【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~   作:しとしと

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 第二弾は要望の多かったハクオロさん、トゥスクルヒロインズ回です。
 59話~後日談(壱)の間の話になります。59話からそんなに時間が経ってない頃のお話ですね。

 後日談は時系列をあえてばらばらにして書いていますので、これからも逐一どの辺りの話か前書きに時系列を書かせていただきます。

 そして、後日談故にあくまで本編の蛇足。
 原作から離れた作者の荒唐無稽な恐ろしい妄想を受け入れられる方のみお読みください。


弐 愛を育むもの 前

「死ぬ……」

 

 ハクオロは身近に迫る死の予感に恐怖していた。

 これほどまでに死の恐怖を感じたのは、親っさんと共にムティカパと戦った時か、シケリペチムの時か、それとも単身アヴ=カムゥと戦った時か、それとも我が分身ディーと戦った時か。

 

 しかし、過去のどの恐怖体験よりも、今のこの状況が刻一刻と死に近づいていることだけは理解できた。

 そう、男に死の恐怖を抱かせるのは戦いだけではない。愛した女性の直ぐ傍でもその恐怖は起こり得るのだ。

 

「聖上」

 

 聞き覚えのある女性の声。

 夜更けにも関わらず禁裏に来る存在は、トウカであった。

 

「……トウカか?」

「はっ、お休みのところ申し訳ありませぬ。聖上」

 

 ──聖上、か。

 

 私はもう地位などないただの男だから聖上と呼ばなくていいと言っているのだが、トウカは私こそが主上であると言い、未だ聖上と呼んでいるのだ。

 トウカと同じ考えの者は多く、ベナウィも未だ私を聖上と呼んでいる者の一人だ。他にはトゥスクル前皇として、以前よりの文官からはハクオロ上皇や、天子ハクオロ様と呼ばれることも多い。

 

「お、御側付のお役目を果たしたく……よろしいでしょうか」

「ああ、入れ」

 

 トウカは私の返事を受けた後に恭しく襖を開いて中へと入る。

 肌寒い夜には似つかわしくない程に頬を火照らせ、何やら緊張した様子だ。きっと御側付とは名目であって本心は別にあるのだろう。

 

「や、夜分に恐れ入ります」

「良い。さ、良い酒がある。二人で飲もう」

 

 誰かが来ることは予想していた。

 予め用意していた盃に酒を注ぎ、トウカを私の隣へと促す。

 

「はっ、失礼をば」

 

 おずおずと私の傍へと座るのを確認し、乾杯と言って盃に口をつけるも、トウカは未だ酒には手を付けず口をパクパクと開いて何かを告げようとしている。御側付としての役目があるから酒は無理、といった理由でも無さそうである。そうであるなら、すぐさま断りを入れているだろう。

 

「……?」

「……ぅぁ、何をしている、しっかりしろトウカ……今こそ一族の務めを果たす時だろう……! そう、聖上は積極的な女が好み……寵愛とは奪うもの……」

 

 トウカは何やら頭を抱えてぶつぶつと何やら小言で呟き始める。

 暫く見ているのも面白かったが、その様子があんまりにもあんまりなので、トウカが自然と胸の内を明かせるように聞いた。

 

「どうしたのだ、トウカ」

「えっ! あっ、あ、いえ、その……不躾乍らよろしいでしょうか……?」

「ああ」

「では……その、聖上にお願いしたい儀がありまして、えー……」

「……ああ」

「そ、某に、あの……エヴェンクルガの後継として、その」

「……」

「せ、聖上の、御子を……っ! た、たたた種を……っ!」

「う、うむ……」

 

 もう何度も肌を合わせているというのに、未だこういったことになると照れて中々告げられないトウカ。

 私の仮面が外れて素顔を見てからというもの、トウカは聖上の真なる御顔を拝謁できたと興奮状態に陥ってしまった。

 素顔が受け入れられたようで何よりであるが、こうして私の顔を見られぬまでに照れてしまうのだ。

 

「駄目……でありましょうか」

 

 断られるか不安なのだろう。

 俯き、窺うように視線だけ向け、切なげな声で呟く。

 

 しかし、今日はトウカであったか。

 であれば、明日はカルラであろう。トウカには悪いが体力を残しておかねば、翌日に差支える。

 翌日に差支えてしまえば、次の日は女性らしく成長したクーヤとサクヤの二人である。二人がかりで体力を奪われてしまえば、次の日は他の女性に嫉妬したエルルゥである。そして次の日の予定ではオンカミヤムカイから二人が来ると聞いている。であれば、殊更に成長してしまったカミュや、私の前では妖艶さを見せるウルトリィと──

 

 決して、私の許可を以って決められている訳ではない。

 しかし、私の前で争わぬためか一定の順序なるものが女性陣の間で決められているようなのだ。

 故に以前からの周期から予測すれば、そのような順番でここへ来る筈である。

 

 特にウルトリィやカミュはオンカミヤムカイ、トウカやカルラはヤマトの白楼閣での勤務もあり、会う機会も限られる。故にトゥスクル皇都にいる間はほぼ確実といっても良い程にここへ来る。

 

 トウカも今宵ここへ来たのは、帰還する前に私との時間を過ごしたいと思ってのことだろう。

 特にトウカはエヴェンクルガの一族のしきたりとして一族に優秀な種を入れねばならぬらしいからな。長く待たせた手前、仕えた筈の男に逃げられたエヴェンクルガ族などと色々言われたことがあるそうで、そのことで深く悩んでもいたようだ。

 

「……」

 

 そう物思いに耽り──思わず眩暈がする。

 

 彼女達の気持ちは実に嬉しく思う。

 あれだけの美女達、引く手数多の適齢期の女性達が、私は必ず帰還すると信じて操を立てていた手前、彼女達の誘いを断る訳にもいかない。

 それに、娘であるクオンより先に子を産まねば女の矜持に関わると熱心であるようだ。

 

 しかし、神からただの人の身に戻った私としては殺人的な日程に過ぎる。己で撒いた種でもあるが、ただでさえ彼女達デコイの体力は人のそれと比べ遥かに多い。

 たとえ彼女達四人がいなくとも、皇都に滞在するエルルゥ達が毎日のように求めてくる始末である。

 

 真に休憩できる日はアルルゥとの添い寝日か、オボロやクロウと飲む日、ハクがトゥスクルに遊びに来た時くらいだ。

 

 世の男達が心底羨む美女達に囲まれ幸せではあるが、それゆえの贅沢な悩みとも言えよう。

 

「……あの」

「む……」

 

 手にした盃の中にぼんやりと浮かぶ己の表情を見て憂鬱そうにしている様を、トウカが気づいたのであろう。心配気に声をかけてきた。

 

「せ、聖上? 何やら無言で……如何なされた?」

「……す、すまぬ。考え事を、な」

「そうでしたか、それは気づかずに申し訳の無いことを……であれば、聖上にご無理はさせられませぬ。今日は──」

 

 そう言って心底悲しそうに俯くトウカ。

 慌ててトウカの体を抱きしめて、そうではないと囁く。

 

「せ……聖上?」

 

 トウカは抱きすくめられ、胸の中でおずおずとこちらを見上げる。

 安心させるように、優しく囁いた。

 

「すまぬ……不安にさせたな」

「いえ! 考え事でお疲れの様であれば、某は……」

「いや、トウカが今……忘れさせてくれた」

「せっ……聖上……!」

 

 トウカの瞳が、ふるふると感動に打ち震えるように揺らぎ、潤んでいく。

 次の日に体力を持たせるなどと、トウカに失礼なことを考えた己を殴ってやりたいものだ。

 

 ずっと私の帰りを待ってくれていた、こんなにも健気な女性達。

 良き男など、私の他にもいくらでもいたろうに──十数年待たせた彼女達の気持ちに応えることこそが、己が帰ってきた意味というものだ。

 

 トウカの体から力が抜け、濡れた瞳を瞑って震える唇を差し出す。

 私はそれを──

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「このままでは死ぬ……」

 

 ちゅんちゅんと朝を知らせる鳥の声が寝室に響く。

 ちなみに、昨晩トウカが来訪した時より寝ていない。陽の光が痛い程に己の目蓋を焼いている。

 

 彼女達の気持ちに全力で応えると誓ったが、人の身となった自分にできることにはやはり限りがある。

 

 私の体は今や貧弱である。

 私がウィツァルネミテアに依代として取り込まれた時代、それはハクが生きていた時代よりも遥かに昔であった。故に私の体はこの世界に適応できないほど虚弱ではないが、デコイ程強靭でもない。

 デコイと比べ寿命も短く、彼女達より先に老いて死んでいくだろう。

 

 ハクから聞いた話では、遺伝子情報はそれほどハク達と変化は無く、しようと思えば真人計画における延命手段も使えるだろうとのことだった。

 今は政権より離れた前ヤマト帝に頼めばある程度はできるとは思うが、私は怒りのままに大いなる父の技術を否定し、彼らから姿と尊厳を奪った張本人でもある。

 

 その私が今更大いなる父の技術に頼ることなどできはしないというのが本音であった。

 

 それに、ハクはともかくとして前帝──彼は私を決して許しはしないだろう。

 たとえ神と切り離された身であるとしても、これは力を抑えきれなかったが故の、私の永劫消えぬ罪なのだ。たとえ彼らが許したとしても、私自身が己を許すことなどできはしない。

 

 故に、同胞の解放を願うハクの手助けをする。

 そして、限りある命の中で彼女達に精一杯尽くすことこそが私の最後の主命である。

 

 しかし──

 

「命の限りが、もうそこまで来ている……」

 

 幸せそうに眠るトウカの姿に精一杯の笑みを浮かべながらも、やはり己の限界はそこまで来ているのだ。

 平和な世に訪れた馬鹿馬鹿しい案件ではあるが、私にとっては死活問題。何らかの対策を施さねば、エルルゥ自慢の薬草を以ってしても体に恐ろしい不調が訪れるであろう。

 

「おやすみ、トウカ……」

 

 未だ起きぬトウカの頬を撫で、風邪をひかぬようにと布団を優しく被せる。

 そして、私は眠たい目を擦り乍らも一足早く執務室へと足を運んだ。

 

 オボロが皇として十分に機能している今、私はもう表に出る必要もないと思っていたのだが、トゥスクルの民は私の帰還を殊更に祝ってくれた。

 オボロも私が帰ってきた手前、私が復権するほうが良いと考えているのだろう。ベナウィを通じて権力を幾許かこちらに回そうとすることも増えた。

 それだけでなく、各国の豪族より齎される膨大な数の献上品や文の確認、それに対する各地巡礼計画や返礼品の選定等、私にしかできぬことはある。

 

 復権するつもりは露ほども無いが、オボロ達は戦後の混乱期を纏め、トゥスクルという国をここまで豊かに発展させたのだ。その分の礼を返さねばならぬと思えば、少しばかりの執務ならば寝ずに取り組むかという気持ちにもなるのだった。

 

「おはようございます、聖上」

「おはよう、ベナウィ」

 

 既に仏頂面で佇むベナウィに挨拶を返し、堆く積まれた書簡の山に嫌な予感がする。

 

「お疲れのところ悪いのですが、先程トゥスクル皇がまた旅に出まして」

「オボロが……そうか、クオンのところか?」

「ええ、奴から娘を取り戻すと書き置きが」

「……」

 

 クオンもハクを追ってヤマトに滞在しているようであるからして、オボロがいないとなると自然こちらに執務が向くと言うことになる。

 クオンの幸せを願えば、そろそろオボロもハクのことを認めて良いと思うのだが、亡きユズハの娘ゆえに複雑なのだろう。

 

 ユズハ──少し前であるが、オボロと共にユズハの墓参りに行ったことを思い出す。

 

 良き景色の見渡せる小高い丘に立つ墓石を見て、ユズハとの様々な思い出が蘇り、大の男が子どものように泣いてしまった。

 オボロは、そんな私の姿を見てからというもの、これまで以上にクオンに悪い虫がつかないよう頑張る方向性に舵を切ってしまったようである。

 ユズハの最後を看取り、クオンを実際にあそこまで快活な娘へと育てあげたのはオボロでもある。私の血を引く娘であるからといって、余り口を出すわけにもいくまい。

 

 ただ、だからといって私も余裕があるわけではないのだ。

 

「ベナウィ、私も昨夜寝ていないのだ……少しばかり手加減してもらえると……」

「しかし、今この皇都におられる者でトゥスクル皇に並ぶ権力者は貴方になります。本日が期限である最低限の政務のみ選別しておきましたので、昼頃には終わるかと」

「昼頃……」

 

 目の前に堆く積まれた書簡の山はどう見ても夕刻までかかる量である。

 ベナウィとの政務に時間を割きすぎて、もはや見ればどの程度かかるか察する力を得てしまった。

 

「もう少し……負からないか」

「負かりません」

「……」

「私を鬼とお思いでしょうが、こうして無事にご帰還なさった貴方を頼るのは私も心苦しいのです」

「……本当か?」

「ええ」

 

 ベナウィはそこで初めて僅かな笑みを見せる。

 その笑みは、確かにベナウィらしい精一杯の笑みであった。その親愛の笑みを見れば仕方があるまいと、多少の無理は背負うべきかもしれぬとも思えた。

 

「……お前達には、苦労をかけたからな」

「そうお思いですか?」

「ん……? 違うのか?」

「我らが主上の形見……皇女を皆で育てる時間は存外楽しいものでしたよ」

「ならば……」

「しかし、それとこれとは話が別です。貴方の国であるとはいえ、我らは民の租で生き存えている。政務こそが民に返せる術なのですよ」

 

 オボロやクオンが再三言われてそうな台詞である。

 違うのは、彼らは政務から逃げるだけの戦闘力があるが、私には無いということである。

 

「……やるか」

「ええ」

「……出来たものはここに置くから、確認を頼む」

「御心のままに」

 

 重々しい溜息をついて、ベナウィと二人、静かに政務に取り組む。

 何とも懐かしい光景であった。

 

 暫く無言の空間で書簡を捲る音や判を押す音のみが響いていたが、ふと気になり一つの疑問を訪ねることにした。

 

「ベナウィ」

「はい」

「クオンはきっと……このままオボロに皇を任せ、トゥスクルの後継として継がぬつもりだと思うのだが……どうだ?」

「そうですね。皇女は……彼にも、その仲間の方々にも夢中のようですから」

 

 驚いた風も無く、そう返答するベナウィ。

 

 クオンはハクに夢中である──我らの中でそれは周知の事実である。しかし、懸念点はそれだけではない。クオンはこれまでの出会いによって個人的にもヤマトのことを好きになりすぎている。

 ベナウィにとっても、トゥスクルという国こそが最も守るべきものである中、ヤマトにこれから乱が起これば、トゥスクルの利を考えずに必ず首を突っ込むであろう。

 その辺りの利と情を切り離すことのできる人材としては、オボロの方が良いとも言えるのだ。

 

「これからのトゥスクルを思えば、どうするのが良いか……」

「……私は余り心配していませんよ」

「そうなのか?」

「ええ、何しろ……近々新たな御世継ぎがお生まれになるでしょうから」

「……」

 

 それは、クオンとハクの実子の事を言っているのか、それとも私とエルルゥ達の間で生まれる実子のことを言っているのか。

 一応の可能性として、別の人物の名を挙げる。

 

「……オボロにも良き出会いが?」

「彼に? 彼はもはや父親です。義理の娘に時間を割いてあらゆる縁談を断っている間は、彼を継ぐ者が生まれることはあり得ません」

 

 オボロ、クオンのために縁談を断るなんてことしていたのか。

 いや、クオンのためなのか、オボロ自身の判断のためなのかわからないが、オボロも良き人と巡り合えるだけの器量を持った良き漢である。実に勿体無いことである。今度見合いを受けるよう進言しよう。

 

「私が申しているのは、聖上の御世継ぎですよ」

「……わ、私か」

「ええ、建国の皇──ハクオロ上皇の後継が誕生するのは実に喜ばしいことです。オボロも、皇女もこのままトゥスクルを統治するつもりは……はっきりいって皆無でしょう。世情が安定している今、しっかりと英才教育を施せる御世継ぎは、私にとっても望むべくものです」

 

 オボロとクオンに幾度逃走を図られたが故の諦観の籠った声であった。

 ベナウィのことだから、かつてのゲンジマルとクーヤの関係のような一方的な英才教育となりそうである。

 

「ですから──」

 

 こちらを見ることも無くそう告げていたベナウィであったが、ぱっと顔を上げてこちらを見る。

 

「このような政務は早々に終わらせましょう」

「……そうだな」

 

 ベナウィなりに、私の夜の出来事を想って気遣ってくれているのだろう。

 

「……ふむ」

 

 ていよく押し付けられたかと思うも、よくよく見れば書簡も確かに判を押すだけのものがあったり、既に検討された案が添えられていたりと極限までこちらの労力を減らそうとしている努力が見られる。

 私が残した国のために、内を纏め、外敵から護り、一心に支え続けてきた侍大将。今、私からかけることのできる言葉は何か。

 

「……苦労を、かけたな」

「ふ……苦労など……貴方からその一言が聞けただけで、報われた気分です」

 

 ベナウィの声は久しぶりに聞くほどに優しげである。

 眠いままの政務は殊更にしんどかったが、ベナウィとこうして話せたら少しばかり気分が乗ってきた。

 

 ただ、明日も明後日も、いつまでこの政に取り組まねばならないのかを想うと憂鬱な気分と半々である。

 

「しかし、オボロはいつ帰ってくるのだろうな……」

「余り期待しないほうがよろしいのでは。それよりも、早く御世継ぎを。好色皇再びなどと仇名されたくもないでしょう」

 

 さらりと言われた台詞にしては、違和感のある単語が耳に入り、思わず聞き返す。

 

「……ん? 好色皇?」

「ハクオロ上皇帰還を喜ぶ者が多数ですが……悪辣な噂は消えぬものです。ましてや色恋となると」

「……具体的にはどのような噂なのだ」

「室を何人も持ちながら現地妻を作りに行った、他にも室の数の割には後継ぎの少ない好色皇再びと仇名されているのを、以前の報告で見ましたね」

「な、なんだそれは……」

 

 何という不名誉な仇名であるか。

 まあ、民が帰還の理由も知らないのだから、その理由に関してあることないこと噂が広まるのは仕方が無いことでもあるが。

 

「種無し、現地妻だけ作って責任を取らず、初回限定、三擦り半など、様々な噂もあります。他にも、色里で聖上と私を題材にしたラウラウ本とやらが広まり、男色の噂もあると聞いています」

「くっ……そんなもの禁本にしてくれ」

「色里は管理が難しいので、全てとは中々いきませんね。それに、噂はあくまで噂……言論統制などすれば余計に歪な噂が広まることでしょう」

 

 ベナウィの正論に押し黙る。

 確かに、人の口に戸は立てられぬ。噂は噂を呼びまくるであろう。

 

「現時点で皇后はユズハ様のみ。それ以外の方は室の扱いですらありません。第二皇后以下の順番を決められ、しっかりと御世継ぎを残しましたら、市井の煩わしい噂からも解放されるでしょう」

「ああ、そうだな……ん?」

 

 その言葉に、もしや最近の女性陣の押しが恐ろしく強いのは、ベナウィの謀も含まれていたのかもしれないと勘付く。

 何だかんだ、ベナウィは私の尊厳を守ろうと動いてくれることは多い。ベナウィとしても早くまともな後継となる世継ぎを産ませたくて、最初に産んだ人が第二皇后とか何とか吹き込んだとか──いやいや、この忠臣が私に負担をかけるようなことをするかと頭が否定する。

 しかし、と思えば、以前より政関連で負担を死ぬほどかけられた記憶しか掘りだせない。

 

 もしや、とベナウィに問うかどうか迷っていたところ、聞きなれた女性の声が己の思考を中断させた。

 

「ハクオロさん、お茶が入りましたよ」

「あ、ああ……ありがとう、エルルゥ」

 

 執務室にそっと入るは、エルルゥであった。

 政に取り組んでいるところに、エルルゥがこうして茶を淹れてくれる。本当に懐かしい光景であった。

 

 しかし──

 

「……? エルルゥ、どうした?」

「昨夜は! 随分と! お疲れの様子でしたので! 少し滋養強壮のお薬も混ぜておきました!」

「そ、そうか……ありがとう」

 

 どろりとした濃厚な茶を手に取るも、エルルゥの顔は微笑んでいるようで微笑んでいない。

 これは、確実に嫉妬されている顔である。お疲れの様子となった原因を知っている顔である。

 

「……」

「ど、う、ぞ!」

「あ、ああ」

 

 促されるまま、ほぼ粘液のような茶を喉に流し込むと、かっと腹が熱くなる。一体何を入れたのかはわからんが、聞くことはできないだろう。

 これほどまでの態度、きっとトウカが違和感のある顔で廊下を歩いていたのを見たのかもしれない。まあ、逆の立場であれば面白いことではないのだ。嫉妬は甘んじて受け入れるのが、良い漢というものかもしれぬ。

 

「……」

 

 にこにこと貼りつけたような笑みを浮かべるエルルゥと、こちらの問答には我関せずのベナウィを尻目に、一心不乱に政務を終わらせる。

 早く終わらせて、早く寝るのだ。それが、一番良いと目の前の書簡に挑んでいくのだった。

 

 そして政が終わった夕刻。

 あまりの疲労に暫くうとうとと横になっていると、何やら布団の中でもぞもぞと違和感がある。

 

 少しばかりの睡眠を邪魔したのは誰かと存在を確かめると、そこには悪戯がばれたような笑みを浮かべたカルラがいた。

 

「カルラ……!」

「あら、主様。起きられましたのね……残念」

 

 残念そうでもなくぺろりと舌なめずりし、妖艶な笑みを見せるカルラ。

 外を見れば、夕闇の光が残っているような時間である。今からとなると、問答無用で枯れてしまう。

 

「食事になさいます? 湯になさいます? それとも……わたし?」

「湯だ、湯にする」

「では、先に一汗流してからにしましょうか」

 

 それ、どれを選んでも結局お前になるじゃないか。

 

 焦るように後退し、両腕をついて豊満な胸を強調するカルラから逃げる。

 しかし逃げれば逃げた分だけ、以前よりも殊更に魅力的となった肢体が近づいてくる。壁際にどんと背中をついた時、情けない声が出た。

 

「ま、待て……私も少し疲れていて……」

「あら、大丈夫ですわよ。白楼閣で勤務するうちに、殿方はただ寝転んでいるだけで、朝に気持ちよく目覚める方法を学びましたの……安心してくださいな、実践は主様が最初、その技が馴染むまでとくとお見せ致しますわ……」

「それで何を安心しろと言うのだ……」

 

 ギリヤギナの一族に力で勝てる訳も無い。

 

「あん、駄目ですわ、そんなところ……」

「い゛っ」

 

 こちらの手を掴んで一方をカルラの胸に、一方を下腹部に添えさせる。

 握られたカルラの手が、ものすごい力で固定され全く動かないどころか痛みすら覚える。

 

「あらあら、主様も我慢できませんのね……仕方の無い御方」

「いやいや、お前が……! あだだだっ!」

 

 どうやら、自分から誘う件にするのではなく、あくまで私から求めたことにしたいようである。

 

「ちょ、は、離、千切れる……!」

「んー……」

 

 悲鳴と抵抗の声は口によって塞がれる。

 そのまま肉食獣が草食獣を捕食するかのように体を貪られ、その日はあれよあれよという間に長い夜を共に過ごすこととなった。

 

 その次の日。

 

「太陽が、眩しい……死んで、しまう」

 

 黄色い朝日に目を細めながらも本日期限の政務はある筈である。

 それに、現皇であるオボロも皇女クオンもいないということは、代替で朝の報告会にも出なければならんということだろう。

 

 ぐーすか眠るカルラを尻目に何とか身支度を終え、急いで謁見の間へと走ったのだった。

 

「──ハクオロ上皇、御出座であるッ!」

 

 クロウが銅鑼を鳴らし、皇都に務める上級文官の前へと進み出る。

 この光景も慣れたものであったが、久しぶりに立つ場である。緊張等は無いが、随分懐かしいものだ。

 

 文官達は私の姿を見て驚きもせず、慣れた様子で深々と頭を下げていた。見渡せば、新しい顔もいるが建国以来より支えてきた見覚えのある者も多い。

 オボロやクオンがどこかへ逃げるのは慣れた風景でもあるのだろう。特に疑問を持たれることもなく、会は進む。

 

「本日の御報告を致します」

 

 エルルゥが前へと進み出て、案件を一つずつ話し始める。

 

「各地に響いた謎の声により機能停止にあった旧シケリペチム区、その一部村々が復興を開始。半年後には、予定通りの租を収められるとのことです」

「そうか……しかし、今は復興に力を割く時。租についてはヤマトからの支援品もある故、一年は待てるだろう。復興と租についてはある程度調整可能と伝えよ」

「はい、そのように」

 

 傍らのベナウィに伝える。

 この件は長期的な案件であるからして、オボロにも伝えられるよう書簡に纏めねばなあと政務が増えることに頭を抱えていたところである。

 

「次に、お姉ちゃんが嫉妬で薬草を思いっきり叩いてた、ブキミ。とのこと──ってなにコレ!?」

「……」

「ア~ル~ルゥ~! なんで、今になってこんなイタズラして!!」

「あははっ」

「コラー! 待ちなさい!! もう大人でしょ! アルルゥ!!」

 

 以前より格段に上がった逃げ性能を発揮するアルルゥと、それを追いかけるエルルゥ。

 ベナウィはその様子を咎めることもなく、前へ進み出た。

 

「では、これにて散会します。皆さん、本日も頑張ってください」

「いやぁ、懐かしい光景ですなあ」

「私など、何だか涙が出てきましたよ」

「いや、まったく。明日の朝も楽しみですなあ」

 

 ベナウィが慣れた口調で散開を促し、以前よりの文官達はこれまた慣れた様子で感想を言い合っている。

 未だ戸惑うのは、新しく任用された文官達くらいである。

 

「……」

 

 そして、会は終わるも私の仕事はまだまだある。

 

 執務室でベナウィと二人政務をせっせと取り組み、アルルゥとの追いかけっこを終わらせ息を切らせたエルルゥが恥ずかし気にお茶を淹れてくれる。

 

 そして、そのまま今日も今日とて煩雑な政務を終わらせ、どこに行くんですかとエルルゥの恐ろしい視線から逃げるように寝室で過ごしていると──

 

「ハクオロ! おるか!?」

「く、クーヤさまぁ……あたし、この恰好は本当に恥ずかしいですよぅ……!」

 

 深夜、サクヤを両腕に抱きかかえて参上するクーヤの姿。

 

 サクヤがゲンジマルに足の腱を断たれた都合上サクヤは早く歩けぬ。だからといって、クーヤがサクヤを抱えて宮廷内を歩き回る姿は中々に羞恥を誘うものなのだろう。様々な治療の結果、生活に不自由しない程度には歩けるだけに尚更である。

 サクヤは以前より大人っぽくなった表情を殊更に染めて照れていた。

 

「クーヤ、サクヤ……言ってくれれば、私からお前のところへ……」

「ふん、其方はそう言って来ない時があったであろう。いつもそうだ、会いに行くのは余からばかりだ」

 

 そう言われてしまえば、私としては返す言葉が無い。

 思い当たるのは、かつて色里に連れていけと言われた時に断ったことなどだろう。他にもカルラに攫われて予定をすっぽかすことになるなど心当たり多数である。

 

「は、ハクオロ様、すすすいません、突然」

「いや、大丈夫だ」

「そうか、ならば良いな!」

 

 サクヤに向けて言ったのだが、クーヤが満面の笑みで応答する。

 

 苦々しい笑みを浮かべる私をそっちのけで、クーヤはサクヤを優しく布団へと降ろす。

 そして、子どもが甘えるように、自分の頭を私の膝へと乗せてきた。

 

「さぁ、余の頭を存分に撫でるが良い!」

「く、クーヤ……」

「ふふ……」

 

 鼻息荒く頭を撫でられることを求めるクーヤと、その姿を見て優しい笑みを浮かべるサクヤ。

 そういえば、かつての私もこうしてクーヤの頭を撫でたことがあったと思いだす。

 

「むふぅ……良いぞ、やはりこれは良いものだ……」

 

 クーヤの記憶、その多くが戻ったとはいえども、子どもっぽい様子は変わっていないようである。

 沢山の思い出したくない過去がありながらも、その記憶の封印を解き、こうして強く生きることができるようになったのは、きっと傍らで支え続けたサクヤのおかげなのだろう。

 だからこそクーヤは──

 

「では、次はサクヤを撫でるが良い」

「え、ええっ! あ、あたしはいいですよぅ!」

「ああ、わかった。ほら、サクヤ」

 

 クーヤと私に促されるまま、サクヤも頬を赤く染めながらもおずおずと自らの頭を膝に乗せる。

 サクヤにも、本当に苦労をかけた。同族シャクコポル族への圧政が回避されたのも、サクヤを私の内々の室として扱っていた噂を流したことも大きいとウルトリィから聞いている。

 トゥスクル皇の室にシャクコポル族がいるとなれば、と表立った迫害などは見られなくなったとも聞いた。噂を流すために、随分と表舞台にも立ったというし、危険な矢面に立ちながらもクーヤを支え続けたのだ。

 

 もはや私には頭を撫でるだけしかできないが、サクヤの苦労に見合うだけの借りを返そうとは考えていたのだ。

 

「サクヤ、クーヤみたいにもっと甘えていいんだぞ」

「あ、あわわ……は、はいぃ……!」

「む……其方、余とサクヤで随分態度が違うのだな」

 

 クーヤの非難の目を誤魔化すように、二人の頭をなでりなでり、と優しく慈しむように撫で、暫く至福の時を過ごす。

 

 クーヤは暫く頭を撫でられ、それで満足したのだろう。

 起き上がると悪戯好きな笑みを浮かべ、私の胸に枝垂れかかる。

 

「? どうした」

「では、そろそろこの国にシャクコポルの世継ぎを作るとしよう!」

「うぇっ、く、クーヤ様ぁ、そ、そういうのは……!」

 

 余りにも直接的過ぎるとサクヤが真っ赤な顔でクーヤに非難の視線を送っている。

 

 クーヤがこうまで言う理由は、亡きゲンジマルが護ろうとしていたものを護るため。かつてのシャクコポル族の叡智、クンネカムン復興を目標に、トゥスクルにシャクコポル族の血を引く皇族が欲しいと熱心なのだ。

 ウルトが戦後シャクコポル族の保護区や復権に助力したとはいえ、未だ目に見えぬ部分で確執も多いと聞く。

 

 クーヤの焦燥は理解できるものでもある。しかし──

 

「ク、クーヤ、私も、その、疲れていてだな……」

「寝ているだけで構わぬ。教わった技も試したい。サクヤもそうであろ?」

「え、ええっ!」

 

 誰に教わるんだ、そんなもの。というか、教わったのか。

 頭に浮かぶはカルラの悪戯好きな笑み。トウカへの吹き込みで前科一般であるからして可能性は高そうである。

 

「わ、私は、そのぉ……えっと……う、うぅぅぅ」

 

 ちらちらと私の下腹部を見て震えるサクヤ。これは教わっている視線である。

 サクヤも私が察したことに気付いたのだろう。違うんですと弁明しながらも羞恥で瞳は潤み始めている。

 

「余でもサクヤでも良い、さっさと孕ませよ。シャクコポルの血を継ぐ者を作るぞ、ハクオロ!」

「な……」

 

 色気も何も無いが、一度始まると先ほどまでの態度は何だったんだと照れるクーヤである。

 きっと、自らの使命も鑑みた結果、羞恥を必死に隠して誘ってくれているのであろう。

 

「は、ハクオロ様ぁ、ご、ごめんなさい!」

 

 サクヤもサクヤでここまで来れば後は成り行き派なのだろう。

 クーヤを制することはなく、案の上二人がかりで求められてしまった。

 

 そして、次の日。

 

「太陽が、痛い……太陽に殺される……」

 

 もはや殺人的な陽光に体を震わせながらも這って起き、謁見の間へと向かう。

 そして、そこではまたもや、アルルゥとエルルゥによる一波乱が起きながらも、朝の集いを早々に終わらせ今度は執務室へと向かう。

 

「ハクオロさん! お茶が入りましたよ! 今日は特に濃厚ですから!」

「あ、ああ、エルルゥ、ありがとう」

 

 政務では毎日のようにエルルゥの特殊な茶を飲んで過ごし、嫉妬のせいか徐々に憤怒の形相となるエルルゥに戦々恐々としながらも、昨日はサクヤとクーヤであった。であれば次に来る人物──予想ではエルルゥである。

 

 つまり、今日はエルルゥが来る日である。

 そう思ってみれば、エルルゥの表情も心なしか明るいように思えた。

 

 これで暫くは嫉妬の目線からも解放されよう──そう思っていたのだ。

 

「よう、ハクオロさん」

 

 思わぬ客分──ハクがトゥスクルへと来訪した。

 

 




 初代の御馴染展開を書こうとするとついつい文字数が多くなりがちです。

 読みやすさも考え、今回は二話に分けました。
 後編は推敲の後投稿します。

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