【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~ 作:しとしと
ハク、オウギ、ルルティエあたりが敵に回ったら強すぎて地獄を見ますが。
「狩り?」
ノスリは身を乗り出し、肯定した。
「そうだ。我らはもう少し力が付くものを食べるべきだとオシュトルに直談判したところ、ハクは暇だと聞いてな」
「それ、体よく押し付けただけじゃないか……」
ノスリの言葉を補足するように、オウギが進み出る。
「つまり、ですね。今の情勢を鑑みるに、今後もこのエンナカムイの軍拡は続くでしょう?」
「まあ、そうだな。色々と提案はしているが、まずは軍拡が絶対条件だ」
「ですので、その先を見越して手を打っておくのも良いのでは、と言いたいのですよ、姉上は」
「ぬ? え、あ……ああ、その通りだ。うむ、それが言いかったのだ」
「つまり、食事の改善と、士気の向上やらなんやらの目的のために……肉を食わせろ、ということか」
色々建前を言ったが、結局そういうことだろう。このエンナカムイでは肉は殆ど出回っていない。
肉の味を知っている二人からすれば、確かに食べたいものなのだろう。建前ではあるが、一応理にかなってはいる。
「なっ、何を言っているのだ? 私は別にそんな……」
動揺したノスリを遮るように、オウギが言葉を挟む。
「しかし、ネコネさんから、この国ではあまり肉は食べないと聞きまして、それならば、狩りをするのが良いのではという結論に至ったわけです」
「この国に落ち延びてからというもの、民の世話になるばかり。ノスリ旅団が長である、このノスリともあろう者が、受けた恩を返さないわけにはいくまい。ここは一つ自慢の弓をとり、民の食事に彩りを加える一助としよう、となってな」
「となってな、じゃない……なんで自分に声をかける。弓なんざ扱えんぞ」
そう、そこなのである。
行くなら勝手に行けばいいのだ。なぜ弓の扱えない自分に声をかけるのか。
「狩りは多い方が効率的だからな! それに、オシュトルたっての頼みもある」
「頼み?」
「オシュトルさんから、姉上にハクさんの弓の腕を見るよう仰せつかっているのですよ。必要なら、弓の扱い方を教えるように、と。オシュトルさんはどうやら弓が苦手なようですから」
「任せろハク! この私にかかれば、たとえ赤子であっても矢を放てるようにしてみせるぞ!」
自分は赤子と同列か。
あれよあれよという間に、連れまわされ、山の中へと引き摺り込まれた。
「うむ、絶好の狩り日和だ!」
「そうですね、姉上」
とりあえず、集まったのは自分と、ノスリ、オウギを除けば、キウルとアトゥイだけだ。
狩りに慣れているだろう面々の中、狩猟経験のない自分は何とも居づらい。
「主様?」
「弓矢などなくとも、主様を……」
「いや、いい! 二人は大人しくしていてくれればいいから」
待ってましたと言わんばかりに主張する二人を押しとどめる。
そんなやりとりをしていたところ、ノスリが流れるような動作で弓を構え、矢を番えて放っていた。
その一連の動作は美しく、放たれた矢もまた美しい線を描いて木立の間を抜け、得物を射抜いた。
「ふむ、まあこんなものか」
ノスリが射止めた得物を手にしているのを見て、皆は感嘆の声を挙げる。
「このまま勝たせてもらおう」
「勝ち?」
「姉上は普段狩りの時、いつも何かしらを賭けて競っているのですよ。その方が楽しみも増すと」
「獲物も沢山とれて効率よかろう?」
「ああ、やりますよね、そういうの」
やらんでいい。
自分が勝てないに決まっているじゃないか。
「ん~面白そうやね。何を賭けるん?」
「そうだな、とっておきの一本をどうだ。実はこの間、年代物の逸品をハクが手に入れていてな」
「おい! 自分からむしり取る気満々じゃないか、まさか、自分を呼んだのはそれ目当てか!?」
吹けぬ口笛で誤魔化すノスリ。
オシュトルからもらった酒をこんな形で失う訳にはいかんぞ。
「それでは、一番大きな得物を仕留められたものがハクさんの酒をいただくということで、どうです」
「ええなぁ、それ」
「ふ、異存はない! ノスリ旅団が長の実力、しかとその目に焼き付けてやろう!」
「そんなうまいこといかないぇ!」
こちらの反発も聞かず、さっと散る面々。
最近、自分の言葉を聞く奴が少なくなってきてないか。
「あの、もしかして私たちも参加するんですか?」
「自分に聞くな……」
「まあ、こちらはこちらで、のんびりやりましょう。あの調子なら、僕たちが丸坊主でよさそうです」
「自分は大損確定だ。オウギ、恨むからな」
オウギは清々しいにこやかな表情で笑みを返すばかりだった。
とりあえず、勝負にはならなくとも、どんけつは避けなくては。
弓に弦を張り、矢を番える。
狙いを定めて――
「……」
当たらない。
「キウル、当たらん」
「……まあ、ハクさんですから」
「ハクさんですからね」
オウギだけでなく、キウルまで冷たい返事。
「主様……」
「……お前達に頼ると後が怖いんだが、何か策はあるのか?」
ノスリは弓の扱い方を教えてくれるといったのに、狩り勝負に精を出しているし。
とりあえず、案があるらしいウルゥルとサラァナに任せてみる。
「呪法をかける」
「これで、弓矢などなくとも獲物を仕留められます」
双子が何やらぶつぶつと呪文を唱え始め、かつキウルとオウギがそれなりに獲物を仕留めている中、どすんと大きな音が響き、思わず振り返る。
そこには、身の丈はある大猪が事切れていた。
「まずは、一匹だ」
その影から現れたノスリが、笑みを浮かべていた。
「うわー、この短時間でこんな獲物を……」
「流石は姉上」
その弓の扱い方を教えてもらうはずだったんだが。
すっかり忘れられているオシュトルの厳命だったが、こちらが弓に四苦八苦している姿を見て思い出したのか、ぷっと吹きだした。
「何だハク、その構え方は! 仕方のない奴だ。よし、私が教えてやろう。弓というのは教わるのが上達への道だぞ」
ノスリはそう言うが早いか、こちらを抱きしめるように腕を回し、背後からこちらの両腕をとった。
「ぅお!?」
「まずは狙いのつけ方からだ」
とりあえず、指導の際に胸が背中に当たっている。
オウギの方をちらりと見るが、はしたないはずの姉上の姿にも、いつもの爽やかな笑顔を絶やさない。
面白いものを見つけた、なんて思ってるんじゃないだろうな……。
「む? 構えに変な癖がつき始めているぞ?」
そりゃ、そんなの押し付けられるとな、嫌でも反応してしまう。
さっきから呪法をかけ続けてくれているウルゥルとサラァナの方なんて怖くて向けない。
何だかさっきよりも呪法の濃度が増したような気さえする。
「うむ、後は今の教えを守って日々精進だな」
「……勉強になったよ」
密着状態から離れ、何とか溜息をつく。
ちらりとオウギに非難の視線を送ることも忘れない。ちゃんと情操教育しとけ。
そこに、アトゥイが身の丈を優に超える巨大な鳥賊を以って現れた。近くに湖があるとはいえ、どう見ても淡水魚ではない。
「なんと、これほどの獲物とは……」
「今回は私の負けだな。いい女は、こころよく相手の勝利を祝うものだ」
「んふふ~、ありがとな~。これでおにーさんのお酒ゲットやぇ!」
何だか自分を置いて勝手に盛り上がっている。
負けるとしても、このまま獲物が一匹も取れないのは悔しい。
「主様」
「準備ができました」
「お? おお、頼んだ。で、どうなるんだ? 弓がうまく扱えるようになるとかか?」
「匂いを発している」
「主様から獣の好きそうな匂いを発するようにしました。これで獲物は逃げずに主様の元へと……」
どどどどどど、っと四方から獣の足音とは思えぬほどの轟音が響く。
「おいおいおいおい、効きすぎじゃないか!?」
「張り切った」
「お二人が仲睦まじい姿を見せている間、ずっとかけていました」
しかし、双子は自分の前に立つと、紋章を浮かび上がらせた。
「手伝う」
「匂いが取れるまで、暫くかかります。でも、これで主様が今日一番の活躍です」
「それは自分一人で倒せたらだろ!」
周囲の者達も、これが危機であることを理解したようだった。全員が臨戦態勢に入る。
「や、やばくありませんか、これ?」
「あははははっ、腕がなるぇ!」
「ハク、先程教えた通りに放ってみろ! ほら、こうやってな!」
「流石は姉上、このような状況下でも全く動揺していませんね」
とりあえず獲物は沢山とれたが、自分は大してとどめをさしていないので、結局秘蔵の酒は皆に持って行かれることとなった。
○ ○ ○ ○ ○
晴れ渡る空の下、主立った連中が一堂に会している。
「「主様、皆さまをお呼びしました」」
「おう、ありがとう」
「ハク、こんな朝っぱらから皆を集めたりして、どうかしたのか?」
「まあ、待て、オシュトルがもう少しで来る。アトゥイ、やることないと暇してただろ? 今日はお前にとっても良い日になるぞ」
「ほんとけ? おにーさん信用できへんからなぁ」
お前に言われたくない、と突っ込みをいれている時、オシュトルがネコネを連れて広場に現れた。
「すまない、遅れた。皆に集まってもらったのは他でもない。軍議だけではなく、鍛錬の場を設けようと思ったためだ。そこで、ハクからの提案を受け、より実践に近い形で鍛えられるよう、紅白試合を行うことに決めた」
これから先、戦はより一層厳しくなる。兵だけでなく自分たちも強くなる必要があるということだった。
オシュトルから相談され、それなら紅白試合がいいんじゃないかと提案して数日、早速実施することになるとは思わなかった。
「ふわぁ、死合いけ!? 死合いなのけ!?」
「いや、実戦形式ではあるが、あくまで稽古である。味方を殺しかねないような危険な技は使ってはならぬ」
「えぇ~……」
「しかし、某と死合いがしたいのであれば、某の体が回復し次第、場所を改めいつでも受けてたとう」
「ほんとけ!? さっすがオシュトルはんはわかってるなぁ!」
まあ、あのミカヅチと毎度死合いしているあのオシュトルだ。アトゥイ程度なら勝てるとふんでいるのかもしれないし、万が一は起こらないとふんでいるのか。まあ、今は怪我の後遺症が酷いと聞いているから、回復は当分先だろうが。
「まあ、死合いはともかくとして……いいじゃない? 仲間同士だからって遠慮はなしって事かい」
「組み分けはどうするんですか?」
キウルの質問に対し、ネコネがすっと二つの色の籤を持ってくる。
「籤を作ってあるのです。紐を引いて先が赤なら兄さま組、白ならハクさん組なのですよ」
「ちょっと待てえぇっ!」
「なんですか、ハクさん」
思わず大声を挙げてしまったが、ネコネの冷ややかな反応でぐっとこらえるも、やはり聞かされていた内容と違うため抗議する。
「自分が参加するなんて聞いてないんだが!」
「何を言ってるですか。提案者はハクさんなのですから参加するのは当たり前なのです」
ぐっ、それを言われると……。
「観念しろ、ハク。しかし、誰が誰と組むかは籤を引いてからのお楽しみか、中々に面白そうではないか」
「つまり、姉上と敵対することもあるわけですね」
「ぅぐ……」
「うひひ、誰と殺れるんかなぁ……ヤクやんと派手に斬り合うのもええけど、やっぱりオシュトルはんがええなぁ。おにーさん組じゃないとオシュトルはんとやれんから、つまらんぇ。海の神様、どうかオシュトルはんと殺り合えますように……」
その意見に至っては全く応援したいところだが、その組み分けの仕方で、まだ不満があった。
「わかった。参加するのはいいが、せめてオシュトルと一緒にしろ! 自分が楽できないじゃないか」
「はっ、何を言ってるですか、このぐうたらは」
「某の怪我はまだ治っておらぬ。ハク殿と同じくらいの力しか出せぬよ」
「んなわけないだろ!」
んなわけない。
アトゥイと同じかそれ以上は確実に出せるはずだ。
「そうです、兄さまがハクさん程度なんてあるはずがないのです。でも、この場にいる中で一番弱いのはハクさんなのです。兄様がハクさんの力を心配しての組み分けなのですよ。それに……」
「今後ハクには、其方を中心とした組織を、一時的にではあるが作る機会を多く設けるつもりだ。伏兵、奇襲、その他にもいかなる用兵において、某が動けぬ際に将としての働きを期待している。そのため、ハク組としてわざわざ其方を頭に置き、紅白試合をすることとしたのだ。わかってくれ、ハク」
「……ぐっ、わかったよ」
「あーっ、ウチ、オシュトル組やぁ! はぁ、残念やなあ」
「すいません。やっぱり辞退してもいいですか?」
オシュトルとアトゥイが敵に回るとか何事だよ。勝てる気しないぞ。
「まあまあ、旦那! 俺は旦那側だし、任せてほしいじゃない?」
にこやかな笑顔とともに、白色の籤をひらひらと見せるヤクトワルト。
「おお、私はハク側か!」
「姉上とは敵同士ですね」
「なにっ」
「赤色……」
「……主様の敵となってしまいました。でも、これはこれで狙えます」
「何を狙うつもりだ!」
そうして、皆が籤に思い思いの反応を見せていると、影でネコネが自分の白色の籤を見ながら、ルルティエの傍に寄っている光景を目にした。
「あ、私、ハクさまと別れてしまいました……」
「……ルルティエさま、あの、籤を」
「……ネコネ、不正はいかぬ。ルルティエ殿と籤を交換してはならぬぞ」
その様子を目ざとく発見したオシュトルが、それを制した。
「ぐっ……で、ですが、私は兄さまと……」
「某は戦いにおいてもネコネが成長したという姿を見たいのだ。それでは、やる気は出ぬか?」
「! は、はい、任せてくださいなのです!」
結果的に色々あったが、とりあえず組を分けるとこうなる。
オシュトル組は、オシュトル、アトゥイ、ルルティエ、オウギ、ウルゥルとサラァナ。
ハク組は、自分、ネコネ、ノスリ、キウル、ヤクトワルト。
正直、さっきまでの反応を見るに、ネコネはオシュトルに対して使い物にならない可能性がある。まあ、向こうもウルゥルとサラァナがいるし、自分には攻撃してこないだろうと思うので、半々か。
しかし、何より問題なのが――。
「前衛がヤクトワルトだけって……」
今は組で別れて絶賛作戦会議中だ。
「ちょっとちょっと、旦那も前衛になってほしいじゃない」
「いや、ヤクトワルト。お前なら一人でもいけるはずだ」
「アトゥイの嬢ちゃんだけは何とかなっても、オウギやオシュトルの旦那も相手するのはちょっと厳しいじゃない」
「ま、そりゃそうだよな……」
開始は半時後。正直、オシュトル、オウギ、ルルティエ、アトゥイが一列で突っ込んできただけで崩壊するこっちとしては、何とか策を弄さねば勝てない。
しかし、逆に言えば、前衛さえ何とかなれば、こちらは後衛が多いのだから相手を一網打尽にできる可能性もある。
しかし、一面見渡す限りの平野だ。一応柵は用意してあるが、こんなもの多少の時間は稼げてもその程度だ。
「いや、待てよ。数は互角なんだ……」
思いついた、よく見知った相手だからこそ通じる悪魔の手段。
「ヤクトワルト、二人までなら、いけるか? 倒さなくていい。戦線は維持できるか?」
「人選にもよるねえ……オウギとアトゥイの嬢ちゃんだけなら、任せてほしいじゃない」
「よし、なら自分とネコネで組むぞ。ヤクトワルトはキウル、ノスリと組め」
「わかったじゃない」
「あいわかった」
「わかりました」
「……私が、ハクさんと組むです?」
「ああ。そして、ネコネ。お前が前衛だ」
その言葉は、その場にいる全員を仰天させた。
そして、半時が過ぎ、決戦の幕が切って落とされる。
想定通り、オシュトル側は豊富な前衛を生かした突貫戦法を使ってきた。
アトゥイ、オウギが先んじて突撃し、その後ろをルルティエとオシュトルが続く。ウルゥル、サラァナは全体のサポートといったところだろう。
想定通りの布陣に対し、自分は作戦行動開始の合図を叫んだ。
「ウルゥル、サラァナ! 裏切ってくれたら一つ言うこと聞くぞ!」
「「!!」」
ウルゥル、サラァナはすぐさま裏切り行動を取り、オシュトルに向かって呪法を放つ。
「むっ!」
オシュトルはそれを意に介しもせず、刀の一閃でそれを振り払い、ウルゥル、サラァナと対峙した。
「おにーさん! 覚悟しいや!」
「うぉっ、くそ!」
予想以上のスピードで突撃してきたアトゥイを何とかいなし、鋭く突き続けて怯ませる。
そこに、ヤクトワルトが到着した。素早く位置を交替し、命じる。
「ヤクトワルト、キウル、ノスリ! アトゥイとオウギを頼んだぞ!」
「応さ!」
「はい!」
「任せろ!」
作戦はこうだ。キウルはアトゥイだけを狙う。ノスリはオウギだけを狙う。そして、ヤクトワルトは二人を守りながら、隙を見せるまで戦線を維持する。こうすれば、前衛が少なくとも、後衛二人を守りながら有利な勝負に持ち込める。
「おっと、流石、姉上の矢は速いですね……」
「キウやんの矢もしつこいなあ」
「余所見は俺に失礼じゃない」
「ぐっ……! や、やるなあ、ヤクやん」
「恐るるべきは、初手から裏切りを扇動するハクさんの容赦のなさですね」
どうやら、中々押している様子。
では空いたルルティエは、先程裏切ってもらったウルゥル、サラァナに相手をしてもらう。
そして自分とネコネは、一番の強敵であるオシュトルと対峙した。
「む……早速裏切られるとは……一応裏切ってはならぬと念を押しておいたのだが……」
「こうでもしないと正直勝てないからな」
「ハクさんらしい、卑怯で姑息な手なのです」
「ま、その分、あとでウルゥル、サラァナのいうこと聞かんとな」
二人と約束事をするのはリスクが大きいが、確実に勝つにはこれしかなかった。
裏切り無しとは聞いていないからな。
「そして、詰みの一手が、これだ」
そう言って、ネコネをオシュトルの前へと歩かせる。
「兄さま、わたしの成長した姿、見てもらうです!」
「ほぅ……」
これは時間稼ぎだ。ヤクトワルト組がオシュトル以外を倒してくれれば、この勝負は勝ちだ。それまで、オシュトルをとどめておけるのは、ネコネしかいない。
「成程、某にはネコネは殴れぬと見て、ネコネを前に出したのか……」
「おっ……?」
オシュトルからの視線が、冷たいものへと変わる。
成程、これがオシュトルの殺気か。
「ハク、其方には少々お灸を据えねばならぬらしい」
「そうかな。ネコネが戦えないと思っているなら、それこそお門違いだぜ、オシュトル。それなりの場数は踏んでるんだ」
これは間違いない。それに、誰が自分は後衛をやると言った?
「さて……斬り合いは任せとけ、ネコネ。オシュトルに自分が斬られそうになったら、使ってくれ」
「わかっているのです!」
作戦は、ピンチになったらネコネに二人とも吹っ飛ばしてもらう作戦である。
自分はネコネの傍で戦い、ネコネは自分がピンチだと思えば、周囲全て風の呪法で吹き飛ばして、体勢を立て直す。
そのためには、ネコネは前衛にて瞬時に発動可能な呪法を展開しておき、それを同じく前衛にて護る必要がある。
「む……なるほど……そういえば、其方と剣を交えたことはなかったな、ハク」
「まあな。だが、ネコネがいる分、まだ戦えるぜ」
「そうか……では、参る」
先ほどの氷のような表情から一転、あたたかな表情へと変わるオシュトル。
しかし、殺気というか剣から放たれる剣気のようなものは相変わらず凄まじかった。
本当に勝てるのかね。これに。
一撃目。
「うっ」
「どうしたハク! この程度受け止められぬようでは、某と並び立つこと叶わぬぞ」
二撃目。
「うぐっ」
三撃目、四撃目と鋭い剣戟が飛ぶ。本当に怪我をしているのか、これで。
ネコネから離れすぎないようにしながら、剣戟を受け止め続ける。しかし、これでは時間稼ぎすらできない。
「ネコネ!」
「はいなのです!」
ぶわっっと、広がる風の爆発。
その場から全てを弾き飛ばす風は、オシュトルでさえも距離を取らざるをえないものだった。
しかし、自分の体は、その場から動くことはなかった。
吹っ飛ばされたオシュトルが、疑問の表情を浮かべる。
その答えを見せつけるようにして、懐から札を取りだす。
「これだよ、オシュトル。風除けの札だ」
ネコネ特製の風属性の呪法を軽減する札だ。
これがあれば、オシュトルが吹っ飛ばされる風であっても、自分なら耐えることができる。
「さて、時間稼ぎはできたかな」
そう思い、ちらとヤクトワルトの方へ目を向けると、ヤクトワルトが抑えきれなかったのか、アトゥイがこちらに向かって突撃してきた。
「おにーさん! 覚悟!」
「うおっ!? こっちくんな!」
ネコネが再び呪文を唱え始めるも、発動にはまだ時間がかかる。
キウルの援護射撃を弾きながらこちらに槍を突きだすアトゥイの相手をしなければならない。
「くっ!」
アトゥイは、防御を犠牲にして攻撃に偏ったタイプだ。
攻め手を相手に与えてしまえば、一気に突き崩される。
「はあっ!!」
「ぅん!?」
鉄扇で槍の持ち手に向かって突き続ける。
攻撃の間隔を空ければ、瞬時にカウンターが待っている。
ネコネが風を発動してくれるまで、なんとか持たせねばならない。
「ネコネ! 頼む!」
「はいです!」
目の前のアトゥイが弾き飛ばされ、何とか発動してくれたのだろう。これで当面の危機は去った。
しかし、ネコネに振り返ろうとしたその時、ひやりと首筋に刀が当たっていた。
「ハク、切り札は敵に見せてはならぬよ」
札だけに、ってか?
オシュトルの手元を見ると、自分の体に張り付けた風除けの札に、オシュトル自身の手を当てていることがわかった。それで先ほどの風を回避したのだろう。
「……流石はオシュトル。いけるかと思ったんだがな」
「札の種明かしさえしていなければ、もう少し時間稼ぎができたであろうな」
「流石兄さまなのです」
「……ネコネ、お前どっちの味方だよ」
「おしゅのかちだな!」
試合を観戦していたシノノンが、赤色の旗をあげたことで、皆は武器をしまい、わらわらと群がってきた。
「オシュトル組やから期待できへんなあ、って思ってたけど、おにーさんも素敵殺ったぇ……おにーさん、ずんずんとあんな激しく突いてくるんやもん……お腹の奥がキュンキュン熱くなって、天に昇るような快感が躰中を駆け巡ったぇ……おにーさんもいつの間にか強くなってたんやねぇ……」
「こっちに来てほしくなくて必死だっただけだ」
あと妙なこと言うな。
ルルティエが疑いの目を向けてきているじゃないか。
「主様の鉄扇がわたし達のお尻を平手打ち」
「その衝撃が痛みから快楽へと代わり、背筋を伝い脳天まで駆け巡る」
「「これぞ主様の愛、欲」」
そっちも対抗するな。あと、自分のせいではあるが、お前らすぐに裏切っただろ。
ネコネが道端のンコを見るような目を向けてきているじゃないか。
「しかし、思わず熱くなっていけないねぇ。つい本気になって、もう少しで収拾がつかなくなる所だったじゃない」
「アトゥイだけかと思ったら、お前らまではっちゃけるとはな」
「まあまあ、旦那もよく頑張ってたじゃない」
「お前らのせいで、生き残るために必死だっただけだ。いつ惨事になるか冷や冷やしたぞ……主に自分が」
「しかし、オシュトルの旦那は流石じゃない。怪我を微塵も感じさせない剣捌き」
「そのようなことはない。剣を交えることで、互いをより理解できる。某が剣をそう評するのは、此度が剣を交えた最初であるからというだけのこと。この経験は次の戦いに生きるだろう」
「いや、兄上のは本当に剣が見えませんでしたから……」
いやいや、自分なんかオシュトルの刀が三本に見えたから。
構えているだけで燕返しになるとか、佐々木小次郎も嫉妬するだろうなあ。
「皆さん、お茶が入りました。お弁当も用意してありますので御食事にしませんか?」
ルルティエとエントゥアが持ってきてくれた食事の匂いに、一同がわらわらと、料理に群がる。
「そうだな。今回はここまで、後はのんびり休むとしよう」
「くえ、キウル、あ~んだ」
「え……ええと、シノノンちゃん?」
「あ~ん、だ。たたかうおとこをささえるのが、おんなのやくめだからな」
「あ~……うん……気持ちは嬉しいのだけど……」
「こっちを見たりして、どうかしたですか?」
「え? い、いえ……何でも……」
キウルとシノノンとネコネのやり取りに、ヤクトワルトと二人して笑う。
頑張れキウル。
「ところで、酒はないのか?」
「準備万端」
「主様より、秘蔵酒をお持ちしております」
「あ、それはっ!」
隠していたものじゃないか! いつの間に!
酒はないのかと聞いた手前、自ら無かったことにするのも……。そう考えている内に、わらわらと目ざとい連中が集まってくる。
「なんだハク。気がきくではないか!」
「見直したでぇ、おにーさん」
「流石はオシュトルの旦那が選んだ相棒じゃない」
「組長として敗北の責任はとるということですね」
「共に剣を交え、共に飲み、共に歌う。それも共に強くなるためには必要な事か。流石はハク、紅白試合の提案者だけに趣旨をよく理解している」
「そうなのですか、少し見直したのです」
「ああ、ネコネ、ハクにお酌をしてやれ。卑怯な手を用い、尚且つ敗北したとはいえ、ハクは今回立案者であることから、褒美まで用意していたのだから」
「あ、兄様がそういうのなら仕方ないのです。ダメダメのハクさんに、仕方がなく! お酌してあげるのですよ」
開けられ、どんどん無くなっていく秘蔵酒。ああ、高かったのに……。
「では、どうぞなのです」
「あ、ああ」
まあ、普段お酌などしてくれないネコネが素直にお酌してくれたことに免じて、今回はいいか。紅白試合で負けるたび酒を持ってかれちゃ困るけどな。
「ああ、ネコネ。キウルにもお酌してやれ、負けたとはいえ、あいつは活躍したからな」
「あ、はいなのです」
キウルがいなければ、アトゥイの連撃には耐えられなかった。正直、惨事になっていたことだろう。
ネコネに注いでもらい喜んでいるキウルがこちらに感謝している姿を見ながら、酒を喉に流し込む。
「っっかあ~……! うまい!」
流石いい値段しただけある。
そうしてネコネに入れてもらった酒に酔っていると、そろそろと、側に寄ってくるオシュトル。
「ハク、感謝する」
「何が?」
「平和ではない日々の中で、こうやって平和な時間があることは何物にも代えがたいのだ。ハクがいなければ、某にはこうした時間は作れなかった」
「……そうか?」
「そうだとも。たとえ某がウコンであったとしても……アンちゃんにしか、作れなかったものさ」
「……そうかい」
「それに……」
と、オシュトルの目線が、皆にお酌を注ぎに行くネコネの姿を追う。
「ネコネが兄以外に信頼できるものを見つけていたこと、そしてそれをこの目で見ることができたことに、感謝している」
「ネコネが?」
「ああ。アンちゃんには全幅の信頼をおいているだろう」
「あん? ネコネが、自分に?」
んなわけないだろう。
気にいらないことがあれば脛を蹴ってくるし、今回の作戦だって納得してもらうまで大変だった。
「信じられねえか? まあ、そうだろうなぁ。俺も、この目で見るまでは信じなかったさ。ああ、兄離れっていうのは、こういうことなんだなぁ」
しみじみと、ウコンの口調のまま涙ぐむ。
「ネコネは、俺には勿体無いくらい優秀な妹さ。だが、それがあいつの年相応さを奪っている……それこそ、キウルすら、ネコネに対して一定の理想を求めているだろう。最年少学士だって、周囲から求められる期待に応えようとしてのことだ。右近衛大将などなっちまったばかりに、ネコネには苦労をかけた。だが、アンちゃんは、ネコネをそのままの存在として見てくれている。価値を認めてくれている。だから、ネコネにとってアンちゃんの傍は居心地がいいんだろうなあ……」
「? よくわからんが、ネコネはネコネだろ?」
「くく……そうだな。だが、それを――まあ、いいさ。アンちゃんは、気難しいがとんでもなく可愛いうちの妹の理解者だってぇことだ。これからも、ネコネをよろしく頼むぜ」
言っている意味がよくわからなかったが、オシュトルにとっては感動できることだったのだろう。
オシュトルは、そこで話を変えるかのように、感慨深げに呟いた。
「ああ、しかし、こうしてまたアンちゃんと飲める日が来るとはなぁ」
「前は男の裸を見ながらだったなぁ」
ボロギギリに船の上で追いまわされた後の月見酒のことや、自分を励ますため男連中が裸で盛り上がって酒盛りしていたことを思い出す。
オシュトルは、ウコンの口調から、普段の口調へと戻り、盃を掲げた。それを真似て、こちらも盃を掲げた。
「今は情勢が読めぬ故、政務が忙しい。暫くは共に呑めぬが……時間ができれば、また飲みに誘ってもよいか?」
「勿論、良い酒を期待してるぜ」
「ああ、勿論だとも」
そのままどんちゃん騒ぎになる広場の中で、二人酌を交わしたのであった。
○ ○ ○ ○ ○
その日の晩、夜遅く寝所に潜った時だった。
いつものようにごそごそと隣に潜ってくる双子が、今日は二人して自分の顔を覗きこんだままだった。
「……? どうした?」
「主様」
「紅白試合の際の約束の件ですが……」
「う……覚えていたのか」
「もち」
「主様との約束、忘れるはずがありません」
妖艶な微笑とともにそう告げる二人に、ある種の危機感を感じさせた。
やっぱり、言うんじゃなかったか。
正直勝てば官軍だったが、結局負けてしまったので、リスクだけが嵩んだ結果となった。
「ち、ちなみにいうことを聞くとは言ったが、何でもとは言ってないぞ」
具体的には、エッチなものはダメだぞ。
その言葉を聞き、殊更残念そうな表情になる二人。
「じゃあ添い寝」
「腕枕を所望します。具体的には、裸で――」
「裸じゃないならいいぞ」
というか、いつも勝手に裸で潜り込んできているだろう。
腕枕程度でよかった。
「無問題」
「少し残念ですが、腕枕さえしてもらえるなら……一歩前進できました」
実に嬉しそうな二人。
今までの添い寝と何が違うんだと、早速横になって腕を横に差しだす。
「では、好きにさせて頂きますね」
「至福」
ごろんと、両脇に二人の頭がくる。
そして二人は、頭に回った腕をそのままに、肘から先の腕を胸元に抱え込むような形にした。
なんだ、これ。思ったより――密着度が尋常じゃないぞ。
右を向く。
「ふふっ、主様。どうかなさいましたか?」
左を向く。
「ムラムラする?」
右を向く。
「主様、そんなに近くで見つめられると……」
左を向く。
「ムラムラする」
正面を向く。
天井しか見えない。
そうだ、天井見て寝よう。それがいい。
しかし、今まで以上に、顔が近いんだな、腕枕って。殆ど唇が触れそうな距離だ。
というか、正面は正面で二人の吐息が耳にかかって、ぞわぞわするぞ。
「最高……」
「幸せです……」
これは、思った以上に、とんでもない約束をしてしまったかもしれない。
しかも、二人は体に自分の体を押し付け、絡ませてきた。
「主様?」
「もう寝てしまいましたか?」
「……」
「狸寝入り」
「主様がその気なら、こちらにも考えがあります」
ふーと息を吹きかけてきたり、何かを囁き始める二人。
ぞくぞくとして躰が震えてしまい、たまらず声を出す。
「頼むから寝かせてくれ……」
「しかたない」
「主様がそういうのなら……」
二人の体温を直に感じながらも、一生懸命目を瞑るが、その日はなかなか眠れなかった。
裏切り作戦は、今度から使わないようにしようと誓ったのだった。
ウルゥルとサラァナの誘惑に負けないハクはすごい。
この二次創作では誘惑に負ける展開を書きたいけど、負けるとハクじゃない感じがする。
難しいですね。