【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~ 作:しとしと
今、自分が抱える仕事は多い。
過去振り返ってここまで忙しい日々は、オシュトルの影武者をした頃くらいだろうか。
自分の頭を悩ませていることは、大きく三つ。
まず一つは、イズルハについて。
イズルハの情勢についてはトキフサを討ったことで一段落ついたが、未だ解決していないことは多い。
元々八柱将におけるトキフサへの信の薄かったこともあり、イズルハの各氏族の兵を自軍へ取り込むことと、それによる他国の理解にそれほど時間がかからなかった。各氏族長とゲンホウが連携を取ることにより、ノスリも新八柱将のひとり──氏族をまとめる長として認められてきている。
しかし、問題はその後である。氏族らは聖上やノスリの信を得ることはできたが、敵であった負い目もあるのだろう、逆に狂信的に過ぎたというか。少しでも多く、と氏族長はトキフサに預けていたよりも多数の兵や物資を提供してくれた。しかし、その質に問題があったのである。
トキフサから隠すように非戦闘員として過ごしていた兵だけでなく、トキフサの元であっても碌に調練されていない者が多かった。イズルハの中でも練度の高い兵を軸に調練するといっても、あくまでも氏族としてのまとまりの域を出ないため、彼らをまとめて自軍の連携に組み込むことは並大抵ではない。
彼らを篤く重用すると宣言した手前、死兵としても閑職としても扱うことができないため、来る決戦に向けていかに調練するかは課題なのだった。
二つは、周辺国の同調について。
現在オシュトル陣営に与している大国として、クジュウリ、ナコク、シャッホロ、イズルハの四国が挙げられる。それに吊られ周辺に連なっていた小国も真の聖上がどちらか──というよりはどちらが勝つか判断したのか、数多の兵と土産諸々を持ってこちらにつく国が出てきた。今後も増えていくだろう。
彼らの思惑は判る。小国であるが故に、どちらにつくか判断を誤ればその瞬間に滅びを迎えてしまう。故に、敵であったイズルハすらも飲みこんだ慈悲深いオシュトル陣営であれば悪い待遇にはならないことを期待してきたのだ。
勝利した暁には今後の俸禄をどう約束していくか、またこれもまたイズルハ軍と同様に既存の軍にどう組み込んでいくか悩みどころであった。
そして三つ目である最後は、ライコウとの決戦について。
現在、ヤマトの情勢はほぼ二分されていることを鑑みると、次なる戦は決戦となるだろう予想は十分に立つ。ライコウの大義を思えば、悪戯に民を害する長々とした戦乱や帝都での決戦は好まない、次で雌雄を決する筈だ。
であれば、帝都とイズルハ国を境とする広々としたオムチャッコ平原で両軍は相見えるであろう。本来であれば、平原での正面切っての戦闘は数に勝るこちらが有利である。
しかし、相手はあのライコウ。帝都にて虜囚の身となった際、ライコウの恐ろしさは嫌と言うほど知っている。通信兵を巧みに使い、その神懸った情報処理能力と判断力で己の予想を現実のものとする。何より怖いのは、事前に想定していることの幅広さと対応力である。ライコウには、いかなる奇襲も奇策も事前に想定されて動いている場合がある。
八柱将ウォシス、奴とは急に耳を舐められること以外に交流はほぼ無かったが、自分に腹心の護衛をつけたことも含め隠密隊を指揮していた筈だ。彼の隠密隊による情報収集もライコウの事前予想の要となっていることは想像に難くない。
そして仮面の者ミカヅチ、戦闘力は抜きんでておりその強さは未だヤマトに轟いている。多少の数の不利など関係ない。正しく一騎当千、それどころか真なる仮面の力を解放させれば奴だけで万を越える兵力と換算できるだろう。
つまりライコウに勝つこと、それは──数に勝る条件で、相手に策を知られず、その策が相手にとって予想外であり、虎の子の通信兵にすら満足に指示を出せぬ程に動揺させ、その僅かな隙を突ける程の速度でライコウを討つ──ことが必要になる。
仮面の者がいれば、多少の無理はひっくり返すことができる。しかし、オシュトルはこれ以上力を使えば塩となるだろうし、自分も暴走機関車みたいなものだ。暴走して自軍を壊滅させることを考えれば使えない。
となれば、ライコウの切り札であるミカヅチを仮面の力も使わせずに釘付けにするための作戦も考えねばならない。
──おいおい、無理難題だろ。
このように、ミカヅチ率いるライコウに決戦で勝つには、数多の壁を越えなければならない。遥か高みにあるように感じられるが、勝たねば明日は無いのだ。
こんなん、オシュトルがもしあの時死んでいて自分一人でやることになっていたら、確実に疲労で頭が爆発するぞ。日常の処理に忙殺され、ライコウの策に十分に頭を巡らせることもできないまま決戦を迎えることになっていただろう。
優秀な副官であるマロロやムネチカ、ネコネ、キウル等が各役割を分担しているとはいえ、繁忙期過ぎる。
オシュトルはヴライとの戦いだけでなく、ミカヅチとの戦いでも、自分に後を託そうとしやがるが全くとんでもない。ほんと生きていてよかった。
「ま、このくらいでいいか……」
一通り、イズルハや小国の俸禄管理、軍備管理等の提案書をいくつか作成した後、肩を回してコリを解す。
「お疲れ」
「肩をお揉みしますね」
机に面と向かっていると、双子が甲斐甲斐しく世話をしてくれる。
無くなっていた茶もいつの間にか注がれており、素直に彼女たちに感謝した。
「ありがとよ」
「布団も用意してる」
「一段落したら、横になってください。全身を按摩致します」
それはいい提案だ。
普段なら閨に入ろうとする二人だが、今は純粋に疲労を心配してのことだろう。
ライコウの策についてもう少し考えを巡らせたところで、休ませてもらおうかと思っていたところだった。
「ハク様? いらっしゃいますか?」
「ん? ああ、エントゥアか、入ってくれ」
控えめな声量で襖の先から声をかけてきたのはエントゥアであった。促すと襖が開けられ、静かに部屋へと入ってくる。
ただ、双子が自分にしな垂れかかり、後ろに布団が用意されているのを見て何を想ったのか。溜息をついて眉を潜めるも、やがて表情を元に戻して要件を伝えてくれた。
「チキナロ様がお見えになっていますが、どういたしますか?」
「チキナロが?」
「ええ、定期販売だと」
それは良い機会だ。
チキナロには確認したいこともあった。トゥスクルの商人である彼は、ヤマトには無いものを多く扱っている。事前に発注していたもの以外にも、戦に役立てそうなものがあれば発想の手助けになる筈だ。
「なら、行くか。エントゥアはそれを伝えに来てくれたのか?」
「ええ、皆さん何か買っておられますから、ハク様もどうかと思いまして」
それは、ありがたい気遣いであった。
そういえば、仲間の中で気の利く女性って少ないんだよな。エントゥアのこういうところをもっと見習ってほしいものだ。
そうやってウルゥルサラァナを見やると警戒するように自分に纏わりつく双子。エントゥアの目が冷えていく。
ウルゥルもサラァナも気遣いできる女性なのに、こういう時はあえて空気を乱すよな。そういうところが無くなればいいんだが。
外に出る身支度をして、エントゥアとウルゥル、サラァナを連れてチキナロの元へ急ぐ。
「お、あそこか」
遠くから姿を見れば、皆というには数が少ない。
大方売ったからだろうかほくほく顔のチキナロと、一つの瓶を手に取り悩むノスリの二名だけがいた。
「むむむむ……」
「もう他の皆さまは買われましたよ。ノスリ様はどうなさいますか?」
「……こ、これ、これを、ひ、ひひ、ひとつ……くれッ!」
「まいど! ありがとうございます! ハイ!」
チキナロは揉み手を殊更に激しくして歓喜の声を上げる。
ノスリが懐から銭の入った袋を手に取るが、随分重そうだ。何だ、またえらく高価なものを買ったのか。帝都で騙されたこと忘れているんだな。
元手も無く賭け事でまたすっからかんにするのも忍びない。詐欺被害に合わぬよう声をかけることにした。
「おいおい、オウギに相談した方がいいんじゃないか? 何買ったんだよ、ノスリ」
「ハ、ハク!? い、いや何でもない! 何でもないぞ! つ、釣りはいらぬ!」
チキナロに金銭の入った袋を渡した後、何やら色のついた小瓶を手に逃げるように去るノスリ。
えらく頬が赤かったが何だったのだろうか。まあ、ノスリも年頃の娘だから、秘密にしたいことはあるか。
「これはこれは、いつも御贔屓ありがとうございます。ハク様」
「ああ、ネコネに商業許可は取ったか?」
「……勿論でございますです、ハイ!」
怪しいが、まあいいか。こいつの性根みたいなものだ。
これまで軍備から食糧から何から何まで世話になっている。多少は目を瞑ることは吝かではない。
「まあ、丁度良かった。以前頼んだもん、用意できそうか?」
「もちろんであります、今回実はそれをお届けに参った次第です、ハイ」
「おお! そりゃ良かった」
「物資として沢山ご用意させていただいております」
「今はどこにある?」
「キウル様に既に代金と引き換えにお渡し済みです。今は食糧庫に運んでいるところかと」
流石、商人として手が早い。
海を挟んだトゥスクルとの復路を考えても、最優先で用意してくれたのだろう。いくらか値引きしようと思っていたが、キウルが既に代金を払ったと言う。チキナロの厚意も鑑みてここは定価でいいことにしようか。
「助かった、礼を言う」
「イエイエ、しかし物好きなものですね。ヤマトの人には好みが分かれると思わるのですが……」
「まあ……あんまり詮索するな」
「なるほど、ええわかりました、ハイ」
何かに思い至ったのか、腰低く頷くチキナロ。
「今日は他に何か持ってきたのか?」
「ええ、勿論ですとも。粗方皆様方が買っていかれましたが……まだまだあります、ハイ」
広げられる目録や実物を見ながら何か利用できないか考えながら手に取る。
いくつか手に取った後、何やら見覚えのあるような護符を見つけた。
「これは?」
「トゥスクルの一大宗派オンカミヤムカイの皇女──ウルトリィ様が手ずから御作りになられた幸運の御守りです、ハイ」
「へえ、何か知らんがご利益ありそうだな」
「ない」
「主様にウィツアルネミテアの加護など当てになりません。購入しない方がよろしいかと」
双子が急に口を出してくる。ここまで二人が拒否感を持つのも珍しいな。なら、止めとくかと思ったが、ついてきたエントゥアが目に入る。
そうだ、ここらで少し返礼するのもありか。
「一つくれ」
「まいど、ありがとうございます!」
「主様?」
忠言を無視したのを見て、悲しそうな表情になる二人。待て待て、そうじゃない。
チキナロに金銭を渡して御守りを貰う。
「ほい、エントゥアにやる」
「え……?」
「今まで皆の為に色々裏から駆けまわってくれていたからな……そういえば礼をしてなかった。見合った幸運が生まれるように、持っとけ」
「あ……」
戸惑うエントゥアの手に御守りを持たせる。
双子の言では、自分には加護は無いらしいが、他の人やエントゥアにはあるだろう。トゥスクルでは一大勢力らしいし、その中でもウルトリィ様はやんごとなきお方のようだしな。
そう思って渡したのだが、エントゥアは何やら口をぱくぱくと閉口させていた。二の句が継げないようだ。エントゥアももしかしたら宗派などあったかもしれない、であればいらぬ気遣いにも思ったので、聞いた。
「どうした? いらなかったか?」
「い、いえ……ありがとうございます。ハク様」
ぎゅっと胸元で御守りを握り締めるエントゥア。
浮かぶ笑みを見ても、純粋に喜んでくれたようだ。エントゥアは、愚痴も言わずによくこんな勢力についてきてくれているもんだ。もっと感謝しないとな。
「……」
双子の視線が冷えていく。恐ろしい。
勿論、お前達にも返しきれない恩はある。感謝しているさ。
「二人は何がいい? 今なら何でもあげるぞ」
クオンも最近の頑張りを認めてお小遣い増やしてくれているからな。
多少は高いもんでもいいと思っていたのだが、二人の答えは予想外であった。
「子種」
「今すぐ布団に参りましょう。主様」
「いや、そういうのじゃなく」
ぐいぐいと両腕を二人して引っ張るが、力が尋常でない。珍しく少し怒っているようだ。
まあ、目の前で他の女性に贈答していたら腹も立つか。
「すまん、チキナロ。また何か戦略物資になりそうなもんがあったら教えてくれー!」
「了解しました、次の販売では持ってこさせていただきますです! ハイ」
にこやかに返すチキナロと、未だ呆然とするエントゥアを置いて、部屋に帰った。
勿論、子種はやらなかったが、彼女たちの気の済むまで按摩を受けるのだった。
○ ○ ○ ○ ○
ノスリは決意した。
オウギを部屋に呼び、一つの瓶を間に挟んで重大な話をするかのごとく重々し気に対面する。
「……オウギ、良いな。お前が鍵なのだ」
「はい、姉上。ついに父上の策を実行するのですね」
「ああ……ここ、こういったことは、後になればなるほど不利だ。いい女として、やはり……さ、先駆けは重要だ」
「流石は姉上。その戦場に赴くが如く決意、真感服いたします」
オウギの笑みは絶えない。
姉の貞操の危機であるが、相手がハクであればとも思っているのかもしれない。オウギもまたハクのことは一目置いている、というよりも尊敬している相手といってもよい間柄である。
オウギを幼き頃より見てきたことからも、ハクに対する忠臣ぶりは群を抜いていると思う。揶揄するような素振りも見せるが、それは真に心を許しているからとも言える。身内以外に心を許せる相手を見つけたことは、父上だけでなく私としても驚きであった。
故にこうして協力的でもあるのだろうが、威厳のある姉としてこういったことを弟に頼るのは恥ずかしいことでもあった。しかし、私自身恋愛事に経験は無い。身内とはいえ頼る他ないのだ。
「オウギ、まずはお前が……」
「ええ、僕がハクさんを散歩に誘えばよろしいのですね」
作戦はこうである。
オウギとハクが裏の森で散歩している最中に大猪に襲われる。今の時期は猪も活発であるからして、追い回せば狙った場所に現れてくれるだろう。
逃げ惑うハクとオウギの前に颯爽と現れ、矢を浴びせる私。見事大猪を討ち取り、ハクに惚れられるという顛末である。
「地図で言えば、ここだ。ここまでハクを連れてくるのだ」
「わかりました。姉上の為ですからね、必ず連れていきますよ」
エヴェンクルガは武を尊ぶ存在である。つまり強い。強いものに惚れるのは世の常である。
前回あれだけ頼りになるところを見せたハクである。私の頼れるところも見て惚れてもらうという作戦なのだ。
そして、それの補助となるのが、チキナロから購入したこの瓶──香水である。
「これは?」
「昨日チキナロから買った、精神を高揚させる香水だそうだ……これを身につければ異性を誘惑しときめかせるというのだ。これを事前に振りかけておけば、ハクも私に惚れやすくなるだろう!」
「なるほど」
きらきらした見慣れぬ内容物の入った瓶を手に取り、しげしげと眺めるオウギ。
オウギは中身を少し指に垂らし、中身の成分を確かめるように舐めとる。表情を一瞬顰めるも、安心したように息をついた。
「毒では無いようですね……効果の程は確かなのですか?」
「む……わからん」
「そうですか、まあ……物は試しといいますからね」
オウギの許可は得た。
父上から教えられた必殺の台詞もある。後は決戦の時を待つだけである。
「よし……待っていろハク! 我が弓で必ず貴様を射止めてみせる!」
ぐっと握り拳を作って立ちあがり、高らかに宣言するのだった。
○ ○ ○ ○ ○
提案書についてネコネからいくつか小言をもらい、その修正に当たっていたところだった。
自分の部屋にオウギがついと入ってくると、ある提案をされた。
「あん? 裏の森の視察?」
「ええ、最近我が国の草も優秀ですから……必要ないかとも思いますが」
「なら、いいじゃないか」
今は正直忙しい。ネコネ含め仕事の出来を監視する目も多いことから、余計な仕事は持ちたくないのが本音であった。
「以前よりは水際で抑えられていますが……ただ、朝廷の草の拠点が裏の森にあることも多く、定期的に見回っているのですよ」
「だとしても、自分じゃなくていいだろ」
「ふふ……まあ、ハクさんも籠りきりで体が鈍っているでしょう? 視察を理由に少し休んではどうですか?」
「……オウギ、お前いい奴だな」
どうやらオウギの気遣いだったようだ。であれば、乗るのは吝かではない。
「まあ、姉上の仕事もいくつか肩代わりしていただいている手前、お礼といったところですね」
「そうか。まあ……お前がノスリの仕事をしてくれたら一番楽なんだが」
「まさか、僕に姉上の代わりができるなんて思っていませんよ」
これだ。
前は冗談で言っているのかと思っていたが、最近は真面目にそう考えているような気もしてきた。この状態のオウギにはいくら言っても暖簾に腕押し状態なので早々に諦める。
「じゃ、行くか」
ま、たまには堂々とさぼるのもいいかと身支度を始めると、オウギの笑みは深くなる。
何だ、と聞くもすまし顔に戻るオウギであった。何か企んでいるのかもしれないとも思ったが、オウギはいつも企んで面白がっているような素振りをするからな。あまり気にしないのが吉か。
オウギと二人、並んでエンナカムイの裏の森まで歩く。
そういえば、二人で並んで歩くのは久々かもしれない。あまり二人きりになったこともない相手だが、不思議と気まずいことはない。気の知れた友人のように和やかな無言のまま二人歩く。
暫くエンナカムイ内の道を歩いていると、見覚えのある者達に声をかけられる。
「これはこれは、ハクさん! お散歩ですか?」
「ああ、女将さん。そんなとこだ」
「おっ、ハクさん! またウチに飲みに来てよ!」
「ああ、最近忙しくてな。また行くよ」
「あー! ハク兄ちゃんだ! おーい!」
「おー、元気してるか」
道行くエンナカムイの民に言葉を返したり、手を振り返したりしながら歩く。
暫くそうして歩いていると、オウギはいつもの笑みを浮かべたまま声をかけてきた。
「人気者ですね」
「ん? そうか?」
「ええ……人気度でいえば、もはやオシュトルさんと二分されているのではないですか?」
「おいおい、そりゃ無いだろ」
英雄オシュトルが道を通れば、民の女性たちは皆瞳を輝かせるからな。爺さんが急に平伏したり、子ども達も強い憧れの視線を向けていたりするものだ。
それに比べれば自分への態度のなんと気安いこと。
「自分なんか、近所のおっちゃんみたいな扱いだぞ」
「そんなことないでしょう。慕われているのですよ」
「そうかね」
「ええ」
それなら気分もいいが。
オシュトルにツケといてと言えばタダ飯が食えるし、行けばいつも歓待されるのでよく行くためか、エンナカムイの飲食店は代替網羅してある。故にこうして声をかけられているだけだと思うのだが。
「……そういえば、ノスリも金を惜しまない飲みっぷりが皆に人気だぞ?」
「姉上がですか?」
「ああ、自分に賭け事で勝った時は、さっきの女将さんの店で客の皆に奢るからな。客も女将さんもノスリが来れば大喜びさ」
元を辿れば自分の金であるが、宵越しの金は持たずにここぞという場面で大盤振る舞いするノスリには好感が持てる。
オウギは苦笑するように言葉を呈した。
「それは……ただの金蔓では」
「いやいや、それを除いても狩りの肉を提供しているしエンナカムイの店の連中はノスリに結構感謝してるぞ」
定期的に狩りはしているようだし、ノスリが討つのはいつも大物。他国からの物資は兵糧に回されがちで食糧の少ない民にとっては英雄みたいなものだ。
今やイズルハ皇、八柱将として名目が立ったノスリであるが、そういったところは変わらず民に慕われていると言っていいだろう。
「そうですか、姉上が……」
「ああ。弓兵部隊からも妙に人気があるし……弟として誇らしいんじゃないか?」
「え?」
「ずっと、皆に認められて欲しいと思ってたんだろ?」
「……そうですね。姉上は素晴らしいお人ですから」
オウギはいつもより殊更に笑みを深くして、噛み締めるように返事をした。
小さなノスリ旅団から随分遠くまで来た。これまでのことを思い出したりしているのかもしれない。
「であれば、なおさらハクさんには感謝ですね」
「ん?」
「僕達がここにいられるのは、ハクさんのお蔭でもありますから」
「ほー、そういうなら今度はお前に女将さんの店、奢ってもらおうかな」
「ええ、構いませんよ」
お、そりゃいい。女将さんの店はエンナカムイでも旨くて高い方だからな。
昔よりも物流が増したことで御品書きは十枚を達成したから、種類も豊富だし。楽しみだ。
そうやって話しながらエンナカムイの門を抜け、かつて皆で狩りをした裏の森に足を踏み入れる。
相変わらず木々は鬱蒼と茂っているが、前よりは整備されて街道のようなものもできている。前はほぼ獣道だったからな。
「ここか?」
「いえ……もう少し先ですね」
周囲を見れば、確かに刺客が隠れられそうな場所は多い。
崖上であることからも、望遠鏡等でここからエンナカムイを監視することもできるかもしれない。隠密隊としての職務はオウギに譲って久しいが、随分守ってくれていたようだ。
まあ、定期的に見回っているという話であるし、あまり警戒せずとも安全だろうが。
そう思っていた矢先であった。
「クケ────ッ!!」
遠方より、人のものとは思えぬ盛大な叫び声が響いてきた。
視界は木々に阻まれ、その正体はわからないが明らかにやばいものだとわかる。
「こ、この声は……エヴェンクルガ族の元にしか滅多に現れないという伝承の禍日神!?」
「な、何だと!?」
そういえば、クオンから聞いたことがある。
人に害を成す禍日神の中でも、エヴェンクルガ族の近辺に現れる特徴的な声をした怪物がいると。トゥスクルでしか現存してないと聞いていた筈が、遥か遠方であるエンナカムイに現れるなんて。
「どうする? 逃げるか?」
「ええ、しかし……被害を考えると」
「そ、そうだな……なら正体だけでも確認して撤退するか」
「それがいいでしょうね」
逃げてもエンナカムイまで被害が及べば厄介なことになる。
木々が盛大に倒れる音、そして奇妙な叫び声が響き渡る森の中で、音のする方へと二人して慎重に近づいていく。
すると、その正体は意外な人物であった。
「おい、あれ……」
「姉上……ですね」
ノスリは涙を流し絶叫しながら、数多の獣たちに追われていた。
身の丈を越える大猪だけではない。腕ほどもあるくちばしを持つ大鷲、木を易々とへし折る大蛇、ボロギギリほどではないが大きな甲殻蟲など、この近辺の主とも言える生物が軒並みノスリの後をついて行く。
尋常でない様子に思わず助けに入ることもできないまま、オウギと二人その光景を眺めた。
「……ハクさん」
「……ノスリのことは諦めよう」
「ハクさん!?」
だって、勝てないだろう、あれは。
何の誘引剤を使ったのかは知らないが、かつて皆で狩りにいった時よりも狂暴で獰猛な獣たちに見える。
エンナカムイに急ぎ帰り、討伐隊を組むのが最も良い方法である。と冗談を言っている場合ではないとオウギは焦って声を出す。
「しかし姉上が……!」
「わかっているさ、助けに入るが……どうすりゃいいか」
罠でも仕掛けるかと、どう助けるか思案に入っていたところだった。そこで、追われているノスリは隠れているこちらに気付いたのだろう。
恐怖の表情を、安心したように満面の笑みに変え、自分達の元へ全速力で駆けてきた。
「ハク! オウギ! たす、助けてくれっ!」
「や、やめろ! こっちに来るな!」
必死の制止もノスリには意味がなかった。
思わず反転して森の中を駆ける。そうすると、獣に追われるノスリ、ノスリに追われる自分とオウギという形になるわけで。
ノスリの脚力は味方の中でも群を抜く。次第に距離を詰められるが追いつかれれば死あるのみである。
「ハクさん、覚悟を決めましょう!」
「今は鉄扇しか持ってないぞ! どう戦うんだって!」
「三人で連携すれば勝てるぞ、ハク!」
「罠も無いのに勝てるか!」
三人で言い合いをしながら、全速力で逃げ回る。もはや獣が諦めるまで走るしか方法は無い。
仮面の力を使えば倒せるだろうが、こんなことで使うのも馬鹿馬鹿しい。そう思って走っているところだった。
ぱっと木々の間が途切れた時、目の前には水深腰丈程の小さな川。
オウギは軽やかに飛び越えることができたが、疲労の濃い自分とノスリは思わずその川に頭から飛び込んでしまう。
まずい、こんな隙だらけのところを見せてしまったら──と水を吸った服の重みも気にせず川から急いで顔を上げると、獣たちは先ほどまでの獰猛さはどこへいったのか。
暫くきょとんと周囲を見回した後、各々が元来た道を戻るように森の中へと消えていった。
「た、助かった……?」
「ええ、そう……みたいですね」
「よ、良かった……もう駄目かと」
ノスリと顔を見合し、川の中でお互いの無事を喜んでつい抱きしめ合う。
オウギは、おいおいと泣き崩れるノスリに苦笑しながら、その光景を見ていた。
「一応、被害の出ないように部隊を動かすよう伝えてきますね」
「ああ、頼んだ」
オウギがすっと姿を消してエンナカムイの元へ急ぐ。後は任せておけば討伐隊を編成してくれるだろう。
しかし、そもそもなぜノスリがここにいるのだろうか。未だ自分に抱き付いてえぐえぐと泣き続けるノスリに声をかけた。
「今回の狩りは随分無茶したようだな?」
「えぐ……む?」
「ん?」
「──な、なあっ!」
急にどんと胸を叩かれ、再び川に後頭部から落ちる。
互いに抱きしめ合っていたのに気付いて恥ずかしかったのだろうか、それにしてもいきなり突き飛ばすこと無いだろ。
「げほっ、何すんだ」
「す、すまん。顔が近くて思わず……」
照れたように目線を背けながら手を差しだして自分を川から引き上げるノスリ。
互いに服は水を吸いきっていて、べたりと肌に密着している。ノスリの豊満な姿もぴっちりと服が張り付いており、見てはならないものだと思わず目線を逸らした。
「で、どうしてこんなところにいるんだ?」
「む……そ、それはだな」
「それは?」
「か、狩りだ」
「ただの狩りがあんなことになるか。なんかいつもと違うことをしただろ」
「いつもと違う……」
ノスリははっと懐にある何かを探った後、気まずそうな表情となる。
追求するような口ぶりで聞く。
「……おい、なんか心当たりがあるのか?」
「……ひゅーひゅー」
吹けない口笛を殊更に強調するノスリ。
まあいい。こうして互いに無事だったんだ。これに懲りて同じ事は繰り返さんだろう。
ちょっとした一休みのつもりが、多大な疲労感を齎した一日になってしまったな。
「まあいい、帰るぞ」
「ああ……ッ痛」
「? どうした」
ノスリの痛がる足元を見れば、足首が少し腫れている。川に落ちた拍子にどこか捻ったみたいだ。
「すまん、捻ったみたいだ」
「……仕方がないな。ほら、負ぶってやるから」
「な、なに?」
背を向けて、おんぶする形を取る。
ノスリは戸惑っているが、いつまた獣が戻ってくるとも限らない。早々にお暇するにはこの方法しかないのだ。
いくつか抗議していたノスリだったが、暫くすると渋々と言ったように背に乗った。どっかりとノスリらしい胸の感触が伝わるが、あまり意識すると失礼だ。ノスリも珍しく恥ずかしがっているので、あまり気にしないようにする。
「お、重くないか?」
「重い」
「おい! 失礼だぞ」
「はは、悪い悪い」
「ったく……」
森の中をおんぶして歩く。
重いとは言ったものの、実はそこまで重量は感じていない。女らしく軽いものだ。
暫く無言であったが、ノスリが耐えきれないといったように言葉を漏らした。
「な、なあ……」
「ん?」
「お前は、私の事をどう思っているのだ?」
「何だそりゃ」
どういう意図なのかはよくわからない。
聞いてもノスリは黙っているので、真剣に聞いているのかもしれない。
まあ、最近忙しくて二人話すことも仕事のことばかりだった。前みたいに飲んだり賭けたりするのが恋しいのは確かだ。その気持ちを伝えることにする。
「お互い忙しいとはいえ、最近付き合い悪いなと思っているな」
「な……そ、そんなことはない、ぞ?」
「そうか? 自分を見たら逃げるじゃないか」
「そ、それは、そうではないのだ。お前が嫌とかでは無くてでな……」
焦ったように動くノスリ。あまり動かれると背負いにくいからやめてほしいのだが。
とにかく、逃げていると考えていたのは誤解だったようだ。
「……まあ、何か悩んでいるってことか」
「そ、そういうことだ!」
「そうか……ま、何で悩んでいるか知らんが、焦らなくていいだろ」
「……焦っているように見えるか?」
「ああ」
最近、何かにつけてせかせかしているような気はしていた。
イズルハの件もあるだろうが、前のように堂々としているノスリの方が、こちらとしては安心するのだ。それは間違いなく本心だった。
「酒でも飲んで、どっしり構えているのがノスリらしいしな」
「そ、それは女らしくないだろう」
「何だ、女らしさで悩んでんのか?」
「む……何だとは何だ、これでもぶつぶつ……」
女らしさか。それでいつもと違う香水をつけているのか。
水で流されてもう薄い香りしかしないが、精一杯努力しているのだろう。
「お前はポンコツな時もあるが、十分いい女さ。自分が保証する」
「んな!? は、は、ハク、それは……」
「エンナカムイの女将さんも、ノスリが店に来たときは喜んでるしな」
「……」
照れたように暴れるノスリだったが、二言目を聞くと一転押し黙ってしまう。
「ハク……お前は狡いぞ」
「ん? 何がだよ」
「そういうところだ……全く」
そう言って、ノスリは自分の背中に体重を預けた。
今までは照れて仰け反っていたから余計に負荷がかかっていたが、この体勢だとおんぶも楽だ。
「ま、あんまり気にすんな。ノスリの良いところは自分がよく知っているさ」
「何だ、私の良いところっていうのは」
「ん、まあ、後でオウギに聞きな」
にやにやしながら答えてくれるだろうよ。先程オウギと二人で話したことをな。
ノスリは何だそれはとぶつぶつ文句を言っていたが、自分は久々に素直なノスリと話せて気分が良かった。
夕闇が支配する森の中で、ノスリに見えないよう微笑んでいたのだった。