【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~ 作:しとしと
──気まずいなあ。
ソヤンケクル操船による、トゥスクルへの航路。
そしてトゥスクル港から都への道中を体現する感想は、それに尽きた。
「「「「「「……」」」」」」
その気まずさがどこから来るのかというと、馬車に乗り合わせたその面子に原因があるのである。
砂利道で揺れる馬車の中、周囲に並ぶ面々を見れば、結婚してあげてもいいですよと言ったネコネの他、酒に酔っていたとはいえ自分の嫁に立候補したり、色々好意を漏らしたりした女性陣がいた。
具体的に名前を挙げると、ウルゥルとサラァナは当然として、クオン、ネコネ、皇女さん、ムネチカ、アトゥイ、ノスリ、ルルティエ、シス、フミルィル、エントゥアの面々が黙ってじっとこちらを無言で見つめてくるのである。
「……」
宴で彼女達の好意に応えることなく恍けた結果、その場しのぎにはなった。
その後も、酒と暴力の結果宴のことはあまり覚えていないとは言ったのだが、彼女達が納得する訳も無く。こうして自分を中心に互いに牽制し合っているのである。
「久しぶりにお姉さま達に会えると思うと嬉しいですね。ねっ、クーちゃん」
「そ、そうだね、フミルィル……」
まあ、フミルィルみたいにニコニコしてクオンと話す者もいるが。しかし、自分に誰かが積極的に話しかけてくることは無い。
──胃に穴が開きそうだ。
胃痛に冷や汗を垂らしながら、違う馬車に乗った面子を羨ましく思い、そちらを見やる。
その視線に応えるかのように、呑気でお気楽な声が聞こえてきた。
「おー、かわがきれいだぞ」
「シノノンちゃん、あんまり乗り上げると危ないよ」
「前に来たときも思ったが、街道の側も自然豊かというか森が濃いところじゃない」
「そうですね。イズルハにも似たような森は多いですが、ここは更に入り組んでいるようですから」
「ふむ……某は初めてトゥスクルに赴いたが、成程確かにこれはデコポンポでは難儀したであろうな」
「兄者であっても難しいと言わしめたからな。ヤマトとの立地の違いはやはり大きい」
いいなあ。向こうに行きたい。
向こうの馬車の面々は、シノノン、キウル、ヤクトワルト、オウギ、オシュトル、ミカヅチが搭乗しているのである。
つまり、自分以外の男性陣とシノノンは全員あっちである。それ以外の女性陣は全員こっちである。
もし時を戻せるのであれば、トゥスクルで用意された馬車に自分が真っ先に乗ったことを阻止したい。
自分が最初に乗ったことを確認した後、後続に続いた者によって何故かこういう配置になってしまったのだ。
「……」
視線を感じ、ちらとネコネを見れば、目が合うと思ってなかったのだろう。慌てて視線を足元に戻した。
ネコネは彼女達の中で最も好意を発した手前、こうして目を合わすと照れるように視線を反らされるのだ。
そして──
「……やっぱり、覚えてるんやないけ?」
「い、いや、何のことかわからんな」
酒に酔ったアトゥイに顔を殴られたために宴の記憶が無い設定が嘘であると見抜かれないよう、アトゥイの疑惑の視線を躱しながら必死に弁護する。
──ああ、気まずいなあ。
トゥスクルへの友好を示すためにもオシュトルや皇女さんが着いてくることはわかる。
案内の為にクオンやウルゥルとサラァナがいるのもわかる。故郷だからフミルィルがいるのもわかる。
しかし、他の皆は何故こんなにも自然についてくるのか。
──マロロ、お前に会いたいよ。
帝都が蛻の空になることを恐れ、今はマロロが代替の総大将を務めてくれている。補佐はゲンホウとソヤンケクル、そしてライコウであるからして、ウォシスがトゥスクルに狙いを定めている間は大丈夫だろう。
ライコウ自慢の通信兵達もそっくりそのまま残しているので、いざという時の外敵にも備えられる。
しかし、マロロがいればまたこの雰囲気も違ったんだがなあ。
その気まずさは、トゥスクルからの迎えの使者が来たことによって、少し霧散する。
しかし、それまではこの無言の空間で一人肝を冷やしていたのだった。
○ ○ ○ ○ ○
トゥスクルの都まであと少しという関所でのことである。
都から迎えの者が来るというので、一度馬車から降りて待つこととなった。緊張のためか固まった背を伸ばし待っていると、何者かに肩を叩かれ振り返る。
そこには──
「──ハクちゃん! 久しぶり!」
「おひさ」
「あんたらは確か……以前使節団として来た、アルルゥとカミュ……だったか?」
アルルゥは森の母であり、トゥスクルの重鎮。カミュはトゥスクル筆頭呪術師という肩書きを持っている。
二人ともかなりの美人であり、カミュなどは特にその仲間の誰よりも豊満な胸が特徴的である。そして、二人ともクオンの姉を自称している存在であった。
「あんたらが都からの使者なのか?」
「そだよー。名前まで覚えてくれて光栄だね」
「ん、正解者限定品」
もそっ、とムックルと呼ばれた白虎の背に乗るアルルゥよりハチの子を渡される。
帝都への使節団の時に会った時から、残念美人度は変わってないようだ。
「? ん、食べる」
手に取らない自分を見て、尚ねっとりとしたものをぐいぐい差しだされ、どこにこんな隠し持ってたんだよとツッコもうとした瞬間、背筋をぞくりとした感覚が襲った。
「また、女……」
彼女達には会っている面々も多い筈である。特にネコネやルルティエ、アトゥイ、ノスリはクオンの身の上話も彼女達から聞いている思い出もある。
多分、彼女達を知らない誰かが呟いたのだろう。誰だったのかはわからないが、聞こえてきたからには誤解を解かねばなるまい。
「い、いやいや、彼女達は自分になんて興味ないぞ!」
「あははっ、相変わらずおじ様みたい!」
「ん……エルンガー」
わたわたと慌て、冷ややかな目をする女性陣に必死に弁解する自分を見て何を思ったのか。
都よりの使者は懐かしい光景を見たかのように笑みを浮かべていた。
そして、衛兵と何事か話していたクオンとフミルィルが二人の姿を見て合流する。
フミルィルは笑顔を浮かべて駆け寄って来たが、クオンはそれに反して気まずいのか伏せ目がちに近づいて来た。
「まあ、カミュお姉さま。アルルゥお姉さま。ただいま戻りました」
「わあっ、フーちゃん! お帰りなさい」
「クーもお帰り」
「う、うん」
トゥスクルの懐かしい面々が旧知の挨拶を交わし始めたが、カミュとアルルゥの二人はクオンに対して苦言を呈するように眉を顰めた。
「クーちゃん? とーっても心配したんだからね」
「ご、ごめんなさい……お、怒ってる?」
「オボロとの約束を破って、ハクちゃんのところに行くーって抜け出したこと?」
「……か、カミュ姉様、それは」
慌ててカミュの口を塞ごうとするクオン。
それに少し怒りの様子を示したのはアルルゥであった。
「オボロボロだった。クーには皆からたっぷりお仕置き」
「……ひ!?」
合掌。
クオンはその言葉と同時に尻を抑えている。成程、折檻は過酷なのね。
しかし、クオンは自分を帝都から救いだす為に、危険な渦中に飛び込んでくれたようなものである。一応弁解してやらねば。
「まあ、待ってくれ。クオンは自分を助けるために抜け出してくれたんだ。どんな約束だったかは知らないが、クオンがいなければこっちとしては死んでいたかもしれないし、自分に免じて仕置きは無しにしてやってくれ」
「は、ハク……!」
クオンがこれまでにない程の感謝を示し、こちらを見る。
そんな自分達の様子に、アルルゥとカミュの二人は首を傾げて考えるように顔を見合せた。
「ん~……どうする? アルちゃん」
「ん。じゃあ、代わりにお前が受ける」
「うわぁ、アルちゃん、それ名案!」
どうやら矛先がこっちに向くことが決まったようだ。
仕置きと聞いてクオンが尻を抑えていたあれから察するに、お尻ぺんぺんか。
「……やっぱり、クオンにも悪いところがあるよな。うん」
「ちょっと、ハク!?」
裏切らないでと抗議の声を上げるクオンに、心の中で謝罪する。
すまんな、クオン。
自分より年下に見える美女にケツを叩かれるなんて、涙が出る程情けないんでな。
「まあ、それでもね。クーちゃんが危険な目に自分から飛び込んでいったのは事実だから」
「クーだけの命じゃない」
「……ごめんなさい」
「ふふっ、わかってくれたらいいの!」
「でも、痛くなければ覚えない」
アルルゥがその掌で素振りを始める。風を切る様からして、かなりの威力がありそうだ。
クオンが涙目でこちらを見るも、しかし庇えない。自分は叩かれることが御褒美の人種じゃないんだ。
「アルルゥ様、カミュ様、お久しぶりなのです」
「うん、皆もおひさ~!」
帝都で一度クオンを通じて顔見知りとなったネコネ他懐かしの面々が和やかに会話をしていると、遅れてオシュトルや皇女さんが合流してきた。
オシュトル達が遅れて来たのは、馬車に乗って休憩していた皇女さんとムネチカを、使者の姿に気付いたオシュトルが迎えに行っていたのだろう。
「これは、トゥスクルの使者殿……カミュ殿とアルルゥ殿と申したか」
「はい。新たなヤマトの帝様、そして総大将オシュトル様。そして皆様方、ようこそトゥスクルへ。この国を代表して、歓迎いたします」
「ん、歓迎する」
「うむ、クオンがあれほど自慢する国じゃ。トゥスクルの良きところを知られればと思っておる」
「ええ、以前は大使の一人として貴国に歓待を受けた身。勿論、案内役としてトゥスクルでおもてなしさせていただきますね」
「御厚意、痛み入る」
自分やクオンと話していた時とは違い、オシュトルや皇女さんにはキリっと外行きの対応を返すカミュ。
そんなこともできるんだなと感心していると、こちらに振り返ってにひっと悪戯な笑みを浮かべている。成程、素は相変わらずそっちなのね。
「それでは、皇都までご案内させていただきます」
「ああ、お願いする」
オシュトルの返答を皮切りに、次は別の馬車に乗り込むこととなった。
今度は同じ過ちを繰り返すまいと、自分は最後に乗ることにする。じっと皆が乗る様子を離れて眺めていると、アルルゥとカミュが傍に寄ってきた。
「ねえねえ、ハクちゃん。君、大宮司になって親善大使にもなったって聞いたよ?」
「あ、ああ。まあ、そうね、いつの間にかね」
「クーのため?」
アルルゥが、首を傾げて聞いてくる。
何故クオンが出てくるのだろうか。
「クオンの? いや……そんなことはないが」
「なんだ~、てっきりクーちゃんに釣り合うよう頑張ったのかと」
「ん、残念」
「ちょ、ちょっと姉様達! 余計なこと言わないで欲しいかな!」
馬車に乗ろうとしていたクオンは嫌な予感が走ったのだろう。折檻を受けることが決まって未だ涙目ながら、馬車の影から弱弱しく抗議の声を上げている。
「にししっ、隠すことないのにね~」
「ん」
クオンの言葉に対して特に意に介した様子も無く、姉さまと呼ばれた二人は顔を見合せて笑顔を浮かべていたのだった。
そして、馬車に揺られながら都までの道中である。
自分は最後に乗るという策が功を成し、何とか女性陣に囲まれる事態は避けられた。
故に以前のような気まずさは消えたが、今度は別の気まずさが場を支配し始める。
「ねえねえ、クーちゃんとはどこまでいったの?」
「ふんふん」
「いや、その……」
このように、カミュとアルルゥに根掘り葉掘りクオンとの関係性や進展について聞かれるのである。
以前の帝都でのやりとりを思い出すも、今の自分から応えられることは少ない。
「う~……っ」
あることないこと応えれば、先ほどよりも遥かに恥辱と殺意の籠った視線を送るクオンによって、自分の頭は粉々に砕け散ることは予想がつくからな。
「いや、特に何も……」
「ええー? あれだけ一緒にいたのに?」
「甲斐性なし」
うるさい。
猛獣に手を出したら死ぬ世界なんだ、こちとら。
「カミュち~」
「うん、アルちゃん。この人、おじさまより朴念仁かも」
二人の言葉に、クオンが殊更に顔を赤くしていたのが、怒りなのか恥なのか、その時はわからなかったのだった。
○ ○ ○ ○ ○
馬車から降り、トゥスクル皇都の街並みを皆で見物していた時であった。
急にクオンが実家に挨拶すると言って皆と別れ、それに追従する形でフミルィルもクオンについて行ってしまった。
故に、クオンとフミルィルを抜いた面子と使者でゆっくりと都の観光をしながら、トゥスクルの宮廷内へと足を運ぶこととなった。
まあ、クオンがトゥスクルの中でもやんごとなき方であろうことは皆も察していたので、隠したいことがあるのだろうと特に気にせず見送ったのだが。
──そろそろ話してくれてもいいと思うんだがな。
自分が帝の弟で、大いなる父であることをクオンだけが知っていることもある。
他には話せなくても、自分には話してほしい。クオンと秘密の共有をしたかったという想いもあったのだ。
まあ、女の過去や隠し事をほじくる趣味は無いので、話したくなれば話すだろうと半ば諦めながら謁見の間へと足を進めていた。
そして、城の中で最も高いところにある謁見の間へと到着し、各々が皇の登場を待って座していた頃である。
かつて皇女の伴を務めていたクロウがどすどすと遠慮なく入って来たかと思うと、部屋の外まで聞こえるであろう声でその名を呼んだ。
「トゥスクル皇、並びに皇女の御出座であるッ!」
一同の前に現れるは、トゥスクル皇、そしてヤマトに何度も足を運んでくれた皇女の姿。そしてその護衛というかのように、そこにはベナウィの姿もあった。
「よく来た、ヤマトよりの客人よ」
初めて会うトゥスクル皇が、髭を蓄えた口元を綻ばせながら挨拶を述べた。
挨拶を返す前に、違和感。
あれ、トゥスクル皇──あの髭のおっさん見覚えあるんだが、と記憶を探るもどうも思いだせない。
しかしあのおっさんの声を聞いていると妙に腹が痛む。どっかで一緒に酒飲んだり、腹を殴られたりしたのだろうか。
そんなこちらの疑惑の視線も厭わず、皇の機嫌は良さそうである。それどころか、隣の皇女を見て極大の笑顔を浮かべていた。
皇女はそんな皇の様子に辟易したように溜息をついた後、こちらへ向けて挨拶をした。
「遠路遥々、よくぞ我がトゥスクルへ来た」
「うむ。其方やトゥスクルには随分世話になったからの。今度はこっちから来てやったのじゃ」
尊大な態度に尊大に返す皇女さん。
皇女さんの皮肉交じりの挨拶には大した反応を見せず、冷静に今回来た要件を訪ねられた。
「して……親善大使だけでなく、帝や総大将自ら来訪したのだ、それなりの理由があろう。此度の御用向きとは?」
皇女の疑問に応えたのは総大将オシュトルである。
「は、トゥスクルへの感謝、そして和平を……」
「前置きは良い……他にあるのだろう?」
皇女は前口上的なことについてはいらぬと判断したのだろう。
こっちも一番伝えたい用件が別にあった手前、とんとん拍子に話が進むのは有難い。
「……トゥスクルに、危機が迫っていることをお伝えに」
「ふむ? その危機とは」
「は……かつてヤマトで八柱将をしていた、聖上を裏切りし者──その名はウォシスと言います」
「ウォシス……その者がどうかしたのか」
「ウォシスは、先のヤマト戦乱の最中逃げ果せ、未だ我らの和平を阻もうと影で何かを目論んでおります」
「何か、とは?」
「一つ判っておりますのは……彼の者がマスターキーなるものを狙っているということです」
マスターキー、その単語を出した瞬間である。
ぴん──と、その場にいたトゥスクルの面々全員の雰囲気が変わった。あのにこにこ笑みを浮かべていたカミュやアルルゥでさえである。
ある者は眉を寄せ、ある者は警戒するようにその瞳を薄くし、ある者は苦い笑みを浮かべる。
「ほう……マスターキー、とやらを、な」
「はっ、してそのマスターキーは、かのトゥスクルにあると……ウォシスは公言しておりました」
「それを、狙っていると?」
「はい。故に、聖上と共に某自らこうして警告を……またウォシスも元はと言えばヤマトの将、トゥスクルへ危害を及ぼす前に、いざという時の兵力として参った次第であります」
オシュトルと自分の一騎討ちは皆の中では無かったことになっている。
代わりに皆の中で共通しているのは、自分とオシュトルを襲った黒幕はウォシスであったこと。そして、トゥスクルでマスターキーを狙っているということである。
マスターキーの名をオシュトルに出させるかどうかは迷ったが、クオンでも場所を知らない遺物である。もしどこかに保管されているのであれば、トゥスクル皇や皇女に聞くのは一番の近道とも言える。
勿論、自分としてはたとえトゥスクルにとって大切なものであっても、クオンと協力して譲渡してもらうか、それが叶わなければウォシスのせいにしてこっそり持ち去るつもりではあるのだが。
「ベナウィ……ウルトリィに伝令だ」
「はい」
皇女の隣に座る皇が重苦しく呟く。
すると、皇の言伝を受けたベナウィは、謁見の間の傍に居た兵に何事か囁き、その後伝令に走る兵の背を見送っていた。
彼らの反応を見れば、マスターキーと呼ばれる物に何らかの心当たり、もしくは情報を知っている事は理解できた。保管場所の手がかりを入手できるかとも思ったが、それを自分たちに明かすつもりは無さそうだ。
後はクオンと協力して場所を探るしかないだろうな。
皇女が黙りこくる皇に代わって言葉を続けた。
「わかった。態々それを伝えに来てくれたことに礼を言おう。しかし、その方の警戒はこちらに任せよ。態々遠方より来たのだ。客人としてゆっくりしていくが良い」
「は……ただ、ウォシスは妙な呪術を用います。言霊──言葉によって他者を縛る力を持っておるのです」
「そのようなもの、我には効かぬ」
おいおい、いくらウォシスがクローンとはいっても、大いなる父とそう変わりはない。デコイに対して絶対的な言霊を効かないと公言するとは。
まあ、ウルゥルとサラァナによれば天子らしいので、そのような言霊に反する力を持っているのかもしれない。
オシュトルは自身の体が動かない経験をしただけに、皇女の言葉に疑問を持ったのだろう。
重ねるように言葉を返した。
「しかし、某も彼の者の言霊に……」
「諄い。其方らに戦力としての働きは期待しておらぬ、たとえ其方らが討ち損ねた将であっても、一度トゥスクルに足を踏み入れたのであれば……そこからは我らの領域である」
「は……では、もし御用とあれば、遠慮なくお申し付けください。我らも、トゥスクルとの和平に禍根を残したくはないのです」
「勿論だ、この件で其方らを責めるつもりはない」
「何と……皇女のご配慮、真痛み入ります」
「よい。何かあれば連絡はしよう。移民政策の件が固まるまでは……この地でゆっくりと疲れを癒すが良い」
「重ね重ね、トゥスクル皇女に感謝の意を」
「うむ。夕刻には簡素ではあるが宴も用意してある、それまでは各々の部屋で待機めされよ」
謁見はそれで終わった。
カミュとアルルゥによって、使者のためと用意された各部屋へ案内されることとなった。
自分も馬車に揺られて腰が痛い。
クオンが戻ってきた後、マスターキーをどう手に入れるかについて相談するまで時間もあるだろう。さっさと部屋に行って寝転がるかと立ち上がると、皇女より呼び止められた。
「待て、ハ──大宮司ハク殿」
「ん?」
「其方は親善大使であろう。其方と話したいことがある。残れ」
オシュトルや皇女さんに目配せし、軽く頷き合う。
一応、移民政策関連に関しては自分も頭に叩き込んでいるので、任せてくれるのであろう。
「ああ、わかった」
各々がカミュやアルルゥに連れられて謁見の間を出ていく。
残るのは自分と、じとーっとした視線で皇女を見つめるウルゥルとサラァナである。
「「……」」
「そ、其方達も先に行け」
皇女からそう指示されても警戒しているのか、ウルゥルとサラァナだけは梃子でも動かなかったので何とか説得して背中を押す。
「な、頼むよ。後から行くから」
「「……御心のままに」」
皆が出ていったのを確認した後、自分はその場に座り直した。
残されたのは、自分と、トゥスクル皇女、トゥスクル皇、ベナウィ、クロウである。
「……」
ぽつんと一人残され、何だか気まずい。
先ほどまでにこにこしていたトゥスクル皇も、何だか怖い視線を向けてきている。
──何だろう、この嫁の実家へ挨拶に行くような気分は。
いや、行ったことはないんだが、何だかそんな感じがする。
そういえば、道中水も余り飲んでない。喉と舌が渇いた感じがしながらも無言の空間に一石を投じた。
「あの……話……とは?」
「そうだな……まず──」
「──待て、まずは俺から聞きたいことがある」
皇女の言葉を遮り、トゥスクル皇が立ちあがる。
「お、お父様」
「見定める機会をもらう……そう約束した筈だぞ」
「……」
二言三言彼らがやりとりした後、皇女は諦めたように項垂れた。
トゥスクル皇はそんな皇女の様子を気にするまでもなく、正座する自分の傍へ近づいて来ると、眼光鋭く腕を組んだまま目の前へと腰を下ろした。
「貴様、ただの平民から大宮司になったと聞いたぞ」
「ええ……まあ、はい」
「何故だ」
「えっ」
「何故、偉くなったんだ」
「……」
一体、何を試されているのだろうか。
しかし、間違ったことを言えば即座に首が飛ぶような殺意が眼光から発せられている。
大宮司になったのは成り行きではあるが、その通り正直に応えると殴られそうである。耳聞こえのいい返答をすることにした。
「まあ……仲間の為、だな」
「ほう、仲間……それは、惚れた女でもいたということか?」
「??」
どういうことだ。
何故、惚れた女がいたら大宮司になるのだ。
「いや、違う」
「……そうか。では質問を変えよう。貴様のところに、クオンという美しい娘がいるだろう」
「? ああ」
「その娘について、どう思っている?」
「どう、って……」
何故、クオンのことをこの目の前のおっさんが気にするのか。
それがわからないが、とりあえず答えないと強引に口を割かれそうな雰囲気である。
「──恩人だ」
「ほう? それだけか?」
「それだけ、とは?」
「クオンはこの世で最も美しい女だ……貴様も男なら、好きとか、愛しているとかあるだろう」
「……」
クオンを、そのような気持ちで語れるのか。
それはわからないが、とりあえず目の前のこのおっさんにとって、クオンという存在はかなり大きい存在であるようだ。世界で最も美しいとか言っているし。
目の前のおっさんはクオンとかなり歳は離れていそうだが、クオンとそんなに似てないから実の父でも無さそうだ。しかし、恋人とか許嫁のような間柄でも無さそうである。何となくだが、クオンのことを純粋に心配しているようにも思えた。
多分、クオンがやんごとなき身分でもあるからして、自分のような平民上がりの人間が周囲をうろついているのが気に喰わないのだろう。クオンに不利益を齎す変な蟲だと払おうとしているのかもしれない。
であれば──自分にできることは、正直に話すことだけだ。
「わからん」
「何?」
「自分にとってクオンは……何度も命を救われた恩人でもあり、自分に広い世界を見せてくれた恩人でもある」
「……」
「クオンがいたからこそ、ここまで来られた。あんたが自分の何を試しているのかは知らんし、クオンが好きかどうかも自分にはわからん、が──クオンには、今まで貰った恩を返そうと思っている。まあ、返しきれるものでもないが……クオンと、自分が納得できるまで返す。それだけは嘘偽り無い」
多分、クオンはこのおっさんが気にかけるほどの重鎮なんだろうな。
折檻されると怯えていたし、ここまで言えばクオンの罪状も軽くなるだろう。
そう思って言ったが、目の前のおっさんは自分への判定をどちらに傾けるか悩んでいるようだった。
「……」
目の前のおっさんと睨み合うように無言の時間が訪れる。ぎすぎすした気まずい雰囲気が部屋に満ちて暫く経ってからだった。
トゥスクル皇の肩にぽんとクロウが手を置き、その空気を霧散させた。
「いいねぇ……ここまで侠気見せられても、納得は難しいですかい?」
「ちっ……五月蠅いぞ、クロウ」
舌打ちしながら、皇は肩に乗せられた手を払うように立ちあがる。
「……ふん」
不機嫌そうにこちらを一瞥した後、謁見の間を大股で出ていってしまった。
それに追従するかのように、ベナウィとクロウも出ていってしまう。
──結局、何の質問だったんだよ。
その疑問に答えられそうなのは、目の前に一人残った皇女のみ。
「……」
しかし、その皇女も、何だか顔を伏せて黙っているようであった。
顔を隠しているのでその表情はわからないが、何やら肩もぷるぷると震わせており、小声でもう明かせないとか何とかぶつぶつ文句を言っていた。
とりあえず、自分も早く部屋に行って休みたい。
話が一向に進まないので、声をかけることにする。
「あの……」
「ひゃ、ひゃい!? な、なにか!」
「……いや、結局、何の話をするんだ?」
「あ、ああ……そ、そうだな。うむ……」
皇女はふーと息を吐いて呼気を落ち着けると、きっと視線をぶつけるような様子でこちらを向いた。
「ぐ、具体的に、クオンにどう恩を返すつもりなのだ?」
お前もクオン信者かよ。
トゥスクル勢力にとってどんだけクオン人気なんだ。そして何故自分はこうも目の敵にされているのだ。
「いや、具体的には考えてないが」
「そ、そうか……まあ、例えばで良い」
「……」
例えばと言われ、うーんと考え込む。
クオンが好きなのは酒、飯、旅行か。自分も酒も飯も旅行も好きである。
提案するならば──
「まだ見たことないところが沢山あるからな。大宮司になったからか給金も多い。酒に、飯に、宿にと、ぱーっと金子を使って、クオンと一緒に、見て回れたらいいなとは思っている」
「ほ、ほう?」
皇女は喜色を帯びた声でその先を促す。
間違いでは無かったようなので、自分なりの提案を続けた。
「以前の自分は土竜みたいな地下生活だったからな。この美しい世界を見て回りたい。それに、クオンも連れていけたらなあとは思っていた」
「よ、良いのではないか。クオンも喜ぶ」
「そうか?」
「ああ、二人きりで行くのだろう?」
「いや、仲間と皆でだが──」
ぴり──と、恐ろしいほどの殺気が場を支配する。
クオンと二人きりなどクオン信者の彼女であれば警戒して嫌がるかと思い、安心させるために言ったのだが。一体、何が気に喰わなかったのだろうか。
「仲間の皆と、か、そうかそうか……」
絶対的な捕食者を前にしたかのような緊張感が己を襲う。
先ほどの皇から発せられていた眼光の比ではない圧である。舌が渇き、思わず唾を呑み込んだ。
「……な、何か?」
「仲間の皆よりも、うむ……二人きりが良いだろう。そうだ、それがいい」
「えっ……」
「じきにクオンも城に帰って来よう。まずは、クオンに二人でどこか行かないかと誘え。そして想いの丈を伝えるのだ、良いな」
「は、はい……」
有無を言わさぬとはこういうことを言うのだろう。
思わず首をぶんぶんと縦に振っていた。断ればきっと自分の頭が砕け散ると一瞬夢想してしまったこともある。
「良い返事だ。では……此度の話は以上とする」
そして、皇女はもはや話は終わったというように立ちあがり、謁見の間を後にした。
自分は、ぽつんと一人取り残される。
──あの、自分の部屋はどこですか。
その疑問は、一人謁見の間に残された自分にはわかる筈も無いのであった。
トゥスクル皇女からアドバイスされたので、次回はクオンとデートします。
ウォシスはもうちょっと待っててね。