【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~ 作:しとしと
聖廟地下深く、父の施設まであと少しで辿り着く。
だが、一つ扉を開けるたびに、私の戸惑う心は大きくなっていた。
ハクが、父上の弟──私の叔父だと?
「馬鹿馬鹿しい」
口をついて出るのは、それを嘘だと切り捨て尚漏れる怨嗟の声。
「あり得ない。私が、私こそが……」
「ウォシス様……?」
配下の中でも最も重用している三人の少年兵。その内のシャスリカが心配そうに己を見やる。
痛みに右手の指先を見れば、強く噛んで血が流れてしまっている。冷静な思考を取り戻そうと自分の親指を噛んでいたようだった。
「御気分でも悪いのですか?」
「……大丈夫です。貴方達はただ黙って付従えば良いのです」
「はっ、申し訳ありません。ウォシス様」
「……」
ハクの言は、嘘だ。嘘の筈だ。
なぜこんなにも心が揺らぐ。思い返せばいくつか心当たりがあるからか。だが、何故父上は私に何も言ってくれなかったのか。もし言ってくれていたら──
「未来は変わっていた? 馬鹿な……」
それでも、自分が継ぐことが相応しい筈だ。
後から出てきた肉親よりも、我が子を優先するだろう。
ウィツアルネミテアすら納得させ、マスターキーを手にできたこともあり、自分には資格がある筈。
「父上に会いましょう」
「追っ手はどうなさいますか?」
「後ろを気にする必要はありません。こちらもミルージュ含め既に多くの手札を切りました。多少の時間は稼いでくれるでしょう」
「はっ」
トゥスクルのオンカミヤムカイへと直通するゲートは開けておく。
彼らが追ってくる場合もあるだろうが、それであれば己が遺産を継ぐ姿を見せつけてやる。その後は、この施設の機能を使えば何とでも撃退できる。
「そう、嘘の筈なのですから……」
何度も何度もそう呟き、父の元へと至る最後の分かれ道へと辿り着いた。
「来たのですね」
「……貴女が出迎えてくれるとは」
目の前に居たのはホノカ。
私の、母代わりであった筈の女である。
「こちらへ」
「父上のところに案内してくださるのですか?」
「ええ、我が君は……貴方にどうしても伝えたいことがあると」
私がここへ来るのがわかっていたかのような言葉である。
過るのはハクの言葉。
だが、もはや後戻りはできない。言われるがまま、少年兵を伴い父の元へと歩く。
そして──
「ウォシス……」
「ああ、父上……マスターキーはこの通り頂いてきましたよ」
「ハクは……あの者はどうしたのだ」
「……っ」
形だけでも私に労いの言葉をかけるより、ハクの心配が先なのか。
「今頃、私の部下と戦っていることでしょう。たとえ死んでいたとしても心配いりませんよ。あなたの実弟などと平気で嘘をつく輩です」
「……」
カプセルの中の父上は悲しげに俯き、深く息を吐くとその瞳をこちらへと向けた。
「それは……真実なのだ。ウォシスよ」
「……ハクが、父上の弟だということが……?」
「そうだ……」
「そうですか……では何故、私に何も言ってくださらなかったのですか?」
「……」
父上は苦しそうに唇を噛み、その理由を話した。
「お前には、お前自身の生を歩んでほしかった……余の跡など継がず、自由に……生きて」
「理由になっていませんよ」
「……お前を、愛しているからこそ、言えなかったのだ。他に後継者ができたからお前は要らぬなどと、そう勘違いされてしまうのではないかと……」
その不甲斐ない言い草に怒りが沸き上がり、握る拳に力が籠る。
その言葉足らずが、全ての原因であるというのに。まだ、言うのか。
「勘違い……? 現にそうではないですか! 真の後継者である者が見つかったから、実の息子を捨てた……それ以外に何があるというのですかッ!!」
「違う……違うのだ、ウォシス……」
「何が違うと? まだ正直に話してくれれば気が楽でしたでしょう。お前などもう不要だと……!」
感情のままにそう嘲れば、父上も、その傍にいるホノカも、その表情は硬く悲しみに満ちている。
たとえその言葉が本当であったとしても、私はもう取り返しのつかないところまで来ている。大いなる父として継ぐために、数多の犠牲を、罪を犯してきたのだ。
「そんなことを想ったことは無い……! ウォシス、ひとえにお前への愛ゆえの事なのだ」
「諄い!! 愛しているのなら、尚更私に継がせるべきでしょう! 大いなる父の全てを、何故私に背負わせぬのですか!」
「愛しているからこそ、言えぬのだ……愛しているからこそ、与えられぬのだ……許してくれ、ウォシス」
「はっ……愛、愛、愛……そんな不確かなもので、形になるものは何一つ与えてくれない……私が、そんなに信用ならないというのなら、私は無理にでも継ぐ! 私が、父上すらも超える真の──うたわれるものとなるのだッ!!」
父以上の、この世界の絶対的な支配者として永遠に君臨する。
父が認めぬと言うのなら、この星に生きる全ての者に認めさせてやる。そうすれば、父も私こそが遺産を継ぐに相応しいと考えなおすであろう。
手始めに行うは──
「っ! やめよ……お前には、それはできぬ……!」
「何と言われようと結構。そうまで言うのであれば、私は勝手に後を継ぎ功績でもって認めさせるだけです。まずは……同胞を殺せぬ貴方の代わりに、私が彼らを救って差し上げましょう」
見せつけるようにマスターキーを掲げ、父が大事そうに隔離しているかつての同胞達──タタリをパネルに映す。
これまで溜めに溜め込んだ膨大な量のタタリ。消滅させるにはこの施設のかなりのエネルギーを使わねばならないだろう。
制止する父の言葉を無視しながら、淡々とその実行プログラムを遂行していく。
「やめろ、やめるのだ……ウォシス。お前は、私の愛する息子、それで良いではないか……! お前を、心から愛しておるのだ!」
「では、黙って見ていることです。父上の愛する私が、偉大な父を──大いなる父、その後継者となる瞬間を!」
「やめよ……やめるのだ……ウォシス……!」
マスターキーを天高く掲げ、タタリへの抹殺命令を下そうとした時であった。
「ウォシス……貴方は──なのですよ」
「!? ホノカ……!?」
今までずっと成り行きを見つめていたホノカが、そう口にした。
その言葉の意味がわからず、思わず問い返した。
「……聞こえませんでしたね。今、何と?」
「聞かなくて良い! ホノカ、それだけは、言ってはならぬ……!」
「いえ、我が君……貴方の意に添わぬ私をお許しください。私達が彼を愛しているからこそ、伝えねばならないのです」
「ホノカ……!」
父の表情は驚愕に満ちていた。
きっと、これまでホノカが父の命に背いたことは無いのだろう。ホノカは燦然たる決意の表情でそれを口にした。
「大いなる意志に、私も娘の為に逆らいたくなったのです、何卒お許しください。もう一度言いましょう……ウォシス、あなたは主上の遺伝子より造られた──クローンなのですよ」
「……っ! 私が……父の……クローン……?」
衝撃に、呂律が回らない。
そんな、筈は無い。
だって、大いなる父の歴史も、知識も、御業も、私は知っているから。
だって、父はそんなこと一度も私に言わなかったもの。
だって、ホノカも、そんなこと一度も僕に言わなかったもの。
だって、部下は必ずボクに従ったもの。だって、命すら、ぼくに預けてくれたもの。
その言葉の意味が脳の奥深くに届き始め、思考が絶望に染まり、生まれる言葉は退化していく。
しかし、それを否定するは目の前にいる者の言葉。
だって、ぼくを愛してくれているって言った──
──愛しているからこそ、言えぬのだ。
父の言葉の真の意味を理解しかけ──それを全力で否定した。
「うそだ……うそだ、嘘だっ、嘘だっ! 嘘……そうでしょう? 父上……?」
「ウォシス様……?」
自らの動揺に、子どものように問いかける。部下の三人の戸惑いも気にすることもできない。
ただ、そうではないと言って欲しかった。私は同じ血を分けた子どもだと証明をして欲しかった。
「……」
しかし、目の前にいる父の表情は、愛深き悲しみに満ちた顔。
「ウォシス。それでも、私はお前を──!」
「……信じないッ! 信じられるものかッ!」
「ウォシス……」
「っ……そうだ、これなら……!」
痛い程に握りしめたマスターキー、これがあれば、全てわかる。
これであれば、私の見たかった真実を教えてくれる。
「た、タタリを、殺せっ! 消滅させろ! 私が、大いなる父!! 真の後継者! うたわれるもの、その人だと証明を──」
その指示は直ちに遂行され、地下深く溜め込まれた無数のタタリは電磁波で対消滅する予定であった。しかし──
「エラー、エラー、権限がありません。貴方は、クローンです」
「な……に……?」
その言葉を聞いたとき、真なる絶望が己を襲う。
──兄貴に真実を語ってもらえ。
ハクの言葉と表情が脳裏に過る。その真の意味を知る。
奴は知っていたのだ、だがあえてそれを言わなかった。
そして、父も──いや、もはや本当の父ではない。
私は、何をしていたのだ。
父上の試作品はハクではない。私こそが、父上の試作品。ただの紛い物──
己の絶望は、深く深く止めどなく暗い闇へと墜ちていく。
力の入らない指先が、からんとマスターキーを手落とし、ころころと転がっていく。
その先を視線で追うことも、警告に響く赤ランプとエラー音も、己の名を叫ぶ部下の声も、もはや己の目と耳には届かなかった。
○ ○ ○ ○ ○
ゲートを潜った先には、敵影は無かった。
しかし、施設内に響くエラー音と赤いランプ。何か良くないことが起こっていると己の直感が訴えた。
「っ! 皆、急ぐぞ!」
「「「応!」」」
ウルゥルとサラァナの道案内により、徐々に見覚えのある景色が見えていく。
仲間の皆は走りながらも、地下に外の風景があるかのような光景や、見慣れぬ機械の壁に戸惑うも、それを一つずつ説明している暇も無い。
兄貴──無事でいてくれ!
マスターキーによるものだろう。全ての扉は鍵も無く空け放たれ、その進路が明確であった。
そして、兄貴のカプセルが浮かぶ部屋へと辿り着いたそこには──
「兄貴!」
「な……前帝……!?」
「お、お父上……? ホノカ……? 生きて……!」
「おお……ハク……不甲斐なき兄で、本当にすまぬ……余の言葉は、ウォシスには届かなかった……」
そのカプセルの中に浮かぶその姿を見て、各々は驚きに包まれる。特に皇女さんの驚き様はとてつもなかった。
「……奴はどこだ? む……!」
オシュトルやミカヅチは仮面の細工について諸々知っている手前、帝やホノカさんの存命に薄らと気づいていたのだろう。動揺少なく、我らが最も警戒する男へと視線を向けていた。
その視線が捉えた先は、絶望の表情で伏しているウォシスの姿であった。
兄貴はクローンである事を喋ったのか。いや、兄貴は先程届かなかったと言った。
つまり──
「エラー、エラー、命令実行不可能。補助機能消失、隔離施設一部破損」
「これは……! タタリを解放したのか!?」
「すまぬ……ウォシスが余の代わりに、彼らを消滅させようとしたのだ……しかし」
データパネルを見れば、現在の状況が記されている。
ウォシスはきっとマスターキーを使ってタタリ消滅プログラムを遂行したのだ。しかし、最後の電磁照射するプログラムにおいて権限が足りず、エネルギーを集めるだけ集めただけ。
その結果消滅せず、エネルギーを他所に集めた結果、タタリを捕える防御機構が破損し、タタリが漏れ始めているということか。
「こ、これはタタリなのですか?」
「何と……これほどの数が……」
パネルに移されたタタリの現状に、皆が驚きの声を上げる。
いくらマスターキーといえども、データに登録されている大いなる父のみ扱えるというだけのこと。遺伝子操作されたクローンでは、その最高権限に届かなかっのだろう。
故に──
「──おいおい! このままじゃ、帝都に漏れるぞ!」
「すまぬ……余の」
「後悔は後だ! どうすればいい……っ、これは!」
絶望したウォシスが力無く落としたのだろう。
マスターキーがその存在を示すが如く地に転がっていた。
ウォシスにはできなくとも、自分の権限なら足りる筈。
「おい! 今からタタリ消滅を実行する!」
「エラー、再装填必要。出力が十分ではありません」
であれば、このままタタリを放置すれば、民にどう犠牲が出るのかどうか調べ、対策を考える必要がある。
「くっ……なら、被害状況を算出しろ!」
「タタリ、タンパク質を取り込み体積を膨張させる習性あり……地上に残存するデコイ人口と動植物より計算中……一月後にヤマト全土を覆います」
「な……!?」
仲間はただ自分とAIのやりとりを唖然と眺めるだけで戸惑い、意味がわからぬとキウルが質問してくる。
「ど、どういうことなんですか? ハクさん!」
「……ここは、帝都の地下なんだ。そして、このタタリ全てが、地下にある存在……それが、今から地上に溢れ出る」
「な……! こ、この数のタタリが、ですか?」
仲間たちの顔に見えるは絶望である。
しかし、これ以上詳しく説明している暇も無い。何か方法が無いのか。
「……防ぐ方法は?」
「一時間以内でのアマテラス照射を提案します」
「……アマテラス、だと」
宇宙に浮かぶ、天候操作衛星。
地形を容易く変え得る高出力照射を実現した、人類の最高傑作──そして人類の滅びの象徴でもある。
そんなものを照射すれば、帝都はタタリ毎尽く破壊し尽くされるであろう。
それどころか、今後の天候に影響し核の冬が来る筈だ。
短期的にも長期的にもどれだけ民に被害を齎すか、そして照射すればここにいる奴は全員死ぬことになる。
絶望の中、しかし立ち止まっていることすらできない。
「申し訳ありません。ハクさま……私の言葉では、大いなる意志は止められませんでした……」
「ホノカさん……」
悲し気に俯く兄貴とホノカさんへと目線を送る。
ホノカさんやウルトリィの言う、大いなる意志が待っているとはこれのことだったのだろうか。そうであれば、こんな運命があってたまるか。
諦めきれず深い絶望から足掻くように、何か他に策が無いか手段を調べる。
そして再びパネルを見上げればそこには奇妙な画面が映っていた。
「算出にエラー。タタリ被害想定について、再計算中」
「……?」
「全体の膨張率、前結果より推定60%減……55%減……50%減」
「は……?」
急にどうしたというのだ。
兄貴が溜め込んだあれだけの膨大なタタリの量である。あの場に居る何も知らない民に何かできるとも思えない。
地下よりタタリが溢れて来るなど何よりの想定外であろう。
発見が遅れ、すぐさま襲われ、恐慌状態のままその膨張は果てしない速度となる筈であった。
しかし、現に膨張率は下がっている。その原因は──
「……その結果は、どこから算出した?」
「衛星より、算出要因特定。映像出します」
「!! そうか……ったく、やってくれる……!」
そこにいたのは、かつてこのヤマト全土に戦乱を齎した、神速を誇る英雄であった。
○ ○ ○ ○ ○
時は少し遡る。
ライコウは、今日もまたシチーリヤが囚われている聖廟地下深くの牢へと足を運んでいた。
「……また、来たのですか、ライコウ様」
「ああ、俺に恭順する気は起きたか、シチーリヤ」
牢の中でシチーリヤは余り満足に食べていないのだろう。
痩せ細り、来る死を受け入れているようでもあった。
「黒幕はウォシスだった。何故、そこまで奴に忠誠を誓う?」
「……ライコウ様にはわかりません」
「……」
黒幕の正体がウォシスと分かった手前、シチーリヤに聞くべきことはもう無い。
つまりは生かしておく必要はない存在であった。
しかし──
「お前は、俺が嘆願して生き存えさせてもらっている身だ。早々によい返事を貰わねば、俺であってももはや庇いきれぬ」
「……」
シチーリヤの軍務能力は高く買っている。
これまで戦乱を側で補佐してきた物は数多くいたが、シチーリヤを超える処理能力を持った人材には心当たりが無い。
故にこうして裏切りを示唆するも、シチーリヤの首は一向に動かない。
「そうか……また来る」
思い出すは、ハクの人たらし技。
この俺さえも説得し、仲間に引き入れた手腕。シチーリヤの心一つ動かせぬとは、己にその御業が無いことを嘆いた。
そこまで想い、自分に対して嘲笑を浮かべる。
「ふん……」
ライコウは己の変化に戸惑っていた。
本来の自分であれば、恭順せぬ者など傍に置くことは無い。まして、言葉による説得などすることもない。
外堀を埋め、絶対に従わねばならぬよう誘導するだけだ。そしてそれさえも無理であれば洗脳するか殺す──その筈であった。
助けにも来ないウォシスに忠誠を誓い、自分の手練手管が通じぬ相手であるシチーリヤを、毎日毎日足繁く通い説得するなど、自分らしくない行為である。
「この俺が……ハクに、絆されたか」
その心の変化を、悔やむことは無い。
これはこれで、自分に無かった良い変化でもあると思っていた。そして仕事に戻ろうと牢の扉を潜ろうとした時──その声は聞こえた。
「──た、タタリだ! タタリが出たぞ!!」
牢の更に地下深くを監視していた衛兵が恐れ戦く様に走り去っていく。
その内の一人を呼び止め状況を説明させる。
「どうした」
「こ、これはライコウ様! 早くお逃げ下さい!! 地下の排水路よりタタリが溢れ出しているのです!」
「何だと……?」
地下牢は罪人が脱しても見渡せるよう中央が空洞となっており、廊下より眺めれば最下層が見える構造となっている。
廊下に出て、確かめるように地の底を見れば、赤く蠢くタタリの姿。
それも膨大な量である。収容されていた罪人やネズミ共を喰い膨張しているのだろう、その膨張速度は尋常ではない。このまま膨張させれば民への被害は避けられぬだろう。いや、それどころか──
「……奴らがいない間にこのような惨事が起こるとはな」
冷静にこの後の展開を考え、まずは報告であると地下牢傍に置いていた通信兵に、マロロへと伝令を行う。
「どうしたでおじゃるか? ライコウ殿」
「マロロ、牢からタタリが出た。それも尋常ではない数の可能性がある」
「な……なんと!? そ、それはどれほどの……」
「推定被害はわからぬが……他水路より帝都地上に溢れ出る可能性もある。万一の場合を考え、全市民を早急に避難させる必要がある。わかるな?」
「……わかったでおじゃる。直ちに緊急事態宣言を出すでおじゃる!」
そして、再びシチーリヤの牢の中へ。
あの速度、直にここも飲みこまれる筈だ。
「──シチーリヤ」
「?」
「俺と共に生きるか、それともウォシスを信じここで果てるか……どちらか選べ」
最後通牒のようにそう言い、手を差し伸べる。
シチーリヤは、迷った末にその手を取ろうとし──力無く地へと落とした。
「……行けません」
「……そうか、お前の忠誠はそこまでのものか……わかった」
であれば、もはや俺にできることはない。
かちゃりとシチーリヤの鍵を外し、何も言わず背を向けた。シチーリヤの戸惑いを受けた声が耳に届く。
「な、何故……?」
「自由に生きるがいい。俺は、タタリを食い止めるために動く。罪人一人いなくなったところで誰も構うまい……」
「……」
そう言い、帝の愛した民の犠牲を避けるため一刻も早く動こうと前に進み出たときである。
「何故……私を気にかけるのですか?」
「……俺が通信兵を扱う際は、お前が傍に居る時が……一番調子が良い。それだけだ」
「……」
シチーリヤはすっと己の傍へと立ち、今までにない弱弱しい瞳を俺へと向けた。
「私は……見捨てられたのです。こんな私でも……良いのですか?」
「ああ、お前しかいない」
シチーリヤが目を瞑って考えるは、一瞬のことであった。
再び目を開ければ、そこはかつてない決意の表情が浮かんでいた。
「──ライコウ様! 私に指示を!」
「ふ……まずは通信兵を招集する。時間を稼ぐためにここの衛兵への指示は頼む。タタリは鉄や炎で道を塞げば幾許か凌げるはずだ」
「わかりました! 皆さん、こちらへ!」
シチーリヤの指令に衛兵がよろしいのですかと確認を取る。
このような時のため、非常時にハクから全権の一部を譲渡する案を通しておいて良かった。
「今は非常時だ。ハクに代わって将としての一部権利を得る。今は俺とシチーリヤに従え」
「はっ!」
「膨張させる餌を与えないよう、罪人を解放しなさい! 武器や鎖をタタリの進路に積み、消化と進行を遅らせるのです!」
「「「はっ!」」」
シチーリヤが時間を稼いでいる間、ヤマト帝都に配置する通信兵の回路を繋ぎ直すため、マロロへと通信を送る。
「マロロ、俺に通信兵の全権を渡せ」
「あいわかったでおじゃる!」
とんでもない要求である筈だが、マロロの疑い無き返事。
マロロは俺を敵と思っていた分難儀するかと思ったのだが。
「……俺を信用するのか?」
「マロが信頼するのは……お主を信じたハク殿、そしてお主の手腕でおじゃる」
「そうか、ではその信頼に応えねばな──神速の用兵術、発揮するは戦だけではないことを証明してやる」
「頼んだでおじゃる! こちらは民の避難誘導にかかるでおじゃる!」
マロロの許可は得た。後は──
「全通信兵に回路を繋げ、タタリを誘導する道を作る。シチーリヤ!」
「はっ!」
衛兵に指示を出すシチーリヤを呼び戻し、次なる指示を下した。
「通信兵の組織図はあの決戦以降変わってはいない。纏められるな?」
「はい、お任せください!」
「よし、全ての通信兵が繋がり次第、各門の大筒を直ちに起動せよ」
「はっ!!」
伝令兵とシチーリヤに任せ乍ら、衛兵に現状を報告させる。
「時間稼ぎはどうだ?」
「はっ、既に下部より二層は埋もれてしまっています!」
「焼け石に水であろうが、足止めを続けろ。五層まで膨張すれば牢の全てに火を放ち逃げよ」
「はっ!」
俺もここにはいられない。
ヤマトで最も地下深い場所がこことは言え、他の排水路より漏れ出ている可能性もある。
外に出て指示を出さねばならんだろう。
「こ、これは何の騒ぎでありますか!! んな!? た、タタリ!」
牢を上へと昇って入れば、今頃気づいたのか下層より聞き慣れた声がする。
この声はボコイナンテか──そうか、牢の食事管理は奴が担当していたのだったな。
「うぎゃああ! え、エントゥア殿ぉぉお!」
この悲鳴は──呑み込まれたか。
エントゥアは悲しむだろうが、仕方があるまい。そう思って最後に下を見れば、そこには思わぬ光景が広がっていた。
「で、デコポンポ様……! 私を守ってくださったのですか!?」
「にゃぶ! にゃぶぶぶぶッ!!」
「うっうっ……デコポンポ様! 私も共にありますぞォ!」
ボコイナンテを襲おうとしたタタリを、もはや動かぬ存在であった改造デコポンポがその打撃で以ってタタリを霧散させている。
ボコイナンテも覚悟を決めたのだろう。駆け回る衛兵とともにタタリを抑え始めた。
「ふ……奴らも時には役に立つではないか」
他にも見れば、衛兵も牢にいる罪人の解放までは手が届かなかったのだろう。
しかし、他の罪人を見捨てられぬと一人の罪人が鍵を持って皆を救出している。紫の服でモズヌと呼ばれる男だった。
最後にはマロロの父と祖父を抱えて逃げている。罪人にしておくには勿体無い良き男だ、覚えておこう。
「シチーリヤ、どうだ」
「たった今、帝都にいる全通信兵に繋ぎました! 指令、出せます!」
「よし」
タタリ、奴らは肉を糧にその体積を膨張させると一部報告では聞いている。
地下の鼠等の肉がどの程度か、またどれだけのタタリが存在していたのか、それはわからぬが常に最悪の想定をして動いた方が良いだろう。
「作戦を通達──タタリを東門より近場の竪穴遺跡へと誘導する。現ヤマトに駐留している将、ゲンホウ、ソヤンケクル、イラワジは配下と検非違使を伴い、全市民を西、南地区より外、川向こうへと避難させよ。マロロ配下の火神部隊は、避難の終わった東地区以外の建築物に火を放ち、道に鉄や武器を敷き詰めよ」
考えた作戦は、タタリの誘導である。
タタリについて聞いている生態において、奴らに一定の行動原理は無い筈。故に、膨張する材料である物質を焼き祓い、その灰と鉄で壁を作り、地下より湧き出たタタリを膨張させぬまま市民の少ない東区へと誘導する。更に拡大する場合は、その先にある底の深い遺跡まで誘導する手筈である。
かなり分の悪い賭けではあるが、これ以外に民の犠牲を最小限にする方策は無いのだ。
──絶望にもがいている暇はない。足掻けるうちは、足掻き続けねばな。
「現オシュトル軍にいる元俺の配下達には、大筒の使用許可を出す。各門よりタタリに向けて放ち、その肉を霧散させよ」
「帝都に向かって、大筒を使うのですか?」
「そうだ。タタリの進路を東へ誘導させるように撃てれば尚良い」
「了解しました! 伝令、聞こえましたね! 以前大筒担当をしていた者を中心に、弾、火薬の運搬と砲撃を連携して打ち込みなさい!」
「現在、指令待ちの軍兵は、各事交戦せずタタリに取り込まれることだけは避けよ。武器を投げつける、道に敷くなどして避難誘導の補助を行え」
「はっ、指示を各将兵に伝達、急いで!」
「ライコウ様! ここはもう危険です! お逃げを!」
下を見れば、四層までタタリは届き得た。
この深き地下牢でこの規模と量であれば、俺が地下牢にて早々に気付いていなければ確実に帝都全てを呑み込んでいたであろう。
「各自、迅速に実行せよ」
シチーリヤと共に牢を出る。
シチーリヤが必死に繋ぐ各通信兵から齎される情報に個々に指令を返しながら帝都を歩く。
「皆さん、避難してください!!」
遠く離れた門から大筒が重々しく動く音、そして兵達が慌てて市民を誘導し、動けぬ者は抱え、西門と南門より非難する姿が見られた。
「各門の大筒だけでは足りぬな。実験中の試作筒を試す」
「試作筒、ですか?」
「ああ、第十三通信兵に繋げ」
「はっ!」
「工作部隊、大筒試作機を出せ。南門と西門より避難する民を守るため、個々で動かしタタリに放て。動かぬ場合は家屋倒壊によるタタリの進路妨害を狙い、爆薬として使え」
大筒の小型化には難儀しており、多少の小型化には成功したが未だ小回りも効かず試行回数は少ない。暴発の可能性もあるが、致しかたない。
「ふ……」
しかし、考えれば考えるほどに脅威成る厄災を前に、浮かぶは笑み──
「ライコウ様……?」
「流石、良い展開速度だ。そのまま頼むぞ、シチーリヤ」
「! ……はい!」
隣にシチーリヤを置く安心感。他の者ではこうはいかぬ。
──さあ、鈍重なるタタリよ。
我は神速のライコウ。
貴様らの膨張速度と、我が歴戦の通信部隊の練度、どちらが上か試そうではないか。
○ ○ ○ ○ ○
「──膨張速度、40%……再計算中……38%……再計算中……」
AIすら戸惑うライコウの神速の用兵術。
あの大筒を外敵ではなく帝都に向けて放つなど前代未聞の策である。
しかし、あのライコウはそれを成した。そしてタタリ対応には全権を託し、己は避難誘導を迅速に行うマロロ。
組んだことが初めてとは思えぬ程に連携が取れている。
采配師同士、何か感じられるものがあるのかもしれない。
「再計算中……」
「被害状況の計算はもういい。地下施設内でタタリを誘導。ここに溢れないようにしてくれ」
「指示を実行。各シャッター展開します……」
「後、この規模のタタリを集束させるための方法を探してくれ。アマテラス以外でな」
「指示を実行中……実現可能な方法を検索中……時間がかかります」
「ああ、待ってるよ」
そう指示を出し、ひとまずはアマテラス照射の危機が去ったことをほっと一息つく。
現場は大変だろうが、後は帝都を白磁の大橋で用いたような技術で、帝都を壁で囲み再誘導などの対策のしようもあるかもしれない。
「兄貴、あんたの見定めた将のおかげで、一先ずは事なきを得たみたいだぞ」
「ああ……皆の者、すまなかった……」
そこでようやく、兄貴やホノカさんと皆が対面する。
先程からずっと気になっていたのだろう。皇女さんが飛び出すように兄貴へと駆け寄った。
「お父上!」
「アンジュ……すまぬな。お前にも苦労をかけた……」
「何故、何故言ってくださらなかったのじゃ……お父上ぇ……!」
カプセル越しにさめざめと泣く皇女さんを慈愛の笑みで見つめる兄貴。
会う訳にはいかないだなんだ言って、結局会いたかったんだなあ。
「オシュトル、それにハクの仲間たち……アンジュを支えてくれて、礼のしようもない……」
「勿体無きお言葉であります」
「……」
オシュトルは深々と礼を示すが、ミカヅチは一度皇女さんを裏切った手前応答するかどうか迷ったのだろう。
しかし、兄貴はそれすらも許すとミカヅチに声をかけた。
「気にすることはない。ミカヅチよ……其方は、余の愛した民を守るためであったのだろう?」
「はっ……」
「良いのだ。ハクからも聞き及んでおる。ライコウもお主も……其方らが、余の忠臣であったことは変わらぬ」
「……愛しき御方。姫殿下の才を見抜けなかった、我らの咎をお許しになられると」
「うむ……もし余の最後の命を聞いてもらえるのであれば……これからも、余の娘を、アンジュを頼む」
「はっ、既に忠誠を誓った身ではありますが……改めてこの身命を以って、永遠に御守りさせていただきまする」
面会は終わった。
余り長々と話していると、自分が帝の弟で大いなる父ってばれてしまう。
「それで、あの……ハクさんは前帝のことを兄貴と呼んでいましたがどういう……それに、なぜこのような未知の力を扱えるのですか?」
「うっ……!」
オウギやヤクトワルトは察していながらも気にしないフリをしてくれていたのだが、相変わらず空気を読まないキウルがそれについて問うてくる。
「そうだぞ、ハク! 前帝に兄貴などと軽々しく……ん? 兄貴……弟?」
キウルの言葉に乗っかって憤慨するノスリ。
ただ、ノスリの場合は発した己の言葉を振り返り真実に辿り着きそうだったので、慌てて嘘っぱちを言ってその場を誤魔化した。
「いや、その、だな! 鎖の巫を賜ってから仲良くなってな。義兄弟というか兄貴と呼んで慕ってるんだよ。この装置もその時に色々教えてもらってな。な、な! そうだろ、兄貴!」
「う……うむ」
「……」
しかし、未だ自分が無理に誤魔化していると睨んでいるのか、説明責任があるぞという視線を向ける者は多い。
「そうじゃったのか? お父上」
「う、うむ……そうなのだ」
「しかしだな……」
「まあ、皆の者、良いではないか。ハクはハク、それ以外の何者でも無かろう」
「そうだな、オシュトルの旦那の言う通りじゃない」
「ハクさんはどうでもいいことはよく喋りますが、大事なことは何も言ってくれない酷い人なのです。それに、別にハクさんの正体が分かったところで何か変わる訳でもないのです」
自分の知られたくない想いにいち早く気づいて庇ってくれるオシュトルやヤクトワルト、それに少し言葉に棘があるも一応庇ってくれているネコネに心の中で感謝する。
しかし、ノスリは隠し事をされているのが気に喰わんのか、疑惑の視線は変わらなかった。
「むぅ……」
「そうですね、姉上は……もしハクさんが前帝の実の弟で、現人神と呼ばれる存在であったとすれば、どうしますか?」
「なっ、そ、そうなのか?」
「もし、ですよ。姉上はハクさんへの態度を変えたりするのですか?」
「……」
オウギ、もう全部知ってる奴の口調だろう、それ。
大体の者には既に全部ばれてしまっていることがわかってしまったが、そのオウギの言葉に同調する者は多かった。
「わ、私は、ハクさまだから、今までもその、付いて来ましたから……」
「そうね、ルルティエ。ハク様はハク様自身の力で功績を立てて英雄にのし上がったのだもの。今頃高貴な血統と言われてもピンときませんわね」
ルルティエやシスの気づいていながらも齎される嬉しい言葉。それに続いたのはアトゥイだった。
「ウチも別にどっちでもいいぇ。おにーさんに敬語使うの嫌やしなぁ」
「お前はもっと自分を慕え」
自分に敬語を使いたくないから見てみぬフリするってどんな理由だよ。
「むぅ……確かに、ハクの評価が変わる訳ではない、な」
「ええ、そうですよ。姉上」
そこで皆の中で一段落ついたのだろう。
緊急時とは言え、兄貴って呼んだり、AIと色々やりとりした手前、もうばれてしまって皆の態度が余所余所しいものに変わってしまうかと危惧したが、そうではなかったようだ。
こうして、自分そのものを認めてくれる言葉は嬉しかった。
自分への追求が終わったので、今度はこのタタリ騒動を引き起こした張本人を糾弾することとする。
いくら話が拗れたとはいえ、こんな強硬手段を取ったウォシスをとっちめてやらねばならん。
「さて、じゃあ次はウォシスを……ん?」
そう思い先程ウォシスが絶望に沈んでいた場所へと目を向けたが──
「──おい、ウォシスは、どこに行った?」
「……」
「兄貴?」
「すまぬ……余も、わからぬ」
度重なるエラー音と、赤く暗く点滅していた屋内である。
そして、誰もがパネルに映るタタリと帝都の行く末に注視していたこともある。
現状タタリが施設内に溢れていることもあり、迂闊に外に出ればタタリに襲われる可能性もあった。
そんな状況であるためか、誰もウォシスが動くとは思っていなかったのだろう。それに乗じて、少年兵と共にその姿を消していた。
まあ、でも構わん。ここの機能を使えばどこにいるかは一目瞭然である。
「……検索と平行して、ウォシスの居場所を探ってくれ」
「指示を実行……施設内を探索中……確認できません」
「何? じゃあ、どこに……って、おい、まさか……!」
「展開中のゲート、利用記録あり。行き先は──」
──トゥスクル。オンカミヤムカイ地下の社だと。
こんなバカ話をしている場合では無かったことに気付き、その背筋をぞっと冷たいものが走る。
そこには──クオンがいるのだ。
まだ、ウォシスは諦めていない。
奴の絶望は、まだ終わっていなかったのだ。奴は、絶望に代わる何かを取り戻そうと足掻き始めた。
それは、止めねばならないことだと警鐘を鳴らしている。とてつもない、何か──
「「大いなる意志……」」
ウルゥルとサラァナが真っ青な表情で呟く。その言葉の意味にはっとしてホノカさんを見た。
ホノカさんもまた、その言葉の意味に唇を噛み締め、戸惑うように視線を落としている。
「大いなる意志……こうなることを、知っていたのか?」
「いえ……私には、具体的な道筋はわかりません。それを止めるための術も……ただ、ハク様……貴方にある選択が迫っていることだけは、わかります」
「ある、選択……?」
「はい……それ以上は、私には……力になれず、申し訳ありません」
悲し気に視線を落とすホノカさん。
このまま追求しても、ホノカさんから答えがもらえることは無い。であれば、今できる事は再びウォシスを追うこと──
──同胞ヨ……。
「ぐっ……!?」
「な、何だ、この声は……!」
「き、気持ち悪いのです……!」
酷い頭痛。そして、頭の中に響く声。
それは、自分にだけ聞こえる声では無かったようだ。
周囲の皆もまた、その声に戸惑いを覚えている。
──何が、何が起きているんだ。大いなる意志とは、何なんだ。
絶望は、まだ過ぎ去っていない。
この絶望から抜け出すためには、まだ一手足掻かねばならないことだけは、理解できた。
ウォシス配下の中では確実に最人気キャラであろうシチーリヤ。
ミルージュには申し訳ないが、この作品ではシチーリヤだけでも救えて良かった。
シチーリヤ、ライコウとお幸せにね。