【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~   作:しとしと

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イズルハ編。前編。
今回は切りのいいところまで、二話連続投稿です。


第二十八話 焦燥するもの

 イズルハのゲンホウとの交渉実行が決まったことにより、オウギを主軸とした調査が開始され幾数日が過ぎた頃。

 現イズルハ情勢について相談したいと、オウギとノスリからの呼び出しを受けた。ノスリの部屋にて話を聞くこと僅かながら、イズルハがかなりの混乱期にあることが窺えた。

 

「……内乱状態だと?」

「ええ。表向きには統一を示していますが、ほぼ確実かと」

「前回の戦によるオシュトル陣営の戦いに恐れを成したのであろう! 我らにつくべきだという幹部氏族も出てきているようなのだ」

「ほう、そりゃいい話じゃないか」

「ええ、しかしその多くは粛清の憂き目に合っているそうですが……」

「粛清だと? おいおい、崩壊寸前じゃないか」

 

 粛清という手段すら取らざるを得ないということは、それだけ余裕がないということでもある。

 これは良い機会かもしれない。逆に今を逃せばイズルハに燻ぶるオシュトル派閥の芽を摘んでしまうとも言える。一刻も早くゲンホウに会い、彼らをまとめあげることが必要だ。

 

「ゲンホウの居場所は判ったのか?」

「む、それが……実家は蛻の空だったようなのだ」

「トキフサの追っ手を撒くために各地を転々としているようで……ただ、裏が取れていない情報ではありますが、約束の期日にある場所を指定しているようです」

「珍しいな、オウギが裏を取れないとは」

「ええ、何分イズルハはかなりの混乱期にあるようで……しかし、旧知の部下からの有力筋でもあります。賭けになりますが……」

 

 時機を外せば、粛清が進みイズルハは安定期に入ってしまう。そうなれば、ゲンホウも無事ではいられまい。オウギとノスリの焦燥も理解できた。

 しかし──

 

「トキフサによる罠の可能性もあるってことか」

「……その通りです」

「私は行くぞ! 父上をこれ以上放置していては、いつか見つかってしまう!」

「待て待て……誰も行かないとは言ってないだろう?」

「ならば行くのか?」

「ああ。オシュトルに話を通してからだがな」

 

 ノスリは父が心配なのであろう。その焦りはわかるが、イズルハは敵地。ただ闇雲に突っ込んでいては袋の鼠だ。

 

「それに……国境付近は特に警戒が厳とされている可能性があるな」

「……何故だ?」

「ゲンホウが本当に謀反したいなら国を出る筈だ。未だに転々としているってことは、出ていけない事情があるんだろう」

「む……では、どうするのだ?」

「軍に陽動を頼もう。何、本当に戦争するわけじゃない。国境付近をウロウロするだけで、トキフサは焦って兵を出してくれる筈さ」

 

 オシュトルに作戦を立案し許可を得た後、人選を選ぶ。

 自分とノスリ、オウギは確定として、後は危険ではあるが交渉が円滑に進むよう皇女さんも必要だろう。であれば、護衛のムネチカ、御側付きのルルティエも来る。となれば、後の連中も勝手にぞろぞろついてくるだろう。

 出立は早ければ早いほどいい。ノスリは安心したのか先ほどの焦りの表情は消えている。しかし、今度は不安げな表情を浮かべ始めた。その不安の原因を知るのは、ゲンホウと直接会ってからになるのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 イズルハ国深く中心拠点となる居城にて、トキフサは焦燥していた。

 

「ええい、ゲンホウはまだ見つからんのか!?」

「申し訳ありません。居所を転々としているようで……」

「くっ、役立たずめが!」

 

 命令も満足に遂行できない部下に激昂し、飲んでいた茶を浴びせるように抛る。

 

「何だ、その目は……? 反抗する気力があるなら草の根分けてでも探しだせッ!」

「……はっ」

 

 茶に塗れた部下の顔からは、失望と反抗の意思が窺える。ここまでしてゲンホウを探すことには理由があるのだ。

 

「くそ、ライコウめ……全く無茶を言うものだ!」

 

 朝廷からの命令は一つ。イズルハの政情を盤石とすること。

 命令が下されたきっかけは、以前オシュトル陣営と戦い敗北したことにある。イズルハの氏族全てを統一できたわけではないことが浮き彫りになり、またそれをライコウに知られてしまった。ライコウの信用を取り戻すためにも、一刻も早くイズルハの氏族を纏め上げ、ライコウに報告する必要があったのだ。

 しかし──

 

「前帝の影響力は大きい……象徴であるナコクの橋を落とすような者に一体誰が協力するというのだ」

 

 そう、戦で負けるだけであればまだ立ち直らせることはできたかもしれぬ。しかし、ライコウによるナコクの大橋を落とすという大罪を聞けば、恐れ戦く氏族は多かった。また氏族の中には、朝廷にいる姫殿下こそが真であると信じていたものも一定数いた。しかしその者らは今回の件を受けて疑いの眼差しを向けることとなってしまったのだ。

 幹部の中ではオシュトル陣営に着くのが良いと堂々と提案する者も出る始末。

 

「しかし、オシュトルに与することは……もはやできぬ」

 

 そう、オシュトル陣営に着くことは叶わぬのだ。中立から一転、朝廷派としてオシュトルを阻んだというのに、再び寝返ることなどできぬ。たとえライコウを裏切ったとしても信用度は地に墜ち、次なる戦で死兵として使われるのが落ちであろう。

 それに、問題はまだある。

 

「ゲンホウ……またもや、我の邪魔を……!」

 

 反トキフサ陣営がある氏族を中心にまとまり始めたという報告を受けた。未だ正体は掴めておらぬが、それはゲンホウであると睨んでいる。かつて我自身が策を用いてゲンホウの八柱将という立場を奪った確執からも、我を恨んでいる筈だ。

 表向きは国外追放となった筈のゲンホウであるが、以前より身を潜めているとも報告を受けている。故にこうして部下に居所を探らせているのだが、ゲンホウの足取りは一向に掴めない。

 

 血相を変えた兵が執務室に飛び出してきたのは、そのような時であった。

 

「で、伝令! エンナカムイ、クジュウリ混合軍がイズルハ国境近くにて駐留しているとの情報が入りました! 御旗は総大将オシュトル、伴いは采配師マロロ将軍であります!」

「な、何だと!?」

 

 今戦えば、一体どれだけの犠牲を出すであろうか。いや、まず兵がどれほど集まるというのか。

 前帝からも信頼篤いオシュトル、ムネチカという右近衛大将と八柱将の進軍である。以前完膚なきまでに敗北した将兵達だ、もはや負け戦の想像は拭えまい。

 

「くそぉっ……国境を管理している兵を集めろ! 氏族に召集をかけ、出せるだけの兵を出させるのだ!」

 

 伝令を追い返し、ライコウに通信兵を介して連絡を取る。

 暫くして通信兵からの返信が齎されるが、そのあまりの内容に思わず激昂した。

 

「兵を出せぬとはどういうことだ! 御旗はオシュトル、それに賢将マロロだぞ!」

「はて、以前の侵攻においては万事我に任せよと、以前貴様はそう言わなかったか?」

「……あ、あの時とは事情が違う! ライコウ殿の命によりゲンホウを探すことに人員を割かれているのだ!」

「それは貴様の事情であろう。元はと言えば、氏族を纏め上げる力のない貴様の咎。失策に振り回されるこちらの身にもなってもらいたいものだ」

「ぐ、ぐぅッ……!」

 

 憤怒の表情も隠しきれぬ。利あればと思いライコウに味方したのだ。それが完全に裏目に出てしまった結果である。しかし、たとえ仮であるとしても朝廷よりの援軍が入ったという報をオシュトルが聞けば慎重になるであろう。そう伏して頼むも、ライコウの考えは変わらなかった。

 

「話によれば、既にオシュトルの軍は国境を侵攻中であると聞く。であれば帝都が取るべき道は一つ。イズルハを突破された後を考え、帝都国境線に陣を敷くことだ」

「な……い、イズルハを、我を捨てるというのか!?」

「そうは言っておらぬ。だが、たとえ今急拵えの援軍を出し我らが攻め入ったとしても、慣れぬイズルハの土地でオシュトル軍に敵うはずも無い。それは貴様自身が先の戦で証明したことではないか?」

「く、ぐっ……貴様が橋を落とすなど大罪を犯さなければ、我にも氏族を纏め上げることはできた! 偽の神輿を担ぎ、前帝に仇名す者に皆恐怖しておるわ!」

「……ふん、不敬とも取れる貴様の言であるが、まあ良い。貴様に我らの大義を理解できるとも思えぬ」

「ま、待てライコウ! ライコウ殿!!」

 

 そのまま通信を終わらせようとしたライコウを、引き止めにかかる。ここで何か得なければ、イズルハは──いや我は文字通りの終焉を迎えるであろう。

 必死の願いが届いたのか、ライコウは吐き捨てるように溜息をつくと、一つの情報を齎した。

 

「……百譲り、橋落としが悪行と誤解された故に貴様が氏族を纏められぬとしよう」

「む……?」

「であれば、一つ良い情報を与えてやろう。先程、草どもにゲンホウの隠れ里の位置と、流通の流れを探らせた。今までは里の者が秘かに出入りするだけで分からなかったが、此度の陽動に際して流れが変わった場がある」

「何! ゲンホウの!?」

 

 なぜ、ゲンホウの居所をライコウが探していたのかは知らぬが、それは渡りに船の情報であった。しかし、今は軍も迫っている、ゲンホウに割ける手駒はそう多くない。

 

「し、しかし今わかったところで軍は……」

「気づかぬか? 進軍ではなく、駐留。何故だ。奇襲ではないのか。戦う意志は無いのだろうか。であれば何故軍を集める。そうは考えぬか?」

「まさか──陽動っ、ゲンホウ……か!」

 

 敵の狙いは、イズルハの政情を利用した離反。そうであれば、陽動の軍の為に兵を集めるよりも、ゲンホウの捜索に充てたほうが良いのか。しかし、今咄嗟に動かせるだけの精兵は少ない。

 

「こちらからは、ゲンホウが居住していたと見られる場所の地図を渡そう。万が一侵攻であった場合に備え、我らはこれ以上動けぬ」

「し……しかし、現実に軍は駐留している! いくら陽動とは言え、兵を出さないわけにはいかぬ!」

「……貴様は一人では何もできぬ赤子か? それとも、次代を担う皇か? 全ては貴様の力と人徳次第……良い報告を期待している」

 

 そう一方的に通信を切ってしまった。何を叫べども、もはや向こうに声は届くまい。

 

「くっ、どうすれば……!」

 

 もし陽動で無いのなら、イズルハは今日滅ぶことになろう。だが、陽動にまんまと乗っかりゲンホウを取り逃がせば、それこそイズルハの政情は真っ二つに割れることとなる。進むも地獄、引いても地獄、か。

 傍にいる人員を見やる。共に戦に赴こうとしていたのだろう、軍団長が傍に控えていた。彼奴は以前の戦でも活躍していた。こいつでいいだろう。

 

「おい、貴様」

「はっ」

「貴様に総指揮を任せる。国境の軍は任せたぞ」

「は、は? 何ですと?」

「聞こえなかったのか!? お前が責任を以って軍と見合え! この八柱将の金印が目に入らないのか、命令だ!」

「と、トキフサ様はどうなさるので?」

「我はゲンホウを追う!」

 

 これは賭けになるだろう。

 軍団長によって軍を阻んでいる間に、我自身がゲンホウを粛清する。ゲンホウがいなくなりさえすれば氏族達も新たに担ぐべき長を失い、我という拠り所を求めるであろう。

 そう、どちらも阻まなければ、我にはもう後は無い。裏切りによって死ぬか、次なる戦で死ぬまでライコウの良い手駒として使われるだけだ。再起の道は無くなる。

 待っていろゲンホウ、もはや用済みと放逐していた貴様の首、今こそ奪い取ってやる。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 オウギの案内に連れられ、約束の場所とされている地まで歩いてきた。

 途中、哨戒している兵達もいたが、国境近くに軍がいると伝令から聞いて慌ててどこかへ走り去っていった。

 そのため、未だ接敵せずにここまで来られたのは、実に御の字である。陽動作戦が上手くいったようで何よりだ。

 

「ここ、か……?」

「ええ、そのようですが……」

 

 オウギに思わず確認するほど、約束の地は寂れた集落であった。顔ぶれを見れば、適齢の男が少なく、女子供や高齢者が多いようであった。トキフサによって、男は兵として駆り出されているのかもしれない。

 集落の中でも大きく古ぼけた屋敷に辿り着くと、中から長い髭を蓄えた爺さんが出てきて、オウギとノスリを見るとぱっと顔を輝かせた。

 

「おお、ノスリ様、オウギ様、お久しぶりであります」

「おお、久しいな! 壮健で何よりだ!」

「お久しぶりです。お元気でしたか?」

「勿論で御座います。ささ、こちらへ」

 

 旧知の間柄なのだろう。そういって、屋敷の中に案内される。

 畳が湿気で腐ったような匂いもするが、手入れ自体はしているのだろう。中に入れば綺麗な状態を保っていた。

 居間にて皆で待つこと数瞬、先ほどの爺さんとは違う爺さんが人数分の茶を持って入ってきた。歩き疲れて喉が渇いていたところだ。罠である可能性もあるにはあるが、目の前の好好爺が人を騙すような者にも見えず、ありがたく頂戴した。

 

「これはどうもご丁寧に」

「……して、爺! 我が父上は何処か!」

「ゲンホウ様は、今暫く待っていてほしい……と仰られておりました」

「ふむ……こちらに向かっているということですか?」

「何分、追っ手から逃れるため転々とされている身……急ぎお会いしたいお気持ちはわかりますが、何卒お待ちくだされ」

 

 伏して頼む姿からも、以前より仕えていた忠臣なのだろう。そこまで言うのであれば、待つのは吝かでは無かった。しかし、聞いておかねばならぬこともある。

 

「……この辺りは安全なのか?」

「ええ、ここはトキフサ様より見捨てられた土地でもありますから……」

「奴に様などつける必要はないぞ、爺! 安全とは言っても父上が安全とは限らぬ。遅れているということは何かあったに違いない! 今こそ、我が弓で助けに行かねば」

「おいおい、すれ違いになったらどうするんだ。安全ってなら、暫く待とうぜ」

「む、しかしだな……」

 

 ノスリはそわそわとして落ち着きがない。心配するのはわかるが、擦れ違っては元も子もない。陽動には暫く引っかかってくれるだろうし、座して待つのが一番だ。

 しかし、ただ待っているだけなのは確かに落ち着かんかもな。

 

「そういえば……近くに川があったな」

「ええ、良い魚が沢山釣れますよ。この辺りの主要産業です」

「そりゃいい、ノスリ、自分と一緒に釣りでもしに行くか?」

「な、何を馬鹿なことを言っているのだ、ハク! 戦時中だぞ!」

「まあまあ、姉上。ここは安全だそうですから、波風立てないのが一番ですよ」

 

 オウギが激昂するノスリを抑えてくれる。そうかっかすると良い考えも浮かばないから、気分転換にと思って誘ったが、それならいいか。

 

「自分はちょっと行ってくる。各自里から出ない限り自由行動にしようか」

「ハク!」

 

 未だ怒り心頭のノスリから逃れるように屋敷を出ていく。

 

「さて……」

 

 周囲を見れば、狭い里だなというのが印象的だった。里の中で大声を出せば全員に聞こえそうなくらいだ。しかし、一見活気の無いように見えるが、誰も彼もが暗い表情はしていない。見捨てられた里、と評す割には信頼できる軸があるような気がする。それがもしかすれば、ゲンホウの存在なのかもしれない。

 里の端を流れる小川に辿り着き、前方の木々を見渡すも敵影は無し。ウルゥルとサラァナにも確認をとった。

 川の淵に腰を下ろし、ぼーっと周囲を眺める。

 

「……綺麗だねえ」

「嬉しい」

「主様から褒めて頂けるなんて……私達はここでも構いませんよ?」

「川のことだよ」

 

 しかし、イズルハってのはエンナカムイの自然豊かさとはまた違った風味があるな。森の中の栄養を吸い取った川のおかげか、肥え太った川魚はとても旨そうに見えた。

 足元を見れば、誰かここで釣りをしていたのだろう。使い終わった糸と針が一本落ちている。

 

 ──よし、釣るか。

 

 熊のように、鉄扇で魚を弾き飛ばして狩るのも考えたが、それではわびさびがない。こういう静かな場所では釣りを楽しみたいものだ。久しくやっていないし。それに戦う可能性だってあるんだ。無駄な体力を使うのも良くないだろう。

 長巻に糸を括りつけ、その辺りを歩いていた無辜の蟲を捕まえ針を刺す。外れないようにそろそろとゆっくり川底につけた。

 暫くうとうととするが、魚は一向にかからない。随分釣り慣れしているようだ。これは長丁場になるな、と本腰を入れていると見知らぬ男がふらりとやってきた。

 

「お、先客かい」

「……ん? どうも」

「こんなところで釣りなんざ、呑気なものだねぇ」

「焦っても仕方がないと思ってな。探しもんは勝手に出てくると相場は決まっている」

「ははっ、違いねぇ」

 

 オウギによく似た男前だ。同じ種族だろうか。髭を蓄え飄々とした雰囲気を感じさせるが、前線を退いてなお強者であるような老獪さも感じる。

 

 暫く二人して釣り糸を垂らす。無言であるが、敵意は感じない。であれば、警戒するのも馬鹿らしい。主要産業であるらしいから、地元民の釣り人だろう。年配みたいだしな。

 

「おっ……」

 

 食いついた感触を得て勢いよく長巻を跳ね上げる。しかし、目の前で跳ねる魚は随分小ぶりだった。

 残念、あの大きな魚の方が旨そうだったのに。大きくなれよ、と祈って小ぶりな魚を川に投げ入れた。

 

「……大物だな」

「ん? いや、小物だろう」

「魚の事じゃねえよ」

 

 目の前のオヤジはそう言って笑うと、こちらの瞳を真っ直ぐと射抜くように目を合わせた。

 

「あんた、ここいらの人じゃねえだろ」

「ああ」

「何でまたこんなところに?」

 

 知らないおっさんの知的好奇心に付き合う必要もあるまい。

 次なる獲物を求めて川に釣り糸を垂らしながら、適当に話を合わせることにした。

 

「ここは長閑でいいところだな、と思ってな。自分も将来はこういうところで隠居したい」

「お、あんたもそう思うかい。ここは前よりは棲みにくいが、中々土地が豊かでね、贅沢しなけりゃ悠々自適に暮らしていける」

「へえ……そりゃ願っても無いことだな。昼は釣りして、夜は酒、寝て起きたら遊戯して、また釣る、いいねえ」

「同感だ。あんたも根無し草かい?」

「いいや。だが、将来根無し草に就職希望だ。役職だの、柵だの、面倒ったらありゃしない」

「ほお、気が合うねえ」

 

 かかかっ、と笑う見知らぬ男。

 こんなところに住んでいるんだ。こいつも相当の根無し草なのだろう。幾分気心の知れた友になれそうだ。

 だが、男の疑問に全て答えられたわけではないようだ。重ねて質問を呈してきた。

 

「しかし、今のイズルハは政情不安だ。賊に狙われるかもしれねえ……こんなところで危ないとは思わないのか?」

「こんなところ、ったって……安全な里の中だし。まあ、自分が狙われる分にはいいだろ」

「ほう、囮だってのかい?」

 

 そんなつもりはないが、一人離れて川に佇む姿がそのように見えたのだろうか。それであれば恰好もついたが、勿論そんな訳はない。

 

「そんなつもりはない。まあでも、この里には戦えない奴らが多いように見えたんでな。人質取られるくらいなら自分が狙われた方が戦いやすいとは思う」

「……なるほど」

 

 それはその通りだった。こんな女子供ばかりのところで何かあるとも思えないが、人質に取られた時のやり辛さを思えば、向かってきてくれる方が助かる。

 そう思っていたのだが、次なる言葉で衝撃を齎した。

 

「噂以上の奴だな──あんたが、右近衛大将オシュトルの忠臣、ハクとかいう奴か」

「……敵か?」

「いいや、俺があんたらの探しているゲンホウだ」

「お前がゲンホウだったのか……」

「何だ、気づいてなかったのか?」

「オウギにえらく似ているな、とは思っていたが」

「ほう、なのに敢えて聞かなかったのかい」

 

 何だ、そうならそうと言ってくれよ。何の進展も無いから、ただの釣り人かと思ったわ。確かによく見れば、耳の形もエヴェンクルガ特有のものである。

 

「どれくらい成長しているかこっそり見ようかと思っていたが、随分面白え男の下についているもんだ」

「ノスリやオウギは別に部下じゃないぞ。ただの仲間だ」

「ほお、しかしあんたがあのオシュトルの影とうたわれるハク将軍だろ? 噂は聞いているぜ」

「はっ、なんだその噂は……ノスリ達が聞いたら笑うぞ」

 

 心外であった。

 影と呼ばれることに心当たりはあるが、それはオシュトルの裏で色々している等、あくまで便利に使える手駒だからだ。将軍なんて呼ばれる筋合いはない。そんなお給金は貰っていない。

 

「謙遜するなって、あいつ等はああ見えて人は選ぶ。それに、何が真実かってのは、会ってみりゃ一目瞭然ってことよ」

「……そうかい」

「戻るかい?」

「ああ、探しもんがそっちから歩いてきてくれたからな」

「ははっ、違いねえ」

 

 長巻から糸と針を外して背に担ぎ、元来た道を二人で歩く。それに遅れて双子がついてきた。

 

「しかし、俺を探しにこんな奥地までご苦労なこった」

「まあ、あんたがトキフサから逃げ回っているって話を聞いたんでな」

「……昔の誼だな。気の利く奴らが俺を逃がしてくれるのよ」

「捕まっても良かったのか?」

「いや、俺一人で済むならいいが、今のトキフサの野郎は特に余裕がねえ。信じるべきものすら信じられなくなれば、頭は終わりよ。疑わしき者すらも罰し始めるのを見ちまったからには、指を咥えて見ている訳にもいくめぇ」

 

 なるほど、オウギがゲンホウは身を隠すため隠れ里である実家を離れたというが、その理由もわかる。

 トキフサは文字通り容赦無く、血眼になってゲンホウを探しているのだろう。

 

「そりゃ災難だったな」

「おうさ、俺が反トキフサ連中を纏め上げているという嘘を信じて疑わねえのよ」

「……違うのか?」

「どうかな?」

 

 試す様な笑みでこちらを見るゲンホウ。なるほど、オウギの父親らしい。食えないところがそっくりだ。

 

「まあ、どっちでもいいさ。今回の件は、どの道あんたが鍵だ」

「ほう……まあ、言いたいことは何となく分かるがね」

「お、ってことは……ノスリに家督を譲ってくれるつもりなのか?」

「それとこれとは話が別だ。そういったことは、会ってから決めるに限る」

「そうか」

 

 しかし、家督の件であることはある程度予想していたのだろう。

 会ってから決める、か。ノスリが不安げな表情を浮かべていた理由もわかった気がする。この食わせ物を説得するだけの力が、ノスリにあるだろうか。そう思うと、幾分か自分も援護に回った方がいいかもしれない。

 ただ、今のところあまり良い印象は与えていないように思う。暇だから釣りしているところを見られただけだし。自分が援護に回っても、あまり良い結果が齎されないのであれば、皇女さんを頼る他ないかもしれないな。

 道すがらそんなことを思考しながら、自由行動をしていた仲間達に声をかけ、元来た道へと戻る。狭い里だ。自由行動とは言え、出歩ける場所は限られる。それでも数人見当たらなかったが、屋敷の前に辿り着いたときに居場所がわかった。

 

「やはり心配だ! 私は一人でも行くぞ!」

「待つのじゃ、ノスリ。父上に家督を譲ってもらうのであろう? 入れ違いになって其方がおらなんだら、話せることも話せぬのじゃ」

「せ、聖上……しかし」

「そうですね、姉上。行くにしても一度ハクさんに話をしてからに──おや?」

 

 屋敷の前では、心配で飛び出そうとするノスリと、それをまあまあと宥めるオウギ達がいた。しかし、自分がゲンホウを連れ立って帰ってきたことを知るや否や、驚きと共に小走りで近寄ってきた。

 

「父上! ご無事でしたか!」

「ああ、俺が何年隠遁生活をしてきたと思っている。刺客を躱すなんざ訳ないことだぜ」

「相変わらず、お元気そうでなによりです」

「そりゃあ、お互い様だな」

 

 遅れてオウギが労いの言葉をかける。

 どうやら本物のゲンホウだったみたいだな。掴みどころのない話し方をするためか、何か企んでいる腹積もりに一々見えてしまう。オウギの父であればそれも納得であるが。

 

「父上! 父上に折り入って話が──!」

「おいおい、ノスリ。立ち話する程無粋なことはあるまいよ。座敷に上がって話すのがいいだろ……って、何人連れてきているんだ」

 

 その場で話を切り出そうともしたノスリを抑え、そう提案するゲンホウ。

 しかし、後ろに控える人数を改めて確認し、座敷の広さと比較しているのだろう。ゲンホウからは呆れた声が出た。

 

「それに──」

「? なんじゃ?」

 

 ゲンホウはノスリの後ろにいた略装着の皇女さんを見ると、何かに気付いたような素振りを見せた。

 皇女さんと気づいたのだろうか。会ったのは時期的に赤ん坊くらいの筈だが。

 

「……まあいいさ。詰めりゃ入るだろ。ほれ、ついて来な」

 

 屋敷の持ち主でもあるのだろう。先程出てきた爺に軽く挨拶しながら、自分達を中に招き入れる。

 

「ここにゃ、礼儀を気にする奴はいねえ。適当に座んな」

 

 座敷にて上座に腰を下ろしたゲンホウを見て、皆も同じように適当に座る。

 再び茶を人数分用意してくれた爺に礼を言いながら面白そうに皆を眺めるゲンホウと対峙した。

 

「ゲンホウと申す。娘等が世話になっているようだな」

 

 座敷に集まった面々にそう自己紹介するゲンホウ。

 世話になっているというが、オウギやノスリには今まで随分助けられた。世辞ではないが、一応返しておく必要があるだろう。

 

「ああ、こちらも随分世話になっている」

「そっちのハク将軍とはさっき挨拶と雑談を済ませた。そちらさん方は?」

 

 今度はそちらの番であるというように促された。

 ハク将軍という耳慣れぬ言葉に違和感を抱いている者も少なくないようだ。にやにやと笑みを浮かべる者、首を傾げる者と二つに分かれた。自分自身が一番違和感を持っているよ。

 しかし、自己紹介であれば、と順に名と職を告げていく。やがてムネチカの番となったところで、ゲンホウが口を挟んだ。

 

「で、そっちの女将軍は最近、八柱将になったムネチカとやらかい?」

「若輩者である小生の事も御存知だったとは。真恐縮です」

 

 一同を眺めて、愉快そうに眼を細める。

 そして、未だ自己紹介をしていない皇女さんに目が止まった。

 

「八柱将のムネチカ……確か姫殿下の教育係を任されていたと聞く。あなた様はもしや……」

「うむ、余が天子アンジュなるぞ!」

「やはり……そうであらせられましたか」

 

 ただ座していたゲンホウはその確信を持った後、膝をついて臣下の礼を取った。それは、今までのガキ大将のような雰囲気より一転して、余裕のある有能な八柱将の片鱗をまざまざと見せつけていた。

 

「政情不安蔓延るイズルハの奥地まで……光栄であります」

「よい、余らも目的あってのことなのじゃ」

 

 全ての自己紹介が終わり、改めて座り直したゲンホウ。それを皮切りに、話を切り出そうと口を開こうとしたが、自分よりも早く声を出したものがいた。

 

「父上! 折り入って頼みが──」

「ああ、わかっている。要は自分に家督を譲れって言いに来たんだろう?」

「な、なぬ!?」

「切り出し方がまるでなっちゃいねえ。変わらねえなあ、お前は」

「う、うぐぅ……」

 

 今までの様子からも緊張で体を縮こまらせていたからな。ノスリは先手を取ろうと張り切ったのだろうが、ゲンホウに言い当てられ思わず言い淀む。

 家督の件はゲンホウが自分を見た時からそう感じていたようだから、かなり聡い。それにヤマトのあらゆる情報を手に入れている素振りも見せている。

 ノスリには荷が勝ちすぎたかもしれない。こういった腹芸は自分の領分だ、少し口を挟むことにする。

 

「家督の件、その通りだ。ヤマトの情勢、とりわけイズルハの政情不安はよく知っているだろう」

「んん? ああ、トキフサの野郎が随分と掻き乱してくれているな」

「聞くところによれば、以前の隠れ里も追われるほどだというじゃないか」

「まあ、確かにな。奴の追っ手のせいで、前の住まいを脱してきた。ここにいるのは、逃れた奴らよ」

「であれば、実家は……」

「持ち運べねえ描きかけの絵や、思い入れのある花壇もそのまま残しちまったし、いずれは取りに行きたいと思ってはいるがね」

 

 物憂げな表情を浮かべて実家の様子を心配するオウギ。しかし、実家を燃やされたなどという訳では無いようだ。無関係を装うための、ここはあくまで一時的な仮の故郷か。

 

「あんただって謂れのない中傷で逃げ回る生活にはうんざりだろう。ノスリに家督を譲り、反トキフサ連合を纏め、真の聖上を掲げるオシュトル陣営に帰参すれば安全は保障する」

「ふむ……」

「悪くない案だと思うがね」

 

 ゲンホウは幾分考える仕草をするが、溜息を一つつくとノスリをじろりと睨め付けた。

 

「……長になるなら、これくらい動じない男になれ。ノスリ」

「わ、私に男になれと申すのですか!」

「いや、そうじゃなくて……おい、オウギ、ちゃんとこいつの面倒は見てくれって頼んどいたろうが」

「ええ。ですから姉上はこのように立派な志に生きていますよ」

「……ああ、お前はそうだったな」

 

 ゲンホウは再び深々と溜息をつくと、ノスリを見やる。

 問題はそこではない、といった雰囲気だ。

 

「ノスリ、何故家督を継ぎたい。ハク将軍でなく、お前の口から聞かせろ」

「ここで正統である姫殿下に加勢すれば、家の再興も望めるからです!」

「……やっぱり、そんな下らないことを考えてやがったか」

「く、下らないですと?」

 

 ゲンホウの表情は厳しく、ノスリの動揺に頷きをもって返した。

 

「なあ、ハク将軍よ。俺はな、てめえのガキに御家だの氏族だのなんて重てえもんを背負わせるつもりはねえんだ」

「何故だ、父上! 私にはちゃんと、一族を背負って立つ覚悟がある!」

「覚悟なんて言葉を軽々しく使うんじゃねえ」

 

 その言葉は、重たい何かを纏っていた。

 ゲンホウが追放されたことに起因する、長の周囲に渦巻く陰謀悟った故の言葉なのであろうか。語気の荒さそのままに、ノスリへの言葉は続く。

 

「だいたい、一旗揚げると言って飛び出してから、何か成したのか?」

「ぐ……っ」

「自分のケツを拭けないモンが偉そうな口を利くんじゃねえ!」

 

 容赦無く叱責され、ノスリは返す言葉なく悔しそうに表情を顰めた。

 しかし、そんなノスリの様子と裏腹に、憤怒に燃える皇女さんの姿がそこにはあった。

 

「今の言葉、聞き捨てならぬぞ!」

「……姫殿下、恐れ多くも意見することお許しを。これは家族の問題なのです」

「いいや、余の問題だ。ノスリはな、余を救ってくれた恩人なのじゃ! ノスリがいなければ、余はここには居らぬ。この者達だけなのじゃ……余の側にいてくれたのは……!」

「……」

「そのノスリを貶めることは、余が許さん!」

「聖上……」

 

 ノスリは皇女さんの言葉を聞き、感動に打ち震えるようにして身を震わせた。

 一方、ゲンホウは聖上の言葉であれど、未だ納得はいっていないようだ。畳み掛けるなら、今だろうか。

 

「色々言ったが、皇女さん自らノスリの功績を認め、こんな辺鄙なところまで家督を譲ってもらうために来たんだ。それだけじゃ、長の資格に足りないのか?」

「娘は姫殿下の覚えめでたいってわけか」

「うむ! その通りであるぞ!」

 

 皇女さんの援護も相まって、ゲンホウの表情にも変化が訪れる。愉快そうに口を歪め、小さく笑った。

 

「ははっ、そうまで言われちゃあ、ノスリは確かに成したようだ。そこまで信頼を寄せられたら、裏切るわけにはいかねえか」

「では、ノスリの家督の件は」

「ああ、譲る」

 

 一同がほっとしたのも束の間。しかしゲンホウは苦々しい表情で一つ言葉を紡いだ。

 

「だが──御家再興、特に氏族を纏めあげるとなると、ちと問題がある」

「な、何故ですか父上!」

「……元々、イズルハは寄り合い所帯みたいな国だ。正面切って長の権威に逆らうなんざ、よっぽど知恵と人徳がない限り多勢に無勢だった」

「それが?」

「今のイズルハの情勢は知っているだろう。トキフサに従う氏族と、それでも反旗を翻す反トキフサの氏族、真っ二つに割れている」

 

 普段であれば表だって長に逆らう筈のない氏族達が、トキフサに反しなければならないほどの異常事態なのだ。そして、その反トキフサを掲げる者達の旗印は、目の前のゲンホウ。

 

「反トキフサの氏族は、父上を頼っているのでは?」

「ああ、だが……俺は御家断絶、国を放逐された身だ。何の後ろ盾も無い……だから、奴らには何もしてやれねえとしか返していない」

「そんな……」

「それに、今回の件も聖上につくのではなく、ただトキフサを排し俺を長に戻すという目的で動いている氏族も多い」

 

 つまり、トキフサとゲンホウが入れ替わるだけで、ライコウの配下であることに変化は無いってことか。

 寄り合い所帯であることの難しさである。そういった思惑を持つ氏族もまた独自に動き、更なる混乱を招いているのが現状か。そういったライコウ派の氏族すら巻き込んでこちらに引き込むだけの力、示せるのだろうか。

 

「しかし、今は聖上の信を──」

「それはノスリ、お前だけだ。イズルハの他の氏族は、トキフサの命令とはいえ一度は真の聖上に盾突いた者共だぞ」

 

 確かに、仕方のないことは言え、それは事実その通りである。

 自分が帝都より逃亡した際、ライコウは自分がエンナカムイ側に逃げることを知り、それを防ぐための策としてイズルハは中立から朝廷派閥に属することを宣言した。その後、オシュトル陣営がナコク侵攻と自分の奪還を防ぐためにイズルハと一度戦争をしてしまったのだ。

 一度は刃を交えたことで聖上の威光に傷をつけたこと、氏族の中では予想以上に重く受け止めているのかもしれない。

 

「し、しかし、それはトキフサの指示に従ったからでは?」

「だとしても、盾突いたことに変わりはねえ。故に奴らが恐れるのは、たとえ今から反トキフサを山車に聖上についたとしても死兵として使われるのが落ちではないか、という懸念だ」

「……そ、そのようなことある筈がありません!」

「それは、お前が決められることか? 軍の編成に口出しできるだけの権限があるのか?」

「……そ、それは」

 

 ノスリは言いよどむ。

 確かに、軍の決定権は今のノスリには無い。最終決定である皇女さんを除き、総大将オシュトル、采配師マロロ、軍備担当キウル、兵糧担当ネコネ、指揮系統の決定権を持つムネチカ以外に、軍の配備に口を出せるものはいない。

 

 であれば、ゲンホウの──いやイズルハ氏族達の懸念は最もであろう。これまでに味方にしてきたクジュウリ、ナコク、シャッホロの兵に比べ、イズルハの兵は元裏切り者。

 三国の者達からすれば、彼らより危険な任務を請け負うことに不公平さを感じるかもしれない。

 そうなれば、イズルハを取り込むことは火種と成り得る。たとえ皇女さんが篤く徴用すると言ったとしても、イズルハ以外の国が納得しないからだ。

 

「そ、それでも、トキフサに与するよりは良いと私は思います!」

「はあ……なら、お前が家督を継ぎ御家再興を果たしたとしよう。彼らを従えたお前は、常に決断に迫られる。聖上の命令と彼らの命を天秤に掛け、時には切り捨てる判断すら下し、氏族を纏め上げていかにゃならん。その覚悟があるのか?」

「切り捨てる、覚悟……」

「それに、だ。もし俺が聖上の覚えめでたく忠臣であれば、今声をかけてきている氏族は軒並み配下になっただろう。だが、そうじゃない。聖上の信をその身に受けているのはノスリ、お前だ。ひょっこり突然出てきた娘の言まで信じるって奴はどのくらいいると思う?」

「……」

「家の命運を分けることともなれば尚更だ。トキフサと共倒れが嫌でも、氏族を残す方法は他にもある。後継ぎというだけで小娘に従う程、連中はお人良しじゃねえ」

 

 難しい話だ。ノスリは完全に意気消沈している。無理もないだろう。思った以上にイズルハの内部は荒れている。

 これだけ荒れた氏族を纏めあげるだけの力と、取り込んだ後の保障が約束されなければ、たとえ今無理にノスリを長とし御家再興を果たしたとしても、後から綻びが生まれよう。

 しかし、だとしても議論を停滞させてしまえばイズルハはただの敵国として滅ぼされる。それは避けねばならなかった。

 

「……つまり、ノスリ自身が反トキフサの氏族を安心させるだけの功績を示せと?」

「ん……まあ、そういうこったな。それができれば、連中も自分達の扱いについて疑問は抱かねえだろう。何せ、聖上の覚えめでたい名将が長になってくれるんだからな」

 

 ノスリの功績か。皇女さんを救った、というのも確かにあるが、それだけではちと功績としては足りないように思う。

 ナコクで使えたイタクを新八柱将として任命することも、地位と功績あってのことだ。イズルハの氏族を纏めることができれば新八柱将に任命という手順を、疎かにはできない。

 であれば──

 

「案は三つある」

「……ほう?」

 

 自分の言葉に耳を傾ける気になったのだろう。ゲンホウは興味深そうに視線を合わせた。

 隣を見れば、ノスリもまた儚い希望を抱いているのか、不安げな表情で自分を見ていた。

 

「一つは……ノスリを新八柱将に任命することを担保とすること」

「……ふむ」

「今現在、ノスリに主立った功績は少ない。しかし、今後イズルハの氏族を纏めあげたという事実があれば、イズルハ皇として新八柱将に任命できる。そうすれば、一兵卒である今の扱いより余程信用度が上がる。今後軍にも意見できる立場になるだろう」

「……弱いな。今のノスリに氏族を纏めあげる力が無いと言っているようなもんだ。それに、イズルハは裏切り者の烙印を押されたままだ」

 

 駄目か、まあいい。それは自分も思っていたことだ。たとえ八柱将であっても、軍に意見できる範囲は限られる。氏族を真に安心させられるとは言えまい。

 

「二つは……あんたを新八柱将に任命することだ」

「俺をかい? そいつは光栄だが……ノスリの立場がないだろう?」

「そうだな。だが、イズルハの混乱を抑えるとするならば、ゲンホウが八柱将に帰参することは大きな意味をもつ」

「ふむ……」

「あんたなら氏族は問答無用でついてくるんだろう? あんたが八柱将であれば、たとえ扱いが悪くとも纏め上げることは容易だ」

「……確かにな。だが、俺ぁもう、そういった柵に飽き飽きしているんだよ。ノスリにここまで言う理由、ハク将軍、あんたならわかるだろう?」

「……ああ、そうだな」

 

 汚れ役はごめんだと、暗に言っているのだろう。八柱将になった後に、氏族を切り売りするような調整役、確かに自分も嫌になるだろう。

 それに、そういった政治の権謀術数に振り回されて、こんなところで世捨て人になったと思えば、元の地位に帰り咲きたいとは露程も思わないだろうな。

 ならば、最後の案だ。

 

「最後は──トキフサを討ち、ある計画をでっち上げること」

「……んん? 計画ってのは、どういうもんだ?」

「このイズルハ内乱を、前々よりノスリ含めゲンホウの氏族によって秘密裏に行われたことにする」

 

 自分以外の面子は頭に疑問符を浮かべている。

 まあ、そりゃそうだろう。今までの案で一番突拍子も無いことなのだから。ただゲンホウだけは、自分が言わんとすることが何か薄ら判ったようだ。

 

「……ほお」

「まず前提として、ライコウに恭順するトキフサが無理矢理氏族を纏めているということにする」

「まあ……八柱将である証の金印も使って従わせているだろうから、強ち間違っちゃねえがな」

「次に、トキフサより無理矢理従わされている氏族を解放するため、秘密裏にイズルハの氏族と連携し、朝廷の内部情報を横流しさせ、イズルハ内乱を起こしたことにする」

 

 ゲンホウのニヤケ面が深くなる。

 言わんとすることに手応えを感じながらも、言葉を続けた。

 

「そして、最後にノスリがトキフサを自ら討ち取り、強引に従わされていただけの聖上派氏族を解放する。これらが全て計画の上、ノスリ達の氏族を中心に前々より仕組んであったことを喧伝する」

「なっ、ハク、それは……!」

「まあ聞け。そうすれば、ノスリの氏族の活躍によってイズルハの氏族達は裏切り者ではなく──聖上の為に獅子身中の虫として活躍した者に変わる」

 

 計画の全貌を聞き、ゲンホウは暫く無表情であった。しかし、やがて堪えきれないといったように笑いだした。

 

「くっくっ……はーっ、はっはっはっ! こいつは面白い、全部トキフサのせいにしちまおうってのか!」

「そういうことだ」

「なるほどな……氏族達はトキフサに従っているフリで、朝廷の諜報活動をしていたことにすりゃ、確かに貢献度について文句は無い。元々聖上の部下として暗躍していたのだから、裏切りではないってことか」

「ああ、そうすれば、トキフサ含め朝廷に粛清の憂き目に合いながらも諜報活動を続けた功績を評価し、各氏族を軍としても篤く重用できる」

 

 かつて自分を陥れた存在だからだろうか、心の底から愉快そうに笑った。

 

「いやはや、ハク将軍の権謀術数……恐れ入ったね」

「どれにする?」

「無論、三つ目だ。だが……問題が二つある。一つは氏族に裏を通さにゃならねえことだ」

 

 確かにそうだ。他国を納得させるためにも、自分達だけでなく、氏族長の皆を集めて口裏を合わせる必要があるだろう。

 

「それはトキフサを討った後、ノスリの家督継承の儀の後に行うのがいいだろう。前もって話を通す役は、あんたに頼めばいい」

「ふ、扱き使ってくれるじゃねえか……だが、だとしても問題はまだある、もう一つは──」

「トキフサの居場所か」

「ああ、そうだ。トキフサを討つなら、それなりの軍備がいるだろうよ。逃げ上手な奴のことだ。その間に死ぬ他の氏族も多いだろう。それでも……やる価値があるか?」

 

 自分にでは無く、ノスリに問うように聞く。

 先程自分の案を聞いて戸惑いを見せたノスリだ。こういった腹芸が苦手なことも知っている。断ることもできたが、ノスリの答えは清廉としたものだった。

 

「……やります! それしか、道が無いというのなら! 私は──」

 

 そうノスリが力強く叫んだ瞬間であった。

 ノスリよりも遥かに大きく、野太く、怨嗟に塗れた声が里に響いた。

 

「──出て来い! ゲンホウ! 貴様がここにいるのはわかっているぞ!」

「……おいおいこの声は、トキフサか?」

 

 一同の表情に驚きをもって迎えられる。トキフサを討つと言った瞬間に、向こうからやってくるとは。何という好機か。

 

「くくっ……言っただろ? 探しもんは勝手に出てくると相場は決まっていると」

「! ははっ、違いねえ……!」

 

 袋の鼠だと言うトキフサ。それはこちらの台詞である。

 偶然ではあるが、ある意味必然でもあるのだろう。トキフサにとってもゲンホウを叩かなければいずれイズルハは壊れるのだから。

 これがイズルハを左右する、最後の決戦になるのだ。


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