【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~ 作:しとしと
ハクは自己評価が低すぎるといつも思ってます。
その感じが出てると嬉しいです。
ヤシュマから頼まれたことは、ルルティエの説得だった。
聖上がルルティエの意思に託すと言った手前、こちらからは何も言えないと、部屋へ返した後暫くして、なんとシスまできた。
シスから頼まれたことは、これまたルルティエの説得だった。
ルルティエの情に任せたいと言い、何とか返したものの、恨みを買ったかもしれない。
「……ぅ、ままならぬ、か」
シスが帰った後、少し酔いを醒まそうと夜風に辺りに行くが、足元がおぼつかない。
ヤシュマにも、シスにも、説得の件を切り出す前と後に強引に飲まされたからだ。
「ハ……オシュトルさま?」
「る、ルルティエか。こんな夜半にどうなされた」
「いえ……わたしも眠れず、夜風に当たっていましたから……その、オシュトル様、もしかしてお姉さまかお兄さまに……?」
こちらが酔っていることを見抜いたのだろう。
苦笑しながら両方来たと言うと、やっぱりと謝罪してくる。
「いや、謝ることではない、皆ルルティエを想ってのこと。しかし、すまんが水を持ってきてはくれまいか」
「あ……はい。お水、ですね」
罪滅ぼしといわんばかりに小走りで廊下を駆けていくルルティエを尻目に、部屋へと戻る。
相変わらず、ルルティエは優しい。優しすぎる。
――自分は、ルルティエにどうしてほしいんだろうか。
優しいルルティエがいなくなると、自分の癒しというか、逃げ場がなくなる。
いや、逃げ場というわけでもないか。ルルティエといると落ち着くのだ。気負わなくてよくなる。甘えたくなる。
――いてほしいんだよな、やっぱり。
それが皇女さんの傍であれ、自分の傍であれ、気軽に言葉を交わせる場所にいてほしい。
――自分も、我儘加減で言えばシスと変わらんな。
だからこそ、シスの気持ちもわかってしまう。
双方にとって利点のある提案、できないものか……。
「オシュトル様、お水、お持ちしました」
「あ、ああ、ありがとう。ルルティエ」
「いえ、お役に立てて何よりです」
ルルティエから受け取った水を飲むと少し酔いが醒めたが、未だ考えがぐるぐるとしていてまとまらない。
「それに、お姉さまとお兄さまが争っているのは私が原因ですから……」
そこで暫く何かを言い淀み、しかし決意した表情で声を出した。
「あ、あのっ、ハ――オシュトル様は……どうお考えなのでしょうか?」
もう少しでハクと呼びかけてしまう気持ちはわかるが、ここは未だ同盟国ではない。それに影武者となれば今までの話は全て破談となる可能性もある。ルルティエもそれはよくわかっていたようだ。
しかし、そんな問いをされるとは思っていなかった。
「もし、オシュトル様にとって、わたしが足手まといなら、わたしは……」
「ルルティエ」
足手まといなんてことがあるはずがない。
何しろ一番の足手まといは自分なのだから。
「聖上がルルティエの気持ちが一番だと言った手前、某からルルティエの気持ちを蔑ろにするようなことは言えぬ。故に、某もまたルルティエの気持ちを尊重したい」
「そ、う……ですか」
少し気落ちした表情で返事をするルルティエ。
「だが、某の考えを述べてほしいというのがルルティエの気持ちであるならば、少しばかり答えよう。今のままでは、ルルティエが戦に耐えられるかどうか不安ではある」
「……っ」
驚愕と悲哀の表情が混ざりあったもの。
だが、言わねばならなかった。
「ルルティエは、優しい。だからこそ、流されやすい。周囲に意見を求めてしまう。それを真実だと思い込んでしまう。これから先の戦は辛く厳しいものになる。誰かが、死ぬ可能性もあるのだ」
「……ハクさまも、ですか?」
「ああ、そうだ。ハクも生き残るつもりではあるが、死ぬ可能性がないとはいえぬ。絶対などこの世にはない」
「……」
「故に、揺るぎない確固たる強い想いがいる。某は、ルルティエにそれを示してほしいのだ」
「……」
「ルルティエはなぜここまでやってきた? やってこれた?」
沈黙がおりる。
だが、何も言わない。ルルティエが答えを出すまで、何時間でも待つつもりだった。
そして暫くの後、ルルティエは自分の心音を落ち着かせようと胸に手を当てながら、声を震わせながらつぶやいた。
「ハクさまが、いたからです」
「……っ!」
衝撃。
まさか、まさか、そんな理由で。
今までついてきたのも、全て、そんな理由だったのか。
自分がいるから、だなんて。
「ハクさまが護りたいものを、私も護りたい。ハクさまとともに、ずっと……」
これまで何度も言うのを耐えてきた、そんな表情で、声で、思いの丈を告げるルルティエ。
だがそれならば、聞かねばならない。
「……ならば、もしハクが死んだ時、其方の心はどうなる。」
「っ、それは……」
「耐えられるのか」
「わかり、ません……でも、死なせません。わたしは……もう護られるだけの存在にはなりません。わたしも護りたいんです。私の知らないところで、ハクさまが死んでしまわないように、大切な人を、失わないように……」
「そう……か……」
顔を真っ赤にして、そう告げるルルティエ。
もはや、こっちも誤魔化すことはできなかった。
「ならば、某から言うことは何もない。ルルティエがハクを、某たちを護ると誓うのならば、ハクは其方を命に代えても護ると誓うだろう。ハクは、武道に恵まれているわけではない。ハクだけの力でも、ルルティエだけの力でも、守れるものなど殆どないだろう。だが、共にお互いを護り合えば、きっと生き残ることができる。そう、してみせる」
「……はい」
「誓ってくれるか、ルルティエ」
「はい、誓い……ます。ハクさま……」
「……今はオシュトルだ」
「ふふっ……そうでした。でも、わたしが誓うのは、ハク様に……です」
恥ずかしそうに頬を染め、しかし何処かうっとりとした表情でそう呟くルルティエ。
しかし、その後、どちらともない気まずい沈黙が訪れた。涙目になりながら、ちらちらとこちらを窺うルルティエ。
「そ、それで、あの……」
「ん?」
「わたしの、想いは……その、届いたの、でしょうか」
「む……」
そういう、ことだよな。
明確な好意を感じた。仲間としてなのか、異性としてなのかはわからないが。
「……」
「……」
またもや気まずい沈黙。
その空気を払拭するように、少しだけ、ほんの少しだけ、ルルティエを抱きしめた。
「あっ……」
「ルルティエの気持ちは嬉しい……すまんが、今はこれで我慢してくれ」
「はい、ハクさま。今は……我慢します。それに、わたしはただ側にいられるだけで……幸せですから」
胸の中にいるルルティエがこちらを見上げた後、顔が近かったからなのか慌てて胸に顔を埋めた。
ルルティエの髪から香るふわりと香る柑橘系の匂いと、その反応に、思わず強く抱きしめた。その心地よい香りと体温に、先ほどまでの酒よりも強く酔ってしまったのだった。
○ ○ ○ ○ ○
「ほうね……姫殿下についていくゆぅん?」
「はい……そう決心しました」
「天晴れ、ルルティエよ! それでこそ我が一族の誉れ! 兄も国をまとめ次第、そちらへ向かおうぞ」
オーゼンは自分の手をとり、痛いほど固く握りしめた。
「……ルルティエのこと、なにとぞ……なにとぞ……」
「オーゼン殿、ルルティエのことは心配めされるな。このオシュトルが必ずや守り通すと誓おう」
「おお……ありがたき……」
涙ぐむように溢すオーゼンを誤魔化すように、ヤシュマは宴の用意をと声をあげた。
しかし、宴を用意しようと慌ただしく動き出した城の者達のなかで、シスだけは茫然と立っていた。
「どうして行っちゃうの? お姉ちゃんのこと嫌いになったの?」
「違います、お姉さま。わたしは皆さんと一緒に行きたいだけなのです。こんなわたしでも、必要だと言ってくれた人がいます。わたしはその想いに応えたいんです……だから、お姉さま、わたしのことを応援してほしいのです!」
ルルティエらしからぬ……いや、ルルティエがようやく覚悟を決めたというのか。
ルルティエが普段思っていたことを真摯に吐露しているのだ。シスの胸にもきっと……。
「何も判ってない……行かせない、ルルティエを判ってない奴らの元になんて、行かせない!!」
絶叫。
ルルティエもその剣幕に押され、言葉を紡げずにいる。
だからこそ、前に出た。
「貴殿こそ、ルルティエの今を知っているのか。ルルティエは、もはや護られるだけの存在ではありませぬ。某を、我らを、其方らを、その優しさという強さによって、護れる存在となったのだ。ルルティエを真に愛しているならば……その成長を、覚悟を、喜んでいただきたい」
そして、昨夜誓ったんだ。
「ルルティエは……某には彼女が必要なのだ!」
「っ!!」
ルルティエがいなくなったら、誰がご飯を作るんだ。
肉食獣だらけの仲間の中の唯一の癒し要因だぞ。
「ルルティエを失うことなど考えられぬ。ルルティエもまた、某ら仲間を失うことは考えられぬと言ってくれた。だからこそ、某はルルティエを護ると誓おう。この命を以って!」
ルルティエが頬を真っ赤にしているのが気になる。昨夜も話したはずだが、やはり皆の前で言われるとは思わなかったのだろうか。
そのルルティエの反応を見て、何かに気付いたシスは、尋常でない殺気を出し始めた。
「あなたがルルティエを惑わしたの……っ!!」
抜刀。
手にしていた傘からすらりと美しい刀身が現れる。
激しい怒りと絶望、まるで幽鬼のように立つシスの姿に、一同は驚きを隠せなかった。
「許さない……絶対に……!」
「わりゃなにしょんなら! オシュトル殿を殺す気か!?」
「ええい姉上、乱心したか!」
ヤシュマもまた抜刀すると、後ろからシスに向かって首を跳ねようとする。
「待て!」
ヤシュマは反射的に飛び退り、家族内での惨劇は何とか回避できたが、ヤシュマは抗議の声を挙げる。
しかし、皇女さんが、オシュトルに任せよと遮ることで、ヤシュマの剣の切っ先は下を向いた。
再び家族内での戦いにならぬよう、自らシスの元へと進み出る。
「シス殿……貴殿はルルティエを護ると申されたな。果たして、シス殿のようなか弱き女性にそのような大役が任せられましょうか?」
「なっ……なんですってっ! この私がか弱い!?」
どう見ても弱そうには見えないがな。
しかし、こっちにも男の意地がある。
「先にも申し上げたよう、ルルティエは某が身を以って守ろう。なれば、ルルティエを護るにどちらが相応しいとお思いか?」
「良いでしょう……そこまで言うなら、私とて手加減致しません」
「クジュウリ皇の膝元で剣を交える訳には参らぬ。まずは場を整えていただこう」
「承知しましたわ。付いてきなさい」
言いはなったのち身を翻し、どこかへと案内される。
心配そうな仲間たちの視線を背中に受けながらも、シスの背中を追った。
「あ、兄さま!? だ、大丈夫なのですか?」
「そうです、この諍いはわたしの弱さが招いたもの……オシュトルさまだけに任せる訳には……」
そうだ、自分はオシュトルではなく、ハクだ。
だからこそ、皆が心配してくれている。しかし、もはや逃げ場はない。
「……ルルティエ、某にも男の意地がある。ここは任せてもらおう……怪我の手当は、頼んだぞ」
「……っ」
ルルティエは、自分の覚悟を止められぬと思ったのか、思い詰めた表情で押し黙る。
しかし、ウルゥルサラァナの二人が、それぞれ自分の両腕を掴んだ。
「危険」
「主様、あの方は命を取るのを躊躇っていません」
「判っている。だが、引けぬのだ」
引けない。
そう、このクジュウリ交渉がうまくいくには、それしかない。危険を承知でエンナカムイに残るオシュトルのためにも、成功させなければならない。
二人は自分の強い言葉に何も言わなくなる。しかし、掴んだ腕に何かを念じて、そして腕を離した。
「何かしたのか?」
「ただのおまじない」
「主様が死ねば、私たちも後を追うという誓いです」
そう言って微笑む二人。
これは絶対に負けられんな。
――オシュトル、お前の指導が自分の身になっているかどうかの賭けだ。頼むぜ。
「ここですわ……こうなってしまった以上、手加減はできませんので、覚悟してくださいまし!」
「――オシュトル、余の命令じゃ。絶対に死んではならぬぞ!」
「は、某にお任せください」
震える手で送りだすアンジュ。
雪の舞う中、右手には刀、左手には傘を模した鞘を手にしたシスと対峙する。
「奴のこと……何か手があるのじゃ。そうでなければ、こんな危険なことはせぬ。あやつは誰よりも怠け者じゃからの」
「……そうですね」
そうだ、怠け者だ。
だからこそ、最短ルートを行く。勝つ。心を落ち着けろ。
オシュトルとの稽古を思い出せ。
――某が其方の武で唯一買っているのは、その極端な冷静さだ。
――冷静?
――激情に身を任せているようで、常に冷静な部分が其方を支配している。だからこそ、戦いの中で常に最善の手が生まれる。護りさえ極めれば、其方に勝つのは某でも難しくなるであろうな。
――おいおい、褒めても何も出んぞ。
――褒めてなどいない。今の其方は赤子に等しいのだからな。まずは避けよ、逃げよ。某から逃げ続けよ。
まずは、逃げる、か。
「いきますわよ! はっ!!」
「っ……」
鉄扇で受け止めてしまえば、腕力で負けているであろうこちらとしては押し負ける。
ならば、避けるのが吉。
避けられるとは思っていなかったのか、シスの剣戟は激しさを増す。しかし、普段見ているオシュトルの剣よりは単純で読みやすい。
「ちょこまかちょこまか――漢の意地はないの!?」
「シス殿、これはルルティエを護るに相応しき者を選ぶ戦い。心を怒りに惑わされては、護れる者も護れませぬ」
怒りどころかビビりまくりだがな。
首元を狙った容赦ない一撃を少し顔を逸らして避ける。
こんな容赦のない攻撃ができるってことは、相手は冷静じゃない。怒り狂った獣の、表面だけ冷静に見えるだけだ。
「……今のは危なかったじゃない」
「どうしたのだ、あの程度の攻撃、あのオシュトル殿が……」
「あ、兄さまは今、ヴライ将軍との傷がまだ癒えていないのです」
「なんと!? それでは今すぐやめさせなければ……!」
「ならぬ! あ奴が任せろと言ったのじゃ……ならば、任せるのが余の役目。大丈夫じゃ、きっと、あの者なら……いつだって、そうだったのじゃ!」
「む、し、しかし……!」
あっちはあっちで心配してくれているようだ。
そりゃ当然か。しかし、こちとら紅白試合で何度オシュトルに打ち負かされてきたか。零勝二十数敗だぞ。もはやハク組=負け組みたいになってんだぞ。
オシュトルが某と並び立つつもりならば腕っ節も鍛えねば、などと言って、二人で個人的にも何度も鍛錬を積まされた。
オシュトルとの会話を思い出す。
――焦りは反応を鈍くし、攻撃が単調になる。相手が焦っているのならば、襤褸を出すまで、ゆっくり待てばいい。
――相手が焦ってない場合は?
――焦らせればよい。其方にはお手の物であろう。
「シス殿は、どうやら心が怒りに囚われている様子。そんなことでは、このオシュトルに傷は負わせられませぬ」
「な、なんですって!!?」
怒りとともに鋭い太刀筋が繰り出されるが、オシュトルの剣技よりは遅く、単純だ。
これならば――避けられる。
「っ!?」
「言った筈、某に傷はつけられぬと。だが、もし傷をつけたとしても、某は大して堪えはしませぬ」
「なら受けてみなさい!」
不意をついた返し手の思わぬ一撃。
腹部に傘が直撃し、数尺後退する。
「ハ――オシュトル!?」
意識が飛びかけたのか、皇女さんの声が反響して聞こえる。
――痛。
オシュトルたちに何度も殴られているおかげか、痛みを顔には出さない。脂汗も仮面の中でとどまってくれているようだ。体も震えていない。
ルルティエは悲鳴を堪えてこちらを見ている。泣きだしそうな、優しい瞳。ルルティエも、必死に耐えている。
――そうだ、負けるわけには、いかないもんな。
すっと体勢を立て直し、余裕をアピールする。
「か弱き女性の攻撃など……某に届き得たとしても、この程度である」
「――きさまぁあっ!」
刀で渾身の一撃を放つシス。誰がどう見ても隙だらけだった。
交差するように懐に飛び込み、鉄扇の持ち手の部分で腹部を強打する。
「――ぐっ!?」
「これで――仕舞である!」
「きゃうううんっ!?」
シスの刀を鉄扇で跳ね飛ばし、鞘のままの脇差で放つ渾身の剣戟をシスに命中させる。
シスは普段の様相からは考えられぬ可愛らしい悲鳴を上げて尻餅をついた。
ぎりぎり、勝ったか。
吐瀉物がせりあがってくる感覚を何とか押しとどめながら、シスに近づいた。
「勝負、あったな」
「そんな……私が……私が……しかも、こんな手加減までされて……」
明らかな敗北にシスは打ちひしがれ、唖然と地面にへたりこむ。
思いっきりやったはずが、たいして応えていないシスにびびりながらも、そんなシスへと手を差し伸べた。
「シス殿、お手を。怪我の手当をせねば」
「そんな憐れみなど……心の内ではお笑いなんでしょう?」
まあ、さっきまで散々に挑発したからな。そう思われても仕方ないか。
オシュトルの株を下げるような発言だけは避けねば。
自分は膝を折り、シスの腕を掴んだ。
「いや……決着を付けるためとは言え、シス殿を侮辱し挑発したこと、某の方こそ詫びねばならぬ。シス殿は、か弱くなどありませぬ。それどころかその強さ、並の男ではとても釣り合いが取れぬでしょう」
実際、勝てたのは運が良かった。
あくまでオシュトルと比べて弱いだけで、自分よりは全然強かった。
「今更、そんな世辞……私の一撃も効かなかったではありませんか」
「……では、お見せしましょう」
皆には見えぬように、シスにだけ腹部をさらす。
シスの瞳は大きく開き、この上ない驚きを示しているようだった。
「あれは、某の痩せ我慢に過ぎませぬ。あの一撃を受け、シス殿がおられるクジュウリが、聖上の御旗に集えばどんなに心強いと考えたか、お分かりいただけましたかな……シス殿にこれまでの無礼を許すと言って頂けるのなら、某は改めて共闘を申し出たい」
「オシュトル……様」
頑なだったシスの躰が軽くなったので、強く手を握りしめて彼女を立ちあがらせた。
そこに、ルルティエたちが駆け寄ってきた。
「お姉さま」
「ごめんなさい、ルルティエ……私は……」
「お姉さま。これまでお姉さまに護られ慈しまれたこと、とても感謝しています。今のわたしがあるのは、お姉さまがいたからこそ。あの泣き虫だったルルティエが、お姉さまの沢山の愛情で強くなったのだと、誇ってください……」
「そうだ、姉上。我らが信じず誰が信じる」
シスは、涙を流し、言葉を受け止めていた。
あと一押し、か。
「シス殿、重ねて申し上げたい。この命ある限り、某はルルティエを守り通すこと、しかと約束いたしましょうぞ」
ルルティエが陶酔したようにこちらを見る。
その視線に、シスは何かを納得したように諦め、微笑んだ。
和やかな空気の中、もう一つ頼みごとをしておく。
「シス殿。これは某の個人的な願いではあるのだが、いつか、ルルティエと某の元へと来てはくれぬか」
「私が……?」
「そうだ。ルルティエへの愛、某にはしかと伝わった。そして、ルルティエが其方に向ける愛も。ルルティエは、某らだけでなく、其方ら家族も護りたいと思っている。某がシス殿と共にあれば、ルルティエだけでなく……ルルティエの護ろうとしているものも、護ることができる、そう確信した」
「はい……はい! 勿論です、必ずやルルティエと、あなた様の元へ……!」
シスは頬を染め、自分の手を堅く握ってくる。この調子なら、オシュトルの株は下げずに済んだみたいだ。
「……兄さまが、いつの間にか女たらしの真似事をするようになったです」
いやいや、ルルティエもシスやヤシュマが側にいた方が楽しいかと思って提案してるだけなんだが。
自分にだけ聞こえるネコネの呟きに、怪我をして痛いはずの腹部よりも痛んだが、これで一件落着かと思い直す。
オシュトルの株も上がり、同盟も締結できた。
いや、しかしもし負けたら同盟締結どころじゃなかったな。
本来の口八丁手八丁でなぜ解決しなかったんだろうか。なんで自分はあんなことをしたのだろうか。
じくじくと痛む腹部を意識の外にやりながら、考えていたところ、ルルティエのひんやりとした手が、自分に触れた。
「ルルティエ?」
「……ありがとう、ございます。私のために、怒ってくれて……」
――そうか、自分は、怒っていたのか。
「いや……大したことではない」
「いえ、私にとっては、とっても……嬉しかったですから。揺るぎない、強い想いを、示してくれましたから……でも……もうしないでくださいね」
「あ、ああ約束する」
ルルティエはその言葉を聞いて、ようやくいつもの優し気な笑みを見せたのだった。
○ ○ ○ ○ ○
宴を用意してもらっている間、自分とネコネは、オーゼン殿、ヤシュマ殿と、今後の支援についての交渉をしているところであった。
しかし、そこに血相を変えて息も絶え絶えの兵が飛び込んできた。
「ほ、報告します! 朝廷と思わしき軍勢が、エンナカムイへ向けて進軍を開始! 既に国境の関を突破されたのこと!」
「な……あ、兄さま!」
想定より、早い。
あと数日は、草からの連絡を受け事実解明に時間を使うと思っていたのだが、この状況で関を突破するだけの軍勢を動かせるもの。
「旗印は」
「敵軍の旗印は、デコポンポ軍のものとのこと!」
脳裏に丸々と肥えた男の顔が浮かび上がる。
納得だ、奴なら朝廷に確認もせずいそいそと発つのは目に見えている。皇女さんを手に入れようとしたのか、それとも空いたエンナカムイを自らのものにしようとしたのか。
「オシュトル殿、これはまずいのでは」
「父上! 今よりクジュウリの忠誠を見せるとき、急ぎこちらも大軍を!」
「ヤシュマ殿、待っていただきたい」
それは、まだ早い。
デコポンポ軍ということは、奴の独断である可能性も否定できない。
つまり、後ろにライコウがいないのであれば、クジュウリの参戦はライコウへ進軍の口実を与えることになる。
「先ほどまでの交渉では、あくまで秘密裏に支援をしていただくという約束であり、大規模な派兵は入っておりませぬ」
これから先、物資、派兵、金子の支援については約束を取り付けることができた。
しかし、オシュトルから言われたのは、あくまで足りない兵の補充だ。
勿論緊急時ではある。だが、あのオシュトルが任せろと言ったのだ。それに、今から大軍を用意したとしても、もはや間に合わない。
「今クジュウリとの同盟がなったことを示したとしても、既に関を突破しているのであれば……こちらが着くころには、デコポンポ軍がエンナカムイに到達しているであろう」
「では、どうするというのだ! オシュトル殿と姫殿下がこちらにいる今、エンナカムイは蛻の空の筈。兵だけで持ちこたえられるのか?」
「持ちこたえられる。某の信頼する漢に、かの守りを一任しているのでな。それよりも、戦に疲弊した後、朝廷にも口実を与え進軍させてしまう事の方が危うい」
一度の進軍は耐えられても、二度めの進軍を耐える程の砦ではない。
この混乱期において、クジュウリを味方につけてしまったことで、早々に潰そうという動き、もしくは朝廷と周辺国の結束を強めてしまう可能性もある。
逆に、クジュウリが認めたことを受け、他国がこちらについてくれる可能性もある。
つまり、賭けなのだった。
「とにかく、我らは直ぐにエンナカムイへと帰国する。クジュウリは、大軍ではなく、直ぐに動かせるだけの軍で構いませぬ。デコポンポ軍に追従する形でエンナカムイ進軍を行ってほしい」
「? 先程、兵を用意するなと……」
「それはエンナカムイの援軍としてであろう。デコポンポ軍の援軍として軍を動かしてほしいのだ」
「な、なにいうとるんじゃけ、オシュトル殿!? クジュウリにエンナカムイを攻めろいうんか!?」
一見、無茶苦茶かもしれない。
だが、それがクジュウリにとっても一番の策なのだ。
「情勢を見て、もし勝てそうならばクジュウリはそのままエンナカムイの援軍ということにして挟撃を図る。エンナカムイの勝利を確信した際に、正式に同盟関係を結んだことを全国に布告する。しかし、既に砦が落とされているのであれば、我らはエンナカムイを捨て、クジュウリへと亡命する。そのためのクジュウリ軍である」
その言葉に、横にいたネコネだけでなく二人も絶句した。
あのオシュトルが、祖国を捨てると言ったのだ。
「ハ……あ、兄さま!?」
「オシュトル殿!? 貴殿は自分が何を言っているのかを――」
「無論、判っている。しかし、やらねばならぬ。もしクジュウリが参戦し、両国どちらも負けてデコポンポに聖上を捕えられてしまえば、再起の機会はなくなる。しかし、クジュウリが朝廷の味方として残っていれば、朝廷はクジュウリに進軍する口実を失い、来るべき時を待ち再起を図ることができる」
「……そのために、エンナカムイを犠牲にしても良いと」
「無論、某はエンナカムイと共に朽ち果てる覚悟。デコポンポもこのオシュトルの首がなければ溜飲は下げぬであろう」
それに、オシュトル(自分)の首があれば、民を悪戯に攻撃することもないだろう。
「な、なんと……」
「しかし、聖上にだけは生きてもらわねばなりませぬ。その際は、聖上の悲願、オーゼン殿に託しますぞ」
「……そこまで、考えとるちゅうんなら、オシュトル殿に任せるけぇの」
「改めて御礼申し上げる、オーゼン殿」
「オシュトル殿には少しばかりの護衛と足の速い馬車を用意しよう。我らは軍を急ぎ編成し、姉上と共に参る」
「忝い。護衛には軍服ではなく商人の服を着た者を頼み申す。我々より先行していただきたい。ネコネは皆を早急に集めてくれ。我らがエンナカムイへと帰国する」
「は、はいなのです!」
急ぎエンナカムイへと向かうため、最後まで交渉の場で澄ました顔をしていた自分は、帰り道の馬車に乗り込む。
クジュウリの者が誰も見ていないことを知ると――倒れ込んだ。
「だ、旦那!?」
「兄上!?」
「煩い……心配するな。とりあえず、早くエンナカムイに帰るぞ。クジュウリ軍が来るか帰るかの判断をしに行かなきゃな」
とりあえずああは言ったが、あのオシュトルならデコポンポに遅れは取らない筈だ。自分の首を差しださねばならないような事態にはなっていないはず。しかし、何か胸騒ぎがする。
「ぐっ……」
流石に痛い。この馬車の中で吐かなかっただけありがたいと思え。
服をめくると、青痣どころか、赤黒く変色している腹部を見て、さらに気が遠くなる。そりゃシス殿も驚くわ。
「こいつは……随分じゃない」
「よく我慢していましたね。本当に効かなかったのかと思っていましたが」
「内臓がやられているかもしれないのです! 速く治療するのです!」
ネコネが慌てて薬箱を取り出し、ルルティエがハクを治療する。
クオンが商人を通して定期的に送ってくる薬を腹部に塗り込み、水と共に薬を流し込まれた。
「いやぁ~今回、旦那は漢を見せたじゃない?」
「まあ、避けることだけに関してはオシュトルさんに鍛えられたようですから。冷静でない彼女であれば勝つ見込みは十分にあったと思いますが」
「しかし、こんな怪我を負う羽目になるとはな……オシュトルには別途特別労働手当を請求するぞ、全く……」
「……兄さまの影武者としては疑問符が残る態度なのです」
「そう言うなネコネ。いい女は身命をもって闘った男は決して馬鹿にはしないものだ」
「そうだぞ、それにハクでなければルルティエを取り戻せなかったかもしれぬではないか。ようやったぞ、ハク。見直したのじゃ」
「でも、もし負けていたら、交渉がおじゃんになっていたところなのです。しかし、ハクさん、クジュウリに言ったことは何だったのです?」
「あれは……保険だ。十中八九、あのデコポンポが相手ならオシュトルが負けるとは思えん。一応の策として言っただけだ」
「で、でも……兄さまを犠牲にするなんて……」
「犠牲も……オシュトル本人じゃなく、影武者の自分でいいんだから心配するな」
「そ、そういうことを言っているのではないのです!」
「大丈夫だって。ただ先手を打ったはずが取り返しのつかない一手になってた……なんて起こらんようにしているだけだ。ネコネが心配するようなことは起こら――ぐ、おえ……っ」
吐瀉物がこみあげてきて、それ以上喋れなくなる。
今まで黙っていた双子が側にくる。
「駄目」
「主様、無理をなさらないでください。今手当をします」
「わ、わたしも!」
「ルルティエ様?」
「わたしも……ハクさまの手当をしたいのです!」
ルルティエの手が、自分の脂汗だらけの額を優しく撫でた。そして、後頭部が柔らかいものに包まれる。
「すまん……ありがとう、ルルティエ、ウルゥル、サラァナ……自分は、少し寝る。なんかあったら、起こしてくれ――」
何だか皆の声がぼやけて聞こえてきたが、それに答えることもできず、ルルティエの膝枕に頭を埋め、そのまま気絶したのだった。
本編ではルルティエがオシュトルではなくハクだということに気付いていなかったので、すれ違いがありました。
そのままハクだと気づいていたら、きっとプロポーズしてたと思うのですよ。