【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~   作:しとしと

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久々の連続投稿です。


第二十五話 凱旋するもの

 エンナカムイ近郊にある港に着き、じわりと森林豊かな空気の懐かしさを感じる。

 しかしとて感傷に浸っているだけでなく、やるべきことはやらねばとオシュトルへ早馬を出した。自分たちが無事着いたことを報告させるためだ。

 

「それでは、私はここまでだね」

「ああ、また何かあれば連絡する」

「海運は任せてくれたまえ──ア~トゥイ! それじゃあパパはここでお別れだけど……!」

「ととさま、まだ行って無かったんけ?」

 

 ソヤンケクルは娘からの冷たい仕打ちに体を震わせながら、各々握手を交わし別れの挨拶を済ませると海へ戻っていく。幸多からんことを。

 

 さて、と見回した港には見るからに強固な防衛線が敷かれており、自分たちが無事に帰還することを待ち望んでいたのだろう。何としてでも朝廷に阻止されまいとの確固たる意志を感じた。まあ自分だけでなく皇女さんもいるし、この措置は当然ではあるが。

 

「お待ちしておりました。ハク殿」

「ああ」

「馬車を用意しておりますれば、皆様お乗りください」

「……後一つ運んでほしいものがあるが、いいか?」

「はい、わかっております」

「頼む。着いたら牢に繋いでくれ。よし……じゃあ皆馬車に乗るぞ」

 

 エンナカムイの軍兵だろうか。オシュトルの元で何度か戦ってきたことで、元々の戦争経験の無い兵であった彼らが今や歴戦の強者のような風格だ。いや、実際そうなのであろう。

 街道を警護されながら、暫く馬車の旅を満喫する。仲間は賭け事など始める様子で、それを皇女さんが興味深そうに眺めていた。

 

「そろそろですよ、ハク殿」

「おう、懐かしいなあ……」

 

 ついつい馬車から顔を出して進む先の光景を眺めてしまう。エンナカムイに滞在した期間は帝都とどっこいどっこいであろうが、安心感が違う。張りつめていた心も無くなり、ほっと胸を撫で下ろすことができた。

 

「お、エンナカムイの門が見えた」

「皆がハク殿の帰還をお待ちしておりますよ」

 

 懐かしいなあと感じながらも、帰ってきたのだと実感する。この気持ちは故郷に帰郷するような思いにも似ているか。自分の故郷ではないから、実質には違うが。

 しかし、帰ってきたんだなあ。感慨深くその事に浸っていると、馬車の先頭を歩いていた兵士が、太鼓を鳴らして大声を出し始めた。

 

「凱旋ッ! 凱旋ッ! 我らが英雄ハク殿の凱旋であるッ!」

「えっ……」

 

 ドンドンドンと戦太鼓の音が波紋を打ったように広がり、数多の太鼓兵が場を支配する。ちょっと待てと兵士に声をかけても、太鼓を鳴らすのに必死で聞いちゃいない。

 その音に合わせて、エンナカムイの門のあちこちから民や兵士から歓喜の叫び声が上がった。

 

「オシュトルの奴……」

「あらら、ハクも有名人になっちゃったかな」

「なんじゃ、ハク。エンナカムイでの扱いを知らぬと申すか」

「くくっ……誰も旦那に教えないんだから、そうなるじゃない」

 

 こういった表舞台に立たざるを得ないようなことはやめて欲しいんだが、と頭を抱える自分そっちのけで、仲間は楽しそうに太鼓と凱旋の音に耳を傾けている。

 仲間はこういった出迎えがあることをある程度予想していたようだ。しかし英雄って、なぜそんなことになるんだ。

 

「誰が英雄だって?」

「何だハク、もっと自信を持て! 良い英雄とはもっと堂々と胸を張るものだ」

「ハクさんがどう感じているかは知りませんが、エンナカムイの民は確かに貴方の勇姿を知っておられるということですよ」

「勇姿……?」

 

 オウギはそう言うが、エンナカムイでは日頃からごろごろ訓練場で寝ていたり、料亭を梯子したり、政務から逃げ回っている姿を目撃されたりと碌なことをしていない気がするが。

 

「いえいえ、仮面の者としての戦い、親友マロロ様の両親を救う戦い、それによって囚われの身となるも単身脱獄し、ミカヅチとの一騎打ち、ナコクでの戦すら勝利に収める。そして無事にエンナカムイまで戻ってきた──これを英雄の凱旋と言わず何と言うのですか?」

「おいおい、本当に思っているのか? 内情は踏んだり蹴ったりだぞ」

「ふふ、私がどう思おうと、そう感じるヒトは多いということです。たとえハクさん一人の力では無いとしても、ね」

 

 外を見れば、酒の席や訓練を共にしたヒト、文官、オシュトルの近衛兵など、見覚えのある人物もいた。誰もが喜色満面で、誰もが大声を張り上げ、誰もが大きく手を振っている。

 歓迎されているのだ。自分が、帰ってきたことに。

 こういうのは慣れていないから、思わず悪態をつきたくなる。仲間の中でただ一人憮然としているネコネを見つけたので、問い掛けてみた。

 

「……ネコネも不満だろう? 自分が英雄扱いなんて」

「そ、それは……勿論不満なのです、が。兄さまに相応しいヒトとして精進してもらえば結構なのです」

「それは大分難しい話だぞ……」

 

 そういうことであれば、こっそり帰りたかった。というか、自分は死んだことにして裏から色々やるほうがいいんじゃないだろうか。うん、それがいい。

 色々危なげな計画を立てている内に、門が開き中に招き入れられる。そこには、かつての友、自分にずっと会いたかったといったように立ち尽くす者がいた。

 

「は、は、ハク殿ぉおおおおおおお!!」

「うおおおっ!? マロロ!?」

 

 涙と鼻水を垂れ流しながら一目散に駆け、そのままとんでもない勢いで自分の腹部に体当たりをしてきた。

 

「ハ、ハク殿ぉお、すまぬ、すまぬでおじゃるうううぅううッ! よくぞ生きて帰ってきたのでおじゃるぅうう!」

「わかった、わかったから。離れてくれ」

「嫌でおじゃるぅうう! もう二度と離さないでおじゃるううう!」

「いや、離してくれって」

 

 マロロは自分の腹部に縋り付いて泣き続けている。周囲から痛々しい目で見られ始めているから、そろそろやめて欲しいんだが。

 後ろ手に門が閉まり、その混乱期にある広場を救うように前に出てきたのは八柱将であるムネチカであった。

 

「聖上、ご無事で何よりです」

「おお、ムネチカ。其方も大義であったのじゃ」

「勿体無きお言葉。ハク殿もよくぞ戻られた」

「ああ、何でも自分の為にトキフサと一戦交えてくれたそうだな。助かったよ」

「いえいえ、小生はオシュトル殿の献策に従うまで。小生への礼の分はオシュトル殿と、策をお許しになられた聖上にお願いしたい」

「おう、わかった」

 

 ムネチカの言葉を受けて褒められる用意をするように胸を張っている皇女さんと、未だ腹部に自分の体液をこすりつけるマロロを無視しながら、かつての仲間に会えたことへの喜びを感じていた。

 しかし、オシュトルの姿は未だ見えない。どこにいるのだろうか。色々言ってやりたいことは多々あるのだ。

 

「オシュトル殿は御前イラワジ殿の元においでです。こちらへ」

「ああ、そういうことか。よし、皆行くぞー」

「あら? あらあらまあまあ……」

「? おや……」

 

 昔馴染のように面々に馴染んでいたフミルィルであったが、ムネチカを見て何か感じ取ったのか。ムネチカの方に嬉しそうに駆け寄りその手をとった。

 

「お久しぶりです! ムネチカさま!」

「これは、フミルィル殿ではありませぬか」

 

 フミルィルの花のような笑顔に連れられ、ムネチカもまたその頬を緩ませた。何だ何だ、知り合いか。フミルィルはクオンについて行くためにトゥスクルから来た幼馴染だったはず、それが何故ムネチカと旧知であるのか。クオンに聞こうと視線を反らすと、クオンは何やらまずいものを見たような表情で何かを思案していた。

 

「クオン、二人は知り合いなのか?」

「え? あ、えっと、あのね……」

「小生がトゥスクルにて囚われていた際に、世話役を買って頂いたのがフミルィル殿なのです。あの時は世話になり申した」

「そうだったのか」

「はい。何の苦役も無く、それどころかフミルィル殿には良くして頂いた記憶しかありませぬ」

「いえいえ、私は何も。それよりもこうしてもう一度会えたのが嬉しいです~」

 

 握った手をぶんぶんと振り、その喜びを表している。

 ムネチカがこうやって女性と友達のように親しくしている姿は珍しい。皇女さんもそれには気づいたようで、すっと前に出た。

 

「ほう、トゥスクルで余の忠臣であるムネチカを世話しておったのか。それは礼が遅れてしまったのじゃ」

「いえいえ、私がしたくてやったのです。お友達ですから」

「友……そのように言って頂けると、小生も嬉しい」

 

 二人の美女が邂逅する様に凱旋の空気も去り、いつの間にか民草はどやどやと解散していた。あれ、これ無理に集まってもらっただけとか無いよね。というか、男性陣は自分よりもフミルィルに視線がいってないか。

 まあ、未だ英雄と目される人物の腹部に縋り付いて片時も離れないマロロや、和やかに話し始める将軍を思えば、それも当然か。

 

「しかし、二人の関係をクオンは知っていたのか?」

「え、えーあーそうかな」

「勿論です。だってクーちゃんは──もごもが」

「──ふ、フミルィル!」

 

 クオンが慌ててフミルィルの口を塞ぎ、何やら耳打ちし始めた。

 まあ、クオンもトゥスクル皇女に名前を知られるほどの存在だ。何かしら地位についていても間違いない。それでもオシュトル陣営についてくれているのだから、詮索はすまいか。

 

「それではこちらへ、ハク殿」

「ああ」

 

 やいのやいの盛り上がりながらも、エンナカムイの道を歩いて行く。未だ凱旋気分の民草もいるのか、無事を祝った言葉や、料亭に来てくださいと宣伝されたりしながらだったが、門前で受けたそれよりは控えめで、照れもそこまで無く手を振り返すことができた。

 それよりも今だ腹部に引っ付いたマロロが重い。何を言うでもなくずっとめそめそ泣いているので、触れるわけにもいかなそうだ。

 

 やがて御前と共にいるという謁見場の前まで辿り着く。ムネチカが声をかけて中から返事を受けた後、その扉を開いた。

 そこには、御前とオシュトルがいた。オシュトルは変わらず仮面を付けたままで、自分を見てにやりと不敵な笑みを浮かべている。どうだ、凱旋した気分は、と聞かれでもしそうな雰囲気だ。

 よし、一発殴ってやろう。殴れる実力はないと思うが。

 

「おう、オシュトル。戻ったぞ」

「ハクか……よくぞ戻った」

「ああ、こうして無事──お、おい?」

 

 つかつかとこちらに歩み寄ってきたかと思えば、突然オシュトルに抱きしめられる。思考が追いつかない。こいつはこんなことをする奴だっただろうか。

 おいおいマロロに引き続きお前もか、と軽口で茶かそうとするが、オシュトルの表情を見て言葉が引っ込んだ。

 

「よくぞ……戻った」

「……ああ」

 

 ──そんな泣きそうな面をするなよ。総大将オシュトルだろ、お前は。

 

 もっとどっしり構えていればいいものを。味方を切り捨ててきたことも一度や二度じゃないだろうに。

 騒がしい凱旋騒ぎもあって一発殴ってやろうかと思っていたが、考えが変わってしまった。随分、この真面目な奴を心配させていたようだから。

 

「あ、兄さまが、ハクさんと……」

「きゃ、きゃあ……ハク様が……」

「み、見ちゃダメよ、ルルティエ! 刺激が強過ぎるわ!」

「むほーッ……!? こ、これはたまらんのぉ!」

「ふむ、なるほど……小生ルルティエ殿の仰っていたこと深くわかり申した」

 

 女連中が何やら騒いでいるが、オシュトルは意を介さない。

 暫くそのままの姿勢であったが、オシュトルは自分からそっと体を離すと、そこには総大将オシュトルとしての顔があった。

 

「皆に随分心配をかけさせてくれたな、ハク」

「ああ、そうみたいだ」

「其方がいなければ成し得ない仕事が山のようにある。また手伝ってもらうぞ」

「ほどほどに頼むぜ。こちとら、ヤマトをぐるっと一周大冒険してきたんだからな」

「ふ……無論だ」

 

 和やかな空気が流れた。懐かしい旧友に会ったかのような心地よい再会。仕事は勘弁だが、できることはさせてもらおう。そう思わせてくれた。

 

「聖上も、ご無事で何より。ハクを連れ戻してくれたこと感謝致しまする」

「うむ、礼はよい。忠臣のために動くことは当然なのじゃ」

「クオン殿も、大任ご苦労であった。トゥスクルには感謝してもし切れぬ」

「ふふ、どういたしまして。まあトゥスクル皇女には私から言っておくかな」

「重ね重ね、感謝する」

 

 オシュトルが自分以外に礼を言い始めた後、輪に入ろうと御前イラワジがこちらへ歩いてきた。

 

「ご無事で何よりでした……聖上、そしてハク殿」

「御前も、御壮健で何よりだ」

「今夜、凱旋の宴を用意しております。我が民達も今日のために準備をしてくれていますので、そちらをお楽しみください」

 

 宴か、それはいい。

 ナコク戦以後、宴ばかりしているような気もするが、次なる戦いに備えてどんちゃん騒ぎは良いことだ。

 

 各自その場で解散し各々の部屋へと帰っていく。ずっと引っ付いていたマロロを強引に引き剥がし、自分もウルゥルとサラァナを連れ自室へと戻った。

 

「ふう……懐かしいなあ。ここも」

「お疲れ」

「按摩が必要であれば仰ってください。しっとりじっくりねっとりご奉仕致します」

「んん、今は間に合っているかな」

 

 荷物を下ろし、布団を敷いて寝転がる。

 さて宴まで時間があるし一睡するかと瞼を閉じると、めそめそとした泣き声が響いてきた。先程無理やり引き剥がしたはいいが、着いてきたのだろう。無視するわけにもいかないか。

 

「マロロか?」

「ぐしゅ、そ、そうでおじゃる……」

 

 泣きべそをかいているマロロを部屋に招き入れ、目の前に座らせる。

 マロロの両親を助けるために立てた作戦を利用され、ライコウに捕まった。そのことに不義理を感じているのだろう。そんなこと考えなくて良いのに。

 

「別に、そんなに謝ったり泣いたりする必要はないだろう。あれは自分の不手際だぞ」

「……そうではないのでおじゃる」

「? どういうことだ」

「マロは、大事にすべきものを見誤ったのでおじゃる。あの時、家族よりも、友を大事にすべきだったのでおじゃ……」

 

 それは、マロロの本音なのだろう。痛々しいまでの表情でそう言うマロロに否定の言葉は告げられなかった。

 

「だからこそ、マロはもう二度と間違わないと、決めたのでおじゃる……!」

「そうか……ちなみに、マロロの家族は?」

「ハク殿と鎖の巫女殿が救出してくれたおかげで、生きてはいるでおじゃ……しかし、廃人のように……」

 

 ──やはりか。

 文にてその詳細を省かれていたことからも、あまり良い結果ではないとは思っていた。

 デコポンポが異形に変えられたことといい、ライコウは自分を捕虜としていた間でも全ての手の内を見せていたわけではないことがわかる。ナコクの大臣を操った手腕から言っても、何か人心を掌握する術を用いていると言っていいだろう。マロロの家族も、それに巻き込まれたのだ。

 だとすれば、尚更マロロが罪悪感で蝕まれることはない。自分はこうして生きて戻ったのだから。

 

 そうぽつぽつと順序立てて話をすれば、マロロは徐々に落ち着きを取り戻していった。

 

「げに恐ろしきはライコウであるのでおじゃ……」

「そうだな。これからはそういった策を用いられていることも考慮しなければならない。だから頼んだぞ、マロロ」

「た、頼む、と、こんなマロを……いつものように頼むと──おじゃああああああああッ!」

 

 それ泣き声なのか。

 何かに感銘を受けたように再び絶叫し泣きだすマロロに手拭いを渡す。また服を汚されても敵わんし。

 暫く落ち着きなかったマロロであったが、宴で酒を注いでくれれば許すと言い、強引に部屋から出した。

 

「お疲れ」

「按摩でしたら、しっとりじっくりねっとりずっぽりご奉仕致します」

「間に合っているぞ」

 

 按摩でずっぽりって何だよと思いながら、纏わりつく双子を軽くあしらい再び布団に寝転がる。

 さて、自分の帰還も粗方の人物には報告できただろう。宴のために一睡でもするかと目を瞑った時に、ある人物の顔が頭に浮かんで思わず飛び起きた。

 

「──トリコリさんのところに行こう」

 

 そうだ、何をしていたんだ自分は。多分オシュトルやネコネに自分のことを聞き及んでいるだろう。心配で夜も眠れていないかもしれない。行こう。行かねば。

 強固な意思で布団を剥ぎ取り、身支度をする。マロロに汚された服のままでは行けないからな。

 

 そして急いでエンナカムイの道を行き、陽も傾いてきた頃にはトリコリさんの家の前に辿り着くことができた。

 少し緊張しながらも中の人物に声をかけようとしたところ、何者かの話声が聞こえてきた。

 

「そう、ハクさんが無事に……」

「はいなのです」

「良かった……貴方達の大事な人だもの。無事で本当に良かった……」

 

 どうやら、ネコネが一足先に報告へ来ていたようだ。生真面目なネコネらしい。

 まあいいかとそのまま手すりに手をかけて中へ入ろうとしたが、何やら会話がおかしい方向に傾いてきたので、思わず手を止めた。

 

「母さま、私はどうすればいいのですか……?」

「どう、とは?」

「……ハクさんは、英雄になってしまったのです」

「……」

「……兄さまの助けになってほしいと思う一方で、ハクさんにも死んで欲しくないと思ってしまうのです……英雄なんてなったら、ハクさんはまた……」

「……そうね」

 

 ネコネの声は、悲壮感に包まれている。それを聞くトリコリさんの声も、鏡のように悲し気に聞こえた。

 凱旋時、偉く憮然としているなと思ってはいたが、考えていたのはこれか。あのネコネが、随分心配性になったものだ。

 入るべきか迷っていたが、言いたいこともある。聞こえなかったフリをして、中へ入ることにした。

 

「トリコリさーん、ハクです!」

「あ、あら、ハクさん? ちょっと待ってくださいね……」

 

 自分が来ているとは思わなかったのだろう。少しわたわたと慌てた雰囲気の後、扉が開く。トリコリさんの姿は、かつての美貌そのままに満面の笑みで迎えてくれた。

 

「あらあら、ハクさん。よくぞご無事で」

「はい。心配かけたようで」

「ええ、でも帰って来てくれたのだもの……安心したわ」

「トリコリさん御一人で?」

「中にネコネもいるわ。どうぞいらして」

 

 そう言って居間に招かれると、ちょこんと座るネコネがいた。

 ネコネは急いで涙を拭ったような痕を目元に残しており、先程のような哀しげな声色ではなく、あくまでぶっきらぼうな言い方で自分を出迎えてくれる。

 

「……めんどくさがりのハクさんが、母さまのところには飛んで来るのですか」

「まあな」

「褒めてないのです」

「ふふ……まあ、ハクさんもおかけになって」

 

 三人で囲炉裏を囲む。

 無事に帰ったことや、裏でオシュトルが随分心配して取り乱していたことなど、話が盛り上がる。しかし、ネコネは少し憂鬱そうにしたり、話に入ったり、また俯いたりというのを繰り返した。

 そういえば、宴は夕刻からであるが、トリコリさんは出席するのだろうか。疑問に思い聞いてみる。

 

「宴はちょっと参加できないの、ごめんなさいね」

「そうでしたか」

「あまり夜更かしすると目に悪いから……」

 

 トリコリさんからの酌も楽しみだったんだが、そうであれば仕方がない。宴で何も食べられない分、何かご馳走したいな。そう思い何かできることはと考えていると、一つ思いついた。

 そうだ──

 

「──なら、久々に菓子でも作りますよ」

「あら、材料あったかしら……ネコネ、ハクさんのお手伝いしてくれる?」

「え、わ、わかったのです……」

 

 渋々といったネコネを連れて、台所に行く。

 ネコネが材料を色々と出してくれたおかげで、何とかなりそうだ。

 

「何を作るのです?」

「まあ、見ていな」

 

 砂糖や果実、その他諸々の素材を使って、動物の形に仕上げていく。いつもと違うのは小さすぎることだ。このまま火に入れれば間違いなく元の造形は台無しになるだろう。

 しかし、以前の自分とは違う。自分は火を操りしもの。仮面の力をちょっと使えば──この通りだ。

 

「す、すごいのです。一瞬で焼き菓子に……」

「どうだ、仮面の力は凄いだろう」

 

 火加減の調節がうまくいったようで、人差し指から出る炎で小さな動物型菓子が完成した。出来上がった動物の形を見て、ネコネは目を輝かせている。やはり子供だな。こういう童心に帰る菓子は良いものだ。

 うむ、やはり自分には戦いは向いていない。こういう細々したことや、三大欲求に根差した活動の方が得意だ。

 

「決めたぞ。自分はこの力を使って菓子職人になる」

 

 次の菓子をじりじりを炎で焦がし、形を整えながらそう言う。

 意外と悪くない未来なのではないだろうか。働きたい時だけ働き、金が貯まれば転々と旅をする。仮面の力を使ったとしても、自分の手に余る力を求めなければ体を蝕むことはないのだから、良い調理方法だ。台所が無くてもできる。

 自分としては半ば本気であったのだが、それを聞いたネコネの反応は違った。

 

「ぷっ……あはは、何なのですか、それ。英雄が聞いて呆れるのです」

「そうか? 戦乱が終われば英雄なんてお荷物さ。今から就職口探しとかないとな」

「英雄なら、そのまま重臣になるのが普通なのです。全て蹴って菓子職人なのですか?」

「当たり前だ。英雄だの重臣だのまっぴらごめんだ」

「……ハクさんらしいのです」

 

 手元を見ていたネコネが、少し儚げにそう言う。先ほどの会話をこっそり聞いていたこともあり、何か言わねばネコネはあの件を引き擦るだろう。それは本意ではなかった。

 

「……英雄なんて矢面に立っちまったが、自分は死にたくないからな。うまく影に隠れるさ」

「逃げる……ということなのです?」

「いいや、逃げるわけじゃない。自分の命も大事だから、影からこっそり守るだけだ。お前の兄さまや……勿論、ネコネも」

「わ、私も、ですか?」

「ああ。ネコネがいなくなったら自分も悲しいからな」

「……っ」

 

 何か恥ずかしいことを言っただろうか。ネコネは頬を赤く染めて、そっぽを向いてしまった。

 

「あらあら……ふふ」

 

 トリコリさんのところまで会話が聞こえていたのか。振り返れば艶っぽい表情で自分たちを眺めている。それはもう嬉しそうに笑みを湛えて。

 

「そういえば……ネコネは宴に出ないのか?」

「あ、母さまと一緒にいるです」

「そうか。ならネコネの分も作るか」

「……いいのですか?」

「勿論」

「……ハクさんは、母さまが傍にいる時だけは優しいのです」

「おいおい」

 

 とんでもない誤解を招く発言だが、思い返してみるとそんな気にもなるのであえて否定はしなかった。誤解はゆっくり解けばいい。

 ネコネの当たりはきついが、裏ではそんないじらしいことも思ってくれていたのだ。妹分として、最後まで面倒見ようじゃないか。

 

 出来上がった菓子を三人で楽しんでいると、陽も落ち暗くなってきた。そろそろ宴に行かねばならないか。一応主役だからな。

 トリコリさんとネコネに見送られながら、トリコリ家を後にしようとする。別れの際、トリコリさんに声をかけられた。

 

「ハクさん」

「はい?」

「……ありがとう」

 

 何へのお礼だろうか。菓子へのお礼なら先程聞いたが。

 隣を見れば、恥ずかしそうに母を制止するネコネの姿がいた。ああ、なるほど、そういうことか。あまり聞き返せばネコネの逆鱗に触れるかもしれないと、さらりと流した。

 

「いえいえ、また来ますよ。今度はアンも連れて」

「ええ、彼女も随分来てないから呼んでくれると嬉しいわ」

「それじゃあ、トリコリさん。あとネコネも」

「明日から仕事なのです。飲み過ぎてはダメなのですよ」

 

 ネコネのお小言には言葉は返さず、後ろ手に返事をしてトリコリ家を後にするのだった。

 

 それから自分が主役の宴が始まったんだが、宴の話は――また後日にでも。なぜなら、あまり記憶が無いからだ。

 つまり、ネコネの小言を無視して次の日に影響するくらい飲んだということだ。まあ英雄の凱旋なのだ。たまにはこんなのもいいだろう。

 後日エンナカムイに裸で縺れ合う男達の写し絵が流れたそうだが、それは自分には関係ないはずである。多分。

 




第一部が影武者編
第二部がクジュウリ編
第三部が軍備増強編
第四部が朝廷虜囚編
第五部がナコク編

――とすれば、随分書いたなあといった想いです。明確に分けているわけではありませんが。

あと何部続くんだろう……構想はありますが、文字にすれば倍ぐらいあるような……もしかして折り返し地点だったりするかもしれません。エタらないよう文字数削減して書いていきたいですね。
また、読者様より毎回感想をいただけていること、とても励みになっております。ありがとうございます。

次回からはイズルハ編です。

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