【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~ 作:しとしと
中盤戦が終わった。結果、相手の通信兵部隊にいいように動かされ、こちらの戦線は収縮、相手側の戦線は大きく伸びた状態であった。
敗戦濃厚、そう評する者もいそうである。しかし、ここからだ。
一度戻した数名の幹部たち、ソヤンケクル、ゲンホウ、ヤシュマ、シスを集め、簡易的な軍議を行う。
用が無くとも、幹部のいる部隊を何度か本陣に帰らせ、副長や他の部隊で戦線を持たせる布石もある。このまま、あと何度か交替で幹部を呼び戻し、ライコウに悟られぬように本来の策の説明をする必要があった。
「──策を実行する」
「しかし、最初は長期戦ということだったのでは?」
「長期戦は嘘でおじゃる。そちらには長期戦を思わせる戦いをしてもらうつもりがあったのでおじゃる」
マロロの策──敵を騙すにはまず味方から。
ソヤンケクルは驚きに満ちた表情でそれを聞いていた。
「では、以前聞いた策と言うのは」
「それは変わらない。変わるのは実行の時機。ウズールッシャによる兵糧討ちを防いだことからも、ライコウは暫く長期戦となると勘違いする筈だ。そこを狙う」
「するってえと何かい。最初から狙いは短期決戦だったってことかい」
「ああ、でないと……戦が終わるまでミカヅチと決闘しているオシュトルがかわいそうだからな」
「確かに……しかし、ライコウに当初予定していた疲労はない。動揺させられるかな」
「ああ、賭けだ。だが、動揺させるのはライコウじゃない。ライコウの目となり耳となり足となる──通信兵とウマだよ」
「?」
そう言って、後ろを振り返る。
そこでは、戦場盤と通信内容を交互に見つめていた双子が、確信を持ったように頷いていた。
「ウルゥル、サラァナ、いけるな?」
「……いける」
「こちらを攪乱するための偽情報も多かったですが、末端の通信兵の情報を探れば、回避できました」
「よし」
双子には後でめちゃくちゃ礼をしないといけない。
戦場が始まってからずっと解析してくれていたのだ。それだけではない、時間がかかる解析をこの速度で、しかも吐きそうな表情で、ライコウの通信網とその用兵に注視し続けてくれたのだ。
「ウルゥルは物見、サラァナは自分とだ。いけるか?」
「いける」
「……任せてください」
「サラァナ……また会える」
「……ええ、ウルゥル、最後まで、主様と共に」
その確認さえ済めば、後は幹部達に動きを説明するだけだ。
連中の度肝を抜く。
自分とマロロがライコウに勝るために考え準備し続けた、一世一代の大勝負──ライコウよ、とくと御覧あれ。
○ ○ ○ ○ ○ ○
ライコウの本陣、シチーリヤは戦場の優勢を眺めながらも冷静に情報を伝えた。
「通信兵より、敵右翼、第六撃破。第六分隊長を討ち取りました」
「良い戦果だ。そのまま囲んで第七も討ち取れ」
「はっ……敵左翼、第三撤退します」
「右翼第三騎兵で追撃しろ」
命令は暗号を生かすためにも単調になりはするが、それで十分である。シチーリヤから絶えず撃破の報告が挙がっていく。
奴らは俺が直々に調練したのだ。通信兵と騎兵の連携はヤマト一を誇る。
動きの少ない味方本陣と後詰に騎兵を少なく配置する代わりに、右翼と左翼にはそれぞれ練度の高い騎兵部隊を多数配置している。
たとえ敵騎兵が中央より突撃してきたとしても、練度の高い右翼と左翼であれば易々と挟撃し、相手の騎兵を打ち破れるのである。そして、右翼と左翼が中軍を交えて絶えず波状攻撃をかけることで、敵部隊の対応範囲を広くし、容易に敵部隊を刈り取っていく。
──これこそが、俺の誇る鉄壁の布陣。
奴らは二手も三手も遅れる戦太鼓の指令と、我ら通信兵による迅速な騎馬部隊の時間差に翻弄され、押し切られる寸前の状態まで陥っていた。
「続いて中軍、ノスリ撤退。ゲンホウが代替として迎撃の陣を構えています」
「ほう、これで三度目か……」
何を企んでいる、数の利を用いた長期戦を狙っているのはわかる。頭目を休ませるのは必要なことだ。しかし、こう頻繁に幹部を本陣に戻しては戦線の維持などできよう筈もない。
それに、こちらの策に嵌っていると言えば聞こえがいいが──長期戦を臨むにしては些か深く守りすぎている。
「敵遊撃、広く展開、敵右翼と左翼の補助に回りました」
「ふむ……減った右翼と左翼を守りに行ったか。敵中軍に長がいないのであれば大きくは動けまい。抜かれぬよう、こちらも遊撃騎兵をそれぞれ前進させよ。また、中軍第三、第六よりそれぞれ騎兵を出せ、横合いから討つ」
「はっ」
通信兵に暗号化した指令を伝達。
既に何度も通信兵とやりとりし、本日の指令の手順と暗号はいくつか鎖の巫女にも見られてしまっているだろう。
長期戦であれば、今日は情報収集に時間をかけ、停戦中の夜に暗号を解析する筈だ。しかし、明日には全ての指令の手順を変更する。解析は意味のないものになるだろう。
それに、今解析しようとしたとしても、これだけの情報網と動きである。たとえ鎖の巫女が傍受できるといっても、これだけ混じり合った情報を捉えるのは難しいだろう。
そう思案していたところだった。
敵本陣の空を見上げれば、戦場に似つかわしくない、気の抜ける光景が目の前を覆った。
「敵右翼と敵遊撃が合流……えっ」
「何だ、あれは……?」
「つ、通信兵より! 敵後詰前方、敵本陣後背より謎の飛行体が飛来、対応を求めていますが」
「そんなものは見ればわかる。あれは──」
敵本陣後背より次々と浮かぶ、無数の飛行体。あれはもしや──巨大な気球か。
そういえばと思いだす。以前トゥスクル侵攻において、ムネチカから報告があった。何やら崖上の食糧庫を襲撃するために囮となる際、襲撃の要となる策があると。この目で見たことは無かったが、あれが、その正体か。
「え、えっと、飛行体にはそれぞれ褌丸と書かれており、物見からの報告では中に呪術師二名、弓兵が六名搭乗しているそうです。いかがなさいますか?」
「……褌丸だと? ふざけた名前だ」
しかし、かような空に浮かべるための技術を用いる戦略物資など、草による報告には無かった。あれだけの数を隠し通せるものではない。もしや食糧物資として扱ったか、帳簿を誤魔化したとしか思えぬ規模である。
「布の表面に……薄い膜のようなものがあるとのことです。それによって飛行を可能にしているのかと……飛行体、接近! 徐々に我が軍へ近づいてきます!」
平原の風は安定しないと言うのに、徐々にこちらへと向かってくる。風の呪法使いが搭乗しているな。
それに、あの高度。人を乗せあそこまで上がるとは──そういえば、トゥスクルとの同盟も秘密裏に結んでいたのであったな。特殊な素材を用いたのやもしれぬ。
しかし、あの飛行体をどうするべきか。
「矢を放て、爆符か火札を付けて放てれば尚良い。撃ち落とせ」
「はっ!」
いくら特殊な素材を使っていようと、空を飛ぶからには軽量で脆い筈である。
そう指令を下すも、戦場ではその指令に中々従えぬようであった。
「て、敵右翼、左翼、中軍が数多の飛行体と共に進軍! 矢を番える兵を狙って騎馬を突撃させています!」
「……なるほどな」
気球によって、地の利を得た。いや、空の利を得たというべきか。
この時代には無い新しい考えである。気球の位置は高い。移動式の櫓、攻城兵器を超える高さである。
本来であれば、移動櫓は足元を攻略するのが常である。あのように宙に浮いた櫓とも言うべき気球は対応が困難ということか。
「接敵中の騎兵、歩兵は地上の騎馬の対応。接敵していない騎馬隊による騎射で火矢を使え」
指令は下したが、単純な指令を逸脱している。末端まで指令が行き届くには時間がかかるだろう。
それに、矢を構える姿勢一つとっても、あれほど上を向いて放つ経験など兵には皆無。太陽の光に当てられ目を焼くこともある。それに気球は絶えず移動している。風の呪法使いもいるのか、その移動も一定ではない。また、出鱈目に射って当たらねば、放った矢が味方を射抜くかもしれぬ。早々には討てぬか。
いくら指令を出そうとも、兵が指令に戸惑いついてこられねば意味がない。気球の策はそこを突いたのだ。
「飛行体より爆符をつけた矢が放たれ、通信兵のいる櫓を落とされています! 地上には油瓶も投擲され、火矢を使えません!」
「ほお、こうも先手を取るとは……やるではないか、ハクよ。これが奴の切り札か」
「い、いかがなさいますか?」
騎兵が近くづけば高く上がって逃げる気球もあり、対応に難儀している間に戦線は徐々に本陣へと近づいてきている。
中盤戦で敵軍を追撃したためか伸びきった戦線も影響し、一度に対応できる兵が少ない。中盤戦までの戦線を一度に大きく戻された──いや、それどころか、少しこちらに入られたか。
「櫓からの狙撃を行え、地上部隊は今まで通り騎馬との交戦を行う」
「はっ!」
こちらの櫓からであれば、高さはそう変わらぬ。近づかれれば櫓が破壊されるであろうが、気球の動きは騎馬よりは鈍い。遠方からであれば難なく討ち取れるであろう。
「敵左翼の飛行体、十……いえ、十三、消滅! 落ちます!」
「他愛ないな」
「敵右翼、気球、十五消滅! 味方櫓、被害十、他軽微損傷!」
気球は未だ数多く飛んでいるが、この速度であれば落としきるのも時間の問題。空の利さえ無くせば、再びこちらに通信の利は戻ってくる。
墜落していく気球を眺め、そう確信していたが、ハクの思惑は別のところにあったことに気付く──
「──シチーリヤ」
「は、はい」
「右翼と左翼を、直ちに中軍へ戻せ!」
ライコウは己自身で広い戦場全てを見通せるわけではない。故に数多の通信兵に自分の目となるよう配置していた。
しかし、地上の情報を伝達するための通信兵は櫓から気球に対処するため、上に気を取られてしまっていたのだ。空に意識を向けられてしまった。故に、地上における戦場の僅かな変化に気付けない。
「ハクめ、これは布石か……!」
右翼と左翼は気球と共に進軍していたわけではない。鶴翼の翼が開くように、こちらの兵を徐々に中央から外側へと誘導していたのだ。
兵達が気球を落とすことに意識を釣られ、ライコウの通信兵は足元の情報を伝達することを疎かにした。
この僅かな隙を逃す奴らではない──
「──緊急! 本陣より中軍規模の騎馬部隊突出! 戦闘は先手ムネチカ、遅れてキウル、ノスリの部隊が続いています! さらにその後には采配師マロロ! そして、な!? そ、総大将ハクが騎馬で駆けています!」
「……やはり来るか、ハク!」
それは、ほんの小さな中軍の穴。奴は、絶好の機会を見逃す男ではない。指令も、暗号を予定より複雑化していたために詳細な命令は下せない。故に──してやられた。
敵中軍から長がいなくなったと見て、敵遊撃への対応に兵を割いた。故にこちらの中軍は手薄。そして──
「さあて、エヴェンクルガの戦いを見せてやりな! 野郎共!」
敵中軍ゲンホウはこちらの中軍を誘いこむように中央へ突撃。そのまま包囲殲滅される様を装い、味方中軍を中からこじ開けるように真っ二つに裂いた。
ゲンホウによってその僅かに空いた我が中軍の隙間を、敵本陣より出でた多数の騎馬が突破していく。あの規模──味方本陣には迎撃歩兵は多いが、騎馬隊は少ない。その速度のまま本陣に当てられてしまえば、一溜りもないだろう。
ナコクを落とせなかった故の兵力差がここに来て影響したか。
「ら、ライコウ様! このままでは中軍を突破されます!」
こちらの通信速度の上を行く、猛将たちの恐るべき勘の良さ。
まるで全てを予想していたかのように美しい用兵術であった。しかし──
「指令は変わらぬ。右翼、左翼の騎兵を呼び戻せ、我が本陣と共に挟撃する」
騎兵による挟撃さえ成せば、敵本陣の騎馬隊はただの犬死にである。
指令通り味方右翼と左翼が挟撃に動こうとするが、その様を見て敵の右翼と左翼が動きを変える。
「させないよ! 我ら海の民を舐めてもらっては困る!」
「はい! この策だけは、実行させねばなりません!」
「応、兄弟達よ! わしらの見せ所じゃけんのォ!」
「ハク様! 見ていてくださいまし! あなた様のシスは、今まさに活躍しているのですわ!」
挟撃を防ぐため、決死の覚悟で互いの右翼と左翼がぶつかり合う。これまで日和見を見ていた動きとは統率度が違う。
だが、それでも迅速な用兵で包囲を突破した者も多い。これであれば横、後ろと囲み、本陣と挟撃できる。
しかし、その思惑を防いだのは兵ではない、まして生物でも無かった。それは──
「──これぞ、火刑の真骨頂でおじゃる!」
爆発、墜落して無用となった筈の気球が行く手を遮るように、その炎と風圧でもって進軍を防いだのである。それだけではない。騎馬隊を守るようにして生まれる、炎と黒煙の壁──
「騎兵、炎と爆発を怖がり停滞、落馬あり! 挟撃できません!」
「……」
未だ落とされていない気球からは、矢の嵐。しかしそれは兵を狙ったものでは無かった。
気球から放たれていたのは、櫓を破壊する術だけでは無かったということ──騎馬隊の道を作るために、火札を用いた矢を放っていたのだ。
オムチャッコ平原は草原。油瓶もあったのだろう、燃え広がるのは容易い。しかし、草原の丈はそう高くはない。裏を返せばすぐに鎮火するだろう。
マロロは、それを絶好の機会に起動したのだ。
本陣にさえ、俺にさえ届けばいい。騎馬を隠す、炎と黒煙の壁を作る時間を、今この瞬間に賭けたのだ。
戦場の至る所から響く爆発と、濛々とあがる炎と黒煙が敵の騎馬隊を隠す。
火の直ぐ傍を走っているというのに、騎馬に炎や音を怖がる様子はない。事前に慣れさせていたな。
しかも、部隊は火神の兵が多いらしく、走り去った後も炎が火柱のように沸き上がるその様は正しく──
「炎を纏う騎馬隊……か。中々絵になるではないか」
「ら、ライコウ様?」
「後詰第四から第七まで本陣に合流、長槍の部隊を前列に並べよ。突撃の勢いを殺す」
一応、馬防策地帯を突破された場合の予備である。
「遊撃歩兵、本陣周囲展開歩兵軍、迎撃させろ」
「騎兵相手にですか!?」
「本陣展開の時間を稼ぐ」
しかし、こちらの指令も空しく、迎撃しようと固まって陣を構築していた戦場に点在する歩兵の間を、空に目があるかの如く隙間を縫って突撃してきた。予め脆い部分がわかっているかのような動きである。
この見事な用兵術、覚えがある。
「マロロか──戦う采配師、やはり俺の駒に欲しい漢であった」
中軍を難なく突破した敵騎馬隊であったが、僅かな味方騎兵が敵の騎馬隊に寸で喰らいついた。
「右翼十一騎兵部隊、左翼八、同じく騎兵部隊、敵本陣騎馬隊と交戦……あッ! し、しかし──」
「……ふむ、分けたか」
敵右翼、左翼から逃れ、さらに炎の隙間を縫って横合いより辿り着いた我が騎兵部隊もいた。
しかし、敵本陣の騎兵部隊は恐ろしく流麗な動作で、部隊を敵騎兵の迎撃部隊とそのまま本陣へと突撃する部隊に分けたのだ。数を減らすことができたものの、その減少数は殆ど焼け石に水でその勢いを殺すことは叶わない。
後ろに目があるかの如き、采配。これは、マロロだけに成し得ることなのか。
「敵騎馬隊、馬防柵地帯、入ります!」
本陣に突撃させぬための、馬防柵地帯、そして配置する弓兵と槍兵。
敵騎馬隊はそれらに行く手を阻まれる──筈だった。
「騎射斉射!」
ムネチカの叫びと共に、ノスリ、キウルの正確な爆符矢により、先行く馬防柵を騎射によって尽く吹き飛ばし、破壊し、突破する。たとえ討ち漏らしがあったとしても、他の騎馬が騎射を射かけていく。
あの部隊だけが、この戦場で最も練度の高い部隊である、そう確信する。
「弓兵で迎撃せよ」
「……全滅は避けられませんが」
「やれ。長槍部隊の展開はまだ終わってはいない。その身命で時間を稼ぐ」
柵の無い弓兵など肉塊でしかないが、本陣を守るためにも時間を稼がねばならない。
こうまでして戦場のど真ん中を易々と走り、通信兵の利を失わされては、犠牲は致しかない。
「弓兵斉射──な!? む、ムネチカの盾が発動、矢を弾かれています!」
「ほう……」
八柱将ムネチカが騎馬部隊の先頭を引き受けたのは、このための布陣か。
ムネチカに仮面が無くとも、細く長く後ろに伸びた騎馬隊程度であれば防げるということか──いや、取りこぼされた矢によって落馬する者もいる、弱体化はしているようで全てを防げているわけではないが、目的であった敵騎馬隊の勢いまでは殺せてはいない。
本来であれば、正面だけでなく横合いからの矢も期待できるが、炎で寸断された今、難しいであろう。
「鉄柵を発動せよ」
「よろしいのですか? 自軍もまだ上にいますが……」
「ああ、構わぬ。どの道総大将はあの場にいる。足元を疎かにしたのは貴様らだと教えてやれ」
ここで使わされるとは思っていなかったが──仕方あるまい。
ハクが仮面の力を解放した場合を考えて用いた、地中の牢獄。
平原に作った、鋭い鉄柵を用いた落とし穴である。落ちた後は呪術師で囲い、その力も奪う。
ハクに仮面の力を解放されてしまえば、戦場は不利になる。故に用意した本陣手前の鬼札である。
術式を起動、敵騎馬隊が自軍の兵と共にまとめて落ちる様を今か今かと見ていたその時──ハクは、騎馬隊は直前、自軍の右翼側へとその角度を変えた。
「!? な、何、だと……」
「伝令に混線……? これは──」
「ッ、鎖の……巫女……!!」
数多の戦場において初めて感じる、憤怒、そして背筋を走る薄ら寒さ。忘れていたわけではない。
奴らは、この一瞬の指令、それを、それだけを待っていたのだ。
これまでの指令と違う、新たな暗号、言葉、ただ一つの、切り札。それを鎖の巫女が傍受し、ハクに伝達するためだけに、ここまでの策を要した。
そして、その新たな指令によって何らかの罠があることを察し、その軌道を変えたということか。
「あり得ぬ! 傍受には集中力が要──あのような不安定な騎馬隊の上で成し得る技では──」
──戦場の空に違和感、そこで気づく。目を見開き、叫ぶ。
「──あれかッ!!」
本陣に一際高く上がったまま微動だにしない──気球。
鎖の巫女は二人、一人はあの空から俯瞰して戦場全体を見つめ、その指令を傍受、そして──
「──もう一人を、受信役として騎馬隊の中に潜り込ませていたということか!」
これまでの敵騎馬隊の流麗な動きは、俺と同じく全て通信によって生まれた動きであったということだ。
俺は戦場を広く見通すため数多の通信兵を扱う。故にそれらを統括する中継地点を設け、戦場に広く情報を伝達できる利を齎した。
しかしその策を用いたことで、暗号や指令の複雑性と、緊急性の高い指令においても各々の伝達に僅かな時間差が生まれてしまう弱点があった。
一転、ハクは中継を隔てぬ一対一でやりとりできる一部隊を作り、その簡易性による僅かな時間差、俺の弱点をついたのだ。つまり──
俺が──俺が通信と用兵において、神速を誇るライコウであると知って、尚。
「──その通信と用兵の速さで、この俺に挑戦してきた……ッ!」
「ライコウ、様……?」
「やって、くれたな……ハクッ! 術式停止だ!」
「はっ!」
憤怒のまま震える声で指令を下し、間一髪のところで味方だけが落とし穴に落ちることは避けられた。しかし、敵騎馬隊は再び本陣を狙って動いてきている。
「まだだ! まだ終わらぬ。急な左方展開によって時間は稼いだ──」
「右翼、左翼、本陣、敵本陣騎馬隊の包囲完了まで僅かです!」
「──勝ったッ!」
敵騎馬隊の速度、そして我が軍の展開速度を比較し、勝利の構想が浮かぶ。やはり軌道を変えさせたのは敵騎馬隊にとってかなりの損失だったと言える。
既に本陣長槍での迎撃部隊と弓兵部隊による展開は済んだ。本陣によって敵騎馬隊の勢いを殺した後、炎を避けて進軍した遊撃、左翼と右翼、後背より中軍が囲んで終わりだ。
これならば──ハク、其方らは全て死に絶える。
貴様の挑戦、後一歩、俺には届かなかったということだ──勝利を確信したその時であった。
「──? 何だ、あれは」
──平原の右側端より突如現れたウズールッシャの兵装。通信兵の誰もが気づかない。ヤムマキリ率いる味方であるウズールッシャの兵達は、突如数多の騎馬を以って我が軍の本陣に牙を剥いた。
「──狙うは敵将ライコウ! ウズールッシャの民を護るため、剣を取りなさいッ! 全軍、突撃ッ!!」
まさか、その声、その旗色は──
その声は、俺が以前より取るに足らぬ凡人と評し、未来のヤマトに必要ないと決めつけていた──英雄達の声であった。
○ ○ ○ ○ ○
策の実行が上手くいき、相手は気球──褌丸に幾分気を取られてくれたようだ。
また、ゲンホウが阿吽の呼吸で中軍を割いてくれたおかげか、予定よりも早くその騎馬を進めることができた。
「総大将、お膳立てはしておいたぜ! ライコウの土手っ腹、喰い破ってやんな!」
擦れ違いざまにゲンホウの檄が飛び振り返るも、ヤマトでも有数の速度を誇る騎馬がその姿を見失っていく。
このまま本陣に突撃し、帝都に撤退させる間も無くライコウを討たねばならないのだ。
「主様! 余所見をしていては!」
「あ、ああ! サラァナ! すまん!」
「ハク殿! 敵右翼と左翼、遊撃が挟撃態勢に入ったでおじゃる!」
「っ、流石ライコウ。気付くのが想定より早い……! 速度を上げるぞ!」
「了承した! 小生の敵中突破、その眼にしかと刻むが良い!」
奮起するムネチカと、周囲の情報を的確に伝えるマロロ。そして──
「主様! 褌丸第一より入線。ウルゥルより、火刑の手筈をと!」
そう、これまで幾度となく一緒であったウルゥルとサラァナは、今初めて別行動をしているのだ。
褌丸によって本陣上空に浮かび続け、物見櫓よりもさらに高い位置から、戦場の情報を俯瞰して見て伝え続けているのが、ウルゥル。そして、自分の乗る騎馬に共に跨りその腰に手を回しているのが、サラァナである。
二人の負担は重い。
ウルゥルが傍受、発信を担い、サラァナが受信を担う。ただでさえ二人の間に繋ぐ通信には集中が必要である。
この不安定な突撃の最中にこの策を用いることは危険性がつきものであった。しかし、彼女たちはできると断言してくれたのだ。
自分にできることは、目を瞑ってウルゥルと通信を繋ぎながら、振り落とされまいと自分をしっかと抱きしめるサラァナに、騎馬の不安定さを与えないことだけである。
「あいわかったでおじゃ! ハク殿!」
「応! 頼りにしてるぞ、マロロ!」
「おじゃ……ハク殿と共に戦えて、マロは、本当に嬉しいでおじゃる──見よッ! これぞ、火刑の真骨頂でおじゃる!」
敵の左翼と右翼が本部隊を挟撃しようとしたところに、落とされた褌丸が大爆発を起こす。
耳を麻痺させる爆発音と共に地面が抉れ、風圧で馬の軸がぶれる。爆発の衝撃でばらまかれた火札がさらに草原を燃やし尽くしていく。
それによって、たとえ通信兵による命令があっても、騎馬の動きは確実に止まる。たとえ頭ではわかっていても、音、風、炎の三要素は慣れていなければ操れるものではない。ライコウ軍に名だたる有能な将がいれば話は別だが、ライコウはそういった者を多く持たない。故に、騎馬の足さえ止めれば策は成功だ。自分達はその僅かな隙に敵本陣まで駆け抜けるのみ。
「おほおおっ、上手くいったでおじゃるうう!」
「応! やったな、マロロ!」
褌丸には乗組員がいる。
火神の術師によって火力を調整し高度を上げ、風の術師がその位置を調整する。落とされた場合は、風の呪法で以って敵陣中央近くにできるだけ寄せ、火札をばらまき撤退することになっている。
これまで戦の手法として無かった策でもあり、特殊な調練が必要だったが、うまくやってくれていたようだ。
行く手を阻むように地に落ちた褌丸は次々と爆発し、敵陣の混乱を生み出していく。
「──よっしゃあ! いいぞ、褌丸!」
「ちょっと、ハク! その名はやめてって言ったかな! 今回は褌使ってないし!」
後ろに続くクオンが文句を言うも、戦場の至る所から響く爆発音で聞こえない。
前方を見れば、戦場の混乱を隠れ蓑にして、上手く落ちた乗組員が火札をばらまき、起動しながら撤退していく。
しかし、褌丸の乗組員の中には、敵に討たれる前に軌道と目標を確保し、敵騎馬隊の元へ自ら墜ちていく策を取るものもいた。
自分達の道を作るために、皆が、決死の覚悟で以って想定通りの動きを果たそうとしてくれているのだ。
ソヤンケクル、オーゼンが右翼左翼をそれぞれ抑え、そしてその取りこぼしをイタクやシス、ヤシュマが突撃して抑えてくれている。
もはや彼らと褌丸、そして草原に広がる炎で側面は気にする必要は無い。後背もゲンホウが持ちこたえてくれているだろう。
自分達は前だけ見て進めばいい。そう前方を見やれば、キウルが焦ったように報告した。
「前方敵迎撃歩兵! 接敵まで十数秒!」
中盤戦までの戦場によって、ライコウの戦線は伸びているとはいっても、敵迎撃歩兵の陣は中央の至る所に点在している。
さて、あの突破は骨が折れるぞと思っていれば、サラァナが叫ぶ。
「ウルゥルより入線! 主様、前方北北東へ!」
「応! 全軍、右方展開! 手薄なところを喰い破るぞ!」
どうやら、本陣上空より俯瞰で眺めているウルゥルが、陣の手薄な部分を教えてくれているようだ。
命令を聞き、この日のために鍛えに鍛えたムネチカの馬術が流麗な方向転換を見せる。その後ろをついていくように、全軍が僅か右方へ流れていく。
槍を構えて陣を構築していた兵の横を擦れ違いざまに薙ぎ払うように突撃していけば、こちらの被害少なく、相手の陣を突き抜けることができた。
しかし、問題はまだある。オウギとクオンが側面の様子について報告してきた。
「敵右翼、騎兵部隊少数かな!」
「同じく敵左翼からも来ます! 後方で深く守っていた遊撃部隊でしょう! 火の境界を抜けてきます!」
「ハク殿! 隊を分けるでおじゃるッ!」
「応! 十三は敵右翼と交戦! 十四は敵左翼と交戦だ! 他は本陣に続け!」
敵右翼、左翼から逃れ、さらに炎の隙間を縫って横合いより辿り着いた我が騎兵部隊、そのまま挟撃されれば足が止まる。この突撃は何より速度が命、ここで挟撃を許してはならなかった。
指令を聞いて、本陣十三と、十四部隊は決死の形相で敵騎馬隊へと突撃し、壮絶な交戦が始まる。しかし、その戦を見ることすら、今の自分たちには時間が無い。
敵は神速のライコウ。一度たりとも止まれないのだ。
敵騎馬隊が襲ってくる度に自分の隊を切り分けしながら、再び前方、一際目のいいノスリが叫ぶ。
「前方、馬防柵あり!」
「了解でおじゃる! 爆符矢用意ッ!」
「狙える距離まで──三……二……一!」
「騎射斉射!」
ノスリの正確な判断で斉射までの拍子を数えると、連携してムネチカの号令が響き、騎射を担当する兵達から爆符を巻いた矢が放たれた。
敵の矢の届かぬ範囲より、正確無比な射撃とマロロの術式発動が連鎖し、前方の馬防柵は粉々、もしくは遠方に吹っ飛ばされる。
しかし、衝撃だけでは死なぬ。弓兵はかなりの数残っていた。
「弓兵、残存!」
「ムネチカッ!」
「小生にお任せあれ!」
敵陣から斉射される弓の瞬間に合わせ、ムネチカは正面を守る盾を発現させる。
数多の射撃はばらばらと弾かれ、後ろに流れた。
「ぎゃッ!」
後ろの方から取りこぼした矢が当たり悲鳴を上げる声があがる。
「大丈夫か!?」
「は、総大将! この程度大丈夫であります!」
兵の一人は片腕をやられているものの、既に痛がる素振りもない。
衝撃で落馬もしないとは、やはりこの部隊は最も練度が高く、そして猛者であると確信した。
しかし、続く第二第三と放たれる矢が、ムネチカの仮面のない小さな盾では防ぎきれず、その額に矢を受け落馬していく者もいた。しかし、もはや振り返れない。勝利を信じて進むしかないのだ。
そのまま弓兵と長槍の混合部隊を、正しく蹴散らしながら敵本陣へと進む。
もう敵本陣中心部は目の前だ。このままこの規模の騎馬隊が突撃すれば、敵本陣の兵力では抑えられない。もし自分がライコウであれば、仕掛けるとすれば今──
「──ウルゥルからです! 主様、進路を左に!」
「全軍、左方展開!! 大回りに本陣を討つ!」
一見前方には兵が控えているだけであるが、それさえ聞けば何か来るのはわかりきっていることだ。その正体はわからんが──ライコウ、お前がそのまま自分達を通すわけなんてないってことは、自分が一番よく知っている。
ムネチカ、ノスリ、キウルが手本を見せるように左方へと転換し、それに習うように自分や部隊の者達が後をついていく。
このために騎馬をどれだけ練習したか。ココポで慣れているとはいえ、落馬し過ぎて背中が痛い。
「ちっ! 敵本陣の長槍隊と弓兵の展開が早い!」
「敵右翼も戻ってきたでおじゃ!」
この辺りからはもう炎も薄い。左方に逃れたばかりに、挟撃を狙った右翼と相対する可能性もある。
そして何より──
「この速度では突破しきれぬ! 左方展開時に速度を殺されております故!」
ムネチカの焦燥したような言葉に勝算を探す。
あのまま突撃すれば、騎馬隊の速度を殺され、戻った敵右翼と挟撃される。そうなれば敗北は必定。
ひゅん、と敵本陣からの第一斉射と呪法による迎撃が自分達を襲う。
後ろからも悲鳴は断続的に聞こえる。ムネチカの盾を警戒して上向きに撃ってきてやがる。
まずい、このままでは──
「──ハク?」
──仮面に触れる。唇を噛んで他の案を探すも、これ以外に勝利の道は無い。
しかし、今ここで使えば──
自分の後ろをついて騎馬を走らせるクオンに伝わるよう、その名を呼んだ。
「クオン、もし自分が自分でなくなったら──」
そう、願いを伝えようとした時である。
自分達の向かう本陣、その更に左方より、見慣れぬウズールッシャの兵装を持つ騎馬隊。
ここにきて──奇襲部隊のヤムマキリが戻ってきたのか!
もはや絶望である。
目の前には本陣、そしてやや左後背より敵右翼。さらに左前方にはウズールッシャの軍である。時が経てば、敵左翼も右後方より現れるであろう。
──詰みだ。
「根源の力よ──」
決断は早かった。しかし、その決断を寸で留めることができたのは──遠方より響き聞こえる、聞き慣れた愛しき仲間の声。
「──狙うは敵将ライコウ! ウズールッシャの民を護るため、剣を取りなさい! 全軍、突撃ッ!!」
まさか、その声、その旗色は──
「ハクの旦那ァ! 助太刀に参ったじゃない!!」
「うおおーッ! エントゥア殿のため突貫でありますゥウッ!」
雪崩のように一丸となって騎馬で駆けるウズールッシャ軍。
それは、ヤムマキリの勢力ではない。かつて別った彼ら──
「──エントゥアさんに、ヤクトワルトさん!? あとボコイナンテもいます!」
目のいいキウルがいち早く報告してくれる。
ああ、見なくたってわかっているさ。
「ったく、やってくれるぜ……! 全軍このまま突撃ッ! 本陣をぶち抜いてやれぇッ!!」
「うん! ライコウのところまで一直線かな!」
「うひひっ! 任せてや、おにーさん! ほんま最高の戦いやぇ!」
「姉上! 突出し過ぎないよう!」
「ああ、わかっている! 今こそ我が弓の振るい時!」
「再び、爆符矢を放ちます! マロロさん!」
「わかっているでおじゃ! マロの華麗な技を刻み付けるでおじゃる!」
ウズールッシャ軍より横合いから急に殴りつけられた敵長槍部隊と弓兵部隊は容易く瓦解。
盛り返すために敵通信兵が必死に伝令を叫ぶも、敵兵士達の耳には届いていない。たとえライコウが彼らを肉壁にしようとしても、彼らも恐怖は感じるのだ。数千規模の騎馬が列を成して襲ってくるなど、悪夢でしかない。
正しく敗走といった呈そう表す敵本陣を、文字通り騎馬の勢いのままぶち抜き、小高い丘に建てられたライコウの本陣へとそのまま駆ける。
たとえ死兵となっても指令通りに動く兵達もおり、正しく決死の防御によってこちらにも少なくない犠牲が出たが、もはや勢いは止まらない。
「──ライコウ!」
「……来たか、ハク!」
ライコウの旗がはためく本陣、その中心部に、今まさに自分達は立った。
サラァナ、ムネチカ、キウル、ノスリ、オウギ、クオン、マロロ、アトゥイが、ライコウとその護衛を取り囲む。
そして、遅れてヤクトワルトとエントゥア、ボコイナンテが合流した。
「投降しろ! 勝負は決した!」
「ああ、よくぞ我が策を尽く破った。見事という他あるまい──しかし! 総大将であるお前が直々に来たこと。それだけは愚策と申す他ない!」
体を巡る不可思議な感触、まさかこれは──
「互いの全てをかけて戦おうぞ! ハク!」
「ライコウ様は私が御守りします!」
ライコウと、短剣を構えるシチーリヤ。
その周囲を見れば、呪術師に囲まれている。この術の正体は奴らか。
しかし、諸刃の剣でもあるのだろう。呪術師以外の兵は少ない。これであれば、猛者である彼らならば戦える。
「行くぞ! ライコウ!」
慣れぬ重い体で兵と闘う。
流石はライコウの護衛であり練度も髙かったが、指示に従うだけの奴らに──仲間との連携は誰にも崩せない。
庇い庇われ、数多の剣と矢が駆け抜け、敵兵の死体を積み上げていく。
「雑兵に用は無い! ライコウッ!」
幾許か能力を落とされたといえども、サラァナもいる。多少の妨害をしてくれているのだろう。他に比べて自らの体は軽い。
であれば──
「ッ! ライコウ様!」
敵兵を長巻で蹴散らしながら、ライコウの目の前に立つシチーリヤと相対する。
気配の感じぬ一撃。思わず目を突かれかけたが、こちとら反射神経はオシュトルに随分鍛えられているんだ。
「はあッ!」
「うぐっ!?」
目を突くために飛び込んだ姿勢となったシチーリヤの腹部を蹴り上げ、その切っ先を逸らす。
体勢を崩すために蹴ったのだが、随分深く入ったようで、シチーリヤはそのまま蹲ってしまった。
「投降しろ、ライコウ!」
「……ふ、俺の……負け、か」
長巻の切っ先を、ライコウの首筋へと当てる。
ライコウは、もはや動かなかった。
「貴様との知略で俺が負けるとはな……」
「……」
「見事だ、ハクよ……殺せ」
ライコウは、その刃を首に自ら差しだすように一歩進んだ。
──自分はなぜここに直接来たのか。
自分は、ライコウにどうしても伝えたいことがあったのだ。
「いーや、ライコウ。お前は殺さない」
ライコウの大義とは──ヤマトの民の解放と巣立ち。こいつは誰よりも、未来のヤマトとその民を案じていた。
きっと、ライコウとミカヅチ以外にその大義を真に理解している者は少ないだろう。誰よりも帝を──兄貴を愛し、兄貴の忠臣だったからこそ、ライコウは世界に挑んだんだ。それが、囚われていた際にわかってしまった。
そして、だからこそ、これからのヤマトに──
「──ライコウ、お前はこの国に必要だ。自分と来い」
ライコウの目は、信じられぬ者を見るような目で、己を見つめていた。