ハイスクールD×D 嫉妬の蛇   作:雑魚王

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19000文字超え……、あと少しで二万文字て。過去最高の文字数でした。


6話 カテレア・レヴィアタンは真なる嫉妬の蛇(レヴィアタン)である

「とりあえず俺の冤罪が晴れたことを喜ぶとするか。あぁ、魔王陛下、堕天使総督、天使長。あなた方には後日、正式に賠償金を求めますので悪しからず。あっはっはっはっは。まあ、後でグチグチと蒸し返したりしないと誓いますので、そこらへんはご安心ください。面倒ごとは金で解決していましょうよ。

 それと、こうして復帰したんで、カテレアの相手は俺がやりますよ。サクッとぶっ殺すだけの簡単なお仕事だ」 

 

 カテレアは柳眉は吊り上げる。グラナの言葉の前半は、カテレアなど居ないも同然の扱いをしたものであり、後半は完全に舐めているからだ。しかし、この場で獣の如く飛びかかるような真似はしない。約二十年もの間、溜め込んだ憎悪や憤怒をそう簡単に発露するべきではないのだ。どうせやるのなら、ギリギリまで蓄え、噴火の如く派手にだ。

 

「いや、出来れば確保に留めてほしい。彼女と、いや彼女たちともまだ話し合えると私は思いたい」

 

 敵に回ったというのに、カテレアの心配をする魔王(サーゼクス)。その見当違いの優しさは、まるで馬鹿にされているようで苛立ちが募る。これ程他者の想いを察せない男が魔王をしていることが信じられない。

 

「あー、いやー、無理です。この馬鹿も一応レヴィアタンの末裔だし? それなりに魔力はあるわけだし? この場に来たからにはそれらしい秘策もあるわけだし? 捕縛は無理です。それに、ほら、一応俺とカテレアって親戚ですからねえ。血を分けた女と長時間戦うのは心苦しいんですよ。だから短期決戦で辛い時間を早く終わらせたいんです。で、速攻で終わらせるとなるとそれなりに力を出す必要があるので加減出来ずにぶっ殺しちゃっても仕方ないでしょう?」

 

 散々同胞を殺してきた実績を持つために、グラナの言葉は実に空虚だ。微塵も感じ入る部分はない。はっきり言って嘘くさい。ただの詭弁であることが丸分かりだ。

 実の妹を殺されたカテレアは勿論として、この会議室に集う面々は誰一人としてグラナの言葉を信じていない。そのことをグラナも理解しているらしく、彼が笑みを崩すことはなかった。

 自身の言葉が信じられるかどうかなど、グラナにとってはどうでも良いのだろう。この会談の場を襲撃しただけでも、カテレアを殺す理由としては十分に過ぎるのだから。

 

「大義名分は俺にあり。つうわけでカテレア、場所移すぜ。ここじゃあ、ちっと狭すぎる」

 

 願ってもない提案だった。カテレアは上級悪魔らしく、魔力を用いた中・遠距離戦を得意とする。手狭な屋内より、敵との距離を取りやすく、自由に動き回ることのできる屋外のほうが実力を発揮できるのだ。

 グラナは二人の魔王の護衛であるからには、この場で戦うわけにはいかない。とはいえ、自ら虎穴に飛び込む愚かさを嘲笑いつつ、カテレアは承諾の意を返した。

 

「ええ、構いませんよ。では上空で戦うこととしましょう。せめて華々しく散らせてあげます」

 

「くははは。自信満々で結構。っつうわけで俺は今からこの女をぶっ殺してくるから、護衛は任せたぜ」

 

 その言葉に答えるように、屹立するもう一つの氷塊の表面に、カッカッカッと硬質な音を立てていくつもの線が走る。その線は剣閃、硬質音は氷を斬り裂く際のものだ。

 ズルリ、と崩れていく氷の中から、両腕を大剣へと変化させた女吸血鬼が現れる。グラナを殺すために行った情報収集のおかげで、カテレアは彼女の存在を知っていた。金色の髪に血を思わせる赤い瞳が目立つ、ビスクドールのような整った顔立ちと均整の取れた肢体の持ち主にしてグラナの腹心。名をエレイン・ツェペシュ。

 

「ああ、任されたよ。君は後ろを気にすることなく存分に戦うと良い」

 

 エレインは両腕を元に戻しながら魔方陣を展開し、この会談という場に合わせたのであろう正装から、深紅のロングドレスへと装いを改めた。鎧ならまだしも、ドレスへ服装を変える事にそれほど大きな戦術的な価値があるとも思えないが、要は気分の問題なのだろう。モチベーションが上がる、もしくは普段通りの恰好をすることで落ち着くといったところか。

 

 誰々の服装など些細な問題だと、視線を打ち切り屋外へと出ようとその場で反転したカテレアの顔には、本人も気付かない内に凄惨な笑みが浮かんでいる。

 漸くこの時が来たのだと、己の想いが成就するのだと、歪んだ悦楽に支配されている。自分の意志で決定し歩んできたと思っているが、その実、感情に振り回され続けていることに気付かない。どこかの誰かに感情を読み取られ利用されているとは露ほどにも思わない。

 

 もし、カテレアが自分の感情を僅かにでも制御することが出来ていたのなら、彼女の後に付いてくるグラナが愉悦混じりに嘲り嗤っていることを察せたのだが、それは詮無い事である。

 

 カテレアの脳裏にあるのはグラナに勝利した後の栄光。そしてグラナにこれまで与えられた屈辱の過去。

 今日、この場でグラナを殺すことに深い感慨を抱いたせいかもしれない。カテレアの思考は過去へと飛んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――カテレア・レヴィアタンは真なる嫉妬の蛇(レヴィアタン)である。

 

 偉大なる初代レヴィアタンの容姿は、金髪金眼と褐色肌が特徴の美女だったと言う。彼女の長所は何も容姿だけではなく、実力も頭抜けていた。性別を理由に侮る男を片っ端から薙ぎ倒し、いつしか実力主義の悪魔社会の頂点たる魔王の座を得るに至った女傑。四大魔王の中で唯一の女性だったということもあり、没してから相当の月日が経過した現在でも、多くの女性悪魔の憧れの対象となっている。

 

 カテレアは偉大な先祖への尊敬の念を忘れたことはない。先祖の名と血を継いでいるという事実を心から誇りに思っている。

 だからこそ、カテレアは己に多大な自信を持っていた。

 肌は褐色、髪色は金。残念なことに瞳は碧眼だが、それさえ除けば初代の容姿の特徴の全てを受け継いでいると言って良い。また、魔力が上級悪魔の平均を大きく上回る事実もある。流石は魔王の末裔だと賞賛されることも珍しくない。

 

 彼女が初代から受け継ぐことのできなかったものは、『金色の瞳』と『悪魔祓いの効かない特異体質』、『不死身と称される防御力』に『水の特性を有する魔力』の四つだ。数にしてみるとかなり多いように思われるが、カテレアが魔王の末裔を名乗ることに不満を漏らす者は誰ひとりとしていなかった。

 その理由はいくつかある。まず瞳が何色であろうと実益に直結することはないから気にする必要はない。次に特異体質と防御力だが、確かにカテレアはそれらを受け継ぐことこそ出来なかったものの嫉妬の蛇(レヴィアタン)の血が影響したのか身体能力が初めからかなり高かった。魔力とて特性こそ発現しなかったが、量は随一なのだ。侮られることはあり得なかった。

 至らない点があることは事実。けれど、『魔王の末裔』であることを否定する材料になるほどのことではなかったのである。三大勢力の戦争とその後の内戦により、真なるレヴィアタンの血族の数が大幅に減少したことも合わせて、カテレアが当代の当主となったのは、ある種当然のことと言えた。

 

 そんなカテレアの、最大の転機はいつだったか。

 大戦で偉大なる初代様が亡くなった時? 違う。

 内戦にて敗北し、旧魔王派として辺境に追いやられた時? 違う。

 レヴィアタン家の当主となった時? 違う。

 

 では、グラナ・レヴィアタンが誕生した時か? ああ、そうだ。そうに違いないと断言しよう。あの時から、カテレア()の生涯は狂わされたのだ。

 

 グラナの誕生は祝福されていた。出生率の低い悪魔という種の中での、数少ない純潔悪魔の誕生である。しかも魔王の末裔。これで喜ばれない道理など無い。産まれるより以前から、それこそ母親の妊娠が発覚した当初から、今か今かと誕生する瞬間を待ち望まれていたのだ。

 真なる魔王の末裔であるシャルバ・ベルゼブブやクルゼレイ・アスモデウスは、新たな生命をその身に宿したレヴィアタンの女の元に足繫く通い、母子の健康に良好な食品や器具を贈った。

 派閥の下っ端から幹部までもが、新たなレヴィアタンについて毎日飽きることなく噂した。男児か、あるいは女児か。いや、どちらでも良いだろう、新たな王の誕生をただ祝福すればよいのだと。

 カテレアも祝福していた。なにせ、カテレアはレヴィアタンであり、祝福される子もレヴィアタンである。新たな血族が誕生することを忌避するはずもない。赤子の誕生を待ち望む気持ちの強さは、派閥の中でも上位にランクインするだろう。

 

 それはある種の流行と言えるほどのものだった。たった一人の子どもの存在が、万を超える悪魔の意識を独占してしまう事態は異常と言う他ないが、そこにも理由がある。

 真なる魔王を自称し、配下たちも真なる魔王に仕えているという自負があるにも関わらず、『旧魔王派』として辺境に追いやられる屈辱。太古から実力主義を標榜する悪魔社会で、内戦において確かに敗北したのだという事実。そして、それから数百年経過した現在でも復権することが叶わない現実。

 辛いニュースばかりの彼らにとって、新たな魔王の末裔、新たなレヴィアタンの誕生は派閥が総出で祝う程に嬉しいことだったのである。

 

 その胎児の妊娠が発覚し、公表されてから一月二月と経過していく。新たなレヴィアタンを取り巻く熱は冷めることを知らず、むしろ日に日に期待が高まっていった。

 そして訪れる、出産予定日。その日は朝から誰もが、そわそわと落ち着きがなく仕事も手に付かない。カテレアが、シャルバが、クルゼレイが、その他の多くの悪魔たちが報を待ち続ける中、遂に無事出産に成功したと言う吉報が届けられた。

 

 誰も彼もが狂喜乱舞した。それは、病院で待機していたカテレアたち派閥のトップ三名とて例外ではない。あるいは、この三名こそが子の親を除いて最も喜んでいたのかもしれない。遠回しに病院の医師から静かにして欲しいと苦言を呈されるほどに大声を出して喜んでいたのだから。

 普段は真なる魔王の末裔として、派閥のトップとして厳格であることを心掛けている三名だが、この時ばかりは小躍りした。新たなレヴィアタンの顔を少しでも早く見ようと、競争するかのように病院の廊下を疾走する姿は、到底普段の彼らの姿からは想像できまい。

 

「入っても構わないか?」

 

 ほぼ同時に母子が待つ部屋の前に到着する、カテレア、クルゼレイ、シャルバの三名。代表としてシャルバが声をかけ、了承の返事を受け取ってから戸を開けて入室する。

 部屋の内装は簡素なものだ。清潔感を象徴するかのように、天井・壁・床は白く、ベッドがいくつか置かれているくらい。

 

 部屋の奥のベッド。そこには一人の褐色肌の女性が、赤子を愛おしげに見つめながら胸に抱いていた。ベッドの脇に立つ男性は母子を抱きたいと思いつつも、母子の時間を邪魔するべきではないと葛藤しているらしく両手を宙にふらふらさせながら一人相撲している真っ最中だ。

 部屋の前であわあわと慌てふためき、満足に声を発することさえ出来なかったカテレアが、シャルバとクルゼレイの二人を押しのけて前に出る。父親の葛藤だとか、同じ派閥のトップの考えだとかはすっかりと頭から抜け落ちている。眼鏡の奥に輝く碧眼は、期待に彩られ、希望に満ち満ちていた。

 

「その子が、その子が私の新たな家族なんですね!?」

 

「ええ、そうよ」

 

 女性の答える声は、愛情に溢れんばかりだった。それを受けたカテレアの頬も自然に緩み、女性が抱く赤子へと視線を落とす。

 レヴィアタンらしい子だ、カテレアはそう思った。赤子の肌は褐色、産まれたばかりで薄い髪は輝かんばかりの見事な金髪。スヤスヤと可愛らしく寝ているが、すでに成熟した上級悪魔を超える魔力が溢れさせている。未来が楽しみな、周囲には栄光ある将来を幻視させるような赤子だった。

 

「ねえ、三人とも聞いていくれる? この子ったら、産まれたときに思いっきり泣いたんだけど、その時の声が凄すぎて分娩室の器具を盛大に壊しちゃったの。しかも、医師や看護師も一瞬で気絶させちゃったのよ?」

 

 私も一瞬意識が飛びかけたわ。そう言う女性。

 病院側からすれば迷惑以外の何物でもない、赤子の所業を聞いて、しかしシャルバは呵々大笑する。

 

「くく、ははっははははっ! いいではないか。産まれたばかりでそれだけの武威を見せつけることなど、そう出来ることでもあるまい。まあ、暫しその子を預かる病院は苦労も絶えなかろうが………その子が偉大なレヴィアタンとなった時には良い苦労話となっているだろう」

 

「僕としてはかなり育児に不安があるんですけどね……」

 

 気弱そうに呟いたのは、ベッド脇に立つ赤子の父親だ。ヒョロリとした長身痩躯と眼鏡という外見の通りに気弱な青年だが、魔王の末裔の伴侶として認められるだけあって能力は高い。逆に言えば、それだけの能力を持ちながらも自信を持つことのできない生粋の気弱な人物でもあるのだが。

 

「もう、あなたったら。ちゃんとしなさいよ。一児の父親になったのに、いつまでも情けない姿を晒していると子供に呆れられちゃうわよ?」

 

「え、ええ!? それは流石に困るなぁ。」

 

 非常に情けない声を上げる父親。しかし、彼にも夫としての意地がある。愛する妻に激励されれば奮い立つよりほかにない。それに、出来れば子供に恰好のいい姿を見せてやりたいという気持ちがあったことも事実。まだ弱いながら、父親としての自覚が生まれ始めていた。

 

 その後もシャルバとレヴィアタン夫妻は和気藹々とした様子で話を続けていく。赤子につける家庭教師の厳選は任せてほしいとか、魔力の扱いに関しては私が教えたいとか、であれば私は悪魔の矜持を身に付けさせようとか。

 赤子は未だ目も開かぬ状態だというのに未来に思いを馳せる三人を眺めていると、カテレアとクルゼレイの胸の内にも温かな気持ちがこみあげてくる。

 

「カテレア、出来ればその……」

 

「子供が欲しい、でしょう?」

 

「ああ、そうなんだが……。でも負担になるかもしれないと思うとな」

 

 カテレアたち真なる魔王派は今も復権を目指して水面下で行動中だ。しかも、カテレアとクルゼレイは派閥のトップであるために多忙を極める。それこそ子供を作り、育てる余裕さえないほどに。

 子供を持ちたいと言う願望を抱きつつも、安定しない現状により言葉を引っ込めようとするクルゼレイをカテレアは優しく押し止めた。

 

「いえ、気にしないでください。私も欲しいと思っていましたから。あんな幸せそうな光景を見せられたら我慢もできませんよ。育児の負担もどうにかなるでしょう。私が子を産むころには目の前の夫婦は養育者の先達としてそれなりの経験を積んでいるはずですから手伝いや助言をお願いすればいい」

 

 視線を交わらせ、そして二人は唇を重ねる。実際には数秒hどお、しかし二人にとっては数時間にも感じられる幸福な時間を終え、ほうっと一息ついた時に気付いた。シャルバたち三人が自分たちを見ながらニヤニヤとした笑いを浮かべていることに。

 僅か一瞬の内に、褐色の頬に朱が差した。頭から湯気が出そうな程の恥ずかしさを誤魔化すために、カテレアは質問を咄嗟に考えて口に出す。

 

「そ、そう言えば、この子の名前を聞いていませんでしたね。すでに決まっているんですか?」

 

 赤子の名前を知りたい。それは嘘ではないが全てではない。あからさますぎる質問は、カテレアの隠したい思いをまるで隠せていなかった。

 女性はくつくつとした笑いを溢し、ウィンクを混ぜて答える。

 

「ええ。女の子なら『星のように美しく綺麗な子に育ってほしい』って願いを込めてアルタイル、男の子なら偉大(grand)から取ってグラナにしようと決めていたの。この子の名前はグラナ・レヴィアタン。姉さんもこれからよろしくね?」

 

 

 

 初めはカテレアも祝福していたのだ。そのことに間違いはない。彼女は確かに心の底からグラナの誕生を喜び、成長した甥と肩を並べて立つ日を夢想した。

 では、その想いは一体いつからズレたのか。ズレた想いに気付いたのはいつだったか。いや、そもそも想いがズレた原因は何だったか。

 

 

 

 グラナと名付けられた赤子が生まれてから一週間ほど経過した頃、レヴィアタン本家で書類仕事を行っているカテレアの元に最愛の妹から連絡が入った。妹の声は嬉しそうに浮足立っており、用件を聞く前から、何か良いことがあったのだと容易に確信させた。

 

『グラナの目が開いたんだけどね、瞳の色がなんと金だったの!! 初代様の外見的特徴を完全に引き継いでるのよ!!』

 

 妹の自慢するような―――事実、自慢する声を聞いたカテレアの胸に去来したものは、痛みだ。喜悦ではなく、悦楽でもなく、愉悦でもなく、感激でも至福でも満足でもなかった。チクリ、と小さいながらも確かな痛みがカテレアの心中を襲ったのだ。

 そのことに気付かれないように、カテレアは努めて笑顔を作り、明るい声を発する。

 

「そう、それは良かったですね。将来の栄光を暗示させるようで、素敵だと思います」

 

 手に力が籠もり、握っていたペンに僅かな罅が入る。

 

『でしょう!? はぁ~、今からあの子の将来が本当に楽しみだわ。

 ただ、うちの旦那は、グラナは私似だって言うんだけど、実際レヴィアタンの特徴を引き継いでいるんだからそうなんだけど…………女顔とか男らしくない感じに育っちゃったらどうしよう。姉さんはどう思う?』

 

 金色の瞳と髪、褐色の肌。初代レヴィアタンの特徴の全てを引き継いでおきながら、何をまだ容姿について心配するのか理解できなかった。

 苛立ちが募り、無言でいるカテレアに構わず、妹は尚も息子自慢を続けていた。邪気を欠片も宿さない、その言葉の一つ一つがカテレアの心に小さな傷を作っていく。

 

『でねでね、あの子ったら力が強すぎて――――』

 

『産声があれだったから想像は出来てたけど、泣いたときが凄くて――――』

 

『うん、じゃあ今日はこれくらいにしておくわね。話を聞いてくれてありがと、姉さん。また近いうちに連絡入れると思うから、続きはそのときに』

 

「……ええ、そうしましょうか」

 

 数十分が経ち、漸く話が終わって通信が切れたときには、カテレアの握るペンは中程から力任せに折られていた。

 ゴミと化した、ペンのなれの果てを苛立ちのままに壁へと投げつける。血が滲むほどに強く握られた拳を机へと叩きつけるカテレアの顔は苦悶に歪んでいた。

 

「瞳の色なんて実用性が無いから気にする必要はない? そんなわけッ、気にしないでいられるわけないでしょう!?」

 

 カテレアは初代レヴィアタンのことを敬愛している。尊敬しているし、畏敬しているし、憧れている。幼心のままに、初代様のようになりたいと思った日のことを忘れたことなど一度としてない。

 であればこそ、瞳の色でさえ気にしてしまう。誰にも言ったことはないが、金色ではない碧眼の瞳は幼い時分からのコンプレックスだった。一層のこと、髪が金色でなく肌も褐色でなければ諦めもついたことだろう。しかし、幸か不幸か、カテレアは瞳の色以外は初代と同じ特徴を持って生まれてしまった。なまじ惜しいからこそ、あと少しで届くからこそ、諦めが付かない。

 妹の無邪気な言葉の数々は、数百年もの間、カテレアが必死になって堪えてきたコンプレックスを強く刺激するものだった。赤子に罪はない、赤子を責める謂れはない。けれど、どうしてと思ってしまう。これだけ焦がれ、求めているものを、どうして赤の他人が労せずに手に入れてしまうのか。

 

 小さな傷から、少しずつ黒い感情が溢れ始めていた。

 

 

 

 それから数週間後。件のレヴィアタン夫妻とカテレア、それにシャルバとクルゼレイの五名は一堂に会し、新たに産まれた『魔王の末裔』について―――すなわち、グラナについての話をしていた。

 カテレアがこの場に居るのは悪感情を克服したからではなく、なけなしのプライド故だ。意地と言い換えても良い。そんな女が、悪感情の原因たる赤子について、他の面々と心を共にして楽しく会話することなど出来はしない。

 

「本当にスゴイのよ、あの子ったら。この前、検査したんだけど、なんと魔力の特性は『水』だったの!」

 

 本当に嬉しそうに話す妹。その気持ちは理解できなくもない。

 一族の全ての者が尊敬するほどの大悪魔、それが初代レヴィアタンだ。自身の息子が初代と同じ魔力を持って産まれてきたのなら、それは喜ばしいことだろう。自慢したくもなるだろう。

 理解はできる。が、カテレアの内心は穏やかではなかった。自身が持たない、そして求め続けていた物を、グラナが有しているという事実は、彼女の心を抉る。

 

「ほう! それは喜ばしいことだな」

 

「まあ、そうなんですけどね……。あの子は泣くたびに爆音を撒き散らして部屋の壁や天井に罅を入れるくらいですからね。おまけに成熟した上級悪魔並の魔力を所かまわず放つものだから、病院側としてもかなり苦労してるみたいです。今じゃ頑強な結界に囲われた個室で過ごしているくらいですよ」

 

「う~む、流石にいくとこれから先のことも良く考えていく必要がありそうだな。いつまでも病院に預けているわけにもいかないのだから。何の考えもなしに、屋敷の中で育てようとすれば大惨事だぞ」

 

 明らかに喜びを表現している者はシャルバと妹のみ。残りの義弟とクルゼレイは、前途への不安を強く感じているようだった。とは言え、その口元には微笑みが浮かんでいることから、負の感情ばかりを抱いているわけでもないと察せる。

 妹夫婦とシャルバとクルゼレイが和気藹々と話す光景がどこか遠くの物のように、カテレアには思えた。不自然にはならない程度に会話には参加しているし、終始笑顔を保っているが、内心は最悪に近い。

 カテレアの演技が上手いのか、それとも他の面々が会話に夢中になっているせいか、カテレアの抱く黒い感情は気づかれることなく会話は紡がれ続ける。

 

「ちょーっと待ちなさいよ! まだ、良いニュースがあるんだから! 検査の結果で分かったことは魔力の特性だけじゃないのよ」

 

「ほう、それは一体?」

 

「なんと、あの子は初代様の他の特性まで完全に受け継いでるの! 不死身の防御力と悪魔祓いが効かない特異体質まで確認されたのよ!」

 

 四人が揃って、グラナグラナグラナグラナと赤子の名前を繰り返し呼ぶ。その声には親しみと期待が込められていた。あるいは、彼らはグラナという子に夢を見出しているのだ。敗北者として辺境に追いやられてから数百年もの長きにわたる屈辱の日々に変化を与えてくれるかもしれない、光明となってくれるかもしれないと。

 カテレアには、赤子に希望を託し、夢を見る大人たちの姿を情けないとは思えない。

 真なる魔王の末裔というだけでも、大きな意味を持つ。その上、グラナは初代レヴィアタンの能力を、特性を完全に継承しているのだ。それ程の子に、希望を抱くなと言う方が無理な話だ。

 

 だからこそ、カテレアは自身がこの場にいることは場違いだと感じてしまう。自分だけがグラナに対して良くない感情を持っているのだと嫌でも突き付けられる。これまで共に戦ってきた仲間が求めているのは、偽物(カテレア)ではなく本物(グラナ)なのだと思わされる。

 

 ―――私を見てくれ。

 

 ―――私を求めてくれ。

 

 ―――私が必要ではないのか?

 

 嗚呼、そうやって願うことが出来たら、問うことが出来たら、赤子へと抱く黒い感情も解消されるのかもしれない。見ていると。求めていると。いつだって必要としていると。そういう答えが貰えれば、それはどんなに幸せなことか。それはつまり、本物には決して届き得ない身の価値が認められたということなのだから、長年の悩みやコンプレックスさえ消え去る可能性がある。

 

 けれど、もし返答が肯定ではなく否定だったらどうすればいいのだ。

 悪魔は血統を重んじ、一族間の結束が強い。その理由には、種族の矜持と血筋によって力が受け継がれていく事実がある。逆説的に、混血や力を受け継ぐことが出来なかった者は弾き出されるということでもある。仮に、上級悪魔の家系に生まれた純血でも魔力を一切持っていなければ一族として認められることはないだろう。

 カテレアは魔王の末裔として認められる程度には実力がある。少なくとも一族から追放されると言うことは無い。けれど保証されているのはそこまでだ。悪魔の価値観では、半端物のカテレアより初代レヴィアタンの力の全てを受け継いだグラナが重要視されることは考えるまでもない。

 二位より一位が称賛を受ける。人目を集めるのは、劣等生ではなく優等生だ。

 

 ―――お前などいらない。

 

 ―――出来損ないになど頼るものか。

 

 ―――偽りの魔王(・・・・・)め! 

 

 シャルバもクルゼレイも妹夫妻も、盟友だと信じている。そんなことは言わないと思いたい。けれど、もし言われてしまったらと考えると、心臓が止まりそうな程の恐怖に襲われた。

 

 

 

 その日から更に事態は悪い方向へと向かって行った。

 元々、グラナの誕生を待ち望んでいた者は、派閥の上位者たちだけでなく、下っ端の構成員にまで及ぶ。グラナが産まれて以降も、流石に地位の低い者はグラナに会うことは許されていなかったが、だからこそ彼らの中での期待は膨らんでいた。そこに来て、シャルバやクルゼレイといったトップたちが楽し気に件の赤子について会話しているのだから、構成員たちの期待と希望は天井知らずに高まる。

 

「姉さん、今日のあの子はね―――」

 

 妹がグラナの近況を楽し気に話していた。

 

「クルゼレイ、魔力の扱いというのは何歳頃から教えればいいのだ?」

 

「とりあえず会話が出来るようになる時期を一つの目安とするか……? 会話できなければ教えようがないのだからな」

 

 共に派閥のトップを務める、二人の盟友がグラナの教育に関して議論を交わしていた。

 

「カテレア様、グラナ様の成長のご様子をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

 最も忠実だと信じていた配下が、グラナについて質問してくる。

 

「聞いたか、お前? グラナ様がまた盛大にやらかしたらしいぜ」

 

「この前はぐずったときの泣き声でメイドを気絶させたらしいけど、今度は何やったんだ?」

 

「魔力を暴走させて城の一角を水没させたらしい。改修工事をやってるところを見たから、間違いないだろうな」

 

 気分転換をしようと街に出ても、グラナの話題が飛び込んでくる。

 誰も彼もがグラナについての話ばかりを、毎日飽きることなく楽しんでいた。誰もカテレアを見ていなかった。過去(カテレア)ではなく、未来(グラナ)へと希望を見出していた。

 

 『旧魔王派』として辺境に追いやられた時の状況と似ているようで、まるで違う。あの時は、カテレアの隣には盟友と家族が、後ろには付いてくる配下がいた。けれど、今のカテレアの周囲には誰もいない。たった一人、取り残されている過去の遺物がカテレアなのだ。

 

「なぜだ!」

 

 それは、カテレアが必死に抑えてきた内心の発露だった。怒号が大気を震わせ、噴き上がる魔力が空間を満たしていく。

 

「なぜおまえは私から奪う!?」

 

 カテレアが持っていなかった物を、全て生まれながらに宿すグラナ。それだけならまだいい、まだ我慢出来た。才能の違いだと、自分に言い聞かせて押さえつけることも出来ただろう。

 だが、グラナはカテレアが築いてきたものまで奪っていく。盟友や家族や部下、そういった者たちから向けられる期待や信頼を一切合切まとめて横取りしていく。お前は必要ないのだと、過去の遺物なのだと突き付けてくる。己の存在価値を全て否定される。これで、どうして恨まないでいられようか。

 

「…………ああ、そうか。そうですね。あなたが初代様の力を受け継いでいるから、真なるレヴィアタンだと見なされているから、私から奪っていくのですね。

 だったら!! 私こそが真なるレヴィアタンだと証明して全てを取り返す!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、現在に至る。

 夜風の吹き荒ぶ上空へと移動したカテレアは、グラナへと憎悪の籠った視線を向けていた。

 

「あなたを殺すことで証明してあげましょう! 私が真なる嫉妬の蛇(レヴィアタン)であると!」

 

 常人ならば委縮するほどの、荒々しく躍動する魔力を前にしても尚グラナは笑ってみせる。

 

「くく、はははは。相変わらず威勢だけは良い女だな。お袋と同じ様にぶっ殺してやるよ」

 

 戦端を開き、先手を取ったのはグラナだ。叫びと同時に空を飛翔する。この場に移動するまでの時間に亜空間から引き出し、腰に差していた愛刀を引き抜きながらの突貫だ。その速度は並の上級悪魔であれば反応することさえ難しいほど。しかし、ここに居るのは並ではない、魔王の末裔たるカテレア・レヴィアタンである。

 

「そんな攻撃が通用しますか!!」

 

 確かに速い。目を見張るほどの速度だ。けれど正面からの突撃は愚直と言う他なく、その速度に目が付いていきさえすれば防御は容易かった。溢れる魔力が障壁と化して一刀を受け止め、硬質な音が夜空の元に奏でられる。

 結界を破らんとするグラナと、斬撃を防ごうと更に魔力を注ぎ込むカテレア。奇しくも至近距離から互いの顔を見つめ合う構図となり、カテレアは生理的な嫌悪を覚えた。グラナの持つ黄金色の瞳にコンプレックスを刺激されたからではない。彼の顔にはまるで戦意が宿っていなかったのだ。まるで虫を観察するかのような双眸に、魂の奥底まで見透かされたような感覚を味わわされる。

 しかし退くことも反撃することも出来ない。僅かにでも意識を逸らしてしまえば、その瞬間に障壁を破られると確信できるからだ。

 忸怩たる思いを抱えるカテレアとは対照的に、グラナは常と変わらぬ声を発した。

 

「そういや、会議室でオーフィスの力を借りるとか何とか言ってたよな。口ぶりからすると、オーフィスに戦ってもらうってわけじゃなさそうだ。もしそうだとしたら、この場にオーフィスが来てないのはおかしいしな。

 となると、強化アイテムでも貰ってるってところか?」

 

「それが、どうしたというのですか……ッ!!」

 

 カテレアは渾身の魔力を障壁へと込め続けている。だが、グラナの馬鹿力とカテレアの魔力の均衡は徐々に崩れ始めていた。結界の破壊と再構築が絶えず繰り返して行われているものの、僅かに刻まれる罅が大きくなっているのだ。

 

「いやぁ―――早めに使わねえと、使う暇もなくぶっ殺されちまうぜってことを教えてやりたくてな」

 

 すでに罅が入っていた障壁をグラナは蹴りつけて砕く。続けて一歩大きく踏み込んでカテレアの顔面に拳骨を叩き込んで殴り飛ばす。

 血を撒きながら数十メートルは吹っ飛びながらも、しかしカテレアは空中で踏みとどまった。レンズの割れた眼鏡を放り捨て、代わりとばかりに魔方陣から小瓶を取り出す。

 

「ほー、それが?」

 

「ええ、オーフィスの作り出した『蛇』です」

 

 名称の通りに、小瓶の中身は蛇のようなものが入っている。その正体は、無限の龍神オーフィスが己の力を分割して作り上げた強化アイテム。オーフィスにとっては僅か一滴程度の微々たる力しか込めていないものだろうが、他の者にとっては大海にも等しい。

 『蛇』を呑み込んだ瞬間、カテレアは己の魔力が爆発的に上昇したことを感じ取る。その上昇率の凄まじさたるや、軽い万能感を覚えるほどだ。

 

「おーおー、すげえ強化率だな。軽く魔王クラスくらいにまで強化されてんじゃねえか?」

 

「ええ、そうですとも! この『魔王』としての力を使ってあなたを殺―――」

 

「でも、まあそれだけだ」

 

 冷めた口調で告げるグラナは、『魔王』の名に相応しいほどに強化されたカテレアに怯えることなく踏み込んで見せる。その速度は先程までとは比較にならない。カテレアが『蛇』を温存していたように、グラナもまるで全力を出していなかったのだ。

 そして放たれる六連続の突き。狙いは頭部、頸部、鳩尾、腹部、下腹部、左胸部、いずれも人体の急所を一撃で穿つほどの威力を秘めており、速度まで尋常なものではない。ほとんど同時に放たれたようにしか見えなかった刺突の群れをカテレアが防御できたのは偶然だ。一直線にグラナが高速で突っ込んで来ることに反射的に張った障壁が幸いにもその身を守ってくれた。

 

「そらそら、どうしたおい? 防戦一方じゃねえか。俺を殺すんじゃなかったのか? 攻撃しねえと殺せないことくらい分かってるだろ? ほら、ほら、反撃の一つくらいしてみせろやァ!!」

 

 袈裟、逆袈裟、刺突、唐竹、薙ぎ、切り上げ、逆風。いくつもの斬撃が途切れることなく繰り出される様はさながら小型の嵐だ。一撃一撃が回避を許さぬほどに速く重いために、全力での防御を行う必要がある。しかも馬鹿力と悪魔に備わる翼を駆使することで、攻撃と攻撃の間を強引に繋ぎ、隙を生むことのない連撃と化しているせいで反撃もままならない。

 何とかして距離を取ろうと、障壁を展開しながらも後退するが、その分だけグラナは踏み込み、彼我の距離は決して離れることは無い。カテレアが中・遠距離戦を得意とするのであれば、一度も距離を離されることなく勝負を決めればいい。そんな考えが伝わってくるような迷いの無さだ。

 

「ところで………カテレア、自分の矛盾に気付いてるか?」

 

 斬撃の乱舞を止めることなく、グラナは唐突にそう訊いた。

 その問いに答える必然性は皆無だ。感情のままに無視しても良い。だが、カテレアは会話に応じた。こうして話す内に僅かな隙が生まれる可能性があり、そこを突いて距離を取るという算段からだ。

 

「矛盾? 私が? いったいいつ、どのようにしたと言うのでしょうか?」

 

 問い返しながらも、返答を期待してなどいないことが分かる声音だった。意味の分からないことを宣う愚かな男に、自分は矛盾などしていないと嘲りと自信を持って告げる。

 

「私は真なる魔王レヴィアタン。故に偽物を排除するためにこうして戦っている。それのどこに矛盾があるのですか」

 

 くつくつとした笑みがグラナの顔に浮かぶ。無機質だった双眸に、この時を以って極大の悪意が宿る。口元に浮かんだ弧は獲物を前に舌なめずりする獣を思わせた。

 これより先の言葉を聞いてはならない。そう直感しながらも、グラナの口を止める術をカテレアは持っていなかった。

 

「お前が真なる魔王レヴィアタンだって言うなら――――俺を殺して証明する必要なんてないだろう?」

 

「―――――」

 

 刹那、呆然としたことで防御の甘くなったカテレアの障壁を突き破った刃が、彼女の右腕を大きく斬り裂いた。咄嗟に半歩下がることでいくらかダメージを軽減することも出来たが、腱や筋肉を断たれたらしく、いくら意志を込めても右腕はぶらりと下がったままだ。

 唐突な激痛を堪えるカテレアの額には脂汗が浮かび上がる。大量の血を流しながらも撤退を選らないのは矜持故。全身から魔力を津波の如く放射し、グラナの体を押し流して測り直した距離で問答を続けた。

 

「どういう、意味ですか……ッ?」

 

「どうもこうもない。例えば、火が火であることを証明しようとお前は思ったことがあるのか? 水が水であることに疑問を覚えたことは? ないだろう?

 目の前に答えが提示されている物に、式を求めたりしない。証明ってのは、正しいか間違っているか分からねえからするんだろ。

 ――――つまり、お前自身が、自分が真なるレヴィアタンであることを疑問視してんのさ」

 

「そんなことはない! 私が真なるレヴィアタンなのです! 私以外に一体誰がその責に座ると言うのですか!?」

 

「知らんよ、そんなことは。少なくとも俺は御免だがね。どこぞの誰かが決めた『魔王』の枠に嵌った、クソみてえな生き方しか出来ねえようなかび臭い椅子なんぞ焼いて捨てた方がマシだ。まあ、お前らはそういう生き方が好きなんだろうけどな」

 

 悪魔の貴族性社会や純血主義などは、生まれた瞬間からその者の価値がある程度定められるものだ。

 上級の純潔悪魔ならば将来の職に困ることは無いし、眷属を持つことは確定している。魔力の量は中級、下級悪魔より生まれた時から多いし、強力な特性をも備えている。生まれながらの強者、勝ち組だ。

 対して下級悪魔は必死に努力しても、階級の壁を乗り越えることは極めて難しい。近年の現悪魔政府の試みによって、確かに昇級する者がいることは事実。けれど、昨日まで差別していた者と差別されていた者が階級が同じになった瞬間から仲良く手を取り合えるはずもない。例え上級悪魔にまで昇級しても、下級の出自というだけで見縊られ続けるのだ。

 

 それを悪習と呼ぶ者もいるが、一万年前から貴族制だった悪魔の伝統でもある。統計的に見れば、中級、下級悪魔の中にも実力者が産まれることはあるが、それは極々一部の希少な例だ。平均して見れば、上級悪魔はそれを遥かに上回るだけの強者を産んでいる。一万年も続いた制度なのだから、それなり以上の合理性が取れているのは当然だった。

 

 そうした生まれた瞬間に価値が定められてしまう制度だからこそ、上級悪魔の多くは、長い時の中で常に強者であり続けた父祖に敬意を、力に矜持を持つ。そして、己もまた父祖に恥じぬ『悪魔』たらんとするのである。

 伝統は過去から連綿と受け継がれる。生き方を先祖から託される。それは見方を変えれば、グラナの言うように枠に縛られているのだろう。しかし、それこそが悪魔の本懐なのだ。

 

「あなたは先祖に報いようと思ったことはないのですか!? 巨大な力を先祖から受け継いだ事実に感じ入るものは何もないのですか!」

 

「あるわけねえだろ。どこぞの顔を合わせたこともねえジジババに生き方を縛られて堪るか。巨大な力ってお前は言うがな、こんなもんただの道具だろ。莫大な魔力、悪魔祓いの効かない頑強な肉体……まあ、ありゃ便利なことは確かだが、別になくても困らない。その程度のものだ」

 

 数百年もの間求め続け、しかし決して手に入れることの叶わないものを道具だと言われた際の苛立ちは、本人以外には理解できまい。カテレアもそれを他者に共感させようとは思わない。ただ激昂のままに魔力を噴き上がらせるのみ。

 魔力を圧縮して作り出した砲弾をいくつも続けて放つ。魔王クラスにまで強化された現在のカテレアの攻撃は、それこそコカビエルの攻撃を凌いで見せたグラナの防御さえ貫くだろう。

 

 ――しかし、それは当たればの話である。

 

 どんな攻撃も当たらなければ傷一つ付ける事さえ叶わない。攻勢時とは打って変わり、守勢へと転じたグラナの動きは舞いを思わせた。一つ一つの動作に無駄がなく、戦場でなければ見入っていたであろう優美な体捌きを以って、全ての公家気を寸でのところで回避していく。そこに必要とされる者は高い身体能力と、体のすぐ隣を通っていく攻撃に怯えない胆力、そして攻撃を分析・把握する観察眼だ。

 

 強化されてからの僅かな時間で、すでに力を見破られている事実に歯噛みする。端正な顔を歪めるカテレアの耳に、悪意に満ち満ちた声が届いた。

 

「カテレア、良い子ぶるのはやめろよ。お前が俺に敵意を向ける理由は、先祖への敬意だとか悪魔の矜持だとか、そんな高尚なことじゃねえだろう?」

 

 声の調子は変わらぬままに核心を突く。

 

「お前、俺に『嫉妬』していたんだろ?」

 

「違うッッ!!!」

 

 考えることさえ無い、反射的な否定がカテレアの口からは飛び出していた。それだけはあり得ない、あってはならないのだと強い語気で言い切るカテレアの言葉を、グラナは更に否定する。

 

「いいや、違わないね。お前は俺に嫉妬していたんだ。自分が持っていない物を全て持つ俺にな。

 当時は意味分からんかったが今なら分かる。俺が産まれた瞬間から、お前は自分たちの定義する偽物に零落した。そのことに耐えられなかったんだろ? 自分の立ち位置を、存在意義を奪ったクソガキが憎い。その憎しみの大きさは、即ち『本物』へと向ける羨望の大きさでもある。

 お前は羨ましかったんだ。けれど、自分が手に入れることは決して出来ない。その事実に打ちのめされた」

 

「…………い」

 

「俺が産まれた時から、ずっとずっと比較されているように感じていたんじゃないか? 自分は『偽物』だと馬鹿にされていると思っていたんだろう? 実際に周りの連中がそう思っていたかはともかく、少なくともお前の中ではそうなっていたはずだ」

 

 カテレアの中には強い自尊心がある。自分は魔王の末裔だという矜持がある。故にこそ、「お前は真なる魔王の末裔ではないのだ」と突き付けられた際の痛みは大きくなる。

 盟友や家族や部下がそう思っていた確証はどこにもない。カテレアの被害妄想かもしれない。けれど、グラナが初代レヴィアタンの力を全て受け継ぎ、カテレアは半端にしか継げなかった事実は確かにある。故にただの疑念でさえも、心を切り裂く鋭利な刃と化したのだ。

 

「なあ、おいカテレア。無理はするなよ。お前の考えは正しい。周囲がどう思っていたかは知らんが、お前はどうしようもない偽物だ。

 矜持だとか誇りだとかを口にしちゃあいるが、結局は嫉妬の感情一つに振り回されて、俺が物心つく頃には狂気に堕ちる程度の小さな器しか持ってねえ」

 

 グラナが家を出てから約十年。時間の経過に従って、徐々に癒されてきた心の傷に、言の葉が言の刃となって容赦なく突き立てられる。無慈悲に傷口を開き、無造作に抉る。更にはそこに毒まで流し込む勢いで、グラナは言弾を放ち続けた。

 

「『魔王』の看板の重みに耐えられる実力はなく、『魔王』を貫き通す精神力もない。どこにでもいる、有象無象の一人だよお前は。」

 

「うるさいうるさいうるさいうるさい!! そんなことがあるものか!! だったら、そうだと言うのならばッ!! 家から逃げ出す前の、あなたを取り巻いていた環境は何だというのですか!? 私一人の感情であんな環境が維持できるとでも!? 笑止! あれには私以外の思惑も絡んでいた! それこそがお前が偽物であることの証左に他ならない! お前に私が嫉妬などするはずがないッ!!」

 

「環境ってのはあれか。お前が『鍛錬』と称して一日中、俺をボコボコにしてくれやがったことか。メシを貧相なのにしたりとか」

 

 ああ、そうだとカテレアは首肯する。当時、仮にグラナを『本物』だと考える者がいれば、カテレアの凶行を止めたはずだ。しかし、カテレアと同じく派閥のトップに立つシャルバやクルゼレイ、更にはグラナの両親でさえ幼子を庇わなかった。それは、グラナが庇う必要のない『偽物』だったからだと凶笑を浮かべながら高らかに宣言する。

 

 しかし、グラナは態度を崩さない。先ほどから声音が変わらないのは、ゴールが決まっていることをすでに理解しているためだ。淡々とした口調のままに(おぞ)ましい真実を語っていく。

 

「シャルバとクルゼレイが黙認していた理由は、まあ計算だろうな」

 

 将来性はあるが絶対に大成するとは限らない幼子と、それまで共に戦ってきた信頼の置ける盟友。この二人を天秤に賭けて後者に傾いたというだけのこと。

 下手にカテレアの行いを否定、非難することで仲違いすることを彼らは嫌ったのである。カテレアが離反することとなれば、旧魔王派が空中分解することさえあり得た。派閥のトップを担う者としてそれは許せないだろう。それに、盟友・戦友としての情、クルゼレイに関しては恋人に捧げる愛もあった。

 彼らは友の子よりも、友を取ったのである。

 

「実際に訊いたわけじゃねえがそんなとこだろ。旧体制を維持しようとする保守的な連中らしい考え方だ。博打を嫌って、リスクの小せえ道ばかりを取りやがる。ここまで来ると、リスク・マネジメントを通り越してただの負け犬根性だ」

 

「なら、ならば! あなたの両親はどうして行動は起こさなかったというのですか!? ずっとずっと待ち望んでいた息子が暴行される様子を黙認していたことには合理的な理由があるはずです!!」

 

 それこそグラナが『偽物』であるとか。暗にそう示すカテレアを、グラナは憐れみさえ宿った目で見つめていた。

 

「親父とお袋が、息子が暴行されるのを黙って見ていたのは保身のためだ」

 

 両親とて始めは我が子を愛していた。我が子の将来の姿を夢想し、毎晩夫婦で明るく話すことも珍しくなかった。きっと、それはどこの家庭にでも見られるありふれた幸福の形なのだろう。つまり、彼らは普通だったのだ。他者()のために己の命を懸ける程の強さを持たない、どこにでもいる普通の夫婦だった。

 

「あの頃のお前は明らかに精神の均衡を崩していた。真面な考えが出来る状態じゃなかった。そんなやつを説得できると考える程、親父とお袋は楽天家じゃなかったんだ。要は逆ギレされることにビビって逃げたのさ。お前が考えるような大層な理由なんざどこにもありゃしねえ」

 

 それが、グラナが両親を殺す際に命乞いの一環として聞いた真実。上級悪魔だとか魔王の末裔だとか、大層な肩書を持っていても、彼らの性根は凡俗のそれ。巨大な力と才能が周囲へ与える影響に対応する器量を持たない彼らの元に、グラナという最上級の才覚を有する男児が産まれてしまったことがそもそもの不幸だったのだろう。

 

「さてカテレア、過去の自分が腫物扱いされていたことを知ったが、代わりに疑問は解消されたんだし満足だろ?」

 

 昔語りはこれで終いだと、守勢から攻勢へと転じることでグラナは示す。激情のままに放たれる無数の魔力弾を前にしても焦ることはない。ふらりふらりと最小の動作のみで大半を掻い潜り数の多さゆえに躱しきれないものを一刀の下に斬り伏せる。

 

「お前はどこまでいこうとお前でしかない。『魔王』の器なんぞ持たない有象無象の一人だ。いくらオーフィスの力を借りて強化されても、それは自分の弱さから目を背けているだけだぜ」

 

 魔力は確かに魔王クラスと称しても良い程に増加している。しかし、それを操るのは依然としてカテレアの意志と創造力だ。平凡な女が魔王の力を満足をに振るえるはずもない。

 

「魔力弾に魔力の偏りがある。薄い部分を突いてやりゃあ、この通り自壊、霧散していく。同じことが防御にも言える」

 

 何でもないように語っているが、その技の実現には途方もない技量が必要とされることは言うまでもないだろう。第一に超高速で飛来する魔力の構成を瞬時に把握しなければならず、さらにその弱所を的確に突く剣技。最早、一種の奥義とも言える。

 

 魔力の散弾雨を瞬く間に通り抜けたグラナとカテレアの間に分厚い障壁が現れる。カテレア渾身の魔力を込めた代物であり、現時点で行える最大最高の防御術だった。

 

 しかし、それでさえもグラナの目には穴の開いた城壁として映る。魔力の薄い個所を一瞬の内に見破り刺突を放って障壁に罅を入れる。そこから披露されるのは剣の乱舞だ。罅を修復しようと魔力が込められれば、そことは別の個所に新たな弱所が生じる。そこを突くのだ。

 

 超絶の身体能力と技術から放たれる剣技は、稚拙な魔力操作を容易に追い越す。あったという間に障壁全体に罅が入り、唐竹割によって木っ端微塵となった。

 

「―――チェックメイト」

 

 攻撃は通用せず防御は剥がれた。成程、カテレアは確かに窮地に立たされている。しかし、忘れてはいないだろうか。彼女もまた、三大勢力の大戦と悪魔の内戦を生き残った紛れもない強者である事実を。崖っぷちに立たされても尚、古き女悪魔は戦意を失わなかった。

 

「私の攻撃と障壁を破っているのはその刀!! ならばそれさえ奪ってしまえばどうとでもなるッ!!!」

 

 傷により動かなくなっていた右腕が蠢く。神経、骨、腱、、筋肉、その他諸々が再構築され、一本の腕が無数の触手と化した。これまでにない動きを前に即座に後退するグラナの反応は見事、しかしその程度で防げる攻撃ではないのだ。

 攻撃の正体は、グラナの持つ刀を標的にした強力な呪詛。標的を捉えるまでどこまでも追いかけ、何度でも再生する。代償には己の寿命を要する禁忌の技だ。

 

「チッ、またうぜえ代物使いやがって」

 

 前後左右、更には上下からも間断なく迫る触手を刀一本を振るって迎撃するグラナ。その剣速は更に上昇し、いくつもの残像を残して、さながら剣が増えたようにすら見える。一度刀が通るたびに触手が何本も千切れ、地上に向かって落ちていく。

 すでに何十本もの触手が斬り落とされているが、その勢いが衰える様子は一向に見えない。それこそがこの呪詛の真骨頂。いくら身体能力が高くとも、磨き上げた技術を持っていようとも、生物であるからにはいずれ疲弊する。弱った獲物を確実に仕留め、目的を達成するのがこの呪詛の真価である。

 

「――――貰った!!」

 

 喜色に富んだ声を上げたのはカテレアだ。言葉の通り、呪詛はその役目を貫徹しグラナの刀を奪い取ったのだ。触手を引き戻す勢いを利用し後方に刀を放り捨てる。これで勝者は己だ、そう確信してカテレアは笑う。

 

 しかし、その考えは甘かった。

 

 カテレアの碧眼と交錯する黄金の双眸が更なる輝きを発する。

 

「武具など不要。真の強者は眼で殺すッ!」

 

 愛用する武具を失えば戦力は低下するだろう。そうした考えは間違いではない。剣士は剣が無ければ剣士にはなれず、砲兵は砲が無ければ砲兵足り得ない。戦場の常識だ。しかしカテレアの目の前に立つ男は、常識の通じる相手ではなかった。

 グラナを『偽物』だと断じ、決して認めようとしなかった代償は重い。勝利を確信した僅かな隙を、この男が見逃すはずもなかった。

 

梵天よ、地を覆え(ブラフマーストラ)!!」

 

 強すぎる余り灼熱と化した、黄金の眼光がカテレアの総身を灼き尽くす。

 

 

 

 




グラナ の せいしんこうげき!

こうか は ばつぐんだ!

グラナ の ブラフマーストラ!

きゅうしょ に あたった!

カテレア は たおれた



 
 本編で語られているようにカテレアはグラナに嫉妬していたのです。まあ、本人は器が小さいので頑として認めようとしなかったわけですけど。嫉妬こそが、敵意や憎悪の源泉でした。
 「子供に嫉妬してんじゃねーよ」って言われたらそれまでですけど、それまでの人生で培ってきた自信や存在意義の全てを奪われた彼女の苦痛も筆舌に尽くし難いことでしょう。
 彼女にもいろいろとワケがあったのです。





さてさて、最後のブラフマーストラ。……カルナさん、好きなんです……!!!



名称:梵天よ、地を覆え(ブラフマーストラ)
出典:FATE
原典使用者:カルナ
本作使用者:グラナ・レヴィアタン

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