【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~   作:しとしと

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第四十七話 信ずるもの

 終わらぬ剣戟。

 軋む骨、裂ける肉体、毀れる切っ先──

 

「──ッやめてくれ! アンちゃんッ!!」

 

 何度叫ぼうとも、その言葉が届くことはない。

 

 ハクは正しく狂喜が踊っているかの如く、流麗な太刀捌きで己を追いつめる。

 某が教えたのだ。毎日毎日幾度となく打ち合い、高め続けてきた。その磨いた牙が、今某へと向けられているのだ。

 

「どうシた、オシュトル! その程度かッ!」

「ぐぅッ!」

 

 ──強い。

 

 純粋な技の数ではこちらが勝る、しかし、力も間合いも向こうが上。

 

 本気で戦わねば死ぬのは確実である。それだけの強さを誇っているのだ。

 

 しかし──

 

「ハク! 目を覚ませ!」

 

 目の前の者がハクそのものなのか、それとも操られているのか、それがわからぬ。

 故に、某も力を出せぬ。覚悟を決められぬ。

 

「──はあッ!」

 

 問答無用とばかりにハクによる神速の突きの連打、首を僅かに反らしながら躱す。

 それでも躱しきれぬ一つを刃で以って逸らし、即座に接近して相手の武器を奪おうと──

 

「──ふんっ!」

「ぬッ!?」

「その技は今まで何度も見たッ! 舐めてイルのか、オシュトル!!」

 

 がきりと逸らした筈の突きはそのまま某へ圧を駆けるかの如く振り抜かれる。

 躱しきれぬと判断し、思わず大きく飛び退いて後退する。

 

 ──勝っていると思っていた技量ですら、見抜かれ対策され始めている。

 

 ちらと後ろを見るも、退路を塞ぐ炎が消える気配は無い。

 水神である己の力を使い、多量の水をかけたところですぐさま蒸発するであろう。火神とは相性が良くないのだ。

 

「腑抜けたか、オシュトル……まるで打チ合わない。逃げルだけだ……」

「……お前は、俺の知るアンちゃんなのか?」

 

 残念気にやれやれと首を振るハクに問い掛ける。

 言葉が通じるのであればと一瞬希望が湧いたが、その感情はハクの次なる言葉で粉々に打ち砕かれた。

 

「……オシュトル、お前は今、自分が操ラレていると思っているんだろウ? それハ違うぞ」

「な……っ!」

 

 違うと、言うのか。

 友に向けた言葉も、殺意も、本物だと、認めるのか。

 その真実を認められず、叫ぶ。

 

「違う! アンちゃんはそんな奴じゃねえ……俺の相棒で、友で、どこまでも頼りになる……ッ!!」

「……」

「どうして、そんな冷めた面で俺を見るんだ、アンちゃん……暴走しているだけなんだろう? そうなんだろッ!」

 

 苦しい。友と誓った者から向けられる、この視線に耐えられない。

 ハクは以前より仮面が暴走すると警戒してきた。その暴走が、今の状態を引き起こしているのではないのか。

 そう誤魔化すように叫ぶも、ハクの敵意は露ほども減らなかった。

 

「仮面ガ暴走……」

「ああ、以前暴走する可能性があるって、そう言っていたじゃねえか! それが今の状態なんだろう?」

「そうダな。その通りだ」

 

 ハクは邪悪な笑みを浮かべると、己の真実を話した。

 それは──俺の心を少しも軽くはしない、それどころか絶望を助長する事実であった。

 

「仮面が暴走した結果。それは確かニそうだ。だが、これも我ノ──自分の気持ちなんだ」

「アンちゃんの、気持ち……?」

「コノ仮面に仕込まれた機能は……感情を大幅に増幅、乗算スルというもんだ」

「感情を増幅……」

「そう、元々の仮面でサエ、力と感情を増幅させて力を発揮する。この仮面はそレだけじゃアない……かつてのヴライがそうしたように、感情を爆発的に増幅サセ、それを力に変えてイル……!」

「……!」

「気づいたか、オシュトル……細工の正体は、新たナ何かを付与した訳じゃない──元々ある感情ヲ増幅させただけだ」

 

 これまで語った言葉も、態度も、全てハクが日頃より秘めていた内なる悪感情であったということなのか。

 

「冷静な頭がいくら否定しようとも、内に秘められた……自分でも気づかない小さな感情がつい表に出てくることが、これまで幾度となくあった。殺した方がいい時は殺せと、戦った方がいい時は戦えと心はどす黒く叫んでいた……そして皆と楽しく振る舞っていながら、心のどこかで思っていたんだ……愛を囁かれ、受け入れたい気持ちを抑え、そうではないと……造られた気持ちなのだと否定してきた。無意識にな」

「……」

「元から、自分の心の奥底に眠っていたんだよ。自分の狂気モ、孤独感も、お前への羨望も……ソシて、お前に勝ツ、その為なら──互いを殺シ尽くスことすら厭わないと!!」

 

 再び深々と剣を構えるハク。

 その瞳は狂気、そして何事か覚悟に彩られたようであった。

 

「自分が何をしようが、世界に自分が認められることは無い……たとえ認められようとも、自分自身が、それを疑ってしまう」

「……アンちゃん」

 

 そこで、ハクは首をふるふると振り、初めて悲し気な表情を見せた。

 泣きそうな、自らでも感情の奔流に耐えられないといったように見せた、友だけに見せる悲哀の色。

 

「自分を、止めてくれ……オシュトル。もう、こんな、感情に任せた醜い自分を晒したくはない……お前以外に、自分を止められる奴はいない……我を……自分を討て! 討って見せろ! 我が友オシュトル!!」

 

 心は少しも軽くならぬ。

 人であれば必ず持つであろう、心の奥底に秘めた絶望、憤怒、数多の受け入れられぬ感情の吐露。それを、止めねばならないことだけはわかった。

 ハクがたとえ本心であろうとも奥底に沈めていた筈の激情に苦しんでいる、そう感じたのだ。

 

「それが、我が友の願いというのならば……」

「ああ……それでこそ!」

 

 覚悟を決めた。

 俺が生きてきた理由、それはハクを止めてやるためだったのかもしれぬ。ハクが孤独に怯える理由はわからぬ。しかし、孤独に苛まれた友を救う手段は、ある。

 

 友の願いを聞き、それを支えてやることだ。

 剣を上段に構え、その覚悟を示す。

 

「総大将オシュトル……参る!!」

「……いいぞ、お前はやっぱり、そうでないとな……ッ!」

 

 ハクはその笑みを深く歪めると、片足を大きく上げ、叩きつけるように地へと振り下ろした。

 

「はああああッ!!!」

 

 耳を劈く破壊音を響かせ、力任せに地を掘るかの如く地面を削り、その衝撃で聖廟に多数造られる岩の塊。

 聖廟の材質は恐ろしく堅い物質であった筈、それを意図も容易く──その一つを、まるで投擲するかの如く刀で弾き飛ばしてきた。

 

「っ……!!」

 

 人ほどもある大きさの岩を剣では捌けぬと横へ跳躍して躱す。

 

「──はッ!!」

 

 ハクが、遠方より避けた筈の岩へと指を差す。

 すると──爆発音と風圧を伴い、宙にあった岩の塊が炎を纏って弾け飛んだ。

 

「うッ!? ぐあっ──!!」

 

 宙に躱してしまったことで散らばる破片は躱しきれぬ。腕で顔を覆い、その礫を身に受ける。

 そして、この技によって作られた死地に気付き身を凍らせる。

 

「せぇりゃああああッ!!」

「──くっ!?」

 

 気を逸らした瞬間を見逃す男ではない。

 一瞬で俺のいた場所へと刀を振り下ろし、辛うじて避け得るも再び肉薄するようにハクの剣筋が己の体を打つ。

 

 体勢を崩されてしまった。

 その隙を回復させまいと、ハクによる風をも切り裂く嵐のような乱舞が己を襲う。その目の前の対応に難儀していれば──

 

「!? がはっ──」

 

 警戒していなかった後ろ手より再びの爆発──炎弾による罠か。

 熱気と風圧によってさらに体勢を崩され、剣での防御すらままならない。防御を抜かれ、ぶしゅりと浅く裂かれた腿や腕から血が漏れる。

 

 ──強い。ヴライより、ミカヅチより。

 いや、これは、もはや──俺よりも、強い。

 

 左手の鉄扇で炎を操り、右手の長巻で炎を避けた隙を突くように追いつめる。

 まるでショウギの駒を一歩一歩進めるかの如く、刻一刻と王手をかけんと退路を減らしていく。

 

 普段の調練では見ることの無い、持ち得る全ての知技力を結集した姿──ハクの本気が、そこにはあった。

 

「ぐうッ……がっ……!」

 

 これほどの、これだけの力を以って尚、俺との調練では一度も、この力を使わなかった。

 

 何故、何故だ──

 

「──水くせえじゃねえか……アンちゃんよ」

 

 容赦無い追撃によって生まれる痛みに顔を歪めると共に、己の切ない感情を吐露する。

 

 友であるからこそ、そして誰よりも優しい奴だからこそ、こんな力を、ずっと隠し持っていたのだ。そして、俺に気をつかって本気を出すことは無かった。

 そんな隠し事は、他にもあるのだろう。昔からそうだった。

 

 友だからこそ、憎まれ口を叩きながらも、最後には黙ってついてきてくれる。

 友だからこそ、大事なことは何も言わず、黙って何でもこなしちまう。

 友だからこそ、誰にも何も言わず、黙って消えちまう。

 

「アンちゃんの孤独──その本当の意味はわからねえが、成程確かに、爆発しちまうのもわからなかねえ……」

 

 誰かが、アンちゃんの孤独をわかってやらなきゃならなかったんだ。

 誰かが、アンちゃんが無理していることに、気づいてやらなきゃならなかったんだ。

 

「アンちゃんよ、俺を友と言うなら、俺がやらなきゃな……」

 

 アンちゃんに一体どれだけ救われただろうか。アンちゃんが、どれだけ幸せな時間をくれただろうか。

 その恩を、今ここで返せるならば──アンちゃんの孤独を少しでも癒せるならば──今ここで俺が証明してやらなきゃいけねえんだ。

 

 ぎり、と握る柄に力が籠る。感情が、痛いほどに胸を打つ。

 

「アンちゃんよ……お前が誰だろうが関係ねえ……アンちゃんは気のいいただのアンちゃんさ……俺の友で、俺達の家族だ。アンちゃんは孤独じゃねえってことを、俺が証明してやる」

 

 その小さなつぶやきは、果たしてハクに聞こえているだろうか。

 劈く剣戟の音にかき消されているかもしれない。だが、それでもいい。これは、自分の決意なのだから。

 

「アンちゃんが、この世で一番強いと認めてくれた俺が……そのアンちゃんに負けるわけにはいかねえんだッ!」

「ホザケッ! オシュトル!」

「何しろ……この世で一番、俺を認めてくれている親友の言葉なんだッ!! 俺が守らねえで誰が守るってんだッ!!」

「!? ぐっ……」

 

 一方的に嬲られていた俺の思わぬ反撃に、ハクが大きく後退する。

 その瞳は相も変わらず黒い炎に塗り潰されている。しかし──

 

「──アンちゃんの言葉を、自分の誓いを、俺は裏切らねえ……!!」

 

 誓ったんだろう、オシュトル。アンちゃんを、二度と失わねえと。

 全て抱いて見せろ。大いなる意志も、定も関係ねえ。アンちゃんが認めてくれたのならば、俺はアンちゃんを止めるまで戦い続けられる。それを、孤独と悲しむアンちゃんに見せてやる。

 

「覚悟しろよ……アンちゃん……! アンちゃんを倒して、暴走を止めてやる……!」

「オシュトル……!!」

 

 ぴん、と空気が変わった音がする。

 ハクの優位は揺らがない筈であった。それは向こうも感じている。

 しかし、確かに何かが変わった。その違和感に見切りをつけられてしまえば、つけ入る隙は無くなる。

 

「はああああッ!!」

 

 裂帛の気合いと共に、初めてこちらからハクへと挑む。

 

 何度も何度も打ち合った。

 互いの癖も、釣りの動きも、小手先の技も、全て見せ合ってきた。

 優劣をつけるは、見せたことの無い技をいくつ持っているか。相手を鍛えるための技ではなく、相手に勝つための、殺すための技。

 

「がはっ!!」

 

 ハクが血を吐く。

 警戒していない鞘での一撃がハクの腹部を襲う。

 俺がこんな姑息な手を使うのが意外だったのだろう、ハクの瞳は大きく見開いている。

 

「卑怯とは言うまいな。アンちゃんよ!」

「っ……ああ、勿論だ!!」

 

 互いに見える笑み。

 そして再びの膠着状態。相手を知りすぎているからこそ起こる、延々と続く斬り合い。

 

 どうだ、こんなにわかりあっているんだ。

 アンちゃんが誰であろうと、孤独なんかじゃねえ。

 

「オオオシュトルゥッ!!」

「アンちゃんよおッ!! 悪いが、この勝負、勝たせてもらうぜッ!!」

 

 ハクが誇る最も強い要素──それは、極端な冷静さ。

 その冷静さが、シスとの一騎打ちでも、決戦においても、いかなる時もその勝利を齎してきた。

 だが──

 

「今のアンちゃんは冷静じゃねえ! それなら、俺にだって勝てらあッ!!」

「ぐっ……!?」

 

 爆発する感情に翻弄されるハクなぞ、敵ではない。

 もっとも怖いのは、あくまで冷静なまま行動するハク──元のアンちゃんだ。

 

「消えろッ、ヴライの亡霊よ!!」

「がっ……!!?」

 

 水神の力を使い、口より鋭く射出した水を目潰しに用いる。ハクは一瞬目元を抑え、その一瞬だけ優勢は覆される。

 仮面の力さえ解放させない。この手で、俺が──

 

「──アンちゃんッ!!」

「──オシュトルッ!!」

 

 振り返るように交差した後、互いの剣を構え神速の突きを繰り出す。

 その切っ先が先に届いたのは──

 

「──ありがとう。オシュトル……」

「……」

 

 どさりと、血だまりを作ってハクが倒れていた。

 俺が、やったのだ。しかし、ハクの表情は晴れやかであった。

 ハクの孤独を、少しでも癒せたのならば──

 

「っ……」

 

 力の入らなくなった手元を見れば、赤黒い吐血の色。

 致命傷は避けた、しかしハクの出血が多い。

 

「アンちゃん……生きるも死ぬも……一緒だぜ。絶対に、死なせはしねぇ……」

 

 急ぎ治療へ──と痛む体を引き擦りハクを抱えようとした時だった。

 

「いやはや、感動する戦いでしたが……貴方が勝ちましたか……後継者候補ともあろうものが、情けない」

「!? 貴様は──」

 

 そこにいたのは、かつて影光と仇名された、元八柱将ウォシスの姿があった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 美しい筈の聖廟の地は避け、焼け焦げ、その戦闘がかつてないほどの規模であったことを実感させた。

 

 彼にとって最も信頼する少年兵三人を伴い、その様を見て薄く笑みを浮かべる。

 

「ふむ……殺す気は無かったのですが、彼は死んでしまいましたか」

「仮面は使いませんでしたね」

「そうですね……データを取りたかったところですが、仕方ありません……しかし仮面は有用です。回収しましょう」

 

 天眼通の者より、聖廟の中心部にて刺し違えるように交差した後、ハクが血溜まりを作り倒れたことを確認。その姿を彼の者達の前へ現した。

 

「いやはや、感動する戦いでしたが……貴方が勝ちましたか……後継者候補ともあろうものが、情けない」

「貴様は──!? ウォシス!」

 

 オシュトルは酷く驚いたように、私の名を叫ぶ。

 

 もはや、彼が死んでしまったのならばオシュトルにも既に用は無い。

 私の成したかった復讐の形とは違えども、私が直接手を下したわけでもない。不幸な事故であれば、我が父上も仕方がないと諦めるだろう。

 

「やりなさい」

「くっ……!」

 

 オシュトルが武器もなく瀕死の体でハクの前に進み出た時であった。

 その場にいる筈のない声が響く。

 

「──やはり、貴様が黒幕か、ウォシス」

「ッ! 貴方は……」

「何故、ここに……!」

 

 突如として響いた聞きなれた声──振り返れば、そこにいたのは、ライコウ、そしてミカヅチ、それに鎖の巫女であった。

 

「「「御下がり下さい、ウォシス様!」」」

 

 三人の少年兵が警戒するように前へと進み出る。

 

「お久しぶりですね、ライコウ、そしてミカヅチ……貴方達にも草をつけていた筈ですが?」

「取り巻く環境には警戒していたに決まっているだろう。幻術を用い、今頃居もしぬ部屋を見回っている頃であろうよ」

「そうですか……」

 

 優秀な草の一人であったが、そのような失態を犯すとは。

 まあいい。それよりも、彼をここに寄越すに至った経緯が気になった。

 

「なぜ……鎖の巫女と共に、ここへ?」

「ハクより以前相談を受けていたのだ。隠れる兵を釣りだす策を用いただけのこと」

「な……」

「なるほど……私を釣ったと。しかし大魚を釣るためとはいえ、餌が死んでしまえばそれも意味の無いものでは?」

 

 そう思いオシュトルを見るも、彼もまた驚愕していた。

 演技でできる反応ではない。故に釣られてしまったか。

 

「「主様」」

 

 そして鎖の巫女より簡易的な治癒術が二人へと振りかかり、血の気の失せたその頬に赤みが差したことで、未だ彼が生きていることを実感させた。

 あれほどの傷、そして力の解放。深手であることは疑いないが、と思えば、あれほどあった血溜まりは失せていた。巫女による幻術──揃いも揃って小賢しい。オシュトルも情けをかけるだけの余裕があったということか。

 

「……そう、彼はまだ生きて」

「動くな、ウォシス」

 

 瀕死の彼ら二人にとどめを刺そうとしたと思ったのだろう。ミカヅチがその大剣で以って己を引き止めた。

 害する気はないと、その傍から離れた。

 

 ライコウはいつもの如く武器も持たずに憤然としたまま己を見つめ、投降を呼びかけた。

 

「投降しろ、退路は無いぞ。ウォシス」

「あなたの案ですか、ライコウ?」

「ああ、そうだ。何の怨恨かは知らぬが、共倒れを狙う場面で闇の手の者が動くことは予想できた。まさか本人が見に来るとは思わなかったがな」

「……しかし、あれほどの戦い、演技では無かったでしょう?」

「そう見えたか? 貴様が出てくるほどのもの……確かに本気であったのであろうな」

 

 恍けるように言うライコウ。あり得ぬ策である。

 己を釣りだすためだけに、あれだけの戦いを、演技でもなく、本気で繰り広げたというのか。

 

 最も驚いているのは、オシュトルであった。動揺するようにライコウへ問う。

 

「ライコウ……其方」

「オシュトル、お前には後で説明しよう。全ては奴を釣りだすための策……」

「ほう……私をね……もしかすれば、死んでいたかもしれないというのに?」

「知も武も互角……それに、俺に勝った奴らだ。信ずるに値する。それに、ハクが仮面自体の性能を制御するものを新たに入れたそうだ。故に解放して共倒れもない」

「ふ……ふふふふ、なるほど、私の細工を見抜き、初期化できぬまでも、同じ手法を用いてデータを上書きしたといったところですか……」

 

 私の細工を見抜き、尚且つそんなことができるのは一人しかいない。

 マスターキー無しでは入れぬ場所でこそこそと隠れていた父上──前帝である。

 

 ハクの仮面に施した細工。それは感情を増幅させ、安定を乱すデータを追加で入れたもの。

 亡きヴライが度々力を解放し不安定な感情状態を維持していたデータを参考にした。

 そして、更に本人すら気づかぬ心の奥底に秘められた悪感情を只管に増大させる作用も狙っていた。故に決戦時も彼か、その大事な者を傷つけ殺すことでその憎悪を高めんとしたのだ。

 

 その細工はこれまで適当に組んだものとしては上手く発動したと思っていたのと、ハクは仮面を外せぬことや、初期化できぬよう元データから独自の方式を用いたが、仮面を解析し私も知らぬ別の対策を用いたといったところか。

 あの傷で、満足に動けもしない中よくもまあそこまでできたものだ。

 

 ──そんなに私の邪魔をしたいのですね、父上。

 

「予想では、もう少し後に暴発するかと思っていましたが、その予感が当たっていたようですね。父上からの横槍もあったならば、仕方がありません……父上は相も変わらず彼に夢中のようです」

「父上? 何を言っている」

「貴方にはわかりませんよ……まあ、いいでしょう。私が狙っていたのは彼の手で仲間が死ぬこと……彼が死んでしまうことは私も本意ではありませんでした。生きていたのは幸運と考えましょう」

「フン……歪んだ願いだ」

「己の器に相応しい願いを持っているだけですよ。無様にも負けた貴方と違ってね」

 

 ぴくり、とライコウの眉が動く。

 もっと激昂するかと思えば、ライコウはあくまで冷静に言葉を続けた。

 

「まあいい……牢で全てを吐いてもらうぞ、ウォシス」

「貴方は、相も変わらず偉そうに……死ぬかもしれない策を当然のように行い、駒のように他者を動かす……やはり貴方は殺しておくべきでしたね。しかし、その顔が驚愕に歪むのが楽しみですよ」

 

 聖廟の下より、騒ぎ声が近づいてくる。

 この闘争は遠方にまで響いていた。故に、ハクの仲間が戻ってきたのだろう。頃合いか──

 

 ただ、最後に聞きたかったことを聞いておこうと口を開いた。

 

「そうだ、ライコウ。何故、私だと予想をつけたのですか?」

「シチーリヤが喋ったのでな」

「そうですか、彼が喋りましたか……」

 

 忠に篤いと思っていたが、所詮はその程度だったか。

 

「口を滑らせたな、ウォシス。奴は喋らなかった」

「……」

 

 そうか、鎌をかけたという訳か。なるほど、相も変わらず小賢しい男だ。

 しかし、シチーリヤになどもはや興味も無い。露見したところで今更痛む腹でもないのだ。

 

「まあ、いい……一先ずは、私の予想を覆したことを褒めてあげましょう。ただ、私のやることは変わらない……計画を一つ進めるに過ぎません」

「貴様ァ! 逃げるかッ!?」

 

 背を見せた己に対し、ミカヅチが激昂した様に剣を構え、それに呼応するかの如く三人の少年兵が各々の武器を手に取る。

 ミカヅチの制止に思わず嘲笑を浮かべ、その行為を否定した。

 

「逃げる? ふふ、いいえ……見逃してあげるのですよ。復讐は別の形で行うことにします。私がこの世を支配する様を、何も知らない貴方達に見せてあげようとね」

「この世を……支配する?」

「「ウォシス様……」」

 

 未だハクを守るように立ち塞がるオシュトル。

 そして、警戒するように鎖の巫女は倒れるハクの傍へと寄り添っている。

 

 鎖の巫女、ここ暫くちょくちょく姿を消して草を撒いていたのもこのための布石だったか。その様を憎々し気に見ながら、伝言を頼んだ。

 

「ああ、鎖の巫女よ。彼が目覚めたら、伝えておいてください……トゥスクルで待っていると……早く来なければ、マスターキーは私が頂いていきます、とね」

「何……?」

 

 ライコウは訝しげにその聞きなれぬ単語に眉を潜めていた。

 ライコウではわかるはずもない。私の気持ちも、計画も、孤独も、全て知ることができるのは──

 

「ハク、貴方にもっと深い孤独を与えてあげましょう……私以上の、私よりも遥かに、絶望し、涙する……その姿が楽しみです」

「待てッ!!」

「デコイ風情が、動くな……ッ!」

「む!? ぐっ……」

 

 剣を振り被るミカヅチに対してそう告げれば、ミカヅチは石となるかの如くその場に留まった。

 ミカヅチだけではない、その場に居合わせる者全てがその身を竦ませた。

 

「な、何だ、これは……ッ!!」

「む……う、動かぬ……!」

「興醒めですね……これでわかったでしょう? 見逃してあげるという意味が」

「く、何故だ、動けッ!!! 貴様、何をしたッ!」

 

 ミカヅチが必死に剣を振り下ろそうとしても、その腕はぴくりとも動かない。

 その様を驚愕したように己の腕を見つめている。

 

「ここで貴方達を殺し尽くしても何も面白くはありません。私の孤独も怒りも、癒されることは無い……やはり、私と同じ存在である──ハク、貴方でないとね……さようなら、何も知らぬデコイ達よ。精々一時の満足感に浸っているがいい」

 

 動けぬライコウ、ミカヅチ、オシュトル、鎖の巫女を尻目に、悠々と聖廟を後にする。

 

 言霊による拘束──この力は、大いなる父としての力。

 父上、帝の後継者たる大いなる父である証明。

 

 これが在る故に、獣耳の生えたデコイに負けることなど万に一つも無い。デコイである彼らは、遺伝子に組み込まれている。大いなる父に従えと、愛せと、捧げよと。

 故に、誰からも心から従われることはない。愛されることもない。捧げられることもない。

 

 全ては命令によって、遺伝子によってそう造られているだけ──ハク、貴方ならわかるでしょう。

 貴方と私は同じ。しかし、大いなる父の遺産を継ぐのは貴方ではなく、私である。

 

 ──トゥスクルで、いずれまた会いましょう。

 

 未だ倒れ伏すハクへと目線をやり、その姿を闇へと消すのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 ウォシスが去った後、某は気力が尽きたのだろう。その後の記憶がない。

 

 次に目覚めたのは、帝都医務室であった。

 

 痛む腹部に顔を顰め乍ら、乾燥した瞳がその風景をおぼろげながら映し出す。

 

「──あ、アンジュ、いくらハクがぐうたらで女たらしでもここまでする必要はないかな!」

「ち、違うのじゃ、クオン! 今回は余ではないのじゃ! それに、オシュトルまでぼこぼこにする必要はないじゃろうが!」

 

 何やら騒ぎ声がする。

 そして痛みがぶり返し、起きようとした体は再び昏倒し、意識が遠くなる。

 

 そして再び微睡みの中、目を覚ますと、そこには先ほどまでの騒ぎは無く、シノノンの顔。

 

「お? オシュがめをさましたぞ!」

「む……シノノンか」

 

 痛む傷を抑え乍ら、身を起こす。

 そこには、シノノンの他には、聖上、ネコネ、クオン殿、ライコウ、ミカヅチ、鎖の巫女様、ヤクトワルト達がいた。

 

「兄さま!」

「おお、目覚めたか、オシュトル!」

「ネコネ……聖上……」

「良かった……一体、聖廟で何があったのじゃ……! ライコウもミカヅチも、ウルゥルもサラァナも、判らぬと……其方らが目覚めるまで待てというのじゃ!」

「あれほどの戦場跡、俺でも見たことがないじゃない」

 

 聖上とヤクトワルトの言に、仮面の力に呑まれたハクと決闘したこと、そしてウォシスが刺客として我らに迫り、ライコウがそれに対応するかのように突然現れたことを思い出す。

 

 冷や汗が噴き出るかのように、焦燥した声をあげた。

 

「! そうだ、アンちゃん──聖上、ハクは、どうなったのでありましょうか?」

「其方と同じく大怪我を負っておった。未だ目覚めぬが……」

 

 ちらと、聖上の視線を追えば、そこには未だ眠り続けるハクの姿。

 良かった、この手で命を奪わずに済んだのだ。

 

「ハクには腹部に浅い刺突傷があったかな。内臓は上手く避けていたし、応急処置があったからもう少ししたら目覚めると思うけど……」

「そうか、良かった……忝い、クオン殿」

「それで、一体何があったのじゃ? 最初にお主らを見つけたライコウ達も刺客を見たがわからぬと言っておった……」

 

 刺客とはウォシスのことであろうか。ライコウを見れば、意味深な視線を受ける。

 

「其方らから、まだ話していないのか?」

「ああ、俺も確定できぬことは話せぬ。まずは擦り合わせねばな」

「……」

 

 その言葉に、自分達だけで話したいという意図を感じ取った。

 ハクが暴走したなど言えば、聖上の心情に影響を与えるであろうことは想像に難くない。

 

「……聖上、ライコウ達と話した後、まとめて報告したく存じます。某も、全貌を掴んでいる訳では無い故……何卒」

「む……わ、わかったのじゃ」

 

 某の嘆願を、聖上は泣きそうな顔をしながらも素直に受け入れ、ネコネ、クオン、シノノン、ヤクトワルトを連れ外へと出ていった。

 

 医務室には、某、ライコウ、ミカヅチ、鎖の巫女、そして未だ眠り続けるハクのみが残った。

 聞きたかったことを、皆に問う。

 

「ライコウ、ミカヅチ、そして鎖の巫女様よ、一体、どういうことなのだ。何故、ハクと戦うこととなった。何故ウォシスは現れた」

「それは俺から話そう。オシュトル」

 

 ライコウは壁に背をつけたまま、滔々と語り始めた。

 

「どこから話すか、そうだな──」

 

 まず、先日のことである。

 

 ハクはある危惧を以ってライコウへと相談していたという。それは──

 

「以前より──黒幕の存在、そして、その黒幕に自分が利用されるのではないかという恐れを、ハクは抱いていた」

「利用される?」

「ああ、仮面の暴走だ」

 

 ハクは、己の仮面への細工に、裏で暗躍する何かが絡んでいると以前より考えていた。

 そして、その仮面が近々暴走することに気付いたという。

 

「そう、以前より戦乱の影において、我らの……特に仮面の者の同士討ちを狙う者。ハクは、黒幕を放置したままトゥスクルに赴けば、自らのいない帝都で誰かに危険が及ぶかもしれぬと考えた」

「む……確かに、そうであるな」

「最近、その手の草が周囲に増えていることは報告していただろう。特に、幹部勢の周囲は多く、またシチーリヤを狙う手の者もいた」

 

 ミカヅチとの一騎打ちの際現れた、闇の先兵達。

 確かに、彼らは強い。ハクが赴くとなれば仲間も多数それに続いて動くことは予想できる。手薄となった帝都を狙う黒幕がいないとも限らない。

 

「そして、それだけではない。ハクはトゥスクル女皇の希望により、大使として彼の国へと行くことが決まっていた身でもある。もしトゥスクルに赴き、そこで仮面の暴走が起これば……」

「……国際問題は必至であるな」

「国際問題で済めば良いがな……確実に新たな戦乱が幕を開ける」

 

 恐ろしいほどの禍根を残すであろう。

 トゥスクルにてあのような力が暴走し、もし相手の重鎮達や民を巻き込んだとあっては──仮面の者を送り死兵として扱ったとして朝廷の威信すら揺らぐ。

 そして始まるのは新たな戦乱──ヤマトだけではない、海を隔て尚終わりのない怨嗟への道。

 

 その光景を夢想し、背筋が冷えた。

 

「もしそれを狙われているのであれば、我らの傍で蠢く者の危険性は高い……故に何らかの策を用いて、黒幕を何としてでも炙り出さねばならなかった。ここまではわかるな?」

「ああ」

「俺であれば、感情や危険性を別にして効率的な策を取ることができると言われ……一つの策を出した」

「……それが此度の暴走だと?」

「そうだ。ハクが仮面の力を暴走させ、そしてそれをオシュトルが討つ……以前より我らの同士討ちを狙っていた者達である。現ヤマト総大将と大宮司の戦程、魅力的な餌はあるまい」

「む……」

 

 しかし、ウォシスが言っていた通り、どちらも死んでいた可能性は高い。総大将と大宮司の死など帝都が再び混乱を齎す。

 それどころか、ハクの戦闘力は某の想像を遥かに超えていた。某が敗北し、そのままハクの炎が帝都全てを覆い尽くしていたかもしれぬのだ。

 

「しかし、危険すぎる策である……上手く同士討ちなどできる可能性は低かった。どちらかのみ死ぬる可能性もあっただろう」

 

 同士討ちを狙うには危険すぎる、事前に相談はあって然るべきものだ。

 その疑問に答えたのは、ライコウであった。

 

「それは無い筈であった」

「? 何故だ」

「ハクは仮面の力を制御していたからだ。あれは──演技だ」

「な……ッ! 待て、ハクは……演技であったと?」

 

 あの戦いがハクの演技であったというのか。

 それはあり得ぬ。今までに見せたことのない確かな殺意と、悲哀を持っていたのだ。

 

「ああ、演技……のつもりであった。しかし、ここからは俺もあまり原理はわからぬ。鎖の巫女が詳しく話してくれよう」

「仮面の暴走」

「その原理についてお話します」

 

 鎖の巫女はぽつぽつと語り始める。

 

 仮面の細工は、ハクが戦っている最中も言っていた通り、感情を暴走させる機能であったそうだ。

 そして、ハクが失踪した時のことである。

 

 仮面について詳しい者によって、仮面の機構に新たな機能を追加したという。

 

「仮面の細工は、発動すればするほど強化されます。以前細工された暴走機能は、主様が力を求める度にその感情を乱し、抑えられない規模となっていました」

「初期化できない」

「仮面を外さなければ元に戻すことは不可能──であれば、力を求めれば求める程、逆に力や感情を抑制する機能を新たに組み込みました」

「それは如何様によって……」

「これ」

「照射することで、仮面に新たな機能を有すことができます」

 

 皇女様が取り出したるは、見慣れぬ小さな装置。

 細かな部品が集うそれは、まるで前帝が用いる底知れぬ技術の一端であるように見えた。

 

「こっそり」

「主様がそこへ赴けば、事が露見する恐れもありました」

 

 なるほど、草を警戒し、こうした小型な物を用いて仮面を制御したのか。

 しかし、このような物を用意できる人物など限られる。まさか──

 

「──そのようなことが、可能な人物がいると?」

「いる」

「誰かはお話できませんが、私達は知っています」

 

 これ以上聞いても、話をできないというのであれば、彼女たちからその名を言うことはないだろう。

 であれば、他に聞くことがある。

 

 仮面を制御しうる手段を手に入れたハクは、安心してこの策を用いたのだろう。

 しかし──

 

「ハクは、自らを孤独と嘆いていた……あれも演技であったと?」

「それは想定外」

「試用では上手くいった筈でしたが……主様はわざと仮面の力を解放しようと精神を長く昂らせた結果、予想よりも暴走する作用が強過ぎたため、余りこの機能が上手く作用していませんでした」

「心の奥底の影が噴き出た」

「故に、主様の普段と違う言動があったのは、冷静な思考と暴走を交互に繰り返していたからだと思われます」

「何故、それがわかるのだ」

「思念でやりとり」

「私達は、黒幕が釣れたことを思念で報告する役目を担っていました。また、万が一の事故が起こらぬよう、暴走に囚われぬよう、常に思念を送り続け、オシュトル様へ剣が届きそうになる度に暴走を抑え、抑制の呪いをかけたのです」

 

 なるほど、いざ某と戦ってみれば、仮面の抑制効果は想定していたよりも不十分であったということ。

 しかし、ハクは某を殺してしまわぬよう鎖の巫女を頼り、暴走と冷静な思考を繰り返しながら、尚且つ某と戦っていたのか。

 

 そういえばと思う。

 暴走したように狂気に取りつかれたと思えば、時折自分を討つよう諭す様な声をかけ、更には追撃の手を緩めて問答までしていた。

 それだけではない、最後の瞬間に明確な隙を作ったのも、ハクの冷静な思考がそうさせたといったところか。

 

 その底知れなさに、ぞくりとしたものが背筋を過り、しかし納得した。

 俺とだけではなく、自らの荒ぶる心とも戦い続けていた。巫女様によって力の行使を邪魔されながらも、刺客に疑われぬために尚あれだけの力を発揮していたのだ。

 

「……しかし、仮面を制御し得る手段を用いていたのであれば、このような危険な策を取る必要も無かったのでは?」

 

 そう、仮面の力を制御できるのであれば、先ほどのトゥスクルで暴走如何の話は何だったのか。その疑問を呈する。

 ライコウは、その疑問を即座に否定した。

 

「それは違う」

「? どういうことだ」

「ウォシス……奴はこの戦乱が治る遥か以前より……俺がハクを囚えていた頃よりこの布石を打っていた者だぞ? もし、仮面の暴走が無いと知られれば……どうなっていたと思う?」

「……他の者へと咎が及ぶ、か」

 

 ハクは、自分以外へ咎が及ぶことを最も嫌う。

 

 自分へ施した細工には必ず理由があると見て、黒幕を引き擦り出し、その正体と目的を知る好機、今を逃せばまた闇へと逃がしてしまう。

 そうなれば、終わりなき警戒と仲間への咎が繰り返されてしまうと考えたのだ。

 

 後願の憂いを断つには、仮面を制御し得る手段を得た今しかなかったということか。

 

「そうだ。ハクが俺に出した条件。それは、最も犠牲が少なく、己が暴走したとしても止め切れるように保険をかけておくこと。故に、仲間の全てで抑え込む策は使えぬ……仮面の力は凄まじい、余波で誰に被害が及ぶかわからぬ。ハクはそれを最も懸念していた」

「ふむ……」

「そして、予想に反し……今回のように暴走が勝ち、己の奥底に秘められた悪感情を仲間へと無遠慮に吐いてしまうことも、奴は恐れていた」

 

 孤独、殺意、悲哀、ハクに似つかわしくない感情を間近で見せられ、確かに己は動揺した。

 他の者に見られたくない気持ちも、わからないでもない。しかし──

 

「ライコウよ、それで何故某を選んだのだ? 某であれば、ハクを止められると判断したのか?」

「ああ……お前だけだ」

「む……?」

 

 ライコウは、まるで羨望するかの如き瞳で己を見つめた。

 

「お前だけは、全力でぶつかっても自分に勝てると。もし抑制が上手くいかずに仮面の暴走によって感情が乱れても……己すら知らぬ悪感情を曝け出すこととなり、どんなに口汚く罵ろうとも……諦めず自分を止めてくれると、奴はそう信じていた」

「……」

「他の誰にもできぬ……お前ならば、これまで幾度となく繰り返された調練でハクの全てを知るお前ならば、誰にも被害を及ぼさぬまま、止めてくれると……そう信じていた」

 

 ライコウは目蓋を閉じ、ハクがそう奴に告げたその時を思いだしているかのようだった。

 ミカヅチは僅かに笑みを浮かべ、腕を組んで続きを話した。

 

「兄者が出した本来の策であれば、俺が相手をする筈だった……総大将であるお前と違い隷従の身であり、武もある」

「む……」

「だが、ハクの全てに対応できる訳ではないこと。我らの争いでは黒幕が出てくるか怪しいこと。故に俺は鎖の巫女によって姿を隠し、現れる黒幕に対応することとなった……怪しげな術を用いられ、不甲斐なく逃がしてしまったがな」

「そういうことか……」

「そして、餌として使えぬ俺に代わる者がいると、ハクは兄者に提言した。その者こそ──」

「──某、か……アンちゃんが、俺を選んだ……」

 

 その事実に、胸の内が震える。

 握る拳は、痛いほどに力が籠る。未だ眠る、ハクの顔を見て思う。

 

 俺を──信じてくれていたのだ。

 心の底から、命を賭けても良いと。そして、俺の命すら勝手に賭けても、俺ならば許してくれると。

 

 仮面によって、ハクの本心を曝け出し、尚力が暴走しても、友である俺であれば受け入れ止めてくれると──そう、信じてくれていた。

 

 そのことを嬉しく思う一方で、それ故に未だ納得できないことはある。

 

「……だが、事前に相談はあって然るべきであろう。もし某がハクを討っていれば……かつてない後悔に見舞われた筈だ」

「ふむ……そうだな。だが、時間が無かったのと、互いに遠慮していれば演技が露見した可能性もある。それに事前に相談していれば草に気付かれる恐れもあった。総大将である貴様には特に多くの草が張り付いていただろう?」

「む……そう、ではあるが、しかし……」

「聖上の傍付としてハクが拘束されていたこともあり、普段のお前達の接触が少なかったことが、疑念無くウォシスを引き出す一因ともなったのだ」

 

 聖上に天誅を賜ったことも無駄ではなかったということか。

 

「まさか、某に伝令を齎した者も?」

「あれこそ、大魚が餌に食い付いた瞬間を知らせる者よ」

「そうか……」

 

 闇を釣るため立てられた計画。ライコウの言うことは仕方がないことなのであろうが、しかし納得できない。

 もしかすれば、ハクをこの手で殺していたかもしれないのだから。

 

「しかし、オシュトル。お前の言う通り……奴は恐ろしい漢だ」

「?」

「考えてもみろ、俺も元は敵将。それに総大将と大宮司を争わせ黒幕を引き擦り出す案など、再び政権の転覆を狙っているとしか思えぬ策だ」

「……」

 

 確かに、その通りである。

 共倒れを狙っているのがライコウであれば、ヤマトの覇権は再び揺れることとなる。

 

「しかし、奴は俺を信じた……あり得ぬ事だ……それどころか、奴はこう言った」

「何と……言ったのだ?」

「今回の戦いで力を抑えた自分によってオシュトルが死ぬことはない。しかし、自分が死ぬ可能性はある……もし運悪く死ねば、この策を皆に伝えることなくただ仮面が暴走したことにして、全て闇の中へと葬り去れと。そして、皆と共にオシュトルや聖上、マロロを代わりに支えてくれとまで言われた」

「……」

「そのような愚か者、裏切る気にもなれぬ」

「くく……」

 

 ライコウの憤然とした言葉に、ミカヅチが苦笑する。

 

「そうまで言われれば、俺も兄者も全力で協力する他あるまい」

「そうだな、相も変わらず恐ろしい漢よ……」

 

 ハクの自己評価の低さと、自己犠牲が、また形となって出てきてしまったということか。

 

 しかし、ハクは一方で信じてくれてもいたのだろう。俺であれば、ハクを殺そうとなどは考えないと。いつも理論的なハクが、この策を支持した最も大きな理由が──

 

「──俺を、信じた」

 

 理論とはかけ離れた、仲間への信頼を軸に、危険度は高くとも全てを纏めて解決する策を実行したのだ。

 ライコウの言う通り、底知れない。そんなアンちゃんだからこそ、皆はついてきた。

 文句等言いたいことは色々とあるが、もし起きれば、開口一番に言ってやる──アンちゃんは、孤独などでは無いと。

 

 最後に、黒幕であるウォシスが逃げたことについて話を聞くことにする。

 

「それで、ウォシスは逃げた後どうなったのだ? その後の記憶が無いのだ」

「お前も聞いていただろう……ウォシス、奴は聞きなれぬ物を探し求めていた。マスタキー……とやらを求め、トゥスクルで待つと」

「そうだ、マスタ……キー」

 

 そうだ、そのような聞きなれぬ言葉を発していた。

 マスタキー、発音のしにくい言葉である。

 しかし、黒幕がわざわざそれを狙っていると伝えたのだ。それを与えてしまえば、何かしら良くないことが起こることは予測できる。

 

「しかし、それの意味もわからぬ。鎖の巫女の話ではあと少し調整すれば仮面が暴走する心配は無い。故に、ハクが目覚めた後、トゥスクルの件については相談するのが良いだろう」

「ああ、そうであるな……」

 

 全ては、ハクが目覚めた後──血の気の少し失せたまま眠るハクの表情を見て思う。

 

 孤独だと、そう嘆いていた。

 あれは、きっと抑制作用を越えて暴走したが故の、奥底に秘められていたもの──ずっと仲間に隠していた本心だったのだろう。

 

 しかし、アンちゃんは、それでも俺を、皆を信じてくれていた。

 それは、孤独とは無縁の感情である。そのような想いも、持ってくれていたのだ。

 

 ──最近お互い忙しかったからな。また、気軽に酒でも飲もうや、アンちゃんよ。

 

 眠るハクに心の中で告げ、後は部屋の前で今か今かと待っている聖上にどう報告するか頭を悩ませたのだった。

 

 




原作で、ハクトルはウォシスに対して「お前は皆と出会わなかった某」だと言っていましたね。
一見似ていないように見えるハクとウォシスですが、大いなる父としてその心根というか、孤独感とかは一緒だったんだろうなあと思います。

また、この話はハッピーエンド等々後のフラグのために、仮面の暴走と黒幕の正体には決着をつけておきたかったが故の話でもあります。ハラハラした方がいたらすいません。

次回は、ハク視点での話、オシュトルの小言、兄貴にウォシスの真実を話してもらうの3本です。

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