【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~ 作:しとしと
最終回に対して沢山の高評価やメッセージもあり、自分の書きたかったものが皆様に受け入れられたようでとても嬉しかったです。
後日談第一弾は、少し成長したアンジュ(ロスフラのミトっぽい容姿)とネコネです。時間軸としては59話~最終話間のどこかになります。
話自体は六十話で終わっていますので、ここからはあくまで本編には関係のないif、蛇足の部分ということでご了承願います。
壱 悩みしもの
まだ陽も明るいうちであった。
せっせと民が畑仕事に勤しむ中、二人の男の姿が豪華な屋敷の中でにやにやと笑みを浮かべている。
「ほっほっほ、お主も悪よのぉ……」
「いえいえ、貴方様ほどでは……」
一方の男の懐から取りだされるは民から搾取した金子である。
傾ければその分美しく光を反射して映る金の煌きに心を奪われながら、二人して邪悪な笑みを浮かべていた時であった。
「ぎゃあああっ!」
「!?」
突然である。
どがしゃあと盛大な音を立てて障子を突き破り、二人見つめていた金子に頭から突っ込んで事切れた男がいた。
「な、こいつは……」
男の顔を見れば、それは民が反抗せぬようにしていたお目付け役の男であった。
「っ! 何奴だ!」
突き破って空洞となった障子を開け放ち、奴を投げ入れたのは誰だとその姿を見やる。そこには──
「──女?」
障子の先の庭にいるは、巨大な黒剣を携えた齢二十に届かぬかと言える程の少女の姿である。
少女とはいっても、その重々しい巨大な剣を軽々と担いでいる様子からして並々ならぬ戦士であることは明白であった。
「貴様らは、その職権を悪用。民より金子を悪戯に奪い、ヤマトへの租を誤魔化し不正の便宜を図った……不届き千万!」
「ふん、浪人の分際で何を言うか!」
どうせ、民がなけなしの銭で雇った浪人であろう、そう唾棄するように男が言えば、もう一人の男がその少女の顔に見覚えがあるかの如く震えている。
「ほう……余の顔を見忘れたと申すか!」
「ま、まさか──アンジュ様?」
「な、なに!?」
確かによくよく見れば服装は違えど、その高貴なる血を持つ圧倒的な才覚に満ち溢れた御姿は正しくアンジュそのものであった。
「「は、ははーっ!」」
男達はこれまでの無礼を詫び、ひたすらに平伏する。
しかし──
「──今更遅い。租を誤魔化し、悪戯に民の金子を搾取していること、余が気付かぬと思うてか」
しかし、アンジュの声は堅い。
我らが悪を成していると知って疑わない様子である。
「お戯れを……しょ、証拠はありますまい!」
「証拠なればある」
ぶんと幼き少女より投げられるは、我らが秘匿していた闇帳簿である。
「先程の男が持っておったわ。このような悪事、そしてヤマトの信を穢した罪、許すわけにはいかぬ。貴様らに切腹を申しつける!」
「せ、切腹……!? くっ……」
あの幼さにして既に名君と呼ばれし姫君。
このままでは我らの命が無い事は確実であることは明白であった。
「ぐっ……そ、そうだ、アンジュ様がこのような所に来られる筈がない!」
「うむ、貴様はまやかし! アンジュ様の名を騙る不届き者め!」
ただの少女が扮装している可能性も無きにしもあらず、それであれば討っても大義名分が立つ。
「ほう、我らの聖上がニセモノと申すか」
「悪党の目は殊更に曇っていると見えるな」
「き、貴様らは、ミカヅチ、ムネチカ……」
その名を知らぬものはいないと言われる、元左近衛大将ミカヅチ、アンジュ政権樹立の立役者、八柱将として名高いムネチカの両名がアンジュの前へと姿を現す。
そして、金髪の髪を揺らし前へと進み出る好青年。
「──この金印が目に入らぬか! この尊き御方がニセモノと申すのであれば、それなりの覚悟あってのこととお見受けする!」
「ぐっ……貴様は八柱将キウル……!」
見覚えのある将軍が三人も付従っておる。
それに、キウルが指し示すあれは帝の金印。間違いない、彼女は本物の聖上──アンジュ皇女である。
「ぐっ……しかし、ここで死ねばただの小娘、ヤマトもこれで終わりよ!」
「この者はアンジュ様を騙る不届きもの! ものども、であえ! であえ!」
その声を聞き受け、屋敷中から我が金子に心酔する浪人共が集まってくる。
これだけの数に、相手はたった四人のみ。しかも、皇女を守りつつ闘うなど不可能である。
「やれ! 聖上の名を騙る悪を成敗いたせ!」
「「オオオオッ!!」」
数人がその声を元にアンジュに切りかかるも、易々と浪人共をいなし、素手で吹き飛ばし、こちらに天誅を下すかの如く剣を構えた。
──チン。
アンジュが剣を鳴らすと、それを合図ととったかのようにミカヅチやムネチカ、キウルが数多の浪人共を事も無げに切り伏せていった。
そして、アンジュは首謀者二人へと一歩一歩無言で近づき、震え上がるほどの圧倒的な強者の圧を放っている。
「か、かかれっ──ぎゃあああっ!!」
「余の命は天下の命! 貴様ら如き悪党に渡すわけにはいかんのじゃ!」
一撃で十数人が吹き飛ばされ、為す術もなく障子や壁を破壊し尚遠方へと消えていく。
「安心せぇ、峰内じゃ」
「峰内って、そんな鈍器みたいな刀で殴られたら……!」
もはや切れる部分や峰がどこなのかわからないような形状の刀である。
周囲を見れば、殴られたものは白目を向いても物言わぬ屍と化している。正しく死屍累々である。
「くっ、しかしここで引いても後は同じ!」
「うむ! 悪党らしく死に花を咲かせてくれる! 皆の者、取り囲んで一度にかかるぞ!」
もはや負けは必至であっても、切腹の時を待つばかりよりはマシである。
万に一つの可能性を賭けて、数十人が一斉にアンジュへと襲い掛かる。
「成敗ッ!!」
その瞬間、我らは翼なく空を飛んだ。
これまでの人生で最も輝く光景といっても過言ではないほどに、数多の体が美しい太陽に体を煌かせている。
彼らと同じく宙を舞っている己の姿を目に収め乍ら、男は意識を手放したのだった。
そして、悪党より民を救ったアンジュは──
「──ああ、アンジュ様、本当にありがとうございました」
「アンジュ様とは知らず大変なご無礼を……どうかお許しくだされ」
アンジュは悪政を敷かれ苦しんでいた民と交流していた。
最初は彼女をただの少女として扱っていた彼らであったが、こうして悪党を成敗した結果、今ではアンジュ様であったのかとその正体に驚き、救いの主としてひたすらに平伏していた。
「余はアンジュではない。余の名はミト……それで構わぬ」
「な、なんと……」
アンジュはその感謝の言葉が照れくさくなり、元々民に名乗っていた偽名を告げてその場を後にする。
「行くのじゃ、ミカさんムネさん」
「「はっ!」」
「あとキウル」
「何で私だけいつまでも本名なんですか!」
今回の行脚でまたもや悪事を成敗することができ、ヤマトの治安維持にまた一つ貢献できたと笑みを浮かべるアンジュであった。
○ ○ ○ ○ ○
「──というのが、此度の行脚で得た収穫なのじゃ!」
「はあ……」
ここは、帝都の中ではかなり高級を誇る料亭の一室である。
私──ネコネは、兄さまから聖上の此度の行脚の一件について労って欲しいと頼まれ、こうしてアンジュ様と二人飲むことになったのだが、延々自慢話を聞かされせっかく美味しいお酒でも中々酔うことができない状況に陥っていた。
「ムネチカやミカヅチがな、もう余は並ぶ者のいない武人であると認めてくれたのじゃ! すごいじゃろ!?」
「そうですね」
あの二人は嘘を言わない。
実際、アンジュ様はかなり強い。兄さまであっても、アンジュ様に勝つのは難しいと言わしめるくらいの実力を持っているのです。
その実力の使い方が此度の小悪党殲滅行脚なのは些か役不足のきらいはありますが。
まあ、聖上自ら悪を討滅している──暴れん坊皇女の噂が広がり小悪党は怯えて治安自体は良くなっているのでいいのですが。
「そうじゃろ、そうじゃろ、余は凄いのじゃ……なのに……」
「なのに?」
「皆、帝都に帰ってきたらすぐに解散するのじゃ……ミカヅチはライコウの手伝いに……ムネチカは子に会いに、キウルはシノノンと乳繰り合いしに……」
「……」
行脚の旅を終えた瞬間に宴をするまでもなく解散する彼らの姿が目に浮かぶ。
まあ、ライコウ様とシチーリヤ様も今や帝都の技術開発面を一手に担う人ではあるが、その能力の高さゆえに使える武力は限られている。ミカヅチ様はライコウ様が唯一自由に扱える手駒でもあるので、帝都にいる間はよく手伝っているようだ。
ムネチカ様も、ハクさんとの子が一昨年生まれ、まだ幼いながらもその育児を他の者に頼んで此度の行脚に同道したという。
キウルも、シノノンとようやく婚姻を結びましたから、一刻も早く向かいたいのが本音ですよね。
「まあ、アンジュ様もお暇なら行脚前に残したご政務をしたらいいと思うのです。兄さまが嘆いていたのですよ」
「……」
「? アンジュ様?」
「皆幸せそうに……余だけ、余だけぽつんと……うぅ……」
酒がどうやら悪い方向に働き始めたようだ。
都合の悪い私の小言を都合良く無視し、アンジュは涙と口元から零れた酒を拭いながら、嗚咽混じりにあるものを取りだした。
「皆と別れた後何をしているかといえば、一人寂しくこのような本を買い漁るしかないのじゃ……」
「ハク×オシュトル本……それにガウンジ×ボロギギリ本……? なんです、これ」
随分業の深い書物が出てきたものだ。
ハクさんと兄さまの本を以前初めて見た時、最初は怒りが勝っていたが少しときめいてしまったこともあり帝都で禁書扱いにはしなかったが、ガウンジとボロギギリとは一体。
アンジュ様にそちらの趣味があるのは知っているが、随分拗らせはじめていると言えよう。
「……兄上が、書いたのが始まりでの……最初はわからんかったが、いつの間にか魅力的に……」
「そ、そうですか」
兄上とはウォシスのことだろう。ウォシスは、その界隈では有名な著者ラウラウだったらしいですからね。ラウラウ本はルルティエ様他数多の女性陣の心を掴んでいますから。
しかし、悪行の記憶を無くし、今では前帝と仲睦まじく本を書いているとは聞いていましたが、このような本まで書き始めたとは知らなかった。
あまり想像したくない家族団欒を夢想するも、美味しいつまみを口にいれてその想像を打ち消す。
こうなればとことん愚痴を吐いて早々に潰れてもらおうとアンジュの空いた杯に酒を注いだ。
「おお、すまんの」
「いえ」
「んぐんぐっ……ぷはぁっ……それぇもこれも……ハクが余から逃げ回っているのが悪いのじゃぁ!」
「あ~……」
愚痴は愚痴でも、そっちにいってしまったか。
そう、ハクさんに想いを寄せていた女性陣の中でも、未だアンジュ様の気持ちにだけは応えていないのだ。
姉さま、ルルティエ様、シス様、ノスリ様、アトゥイ様、ムネチカ様、フミルィル様、エントゥア様、ウルゥル様、サラァナ様。
こうして名を挙げるととんでもないが、各々の気持ちに応え、今やムネチカ様のように世継ぎを生んでいる者も多い。
ルルティエ様も昨年第二子が生まれ、育児の忙しさからかアンジュ様とご趣味を共にする時間が減ったようである。アンジュ様としても、同じ時間を共にする仲間が減ったように思ったのかもしれない。
しかし──
「お父上から余の出生について聞いた……余は、お父上の娘であった者のクローン、ハクの姪のクローンじゃったと……だが、たとえそうであったとしても余は父から、アンジュとして愛される存在であった。たとえ姿は似ていても、薄らと残る記憶があったとしても……ハクの本当の姪ではないのじゃ。故にこの心は、確かに奴を求めておるのに……うぅ……!」
そう、ハクさんは前帝の弟だったことだけではない。直接多くの言葉を聞くことは無かったが、聞き及んだ僅かな単語を繋ぎ合わせれば、ウィツァルネミテアと大いなる父の関係、デコイと呼ばれる私達の出生の秘密他、数多の真実が隠されていたことは少し考えれば何となく察せられた。
隠し事なく全て話せとハクさんを無理に問い詰めるつもりはないが、私達のためを思って多くを語らないハクさんに少し寂しさは感じている。
特にアンジュ様は、私たちよりも多くの言葉を聞いているようで、クローンというのも、聞きなれない言葉であるが大いなる父の技術の一端を駆使したものなのだろう。
アンジュ様は、かつてハクさんが姪と呼んでいたものの分身。それ以上のことはわからないが、ハクさんにとってアンジュ様は家族としての扱い以上の関係にはならないつもり、ということは確かなのだ。
ただ──
「それだけが理由ではないと思うのですよ……アンジュ様は聖上でもありますから。ヤマトの正統な世継ぎが自分の子だというのが良くないと思っているかもしれないのです」
「じゃが、余はハク以外に考えられぬ……! うぅ、どうやって想いを伝えれば……」
ぐびぐびと酒を飲んで真っ赤な顔で考え込むアンジュ様。
やがて目が据わったまま、私のある部分を注視し始める。
「? 何です?」
「体型ではネコネに勝っておるというのに……」
アンジュ様は、見比べるように自分の胸を両手で持ちあげ、私のある部分を注視している。
思わず盃を掴む手にみしりと力が籠るが、相手は腐っても聖上である。
「わ、私の胸が、どうかしたのですか?」
「うむ……ネコネに手を出して余には手を出さぬ理由がわからぬ……」
我慢だ我慢。
私も全く無いわけではないが、アンジュ様のそれよりは小さい。
ハクさんに想いを寄せる面子の中では最も胸が小さいとも言えるだろう。しかし、まだまだ自分は成長期、これからフミルィル様のように育つ可能性も無きにしもあらずである。
それに、このような胸であっても自信をもって言えることはある。
「は、ハクさんは私に夢中なのです。胸なんて飾りなのです」
「そうなのか?」
「はい。もうハクさんから来るぐらいなのです」
少しばかり、いやかなり嘘も混じるが、胸について言及された手前少し大げさにそう言う。
言っている内に恥ずかしくなり頬も熱くなるが、構わず言い切る。無礼にならない程度の意趣返しである。
「そ、それは、如何にして誘惑したのだ!?」
「えっ……そ、それは……」
机をバンと叩いて身を乗り出すアンジュ様。
思わぬ食いつきに身を反らし考えるも、よい返答が思い浮かばない。
「え、えっと……」
「それか!? その腋か!? 艶本を読んでいると、そのような嗜好の持ち主もおるようじゃからのぉ!」
「ちょ……こ、これは正式な服装なのです! アンジュ様が私を殿学士に任命した時にいただいたもの、ってお忘れなのですか?」
殿学士、殿試に合格した最高位の文官のみがなれる職務である。
その正式な女性用装具に誘惑の要素が入っているわけがない。どういう訳か、腋がしっかり見える服装ではあるが、通気性を考えたものでハクさんを誘惑するためなどというものでは決してないのだ。
「しかし、何だかいやらしいのじゃ……なるほど、ハクはそこが好きなのじゃな」
「なっ……」
アンジュ様の言葉にそうだったかなと夢想する。
そういえば、そんな感じのことをされたような気もする──とそこまで思い出してぼんと顔が熱くなった。
私も何を考えているのだ。ふるふると首を振って記憶を打ち消す。
しかし、未だじっと私の腋を見つめるアンジュ様の視線が何だかこそばゆい。
まるで見せてはいけないものを晒しているような気持ちになり、隠すように手で覆う。
「っ、あ、あまり見ないで欲しいのです」
「おお……なんじゃ、その艶本で見るかの如く見事な照れ顔は……女の身である余も鼓動が高鳴ってしまったぞ」
アンジュ様は勉強になると頷きながら酒を再び飲み始める。
今宵席を設けた兄さまと、アンジュ様より逃げ回るハクさんを思い、唇を噛む。
恨むのですよ、全く。
「で、余の服装も腋出しするとして」
「それは確定なのですね……」
「ハクにどう迫れば、余の気持ちに応えてもらえるかの?」
真っ赤な顔で問うアンジュ様ではあるが、その瞳は真剣そのものである。
本当にハクさんを想っているのであれば、アンジュ様は私の恋敵でもあるのだ。
ハクさんは最近ただでさえ遺跡巡りに精を出すなど一緒になれる時間が少ない。
特務大使の任を利用して、今や各国にいる女性陣の元に足繁く通うことも多い。特にトゥスクルに赴いた時などは寂しがり屋の姉さまが半年近く離さなかったこともあり、アトゥイ様とノスリ様が強引に連れ戻しに行ったほどだ。
今でさえそのような形なのに、アンジュ様の気持ちにハクさんが応えれば、その分私のために使える時間は減る。
「……」
しかし、目の前のアンジュ様は、かつて私がずっとハクさんに無意識にも恋い焦がれていた時の様子にそっくりで。
周囲がハクさんと恋仲になる中、自分だけが置いてけぼりになっている寂しさも感じているのだろう。
「ネコネ……協力してくれんかの……?」
不安げな目でこちらを見つめるアンジュ様に、ふうと一息ついて早々に折れた。
「……わかったのですよ」
「おお、流石はネコネ! 余の親愛なる友よ!」
机を飛び越え、ぎゅっと体を抱きしめられる。
ちゅっちゅと頬に酒臭い接吻が繰り出されるのに嫌な視線を返しながらも、ハクさんを射止めるための方策を考えだす。
ハクさんのことはよく知っている。
ハクさんは何だかんだ押しに弱い。逃げ場を無くせば自然と応えてくれることを。
たとえ、これでアンジュ様がハクさんを射止めても構わない。
誰よりも好き。その気持ちだけ誰にも負けなければいいのだ。
そう、胸の大きさよりも気持ちの大きさで勝負するのが良い女というものだ。
そして、アンジュ様とハクさんとの恋路に協力すると約束した──その翌日である。
アンジュ様が私を執務室へと呼び出し、そこでハクさんを落とすための方策について相談することとなった。
「これらの本を参考にしておるのじゃが……」
ばらばらと机にばらまかれ、数年間収集されてきたであろう堆く積まれた薄い本の数々に恐れ戦きながらも手に取りめくる。
「これなんて最高じゃろ?」
そう言われてぐふぐふとだらしない笑みを浮かべて指し示されたくんずほぐれつルルティエ様大興奮の男同士の睦言に冷や汗を垂らしながらも、アンジュ様にそうですねと感情の籠らない声で応える。
「それで、どれを参考にするのが良いかの?」
「あの……そも、こういう本は参考にならないと思うのですが」
きょとんとした様にこちらを見るアンジュ様。
何を言われているかわからないといった感じである。
「しかし、余はこういうものを参考に実践してきたのじゃ」
「じ、実践したのですか!?」
「うむ、これなんかがそうじゃの」
私の驚愕に反し、アンジュ様は事も無げにぱらぱらと本をめくり、ある頁を指し示す。
見れば、睡眠薬をお酒に入れて眠らせ部屋に連れ帰る描写のある本であった。
「クオンに頼んで睡眠薬を処方してもらっての」
「は、犯罪なのですよ」
聖上であるし相手がハクさんであるのでどうにも判断つかないが、これが民の中で行われているのであれば検非違使案件待ったなしである。
「他にも実践したのですか?」
「うむ……眠ったハクを連れ込んだ後はの、これを……」
「裸で布団に潜り込む……なんです、これ」
艶本には、布団を捲ると愛しい裸の恋人が潜り込んでいたという描写があった。勿論男同士である。
「ああ、それも駄目じゃった」
「ちょ、これもやったのですか!?」
「うむ……しかし、ウルゥルとサラァナがよくやるようでの。何の驚きも無く服を着せられたのじゃ……」
乾いた笑いで虚空を見つめるアンジュ様。
その光景を想うと、女性としての魅力が否定されたようにも思うだろうことは想像に難くない。
しかし、アンジュ様がハクさんに想いを伝えても応えてくれないと言っていたので、もっと可愛げのある好意を見せているのかと思っていたが、過激な艶本のせいで大分歪んだ好意の伝え方になってしまっているようだ。
これは、そもそもこういったものに頼らない方がいいことを伝えるべきだと思い、そう忠言する。
「あの……やっぱり、まずは、これらの艶本を参考にするのをやめるのがいいと思うのです」
「なっ……しかし、これは余の教育の土台を培ったものぞ」
「だから駄目なのです。ハクさんがこんな素敵な台詞を吐く男だと思うのですか?」
艶本の中で、ハクさんが絡み合う兄さまに向かって煌く瞳で囁く台詞を指さす。
「む……むぅ……」
「私だってハクさんにこんなこと言われたことないのです」
君の瞳に夢中だ、なんて言われたことはない。きっとこれから先も言われることは無い。
ハクさんのような女心のわからぬ唐変木から、こんな台詞が生まれるわけがないと断言する。言われたらそれはそれで鳥肌が立つ。
「む……そ、そこはほれ、想像の良さというか」
「アンジュ様のいう通りこれは想像。現実ではこんなのあり得ないのです。アンジュ様はアンジュ様自身の姿を見せればいいのです」
「余、自身……」
「はい。アンジュ様自身が想っていることをそのまま伝えれば、ハクさんにとっては一番魅力的なのです」
「むぅ……」
アンジュ様は悩むように口角を上げて腕を組んでいる。
まあ、私も相手はハクさんだけなので他者に教えられるほど恋愛に精通してはいないが、アンジュ様のそれは拗らせすぎであることは誰が見ても明らかである。
ここが正念場であると、悩めるアンジュ様にあれこれ助言を繰り返したのであった。
○ ○ ○ ○ ○
あれから様々な助言をし、アンジュ様は意気揚々とハクさんの元へ足繁く通い、純粋な想いを何度か伝えたり二人して仲良くどこかに出掛けたりしたそうである。
ちらりと街中で見た二人の様子としては、中々悪くないように思えた。まあ、昔から家族のように仲が良いと言われていた二人であるので、その仲の良さの方向性を変えるだけだったのかもしれない。
ハクさんもハクさんで、昔と変わらず朗らかな笑みを浮かべるアンジュ様のことが好きなのだろう。その笑みはアンジュ様と共に居る時間を心底楽しんでいるようにも思えた。
そうしてアンジュ様からの現状報告や相談事が減り暫くして、ハクさんの行方がわからないと兄さまより言われ、もしかすれば熱烈な好意を見せるアンジュ様より逃げた、もしくはまた無断で遺跡巡りをしているのではと返して数日後のことであった。
アンジュ様よりかつての料亭に呼び出され、二人して酒とつまみを楽しみつつ進捗を聞いた。
「それで、結局どうなったのですか?」
「うむ! ハクは余の気持ちに応えてくれたのじゃ!」
つやつやとした肌を見せるアンジュ様の笑顔には、もはや一切の陰りもない。
どうやら、叔父と姪の関係性から何とか進展することができたようだ。
少しばかりの嫉妬もあるが、それよりも先にアンジュ様の長年溜め込んだ気持ちが報われて私も嬉しかったのだろう。
ほっと胸を撫で下ろし、心から祝福の言葉を送る。
「それは良かったのです」
「うむ、ネコネにも色々世話になったのじゃ!」
アンジュ様の顔は実に晴れやかではあるが、以前相談を受けた身としてはその射止め方は気になるものだ。
「それで、どうやってハクさんとの関係性を深めたのですか?」
「うむ、最初は色々ネコネの言う通りにしてたんじゃが……やはり、ハクは思い悩んでしまっての」
「そうですか……」
ハクさんのアンジュ様に対する想いがどれだけ深いかは知らないが、やはりアンジュ様には皆とは違った特別な想いを持っているような気もする。
「……ハクさんは相変わらず不器用な人なのです」
私が過去にハクさんを好きだと告げた時もそうだった。
ハクさんの中で、私のような幼い者からの好意は、幼き心ゆえの勘違いであると仮説を立て、本当にその気持ちが確かであるか時間をかけて見抜こうとするのだ。
他の成熟した女性陣の心には比較的すぐに応えたが、私は幼い身なりであったが故に最後までその好意に応えることに躊躇している面があった。
きっとハクさんのことですから、アンジュ様だからこそ大事にしたい、特別扱いしたいという想いもあったのでしょうね。
「じゃから……暫く考えさせてほしいと言われての」
「そうですか……でも、ハクさんは答えを出したのですよね?」
先程のアンジュ様の笑顔からしても、断られたという感じではなさそうである。
そう安心して聞いたのだが、返ってきた答えは予想外のものであった。
「うむ、答えが出るまで待つと言ったのじゃ──この本を参考にしての」
「……はい?」
取りだされるは、緊縛の館と書かれた本である。
鎖に縛られた男をもう一人の男が苛めている様子が絵姿で描かれている。
「三日三晩縛って、答えが出るまで離さぬと常に一緒にいたのじゃ。最後には泣いて余の気持ちに応えると言ってくれたぞ!」
アンジュ様の表情には、それがとてもまずいことであることが理解できていない晴れやかな笑みが浮かんでいる。
「あの……兄さまから、最近ハクさんの姿が見えないと聞いていたのですが……」
「む? そうなのか、今も余の部屋にいるのじゃ。オシュトルにもそう伝えよ」
「は、はぁ……」
これは、助けに行った方がいいのだろうか。
アンジュ様の情操教育を担当していたのはムネチカ様である。ムネチカ様も恋愛には初心な様子が散見されていたので、そういった正しい恋愛事情というのを誰からも教えられなかったともいえる。
「ち、ちなみに……ハクさんとはその間どの程度のことを」
「ど、どの程度って……どういう意味じゃ」
アンジュ様はそんなことを聞かれるとは思っていなかったのだろう。
酒による赤みとはまた違った頬の染め方をし、俯きながら照れ始める。
「その……この本の通りに、や、やってしまったのですか?」
「う、うむ……ハクの頬にな? その、余から接吻をくれてやったのじゃ!」
「……? それだけですか?」
「そ、それだけとはなんじゃ! 物凄い進歩じゃぞ!」
これらの本を見習ってもっと色々してしまったのかと思ったが、そうではなかったようだ。
一先ず取り返しのつかないことになっていなくて安心するも、アンジュ様は頬への接吻だけでもかなり参ってしまっているようだ。
「ネコネの言う通りじゃった……これは参考にならぬ。艶本を眺めている時よりも心臓が痛い程に緊張したのじゃ……」
「そ、そうなのですか……」
ムネチカ様、恨みますよ。
きっと、碌な恋愛を教えなかったに違いない。そのせいで、こんなにも純粋なまま成長したとも言えるし、純粋な想いゆえの惨事が起こってしまったと言えよう。
戦乱が終わった後も、母さまのところにもっとアンジュ様を行かせるべきだったと後悔するとは。
しかし、ハクさんには常に鎖の巫が付従っている。
その二人をどう回避してハクさんを捕えたのだろうか。
「あの、ウルゥル様とサラァナ様は……」
「おお、あの二人も事前に相談したら快く協力してくれての。お蔭でハクもようやく折れてくれたのじゃ」
「……」
そういえば、あの二人は珍しく側室を増やすことに賛成の一派であった。
拒むどころか皇女さんの艶本教育によって歪んでしまった愛を受け入れて協力してしまうとは。
「それとの? 今度ハクと二人で仲良く悪党成敗の行脚に行くことにしたのじゃ!」
「そ、そうですか。それは良かったのです」
アンジュ様の笑みは輝いており、心の底から邪気の無い笑みである。
それは間違った手段ですよと忠臣故に伝えるべきか否か悩んでいると、更なる爆弾発言が落とされた。
「うむ、十年ほど戻ってこないつもりじゃから、後はよろしく頼むのじゃ」
さらりと言う年月にしてはとんでもない期間である。
思わず聞き間違いかと思って聞き返すも、アンジュ様はこれまで溜まった鬱憤から決意を翻すつもりは無さそうである。
「ちょ、それは、それだけは駄目なのです! 聖上といえども、看過できないのですよ!」
「な、なんじゃ、ネコネ。そう怒るでない」
「想いを伝えていいとは言いましたが、ハクさんを独り占めする権利はあげてないのですよ!」
不敬と言われども構わない。
あれこれ協力した手前言う権利はある。それに、女としての戦いに身分は関係ないのである。
まずはここでアンジュ様を何としてでも説得し、二人でエンナカムイにいる母さまのところに赴き、アンジュ様に正しい恋愛を学ばせるのが先だ。
母さまの情操教育をもってすれば、きっと歪んだアンジュ様の思考も元通りになって天下泰平の世が訪れるであろう。
愛しき男との時間を賭けて、アンジュ様と終わりなき言い争いを繰り広げたのだった。
ロスフラのアンジュ(ミト)は恰好良さが勝っている感じですが、この時空のアンジュ(ミト)さんはこんな感じの朗らか(?)な性格のまま成長した感じです。これはこれで。
今回の後日談内容については、活動報告やメッセージでも望む声があったのもありますが、本編(影とうたわれるもの)ではアンジュはヒロインレース遅れ気味という意見を頂き、確かにそうだなあと思ってこんな話を書きました。
本編完結後の気楽な後日談ifと言うことで一つお許しください。切腹は勘弁。
次話以降も、活動報告で案をくれている方の要望に順次応えていけたらなあとは思っております。
ただ、私の力量的に想像していた展開とは違う可能性もありますので、その点はご了承ください。