【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~   作:しとしと

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トリコリさん大好き。
攻略ヒロインにしたい。


第四話 低俗なるもの

 怠け者が働き者になる。まあ、そんな風に言ったが、そんなふうにすぐさま変わることは中々できないわけで。

 

 自分のノルマの仕事が終わり、いつも通り布団の上でごろごろしていたところ、オシュトルがある場所へと行こうと誘ってきた。

 渋っていたのだが、結局ネコネに脛を蹴り上げられ、オシュトルとネコネの実家へと足を運ぶことになった。

 ネコネの話では、この前二人で顔を合わせに行ったそうだが、オシュトルがそういった状態だったことは既にネコネ一人で話をしていたそうだ。

 

「なら、なんで自分が今回行かなきゃならんのだ」

「そういうな、ハク。必要なことなのだ」

「……」

 

 本当にそうなのだろうか。

 ネコネはネコネで脛を蹴り上げたくせに不服そうな顔でぶすっとしているし。

 やがて、古風な家屋敷に辿り着くと、玄関先で待っているよう言われる。

 

 オシュトルとネコネだけが中に入ると、やがて見知らぬ女性との話声が聞こえてくる。

 それからさらに暫くして、ようやく本題に入ったようだ。

 

「母上、紹介したい人物がございます」

「あら、誰かしら」

「このオシュトルが全幅の信頼を置いている者です」

「まあ……! それほどのお方なのね」

 

 ネコネの面白くなさそうな表情が見ずとも伝わってくる。

 しかし、それに反するように、オシュトルの母の声は喜色を帯びたものだった。

 

「ハク、入られよ」

「お、おう」

 

 その声を聞き、おずおずと襖を開けて中へと入る。

 そこには、泣き黒子のある美しい女性の姿があった。この人がオシュトルとネコネの……母、か。

 視線が合わないのを見て、目が不自由だという情報があったのを思い出した。

 

「ど、どうも、お初にお目にかかります。ハクと申します」

「これはご丁寧に。私の名はトリコリと申します。よろしくお願いしますね」

「このハクがいなければ、某の命はありませんでした」

「まあ……それでは、私からも礼を言わねばなりませんね、ありがとうハク様。息子の命を救ってくださって」

「いえいえ、そんなそんな……」

 

 なぜか、頬が熱くなる。

 何だろう、この感じ……。

 

 それからは、ネコネの入れてくれた茶を飲みながら、他愛のない話をし、和やかな空気が漂う。

 そして、色々と話している内に、やはり親子なんだなと気付くことがあった。

 

「どうした、ハク、某と母上の顔を見比べるようなことをして」

「いや、オシュトルが美形な理由がよくわかったと思ってな」

「あらあら、御上手ね」

「す、すいません。変なこと言ってしまって……。あ、そういえば、ネコネは父親似なのか?」

「今の話の流れでその質問はどういう意図なのです?」

 

 怒気を孕んだネコネの声。

 トリコリさんの目が不自由なのをいいことに、ネコネはげしげしと蹴ってくる。

 

「ちょ、け、蹴るなよ、ネコネ。聞いただけだろ」

「うるさいのです! ハクさんなんかこうなのです!」

「あらあら、仲良しなのね」

「っ!? こ、こんな人と、仲良くなんてないのです!」

「ふふっ、そう」

 

 ネコネは手をばたばたと振りながらトリコリに抗議するが、トリコリは楽しそうに笑うだけだった。

 しかし、こちらの様子を窺い口数少なかったオシュトルが、突然ぼそりと聞いてきたことで、空気が変わる。

 

「ずっと気になっていたのだが……年上がお主の好みなのか?」

「えっ!? そ、そそそそ、そんなわけない……こともないが! 流石に人妻に手を出したりしないぞ!」

「若い女子を侍らせながら、誰にも手を出さぬのはお主が真面目な男だからと評していたのだが……なるほど、そういうことか」

「あらあら、私もまだまだいけるのね……ふふふ」

 

 トリコリは顎に少し手をあて、薄く笑う。その仕草が、余りにも妖艶で、動揺した。

 

 ――すいません。本当は包容力のある女性大好きです。結婚してください!

 

 ホノカさん以来の求婚衝動に、かろうじて自分が踏みとどまれたのは、自分の態度を見て、ネコネが道端のンコを見るような目をしたからだった。

 

「……不潔なのです」

「ぅぐ……」

「これ以上ここにいれば、母上に手を出すやもしれぬな。早々にお暇することにいたします、母上」

「ふふふっ、あなたとネコネがここまで気軽に話せる相手ができて、少し安心したわ。ハク様、またいらしてね」

 

 その言葉に後ろ髪惹かれつつも、オシュトルの言葉通り、早々にお暇することにした。

 帰り道、オシュトルがネコネに聞こえぬようウコンの口調でこっそりと耳打ちしてきた。

 

「……そういえば、ネコネは母上の娘、やがて母上のような人物になるのは確実だ」

「……は? 突然なに言いだすんだ」

「好みなんだろう? 我が母上のようなお方が。アンちゃんよ、ネコネは将来有望だぞ」

「……何が言いたいんだ? お前……」

「流石に、母上を寝取られるわけにはいかねえだろう。考えてもみろ、自分の母親が親友に寝取られるなど悪夢以外にあるか」

「……勘弁してくれ」

 

 妹が取られるのは悪夢じゃないんかい。

 代わりにネコネ差しだすから母上だけはやめてくれって、どんだけ信用ないんだ。

 先程、全幅の信頼を置いているだなんだ言っていたのが、遠い昔のようだった。

 

 

  ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 喉が渇いたので厨房に寄った時だった。

 ルルティエが、自分の作った料理を前にして溜息をついていたので、ついつい声をかけてしまった。

 

「どうしたんだ? ルルティエ」

「あ……ハクさま」

「何かあったのか」

「実は、その、アンジュさまのことなのですが……」

「皇女さん? 今は幾分快復しているはずだろ?」

 

 寝たきりだったのが、今じゃ俺に絡んでこれるくらいには元気が出たはずだ。

 見舞いに行くと、帰ろうとするたびに腕を掴まれるし。無言だから、こっちばっかり話すことになるんだよな。筆談は時間かかるし。

 

「確かに、以前と比べると随分よくなられています。でも……」

 

 ルルティエはそう言うと、近くの卓上に視線を移す。

 多少箸をつけた形跡はあるものの、その殆どが手つかずのままだ。こんなに綺麗に盛られているのから想定するに、自分達のものではない。

 

「これ、皇女さんのか」

「はい……先程お持ちしたのですけど、首をお振りになるばかりで食べたくないと……」

 

 皇女さんが辛い思いをしていたのはわかっているつもりだったが、そこまでか。

 自分の前じゃ、あまりそういう姿は見せないんだがなあ。

 

「アンジュさまのお気持ちはわかるのですが……」

「そうだな。このままだとクオンの帰還を待つ前に経過が悪化するな」

「あの、もしよろしければ、アンジュさまのお見舞いに行ってあげてもらえませんか?」

「オシュトルは? 皇女さんはオシュトルにべた惚れだし、あいつが飯を持って行けば全部食うだろ」

「オシュトル様は……ご政務に忙しそうなので……わざわざ頼むのも……」

「まあ、そりゃそうだよな」

「それに、ハクさんなら、アンジュさまの傷ついた心を癒してあげられると思います」

「そうか?」

「はい。ハクさんがお見舞いに来た後は、少し元気ですから……」

「ふーん……」

 

 まあ、それはそれとして、確かに、あまりオシュトルの手を煩わせるのも悪いな。今オシュトルが携わっている政務の量は、自分がオシュトルの影武者時代と同じものだ。いや、それよりも増えているくらいだろう。さらに仕事を増やすのは余りにも酷だ。

 

「わたしでは、アンジュさまをお慰めすることが出来ません……」

 

 寂しげな笑みを見せるルルティエ。

 ルルティエにこんな顔をさせる皇女さんに、少しばかり意地悪したくなった。

 

「……そんなことないさ。ま、いっちょ行ってくるよ。拗ねたガキンチョにはそれなりの対応があるっていうことさ」

 

 勿論、皇女さんの悩みもわかるっちゃわかるがな。住処を奪われ家族を奪われ、確かにもっとお見舞いに行っとけばよかったな。

 

「お食事は、すぐに作り直しますから。折角ですから、アンジュさまのお好きな料理、一杯入れちゃいます」

「ルルティエの心遣いも、きっと届いているさ」

「ありがとうございます。私には、このくらいしかできませんから」

「いやいや、すごいことさ。なあ、ルルティエが作っている間、これを食べていてもいいか?」

 

 そう言いながら、皇女さんが残した料理を指さす。

 

「え? でも、もう冷えていますし……」

「ルルティエの作ったもんなら冷えていてもうまいさ。あむ……ほら、うまい!」

「そ、そうですか……えへへ。じゃ、じゃあ、すぐに用意いたしますから、ちょっとだけ待っててくださいね!」

「ああ」

 

 嬉しそうな表情に変えることができて、少しほっとする。ルルティエには優しい笑顔が似合うからな。

 台所で、腕をまくり忙しそうに駆け回るルルティエを横目に、皇女さんが残した食事に舌鼓をうつのだった。

 

 

 冷えたご飯を食べ終わると、丁度料理が出来上がり、それを皇女さんのいる部屋まで運ぶ。

 部屋の前で、一応声をかけた。

 

「皇女さん? 少しいいか?」

「……」

「入るぞー。皇女さん、具合はどうだ?」

「……」

 

 アンジュは布団から半身を起こした状態で、入ってきた自分の姿に、少し顔を明るくするも、ふいと部屋の外へと目線を移す。

 なるほど、相当参ってるのね。

 

「皇女さん、ご飯だ。ルルティエが食べやすいモンばかり作ってくれたぞ」

 

 そういい、ルルティエの料理をアンジュの前に差しだす。

 

「……」

「皇女さんが辛い時期にあるのはわかるさ。だが、今皇女さんの体は弱ってるんだから、いっぱい食って早く元気になってくれ」

 

 しかし、アンジュは力なく首を横に振る。

 その表情には憂いの色だけが浮かんでいた。

 

「わかった。食べさせてほしいんだな? オシュトルじゃなくて悪いが、自分のあ~んでよければ食ってくれ」

「……」

 

 首を振る力が強くなる。

 なんだ、元気じゃないか。やはり、帝都での出来事に心を引きずられている心労が勝っているのだろう。

 

「皇女さ~ん?」

 

 膳を持って、アンジュの傍により、互いの視線を合わせようとするが、視線を外される。

 

「皇女さんは、元気な姿の方が似合ってるんだがな……わかった。皇女さんが食べないなら、自分が貰おう」

 

 こんなうまそうなものを捨てるなんてとんでもない。

 それに毒見もかねてるんだ、うん。食べないなら、もらうだけだ。

 

 汁物の蓋を開ける。

 その瞬間にふわりと舞い上がった香りが、心地よく鼻腔をくすぐり、アンジュの肩がびくりと動く。

 しかし、もはや皇女さんの動きを気にする余裕などない。

 冷たい料理でもあれだけ美味しかったのだ。アツアツならさらにうまいに決まっている。

 

「ごくっ……う、うまっ……」

 

 エンナカムイでとれる食材における選択肢の少なさは周知のところだ。それなのにここまでの深い味わいを出すとは、恐るべし。

 愛情が隠し味とはよく言ったものだ。もはや隠れることすらできないほどの愛情がここには詰まっているのだ。

 

「なんだ、この煮付け……塩加減が絶妙だな」

 

 ひょいひょいと料理に手を伸ばす。

 もはや皇女さんの様子など全く気にしていなかったその時。

 

 ――ぐううううう。

 

 可愛らしい音が響き、料理に伸びる手がぴたりと止まる。

 視線を上げると、顔を真っ赤にしてお腹を抑えているアンジュの姿があった。皇女さんの恨みがましい視線が、咀嚼している口元にぶつかる。

 その表情が妙に可愛かったので、少し意地悪したくなった。

 

「あれ? 皇女さん、いらないんじゃなかったっけ」

「!?」

「ざんねんだなぁ。こんなに上手い飯を食えないなんて……心配するな、残さず全部食べてやるから」

 

 先ほども食べたというのに、まだまだ入る気しかしなかった。

 それもこれもルルティエの飯がうますぎるのが悪い。

 

「あぅ」

「ん?」

「んう、んう!」

 

 なんか怒っているようだった。

 皇女さんは、自分から箸を取り上げようとするので、わかったわかったと押しとどめる。

 まあ、元気が出たようで何よりだ。幾許か恨まれているかもしれないが。

 

「しょうがねえなあ。食べさせてやろう、何がいい?」

「あぅぅぅ!」

 

 再び箸を取り上げようとする皇女さんを再び押しとどめる。

 

「まあまあ、元気な皇女さんが見れて嬉しいが、あんまり暴れるとしんどくなるぞ。食べさせてやるから、大人しくしとけ」

「……あぅ」

 

 納得したのかどうかよくわからないが、しぶしぶといった感じで、大人しくなる。

 頬に朱が指しているのを見て、やはり意地悪が過ぎたと反省する。

 ま、でもこの美味い飯が食えれば、すぐ元気になるさ。

 

「ほら、まずは煮付けな」

「……ぅ、う~……」

 

 暫くこちらの箸を見て何かに逡巡していたが、観念して口を開く。

 その様子に小さく苦笑を浮かべて、その口へと料理を運んだ。

 

「うまいか?」

「あう」

 

 美味そうで何よりだ。

 

「次はこっちか?」

「あうっ」

 

 親鳥と雛鳥のような関係を暫く続けていると、すぐに料理がなくなった。

 

 ――ちょっと自分が食べすぎたかもしれん。

 

 その考えに皇女さんも至ったのか、恨みがましい視線でこちらを見やる。

 全く、最初は食わねえって言ってたくせによ。いや、口で言ってはないが。

 

「あう」

「ま、これから食べられたくなけりゃ、さっさと食べることだ」

 

 アンジュの口元を拭い、布団に寝かせる。

 

「じゃ、自分はこれで……」

「はう」

 

 空になった膳を手に退出しようとするが、強く袖を引かれた。

 

「はう、はう」

「わかったわかった。皇女さんが寝るまでいるよ」

「……ぁう」

 

 納得したのか、安心した表情で、寝床に入る皇女さん。

 暫くすると、寝息が聞こえてきた。

 

「……」

 

 無言で出ようとすると、袖に違和感。

 

「……まだ握ってるよ」

 

 あれこれしたが、全く抜ける気配がない。

 皇女さんを起こすわけにもいかないので、とりあえず、この空になった膳をルルティエに見せるのは、暫く先になりそうだった。

 

 

  ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 オシュトルの相談役としての任が終わった後、暫く暇になる。

 エンナカムイには、娯楽や遊戯は少ない。それは、エンナカムイは遊べる場よりも、生活水準向上のための技術を求めたからだとオシュトルから聞いている。

 ノスリにこの前、賭博場が恋しいと言われ、改めて自分もそういった賭け事が好きなことを思い出した。正直オシュトルに扮していた時はそういった余裕がなかったからなのか、暇な身になるとそういった欲が出てくる。

 

「やっと出来たが、まあ、こんなものか」

 

 暇な時間にこつこつと作った道具を見て、思わず笑みがこぼれる。

 くいくいと袖を引かれたので、振り返ると、何かを期待するような二つの存在。

 

「主様?」

「賭け事ですか?」

「お前達とはやらんぞ。わざと負けて躰で払うだなんだと言うんだろ」

「見破られた?」

「さすがです、主様」

 

 手元には、様々な絵柄が描かれた札の数々、不備がないか確認していると、背後からそっと声をかけられる。

 

「ハク、なにをニヤニヤしているのだ? ん、これは?」

「おっ、ノスリか、丁度いい」

 

 手にした札を広げて見せると、ノスリは興味津々な様子で覗きこんできた。

 

「随分と華やかな札だな。歌留多……にしては札が小さいが」

「歌留多と似てはいるが、これは花札というやつだ。賭け事でよく用いられる遊びだな」

「……ほう?」

 

 賭け事と聞いた途端、ノスリは身を乗り出してくる。

 そこで、花札のルールを簡単に説明する。

 

「なるほど……それぞれの絵柄に意味があるのか……そして、役を作り、高い点をとれば形勢逆転も……うむ、面白そうではないか!」

「そうだろうそうだろう」

「よし、では早速!」

 

 札の法則や役を覚えた途端、懐から巾着袋を取り出し、床にどすんと落とした。

 

「おいおい、まさか賭ける気か?」

「当然だ。やはり、やるからには本気でやらねばな。何、精々今宵の飲み代を賭けるくらいだ」

「おっ、なら今夜はノスリの奢りで決まりだな」

「なにお~っ? ふん、吠え面をかくのも今の内だ、ハク。尋常に勝負!」

 

 こちらも巾着袋を側に起き、花札を意気揚々と切る。

 そして勝負が始まり、結果として自分のぼろ勝ちだった。

 

「く、くそ、なぜ勝てない」

「だから、高い点を狙いすぎだ。どんだけこいこい言いたいんだ?」

「ぬ、ぐぐぐう……次こそ……!」

「それも何度目だ。それにもう財布の中身は空じゃないか?」

「な――」

 

 財布をひっくり返しても、小銭の小気味よい音は響かない。

 今晩どころか、今月分巻き上げてしまった。

 

「んじゃ、ウルゥル、サラァナ、今夜はノスリの金で飲みにいくか。店の女将さん喜ぶぞ~」

「くそぉ~……」

「ほら、ノスリも行くぞ。暫く飲めないんだから今夜は飲んどけ飲んどけ」

「い、いいのか?」

「まあ、初心者に本気を出した引け目もあるしな。元々お前の金だし」

「くぅ~、いい女は敵の情けは受けんものだ! 情けは受けんが……ハクがどうしてもというならば、しょうがない! 付き合ってやろう!」

 

 どうしてもという訳ではないのだが、まあ、これ以上勝負を続けると服でも賭け始めそうな気がしたので、切り上げるタイミングとしては上々だろう。

 双子もお茶汲みなどしてくれていたものの、ずっとノスリの相手をしていたからか、不機嫌そうだしな。

 

「ハク、今日の分は残しておくのだぞ! 私の五光が必ず取り戻してやる!」

「ああ、はいはい」

 

 まあ、今の感じなら、暫くは飲み代が浮くだろうな。

 クオンがトゥスクルから帰ってきたらまた自分の財布が管理されるのは確実なので、それまでは、存分に稼がせてもらおう。

 しかし、その後、金の少ないノスリが賭けるものは、もっぱら自分の服と体になり、オウギに苦言を呈すことになったのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 昼頃のことだった。

 いつもは忙しい筈のネコネが、自分の部屋の前の縁側にぽつんと座っているのを見て、思わず声をかけた。

 

「兄さまに、最近働きすぎだから休めと言われてしまったのです」

 

 まあ、オシュトルに自分が扮していた際も、中々に働いていたからなあ。

 

「それで、暇なわけか」

「暇ではないのです。兄さまから言われた通り、英気を養っているのです」

「だからといって、こんなとこにぽつんといる必要もないだろ。寝ちまうか、それとも……そうだ、キウルのところにでも行ってみたらどうだ?」

「キウル? キウルは確か……今は調練中なのです。どこかのぐうたらと違って、皆さん仕事があるですから、邪魔なんてできるわけないのです」

「うっ……」

「……ハクさんが仕事を肩代わりしてくれれば、兄さまと一緒に休めたのですが」

「うぐっ……」

 

 じとーっと、非難するような目で見られ、少したじろぐ。

 ネコネからあれこれ教えてもらったおかげで、政務を行おうと思えば行える。勿論俺でもできることは今でもしているが、確かに仕事量を比べればオシュトルの足元にも及ばないのだ。

 

「ま、まあ、わかったよ。また今度新しい仕事を引き受けるさ」

「……」

「そんな疑いの目で見ないでくれ」

「……はぁ、姉さまがいれば、ハクさんも働き者になってくれるのに……」

「そ、そうだ、ネコネ。オシュトルに変装していた時仕事や字を教えてくれた代わりに、自分も一つ教えてやろう」

「ハクさんに? ハクさんに教えてもらうことなんてあるですか?」

 

 やれやれ何を言ってるですかこの人は、とでも言いたいかのように鼻で笑うネコネ。

 ちょっとムカっときたが、話の調子がまずい方向へと行くよりはマシだ。それに、勉強のほうがごろごろするより好きなんだろうし、ネコネの興味ありそうなことで気を引くことにする。

 

「ああ、あるともさ。ネコネ、お前は確か、神代文字に興味を持っていたよな?」

「っ……そ、それが、なんなのです?」

 

 ――脈ありだな。

 耳がピクピク跳ね、尻尾がハタハタと揺れていることからもわかる。

 だが、さっきの仕返しをさせてもらおう。少し意地悪する。

 

「そうかー、興味ないか。クオンに無暗やたらに教えるなって言われてたし、やっぱりやめとこうかな」

「あ、姉さまは今はいないのです。それに、ハクさんがどうしても教えたいなら、しょうがないから教えさせてやってもいいのです」

「ほぉ? ま、でも今書くものないし、残念だな、また今度……」

「わ、私の部屋にあるのです」

 

 袖を掴みぐいぐいと部屋に連れていこうとするネコネ。

 なんだこの力。過去最高じゃないか?

 

「どうぞなのです」

「これに書けってか?」

 

 書くための筆と板を渡され、とりあえず、ひらがなの五十音表を書くことにする。

 

「あ、い、う、え、お……と」

「!? か、神代文字、なのです」

「この辺りは、ネコネなら見たことあるんじゃないか?」

「ま、まあそのくらいは当然なのです……で、でも、意味までは……」

「意味……というか、言葉の基礎となる文字だからな。まずは、こう言った文字を五十文字、発音だけ覚えるんだ」

「……」

 

 何だか、非常に珍しく驚いた表情をしている。

 それに対して突っ込みをいれることなく、そのまま、かきくけこ、と続きを書いた。

 

「五十文字、と言ったですか?」

「ああ」

「それで、五文字ずつなのです?」

「ああ。これが十列くらいある」

「……」

 

 何だか、きらきらした瞳をしている。

 こんな目をしているのは、オシュトルの傍にいるときくらいだ。

 

「……続きは?」

「は?」

「早く続きを書くのです」

「あ、ああ」

 

 板に向かってきらきらと目を輝かせながら、次は次はとせがんでくる。

 ネコネの興味を引き過ぎてしまったみたいだ。

 

「こ、これはあくまで勉強なのです!」

「ん?」

「姉さまがいない今、ハクさん以外にも神代文字を理解できるヒトが必要になるかもしれないのです!」

「しかし、この国では禁じられた知識だと聞いているが?」

「それならハクさんも共犯なのです。元はといえばハクさんが知っているのが悪いのです」

 

 なんだそりゃ……。

 そういえば、みだりに教えると、相手に危険が及ぶ可能性もあることを指摘されていたことを思い出したので、それも伝えるが、大丈夫だと言われてしまった。

 ネコネの知識欲を、随分と刺激してしまったようだ。

 

 まあ、いいか。

 とりあえず、禁忌の知識として外には絶対秘密、あのオシュトルにも秘密だという約束を取り付けたうえで、とりあえずひらがなだけは教えたのだった。

 

「この文字は?」

「な、に、ぬ……ね、ですか?」

「ふむ……すごいな、もう覚えたのか」

「ふふん、ハクさんとは違うのです」

「何だと? 自分だって……」

「姉さまに聞いているですよ。何でも変な字の覚え方をすると」

「それはクオンの教え方が悪いだけだ」

 

 ネコネも教えるのがうまいのか、自分はすぐに覚えられたから、やはり師によって違うのだ。

 

「自分の教え方が良かったんだろ?」

「そんなことないのです。ひらがなだけなら、もう文章だって読み取れるのです」

「ほう? なら解いてもらおうか。全部答えられたらご褒美をやろう」

「別に褒美とやらに興味はないですが、まあいいです。ハクさんにぎゃふんと言わせてみせるのです」

 

 悔しいので、三問ほど出すことにする。

 新しい板を引っ張り、さらさらと出題文を書く。

 一問目と二問目は難なく答えられるだろうが、三問目は答えられんだろう、くっくっく。

 

「ほら、どうだ?」

「一つ目は……わ、た、し、は、ね、こ、ね、で、す……なのです」

「……正解だ」

「ふふ、この程度造作もないのです」

 

 誇らしげにない胸を張り、次の問いに挑むネコネ。

 ま、この程度は解いてもらわんとな。

 

「二つ目は……ね、こね、は、お、か、し、に、めが、ない、なのです……なんなのです?これ」

「本当のことだろうが」

「そ、そんなことないのです!」

「まあまあ、三問目だ、ほら」

「むー……」

 

 ぷりぷりと怒りながら納得が言っていない様子だったが、とりあえず答えてしまおうと三問目を見るネコネ。

 

「えーと……わた、し……は、は、く、さ、ん、の、こ、と、が、す……っ!? ぅ、うなぁっっ!?」

「あっれぇ? わっかんないのかなあ? ネコネさんともあろう方が?」

「ぐ、ぐぐぐぐぐ……」

 

 真っ赤な顔でぷるぷると震え始めるネコネ。

 勿論、わからないわけがない、しかし、言葉に出してしまうには余りにもおかしな台詞。

 

「は、ハクさんは、ひ、卑怯なのです!」

「はあ? そんなこと書いてないぞ? 三問目は間違いかな」

「くっ……」

「しかし、答えられないとなると、ご褒美はナシだな。今日の朝もらったルルティエ特製菓子を贈呈しようと思っていたんだが……仕方がない、自分で食べるとするか」

「ぬ、ぐぐぐぐぐぐ……」

 

 殆ど半泣き状態で怒りをためるネコネ。

 ま、もう勘弁してやるかと声をかけようとした瞬間。

 誰かが襖を開いた瞬間と同じくして、ネコネが叫んだ。

 

「は、ハクさんが、好き、なのですっ!!」

 

 どうだ答えてやったぞとばかりに、ふんすっ、と鼻息荒く未だ真っ赤な顔で胸をはるネコネ。

 やはりお菓子に目がないじゃないか。

 

 しかし、それよりも――。

 

「本当なのか、ネコネ?」

「!? あ、あ、あああああああ兄さまっ!?」

 

 開いた襖の先には、なんとオシュトルがいた。

 ネコネの声にかき消されてしまったが、オシュトルはどうやらネコネにご用向きだったようだ。

 オシュトルはさして動揺も見せず、にやにやとネコネの告白を受け入れ、ネコネに問うていた。

 それよりも、ネコネの動揺した様子は半端なかった。

 

「ハクが好きというのは、本当なのか?」

「ち、違うのです! こ、こいつに言わされたのです!! こいつのせいなのです!!」

 

 そう言いながら、ネコネはガンガン自分の脛を蹴り上げてくる。

 遠慮ない攻撃に思わず呻く。

 

「そうであるか? しかし、そのような言葉を言わされる状況がよくわからぬ」

「うなっ……!? そ、それは……」

 

 そう、禁忌の知識を習得しようとしていたなど、口が裂けても言えまい。

 それに、自分とオシュトルにも秘密だと約束したしな。

 

「ち、ち、違うのです~っ!!」

 

 頭のなかでわけがわからなくなったのか、そう叫んでオシュトルの横を走り去るネコネ。

 後に残されたのは、ネコネの背を見送る自分とオシュトルだけだった。

 

「ふっ……あまり妹をいじめてくれるな、ハク」

「可愛い子はいじめたくなるだろ?」

 

 ちょっとやりすぎたかもしれない。

 まさかオシュトルが居合わせるとは。神がかった間の悪さだ。いや、この場合逆にいいのか?

 

「それについて否定はせぬが、良いのか? あれでは、暫く口を聞いてくれぬぞ」

「ま、ご機嫌取りはまた今度するさ」

「全く……ネコネに頼もうと思っていた分の仕事は、其方が手伝ってくれるのであろうな」

「まじか?」

「うむ、兄としては、可愛い妹をいじめてくれた礼もせんといかんからな」

 

 暇であることを証明し、既に色々やっている身としては、首を縦に振る以外なかった。

 

 ネコネに関しては、その後、暫く口をきいてくれなかったが、オシュトルの誤解を解いておいたことを告げ、お菓子を毎日運んでいたところ、機嫌を治した。

 やっぱりお菓子に目がないじゃないかと言いたくなったが、今度は脛が無事でいられるかどうか不安だったので、やめておいたのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「また前みたいに恋を探してみたらどうだ?」

「え~?」

 

 アトゥイに暇だと部屋に連れ込まれ、酒盛りに暫く時間をとられ、おにーさんと酒盛りも飽きてきただなんだと、付き合ってやっているのにぐうたら文句を垂れられたので、そういった提案をしてみた。

 

「恋か~、恋なあ~……ちょっと前にいい男を捜してはみたけど、ウチの眼鏡にかなう男はどこにもいなかったしなぁ」

 

 まあ、確かに、勤勉な男だらけのこの国では、アトゥイの琴線に触れるような男は、なかなかいないかもしれないな。

 クラリンに視線を移すも、クラリンも肯定するかのようにぷるぷると震えるだけだった。

 

「そうやぇ!」

「またなんか良からぬことを思いついたのか?」

「むー、おにーさん、ひどいぇ!」

 

 そういい、ぽかぽかと殴ってくるアトゥイ。

 本人にとってはじゃれているだけかもしれないが、こっちとしてはめちゃくちゃ痛い。

 

「わ、悪かったって。何を思いついたんだ?」

「自分の恋が見つからないなら、他の人の恋路を応援してみるってのはどうけ? ウチは経験豊富やから必ず結ばれること間違いなしやぇ!」

「何が経験豊富だって? 毎度振られてヤケ酒に付き合った経験なら豊富だが」

「あーあー、おにーさん、うるさいぇ!」

 

 耳を塞ぎ、聞こえないとばかりに顔をそむける。

 そろそろからかうのはやめとこう。本気でやられそうだ。クラリンに先程殴られた個所を労わってもらいながら、思案する。

 

「それで、誰と誰をくっつける気だ?」

「うーん、おにーさんは誰がいいと思う?」

「……じゃあ、自分とトリコリさんはどうだ」

 

 それなら全然応援してくれていいぞ。

 あれから定期的に通っていることは、ネコネやオシュトルには秘密だ。

 

「トリコリさんって、オシュトルはんのお母さんけ? あーあ、おにーさんには見えてないんやね。恋の糸が。なんやすっごく可哀想な人やなぁ」

「うるさいぇ」

「あー、ウチの真似せんとってーな!」

 

 クラリンを盾にしながら、アトゥイの攻撃を受け流す。

 トリコリさんと恋の糸が繋がっている可能性が低いのは理解しているし、それを指摘されるのも余計なお世話だ。

 

「うーん、でもとりあえずルルやんとネコやんは除外って感じかなぁ」

「なんでだ?」

「ルルやんは……おにーさんが今ここにいなかったら良かったんやけど」

 

 どういうことだよ。

 

「ネコやんは、不毛な兄妹の恋やしなぁ……うーん、誰にしようかなぁ」

 

 すると、今までいなかった筈の双子が現れ、アトゥイに見せつけるように両腕にそれぞれしがみつかれた。

 

「応援希望」

「はい。私たちが、アトゥイ様のお助けを必要としています」

「う~ん、二人も恋心いうにはなんか違うなぁ」

「違わない」

「恋を認めてもらえずとも、いつでもご奉仕致します、主様」

 

 二人は残念そうな素振りを見せるが、腕にしがみつく事は諦めない。

 

「ノスリはんは……ダメやね。色気より食い気な感じや」

「お前みたいにどっちもあるよりいいんじゃないか?」

「あー、なんか二人の恋を応援したくなったぇ!」

 

 双子の捕まる力が強くなる。

 身の危険を感じたので謝ると、どうにか機嫌を治してくれた。

 

「あとはオウギはん……はよくわからんしなぁ。他には……そうや! キウやんがいたぇ!」

「キウルか」

「いつも思ってたんよ。ネコやんのことが好きやのに、一向にその気持ちを伝えようとしない。ここはウチが一肌脱いで、しっかり後押しするべきやぇ!」

「あ、ああ、そうかもな」

 

 こういう低俗な話だと元気になるんだよな。全く共感できん。

 口に出すとまた機嫌が悪くなるので言わないが。

 

「おにーさんもやるしかないぇ!」

「なんで!?」

「燃えてきたぇ!」

「話を聞けって!」

 

 そこで、いつものように間の悪いキウルが顔を出した。

 

「こちらにいましたか、ハクさん。外まで声が聞こえてましたよ」

「な、何だ、キウル、何か用か?」

 

 早く逃げんと取り返しがつかんぞ。

 

「兄上から兵糧についての報告書の件でお話があるとの事で、後で執務室まで来てほしいとの言伝を――」

「キウやん! いいところに!」

「わっ、アトゥイさん!? な、な、な、なんですか、いきなり……」

 

 突然アトゥイに抱き付かれ――逃げられぬように拘束され、キウルは目を白黒させている。

 掴まってしまったか、哀れキウル。

 

「キウやん、ネコやんのこと好きなんぇ?」

「は、はい!? 私が……ネコネ、さんを……す、すっ!?」

「どうなん?」

「ど、どうと言われましても……私が一方的に思っているだけですし……」

「好きなんよね? なのになんで告白しないん?」

「っで、ですが……と、とにかく、私は告白するにはまだ……早いと思いまして」

 

 それから暫くアトゥイの質問攻めと、キウルのもじもじとした応対が続き、アトゥイは隠すことのないイライラを体にまといはじめた。

 

「ウチはなぁ? そういうハッキリしないのは良くないなぁって思うんよ」

 

 自分がハッキリ言うと怒るけどな。口に出すとこっちに矛先が来るので言わないが。

 

「こういうの長引いてはいい結果にならないって……そう思わないけ?」

「そ、そう言われましても……」

「キウ、やん……?」

「ひ、ひぃっ!」

 

 アトゥイから放たれるおびただしい殺気が周囲の景色とキウルの顔を歪ませる。

 

「キウやんに足りないのは勇気やぇ。そうやって色々気にしすぎるからいけないんと思うぇ。ウチの経験では当たってみて第一歩を踏み出すのが恋の秘訣やぇ!」

「け、経験ですか」

 

 それで何度も失敗していることはキウルも知っているんだがな。

 

「じゃあ、早速いくぇ!」

「ま、待ってください。私は……」

「逃げたら……怒るぇ?」

 

 颯爽と出ていくアトゥイと、それに引きずられるようにして出ていくキウル。

 

「んじゃ、自分はオシュトルのところに……」

「は、ハクさぁん……」

「いや、自分、仕事しなきゃ」

「そんなぁ! ハクさんいつも仕事しないじゃないですか! こんな時だけ……!」

「労働意欲に目覚めたんだ。悪いな、キウル」

「ハクさぁあん!」

 

 懇願に満ちた表情を切り捨て、部屋から去る。

 すまん、キウル。自分も命が惜しいんだ。

 

「おにーさん、二人ちょっと借りるぇ!」

「ウルゥルとサラァナがいいなら構わんぞ」

「応援希望」

「アトゥイさんが私たちの恋を応援してくれるなら、手伝うこと吝かではありません」

「任せるぇ!」

 

 不穏な約束事が聞こえた気がしたが聞こえないふりをして、その場を去る。

 

 後で聞いた話だが、なぜかキウルはネコネではなくシノノンに告白したらしい。

 

「まさか、見に行った方が良かったと思うとは」

 

 どういう状況なのか気になりすぎる。

 アトゥイはこれで懲りたようで、双子たちがその後自分たちの恋を応援してくれないと嘆いていたのは置いておいても、顛末としてはまあいいほうだろうか。

 キウルにとっては、勿論たまったものではないが。

 

「きうる、シノノンはいいおよめさんになるぞ!」

「いやあ、妬けちまうじゃない!」

「そうだねー、シノノンちゃん……」

 

 道中、キウルの顔が死んでいるのを見たが、シノノンとヤクトワルトは楽しそうだしいいか、と今回の出来事を記憶の隅に追いやるのだった。

 

 

 


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