【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~ 作:しとしと
トゥスクル皇女来訪。
皇女がここ帝都に来訪したのは、以前の叙任式にてクオン殿より私用があるため休暇を貰うとの言伝を頂いてから数日後のことである。
帝都の民は、皇女以下使節団一同を、驚きを以って迎えた。
ヤマトがかつて戦争を仕掛けたトゥスクル。結果は、帝の崩御と敗戦。
前帝に忠義厚い者達は彼らを不幸の使者として呼ぶ者もいたが、アンジュ皇女殿下が帝都にご帰還された節にはトゥスクルの支援もあったと噂されたことで、影の立役者と感謝する動きもあるという。
つまりは、帝都の民や宮廷内の者の中でもトゥスクルに対して意見が割れている中であったが、事情を知る聖上以下現将官にとっては、クオン殿を通じて友好の輩であることは事実であるとし、その来訪に喜びを以って迎えた。
帝都の門より、かつてエンナカムイに来訪した時よりも遥かに多数の兵を伴い、多量の祝品を持参し、長蛇の列でアンジュ皇女殿下への祝辞に参ったという。
謁見の間で、幹部一同がトゥスクル皇女の来訪を歓迎し、各々が席につく。
皇女の横にはかつて刃を交えたこともあるベナウィ、そしてクロウが傍に連れ立っている。エンナカムイで来訪した時より変わらぬ面子であるが、相も変わらずその風貌佇まいから歴戦の猛者を感じさせた。
壁側でライコウと共に並んで立っているミカヅチも、彼らの強さにいち早く気づいているのだろう。ピリピリとした威圧を発し続けている。
さてまずは挨拶を、と聖上の方を向けば、皇女と以前殴り合いの喧嘩をした身であるからだろう、未だぶすっとしている。
故に聖上に変わり、某が開口を務めた。
「遠路遥々御越し頂き、尚且つ皇女直々の来訪とは。我ら聖上以下一同心より歓迎致しまする。トゥスクルの皇女よ」
「うむ、其方らも無事帝都奪還を成し、真めでたい。まずは、祝辞を。そして祝品等々の目録はこちらである」
キウルが皇女より恭しく目録を手に取り、確認作業のため場を後にする。
「我らがエンナカムイの地よりチキナロ氏を通じた定期的な支援、また其方の国の重鎮であるクオン殿、フミルィル殿を客将として御貸頂いた恩、感謝してもし切れませぬ……聖上」
「うむ、余からも感謝するのじゃ、トゥスクルの皇女よ」
「よい。我らも目的あってのことである」
目的──やはり、あの時の約束を果たしにきたか。
トゥスクルはこれ以上ヤマトから侵攻の対象として思われることは愉快ではない。
故に友好の証として、ハクを人質に、という約束である。
しかし、今やハクは大宮司である。その約束を守れることはない。故に、皇女の非難を貰わぬよう、人質に代わる策を用意した。そのために、半ば無理矢理ではあるが、ネコネに了承を得てもいる。
ちらとネコネを見れば、落ち着きなく髪など弄っている。ふむ、やはりこの提案は恥ずかしいとは思っているのであろう。しかし、これしかないのだ、許してくれ、ネコネ。
「目的、エンナカムイに来訪して頂いた際に結んだ約束であろうか」
「うむ」
トゥスクル皇女はやはり、覚えている。そして、その人質として連れていくのは誰なのかを。
ちらりと、大宮司の席につくハクへとその視線を向けた。
「約束の件について話す前に、聞きたいことがある」
「ふむ?」
「そちらの……ハクと言ったな」
「トゥスクルの皇女よ。今のハクは余の御側付き──大宮司であるぞ」
「大宮司?」
聖上は、皇女がハクを呼び捨てにしたことが気にいらないのだろう。ハクがただの客将ではなく、大宮司というヤマト有数の権力者となったことを伝えた。
聞きなれない言葉を聞いたかのように皇女は首を傾げ、その言葉を反芻する。
「大宮司、なるほどね……まあよい。その大宮司ハク殿のことである」
「ハクが、何か?」
トゥスクルの皇女はその指先を、ハクの足元へと向けた。
「──なぜ、足首に鎖を巻いている?」
沈黙。
その理由を話したのは、ハクに鎖を巻いた張本人である。
「うむ、本人たっての希望なのじゃ」
「……何故、鎖を巻くことを希望する?」
「うむ、足に重りをつけ鍛えるためと言っておったの」
「……何故、舌を出してぐったりしておるのだ?」
「うむ、仮にも大宮司、仕事疲れじゃの」
「……何故、顔が膨れ上がっておるのだ?」
「うむ……ちょっとやりすぎたとか、そういうことじゃないから安心するのじゃ」
「……」
「……」
再びの沈黙。
皇女はハクの呼吸を確かめるかのように、再び問い掛けた。
「ハク……いや、今は大宮司殿か、起きよ。我に視線を合わせよ」
「……」
「し、死んでる……?」
「いや、死んではいないのじゃ、ハク! 起きよ!」
「……」
「喉を痛めて喋れんだけじゃ、大丈夫じゃ」
「そ……そうか」
そう、ハクは鎖の巫女殿が支えていなければ今にも崩れ落ちそうな恰好で座っている。
数日前に起こった不幸な事件。聖上の気持ちもわからなくはないが、やりすぎである。
此度のトゥスクル皇女との掛け合いは、ハクに頼ることはもはや叶わぬ。ハクより学んだ手練手管を実践するのは、某にしかできぬ。
ちらとライコウを見るも、彼は彼で隷従の身であるからして意見を求めぬ限り口を開くことはない。ハクを逃がさぬようにするには、某が何とかするしかないのだ。
話がまずい方向に行きかけているところを、某の言葉で遮る。
「トゥスクルの皇女よ。今のハクは大宮司の役職を聖上より賜っており、これは真動かぬ事実である」
「ふむ、しかし、約束は約束である。まさか反故にするつもりでは無かろうな」
あくまで多数の者がいる場での会話である。故に、人質などと言う物騒な言葉は使えぬ。
しかし、約束など撤回すると言えば、トゥスクル皇女の激怒は必至。遠慮なく人質を貰い受けると話が進むことになる。そうなれば、ヤマトとトゥスクルの力関係に疑問を持ち、聖上に対する不信感も芽生えてしまう。
あくまで以前よりの約束という名目を使い、友好的に解決するための策を提案せねばならない。
「撤回などはしませぬ。ただ、以前の約束ではあくまで一代限りの一時的な友好関係しか築けませぬ」
「ふむ……」
「我らもトゥスクルとは永遠の友好を誓いたい。また同盟他商業でも交流を持ちたいと思っております」
皇女も一理あると思ったのだろう。
こちらの代案に聞く耳を持つように相槌をうった。
「なるほどな、それで良い案があると?」
「はい。よりトゥスクルとの友好を深め、またその同盟を永遠のものとするものであります」
「ふむ……して、その提案とは?」
ちらとネコネに視線を送る。
ネコネは小さく頷くと、某の前へと進み出た。皇女は不可解な物を見るかのように肩を震わせた。
「? ネコネ……まさか彼の者をトゥスクルへ?」
「否、そうではありませぬ」
「では……」
「我が妹ネコネと、ハク──その間でいずれ生まれる第一子を、トゥスクルにて育てていただきたく存じまする」
「──んな!?」
トゥスクル皇女はこれまで発したことの無いような驚愕の声をあげる。
大層驚いたのか、思わずといったように半歩下がった。
「い、如何された。トゥスクルの皇女」
「そ、そそそそ、そんなの駄目かな──あっ、だ、駄目に決まっているだろう!」
「ふむ……何故であるか」
「そ、そんなの……そちらのネコネ殿は些か年少に過ぎる。我らに子息が誕生するまで待てというのか!」
皇女の言は確かに最もである。
──しかし、ここで否定されるのは想定内である。
ハクの手口、まずは到底受け入れられない提案をぶつけ、徐々に提案の段階を低くしていき、最後には自らが元々したかった提案に落ち着けるという技である。ほぼ詐欺師の手口ではあるが、ハクを逃がさぬためには仕方がないことである。
「では、代案を──」
さあ、では次の提案と口にしようとしたところ、そこに想定外の助け舟を出すかの如く手を挙げたのは、八柱将ムネチカ殿であった。
「ふむ、トゥスクルの皇女殿の言は尤も……であれば、小生は適齢期である。小生とハク殿の子息をトゥスクルへ送るのはどうであろうか。我が子が他国での見聞を広めるのも悪くはない」
「──んな!?」
トゥスクル皇女の二度に渡っての驚き。
しかし、その驚きの連鎖は止まらなかった。
「い、いやいや! 待ってほしい! 私も父上からの命がある! 私とハクの子息をだな──」
「ほんなら、ウチも手を挙げるぇ! おにーさんとの子どもをトゥスクルで育てて貰ったらえぇんやろ?」
「あ、あの、私も……」
「ルルティエ! 今ここで大きな声を出さないと負けちゃうわよ!」
「……わ、私は待っていますから」
まさか、であった。
今回の策を事前に話していたのは、未だぶすっとしている聖上と照れながらも了承してくれたネコネだけである。それが、某の意図を汲んでここまで波紋を広げるとは。いや、逆に彼の者達の欲望なのか。
一刻も早くこの流れを止めねば取り返しがつかないことになる。
「おにーさんはウチと将来一緒に過ごす予定なんよ? ウチがするぇ!」
「いや、それならば私も将来武者修行を共にするとそのような約束を──」
「む、お待ちいただきたい。小生はハク殿と行脚を約束している。関係性で言えば小生の方が深い」
「あ、あの、私も……」
「ルルティエ、もっと大きな声で!」
「お主ら、無礼が過ぎるのじゃ! 見っとも無い言い合いはそれくらいで、少しは静かにせよ! それに、余はそのようなことを許した覚えはない!」
どんな約束をしただの、どれだけ関係性が深いだのの言い合いになる中、聖上より喝が飛び一瞬沈黙が訪れる。その辺りで、皆が皆の言う約束についてあれ? という違和感を得て首を傾げた頃であった。
「あの……私からもよろしいでしょうか?」
皆の注目を一手に集めたのは、フミルィル殿であった。
彼女が何か声を発すれば、何をしていたとしても皆が一様に手を止めて見てしまう。それだけの存在感を放っているのだ、思わずその名を呼んだ。
「む、如何された。フミルィル殿」
「っ……フミルィル」
「トゥスクルの皇女様、ご無沙汰しております」
「あ、ああ、久しいな。フミルィル」
客将であるからして、旧知の仲であるのだろう、
まずは一礼して皇女に歩み出るフミルィル。
「実は、私からも提案があります」
「ほ、ほう? して、それは何だ?」
「はい、この度、私とハク様は婚姻を結ぶこととなりました」
「──んな!?」
皇女は誰にでもわかるほど体の節々を震わせ動揺していた。
「な、なぜ……フミルィルと……!」
「その婚姻を以ってヤマト、トゥスクルの架け橋としては如何かと。どうでしょうか、皇女様」
皇女も流石に自国の者からそんな案を出されるとは思っていなかったのだろう。その矛先をハクへと向けた。
「ちょっと、ハク!? これは一体どういうことかな──あっ、こ、これはどういうことであるかッ!! フミルィルは我が国の客将、それを……!」
「……」
「おい、起きろ!!」
ハクの元まで近寄り、皇女より乾いた音が何度か響き糾弾されているハクであるが、その瞳は一向に動かぬ。
隣のウルゥル殿とサラァナ殿が非難するように皇女を見た。
「見苦しい」
「女の嫉妬は可愛いものに収めておくのが良いと思われますが?」
「んなっ……あ、貴女達はいいの!?」
「イミフ」
「英雄色を好む。主様にこそ相応しいお言葉かと存じます」
「くっ……は、話にならぬ!」
会話は小さく聞こえなかったが、双子と何やら話した後、皇女は憤慨したように再び元の場所へと戻ると、顔を隠していてもわかる殺人的な圧をこちらへ向けた。
「オシュトル殿、我は到底納得できぬ。フミルィルと婚姻を結ぼうが、誰と婚姻を結ぼうが、ヤマトとの友好を確たるものにはできぬ。トゥスクルで其方らの子息を育てる義理も無い」
「ふむ……であれば、もう一つ案がありまする」
「ほう? それは何だ、聞かせてみよ」
「はっ、それは──親善大使の交流、移民、区を指定し居住させること」
「む……」
今までの案よりは、余程興味を引いたのだろう。
皇女は沈黙を保った後、こちらへ疑問点を上げた。
「……親善大使は以前よりある。移民と区を指定した居住とは?」
「我がヤマトでは、トゥスクルとの同盟、そして交流を求めておりまする。しかし、海を隔てた交流では些かその内容も薄く成らざるを得ませぬ」
「ふむ……なるほどな。そのための移民ということか」
「その通りでありまする。また、ただの移民ではなく、互いの国に大使区を設け、大使だけでなく、将、民、商人、兵等々を居住させます」
皇女は興味津々である。その頷きで以って、某に続きを促した。
「その区では、祭事、商業、食、兵、宗教、ありとあらゆる文化交流を行える場となります。異なる国を理解するための一助としたく……この案、どう思われるか」
「……悪くない。互いの区に設ける規模等々はそちらへの恩もあるのだ、こちらにも噛ませて貰えるかな」
「勿論であります。互いの国の往来、移民調整等々、文化交流に際しての問題点などを解決する者。それが──」
「──親善大使という訳か。よかろう……その一代目は、我が指定しても?」
皇女の視線は、ハクの元へ。
避けたかったことではあるが、仕方あるまい。
「……ハクでありましょうか?」
「ああ」
「ふむ……しかし、ハクは大宮司、余り一度に長く逗留はできませぬが……良いでありましょうか?」
「……まあ、それは良い。こちらの親善大使も指定させてもらえるのであればな」
「無論でありまする」
一時的な派遣でも良いという。
本来であれば、空白無く長期的に滞在するのがいいことになっている。ハクに代わる副大使も用意しておいた方が良いだろう。徐々にその者を二代目の親善大使にすれば問題は解決である。
「ふむ……であれば、良き提案であった。オシュトル殿」
「いえ、皇女の御深慮に感謝致しまする」
結論は出た。
この策により、トゥスクルとの交流は以前との比では無くなる。
また、戦争など起こせば真っ先に被害を負うのは移民である。つまり、移民全てが人質のようなもの。友好を示す策としてこれ以上のものは無い。
「いやあ、大将……やっぱり奴は、あの方を思い出させますねぇ」
「女難だけを比べるものではありませんよ、クロウ」
「本当にそう思っていやすかい?」
「……トゥスクルにまた一つ警戒すべき相手が現れました」
「俺もそう思いやすぜ。大使としてこっちに来たときは、多少揉んでやりやしょうや」
「……そうですね」
「帰るぞ、ベナウィ、クロウ」
「はっ」
「ウィッス」
トゥスクルの皇女、そして歴戦の戦士二名は踵を返して帰還していく。
想定していたよりも難なく提案を受け入れてくれたことから、クオン殿からある程度話を通してくれていたのかもしれぬ。
しかし、ハクが以前より話題としていた移民策を現実的な形にしたものであったが、結局ハク自身が一度トゥスクルに赴かねばならぬことになってしまったか。まあ、二度と帰って来ない人質ではないのだから、それでも良しとしよう。
そう思いハクを見れば、まだ沈黙を保っている。
聞いていたかどうかはわからないが、大宮司だけでなく大使としての仕事も抱えることになるのだ。恨み言は吐かれるであろう。
とりあえず、円滑に交渉が済んだことについて、ハクの手練手管を真似させてもらったことも大きい。流石に足首の鎖は外してやってほしいと、聖上に提言することに決めたのだった。
○ ○ ○ ○ ○
時は少し遡り、謁見の間にて一際場が騒然となり始めた頃であった。
壁際にて首に隷従の輪を嵌められたミカヅチ、ライコウ二名の漢の背があった。
子どもを産むだの、婚姻するだの、ハクが糾弾されるなど、二人はじっとその騒ぎを見つめていたが、やがてミカヅチが隣のライコウへと声をかけた。
「兄者よ」
「何だ、愚弟よ」
「後悔しているか?」
「ああ……こんな奴らに負けたのだと思うと、尚歯痒い」
「ふっ……まあ、兄者もいずれ慣れる」
「慣れるものか。このような珍事、続けば国が滅ぶ」
「問題無い。兄者が支えるのであろう?」
「フン……愚弟が知ったような口を」
ちらと余所を見れば、現右近衛大将や左近衛大将、その他八柱将、ヤクトワルト、オウギなども、目の前の光景を遠方より見守るだけで、にやにやと笑みを浮かべていた。
ライコウはその様を眉間に皺を寄せて言う。
「隷従の首輪さえなければ奴らを全員叩き出しているところだ」
「クックックッ……違いない」
ミカヅチは喉を震わし笑いながらも、その様に驚いていた。
ちらとライコウの姿を見てミカヅチは思う。表情は変わらないが、ライコウの機嫌はそれほど悪くは無い。知らぬ者が見れば誰もが不機嫌であると言うだろう。しかし、俺にはわかる。兄弟だけにはわかる、身内の変化だ。
兄者と二人並び、ミカヅチは口元に穏やかな笑みを浮かべていたのだった。
この回、一回も主人公喋ってないですね。