【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~ 作:しとしと
ヴライの仮面を被っていること、ハクそのままであることなどによって変化する、原作との微妙な違いを楽しんでいただけたら幸いです。
叙任式当日の早朝であった。
トゥスクルへの人質の件もあり、もし自分を役職につけるなら大将格や八柱将なんて忙しいところには絶対につけないでくれとオシュトルに厳命しておいたので、出席は幾分気が楽であるなあと思いながら身支度をしていた頃であった。
「主様」
「ん?」
戦での疲労が取れ、再び甲斐甲斐しく世話をしてくれていたウルゥルとサラァナより、ある願いを聞くこととなる。
「──行きたいところがある? おいおい、式に出ないのは流石に……」
「無問題」
「書置きを残してあります。主様の字を真似ましたので、疑われることもないと思われます」
いつの間に──というか、自分の汚い字を真似られるのかよ。
それなら政務を肩代わりしてくれてもいいのに。まあ、普段より色々扱き使っている身からすればこれ以上負担を強いるのは申し訳なさが勝つか。
まあ、それに、叙任式を欠席したとしても自分は大した役職に就くことも無いだろうし、後で謝れば出なくてもいいか。
「そんならいいが。今から行くのか?」
「待つ」
「もう少しお待ちください」
なぜ待つのかわからなかったが、彼女たちが待っているのは時機ではなく、人であったようだ。
暫くして襖の向こうより聞き覚えのある声が響いた。
「ハク? 叙任式に行くなら一緒に──あれ?」
「おお、クオンか。すまんな、何か用があるようで」
「用? これから叙任式かな。まさか……出席しないつもり?」
「貴女も呼ばれている」
「一緒にどうぞ。貴方にも来ていただくよう、言い付けられております」
「え? え?」
クオンからのお小言を頂戴しようとしたが、ウルゥルとサラァナは彼女の手を取り、何事か呪いを呟き始める。するとうっすらと靄がかかったように世界が揺蕩い始め、位相のずれた世界が目の前に現れた。
「おい、まさか、行きたいところって……」
「足元注意」
「私達から離れないよう、お願いしますね」
「ちょ、ちょっと貴女達……」
「まあ、クオン。叙任式で自分達の番は余りない筈だ。ちょっとくらいはいいだろう」
それに、今から彼女たちと別れようとすれば位相のずれた世界に置き去りにされる。
永遠に彷徨い歩くことになるのであれば、今は彼女たちが行こうとする先へ、ついていくしかないだろう。
それに、この感覚は──
「まさか、な……」
頭に過った予想は、徐々に確信へと代わる。
双子の行きたい場所、そして自分達を呼んでいるものの正体、それはかつて帝都に自らが囚われた際も探していた──ホノカさんの存在である。
兄貴が死んだ後その姿を消し、ずっと行方が気になっていた。双子は、帝都を奪還したことで、安心して会わせることができると思ったのだろう。
「到着」
「主様、お疲れ様でした」
「ここは……」
かつてミトと呼ばれた縮緬問屋の爺──兄貴がいつも出迎えてくれた場所へと辿り着く。
足元が青々とした芝、緑あふれる桃源郷、クオンと共に周囲の風景を眺めてしばし待つ。すると──
「──お待ちしていました」
赤い円卓の傍らより、まるでそこにずっといたかのようにすっと銀髪の女性が現れた。
あの頃と変わらぬ、優しい笑みを浮かべている彼女を見て思う。無事だった、と喜色を帯びた声色でその名を呼んだ。
「ホノカさん……」
「お久しぶりですね。事情は娘達より聞いています」
「貴女は……?」
「クオン様も、このような場までよくおいで下さいました」
「えっ? いえ……えっと……」
「どうか、まずは御掛け下さい」
そういって、円卓の椅子へと促される。
聞きたいことは山ほどある。まずは座って話をしようということか。
「どうぞ」
「お茶をお持ちしました」
双子が温かいお茶を用意してくれる。その茶を口に含みながら寝起き故の眠気を覚ました。
この味も随分久々である。かつて研究者の一人としてよく飲んでいた緑茶は、己の舌に実に馴染んでいた。
「これって、緑茶……」
「ええ、トゥスクルでも馴染み深いでしょう?」
「ま、まあね」
「ああ、うまい……」
「ふふ、貴方がそうやって美味しそうに飲んでくれるのが一番ですね」
大人っぽい落ち着いた笑みを浮かべているホノカさんに、思わず胸が高鳴る。
「いてっ」
「……」
頬が熱くなっていることは自覚していたのだが、クオンはそれも気に入らないようである。鼻の下を伸ばすなと、円卓の下で相手に見えないよう自分の太腿に鋭い尻尾ががすがす襲い掛かってくる。
クオンはうめき声をあげている自分に尚攻撃を続けながら、話題を変えた。
「あの、ここは何処なんですか?」
「帝都の地下深くにある庭園です」
「地下!? で、でも……」
クオンが空を指さす。そこには無数の星空。
そう、ここは地下でありながら、外を模倣した構造になっているのだ。
「ええ、貴女が想像している通りです」
「こんな大規模なものがまだ残っているなんて……ここは他の国の者が立ち入ってはならないんじゃ……」
「構いません。知ったところで、ここへ辿り着くことは適いませんから」
双子の力と、ホノカさんの了承あってこの場へ辿り着くことができる。そして、大いなる父としての知識が無ければ不可能。それをクオンも悟ったのだろう。口を噤んだ。
「あの子……アンジュを支えて、よくぞこのヤマトを取り戻して下さいました。さぞ辛い思いをしたことでしょう」
「いや、まあ……自分だけの力じゃない。皇女さんも随分成長してくれたからな。オシュトルや……ここにいるクオンのお蔭もある」
「……っ、は、ハク」
「ふふ、そうですか……相変わらず、貴方はあの方が言う通り……」
ホノカさんはそこで言葉を切り、傍らの双子へと目線を投げた。
視線を追うと、双子は些か悲し気な様子で自分に問い掛ける。
「主様?」
「私達は、お役に立てていませんか?」
「あ、ああ、勿論お前達がいなかったら勝てなかったぞ」
「ふふふ、この子達もお役に立てたようで、何よりです。ご奉仕はきちんとしていますか?」
「完璧」
「おはようからおやすみの接吻まで」
「寵愛」
「お休みしてからは三人でくんずほぐれつです」
「いやいや、そこまでしたことないぞ!」
ねつ造創作も甚だしい。クオンの機嫌が急激に傾きその瞳も恐ろしく燃え上がっているのが怖い。
「ふふっ、頑張っているようですね。安心しました」
一転、華のような笑顔を浮かべるホノカさん。安心なのかよ。
彼女たちの情操教育を担当しているホノカさんの手腕には期待できないと話題を変えた。クオン怖いし。
「それより、何があったのか聞かせてもらえないか?」
「それは……」
兄貴の死んだ理由、そして帝亡き後、オシュトルが裏切りの将として扱われ、ヤマトが二分するまでに至った経緯。
ホノカさんは言いよどむかのように表情を暗く変化させ、やがて衝撃の事実を口にした。
「私よりも、あの方から直接お聞きになった方が良いでしょう」
「ッ、まさか……」
「こちらへ、御目覚めになったようです」
ホノカさんは自分の疑問に答えることなく立ちあがり、促すように指し示す道へと歩く。
皆でその背を追い、偽りの地上である草木豊かな風景の中、違和感のある無機質な塔へと足を運んだ。
「確かここは……」
以前、トゥスクル遠征の際に一度だけ訪れたことがある。兄貴に意志を継いでほしいと願われた、あの場所へと繋がっているのではないか。
そしてその予想は、ホノカさんの言葉に応え、塔の入り口が開いたことで確信と変わる。このような扉は、兄貴にしか開くことができない筈。つまり──
──兄貴は、生きている?
足を踏み入れると明かりが灯り、かつての人類終焉の場である研究施設の一角がその姿を現す。
クオンがその光景を見て、驚きを口にした。
「すごい……ここまで完全な形で……それどころか、まだ生きている。多分、こんなのオンカミヤムカイにだって……」
大いなる父が残した遺跡は、劣化も風化も当たり前である。
しかしここは、兄貴が当時のまま生かし続けた遺産──人類の歴史とその叡智そのものなのである。
やがて急激な落下速度を以って地下深くまで移動する施設に辿り着く。
体がふわりと浮き上がるような感覚にクオンがビビり散らし、揶揄う言葉を投げると三倍の仕返しが返ってきたので口を噤む。
その様子をホノカさんが微笑まし気に見つめていた。
そして、かつて兄貴に見せられた人類の終点、仄暗い室内のなかでその存在がおぼろげながら目に入る。
「ただいま戻りました、我が君」
「ああ……よく、来てくれた……」
弱弱しくもわかる。もう聞くことができないと、たった一人になってしまったと思い、焦がれた家族の声──
「兄……貴……」
明るくなった部屋の中央に佇むは、電球のような形状のカプセル、そして──死んだはずの兄貴、帝の姿であった。
「久しい……のう……」
液体に満ちたカプセルの中で僅かに目を見開き、弱弱しく微笑む帝。その姿はあまりに痛々しいものであった。
「兄貴? 兄貴って……」
「生きて、いたのか……!」
「ふ……ほほ……お前がそんな顔をするとはなあ……珍しいモノを見させてもらった……この通り、何とか生き存えておる」
まるで干物のような体。
帝然としていた姿はもはや無い。ただ生き永らえるだけの、延命するだけの、老いた兄貴の姿がそこにはあった。
「苦労をかけたな……よくぞ、最後まで娘を護ってくれた……ありがとう」
「いや……自分だけじゃない。皆が生き残ったからこそ、成せたんだ。自分はあくまで余所もんさ、あいつらが、自らの力で成したんだよ」
「そうか……それでも、お前が皆を護ったのだ。このヤマトを担う者を……死ぬ定めにあった者を、お前が救ったのだ」
そんな実感は無いんだがね。
頼り頼られ、紆余曲折あり、幸運にも皆生き永らえただけだ。たった一人で戦っていれば、自分の心は折れていただろう。皆がいたからこそ、成せた。それは自分の感想として最も腑に落ちる言葉であった。
「そうかね。ま、もしそれでも自分が活躍したってんなら、その分、これからはしっかり休ませてもらうさ」
「ほ……相変わらず、お前は自己評価が低い……」
そんなことよりもだ。
その姿となった理由、それを知りたかった。
「何があったんだ? 兄貴」
「……」
兄貴は苦悶の表情を浮かべ、どう言おうか悩んでいるようであった。
やがて、その口を薄く開いた。
「なに、大したことではない……延命調整しているところを何者かに、襲われた……結界を解いていた為に……この様というわけだ……」
「襲われた……? 誰に……っ」
ふと、頭の中の欠片が一つ一つ埋まっていくような感覚がした。
兄貴に対する忠誠があれば、兄貴を襲うようなことはしない。であれば、ヴライでも、ましてやライコウでもない。以前より皆の中で暗躍するその名は──
「まさか──ウォシス?」
「っ……どうして、その名を……」
兄貴は動揺したように声を震わせた。
しかし──
「その反応……やはり、ウォシスなのか?」
「む……いや、わからぬ……突然のことで、記憶が混濁しておってな……暗殺者の手を逃れるため、予備の素体を晒し、瀕死の体を休めたのだ」
「そうか……」
「すまぬな、ウォシスであったかどうかも……今は他に何も覚えておらぬのだ……」
兄貴が覚えてくれていれば、ウォシスが暗躍する存在で間違い無かったんだが、それであれば仕方がない。であっても、延命措置を施している最中の僅かな隙をつけるものとなれば、かなり近しいものに限られる。であれば、ウォシスは八柱将でもそのまとめ役、可能性は高い。
ウォシスはどういう存在なのか改めて聞こうとすれば、兄貴はそれを遮るようにして口を開いた。
「とにかくだ、仮死状態となって意識を取り戻した頃には……全ては終わっておった」
「そうか……」
そこで、自らの身の上話は終わったと思ったのだろう。兄貴はその瞳をクオンへと向けた。
「そこの方……」
「えっ、わ、私?」
「確か、クオン……殿ですな? 貴女のことも……色々と聞いております。こうして貴女を招いたのは……御礼と謝罪を述べたかったからじゃ」
「御礼と……謝罪?」
戸惑うようにクオンは兄貴の言葉を繰り返す。
「うむ、まずは、礼を……貴女の助力無しでは、我が弟、そして娘は立ちあがれなんだ……」
「……」
「余は、知っておる。貴方が娘を励まし、支え……助けてくれたこと。ただ一人の親として、礼を言わせてほしい」
クオンは、それを否定も肯定もせず、ただじっと聞いていた。
兄貴は礼を言い終えると、深々と溜息をつき、その瞳を哀愁へと染めた。
「そして……謝罪を……祖国であるトゥスクルに侵攻したこと、貴女から大切な者を奪ってしまったことを……お詫びしたい」
「ッ……どうして、トゥスクルに侵攻したの? これだけ豊かな国であれば、戦なんて……」
「余の……人としての──大いなる父としての我儘じゃよ……」
「大いなる父……あなたが?」
「そう、余は其方達が大いなる父と呼びし者。全てを支配し、奢り、高ぶり、故に神の怒りに触れ……滅びた者達のたった一人の生き残りじゃ……」
悲し気に、深く祖先を想うように、帝は語り始めた。
──遥か昔。
神の裁きと、それによる人類の動揺から、この星全てに大災厄が訪れたこと。
人類は尽く同士討ちし、生き残った者もその全てがタタリウンカミと化した。
気付いた時には既に遅く。まともに人として生きていた者は、兄貴しか、いなかったこと。
タタリと化した同胞を救うため、何とか人に戻せないかと研究を続け、足りないものを求め、邪魔になるものを排除した。
故に、忠実なるものを使役、遺跡を占有し、国を攻め落とし、支配下においていった──それが、このヤマトという国の成り立ち。
兄貴がたった一人で人類を取り戻そうと躍起になった結果が、この世界なのである。
帝都地下深くに電子で管理する牢獄を作り、同胞達のなれの果て──多数のタタリを集めその研究を進めるも、研究は遅々として進まなかった。
唯一得た答えは、安らかなる消滅のみ。しかしその手段も、今この世界に住む──ヒトの犠牲を強いることになる。
そうして決断できぬまま歳を取った結果──自分と出会った。
生き別れの弟、ハクである。
クオンはその事実に驚き、声を震わせた。
「ハクが……帝の弟……」
「……皆には黙っておいてくれよ」
「こんなこと……皆に言っても信じないかな」
まあ、そうだろうな。
帝は絶対的な存在として君臨していたし、自分のようなぐうたらが同じ兄弟だと言われても困る。
「今のヤマトは、皇女さんが継ぐ。自分はあくまで余所者さ」
「ハク……」
「そうじゃ……戦乱は終わった……」
そして、帝は再び話しだす。
自分と出会ってからの、全てを。
──ハクという仮初の名をつけた自分が現れた。
延命措置を繰り返す兄貴は、自分の命が長くないことを感じていた。
鎖の巫女を与え、アンジュを導けるように関わりを持たせ、そして──
「この国はアンジュに……お前には、我らが人類の遺産を受け継いでもらいたい……それで、肩の荷が下りる……」
トゥスクル遠征前に聞いた、兄貴のたった一つの願い。
兄貴は、この世界の異物としてたった一人生き抜いてきた。絶望を無数に繰り返しながら、希望を持ち続けた兄貴の、最後の願い。その意志を継ぐのは、吝かでは無かった。
しかし、クオンの疑問に全て答えられたわけではない。クオンは核心をつくように質問した。
「それで、何故トゥスクルを?」
「マスターキー……」
「えっ……」
「其方の国、トゥスクルで……マスターキーの反応があった」
マスターキーとは何だろうか、兄貴はマスターキーのある機能について話し始めた。
マスターキー。それは──全てを統べる鍵。
それがあれば、遺跡となっている施設を起動させることも可能。同胞を救うことができる方法すら見つけられるかもしれないとのことだった。
しかし──
「この老いさらばえた身では、もはや叶わぬ。だが、弟が……お前が継承してくれるのなら、いつかマスターキーが必要になるのだと……トゥスクルへの遠征を決めたのだ」
「……」
クオンは納得したように頷くも、心はまだわだかまりを捨てきれぬようであった。
しかし、自分もまだわからないことはある。
自分の顔についたまま離れぬ、この仮面。一瞬で異形の姿へと己を変える、質量すらも無視した力の解放。力への根源とは──
「兄貴、仮面とは……何だ? いくら兄貴とはいえ、あんな技術はありえん」
「……其方は、真人計画という言葉に覚えはあるか」
真人計画──兄貴が生涯をかけて追い求めていた研究である。
人自身の耐性を向上し、衰退を食い止めるための人類の宿願。
「ならば……アイスマン計画は、知っているか?」
アイスマン計画──確かそれは、真人計画から派生した計画。
仮面も、そのアイスマン計画より生み出されたものであるという。
兄貴の道とは違えども、人の衰えた肉体を強化してくれる希望だったという。
そして兄貴は、ある判断を下した。
兵不足に悩んでいた折、装着することにより安易な身体強化が可能な仮面に目をつけ、そのデータをもとに一つの仮面を作りだした。
しかし、その仮面を作る上で元となるデータは欠損しており、その欠損を補うために兄貴の研究データで補完したという。
出来上がったのは、新しい独自の仮面。安全性もあり、理論上では何ら問題ない筈のもの。だがそれは──失敗した。
その仮面は強過ぎた。正気を失い、異形の姿へとその身を変え、災いを引き起こした。
「仮面の力は……偶然の産物だったということか……」
「うむ……暴走した者を止めねばならなかった。故に、やむなく……余は過ちを繰り返した」
「それが……四つの、仮面か」
強過ぎる仮面に対抗するため、新たなる仮面──四つに力を分散させリミッターを掛けた──仮面の者を作りだしたのだ。
オシュトル、ミカヅチ、ムネチカ、そして自分のヴライの仮面も、その一つなのだ。
そして仮面の者達が戦い抜いた先にあったものは、自らの力に耐えられなくなり、最後には自壊する光景。
「皆……素晴らしい若者であったというのに……こんな愚かな私を父と慕ってくれた……彼らの命を、余がその手で奪った……」
「我が君……」
涙も枯れ果てたと声を震わせる兄貴と、それを心配そうに見やるホノカさん。
ずっと、ずっと兄貴の胸に燻ぶる後悔だったんだろう。だが、だからこそ、わからない。
「仮面を封印しないのは何故だ」
「……余を信じ、礎となった者達を無かったことになどできぬ……仮面は力の象徴ではない、二度と繰り返さぬための……余の愚かさの証なのだ」
兄貴は、一体どれだけの苦しみと後悔を重ねてきたのだろう。
孤独に耐え、生き延び、新たに孤独を迎えるその虚無を何度繰り返してきたのだろう。
「そうか……自分が眠っている間に、兄貴には随分苦労をかけたみたいだな。ただ、もう一つ聞きたいことがある」
「?」
そう、今自分の被っているヴライの仮面、その爆弾について。
「自分は今、仮面に何らかの細工を施されている」
「細工……」
「ウルゥルやサラァナが言うには、亡きヴライの魂──そのさらに粗悪なもの、と言われた」
「ふむ……それは如何様な状態になるのだ」
「仮面を使おうとすれば……自分が抑えられなくなり、暴走する」
兄貴はその台詞にはっとしたかのように驚き、目を見開くも、心当たりがないのだろう。
悲し気に顔を伏せ、わからないといったように首を振った。
つまり、この細工を施す技術は、兄貴の研究を独自に持ち出し、自らの為に活かしている者ということだ。そんな奴、心当たりがありそうなもんだが。
「本当に、心当たりが無いのか?」
「……わからぬ、余も調べておこう……余を襲った者がいるように、其方も気を付けるのじゃ……」
「ああ」
「しかし、何か対策のしようがあるかもしれん……弟よ、そちらの解析ドックに立ってほしい」
兄貴の視線の先にある施設に促されるまま、その場で立つ。
体に悪そうな緑の閃光が自らの顔を覆い、電子音声がその解析を進めていく。その様子をクオンが興味深く眺めていた。やがて解析が終わったのだろう、兄貴から声をかけられた。
「それで良い」
「もういいのか?」
「うむ……何故、余もこの仮面にはわからぬことが多い……安全であると結果が出ても、災厄を引き起こしたのだ」
「ま、そりゃそうだな」
「だが、お前がいない間に必ず調べておこう。このような身であるからして時間はかかるだろうが、それまで──」
「ああ、この仮面を使うようなことはしないさ」
爆弾を抱えているんだ。使おうと思っても使えん。それに、戦乱は終わった。もう仮面に頼るような機会もないだろう。
しかし、自分がいない間に──か。その瞳は何かに裏切られたかの如く弱弱しく、悲し気に映っていた。
だが、これからは、もう兄貴は孤独ではない。自分や、皇女さんがいるんだ。後はゆっくり休んでもらおう。
「ま、何はともあれ、兄貴が生きていてくれて良かった。皇女さんにも兄貴が生きていることを伝えないとな」
「……それはならぬ」
「? なぜだ」
「儂は既に死んだ身……アンジュはそれを乗り越えてここまで来たのだ。帝に甘えは許されぬ、父亡きまま、アンジュは勇ましく立ちあがらねばならぬ」
「……」
クオンもその身に何か思うところがあったのだろう。
帝の言葉に反したいように口を開くも、その先が続かなかった。しかし、兄貴の声は愛しき娘に会えない寂しさで震えていて、つい元気づけるように言葉をかけてしまった。
「まあ……兄貴よ、マスターキーは自分が手に入れるさ」
「おお、行ってくれるというのか……!」
「ああ、元々トゥスクルには人質でお邪魔するつもりだったからな。兄貴が解析してくれている間にちょちょっと行ってくるさ。だから──」
身内に元気がないと、それだけで周りは辛いんだ。
あの時のような、頼りになる背中を見せてくれていた兄貴に、戻ってほしい。だからこそ、元気づけたかった。
「──元気、出してくれよ。まだ引き籠るには早いだろ? 自分も全部の遺産勝手に持っていけなんて言われちまうと困る。一緒に、また研究しようぜ」
「ほ、ほほ……そうであるな……よもやお前に引き籠るなと諭される日が来ようとはな」
「うっせえ。ま、それまで……兄貴は今までの分、ゆっくり休んでくれよ」
「ああ、そうだな……時間はたっぷりある……少々待つなど造作もないことよ……」
話は終わった。
兄貴の意志を継ぎ、兄貴がこの仮面について解析してくれている間に、マスターキーとやらを取ってくる。丁度トゥスクルに人質として行く件もある。渡りに船とはこのことだな。
「クオン、トゥスクルの案内、頼むぞ」
「そうだね、私が案内してあげる」
「人質だからな……あまり動き回るのが許されないとかであれば、クオンから女皇に頼んでくれると助かる」
「あ、そ、そうだね……勿論、トゥスクルの女皇は、か、寛大だから! きっと大丈夫だと思う!」
「卑怯」
「私達もご案内します、主様」
「な、ひ、卑怯ってどういう意味かな!」
じっと非難の視線を浴びせるウルゥルサラァナにたじたじのクオン。
何だ、珍しい光景──でもないか。双子が気安く揶揄う相手など限られる。相変わらず仲のいいことだ。まあ、人質でトゥスクルに行ったところで、双子は確実についてくるだろうから、四人でまた行動するか。
そんな風に女子三人の姦しい様子を、ホノカさんも兄貴も嬉しそうに見つめていた。
「んじゃ、兄貴よ。吉報持ってまた来る」
「うむ……くれぐれも気をつけて、な」
「ああ、兄貴も暗殺者に狙われんようにな」
兄貴にまた来るように伝え、ホノカさんに会釈した後、再び地上へと戻る。
随分長い時間を過ごしてしまった。叙任式はもう終わっている頃だろう。自分が大した役職につかない筈とはいえ、堂々とさぼったことは怒られるかもな。
そう思いながら帝都宮廷の道を歩いていれば、位相のずれた世界であっても何か騒ぎがあったかのように皆がてんやわんやしている様子が見えた。
声は聞こえないが、ばたばたと慌てたように衛兵達が慌ただしく動き回っている。
何事かとも思うが、聞いても向こうは気づかないだろう。
そのまま見覚えのある自室へと辿り着き、周囲の靄が晴れていく。
「到着」
「お疲れ様でした、主様」
「じゃあ、ハク。私はトゥスクル遠征にハクが行けるよう、ちょっと動いてくるね」
「ああ、頼んだ」
クオンと別れ、再び三人で自室に籠る。
書簡の無い部屋ってこれほど快適なんだなあ。仕事から解放された気分に酔いながら、広い自室に寝そべるように横になる。茶でも飲もうかとウルゥルサラァナに声をかけようとした時であった。
「──皆の者! 草の根分けてでもハクを探しだすのじゃッ!! この際、死ななければ多少の暴力は厭わぬ! 何としてでもハクを見つけ出し、余の元まで連れて来るのじゃッ!!」
「「「はっ!!」」」
え、何それ怖い。
なんで、こんな大騒ぎになってんのよ。
遠方より自室まで響く、皇女さんの勇猛果敢な怒声。そして兵達があっちにはいなかったとかこっちにらしきものがいたとか報告し合っている声が廊下より聞こえてくる。
「……ウルゥル、サラァナ」
「はい」
「なんでしょうか、主様」
「書置き……してくれたんだよな?」
「もち」
「主様の文字で、主様が書きそうな台詞を残しておきました」
なら、この騒ぎようは何だと思うが、自分が書きそうなことか──もしかしてサボりたいとか、逃げますとか書いたんだろうか。
であれば、この騒ぎも納得である。見つかれば血祭確定、騒ぎが落ち着くまではどこかに隠れる必要があるだろう。
「これなら、さっさとこっちからトゥスクルに出向けば良かった……」
後悔は尽きないが、双子も長時間力を使って疲労している。再び位相にずれて逃げることは叶わないだろう。
まさか兄貴の意志を継ごうとしたその矢先に、こんな出来事に見えるとは──と、自室で見つからないよう息を潜めて隠れることにしたのだった。
次回、ハクの愛の逃避行が始まります。
ヒロインの包囲網から逃れられるのか。それとも、捕まってしまうのか。ならば捕まえる者は誰なのか。
シリアス続きであったからこその日常回、修羅場。色々楽しみにしていただければと思います。