【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~   作:しとしと

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第四十四話 約束するもの 弐

 宮廷内に併設される馬小屋。その一角に、自分は今足を運んでいた。

 ここは、彼らを世話する者以外は特に来る必要のない場所である。故に警護の手も薄い。そう思っていたのだが──

 

「お前に見つかっちまったか……」

「ホロ~!!」

 

 足を踏み入れたが最後、ということか。

 ココポもこの施設で世話をされていたのだろう。忙しくて中々会えなかったことも含めココポは拘束具を容易く剥ぎ取り、喜び勇んで自分の腹に乗っかって来てしまった。

 

「ホロ~!」

「わかった、わかった。わかったから、あんまり頭をつつかないでくれ」

 

 仰向けになってココポのじゃれあいを享受する。

 久々に会えてココポも嬉しいのだろう。自分の首元に嘴を突っ込み、髪をはむはむつまんでいる。

 一歩も動ける気がしない。ココポ自身がどいてくれない限り、このままでは毛が無くなってしまう。

 

 そんな危機感を抱き始めた頃であった。

 

「ココポ~? お昼だよ~」

「ホロ~!」

「あれ? また抜け出してる……ダメだよ、ココポ~」

「ホロ~……」

 

 聞き覚えのある声、両手一杯に食糧を抱えるルルティエが目の前に姿を現した。

 籠のせいで足元が見えないのだろう。ココポが抜け出していることもあって、ココポに押しつぶされている自分には気づいて無い様子だった。

 

「ちょっと、待っててね……はい、どうぞ」

「ホロ~!」

 

 ココポは差しだされた籠の中に嘴を突っ込み、遠慮なく平らげ始めた。

 ぽろぽろと食べかすが自分の顔の上に落ちる。ルルティエがそれを咎めるように下を向いた。

 

「もう、ココポ~。溢したらダメって、あれ……」

「よ、よう……ルルティエ」

「は、ハクさま!?」

 

 ココポの体の下から頭と肩だけ飛び出ている自分に気付いたのだろう。土埃と食べかすを纏った表情でルルティエに笑顔を向ける。

 すると、ルルティエが慌てたように飛びのいた。敬語を使わない素のルルティエが見られてちょっと嬉しいのだが、ルルティエ的には恥ずかしかったようだ。

 

「ご、ごめんなさい、ハクさま! こ、ココポ、ハクさまを離してあげて」

「ホロ~?」

 

 ココポは言われていることはわかっているのだろうが、てんで離れようとしない。

 ここが自分の居場所とでも言うように伸し掛かったままである。

 

「ハクさまがいるでしょう? ココポ、ダメっ、ねっ?」

「ホロ~」

 

 そこで漸く残念そうにその身を引いたココポ。

 ルルティエは食事用の籠を側に置き、自分に手を差し伸べた。

 

「だ、大丈夫ですか?」

「ああ、なんか懐かしいな」

 

 出会った頃もこんな感じだった。こうしてココポに伸し掛かられ、ルルティエに助けられた。

 ルルティエから差し伸べられた手を取り、土埃と食べかすを払いながら立ち上がったところだった。

 

「ホロ~!」

「きゃっ」

「ルルティエ!」

 

 ココポが自分たちに再び伸し掛かろうとしたので、ルルティエを支えるために抱きかかえた。

 すると──

 

「! ぁ……は、ハクさま」

「すまん、ルルティエ。大丈夫か? おい、ココポ。はしゃぐのもいいが、危ないぞ」

「ホロ~?」

 

 わからないと言ったように首を傾げるココポ。相変わらず賢いのか何も考えていないのかよくわからない鳥だ。

 ルルティエの服を汚さないようルルティエを抱きしめて自分が下敷きとなった結果、自分の体の上にルルティエが乗っているような体勢となる。その上からさらにココポが自分の足元に乗っかっているので、動きようにも動けない。

 

「ご、ごめんなさい!」

「なんでルルティエが謝るんだ? ココポが悪いぞ~」

「ホロ~?」

「恍けているな、こんにゃろうめ……」

「あ、あの……」

 

 未だ抱きしめられ、頬を真っ赤にしてぼそぼそと何事か呟くルルティエ。

 痛かっただろうかとその力を緩めた。

 

「どうした? 怪我でもしたか?」

「い、いえ……」

「ホロ~!」

「! も、もうココポったら」

 

 ルルティエはクオンの姉、アルルゥといったか──に森の母の素養があると言われたからな。

 動物であるココポが何を言っているのか何となくわかるんだろう。

 

「ココポは何て言ってるんだ?」

「え? え、そ、それは……あの」

「?」

「えっと……」

 

 言うか言わないか暫く悩んだあと、殊更に頬を染めて俯いてしまうルルティエ。

 自分の胸に顔を埋めるような形となり、ふわりと柑橘系の香りが鼻腔を擽った。

 

「……ルルティエ?」

 

 何度か聞くも、ルルティエはふるふると首を振り、消え入りそうな声でわかりませんと言うので、まあそんな時もあるだろうと話題を変える。

 

「とりあえず、ココポがどいてくれないとな」

「そ、そうですね……こ、ココポ、ダメ、めっ!」

「ホロ~……」

 

 怒られたココポからは、本当にいいの、と戸惑うように首をくりくり動かしている様子が続く。やがて諦めたのか、その身を再びどけてくれた。

 

「ふう……」

「ほ、ほら、ココポ、ご飯の時間ね」

「ホロ~」

 

 もう押し倒されないよう、ルルティエが籠を差しだす。するとココポが籠を嘴で受け取り地面に置いた後、一心不乱に食事をし始めた。その様子を見ながら、傍に腰掛ける。

 旨そうに食べ続けるココポを見て思う。

 

「そういえば、まだ朝も昼も食べてなかった……」

「え……では、私が御作りしましょうか?」

「いやいや、逃亡中だし、いいさ」

「あ……そういえば、アンジュ様がお探しでしたね」

 

 多少食べなくても大事ない。

 汚れを払いながら、ルルティエと二人並んでココポの様子を見つめる。

 

 和やかな空気の中、ついぽろりと口にした。

 

「そういえば、ルルティエやココポと初めて会った時から……思えば、遠くに来たなあ」

「そうですね……」

 

 クジュウリの外れでウコンと会った後、こんな可愛い存在がいるもんかと驚いたものだ。

 それに、クジュウリでの約束──

 

「ルルティエから無理をするなと言われながらも、随分無茶をしちまった」

「ふふ、でもこうして無事に平和な日々を過ごせるんです。それだけで……」

「そうか」

「はい……」

 

 ルルティエはそう言って薄く微笑む。

 健気だなあ。そういえば、自分が無茶をするたびに罰を与えるっていう話はまだあるんだろうか。

 

「なあ、ルルティエ」

「はい?」

「自分は柄にもなく随分無茶してきたが、罰はどうなったんだ?」

「あ……そ、そういえばそうでしたね」

 

 前は、抱きしめてほしい──という願いだったか。

 愛情表現豊かなオーゼンを父として持っているんだ。ルルティエもそういった体に触れるような愛情表現を求めがちなのかもしれないな。

 

「そ、そうですね……ハクさまは具体的にどれくらい無茶をしたんですか?」

「うーん……とりあえず、代理総大将は自分の中で二度とやりたくない無茶だな」

 

 ライコウを監視している筈が、こっちが監視されているような状況だった。

 自分は一つの機械として死んだ目で押印を繰り返す時間だった。二度とやりたくない。仕事したくない。

 

「ふふっ、ハクさま、とっても忙しそうでしたね」

「ああ、もうこりごりさ」

「なら……一つ、約束していただけませんか?」

「ん?」

 

 ルルティエの瞳は潤んだようにこちらを見つめていた。

 いつもなら、恥ずかしがり屋のルルティエとはあまり視線が合わない。しかし、その目はしっかりと自分を射抜いていて──

 

「い、一緒に、私と色々な国を回りませんか?」

「国を?」

「はい……私は、外の世界を何も知りませんでした。美味しいご飯も、楽しい祭りも、素敵な仲間も、好きな──」

 

 そこでルルティエははっと口を噤んで、言葉を遮った。

 疑問符を浮かべるも、ルルティエは慌てて言葉を続ける。

 

「い、いえ……その、なので、私はもっと知りたいと思いました。この世界の、知らないどこか……」

「一緒に、行けばいいのか?」

「はい……駄目、でしょうか?」

 

 ルルティエの箱入り娘加減はすごいからな。

 オーゼン以下シスやヤシュマが可愛い可愛いと育てた結果である。しかし、ルルティエはこれからも外の世界をもっと見たいという。それは、素晴らしい考えのように思えた。

 可愛い子には旅をさせよ。自分が同道してもいいのか迷うくらいの決意だ。

 

「いや、光栄だよ。自分なんかでいいのかってくらいだ」

「はい……ハクさまでないと……ハクさまが、いいんです」

「っ……そうなのか?」

「はい……ハク様が、私の世界を最初に広げてくれた人ですから……」

 

 自分がいいと、自分が世界を広げてくれたと言うルルティエ。

 自分としては、たまたまルルティエに最初に会って、たまたま同道しただけだ。

 だが、それでも、そう言ってくれるのはとても嬉しかった。

 

「そうか……」

「まだ見ていない世界が沢山ある……ハクさまと一緒に、それを見たいのです」

 

 旅は道連れ、世は情け。遺跡巡りの面子がまた増えたが、まあ皆慣れた間柄だしいいだろう。

 女性率が高すぎるのが迷いどころであるが、まあ自分もルルティエと一緒に過ごせるのは楽しいからな。

 

「ああ……約束だな」

「……はい!」

「ホロ~~~!!!」

 

 いつの間にか食べ終わっていたのだろう。

 ココポが両翼を斜め上に開き歓喜の雄叫びを上げた。丁度キリよく話終わったとはいえ、その声量は──

 

「こ、ココポ? ど、どうしたの?」

「ホロッ! ホロ~ッ! ホロッ!」

「何だこの奇妙な踊りは」

 

 羽を開いたり閉じたり、喜びの舞を踊るココポ。

 ルルティエもあまり見たことのない光景なのだろう。そんなに食べ物が旨かったのだろうか。

 

「──馬小屋が騒がしいぞ」

「誰かいるのか?」

 

 まずい、やはりココポの声量は衛兵の違和感を得るものだったか。

 

「すまん、ルルティエ! また今度!」

「え? あ、はい!」

 

 ルルティエに別れを告げ、見つからないよう裏口より早々に駆けるのであった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 宮廷内訓練場。

 戦乱以前はミカヅチやオシュトルがよく訓練していたという施設である。あまり広くはないが、武器を置いておく倉庫などがそこかしこにあり、隠れやすいと踏んだのである。

 

 倉庫の一つに身を潜め暫く隠れていると、人の気配がした。

 

「全く、ハク様を探している最中だというのに……」

 

 ぶつぶつ言っているのは誰だろうか。

 聞き覚えのある声だが、何分遠いからか誰かわからない。

 

 やがて自分が隠れていた無人の倉庫に足を踏み入れると、がちゃりと何かを置いた。

 

「はあ……さて、武具の配置は完了しましたわ……っと」

「……」

「? 誰!」

 

 ひゅんと傘刀を向けられる。

 隠れている筈だったが、自分の体重移動で少し音を出してしまったか。

 

「ま、待て、シス。自分だ」

「ハ、ハク様!?」

 

 驚き、その武器を仕舞うシスであったが、その表情には疑問が宿っていた。

 

「なぜこんなところに……」

「ま、まあ隠れられるところが無くてな」

「そ、そういうことですか……」

 

 疑問を解消したとはいえ、シスはそわそわして落ち着かない。目線もこちらに合わないし、どうしたのだろうか。

 

「そ、それじゃ、私はこれで……」

「待ってくれ、秘密にしてくれるのか?」

「え、ええ……大丈夫、ハク様がここにいることは言いません」

 

 そう言って足早に立ち去ろうとするシス。

 周囲に人の気配はない。丁度いい。以前より聞きたかったことをぶつけた。

 

「ちょっと待ってくれ、シス」

「? なにか」

「……お前、自分のことを避けてないか?」

「な、避けるなんて……」

「オーゼンに自分が影だって告げ口したこと、まだ気にしているのか?」

「……」

 

 シスは、気まずそうに視線を足元へと落とした。

 

 図星か。

 気にしなくていいと言ってるんだがなあ。それに、シスが言わねば、オーゼンは自分を信じることは無かっただろう。感謝しているくらいである。

 

「気にしなくていいんだぞ?」

「いえ、私が気にしているのは……」

「……気にしているのは?」

「……」

 

 再び口を噤むシス。

 そこで、そういえば自分がシスに対して謝っていないことを思い出す。

 ルルティエのためとは言え、シスにもあれこれ約束してしまったからな。あれがオシュトルじゃなく自分だったなんて思えば、そりゃ怒るか。

 

「シス」

「?」

「その……すまんかったな……騙していて」

 

 しかし、自分の謝罪に対して、シスは戸惑うように声を震わせた。

 

「……ハク様は、騙していたのですか?」

「ん?」

「たとえ影であっても、私とルルティエを想って言ったのでしょう?」

 

 確かに、その通りである。

 あれはオシュトルの口調を真似ていただけで、言葉としては本心である。

 かつてクジュウリでシスとの一騎打ちの際に言った言葉が頭に過る。

 

 ──この命ある限り、ルルティエを守り通すことを約束いたしましょうぞ。

 

 ──其方も共にあれば、ルルティエだけでなく、ルルティエの護りたいものも護ることができる。

 

 そう言って、ルルティエとシスを仲間に引き入れた。

 シスはその言葉を、未だ信じてくれているのだろうか。

 

「……まあ、そうだな。本心だ」

「なら、いいのですわ」

「だが……」

「どうしても! 私に許しを請いたいのであれば──」

 

 シスはそれまで恐縮していたような態度であったが──きっ、とあの時のように強き瞳を宿し己の前に立ち塞がった。

 

「──剣を取りなさい。ハク様」

「な……」

「あの時の言葉が嘘ではないと、再び私に勝って──証明してくださいまし」

 

 倉庫は狭くも広くもないが、剣を振り回すには少々手狭である。

 あの時と同じように、鉄扇を使うしかないだろう。

 

「どうしてもやるのか?」

「ええ」

「……そうか、まあ、それでシスの気が済むなら……いいぞ」

「では、行きますわよッ!!」

 

 シスの裂帛の気合いと、放たれる神速の突き。

 懐かしい部位だ。そういえば、そこに痕の残る傷をつけられた覚えがある。

 

 腹部に迫る切っ先を鉄扇で易々と弾き、シスの死地へと足を踏み入れる。

 

「ッ!?」

 

 シスが驚いたように身を竦ませるも、遅い。

 オシュトルや数多の猛者と戦い、自分も成長していた。シスも勿論強くなっているのだろうが、もはやその実力差は歴然であった。

 

「……」

「負け……ましたわね」

「ああ」

 

 首筋に鉄扇を当てられ、シスは諦めたように視線を落とした。

 そして、シスは愛おし気に自分の手を取り、微笑む──

 

「──私と共に、ルルティエを護って下さいますか?」

「……ああ、勿論だ」

「なら、私の──私達の愛を捧げますわ」

「あ、愛?」

「ええ、ルルティエを……皆を共に守る……そのための、愛を」

「……そうだな、約束だ」

「ええ、影としてではなく、あなたからその言葉を──約束を聞きたかった。それだけで、満足ですわ」

 

 シスは熱っぽく自分を見つめた後、踵を返して倉庫から出ていく。

 もう気まずさは無くなったのだろうか。頬を抑えてきゃあああと黄色い声を上げていたので、多分大丈夫だと思うが──

 

「──きゃっ、うふふっ、あははっ!! お姉ちゃんはやったわ、ルルティエ!」

 

 もしかして、自分の前では猫を被っていただけなのだろうか。

 遠くからでも聞こえる謎の台詞に末恐ろしいものを感じながら苦笑する。すると、外から聞こえるシス以外のヒトの声。

 

「シス様? 何かありましたか?」

「あ、え!? い、いえ、何でもありませんわよ」

「そうですか。そういえば調練用の武具は選んで頂けましたか?」

「ええ、あちらに……あっ」

 

 シスはそこでしまったと思ったのだろう。衛兵がシスの視線の先にある倉庫──つまり自分の倉庫に近づいてくるだろうことがわかった。

 

 ちらと見れば、倉庫の端に穴がある。

 屈めば通れそうだ。シスがわたわたと言葉を重ねて誤魔化してくれている間に、その場を後にするのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 ばったりと、会ってしまった。

 訓練場より逃げる間に、なぜか一人行動していたある人物とすれ違う。

 

「頼む、ムネチカ。見逃してくれ」

「ならぬ」

 

 これまで出会った女性陣の中で一番頭の固い奴に会ってしまった。

 ムネチカは進路を妨害するように立ち塞がっている。このまま捕まれば皇女さんの元に連れていかれ、八つ裂き確定である。

 

「大宮司ともあろうものが、叙任式を欠席するなど言語道断である」

「いやいや、知らなかったんだ! それに、オシュトルにも言ったんだぞ。役職につけるなって!」

「なれば聖上に直接異を唱えるが筋! 何も言わず逃げるなどハク殿でも許されぬ愚行である」

 

 駄目だ、かなり怒っている。

 ムネチカの眉間もいつも以上に寄っていて、その怒りの大きさを示していた。

 

 まあ、皇女さんの教育係だし、そのへんは厳しいに決まっているよな。

 

「ちょっと、用事があって」

「叙任式よりも重いと?」

「ん、ま、まあ……そうね」

「……では、どこに行っていたというのだ」

 

 言えません。

 兄貴のところなんて言えたら、この問題は解決しているのだ。

 

「それは、い、言えん」

「ふむ……では聖上より判決を戴こう」

 

 そんなの、死刑確定じゃないか。

 

 待て待て、と連れていかれる前に冷静な頭が己を支配する。

 ムネチカの対応方法はこうではない。ムネチカはノスリと似ている。高潔な人間であるからして言葉や態度を重んじる。

 

 故に、許しを得るにはこちらも言葉と態度で示すしかない──

 

「──はあッ!」

「!?」

 

 ムネチカの眼前で天高く飛び上がり、膝から地面に接地して土下座を見舞う。

 大いなる父──世の頑張るお父さんの誇る最大級の謝罪体勢である。

 

「何でも言うことを聞く! 見逃してくれッ!」

「は、ハク殿……」

 

 ずきずきと痛む膝と額に顔を歪めながら、深々と頭を地面に擦りつける土下座を維持する。

 

「ハク殿……よもや大宮司ともあろう者がそのような」

「……」

「まずは顔を上げて頂きたい。そこまでするのであれば、何か小生に言えぬ理由があるのだろう」

 

 良かった。

 効いたよ。ありがとう、大いなる父の遺産よ。

 

 ムネチカは未だ蹲る自分を引き起こし、何事か聞くようにこちらに視線を合わせた。

 

「ハク殿がそこまでするとは……何があったのだ?」

「い、今は言えない」

「そうか……小生にも言えぬと?」

「ああ」

「ふむ……」

 

 ムネチカは考え込むように唸っていたが、やがて諦めたように溜息をついた。

 

「ハク殿のことである。またいらぬ騒ぎに巻き込まれたといったところであろうか」

「ああ、そんな感じだ」

 

 そんないつも騒いでいるみたいに言われても困るし、ムネチカ主体の騒ぎに巻き込まれたこともあるが、それを今は言わない。

 とりあえず逃げられそうな雰囲気である。

 

「では、聖上に小生から口聞き致そう。多くの兵を動かした手前、落とし所はつけねばならぬ」

「い、いや、それは……」

「ふむ、それもならぬと」

「そうだな、皇女さんの機嫌がもう少し治ってからがありがたい」

「そうか……」

 

 ムネチカも、今の皇女さんが冷静でないことはわかっているのだろう。

 再び眉間に皺をよせ、良い案を考えているところであった。

 

「ムネチカから、皇女さんの機嫌を取ってくれないか?」

「小生が?」

「ああ、そしたら、自分も出ていくよ」

「ふむ……」

「それとなく、それとなーく、自分にも用事があったのだろうって感じで」

「……心得た。そうまで頼まれれば致し方ない」

 

 ムネチカはそこで漸くほっと表情を緩めた。

 良かった。皇女さんに口聞きしてくれれば、自分が無事のまま戻ることもできるだろう。

 

「して……」

「ん?」

「小生の願いを、何でも叶えると申すか」

「えっ……」

 

 ああ、さっきの土下座に付属した言葉だったな。何でも言うことを聞くと、確かに言った。

 しかし、呆けた自分を見て恥ずかしさが勝ったのだろう。ムネチカは頬を染めて誤魔化すように咳払いし、手を振って否定した。

 

「……い、今のは聞かなかったことにしていただきたい」

「ま、まあ、言うだけ言ってみろよ。自分にできることなら、協力するさ」

「む……」

 

 こちらの願いを聞いてくれる手前、ムネチカの願いを聞くことはある意味等価交換でもある。

 まあ、誤解から始まった騒動なので、損な話でもあるのだが。信じてくれたムネチカのためにも聞かねばならないと思っていた。

 

「うむ……そうだな、実は……」

「ああ」

「小生……帝都の飲食処で、夫婦や恋人限定の席に入ってみたく思うのだ」

「……は、はあ」

 

 とんでもない斜め上の願いが飛んできたな。

 土下座による膝の痛みだけでなく蟀谷にも痛みが増したように思う程である。しかし、ムネチカも恥を忍んで頼んでいるのだろう。俯き気味に少し頬を染めている。とりあえず、話を続けてもらおうと相槌をうった。

 

「いや誤解めされるな。興味があるわけではなく、あくまで知見を広げたいが為のもので」

「はあ……」

「いずれ……いずれ、聖上がそのような年頃になるやもしれぬ。その際に、教育係として何も進言できぬ身では申し訳が立たぬ。故に……」

「わ、わかった。それ以上言うな。協力するさ」

 

 これ以上聞くと、とんでもない爆弾が爆発しそうである。

 普段口数少ない奴がべらべら言葉を重ね始めるのはまずい証拠である。

 ムネチカが通りにある店を眺めて溜息をついていたのは艶本が理由なだけじゃなかったんだな。

 

「おお……感謝する。ハク殿」

「それだけか?」

「む……実は、もう一つあるのだ」

 

 やはりか。

 ムネチカはあまり願い事をしたことがないのか、こういう時は個別に話をすることが多い。

 後からあれもこれもと言われるくらいならば、今全部聞いてしまうほうが自分にとってもいいだろう。

 

「聖上とともに、全国行脚をしたいのだ」

「へえ、ムネチカが……意外だな」

 

 あれだけ皇女さんがふらふらしていると怒って連れ戻していたのにな。

 

「うむ……聖上は、エンナカムイにて市井の者と触れ、その御心を民に向ける方法を学び成された」

「……ま、まあ、そうかな」

 

 トリコリさんは市井代表ではないし、迷惑かけっぱなしだったようにも思うが。

 まあ、ムネチカの話の腰を折るのも良くないと聞く。

 

「しかし、市井の民の心は常に揺れ動くもの。自ら足を運びその眼で確かめることも必要だと、小生は思う」

「……そうだな」

 

 兄貴もこっそりヤマトを巡っていたらしいからな。

 ミカヅチもその頃の帝に会ったから、永遠の忠誠を誓ったとか何とか聞いたことがある。

 皇女さんがそうやって世回りするのもいいかもしれない。

 

「その時には……ハク殿」

「ん?」

「其方も、小生らと共に来て欲しい」

「まあ……時間があればな」

「ふ、大宮司は祭事がある時以外はそこまで多忙ではない。ハク殿であれば、人に任せるのも巧い。そうであろう?」

「確かに、人に任せるのは得意だ」

 

 できそうな奴に教えるだけ教えた後、全部投げ出して逃げればいいからな。簡単だ。

 

「であれば」

「ああ、行くよ。皇女さんから目を離せば何するかわからんしな」

「ふ、それは重畳。楽しい旅になりそうである」

「……」

 

 ムネチカは和やかな笑みを浮かべて言う。しかしムネチカの台詞に、楽しいなんて言葉が出てくるとは珍しい。

 ムネチカも皇女さんや皆との関わりに触れ、堅物から変わってきているのだろう。

 

「約束である。ハク殿」

「ああ」

 

 自分の遺跡周りの面子がいつもの面子になるだけだが、旅には色々理由があっても楽しいもんだ。

 理由の無い旅も勿論好きだが、皆で目的を共有するのも悪くない。自分もムネチカの言う通り、旅路を夢想し楽しみに思えた。

 

 ムネチカが兵を撤収させた後、皇女さんの元へ報告に行くと言うので、それまでどこかに隠れることにする。

 進路を別ち、再び隠れられる場所を探すのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 ムネチカが皇女さんに口聞きしてくれている間に隠れられる部屋はないかと探していると、見覚えのない空室が目に入る。

 多分客将が入る部屋だろうと当たりをつけてこっそり入れば、そこはフミルィルの部屋であった。

 

「あら? ハク様?」

「す、すまん! フミルィル!」

「いえいえ、何か御用ですか?」

 

 フミルィルは突然現れた自分に大して驚いた様子も無く自分を受け入れた。

 髪を梳いていたところを邪魔したようだが、フミルィルはニコニコといつもの笑みを浮かべている。

 

「すまんな、今皇女さんから逃げていたところで」

「そういえば……アンジュ様、とーっても怒っていましたよ?」

「ああ、知ってる」

 

 全員からそう聞くからな。よっぽどなんだろう。

 

「うふふ、まあハク様、折角いらしてくれたんですから、どうぞお座りになってくださいね」

「ああ、ありがとう」

 

 偶然足を踏み入れただけだが、フミルィルは味方のようだ。

 であれば、警戒するのも馬鹿らしい。皇女さんの機嫌が直るまでは、ここに置いてもらおう。

 

 フミルィルが髪を整え終わった後、自分の傍に寄って腰を下ろした。

 この際である、聞きたかったことを聞くことにする。

 

「そうだ、自分は多分……これからトゥスクルに行くことになるんだが、フミルィルもそろそろ帰るのか?」

「ええ、クーちゃんが戻るなら、私も一緒に行くと思います」

「クオンが戻る?」

「ええ、ハク様がトゥスクルに行くなら、きっと一緒に行くでしょう?」

 

 まあ、その通りだろうな。

 クオンもマスターキーを一緒に探してくれる、人質の件は女皇に口聞きしてくれると言うので、一緒にトゥスクルに行くはずである。

 

 ただ、トゥスクルに行くにも一つ、懸念はある。

 

「ただ、人質として行くかどうかは悩んでいてな」

「人質……ハク様がですか?」

「ああ」

 

 以前女皇が来たときに交わした約束である。フミルィルはその時いなかったから知らないのも無理はない。

 当時の状況やトゥスクル女皇と交わした約束について簡単に解説する。

 

「そうですか、そんな約束を……」

「ああ、だが大宮司に任命された以上、難しいだろうと思ってな。フミルィルはクオンと一緒でトゥスクルの重鎮なんだろう?」

「うーん、そうですね……」

「クオンも嘆願してくれるだろうが、フミルィルからも口聞きして欲しいんだ」

「私から女皇に口聞きを?」

「ああ、人質のままだと何分動きにくい」

「そうですねー、クーちゃんに頼めば何とかなるかも?」

 

 フミルィルは、人差し指を口元に当て、首を傾げてそう言う。

 

「本当か?」

「ええ。クーちゃんから言ってもらうだけで、十分だと思いますよ」

 

 ニコニコと疑いの無い表情のフミルィル。

 クオンとはそれほどの重鎮だったんだな。それは心強い。

 

「良かった、皆と色々約束しちまったからな……人質なんで守れませんってなると困るところだった」

 

 半ば無理矢理交わした面子も多いが。

 折角約束したのにトゥスクルで人質なんで動けません、なんて言ったらそれこそ八つ裂きにされそうだ。

 

「ふふ、大事な人がいっぱいですね?」

「ん……まあ、そうだな」

「でも、人質案を蹴るなら、他に案が必要ですね」

 

 確かに、その通りである。

 一方的に無かったことにはできない。それに代わるだけの案をこちらから示さなければならないだろう。

 

「では、こうしましょう」

「ん?」

「トゥスクルには人質ではなく、親善大使として赴くんです」

「親善大使……」

 

 かつて、トゥスクルからアルルゥやカミュと呼ばれる者達がその名称で来たような覚えがある。

 なるほど、それで永遠の友好を誓おうってわけか。

 

「しかし、それだけで納得するかな」

「はい。なので──ハク様が私の素敵な人って紹介しちゃいます!」

「ん!?」

「うふふ、私とハク様が婚姻を結び、ヤマトとトゥスクルを繋ぐ架け橋になればいいと思いますが、どうでしょうか?」

 

 少し頬を染めて提案するフミルィル。恥ずかしいのだろうが、困っている自分のためにこんな提案をしてくれるとは。

 しかし、その案の有効性はわかる。ネコネとの政略結婚みたいなもんだ。国交維持のため、偽りの婚姻を用いてその繋がりを盤石とする。考えたな。しかし──

 

「じゃあ、早速クーちゃんに提案しないと!」

「いや、ちょっと待て──」

 

 策の有効性は認めるが、クオンにフミルィルと婚姻を結ぶなんて言えば、どんなお仕置きが待っているというのか。

 慌てて止めるため、立ち上がるフミルィルを押しとどめようと体を起こした時だった。

 

「──あら?」

「っ、フミルィル!」

 

 その毎回立ちあがろうとするとお約束のように倒れるのは何故なのか。

 しかし悲しいかな。鍛えられた反射神経によって咄嗟に自分の体は反応し、転んでも痛くないようにフミルィルの体を支え下敷きとなる。

 

「ふ、フミルィル……!」

「あん……」

 

 案の定、そんなつもりは無いのになぜか吸い寄せられるようにフミルィルの胸や尻に手が当たっており、フミルィルが感じ入るように妖艶な喘ぎを晒したその瞬間であった。

 襖の向こうから、能天気な聞き覚えのある声が響いた。

 

「フミルィル? おらんのか?」

「──ッ!?」

「あ、はい。アンジュ様でいらっしゃいますか?」

「おお、入ってもよいかの?」

「ええ、どうぞ、お入り下さい」

「んなっ! フミ──」

 

 がらり──と、フミルィルのどうぞに応えるように襖が音を立てて空け放たれ、大剣を携えた無邪気な笑顔を浮かべる皇女さんが顔を覗かせた。

 

「おお、すまんの──其方であれば双子の術を見破れるのでは……ない、か……と、思って……????」

 

 しかし、その瞳は自分とフミルィルの姿を捉え、頭の上に多数の疑問符を浮かべていた。そして──

 

「……」

 

 皇女さんの視線は、自分の顔、フミルィルの顔、自分の手、フミルィルの揉まれる胸、支えようとした手、その手が掴むフミルィルのお尻、交互に、交互に行き交い続け、その度に表情を憤怒へと彩っていく。

 

「違うんだ、皇女さん」

「……」

「話を聞いてくれ、皇女さん」

「……」

「……皇女、さん?」

「そ、其方は……余が、余がこれほど……!」

「お、皇女さん! 誤解だ! 聞いてくれ!」

「これほど心配して、必死になって探したというに……!! 余を見限ったと、不安に襲われたというに……ッ!!!」

 

 柄を掴む手はカタカタと振動し、大剣の切っ先はぷるぷると震え、皇女さんの表情には悪鬼が宿る。

 

「ハクッ! 大宮司になって一番にすることは、権力を盾に女人と乳繰り合うことかっ!?」

「い、いや、違っ! それは誤解……!」

「問答無用である! ハク、其方には権力を持つ者としての責務を教えてやるのじゃ! 先達よりお灸を据えねばならん!」

 

 皇女さんの大剣は天高く振り上げられ、頭上でぴたりと止まる。

 かつてない命の危機、駆け巡る兄貴の笑顔、皆との約束──

 

「ち、違うんだって……やめ……やめてくれ、皇女さん……その剣は駄目だ、振り下ろしちゃいけないやつだ」

「ハクよ! 覚悟せいッ!!」

「助け、たす──」

「──天、誅ッ!!」

 

 この日。ヤマトの歴史に新たな記録が残る。

 

 ──大宮司ハク。叙任式当日に聖上御自ら実刑に処す。

 

 ヤマトに名だたる後の歴史家は、叙任式直後である筈のこの不可解な出来事についてその原因がわからず頭を悩ませたという──

 




とらぶるもの~ダークネス~如何でしたでしょうか。

ここで、ラブコメ大増量とギャグとシリアス少々の日常回を入れられて満足です。
原作は帝都奪還後の日常回が少ないですからね。その分帝都での平和な日々を書けて良かった。

ただ、完全に独立した回というわけでもなく、物語的な意味で複線を入れたりしているので、重要な回ではあるのですが。
大事な約束ついでに、修羅場なフラグも立ってしまった感じですね。

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