ハイスクールD×D 嫉妬の蛇   作:雑魚王

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11話 第六の門番と最凶の呪詛

 ヒュドラに関する記述の中で最も有名なものは、やはりギリシャ最大の英雄ヘラクレスに与えられた『十二の難行』の中の一つとして打倒された話だろう。

 怪女エキドナの息子が冥府の王ハーデスの怒りに触れて、九頭の蛇頭を持つ、不死身の大蛇へと変貌したものがヒュドラだ。ヘラクレスは落としても再び生えてくる蛇頭に苦戦するも、甥のイオラオスへと助けを求め、ヘラクレスが蛇頭を落とすと傷口をイオラオスが焼いて塞ぐことで再生を防ぎ、中央の蛇頭は土に埋めて岩に封じ込めることで打倒したという。

 

 

 

「クソったれ! さすがの再生能力だな!!」

 

 懐に潜り込んで斬りつけた、鱗の生えていない顎下の傷が瞬く間に癒えていく。凶悪な攻撃を搔い潜った先に得たものが、ただの徒労では悪態もつきたくなる。

 

「オオオオオオッ!!」

 

 大樹のように太い蛇体が絞殺そうと俺を包囲し、九つもある蛇頭は鞭のようにしなって頭突きを繰り出す。大質量の頭部が高速で振り回されれば、それだけで立派な凶器の出来上がりだ。おまけに、ヒュドラには頑丈な鱗が生え揃っている。体に掠っただけでも、肉を削られてしまうだろう。あらゆる方向から襲ってくる殺傷性能抜群の攻撃を、しゃがむ、転がる、背を反らすなど曲芸じみた動きで躱していく。逃げ場を塞ぐように四方から同時に顎が迫れば、大きく跳躍して蛇頭の一つに着地し、更なる跳躍で殺意の包囲網から辛くも脱出する。

 

(迂闊に近づくこともできない、か。……厄介だな)

 

 距離を取って正面から見据えた、ヒュドラの姿にはまさに王者の気風が宿っている。過信ではなく、自信。傲慢ではなく、自然の摂理として、自身の勝利を信じて疑わない。そこにシ生まれ持った強靭な肉体と、スカサハに鍛えられた技が加わるのだ。戦士は『心・技・体』が揃ってこそだというが、このヒュドラはまさにそれに当てはまる。

 先ほどの攻防で得られたものはほとんどない。俺が攻撃できたのはたったの一度だけで、しかもそのときに与えた傷は数秒と経たずに癒えてしまった。対してヒュドラの反撃は苛烈なもので、逃げるのが精一杯。カウンターを考える暇もなかった。得られたことと言えば、ヒュドラが高い再生能力を有していることと近接戦ができるということを知れたことくらいだ。

 

 距離を互いに詰めることなく、睨み合うこと十数秒。ヒュドラは九つの下をチロチロと口から出し、俺は魔剣の刃先をヒュドラの目へと向けることで戦意を示す。出方を伺いつつも、先手を取られても対応できるようにするために頭の中ではいくつかの受け攻めのパターンを思い浮かべる。

 

 しかし、ヒュドラの行動はその予測の全てを裏切るものだった。

 

「なっ!? ブレスなんてあり得ねえだろ!?」

 

 九つあるうちの一つの蛇頭が、口を開くと喉の奥から炎がせり上がってくる。それに気づくと同時に走り出したのが功を奏し、直撃は避けられた。

 しかし、振り返って先ほどまで立っていた場所を見ると冷や汗が流れるのを止められない。ブレスを吐いたヒュドラの蛇頭の一つから直線上の石畳が熱気で溶けているのだ。ドロドロと融解し、煙を絶えず上げ続けるそれは、もはや溶岩か何かのようである。もし、咄嗟に逃げていなければ全身が跡形もなく蒸発していたかもしれない。回避ではなく水の盾による防御を選択しても結末は同じだっただろう。あの場面で咄嗟にアラートを鳴らす直感に従って心底良かったと安堵した。

 

 そして一安心すれば、再び疑問へと目を向けることとなる。ヒュドラがブレスを放つ。ブレスはドラゴンの代名詞であり、必殺技のようなものなのだから、ドラゴンの一種であるヒュドラが使えてもおかしくない―――そんなわけない。そうだったら、疑問に思うことなど決してないのだから。

 ヒュドラは高い不死性と不死殺し兼英雄殺しの毒という二つの凶悪極まりない能力を備えることで有名な魔獣だが、その代償なのかドラゴンとしての能力のいくつかが欠落している。大空を自由に飛翔するための翼、代名詞のブレスがまさにそれだ。

 

 だというのに、目の前のヒュドラはブレスを使った。その事実と、これまでの凶悪な門番と戦った記憶が綯い交ぜとなって一つの結論を導き出す。

 

「……こいつも変異個体ってわけか」

 

 種族としての平均を大きく上回る、第三の門番(巨大なミノタウロス)、同じく第五の門番(巨大なサイクロプス)。生態を逸脱した巨大な群れを形成する第四の門番(アーマード・ビーの軍勢)

 これまでに戦った門番が埒外な存在だっただけに、すんなりと受け入れることができた。まあ、それだけの変異個体をどこから調達してくるのか、と不可解に思ったりもするわけだが、それは試練が終わってから女王に訊けばいい。

 

「―――行ってみるか」

 

 まずは距離を詰める。ヒュドラの放つブレスは、一発で俺を殺し得る威力と凄まじい速度、さらに結界の端から端まで届くだろうというだけの射程まで兼ね備えている。俺も遠距離攻撃はできるが、ヒュドラと撃ち合えば分が悪すぎる。威力が違いすぎるために相殺どころか、かき消された上でこちらまでブレスが届きかねないし、そもそもヒュドラが鱗で受け止めた場合にその防御を突破できるのかさえ判然としないのだ。

 

 だからこその近接戦である。少なくとも、鱗のない部分ならば魔剣で斬り裂ける――ダメージを与えることができるのはすでにわかっている。近接戦でもリスクはあるが、そうでもしなければジリ貧でお陀仏だ。選択の余地などどこにもなかった。

 

「オオァァアアアアア!!」

 

 一つの蛇頭が食らいついてくる。噛みつかれれば傷口から毒を流し込まれて敗北は必至。というより、毒云々以前にあの牙と顎で噛みつかれれば普通に死ねる。

 その場で半回転するように回避し、顎下へと魔剣を突き入れる。何かにぶつかるような手ごたえを感じても、力を込め続けて脳天まで貫き、頭頂部から刃先が飛び出した。

 顎下、頭部、口の三か所から血を流しながらも、その目の光が失われることはない。あろうことか、魔剣に脳まで貫かれたまま、その蛇頭は攻撃を続行した。

 

「悪魔の俺が言うことじゃねえけど、本当に化物染みてやがる!!」

 

 言ってしまえば、頭突きの派生形だろうか。ただ長い首を真横に薙いだだけの攻撃だが、ヒュドラの身を覆う頑強極まりない鱗はさながら下ろし金のように俺の肌を削った。その質量と速度は膨大なエネルギーを生み出し、巨人のハンマーで真横から殴りつけられたような凄まじい勢いで吹き飛ばされる。

 空中で体勢を立て直すことすら許されない超絶威力。ただ首を振っただけでこれだけのパワーになるのだから、最強種族ドラゴンの名は伊達ではない。

 

「ちっ……」

 

 右手に握る魔剣は刃元から見事に折れてしまっている。ヒュドラに視線を移すと、頭部を刃貫いたままの状態だった。その状態でいてなお平然としているのだから、巫山戯ているとしか思えない。

 

「クソっ、……こりゃあ肋骨が何本か逝ったか」

 

柄と鍔のみとなった魔剣を投げ捨て、フィールドを囲う結界を支えにして立ち上がる。痛む胸を右手で押さえ調子を確かめつつ、喉の奥からせり上がってきた血塊を吐き捨てる。骨の痛みに気を取られていたようだが、体全体が痛みを訴えていることに気づく。今の吐血もその一例だ。破裂こそしていないものの、おそらく、胃か肺のあたりを傷つけているのだ。痛みと吐血だけで判断できるようになってしまった経験に感謝するべきか、恨むべきか。

 

「待ってくれねえよなぁ、やっぱり」

 

 一切、闘志を緩めることのないヒュドラの頭部の一つ。顎の下から刃が突き刺さり、頭頂部から切先が飛び出しているが、意に介した様子もない。あろうことか大きく口を開き、剣身を吐き捨ててしまう。異物がなくなった傷口は、みるみるうちに塞がっていく。

万全の状態を取り戻したヒュドラが再度顎を開くと、喉の奥に垣間見える火種。追撃として放たれたのは、またもや石畳を融解させるほどの熱を持つ、業火だった。

 無論、それだけで終わることはない。それもそうだ。先ほど放たれた灼熱のブレスを俺は躱しているのだから。馬鹿の一つ覚えのように効果のない同じことを繰り返すはずがない。

 

「オオオッ!」「「グルルォオ!」オオオオッ「ガァアアアア!」」「オオオ「ッッッ!!」オオオオオッッ!」「オオオオ「グァァアアアッ!」オオオオンンンンンッ!」「ガアアアアッ!!」

 

 暴風、冷気、雷、瀑布、岩槍、毒霧、衝撃波、振動波。再度放たれる灼熱も含めて計九つのブレスが次々に襲いかかってくる。

 

「首のそれぞれが別々のブレスを撃つとか、どこのラスボスだってんだよ!?」

 

 ブレスはそれぞれ違う特性を持つために、その速度には違いが生じる。初めに俺のところまで到達したのは雷の奔流だった。バチバチと絶えず音を発し、その脅威を主張する雷電に接触すれば、感電死することもありえそうだ。即死しなかったとしても、全身の神経が麻痺して、その後のブレスにすり潰されるので、直撃=死亡の公式が成立してしまうので、とにかく回避の一択だ。

 

「ッああああ!」

 

 そして次の脅威は風の嵐だった。文字通り雷速の一撃を回避するのは容易ではなかったため、体勢を崩していた俺を暴風が絡めとり動きを封じ、そのままの勢いで結界に叩きつけた。背中から全身へと伝わる衝撃に、傷ついた肉体が蹂躙され、口からは意識せずとも血が飛び散る。

 

「がはっ!」

 

 痛い。とにかく痛い。このまま地に伏していたい。どこが痛いかと聞かれたら、全身が痛いと答えるような有様だが、その痛覚の全てを無視して立ち上がった。

 

「やられて堪るかぁッ!」

 

 叫んだ拍子に口から血反吐をぶち撒ける。両の目から血涙が流れている。その中でも衰えることのない感覚が、続けて襲ってきた衝撃波と振動波の二つを捉えた。両方とも視覚で捉えられないという、単純でありながら凶悪な代物だが、そこはそれ。

 俺は普段から手札を隠すために魔力を抑えて戦うことを心がけているが、試練が始まってからは温存の意味合いも込めて魔力に制限をかけていた。

 しかし、目の前のヒュドラは温存だとか、制限をかけたまま勝てるほど甘い相手ではないことを理解し、魔力を完全に解放する。それによって数段階跳ね上がった身体能力を以てすれば、雷と風に劣る程度の速度しか持たない衝撃波と振動波を躱すことは造作もなかった。

 

「次は毒霧と冷気か」

 

 岩の槍は何本と飛んできたが、その質量ゆえに鈍重なそれらは警戒する必要もないほどだった。けれど、ひょひょいと躱したそれの次に飛んできたブレスは対応を誤れば死に直結するものだ。

 冷気と毒霧。

前者は軌道上に次々と輝く粒を生み出している。待機中の水分を一瞬にして冷やした結果である。舐め上げた地面は霜が降りたかのように白く染まっていく。

 後者の毒霧は、一目で毒だとわかるほどの毒々しい真紫の煙だ。正確な効果のほどまではわからないが、元々、ヒュドラはその強大な毒で知られる魔獣である。原液に比べれば薄まっているとしても、その威力は凶悪だと判断するには十分だ。

 

 パン!

 

 戦場全体に響く柏手を打ち、そこから開いた両手を前方に向けて魔力を展開。轟々と唸る巨大な水の壁を生み出した。高さは十メートル、厚さは三メートル、長さは数十メートルにも及ぶ。形状は直方体や立方体のように単純なものではなく、上空からみればくの字(・・・)、ヒュドラに向かうに従って口を開くような壁だ。

 口の部分で二種類のブレスを受け止める。パキパキと音を立てながら、冷気が当たった水面から氷に侵食されていき、水の壁から氷の壁に早変わりだ。凍てつく氷の大壁は冷気を放つ。そして、気体の特性に従って、冷やされた大気は上から下へと流れていく。

 冷気に押し流される形となった毒霧が行き着く先は、氷壁の開いた口の先――つまりヒュドラの正面だ。

 

(これで――――どうだッ!)

 

 ヒュドラの生命力は驚嘆に値する。不死の怪物と恐れられるのも納得だ。しかし、どんな生物にも弱点は存在する。敵が不死身ならば、不死殺しを用意すればいいだけのこと。丁度良いことにヒュドラの毒は不死殺し。防御の不死がヒュドラのものなら、攻めの毒もヒュドラのそれ。相性によって攻めのほうに軍配は上がるはずだ。

 ヒュドラの毒を以て、ヒュドラの不死を制す。一発逆転の策となる一手だと確信して打った。視線をヒュドラがいるはずの方向へ向けても、氷の壁に阻まれてその姿を視界に収めることはできない。それでも、じっと視線を向け続けて警戒を続け――――

 

 ――――そして轟音が襲いかかってきた。

 

「がっ、あ、あぁ!?」

 

 全身が衝撃に叩かれ、肌は高熱に焼かれる。全く嬉しくない過去の経験からそれが爆発に巻き込まれたことによるものだと瞬時に理解できた。しかも、追い討ちとばかりに砕け散った氷の破片が鋭利な刃物と貸して突き刺さる始末。形成を逆転する一手を打ったと思った直後に、満身創痍となる有様だった。

 軽く二十メートルは吹き飛ばされただろう。何度も石畳に上を跳ね、ゴロゴロと無様に転がって漸く動きが止まる。

 

(あの毒霧、可燃性なのか……!?)

 

 毒霧、爆発、そして火種と成りうる雷撃や灼熱のブレスを扱えるとくれば答えは一目瞭然。ヒュドラは毒を吸い込むより早く、毒霧に火をつけて大爆発を引き起こしたのだ。

 

辛うじてつなぎ止めた意識の中、視線を前方にやると濛濛と立ち込める爆煙が晴れたその先に、ヒュドラがいた。九つある内の頭部の三つが半ばから消し飛んでいるに飽き足らず、ある部分の鱗は剥げ、ある部分は火傷で爛れている。その姿は俺に負けず劣らずの満身創痍と呼べるもの。しかし、俺とは違って傷口はジュクジュクと生々しい音を立てながら徐々に修復されていく。首の断面から肉が盛り上がる速度を見るに、あの瀕死の重傷から全快までに要する時間は、おそらく三分以内と言ったところか。

 

(俺と同じ重傷の癖にここまで違いがあるかよ。どんなチートだ、くそったれ!)

 

 もはや、呼吸をするだけで全身に痛みが奔る。そのすべてを無視して、石畳に手をついて、必死になって立ち上がろうとする俺の目の前にコロコロと乾いた音を立てて転がってくるものがあった。色は白、先端が鋭利に尖ったそれの正体は一目で理解できる。

 

「……ヒュドラの牙か。あの爆発で吹っ飛んだ頭にあったやつがここまで飛ばされてきたんだな」

 

 周囲を観察してみれば、目の前のそれ以外にもいくつもの牙や鱗が散乱しているのが見て取れた。どれもこれも、欠けていたり、折れていたり、割れていたり、焦げていたりと、爆発に巻き込まれた影響で散々な有様だったが、間違いなくヒュドラの牙や鱗だ。

 

(この牙をぶっ刺せば勝てるか……?)

 

 正直、まともな方法(・・・・・・)であのヒュドラを倒せるとはもはや考えてもいない。万全の状態ならいざ知らず、試練の始まりから力を制限され続け、ここまでの道のりの中でいくつもの傷を負った状態で戦いは始まったのだ。

 そして、さらに体は傷つき瀕死の状態だ。

 ヒュドラの尋常ではない生命力は遺憾無く発揮され、ここから先もしぶとく戦い続けるだろう。対して俺は歩くので精一杯。武器を振るうだけでも命懸けという有様だ。

 これではまともな手段で勝てるはずがない。

 

 そんなときに見えたわずかな光明こそが、このヒュドラの牙だ。

牙に残った毒を流し込めばヒュドラを殺せるか。その疑問の答えはおそらくYESだ。満身創痍となるほどの傷を負うリスクを冒してまでも毒霧を吸い込むことを避けた事実から、ヒュドラに対してヒュドラの毒が有効であると推測出来る。

 

 しかし、“ヒュドラの毒が有効であること”と“ヒュドラに勝てる”はイコールで結ばれない。これについても先ほどの毒霧に対するヒュドラの対応から分かることだが、毒を避けるためならばヒュドラは自傷を恐れないのだ。牙を持って近づけばこれまで以上の苛烈な攻撃がくることは明白だ。その上、万が一の確率で牙をヒュドラの体に突き刺すことができたとしても、全身に毒が回ることを防ぐために患部を食い千切るくらいのことは容易くするだろう。

 

「あ、あぁぁあああああアアアッッ!!」

 

 叫びを下げて立ち上がった。

足がガクガクと震え、空気が撫でるだけで肌は痛む。呼吸するたびに喉から肺まで激痛に見舞われ、生命が続く一秒ごとに全身の痛みを認識する。

 それでも、俺はまだ負けていない。まだ戦えるのだと、意志の全てを叫びに変えて戦いを再開する。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……ッこれは使わん」

 

 拾ったヒュドラの牙を、躊躇いを振り切って虚空に展開した魔法陣を通じて亜空間に放り込む。どうせ見込みが無いのなら、手に持っていても仕方がない。いや、瀕死の重傷を負って弱った精神では、先ほどのように“あるいは”“もしかしたら”と薄い希望に縋って隙に繋がることも有りうる。それならばいっそのこと、手放してしまったほうが良い。

 

 ―――代わりに最悪を解き放つ。

 

 『王』として使ってはならない・使うべきではない力だと理解している。個人として使いたくない力だし、感情的にも非常に嫌っている。

 

 だが、それで死んでしまっては元も子もないのだ。

 

「―――俺は、俺の死ぬ意味を知っている」

 

死ぬわけにはいかないのだ。

 

 死にたくない。

死ぬ訳にはいかない。

生きたい。

 

生きて、そして愛する者たちとの日々を過ごすためならば、制約など知ったことか。俺は加減して勝てるほど強くはないのだ。

 

 この力は間違ったものだと理解しているが、だからどうしたというのか。くだらない倫理観など犬にでも食わせてしまえ。

 

 この力は赦されないものだろう。だからどうした。俺がいつ赦しを求めたというのか。

 

 この力を使わなければ死ぬ状況で、しかも俺が死ねば愛する者たちが死ぬかもしれない現状で、尚も力の成否を叫ぶ者がいるのならば、その者のほうが間違っている。目に見えない倫理観だとか、己の心情だとかを優先した挙句に勝手に死に、愛する者たちを護ることも救うこともできないのはただの無責任の糞野郎だ。そんなやつには、呆れと侮蔑と嫌悪の三点セットをプレゼントしてやろう。

 

「その身に満ちるは限りのない恩讐」

 

「オオ、アアアアアッッ!!」

 

 吹き出す呪詛が、俺の髪を揺らし、服を撫でる。

 ヒュドラの口から放たれた、最速の雷を回避だけの余力は残っていない。

 だから、俺は倒れ込んだ。膝の力を抜いて、全身を石畳に投げ出す。頭上を雷撃が通過する際に髪の毛がいくらか焼け焦げたがそれだけだ。

 

「無力の海に沈み、悲嘆の叫びを上げることに意味はない」

 

「グルァアアア!!」

 

 ただ倒れ込んでいるだけで安全ならば、そもそも苦労していない。倒れ込んだ俺を殺すべく、ヒュドラは頭の一つを地面スレスレの位置まで下ろして、灼熱の業火を吐く。

 俺は詠唱が進むに連れて濃くなった瘴気を右腕に集める。体のうちから湧き上がる瘴気を右腕に充填させて、遂に砲撃を放つ。

 俺とヒュドラの中間地点でぶつかった灼熱と呪詛は、互いに譲らず相討った。巨大な爆発を起こし、砂塵を巻き込んだ熱風が俺のところまで流れてくる。

 

「憎悪を薪に、憤怒の業火を齎す」

 

 呪詛がさらに強まる。そんな中、吐いた血を俺は乱雑に服の袖でぬぐい去る。ここまでくれば、あとは殺すか、自壊するかのいずれかだ。痛みに構っている暇はない。

 

「ゥオオオオオオオッ!」

 

 衝撃波を目で見ることはできない。しかし、掌握した大気中の水分を通じて感じ取ることはできる。俺は右手を虚空に振るい、目前にまで迫っていた衝撃波を打ち消した。

 

 が、ヒュドラの攻撃はそこで終わりではない。衝撃波と同じタイミングで放たれただろう振動波が向かってくる。回避するだけの体力はない。先ほどの衝撃波のように右手に呪詛を纏って弾くことも難しい。振り切った腕を戻すためには踏ん張る必要があるが、俺にはその程度のことを行う体力さえ残っていないのだから。

 

「ぐあっ!?」

 

無防備となった俺の胴体から全身へと伝わり蹂躙する。ボロボロの筋繊維は解かれ、骨に入った罅が広がる。活動しているのかすでに怪しい臓器はさらに壊され、体内を乱雑に撹拌されたかのようだった。口からは大量のどす黒い血が噴き出す。

 

「ぶふっ!」

 

 何メートルも後退させられた。一度倒れ込んでしまえば、二度と立ち上がれないと自然と理解できた。両手を両膝に置いて、ぼやけた視界の中で感覚の薄れ始めた足を交互に動かす。

 

「はぁ、はぁ。……罪過は許しを求めることはなく、悪逆を躊躇う余地もない」

 

 俺の体から湧き出す瘴気はもはや台風のようだった。俺を中心に、幾重もの層を作っている。何者の干渉も許さず、侵入することを拒む防壁のようだが、瘴気に囲まれた中心こそが最大の危険地帯だというのは皮肉である。

 

「オオオオオオオンンンッ!!!」「オオオッ!」「「グルルォオ!」オオオオッ「ガァアアアア!」」「オオオ「ッッッ!!」オオオオオッッ!」「オオオオ「グァァアアアッ!」オオオオンンンンンッ!」「ガアアアアッ!!」

「アアアアアッ!」

 

 ヒュドラの叫びに怯えのようなものが混じっているように思えるのは俺の勘違いだろうか。

 人間、堕天使、天使、ドラゴン……etc。神さえ殺し尽くす災厄の顕現。それは生物だけでなく、環境や現象にまで影響を及ぼす。

 雷も、暴風も、衝撃波も、振動波も、灼熱の業火も、大質量の瀑布も、毒の霧も、凍てつく風も、土の大槍も、その全てが瘴気の壁に阻まれ、霧散していく。もはや、防御も回避も必要としなかった。ただ突っ立っているだけの俺を、ヒュドラは全力を用いてもまるで害せない。

 

「故にこの道を阻むものは須らく無に帰る」

 

 瘴気が広がるに連れて、大気が死んでいく。感覚の失われた足を、一歩一歩と踏み出すたびに靴裏の石畳が朽ちていく。その下にある大地が顔を覗かせるも、数秒と経たぬ内に腐っていった。

 

「―――その身は恩讐の化身だった」

 

 俺が進む速度は愚鈍そのもの。一周回って痛みを感じなくなった体を引きずるようにして前に進む。

 対峙するヒュドラは、数分前は瀕死の体だったくせにすでに全快している。鱗は生え揃って輝きを取り戻し、火傷痕も残っていない。首の断面からは生えてきた新たな頭部はブレスを早速撃ってきたほどだ。

 小突けば倒れてそのまま死んでしまいそうな俺と、万全の状態にまで回復したヒュドラ。字面にすれば後者が撒ける要素はまるでないように思えるが、現実では俺が進む速度をはるかに上回る勢いでヒュドラが後退していく。

 

 王者然とした雰囲気はとっくに霧散し、怯えを見せていた。

 俺の放っている呪詛はありとあらゆるものに対して特攻を持つ。言ってしまえば、あらゆる存在の天敵。恐れて、怖れることこそが自然だ。

 

 北欧の主神をして、最凶にして最悪とまで言わせた世界殺し(ワールド・キラー)の呪詛。

 

 その名も―――

 

森羅万象を虚無へと還す(ヴォイド・アポカリュプス)

 

 

 

 

 

 

 

 

「オオッ、……アァ」

 

ヒュドラは刻一刻とその命を失っていく。彼我の距離は数十メートルあるが、すでに互の攻撃圏内。俺の体から溢れ出す瘴気が、猛烈な勢いでヒュドラの不死身と言われた肉体を侵していた。

 ヒュドラもやられているばかりではなく、もちろん反撃を試みている。九種類のブレスを次々に放つこともあれば、同時に放つことで威力を高めることもある。尾で叩き割った石畳の破片を、さらに尾で弾き、散弾のように飛ばしてくることもあったが、その全ては瘴気に蝕まれて塵芥と化して霧散していった。

 

「がふっ、げほっ……っくそ」

 

 吐き出した血の色も、ぼやけた視界では判然としない。

 血塊は足元に落ちたはずだが、音は遠くて聞こえない。

 おそらく、たった今作り出した血溜まりに足を着けたはずだが、その感触が脳にまで伝わることはない。

 

 猛烈な勢いで自分の体が呪いに侵されていることがわかる。世界殺しの呪詛たる森羅万象を虚無へと還す(ヴォイド・アポカリュプス)は全てのものを侵す、その『全て』には俺自身さえも含まれているのだ。

 体力があり余っていれば呪いに耐えることもできただろう。魔力が潤沢ならば、呪いを強引に体内から弾き出すこともできただろう。

 だが、それは所詮、もしもの話に過ぎず、体力も魔力もここまでの道のりでその大半を消費してしまっていた。抵抗と薬を無くした俺の体は呪いにされるがままだ。

 

「それでも、……はぁ、はぁ、俺の、勝ちだ……!」

 

 遂にヒュドラの位置にまで到達する。十八の瞳はすでに光を失い、九つの頭は地面に横たわっている。全身の鱗は輝きを失い、皮の下の肉は生命の躍動停止していた。

 

 シュウウウウウウウウウ

 

 ただそこにいる。ただそれだけで、溢れ出した瘴気によって世界屈指の魔獣は一切の抵抗を実らせることなく斃れた。

ただ触れる。それだけの動作で、あれほどの猛威を奮ったヒュドラの躰は塵と化し、宙を舞う。そして、その塵さえもが、瘴気によって姿を消す。

 

「……これで、第六の門を突破か」

 

 俺は戦いに美学を求めるようなことはしない。最終的に勝てば何をしてもいいと思っているし、目的のためならば殺戮でも拷問でも喜んでする。

 

 しかし、この呪詛を使って得た勝利だけは好きになれない。

 

 禁忌の呪詛を使わなければ勝てない、己の弱さを責めずにはいられない。

 

 俺はきっと、未来永劫、この後味の悪さにだけは慣れることができないだろう。

 

「…………くそったれが」

 

 

 

 ヒュドラの死体があった場所に背を向けて歩き出す。

 呼吸は荒く、とてもではないが、巨大な城門を押し開けるだけの余力は残されていない。

 だが、それでも問題なかった。ヒュドラを殺して尚、噴出し続ける瘴気が扉を侵食、風化させていく。

 サラサラサラと砂粒のようになってしまった扉は、風に流されていった。扉部分は跡形もなく消え、隣接する壁面にも瘴気による侵食が急速に進んでいく中、城門をくぐり抜ける。

 

「……ようやく次の門番で最後か」

 

 七つの城門を突破したあともまだまだ試練は続いていくとは言え、一つの節目であることは確かだ。口に出すと、これまでの険しい道のりを思い出し、我ながらよく生きてここまで来れたものだと感心するほどだった。

 

 すでに限界などとうに超えていた。

微かな安堵。気の緩みが背中を押し、俺は膝から崩れ落ちた。受身も取れない。瀕死の体で石畳にぶつかったというのに痛みも感じなかった。崩れ落ちたことを認識したのも、地面に横たわり視界が変わってからだ。

 

(なんだよ、これ。クソ、クソ! こんなとこで死ぬわけにはいかねえのに!!)

 

 いくら心の中で叫ぼうとも、体に力が入ることはなく、瞼はゆっくりと下がっていく。

 

『グルルルル』

 

 薄れゆく意識の中、最後に目に映ったものは口から涎を垂らす、獰猛な魔獣の姿だった。

 




 ~戦闘の流れ~

 グラナVSヒュドラ→苦戦したグラナは魔力を完全開放→だけど一瞬で瀕死に追い込まれる→世界殺しの呪詛を使って打倒→ヒュドラに勝利したものの呪詛に侵されて倒れる



 制御していた魔力を完全解放したのに一瞬で倒されるのはどうなんだよ!? そう思われる方もいらっしゃることでしょう。けれど、実戦ならば一瞬の判断ミスで敗北につながることもあると思うのでこれはこれで良いと思っています。少年漫画的な熱い展開を所望されていた方には悪いですけどね。
 
 本編で語りたいけど語る場面がなさそうな裏設定として、森羅万象を虚無へと還す(ヴォイド・アポカリュプス)を完全開放した際のグラナの戦闘力は滅びの魔力の化身となったサーゼクスに匹敵します。ただし、世界殺しや呪詛といった特性によって、殲滅能力はグラナのほうがはるかに上なわけですが。
 仮に魔力と呪詛を全開にした両者がぶつかった場合、ほぼ必ず相打ちとなります。グラナが勝ったとしても、呪詛に身を侵されているので戦闘後に死亡。グラナが殺された場合においては、呪詛の基本的な部分にある『死んでも殺す』という性質が発動し、死後、より強力となった呪詛がサーゼクスを襲い、消耗している状態では為すすべもなく消え去ることとなりますね。


 次回予告

 狂い始めた女王との問答。
 彼女が差しすのは毒の林檎。
 破滅の未来しかなくとも、甘美な匂いの誘惑は強烈だ。
 愛する者への想いを胸に誘惑を断ち切り、悪魔は試練を続ける。
 
 ハイスクールD×D 嫉妬の蛇 十二話 病める女神の誘惑。そして現れた最後の門番

「裂かれようとも、焼かれようとも、凍らされようとも、砕けようとも……それでも諦めない。それが覚悟だ。それが――――」



「―――愛ってもんだろう?」
 

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