかもしれない。一瞬ごとに膨れていき、冷たく研ぎ澄まされていく殺気は、それだけでヒトを殺し得る狂気にして凶器だ。

 

「ヒィッ!」

 

 悪魔がメイドに向かって魔力を放つが、カウンターを狙ったわけではないのだろう。迫りくる恐怖に、反射的に対応したと言うだけ。傍目に見ても稚拙な攻撃だが、当人の意思が介在しないものであるために、それを予測することは困難を極め、実際にメイドの腹部を魔力が直撃した。

 

「———ッ」

 

 メイドは数歩後退し、内臓を負傷したのか口から血を溢す。だが、それだけだった。

 完璧なクリーンヒットだったにも関わらず、メイドは依然、その両足で確かに立っていた。殺気は濃くなる一方、負傷したことなど考慮の端にすら入っていない。

 彼女が止まる時は、標的を殺した時のみ。手足が捥げようとも、腹が裂けようとも、一切表情を変えることなく敵の喉元に喰らいついていく殺戮マシーンなのだ。

 

 直感のままに正答へと辿り着き、異常な在り方と極まった狂気に戦慄するアルフォンス。彼を嗤うかのように、彼の背後からは正答へと至ったことを肯定する、笑い声が向けられた。

 

「彼女の名はロベルタ。かつてはフローレンシアの猟犬の異名で恐れられた兵士だ。人間を見下すお前たちが知らなかったのも無理は無いが、相当に強いぞ?」

 

 空を舞う翼のない劣等種族。想像を現実に投影する、魔力を有さない弱小種族。

 それが人間。少なくとも、アルフォンスはそういう風に認識して生きて来た。ロベルタの在り様は、彼の常識からはあまりにも乖離したもので、ヒルダの告げた言葉が何らかの聞き間違いだったのではないかと呑気に疑問まで浮かべてしまう。

 

 ——あれが、人間……? 何かの間違いだろう?

 

 人間とは何ぞや。ある種哲学的な問答を始めてしまいそうなアルフォンスを余所に、目の前の状況は推移していく。

 

「? っひひ。やった。やったんだ!」

 

 ロベルタに一撃を入れることに成功した男悪魔は、一瞬呆然とし、そして笑みを浮かべた。口の端が引き攣り不格好ではあっても、自身が狩られるだけの存在ではないと思いなおし、むしろ狩る側の存在なのだと叫ぶかのように攻勢に入る。

 彼の姿を間近で目撃した生存者たちも一人、また一人と奮起し、ロベルタに向かって戦意を飛ばす。こうして向き合っている以上奇襲は初めのように成立せず、数で勝る悪魔らの方が圧倒的に有利。ならばあとは圧殺するのみだろう。狭い廊下に逃げ道はなく、数と魔力に物を言わせれば戦いですらないワンサイドゲームとなる。負ける未来など想像のしようがない。

 

「死ねぇッ!」

 

 雨霰の如く放たれる無数の魔力。一つ一つが人体を貫くほどの威力を秘め、しかも数が多く潜り抜けるような隙間が存在しない。

 メイドの腕が飛び、足が千切れ、腹部に穴が開く。とうに息を引き取っているにも拘らず、弾丸殺到しその身を蹂躙するために亡骸を取れることさえ許されず、その場で死の舞踏を続ける。

 そのような未来を幻視した。この場の状況を見れば万人がそう予測するし、中には顔を手で覆いながら惨劇を前に悲鳴を上げる女が出てもおかしくはない。

 

 しかし現実はまるで違うものとなる。なぜなら、ロベルタは黄金の麾下なのだ。数多いる使用人の中でも防衛の一翼を担う戦闘員、その身は人間なれど、彼に輝きを見出された魔人である。旧魔王派の精鋭改め、黄金風に言うのならば、ただの雑魂どもに首を取られるはずがないのだ。

 

「―――」

 

 自身を死に追いやることも可能な弾幕を前にしても、ロベルタの精神は微塵も揺るがない。丸眼鏡に奥に覗く、細く眇められた瞳は、無数の魔力弾を冷静に観察し、その軌道を正確に予測する。

 

 ―—弾幕に隙間が無いということは前に行けば死ぬということ。後方に下がっても同じことでしょう。

 

 ——ならば左右は……壁の間際まで走れば逃れることも可能でしょう。しかし、追撃が来ればそこで詰みますね。

 

 ——とするのであれば、左右に逃れた後、追撃を避けることを念頭に置くべきですか……。

 

 コンマ一秒未満の間に、己の取りうる行動とその結果を予測する。その思考速度はまさに魔人と呼ぶに相応しい代物であろうが、真に驚嘆するべきはそれだけの思考と試行を脳内で繰り返す胆力だ。ギロチンの刃が己の首に向かって下ろされている最中に、呑気に考え事をするような胆力はやはり尋常なものではない。

 

 ロベルタはその場から跳躍した。魔術、魔力、仙術、妖術、その他諸々の異能の術が使っていない。純粋な身体能力と身体技能を使っただけの跳躍をした、彼女の姿が悪魔たちの視界から消える。

 その種は『無拍子』。武術には剣術や槍術、棒術といった風にいくつもの種類があり、その中でも更に無数の流派に分かれている。全世界の流派を合計したときの数は百や二百では利かないだろう。名称こそ違えど、それら武術・流派の垣根を超えて共通する技術というものはいくつもある。そのうちの一つが無拍子である。予備動作を無くすことで動作全体の速度を上げることを旨とする技巧だが、予備動作を無くすということはその動きを敵は予測し辛いということでもある。

 

 ヒトの目は、その構造的に急な動きに対応し辛い。人間とはいえ、ロベルタほどの極まった身体能力の持ち主が、予備動作を完全になくし、対応の難しい斜めの軌道を描いて跳躍すれば、敵手の意識を置き去りにすることなぞ造作もない。

 

「ど、どこへ消えた!?」

 

 ロベルタの姿を見失い、取り乱す侵入者たちを、当のロベルタは冷たく見下ろす。

 彼女の居場所は壁面だ。跳躍した後、両脚の爪先と、両手の指をめり込ませることで壁に着地し、その場に体を留めているのだ。直前まで右手に携えていたククリ刀を口に咥え、四足を()に着ける姿は、獲物を前にした猟犬を髣髴とさせ、事実として、猟犬よろしく獲物に向かって飛びかかる。

 

「ガァッ!」

 

 壁面を蹴りつけ、敵に向かって飛び降りる最中。口に咥えていたククリ刀を右手に構え直し、着地と同時に落下の勢いまで加えて振り抜いた。

 頭頂から股下までに奔る銀線。悪魔の体はまるで斬られたことに気付かなかったかのように、数瞬遅れてから左右二つに分かれて倒れ込む。断面からは、脳漿が、骨が、内臓が、血潮と肉が溢れて廊下を穢した。

 僅か一撃で、人間が悪魔の体を真っ二つに両断する。寸前まで沸き立つような熱気に心を支配されていた悪魔たちも、その光景を見てしまえば冷静にならざるを得ない。瞠目せざるを得ない。

 

「死んでくださいまし」

 

 フローレンシアの猟犬はその意識の空隙を逃すほど甘くない。ククリ刀を振り被り、投擲する。ダラリと垂れ下げた状態から攻撃までに要した時間は一秒未満。それほどの速度を追求しながらも技には一切の陰りはなく、投擲した武器は空中でブーメランのように弧を描きながら次々に悪魔たちの首を飛ばしていく。

 右手で刀を投擲すると同時に、左手も動いていた。肘を曲げた状態から伸ばす一動作で、袖口から取り出した四本のナイフ。それらをそれぞれ指の間に挟み、投擲。武器の重量、刃渡りからククリ刀ほどの殺傷能力はないが、牽制するには充分な代物だ。戦場のど真ん中で驚愕に身を固める愚か者どもの眼球や肩口に次々に短刃が突き刺さり、血潮を上げさせた。

 

「が、ぁあッ! 人間が調子に乗ってんじゃねええええええええ!」

 

 右目にナイフが、脇腹にククリ刀が突き刺さり、口から血を溢す女悪魔。言葉の汚さは、彼女の焦りが表に出たためのものだろう。

 腹部からの出血は激しく、恐らく刃は内臓にまで達している重傷。右目の損壊は生命の危機に直結するわけではないが、戦いの最中に視界の半分が失われることが危険であることは明らかだ。それほどの傷を人間に負わされたという屈辱が、命の危機に瀕する焦りに怒りのスパイスとなって降りかかる。

 

 しかし泣く子も黙るような表情の悪魔に睨まれようとも、ロベルタは一切取り合うことは無い。裾を掴み持ち上げたスカートの中から、ゴトリゴトリと次々に手榴弾が零れ落ちる(・・・・・・・・・)。その場でくるりと一回転し、踵を用いて計十個を超える手榴弾を悪魔たちに向かって蹴り飛ばした。

 

 ズドドドドォオン!! 

 

 咲き乱れたのは紅蓮の花々。激昂し攻撃的な思考に傾いていた悪魔たちが、咄嗟の防御や回避を出来るはずもない。瞬く間に爆炎と爆煙に呑み込まれた彼らだったが、一瞬の後には骨肉へと変身を遂げて姿を現した。

 

「あなた方の死を旦那様もお喜びになられることでしょう」

 

 ロベルタは最後にそう言って再度、礼をする。幾人もの悪魔と真っ向から戦って彼女が受けた攻撃は僅か一つ、しかもそれは完全な偶然によるものだ。旧魔王派の精鋭が実力によってロベルタを負傷させることは終ぞ出来なかったと言って良い。

 殺すことにのみ特化した彼女の戦い方は、機械的で、原始的で、効率的で、そして圧倒的だった。種族の違い、身体能力の差など軽く飛び越えている。

 

「馬鹿……な」

 

 アルフォンスはロベルタの戦いぶりを間近で見ていたが、それでも尚現実を信じることは難しかった。人間とは悪魔に搾取されるだけの存在で、悪魔に一矢報いることなど不可能な劣等種族。彼にとっての常識から乖離したロベルタの存在と戦いぶりは、まるで現実味が無い。

 認めないのではない。信じないのでもない。アルフォンスは純粋に混乱していた。目の前で起きた戦いは現実のものは思えず、タチの悪い夢のように感じられる。

 

 グルグルと無限の円環を回るかのような思考から漏れ出た先ほどの一言。その言葉を発した彼の視界は、ぐるぐると巡り続ける思考と同様に回り続けている。

 現実味のない光景を見たことで精神的なダメージを受けてのものでは断じてない。彼の視界は、現実として、物理的に回転しているのだ。その事実に、彼は回転が止まってから漸く気付く。

 

 彼の視界は安定したが、常よりかなり視点が低い。これはどうしたことだと思いながらも、視線をまっすぐ向けた先には、自身の体があった。

 

「――は?」

 

 首から上がなく、断面から血飛沫を上げる誰かの体があった。見慣れた体格に、今朝の自分が着たはずの服を纏っている。

 

 ——私の、体か……?

 

 脳裏に浮かんだ考えをあり得ないと一蹴しても現実は変わらない。被りを振ろうとしても首を振ることさえ出来ないし、何かを叫びたくてもヒューヒューと千切れそうな呼吸音が口から洩れるのみ。

 首から上を失った体は膝から崩れ落ち、床に倒れる。首から流れ出る血に浸されて全体が赤く染まった。

 そしてアルフォンスの体の少し先——彼の体の背後にはヒルダが立っている。彼女の体の側面に掲げられるようにされた傘は、きっと振り切られた後だからそんな位置にあるわけで、つまりあの傘こそがアルフォンスの首と体を分けた武器なのだ。それを裏付けるかのように、傘の先端にはいくつもの骨肉の破片が付着し、半ば辺りまでが朱に染まっている。

 アルフォンスが現実を認めたくないと思っても、現然たる現実が突き付けられていた。

 

「私が一体何時貴様に手を出さないと言った? 何を呑気に観戦しているのだ馬鹿者が」

 

 呆れと侮蔑を孕んだ、メイドの声。それを最後に、アルフォンスの意識には幕が引かれた。

 

 

 

 

 

 魔城の一室。そこには二人の男女がいた。その一方たる男はダークシルバーの髪を持ち、老いを感じさせる外見をしているが、彼の口から発せられる言葉には力が漲り、一種の"格"を知らしめている。ソファに座る彼は、机の上に展開された、いくつものモニターを通して城全体の戦いを観察していた。自身の組する陣営が勝利すると確信しているが故に、自らが手を出すまでもないと理解しているが故に、彼はおとなしく見物に徹している。

 その名をリゼヴィム・リヴァン・ルシファー。聖書においては『リリン』の名で記される古き悪魔にして、『明けの明星』と呼ばれた初代ルシファーの実子である。

 

「――鬼門遁甲。分岐点に差し掛かった者の意識を特定の方角に向けさせる、あるいは向けさせない事を旨とする魔法か……」

 

 魔法の効果はそう難しいものではないし、規模や強制力も半端と言って良い。それこそ、事前にこの魔法の正体を知っているだけで完全な対策が取れてしまう。

 けれど、そんな単純な解決手段が実現されることはあり得ない。単純な手法で解決することが出来るのであれば、その逆もまた然り。鬼門遁甲は黄金のオリジナル魔法なのだから、そして、術式が仕掛けられている場所はこの城だけなのだから、敵手はこの魔法についての情報を手に入れることが出来ない。

 結果、哀れな侵入者どもは目的地には決して辿りつけないし、防衛側が罠なり何なり、好きな場所に誘き寄せることが可能という訳だ。

 

「防衛側の意図した場所で両陣営は激突し、防衛側が優勢を保ったまま圧勝。侵入者側の生き残りは処刑場(ダンスホール)へとご案内。そしてまとめて殺処分か、相変わらず敵には容赦のない御方だ」

 

 机の上に展開された幾つものモニターには、城の各所で繰り広げられる戦いの光景が映し出されていた。鬼の姉妹、吸血鬼の姫、猟犬にトップレディ、彼女ら以外にも何人もの使用人が防衛に動き、精強な戦いぶりを見せる。 ある者は力で圧倒し、ある者は技量で黙らせ、ある者は連係を以ってして完封する。戦闘の主導権を握っているのは常に防衛側であり、侵入者側は撃破されるばかり。

 

 侵入者側で生き残る者がいないわけではないが、彼らの命は長くない。彼らが飛び込んだのは最強の男の居城にして最高傑作の城なのだ。眼前に現れた使用人から逃亡することに成功した程度で生きて帰れるはずがない。

 

 黄金の配下として分かりきっていたことを確認するリゼヴィムの口調は揶揄するような軽いもので、表情もまた然り。言葉の上では戦慄を表していても、本心は全く別のところにあるのだろう。

 

「何を言っているのですか。あなたも麾下の一員でしょう」

 

 彼の言葉に反応を示したのは、当然、この部屋にいるもう一人の女だ。髪色はリゼヴィムと同じ銀、ただし明けの明星の嫡子たる彼とは違い、この女の髪は輝かんばかりのピュアシルバー。睫毛、眉毛、瞳に至るまで美しい輝きを持つ彼女の名はアマエル。黄金の腹心の一人にして、魔城を取り仕切るメイド長兼執事長代理という女傑だ。

 普段は使用人として働く彼女であるが、その実力は非常に高い。他者を威圧するつもりなどなくても凡百の悪魔を震え上がらせる程の強者の気配が滲み出てしまう。

 しかし、今ここで彼女と話している男はリゼヴィム・リヴァン・ルシファーである。悪魔の平均値でkれを見定めることは不可能であり、事実として屈強なる天敵(・・)の気配を間近に浴びても、緊張一つ見せることはない。差し出された紅茶に優雅に口を付ける様には、無茶をしている素振りもない。

 

「だとしても、あるいはだからこそ、だよ。あの方の配下である私は、あの方の強さを知っている。並ぶ者の居ない最強だと、真なる魔王であると理解している。

 しかしね、魔王が居れば勇者も居るものだろう? 物語の定番というわけではなく、世の理としての話だ。光と闇、聖と魔、陰と陽、相反する二つの概念は、しかし互いの存在こそが己の存在証明となる。ならば――」

 

「黄金と対となる存在がこの世のどこかにいるはずだと? 馬鹿馬鹿しい、あなた自身が言ったではないですか、あの方に並ぶ者などいないと」

 

「ああ、そうだな。実際、勇者君が存在したとしても黄金には決して勝てないだろう。彼こそが最強であると信じるが故にそう断言する。

 けれど、なあ気になるだろう。万が一だとしても、あの黄金と張り合えるかもしれない者が存在する可能性……想像するだけで興奮が止まらない」

 

 黄金の対存在。それも並び立つのではなく、光と闇のように食らい合う同格の者が存在する可能性を、アマエルは許さないし認めない。黄金は無謬の光。そう固く信じるが故に、白銀のメイド長の忠義が揺るぐことは無い。

 一方、黄金を討滅し得る者が現れることを望むようなリゼヴィムの言葉は、黄金の死を望んでいるようにすら聞こえる。たとえそれが冗談であっても、臣下の一人として到底聞き流せるものではなく、黄金の本拠地たる魔城の防衛を司る者として、アマエルが険のある視線を向けるのは無理もないことだろう。

 

「やれやれ、そう怖い顔をしないで貰いたい。我らの王が同士討ちを望まないことくらい君も良く知っているだろう」

 

 リゼヴィムは笑って調子を崩さない。悪童の仮面を数千年に渡り被り続けた道化師にとって、この程度のいざこざは些事ですらないのだ。

 扇動の天才と称されたリゼヴィムは、当然の如くヒトの心に精通している。どこを刺激すれば怒るのか、何を言えばどんな行動を起こすのか、それを熟知する彼にとってみれば目の前の齢数百程度の小娘の心を読むことなど造作もなく、アマエルがこの場で手を上げることはあり得ないと確信しているし、そしてその確信は見事に的中している。彼女がリゼヴィムのことを嫌おうが疎もうが、リゼヴィムは主に認められた配下である。扇動の天才と呼ばれた悪魔を、主の許可なく殺すことは主の意思を無視する行為であるために、彼女の絶対の忠誠心が許さないのだ。

 

「——相手の心を読み、己の安全を確保した上で神経を逆撫でするような言動を積極的に行う……あなたのそういう部分が私は嫌いです」

 

 リゼヴィムがアマエルの忠義を利用し、己の安全を確保していることを、アマエルも気付いている。利用されていることを察しながらも忠義を曲げないからこその忠臣であるし、だからこそリゼヴィムの姑息な手法は気にいらないのだが。

 沸き上がる殺意を瞬き一つ、それだけの動きで、黄金の腹心たる女は抑え込んだ。

 

「しかし、あなたのそういうところも含めてあの御方は認められた。その事実を以って、私は口出しを致しません。――ただし、程度を弁えなさい」

 

「ふむ。私が度を越える行いをした時には、君が処刑人になると解釈すれば良いのかな?」

 

「否。我らが黄金の君は、あなたのことを高く評価している。実力はもちろんとして、自身より遥かに長い年月を生きる中で積んだ経験と集めた知識は非常に貴重なものです。同胞であるうちには非常に役に立つ。

 ――つまり、敵に回れば非常に厄介だということ。そこまで理解しているあの御方は、あなたを侮ることなど決してない。処刑人を遣わすときは一人ではなく、武器、人員、場所、日時、その他諸々の要素を考慮した上で万全の用意を期したものとなるはずです」

 

 黄金と敵対すれば、如何に明けの明星の嫡子と言えど、勝ち目はないし逃げ場もない。ただ死ぬのみである。

 相応の理由や目的があり離反するのだとしても、黄金を出し抜くことなど不可能。思惑の一パーセントも成し遂げることが出来ずに、蹂躙されることが目に見えている。

 敵対する可能性を持つリゼヴィムに対して、敵対した場合の対処について語ったのは、黄金の配下が持つ常識を再確認させるためだ。自惚れるなと釘を刺し、離反の意思を叩き潰すためだ。

 

「ふふっ、優しいな。余計なことを考えるな、余計な真似をするなという忠告か。その言に従っていれば、これからも黄金の庇護に与れるのだと。

 ご忠告痛みいる、礼として一つ告白しよう――我が願いとあの方の願いが衝突でもしない限り、裏切るつもりはないから安心するといい」

 

「別にあなたのためを思っての忠告ではないのですから礼はいりませんよ。例え離反されたのだとしても、あの方は元配下を殺すことに心を痛めてしまう。私はそれを防ぎたいだけです」

 

 変わることのないメイド長の想いを聞き、リゼヴィムは天晴見事と笑う。

 

「臣下として主に鋼の忠誠を捧げ、女として男に深い愛を注ぐ。公私ともに君は変わることが無いな」

 

「コロコロと主を変えるのは不忠者、毎晩違う男に愛を囁くのはただの売女でしょう。忠義も愛も、容易く変わるようでは程度が知れます」

 

 アマエルが語るのは、従者として、そして女としての在り方。基本とも言える道理だが、それを貫くことが出来る者は果たしてどれだけいるのだろうか。

 

 例えば、こんな女悪魔が居る。魔王に仕える家の出でありながらも、政府に対抗する革命軍の英雄と恋に落ち、家と主と部下と、それまでの生涯の中で築いた物の全てを裏切った。更には恥を知らないらしく、新たに樹立された政権では新たな王に仕える配下の対場を持ち、プライベートではかつての英雄であり現在の王を務める男の妻となり、子を産み育てている。

 

 そんな頭がおかしいとしか思えない女が持て囃されるような世界が今の冥界である。異常な世の中では妥協や諦観をしなければ生き辛くなるだけということは誰にでも理解できる。それでも、己の忠義と愛を決して曲げないし諦めない。

 その生き方は酷く無器用で頑固だ。愚かとさえ言えるのかもしれない。

 しかし、それは安全地帯から眺めているだけの無責任な第三者の感想だろう。傍で白銀のメイドの姿を見てしまえば、そんな下らない侮辱の言葉を吐くことなど誰にも出来ない。

 誰にも汚されることのない崇高なる誇りと無謬の美しさを兼ね備えた極上の女。それが魔城の守護を任せられた魔人の本質だ。

 

「……主の桁が違うのなら、その下もまた然りというわけか」

 

 紅茶を一口ばかり飲み込み、リゼヴィムは溜息ともにぽつりと賞賛を溢す。

 

「いきなりどうしたのですか? 少し気味が悪いのですが……年を取りすぎて痴呆にでもなりましたか?」

 

 普段のアマエルらしからぬ毒舌は、先ほど揶揄われたことを根に持っていることの現れだろう。

 唐突な毒舌にがくりと脱力させられるリゼヴィムだったが、メイド長が能面のような無表情の下に苛立ちを隠していることを察し、素直に謝意を示す。それから、改めてとばかりに話題を口に出した。

 

「今回の作戦もそうだが、我らの王は策謀に本当に長けている。彼が女好きだという世間の評価、それさえも彼が上手い事利用してくれているおかげで我々がどれだけ裏で動き易いか……」

 

 彼の言葉に込められているのは崇敬の念。アマエルに向けた称賛は、あくまで同等程度の立場の者に向けるものであったが、今のリゼヴィムが感情は明らかに目上に対するもの。それはつまり、口先だけではなく、彼もまた黄金に対して忠義を捧げているということに他ならない。

 

「眷属を女で固め、眷属以外であっても連れ歩く配下は女のみ。レヴィアタンの姓を持つ者がそんなことを堂々とやっていれば瞬く間に話が広がり、女好きという評価を付けられるのにも大して時間が掛からない」

 

 彼の男は女好き。その話は冥界ではかなりメジャーだ。彼が魔王の末裔であったり、実力者として名を上げていたり、連れ歩いているのが美女揃い等々、いくつもの要因が重なり合うことで、噂が広まる速度に拍車を掛ける。

 当の本人もその噂を否定しないし、むしろ利用している。

 

『そんなクソッタレな状況の中でも希望ってやつはあるらしく、俺は仲間と出会った。今は主従関係を結び配下となっている女たちです。この場にいるエレイン・ツェペシュもその一人。

 ところで、類は友を呼ぶって諺をご存知ですか? まあ、知らなくてもそのままの意味なので構わないんですけど……。

 先ほど、俺は自分の生まれをクソ、育ちを畜生だと表現しましたが、行く先々で出会う女たちも似たようなのが多かった。ある女は実の姉を喰らい国を脱走した。ある女は人間には過ぎた才能を持っていたがために排斥された。ある女は持って生まれた力を、同性を守るために使おうとしていたのに、その力を目当てとした者たちに追い回された。ある女は同族とは違う姿を持って生まれたせいで、疎まれ迫害され追い出された。

もちろん、真っ当な生まれと育ちをしたやつと出会うこともあったが、碌でもない境遇にある女との出会いのほうが圧倒的に多かったのは事実です』

 

 三大勢力の会談が行われる直前に、彼が話したことに偽りは一切ない。けれど、真実の全てを話したわけではない。真実の一部を故意に隠していた。

 

『では、例えば、何かの偶然と奇跡が重なって俺が大王派か魔王派に属したとしましょう。しかも、派閥が俺を本当の意味で保護してくれて殺される心配が消えたとしよう。

 では、その代価は? 飴を貰うことによって発生する代金は何になる? まあ、隷属でしょうね。家から脱走した後はずっと戦い漬けの日々だった俺は金銭だとかを持っていない。あるものと言えば、そもそもの原因の『旧魔王の末裔』という称号だけだ。派閥のために、自分の利益のために、俺を利用する。まあ、それが妥当なところでしょう。

 あるいは、俺ではなく、俺の連れている女たちに目を付ける可能性もあるか。多種族を見下しまくるのが、悪魔の中に今も蔓延る多数派の意見ですからね。転生悪魔や中級・下級悪魔といった同胞でさえ見下す彼らが、多種族の女を道具扱いすることに躊躇いを覚える可能性なんざ皆無。使い捨てられて、誰にも看取られることなく死ぬのが落ちでしょう』

 

 十年の時を超えた先でも鮮明に思い出せるほどに、魂の奥底にまで刻み込む語り口。彼は女好きであるという噂話と、それを裏付けるかのように美女を連れ回している事実。

 それらが合わさり、誰もが『あの男の配下は女だけだ』と錯覚する。彼がそんなことを一度たりとも断言していないにも関わらずに。

 

『けど、エレインたちは別でしょう? 俺のところには悪魔でさえない女も多数いる。何で彼女らが悪魔の理屈に振り回されなければならない。地獄の底でようやく出会えた花をどうして枯らせる。何も待たずに生まれた俺がようやく手に入れたものを、何を理由に奪う。

 許せるものかよ。認められるものかよ。彼女らを傷つける可能性のある貴族を同胞と看做すことなどあり得ない。彼女らに差別と迫害を押し付ける国を愛せるかよ。その現状を許す魔王サマたちに忠誠だの信頼を向けられるわけないだろう』

 

 黄金は決して嘘を言ったわけではない。ただ、ほんの少しの事実を、『黄金の配下には男もいる』ということを話さなかっただけ。たったそれだけのことで、男の配下が居る可能性を頭から排除させ、難なく三大勢力のトップたちを騙してみせたのだ。

 彼は似たようなことをこれまでにも何度も行っている。彼が女好きであるという評価をいつまでも鵜呑みにし、彼の配下は女だけだと考えている悪魔社会は、とっくに黄金の掌の上だ。

 

「黄金の配下は女のみ。度を越えた姓差別主義者でも無ければ、そんなことあり得んと言うのに誰も彼もが疑いを持たない。扇動の天才などと称された私だが、彼の手並みを見ると自身の異名が恥ずかしくなってくるよ」

 

 黄金に男の配下は居ない。その錯覚が蔓延した世界では、男というだけで黄金との主従関係が疑われることがない。数多の貴族から睨まれる黄金の配下であると知れれば、様々な面で圧力や嫌がらせが襲ってくることはすでにエレイン達が証明済みだが、男というだけでその危険性はほぼ零となる。

 事実、リゼヴィムのような男たちは、裏の情報収集も表の商売も、エレイン達ほど苦労することなく易々と熟すことが出来ている。

 

「当たり前でしょう。あの御方は至高にして不滅。最強にして無謬の黄金なのですから。比べることさえ烏滸がましい」

 

「そうかもしれないな。実際、あの方に及ぶ自分など想像も出来んし、格の違いを自覚したほうが精神衛生的にも良さそうだ」

 

 リゼヴィムはうんうんと何度も頷き、ティーカップに再び手を伸ばす。再度口に含んだ紅茶が随分と温くなっており、メイド長との会話がかなり長いものだったと今更ながらに気付いた。

 

「アマエル、確か君にも仕事があるのではなかったか。時間はいいのかね?」

 

 問われ、メイド長は懐から銀色の懐中時計を取り出して時刻を確認する。

 

「そうですね……そろそろ移動するとしましょうか。私の代わりにワルキュリアが来ますので、何か足りないものや用があれば彼女に言ってください」

 

 白銀の女が去り、ドアが閉じられた部屋に残るのはリゼヴィム一人。会話の余韻を楽しむかのように、温くなった紅茶を口に含んだ彼の意識が向かう先は、卓上に展開されたモニターのうちの一つ。そこに映し出されているのは、ギルバートという男と彼の愛した女の二人組だ。

 彼らは同部隊の悪魔らの姿はなく、這う這うの体で逃げ回っていた。生存以外を考える余裕はなく、とっくに道に迷っていることが見て取れる。しかし不思議なことに(・・・・・・・)、出鱈目に走っているはずの彼らは、目指す場所が決まっているかのようにある場所へと至る進路から外れることがない。

 

「あの方の御眼鏡に適うかどうか、同胞が増えるかどうか……楽しませてもらうこととしよう」

 




ベルゼバブよりヒルダ参戦!
黒いサンゴ礁より未来から来た殺人マシーン参戦!

名称:鬼門遁甲
出典:魔法科高校の劣等生
原典使用者:周公瑾
本作使用者:グラナ・レヴィアタン(城に設置されており、敵が侵入してきたときに作動する)

リゼヴィムおじいちゃんが、実は配下でした!

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