【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~ 作:しとしと
感想やメッセージにて幾人か指摘していただいた方々の言う通り、これからのライコウは、ハクオロさんにとってのベナウィみたいなもんです。
現朝廷の旗印であるライコウ、ミカヅチとの決戦は終わった。
ライコウは、真なる聖上はオシュトル陣営にありと投降の意を示し捕虜となり、朝廷軍全ての武装を解除した。
しかし、大軍同士のぶつかり合いが短期決戦で終わったためか、互いの軍の被害は軽微なれどもその規模により接収と管理は困難を極めた。また、その困難を助長した要因の一つとして、オシュトル陣営幹部達の重症が挙げられる。
そのような課題を抱えながらも、オムチャッコ平原より僅かに歩みを進め、明日の昼には帝都に着くだろう場所にて陣を構え野営を行った。凱旋前最後の夜ともいえる時間を過ごしていた頃、クオンとネコネの管理する医務室に足を運んだ。
「オシュトルとマロロ、まだ目が覚めないのか?」
「はいなのです……」
「治療は終わっているんだけどね……」
二人の傷は深い。
マロロはシチーリヤによってつけられた腹部刺傷とそれに伴う貧血。オシュトルはもはや誰がどうつけたかすらわからぬ程の矢傷と裂傷、内臓破裂諸々の重症である。生きていることが奇跡と言えよう。
皇女さんはぴんぴんして無傷ではあるが、決戦だけの仮初総大将である自分がそのまま帝都凱旋という訳にはいかない。故に、帝都に向けて直ちに凱旋するという行為は難しく、できれば帝都に着く頃には目覚めてほしいとの希望的観測を持ちながら、ゆっくりと帝都に歩みを進めている段階であった。
「ミカヅチに何があったか聞きたいが、こっちもこっちで重症だしな……」
そう、あの場にいたもう一人の英雄ミカヅチは、仮面の力を解放した代償もあるのだろう。オシュトル以上の深手を負っており、こちらも深く眠っていた。
皆生きているとはいえども、予断を許さない状況は続いているのだ。本来であれば、ゆっくり休養させるのが常であるが、確たる頭が不在のまま帝都を空け続けるのは得策ではない。
また、ライコウからの言によれば、シチーリヤも未だ口を噤み真実を語らないこと、敵将ウォシスとの連絡を取れないとの報告を受け、皆の不安を増長させている。故に、進むしかないのだ。
医務室にて護衛として佇んでいたヤクトワルトが、自分の言葉を継ぐように一人の男に声をかけた。
「ということは、だ。聞けるのはあんただけじゃない──ヤムマキリよ」
医務室奥にて、簡易的に拘束されながらも治療されているウズールッシャ現頭目ヤムマキリの姿があった。
「ふん……ヤクトワルトよ。俺が喋ると思うか?」
「手当てされた貸しすら返せないっていうのか?」
「……」
「なあ、なぜあそこで倒れていたかくらいは喋ってくれないか?」
そう、なぜかオシュトルとミカヅチの決戦の場に二人と共に倒れていたヤムマキリである。
ヤクトワルトがヤムマキリの傷痕を見て、内臓反らしに死んだフリか、小手先の技だけは相変わらずうまいもんだと言うので治療してみれば、重症である彼らの中で最も目覚めるのが早かった。
あの丘にいたウズールッシャ勢力は、ヤムマキリの他には全てが死んでいた。しかし、彼だけがこのように重症という身乍らも生き残ることができたのだ。
本来であれば、ヤムマキリはオシュトルらを討とうとして返り討ちにされたのだと見ていたのだが、治療部隊よりオシュトルらの持つ武器では成し得ない小さな刺突であったという報告があった。
つまり、彼ら以外にもあの場にいたことの証左となったため、こうして話を聞くために生かすこととなったのだ。
しかし、ヤムマキリは真実を話すことを躊躇うように顔を歪めた。
「ヤクトワルトよ。貴様の憎悪に塗れた頭では、俺が何を言ったところで信じまい」
「ああ、だが喋るだけなら許してやるじゃない」
「喋れば俺を斬るだろう?」
「当然だ、次に会えば遠慮なくぶった切ると約束したからな」
睨み合う両者、ヤクトワルトの気持ちもわからなくはないが、真実を知りたい手前こいつに聞くしかないのだ。
「まあまあ、ヤクトワルト、そう言うな」
「……すまねえ、旦那」
「いいんだ、ヤクトワルトの気持ちもわかる」
ヤクトワルトを諫め乍ら、ヤムマキリの隣へと腰を下ろした。
帝都への凱旋も近い。闇に蠢く兵の正体を知るためにも、ライコウから伏兵には警戒するよう言われたことも含め、このまま軍を明日進めていいか判断できる証拠を集めておきたかった。
「自分は信じるさ、何があったか教えてくれないか」
「……であれば、呼んでほしい男がいる」
「? 誰だ」
「ライコウだ」
ヤムマキリの要望を聞き入れ、捕虜として扱っているライコウを医務室まで連れてくるよう伝令に言う。
すると暫くすれば、ライコウは後ろ手に拘束されたまま、自分達の前へ姿を現した。
「どうした、ハクよ。俺に何用だ」
「あんたを呼んでくれって奴がいてな」
ライコウは医務室の簡易寝台に横たわるミカヅチに一瞥をくれながら、奥でその身を起こすヤムマキリに気付いたようだった。その目を驚きからか僅かに開き、口元を歪めた。
「……ほう、ヤムマキリよ。貴様も生きていたか」
「貴様もな。敵将を生かしたままと聞いて驚きはしたが……」
「ふん、こやつが甘いだけのことよ。して、わざわざ俺を呼んだ要件とはなんだ」
ライコウから甘いと冷たい視線を浴びながら、ヤムマキリに本題を話すように促す。すると、ヤムマキリが話す内容は驚きのものであった。
「俺は、奇襲作戦に当たっていた筈であったが、途中ミルージュから別の指令が降りたと伝令を受けた」
「……ほう」
「その反応……やはり、貴様では無かったようだな。俺が受けた貴様からの指令、オシュトルと、ミカヅチ、その両方を討てというものだ」
「……馬鹿な」
「俺はヤマトの事情に明るくはない。故に使える手駒だと思われたのだろうな」
「じゃあ、なぜお前は怪我をしたんだ?」
聞きたいところはそこである。
彼らを討とうとしたが返り討ちにされた、のであればわかる。しかし、ミルージュの死体はあの場には無かった。
「……討とうとした頃には、既に戦は終わっていた。故に拒否したのだ」
「拒否した結果は……?」
「この有様よ。それより先の記憶は無いが、他の者がやられていたことからも、さらなる伏兵がおったのだろう」
「なるほど……それをオシュトルとミカヅチが返り討ちにしたってことか」
「それが本当なら、裏で暗躍する奴がいるってことじゃない」
ヤクトワルトの言うことは尤もである。
ミルージュは、確かミカヅチのお付であった筈だ。それがミカヅチを討つよう指令を下したとなればおかしな話である。
それに、シチーリヤはライコウが投降を示した後に襲ってきたこともある。ヤムマキリの言を信用すれば、ライコウ、ミカヅチの以前よりの補佐である彼らが裏切りの将であった可能性が出てきたのだ。彼らの腹心に忠誠深い部下を置けるだけの存在、そう多く候補はいないと思いたいが。
「まあ、俺の言うことを信じなくとも良い。いずれ目が覚めれば、その者共に聞けばよかろう」
「……」
確かにその通りである。
ヤムマキリがここで嘘をついたとしても、オシュトルとミカヅチの何れが目覚めれば自ずと真実は明かされるのである。
ライコウが思案しながらも、冷静に言葉を継いだ。
「暗躍する将か。心当たりはある……シチーリヤが喋らぬ故確定ではないが……」
「本当か? ライコウ」
「俺は不確定な要素を口に出すことは好まぬ。故に聞くが……ハクよ、貴様がその仮面に細工を施されたと感じたのはいつのことだ?」
「それは……お前に囚われた後だな」
「……俺はそのような命は下してはいない。八柱将ウォシスには、貴様を逃がすなと命じただけだ」
「……そうだったのか」
「細工についての報告も上がってはいない。貴様に細工を施したのがウォシスであるのか、はたまた誰か名も知れぬ者であるかは……証拠がない故に確定はできんがな」
どうりでおかしな話だとは思っていた。
仮面への細工、逃亡させないために行うならばわかる。しかしこれは、逃亡させた後に発動するもの。その意味がわからなかったが、ライコウが命じたものではないという。では誰が、何の意味で──
「しかし、そう言われればウォシスの可能性が高いように思うが」
「ふむ……怪しい点を数えればキリがない。前帝の創造物や鎖の巫女への知識に明るく、数多の暗躍する兵を用いていた。今思えば、策など考えられぬヴライを補佐したのも、奴だったのかもしれぬ。しかし、それも根拠なき妄言とも言える」
「ま、警戒はした方がいいな……」
警戒し過ぎて動けなくなるのでは本末転倒であるが、その名を知っていることが利となることもあるだろう。
それよりも今最も懸念することは──
「──そもそも、帝都にこのまま凱旋してもいいのか?」
「……流石の奴でも、この規模の大軍を抑える術はない。籠城を選び、俺の作っていた兵器を使おうとも、残存するヤマトの精兵は少ない。貴様らの優位は揺らがぬ」
「しかし……ウォシスは投降すると言ったか?」
「ウォシスへ投降するよう伝令を送りはしたが返答も無い。であれば、何か策を弄しているか、今頃極刑を恐れて帝都より悠々と逃げ果せているかであろうな」
「あるいはその両方か……」
しかし、今はウォシスに関してどうこう議論することはできないだろう。とりあえず、皇女さんの帰還を果たすためにも、このまま軍を進めるしかないのだ。
かつて味方であったライコウすらも、ウォシスに対してはおぼろげな理解でしかない。とにかく帝都へ凱旋し、自分のこの仮面の扱いについては特に気を付けるべしといった結論に落ち着いた。
「よく話してくれた。ヤムマキリ」
「……ふん」
「……」
「どうした、ヤクトワルト。俺の行動が意外か?」
「……ああ、悪いがあんたらしくもない潔さだ」
「そうだろうな……俺も、そう思う」
ヤムマキリは昏睡するオシュトルとミカヅチの方をまるで遥か遠方を見やるかのように視線を向け、諦めたように言葉を吐いた。
ミルージュに連れられ、二人の戦いを見て、その二人を討つとなった際に、ヤムマキリの心の中にどう変化が生じたのかはわからない。しかし、その瞳にはかつての狂気はなく、ただただ深い憧憬の念が籠っているように感じた。
「そうだ、ライコウ殿……交渉に際し担保となった、我が祖国の人質だが」
「ああ、こやつらが帝都に凱旋すれば無用だ。帝都に着き次第、ハクがウズールッシャに送り返してくれよう」
「感謝する」
え、何、それ自分の仕事なのか。
ライコウも当然のように言ってるけど。と混乱しながらも、ヤムマキリは何か帰り支度のようなものを始めた。
「もう良いか? 俺に話せることは全て話した。後、俺にできることは、逃げたウズールッシャの軍兵を回収し祖国に戻ることだ。手当の代価として相当であると思うが」
ヤムマキリは捕虜である。
しかし、決戦が終わった途端、ウズールッシャの兵は雲の子を散らすように各地に逃げてしまった。野盗化されても嫌だなあと思っていたところ、ヤムマキリにそう提案されたのだ。ヤムマキリは、手段は別としても、何だかんだで祖国を一番に考えている。
皆がヤマトの管理をしていく立場になることからも、ヤムマキリが彼らを纏めてウズールッシャに戻るようにしてくれるのは有難い話であった。
「ああ、そうだな。もう歩けるか?」
「俺の刀を返せ、杖代わりにする」
「わかった」
あの傷である。今更刀を持ったとて誰かを斬れるほどではない。
それに──
「旦那……」
「ああ、わかっているさ。後は、お前に任せる」
「……忝いじゃない」
杖をついて歩くヤムマキリを連れ、ヤクトワルトは医務室から大太刀を携えて出ていく。
その後ろ姿を心配そうにクオンとネコネが見つめていた。
「……いいの? 一人で行かせて」
「ああ。自分はヤクトワルトを信じてるからな」
「ハクさん……でも」
「クオンとネコネの心配は杞憂さ。任せとけば大丈夫だろう」
「……そっか」
ヤクトワルトであれば、悪いようにはしないだろう。
ヤムマキリとのけじめを、きちんとした形でつけてくれる筈だ。
○ ○ ○ ○ ○
ヤクトワルトは、ヤムマキリと共に闇夜に包まれた陣の中を歩きながら、駐留地より暫く離れた森の中へと分け入っていく。
「……」
互いに無言。
ヤムマキリはその歩みはゆっくりながらも、どこに行くかは決めているのだろう。その足取りはしっかりとしていた。
そして、暫くして不意にその足が止まった。
「ここで良いか……」
「……死に場所は決めたかい」
「ふ……そうだな。俺がこの草笛を吹けば、同族が近くまで迎えに来てくれよう」
ぴっと生えている草を手に取り、口に当てる。遠方まで響く高音の草笛である。
ヤクトワルトはその動作を咎めるように刀を構えた。
「……良いのか、俺を殺せば同族を導く者が不在になるぞ」
「あんたはオシュトルの旦那に返り討ちにされただけで、本当のことを言っているとは思えないんでね」
「ふん、そうか……」
「それに……あんたが同族を導けるとは思わないじゃない」
「そうだな……ヤクトワルト、貴様の言う通りだ」
「……?」
ヤクトワルトは、ヤムマキリのその自信の無い口ぶりに戸惑い、柄に伸ばす手を止めた。
すると、ヤムマキリは昔を思い出すかのように言葉を紡いだ。
「俺は、祖国レタルモシリを……救った男なのだと思っていた」
「……」
「グンドゥルアに従わねば滅ぼされる。だから従ったのだ。しかし──」
ヤムマキリは目を閉じ、何かを夢想するかのように顔を上げた。
「あの英雄共を討てと、言われ……俺の剣は動かなかった……従わねば滅ぼされるとわかっていながら、動かなかったのだ」
「……心変わりでもしたってか」
「いいや、俺が気づいたのはそこではない。あそこで討てば、俺についてくるものなどおらぬであろうこと……求心無くして皇は務まらぬということだ」
ヤムマキリはようやく得心がいったというように、ある言葉を紡いだ。
「敵に滅ぼされるも、頭目の愚心によって滅ぶも同じ──」
「ッ、その言葉は……!」
「済まなかったと、シノノンに伝えておいてくれ。長兄ムカルの言っていたことは正しかった……俺が間違っていたのだ」
「……ヤムマキリ」
「俺は、救国の英雄になりたかったのかもしれぬ……だが、真なる英雄として戦う奴らを間近で見て、己が器を見誤ったことを知った」
ヤクトワルトは戸惑っていた。かつて、ヤムマキリがこのような表情を見せたことがあっただろうかと。
そんなヤクトワルトの心情を知ってか知らずか、ヤムマキリは草笛を風に攫わせるように闇の中へと放った。
「殺せ、ヤクトワルト。散らばった我が民は、お前や、エントゥアが集めれば良い……俺は、皇にはなれぬ」
「……」
ヤクトワルトはその言葉を感じ入るように目を瞑って受け入れた後──その刀を目にも見えぬ速度で撃ち放つ。
ヤムマキリは、死を受け入れるように力を抜き、その眼を閉じていた。しかし、待てども自分の首が落ちることはない。訝し気に目を開けば、ヤクトワルトは一歩こちらへと近づき、風に舞う何かを手に取った。
「……む? これは」
ヤクトワルトは一閃で草笛の草木を一つ刈り取り、ヤムマキリへ預けるように差しだしたのだ。
ヤムマキリは、それをただただ戸惑うように受け取った。
「……エントゥアの嬢ちゃんは、もうウズールッシャには行かねえ」
「何……? どういう意味だ、ヤクトワルト」
「嬢ちゃんは、女としての幸せを掴む……ヤムマキリ、あんたが代わりにウズールッシャを纏めるがいいさ」
「……いいのか、ヤクトワルト。俺を斬る約束ではなかったのか」
「あんたは俺との約束を何度も破った。俺も一度くらいは……あんたとの約束を破ってもいいじゃない」
「……ふ」
ヤムマキリは薄く笑みを浮かべると、渡された草笛をひゅいと鳴らす。
暫くすると闇の中からウズールッシャの兵が何人か集い、その者共に囲まれながら、その身を深い闇へと消していった。
「良いのですか? ヤクトワルトさん」
背後よりがさりとした物音と聞きなれた声が響く。警邏として巡回していたキウルだった。
以前より見られていたのだろう。キウルの成長を感じながら薄く笑い、本音を語った。
「奴はシノノンに謝罪した。それだけで許されるものでもないが……まあ、もし嘘をついていたなら、今度こそ俺がとどめを刺してやるじゃない」
「……ええ、そうですね」
別れの言葉も無かったが、ヤムマキリとは二度と会うことはないだろう。ヤクトワルトはそう確信していた。
しかし、ヤクトワルトの心には哀愁は無く、ただただ亡きムカルの顔と声が浮かんでいた。
──兄貴が浮かばれねえと、思っていたが。
ヤムマキリのしたことは、許されることではない。しかし、長兄ムカルの高潔さは、確かに我ら兄弟に残っていた。いや──取り戻すことができたのだ。
それが、少し──嬉しかった。
○ ○ ○ ○ ○
帝都凱旋。
ヤマトの民は真なる聖上の帰還に歓喜した。
結局オシュトル、マロロ、ミカヅチは目覚めぬまま帝都の門へと辿り着くことになったが、警戒していたウォシスは姿を見せなかった。それどころかウォシス他幹部は処刑を恐れて何処かへと逃げたのだろう。将無き兵達は我らを見てすぐさま正門を堂々と開き、歓迎の意を示したのだ。
ライコウやヤムマキリとの話の中でウォシスが闇に蠢く者であると警戒していたが、杞憂であったとひとまず安堵した。
「余は真なるヤマトの後継者! 天子、アンジュなるぞ──」
全ての民の前で皇女さんによる凱旋の演説が始まったことで、長き戦乱が終わったことを全ての民が実感した。皇女さんは一度失った帝都を、帝都の民の犠牲無くついに取り戻すに至ったのである。
「長かった……」
ここまで紆余曲折ありながらも、ついに皇女さんの悲願を誰一人欠けることなく達成することができた。
それは大変喜ばしい。喜ばしいのだが。
オシュトル陣営最高権力者のオシュトル、補佐マロロが未だ目覚めない今、このヤマトの実質的な権限は一体誰が握っているかというと──
「──ハクよ、これが追加の案件である」
「……」
どんと重苦しい音を響かせながら、堆く積まれている書簡の山に新たな山が追加されていく。
この半日でカルデラのように真ん中の書簡を制覇し机の模様が見えてきたというのに、再び噴火した如く机周りの風景は書簡一色で埋められてしまった。
殺す気かと言わんばかりに、仕事を持ってきたライコウを睨み付けた。
「ライコウ……」
「どうした、ハクよ。この程度の仕事に時間をかけていては、軍の再編もままならぬぞ」
ライコウの言は尤もであるが、この仕事量は膨大すぎる。
それもこれも、オシュトルやマロロというこの戦乱の最大功績者が目覚めるまで、皇女さんによる叙任式を行えないという事柄が影響しているのだ。
叙任してそのまま目覚めなければ、政務に混乱が生じる。故に目覚めるまでは新たな権力者を生み出すこともできず、代替の者を立てるというのが皆の意見であった。
しかし、半ば押し付けられた大量の仕事を自分一人でどうにかできるわけもなく、今帝都にいる権力者に分担する作業を行っているのだ。
「……軍の再編はムネチカとキウル、あとネコネに任せると言った筈だが」
「しかし、最終決定権は貴様だと伺っている。文句を言わずに早く手を動かすがいい」
「……なら、ライコウ。お前に任せる」
「いいのか、ハク。俺に軍の実権など任せればすぐに内戦が起こるぞ」
「……」
ライコウは隷従の首輪を嵌めながらも、薄笑いを浮かべてそう言う。反論できず、思わず唇を噛んで無言を示した。
ライコウは今や全権を奪われた捕虜である。しかし、知を誇るライコウに首輪など大した意味はない。聖上へ一度は盾突いた者への罰、周囲への示しみたいなものだ。
故に、いざとなればライコウはその知を生かして存分に内部を引っ掻き回すこともできるだろう。武器を持たずにこれまで戦って来た漢なのだ。ライコウの知略を生かさず飼い殺しにするのも何だと、皇女さんよりお目付け役を任された自分がその任を放り出し、ライコウに全て任せることの危険性は大きい。
たとえ今は皇女さんに忠誠を誓っているとはいえども、我らがヤマトに必要ないと判断すれば、ライコウであれば確実にそうするという未来はある程度予測できた。
諦めの境地に達して心中悪態をつきながらも、目の前の書簡に取り組む。こんなもん適当に終わらせればいいんだ。
「おい。ここの印、間違っている。ヤマトの金子を溝に捨てる気か。それに、こっちは商業対策が不十分だ、やり直せ」
「な、何だと?」
ライコウに提示されるがまま目を皿のようにして読めば、確かに印を押す場所を間違えたことでとんでもない給金措置を取ってしまうことになるものと、嘆願書の内容を理解しきれておらず頓珍漢な対策を示してしまっているものがあることに気付いた。
「くそ~……」
「……」
押印行為なんて前時代的なもん、ぽんぽん押すだけでもこの量は苦痛である。それに提案や改案までするとなれば尚更腕が重い。
心の中で愚痴りながら取り組んでいる間も、ライコウはひょいひょいと出来上がった筈の文面を一読し、問題ありと判断したものには赤印を入れて束ね始めた。
──適当にするのも、無理か。
書簡を崩し束ねる音と訂正を求めるヤジだけが繰り返される執務室の中で、自分の意識が机の上だけにあるような感覚となる。疲労で周囲の感覚が薄れてきたのだ。
仕事、したくねえなあ。逃げたいなあ。ずっと休日ならなあ。そうぼやきかけたところであった。
「茶だ、ハクよ」
いつの間にか、ライコウが茶を持ってきた。
外を見れば、いつの間にか夕闇が支配している。休憩しろということなのだろう。遠慮なく茶を受け取り、ずずずと飲みながらその味に違和感を覚える。
「……お前が入れたのか?」
「ふむ、口に合わなかったか」
「いや……」
素直に言えば、うまい。
ルルティエや双子が入れている時とは違う。
あれは正確な作法と愛をたっぷり入れて味を向上させているもんだが、ライコウのこれは純粋に茶葉そのものが高級というか上等な気がする。
「高そうな茶だと思ってな」
「脳の思考には、こうした上等なものを取り入れることが必要だ。思考力が落ちてきたようなのでな、特殊な茶葉を調合した」
「ああ、なるほど、そういうことか」
もっと仕事しろってことかい。
逃亡を防止され、何日も執務室から出ることがないだけでなく、一日中胡坐をかかされ股関節が痛み、脳がずきずきと非難を発しているにも関わらず、まだ働けと。過労死するぞ。
「それにしても……」
「ん?」
「俺の茶をこうも信用して飲むとはな」
「……変なもんでもいれたのか?」
「……ふ」
ライコウは何が面白いのか鼻で笑いながら、自分に警戒するよう伝えた。
「俺は敗軍の将……二度と聖上に盾突かぬとは誓ったが、毒でも入れるとは思わぬのか」
「入れたのか?」
「……いや」
「なら、大丈夫だ」
「……そういうところだ、全く」
ライコウは馬鹿にするかの如くやれやれと首を振る。隷従の首輪がそれに連なるように音を鳴らした。
しかし、諦めたように元の表情へと戻すと、再び書簡の山へと視線を向けた。
「さあ、ハクよ。これが終われば一段落だ」
「……」
「何だ? 不満か?」
「……せめて可愛い子が補佐ならやる気も違うんだが」
執務室でこうも不愛想な男を眺め続けていても何も楽しくない。
オシュトル達の政務を皆で分け合っている手前、自分の補佐をすることが多いネコネも今は別の仕事を担っている。ルルティエも忙しそうだし、ウルゥル、サラァナも以前の決戦の疲労が祟り寝入ってしまっていることが多い。癒しを求め、可愛い女の子の花のような笑顔に飢えていたのだった。
しかし、ライコウは何を勘違いしたのか、その表情を訝し気に歪めた。
「……命令か?」
「いや、何のだよ!」
「ウォシスもそういったことは好き物であったな……貴様の趣味をとやかくは言わぬが、政務に滞りが出ては亡き帝に申し訳が立たぬ。まずは目の前のことを終わらすが良い」
何か勘違いされたままだが、その勘違いを否定する体力すら、続く仕事漬け生活のためか残っていない。
死んだ目をしながらも書簡の山を崩し、ふと一つの案件に思考が傾く。
一つの書簡を手に取り、これは自分だけでは判断がつけられぬと思いライコウに聞いた。
「お前が作っていた大砲──じゃなく大筒の処理に関してだが……」
そう、ライコウは帝都防衛を見据えた技術革新を行っていたのだ。
作りだしたのは、火薬を用いた大砲。重すぎる、でかすぎるといった懸念点があったが故にオムチャッコ平原で利用はされなかったが、そもそも──本来の人類の歴史であれば、このような物を思いつくのはもっと先である。
自分が先人知識として気球を用いたり、通信兵の穴をついたりしたが、それはあくまで大いなる父としての知識があるが故である。
ライコウはヒトでありながら、正しく人類が長年かけて辿り着いた技術を一足飛びに考案し、その確立にまで至っていたのだ。正しく、ヤマトの傑物。
あのまま平原での決戦で決着がつかず、各門に設置された大砲を使われていたと思うと心底ぞっとする。騎馬兵力の差を利用した短期決戦を挑んで本当に良かった。
ライコウは大砲に関しては未練もあるのだろう。確認していた手を止め、こちらに視線を向けた。
「大筒がどうした」
「いや、このまま大量生産するつもりだったのか、それとも小型化するつもりだったのか聞きたくてな」
「……ほう」
ライコウは自分の言葉に驚いたように眼を見開き、その口元を薄く歪めた。
「ハクよ、貴様あれが小型化できると気づくか」
「ん、い、いやまあ」
大いなる父的には、気づいて当たり前なのだが。
理解者がいたというように邪悪な笑みを浮かべるライコウであったが、それを知らないのだからその反応も当然か。
ライコウの思惑はわかる。武を重んじる戦よりも、情報や技術に重きを置いていた奴のことだ。
小銃が量産されれば、戦の形は正しく情報と技術と数の応酬へと変わり、仮面の者など一角の武人は必要なくなるからな。
「大量生産、質の追求、両方求める。まさか計画を止めるなどとは言うまいな」
「あ? ああ、勿論だ。そんな勿体ないことはしないぞ」
「ふん……であれば良い。貴様が聞きたいのは配分か」
「そうだな……戦乱は終わったから、大量生産よりも質を追及した方がいいかなと。武具を作る鍛冶屋や、技術屋もこっちの計画に回せそうだが、お前がどういう構想を練っていたか聞きたかっただけだ」
あまり自分が判断をしすぎると、ヤマトの歴史に介入し過ぎる。あくまでこの時代のヒトの手によって、こうした技術革新は起こるべきであると思うのだ。
特に、オシュトルが目覚めた後も大筒担当などと言われれば目も当てられん。仕事は教えて任せて増やさない。それが自分のような窓際族の鉄則である。
「ふ……そうだな、まずは質を追求しながら、できた物を順に配備していくのがいいだろう」
「じゃあ、その配分、頼んでいいか」
「ああ」
書簡を渡し、自分の仕事を減らせたことに満足する。
すると、ライコウがどさりと目の前に大量の書簡を置いた。
「明日までのものだ。大筒に関して練る代わりに、こちらを頼んだ」
「あの……ライコウさん、等価交換って知ってます?」
「ああ、俺の題の方がヤマトの未来に大きく利するのでな。雑務は任せる」
ライコウはそう言うと、嬉々として大筒の資金配分についての書類を作成し始めた。
茶を飲みながら新たに積まれた書簡を眺め──墓穴を掘ったな、と大きく後悔するのだった。
うたわれるもの斬2が7月末に出ますね。買います(当然)。
気になるのは追加シナリオがあるという話です。
後日談追加とかあればめちゃ嬉しいですが……追加シナリオの内容如何によっては自分の解釈が覆されるような新事実が出てくる可能性もあるんですよね。
まあ、それでもいいので、アクアプラス様には皆と再会するマシロ様のシナリオなど追加して欲しいとも思います。(渇望)
ただ、追加シナリオで明かされた設定によっては、この二次創作も違和感だけでなく設定破綻に見舞われる可能性もあります。追記修正できる場合はやりますが、そうでない場合も、あくまでifとして楽しんでいただけたら幸いです。